私なりに加藤さんの用意した資料を読み込んでみた。

無論これだけで「日本マルクス主義」の認識過程を網羅しているわけではないだろうが、武谷三男の見解の変化だけに絞れば、かなり説得力のある資料が収集されているものと思う。


「原子力」に対する認識の深化の過程

武谷三男の見解を中心に

A. 原爆も含めた原子力への野放図な賛美

1.原爆は反ファッショ科学者の協力の賜物(46年 武谷)

2.原子力の解放は科学史上の最大の出来事の一つ(47年 武谷)

3.世界の原子科学者は平和のために原子爆弾を造り上げた(48年 武谷)

4.(原子力が)人類絶滅の道具として使用することはあり得ない(48年 武谷)

5.原子爆弾は…平和のきっかけを作ってくれた(48年 武谷)

6.自然力がまちがってつかわれると人類はほろびるが、ただしく使われると人類の生活をどんどんたかめる(48年 武谷)

この頃、放射能問題はまったく触れられていないようだ。

B. 原爆と原子力の分離。一方で平和利用への賛美は続く

1.原子爆弾は最大の浪費である(49年 徳田)

2.われわれは原子力を、平和的建設の重要課題実現に役立てる(49年 ヴィシンスキー国連代表)

3.原子爆弾の犠牲になった唯ひとつの民族…広島と長崎をふたたびくりかえさない…戦争に生き残ったわれわれの任務(50年 ストックホルム・アピールの呼びかけ)

4.原子力の副産物の放射能も「化学変化の研究や医学に」(武谷 52年)

5.人を殺す原子力研究は、一切日本人の手では絶対行わない(武谷 52年)

平和利用には原爆=ダイナマイト論がふくまれる。

C. 水爆と原爆との評価の分離。「水爆は人類の敵」

1.原爆と違って水爆は戦争以外に全く役立たない。「水爆は人類の敵」(武谷 53年)

これは「ソ連の水爆実験を聞いて」という記事であり、ソ連製をふくめて水爆には反対という趣旨と解される

2.水爆のエネルギー、死の灰は予想以上(武谷 54年)

53,54年は核問題がらみの事件が集中して起きている。続けざまに事実を突きつけられるなかで、原子力観の根本的検討が迫られた時期だったのだろう。

この年表には出てこないが、講和条約後に広島・長崎の被爆の実相が次第に明らかになり始めた時代と、それは重なっている。

D. 原子力発電に慎重な立場

1.原子力の平和利用は重要であり、その時期がせまっていることもたしかである。(武谷 54年)

2.原子力発電は核兵器とは桁違いに困難であり、難問が未解決のまま山積している。「死の灰の処理」は容易ではない(武谷 54年)

2.のコメントはほとんど今日的である。気がつくのは認識の順序や過程が、実際にはかなりジグザグの経過をとっていることである。これらの認識が苦闘のなかで獲得されていったことに思いを致す必要がある。

E. 段階論(原水爆の克服→平和利用)の提起

1.原子兵器競争が続いている間は研究や平和利用の分野でのどんな試みもない。(世界平和評議会声明 55年)

2.現在の原水爆時代を克服しない限り、原子力時代は訪れない(武谷 55年)

議論としてはさらに一歩進んでいる。「核兵器ではなく平和利用」から原水爆禁止の先行へ。ただし、平和利用そのものは積極的に評価されていて、技術的困難性は議論の前面には出ていない。

F. 平和利用問題での揺り戻し

1.原子兵器が全面的に禁止され、鳩山政府が打倒されるまでは、わが国における原子力平和利用の問題は、実際に問題になりえないといった機械的な態度をとることは許されない。(前衛 56年)

2.原子力の…可能性を十分に福祉に奉仕させることは、人民民主主義、さらに社会主義、共産主義の社会においてのみ可能である。(共産党決議 61年)

世界平和評議会の2段階論は、「原水爆時代の克服」から「社会体制の変革」に置き換えられている。ただ2段階論がそれなりに引き継がれているとは言える。

武谷は共産党を離れ独自の動きを示すようになるが、物理学者をはじめとする科学者運動のなかでは依然大きな影響力を維持していた。


この後「あらゆる国」問題や原水協分裂→再統一の失敗問題が展開されるが省略する。

問題は日本における原研の創立と原発の操業開始に至るトバ口のところまでに、どのように原子力の平和利用に関する認識が変遷して行ったかということだ。

その点では、朝鮮戦争という隣国での大規模な戦争、明らかにされた被爆の実相、ビキニの放射能という3つの事件が大きく作用していたのだろうと思う。

現実を突きつけられることで、日本人の思考は大きく変化していくのであり、それが53年から55年にかけて集中的に現れたのだと思う。

この時期に共産党は事実上の壊滅状態にあった。その後6全協から8回大会を経て再建へと向かっていくのであるが、これらの変化をつかみとっていたとは言いがたく、核兵器についても原子力の平和利用についても時代に一歩遅れていたと言わざるをえない。