鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

“I Can”がノーベル賞をもらった。同慶の至りである。

しかし心の底には「えっ、どうして?」という感じがつきまとう。

私が最初にIPPNWの総会に出席したのは1996年、メルボルンが会場だった。

たしか80年代の半ばにIPPNWがノーベル賞をもらって大きな話題を呼んだ。

当初は一種の「賢人会議」組織であり、各国医学界の重鎮の集まりであり、参加者はひたすらご高説を拝聴するという具合であった。

当然ながら、10年もするとそれでは壁に突き当たる。そこからどう脱皮するかが、メルボルンでは問われていたように思う。

メルボルンでは若手医師が大活躍した。メインセッションこそ大御所のレクチャーが続いたが、分科会は若手医師の独壇場でった。

彼らは、核問題にとどまらず、一般軍縮の問題、環境破壊の問題、少数民族問題と縱橫に論陣を張った。

最終日にはカナダの女医さん(アシュフォード?)が若手医師を代表するように「I Can」でおおいに運動を広げましょうみたいな演説をして会議を終えた。

それはそれで良いのだが、トークセッションやフリースピーチが続くともはや我々にはお手上げである。日本人の一番苦手の分野だ。結局アングロサクソンのなすがままにジャパニーズスマイルを浮かべるのみである。

報道を見ると、どうもこれが「I Can」運動の始まりらしい。

結局、彼らはドラフトとディベートとネゴシエーション技術を駆使して、核兵器禁止条約に向けて国際合意を作り上げていったらしい。


もちろんそのことについて異論を挟むわけではない。

ただ当時のやっかみ半分の感想として、「本流は別にあるんじゃないのかい?」と思ったことも間違いない。




志位さんの記者会見では、全289選挙区のうち249選挙区で立憲民主党、社民党との間で候補者を一本化させた。凄まじいスピードだ。

立憲民主党の立候補者が60人以上にのぼるという報道もあるので、数字が合わないところもあるが、とにかくそのくらい猛スピードで事が進んでいるということだ。

とにかく毎日の赤旗では情勢に間に合わない。北海道は経営状況の悪化から版数が減って、東京都内より1日遅れの記事になる。

「仕方がないので」というか、本日は共産党の街頭演説に出かけてきた。最新情報を知るにはこれが一番有効だ。

活動家情報では、民進党道本は立憲民主党に一本化し、希望の党候補は支援しないと決めたそうだ。まぁどのくらい末端にまで徹底されるか疑問ではあるが、

まさに日本列島が野党共闘vs与党+アルファの決戦。 3極じゃなく2極の闘いだ。

岩上さんも書いている。

小池百合子氏は軽率にもパンドラの箱を開けてしまったようだ。ひょっとして野党連合の回し者ではないか、という気さえしてくる。
今回の政変の副次効果として、労働戦線の再編も日程に上ってくるかもしれない。大手民間労組は本心は自民支持だ。経団連子飼いの労働貴族集団にすぎない。組織人員600万のうち半数が大手民間労組、残り半分が官公労関係だ。これが割れると全労連との組織統一も視野に入ってくる。
ここが基盤になって大手企業に非正規労働者のヤマネコ争議を仕掛ける、という戦略が見えてくる。
宗教組織でも激変の可能性はある。市民連合がウィングを広げ、立正佼成会と生長の家あたりが起爆剤になって、創価学会への平和攻勢を強め、包囲網を形成していく。
そうなるとメディアはヤクザな商売だから、一気にタブーから解放されて動いていく可能性がある。

福岡3区から立憲民主党で立候補する山内さんという人の決意表明から
そもそも民進党は安保法制に反対でした。党の方針として反対しました。細野豪志氏も民進党在籍中は反対だったはずです。
それなのに「希望の党」の入党の踏み絵として「安保法制に反対の人はダメ」というのでは、ほとんどの民進党の議員や候補者は自動的にダメということになるのが、論理的な帰結です。
平気でうそをつける人であれば楽々と超えられるハードルですが、そうでなければ眠れないほど悩むはずです。
「ダメ」と書いたのはやはりちょっと遠慮している。「嘘つき」と言うべきだろう。
私の選挙区からは、松木さんという人が「希望の党」公認で出馬する。
この言葉をそっくり投げつけてやりたいものだ。



