どうも昨日のLivedoor Blog が調子悪かったような気がする。
文章が一つ消えている。
わたしも、ブログに載せたらどんどん元原稿を消してしまうので、もはや復元不能だ。
武谷三男の原子力認識の軌跡の文章は、その前に加藤哲郎「日本マルクス主義はなぜ原子力に憧れたのか」という論文の紹介と、自分なりの見解を提示していた。

いまさら書き直しもできないが、「日本マルクス主義はなぜ原子力に憧れたのか」という演題名は明らかに日本共産党への当てこすりである。

本題は共産党の原発政策が「原子力の平和利用」という呪縛を脱却できず、遅れを取ったのではないかという批判にあるようだが、それを終戦直後の原子力賛美の論調と結びつけようとするのがポイントのようだ。

加藤さんが作成した戦後の武谷三男(と共産党)の発言タイムテーブルを読みながら、我々の原子力認識の過程を後追いしてみたのが昨日の文章だ。

収集すべきデータの対象が増えてくると、どうしても取捨選択の必要が出てくる。そこにタイムテーブルの作成者の主観が入らざるをえない。
加藤さんのタイムテーブルは、終戦直後から約10年間の経過については、よく出来たものだと思う。
対象を武谷三男に絞り、悉皆調査的にデータベースをフル動員して出来ているから紛れが少ない。

そのうえで、終戦直後に形成されたプロトタイプ的な原子力観、そこで形成された原子力観が、いくつかの出来事を通じて変容していく過程が理解できる。

とは言うものの、「いくつかの出来事」はタイムテーブル内に明示されていないし、それがどう原子力観に影響したかも自明的に解き明かされているわけではない。

それらを列挙すると次のようになる。
1.“解放軍”としての占領軍からアメリカの支配への変化。
2.ソ連の原爆実験成功。
3.冷戦体制とレッド・パージ。
4.朝鮮戦争とストックホルム・アピール。
5.共産党の弾圧と分裂。ソ連・中国の干渉
6.米ソ両国の水素爆弾開発と核開発競争
7.ビキニの死の灰事件
そしてなによりも肝心なこと。それは原爆の恐ろしさが知られるようになったことである。当初は秘匿された広島・長崎の異次元の凄まじさが徐々に明らかにされ、国民に衝撃を与えた。
年表を見ると、戦後の一時期は広島に原発を作る話があったようだ。地元民にすら原爆の悲惨さは知られていなかったし、被爆者は世をはばかってひっそりと暮らしていたのである。
被爆の実相は、ナイーヴな原子力賛美者たちをして、慙愧の念をもたらしたに相違ない。そのタイムラグが、原子力観を根本的に転換させたに相違ない。
加藤氏は直接には「マルクス主義者の原子力へのあこがれ」を嘲笑するのであるが、それは日本国民への嘲笑のようにこだましてくるのである。