朝日新聞の中国総局が編集した中国共産党の実録物「紅の党」が文庫本で手に入る。
遅読の私としては珍しく一気に読んだ。「なるほど、そういうことだったのか」という知識が満載である。とくに12大会直前の習近平の雲隠れについては、胡錦濤派と江沢民派の争いに巻き込まれないための自衛処置だったと言われると、つい説得されてしまう。
ただ読み終えた後の感想としては、意外に印象に残らない。
結局「政治部」の感覚で、政局とその裏側を追っているにすぎないのではないか、という思いがしてならない。

もっと「路線」の問題として考えるべきだろうと思う。
私は江沢民と胡錦濤の闘いではないと思う。たしかに人事をめぐってはそういう印象はある。しかし基本的には胡錦濤の脱政治路線・プラグマティズム路線が否定されたのが12回大会ではないかと思う。
とくに、テクノクラート重視と裏腹の関係で軍の「近代化」が推し進められ、胡錦濤がその力を背景に党支配を強化しようとしたことに警戒感が高まったのではないかと思う。
単純化すると、
1.国家が社会主義国家でなくなってしまう。
2.共産党が人民の党でなくなってしまう。
3.テクノクラートと軍の支配する国になってしまう。
ことへの危機感が、胡錦濤を引きずり下ろしたのではないだろうか。
もちろん汚職の問題は深刻だ。これは徹底してやらなければならない。しかしそれ以上に深刻なのは「路線」のブレではないだろうか。

もちろん毛沢東路線との決別は、いずれの派にとっても自明の問題だ。いまさら毛沢東路線の復活などを考えるものはいない。問題は毛沢東路線と決別しどこに向かうかだ。
文革終結後の疲弊した状況にあって、鄧小平のプラグマチズムは有効だった。あれがあったからこそ天安門事件も乗り切れたのだろう。しかしそれは本来は、非常時における緊急避難的なものであった。それは党の高い倫理性と闘う姿勢を犠牲にしたものであった。それが平時にもそのまま持ち越されるなら、党の指導力は、その根元を掘り崩される危険性がある。
羅針盤なき改革・解放はもはや弊害をもたらすのみだ。それはおそらく共産党を指導的地位から脱落させることになるだろう。