1.北朝鮮問題は外交問題である

国内でいかに独裁政権がひどいことをやっていたとしても、それは国内問題だ。

例えばタイで軍が合法政権を倒して、法にもとる独裁政治を強行しても(それは非難に値するが)外交的対抗手段はおのずから異なってくる。

数千万の人が暮らす国としての国家主権は、それはそれとして尊重されなければならない。
ホーチミンの言葉「独立ほど尊いものはない」は外交の原理を究極的に示している。

2.北朝鮮問題は国際問題である

北朝鮮が要求しているのは米朝関係の改善であり、自国の安全保障である。

したがって、それはまずもって米朝両国の話し合うべき問題である。

しかし核兵器の開発は明らかに国際的な問題であり、これを阻止することは国際社会の問題である。

現に国際社会はその方向で動いているのだから、これと協調して行動しなければならない。

ミサイル問題は核問題と同列に語ることはできない。もちろんそれが核と結びついている状況のもとでは等閑視はできない。しかし核を除けばミサイルの開発について国際法上で禁止されているわけではない。日本だってロケットはバンバン上げている。形態から言えば、人工衛星を載せるか核弾頭を載せるかの違いだけだ。

むしろ事前通告や無害性の立証が絶対に必要であろう。

3.解決の糸口が示されなければならない

日米安保条約は二面性を持っている。一つは日米軍事同盟であり、米国が軍事行動に出れば自動的に参戦させられることになる。

もう一つは日本の安全を保障するメカニズムも内包していることである。憲法上は(あくまで憲法上であるが)非武装である。独立を承認されたサンフランシスコ条約で、日本の安全は世界の諸国(連合国)の共同に委ねられている。

その具体的内容として安保条約が置かれている形となっている。

したがって、矛盾するようだが、日本の安全を真に保障するためには、安保条約を発動させないために努力することこそがだいじだ。

これは安保条約に賛成でも反対でもコンセンサスとなるだろう。

緊張緩和のために緊急になすべきことは明確である。米朝対話の開始である。そのためには核問題で北朝鮮の何らかの言質が必要である。

仲介者はいくらでもいるだろう。日本がそこまですべきとは思わないが、少なくともその邪魔をしないことはできる。

戦争ヒステリーはあっという間に広がる。70年前我々の父母はそれを痛感した。

まずは冷静に事態を見つめるべきだろう。「平和が一番、戦争だけは絶対にダメ、とにかくまず話し合いを」という一点で世論をつくりあげなければならない。

4.東アジア4カ国の平和共存が最終目標

北朝鮮問題への対処は、いっときの問題ではない。東アジア問題全体がそうだ。

まだ終戦処理が完了していない。それはとくに我々の内心の問題である。

日本では、朝鮮を植民地とし、中国に侵略を行ったことへの反省がいまだ十分とはいえない。

在日を蔑視し、北朝鮮への度を越えた敵視がむしろ増強する傾向すらある。これは大国意識がもたらしているものだろう。

まず4カ国が対等のパートナーシップを結ぶこと、相互の国家主権を尊重すること。他国の人々が間違っていれば批判することは大いにけっこうだが、相手の批判にも耳を傾ける謙虚さが必要だ。

