以下、大躍進運動とその悲劇(甲南大学 青木浩治 藤川清史)より引用

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食糧生産量と米生産量は1958年から大きく落ち込む。回復には20年を要している。食糧250キロが飢餓線、300キロ以下が栄養不足とされる。

大躍進期から1965年くらいまでは、中国国民は飢餓水準にあった。都市部の工業地域で餓死者を出すわけにはいかないので、農村部ではさらに食糧事情が逼迫していた。

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片対数グラフであることに注意。力を入れたはずの鉱工業さえも深刻な落ち込みを経験し、回復には10年以上を要している。

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アメリカにおける大恐慌後のGNPの推移、日本における太平洋戦争によるGNPの推移、中国における実質物的総生産(かつての社会主義国のGNPに相当します)の推移を示す。

「大躍進」の失敗は、日本の敗戦の影響と大差ないほどの経済的インパクトを与えた。


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上図は、別の文献からの引用

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左が安徽省、中が四川省、右が上海の出生率・死亡率推移。

農村部に被害が集中し、上海はほとんど被害を受けていない。出生率の低下は構造的な傾向と思われる。

 安徽省ではそれまでの死亡率が約10%なのに対し、60年には70%近くに達している。単純に計算すると死者7人のうち6人は餓死ないし栄養失調死ということになる。

四川省の場合は、この状況が58年から61年まで4年間にわたって続いたことになる。つまり同じ農村地帯でも奥地に行けば行くほど、状況は深刻だったと考えられる。

チベット問題は情報のバイアスがあるので、そのままには受け取れないが、四川省以上に深刻であったろうことは容易に予想される。


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この図は中兼和津次さんの論文からの引用

1.人民公社制度のもつ平均主義的分配や労働力,資材の無償調達などの否定的影響。

2.無理な工業化による労働力の移動,農業への低い投資配分,過剰な食糧調達

3.それらが生産意欲の停滞をもたらし,生産は一層低落する,というメカニズム

と説明されている。

ただ、政策というのは誤りはつきものなので、問題はそれを是正するフィードバック機構が働くかどうかである。

当時は毛沢東の独裁体制であり、その上で毛沢東が過ちを犯したのだから、フィードバックは効きようがないし、救い道がない。

廬山会議での毛沢東の発狂が全てである。