武谷問題で言い忘れたことがひとつある。

私が加藤氏を批判するのは、「坊主憎けりゃ袈裟まで」というやり方がおかしいということであって、「坊主=日本共産党」が憎いということについては、共感できないわけではない。

逆に「悪いのは共産党で、武谷氏は被害者みたいな言い方も、やめたほうが良い」という、加藤氏の言い分にも一理はある。しかし共産党と武谷を串刺しにするのは、もっと乱暴だし、もっと傲慢だ。


いわゆる「50年問題」だが、その主要な側面は「分裂」にあるのでもなく、「極左主義」にあるのでもなく、党の事実上の「壊滅」にある。さらにマクロな視点に立てば、共産党の「壊滅」は、主要には「プログラムされた死滅」ではなくアメリカと支配層による「殲滅」作戦の結果である。


しかし厄介なのが対外盲従性の問題で、これは50年以降の党の弱体化にともなって強まっただけではなく、6全協以降の再建過程で明らかに強化されている。いわば外圧を背景に党が再建されたことの必然的結果といえる。

再建された党が掲げた親ソ・親中の路線は、しばしば現場の方針と齟齬をきたした。それがモロに大衆運動と激突したのが60年代前半だった。


しかし、事後的にではあるが、それらは全て基本的には現場の方針にそって修正されていった。歴史的に振り返れば、間違いなく共産党は各種課題と真摯に向き合ったと思う。それはこの間に共産党が「知識人の党」(グラムシ)となったからだ。


このへんはむしろ加藤さんの専門領域だろうと思うが、私が共産党に接近した昭和40年ころ、共産党というのは実に奇妙な組織だった。組織のトップは戦後の労働運動を通じて専従となり、レッドパージや反動攻勢を生き抜いてきた人々だった。

しかし企業からはパージされ労働現場に足場を持っているわけではなかった。基本的な足場は生協や民医連などの市民運動であった。


いっぽうレッドパージは大学には貫徹せず、組織が無傷のまま残されていた。ここが多くの活動家の巣立ちの場所となった。これらの事情は、逆に共産党が高度成長の時期を生き延び、さらに成長を遂げた背景となっている。そして共産党がソ連や中国に対し自主独立の立場を打ち出し得た理由となっている。


繰り返すが、日本共産党も私たちも原子力の平和利用について幻想を持っていたことを自己批判しなければならない。問題は具体的に提起されている。現実の原発には平和利用の可能性も安全な運用の可能性もなかったのだ。

私たちは原発の安全性について度重なる警告を発してきたが、それを根本的に否定してこなかった。

いまやこう言わなければならない。「原発は根本的に否定されなければならない」と。