インド・スズキ自動車 「暴動」はでっち上げ

経済面の「変貌する経済」という連載で、かなりのスペースを使ってインド・スズキ自動車の「暴動」を告発している。

本来なら、独立した記事として取り上げるべきだが、まだしっかりとしたウラが取れていないのかもしれない。

とりあえず要旨を紹介しておく。

まず会社側の発表はこういう風になっている。

暴徒は鉄パイプをもって行動した。これは計画的だ。先頭に立って抑えようとした人事部長は足を折られ、そして(建物に)火をつけられた。誰がどう考えたって殺人だ。これは組合運動じゃなくて暴動だ。

(6月の株主総会での鈴木修会長の発言)

これに対して有力な反論が出されている。「労働者の権利を目指す国際委員会」(ICLR)の国際調査団報告だ。

「暴動」が起きたのは2012年7月18日。以下は報告書の抜粋。


午前8時半、ある現場監督が1人の労働者にカーストの差別的な言葉を投げつけた。

口答えをしたその労働者は停職処分を科された。

労働組合は、停職処分の撤回を求め経営側と数度にわたり話し合いを持った。

そのさなかに、経営側は警察に警官隊の配備を要求した。

午後2時、大量の警官が工場の門前に集結した。

この日、工場内には多くの見慣れない男たちの姿があった。作業服は着ているものの名札はなかった。彼らは「自分たちは新入りだ」と名乗った。

午後7時、組合と経営側は討議を再開した。

この頃から、「新入り」と名乗る男たちが労働者への挑発を始めた。それは次第にエスカレートし、ついには乱闘騒ぎとなり、完全な混乱状態に陥った。

交渉のテーブルについていた組合幹部は、騒ぎに気づき部屋を飛び出した。

その直後に、いままで交渉をしていた部屋から火の手が上がった。

工場内のプラントの労働者はプラントの外に飛び出した。

これを見た警官隊は、工場内に突入し、労働者を手当たり次第に捕まえ出した。

火災が起きた事務所内ではアバニッシュ・デヴ人事部副部長が死亡していた。死因は煙を吸い込んだことによる窒息死だったが、両足には鈍器による外傷が残されていた。

デヴ氏は経営側の人物であったが、労働組合設立に積極的に関与するなど、組合の強力な支援者と見られていた。

ついで労使紛争の背景説明

日本では1分に1台の割合で生産ラインに自動車が流れてくるのに対し、マネサールでは45秒に1台の割合で流れてくる。

勤務途中の休憩時間は日本が10分程度なのに対し、マネサールは7分間しかない。

1日の生産台数の目標が決められ、目標に達するまで時間外労働を強いられる。平均2時間のただばたらき残業になっている。

理由にかかわらず、1ヶ月に1日休むと「生産性」連動部分の賃金が削られ、3日休むと全てなくなる。(この賃金部分は賃金全体の半分に相当する)

工場労働者のうち75%が不安定雇用で、賃金は正規労働者の4分の1程度しかない。


ここまでが報告書の抜粋。

以下は地の文になっているが、おそらく調査団のメンバーからの聞き取りによるものと思われる。

スズキ自動車側は一貫して労働問題が背景にあると認めません。しかし事件は、労働者が様々な妨害をはねのけ、自主的な労働組合を結成した直後に起きました。

この労組が州の労働部に登録されたのが12年3月。その後、労組はすべての契約労働者の正規化などを求める「要求憲章」を発表した。

3ヶ月で10数回に及ぶ団交が行われたが、7月中旬、経営側は交渉打ち切りを一方的に宣言した。これに対し、労組は不払い残業拒否を表明した。

7月18日の事件の後、多くの労働組合幹部が逮捕され、労働者2300人が解雇された。


ということで、インド・トヨタのロックアウトも相当非常識な行動と思ったが、こちらはほとんどむちゃくちゃだ。

ただ、スズキはインドにとっては外国企業だということを忘れていないのだろうか。ナショナリズムに火をつけると、このての話は致命傷になる。


なお、この報告についての詳細は

静岡県労働研究所のホームページに掲載された

インド・マルチスズキ社の「組合つぶしの暴力事件」について
2014 年5 月6 日

というレポートに述べられているので、そちらを参照されたい。

インド・トヨタのロックアウトについては

を参照されたい。