そのうえで朝鮮半島の平和的統一も展望し、ロシアにも協調を求める。そして領土的野心を放棄することを相互に宣言する。

他にも言いたいことはあるが、とりあえずこの4点を訴えたい。


5日(木)にふらりと宗谷まで行ってきました。
前に書いた天北線を見たかったのと、まだ宗谷岬を見たことがなかったので、それが目的と言えば目的ですが、まあどうでもよいことです。
家からすぐそばにインターがあるのでそこから高速で士別まではすぐに着きます。すぐといっても180キロ、“普通”に走って2時間はかかります。そこから天北線の出発点である音威子府についたのは途中休憩を挟んですでに12時を過ぎていました。
途中の美深にチョウザメの飼育場があるのですが、まったく宣伝もしておらず、看板すらありません。探すのに思わぬ時間がかかりました。しかしそれだけの価値はある立派な見物です。
入場料はなんと無料。隣接する道の駅にもそれらしき土産も何もありません。商売けがないというよりなにか隠しているようにさえ感じてしまいます。
私なら、チョウザメではなく「美深ザメ」とかネーミングして「ゆるキャラ」を作って全道キャラバンするね。チョウザメ・ステーキとかチョウザメ・バッグを販売して付加価値を大いにアップする。もちろんキャビアはそれ相当の値段をつけて、高級レストランに提供する。国際コンクールに出して箔をつける。まだそこまで成熟していないようだけど。
とにかく行こうと思う方は必ずネットで確認してください。その気にならなければ間違いなく見過ごします。美深なんてザラに行くところじゃありませんから、これは一生の不覚です。
もう一つの美深名物が羊かんです。これは左翼の人には泣ける話です。音威子府駅の職員がJR合理化と闘って東京に飛ばされた。北海道ではよくある話です。それが東京で配置された職場で羊かんづくりを学んで、美深に帰ってから羊かん作りを始めました。これが地元では評判になってかなりの売れ行きらしいのです。
とりあえず買ってきたがまだ食べてはいません。だいたいこの手の食い物は苦手なのです。見ただけで歯が疼いてくる。
音威子府駅はかなり観光化されていて、天北線に関するミニミュージアムも併設されています。なかなか充実しています。
音威子府で何か食おうと思いましたが、駅の立ち食いそばは1時で営業終了、目の前でシャッターを下ろしてしまう無情ぶり。道の駅に行ったら「本日休業」というありえない掲示。町内に食堂はなくなんとコンビニさえもありません。今回の旅行でわかったのですが、道北ではコンビニというのは決して「ありふれた光景」ではありません。「いなか」というのはInconvenient Countryの略だと心得たほうが良さそうです。
結局、空腹のまま音威子府を出発し天北線へと入りました。国道は天北線の線路跡と並行しながら走るのですが、それらしき遺物はなかなか見つかりません。一番良かったのは「北音威子府」の駅でした。
R0012325
89年の廃線から20年、今にも木立の向こうから列車がやってきそうな景色です。空き缶も、菓子の袋もまったくありません。この駅名板は国道からも木立を透かして見えますが、誰も気づかないようです。(一昨年、地元の有志が再建したのだそうです。がっくり)
峠を越えた小頓別は鉄道の走っていた様子はもはやなく、旅館「丹波屋」も崩壊は時間の問題のようです。上頓別はすでに集落そのものが消滅していました。
飯が食えるかと期待してやってきたピンネシリの道の駅もお休み、こうなれば中頓別まで走るしかありません。やっと中頓別のドライブインに到着。もうすでに3時ですからざるそばで手早く済ませて、と思ったらなんと20分も待たされました。ズルっとかきこんで浜頓別へ。
浜頓別の街はまだ活気があります。表通りこそシャッター街ですが、民家はこざっぱりとして廃屋はありません。ここもホタテ景気なのでしょうか。話に聞いた大通り、北1条、南1条をしっかり確認すればあとは用は無し。
陽が少し傾いてきました。暗くなる前には宗谷岬に着きたいと車を飛ばしました。なが~い直線道路、あたりには人家はなく「鹿の飛び出し注意」の看板ばかりが目につきます。そろそろお出ましの時間です。釧路で鹿には慣れています。道路に群れる鹿の群れの中を突っ切ったこともあります。
ようやく宗谷岬についたのが4時半を少し回ったあたり、もう日は沈んで夕焼けの空が広がっています。車窓の右前方にいくつかの島が見えてきました。それはだんだんとつながって山並みを形成します。宗谷岬は実は最北端というよりはサハリンに一番近いところなのです。明治の初め、樺太アイヌが島を追われて最初に定着したのがこの辺りです。気持ちわかりますね。
写真にとったのですが、小さすぎてわかりません。仕方がないのでほかの方の写真を拝借します。
樺太遠景
津軽海峡北部のハチクマさんのサイトより転載
最短直線距離で43キロだそうです。札幌・小樽間くらいです。借りておいていうのも何ですが、夕方のほうがもっとスッキリ見えます。風の強い日は水蒸気が飛ばされてよく見えます。
宗谷岬についた途端、吹き飛ばされそうなほどの強風、気温も急降下してとても長居できる雰囲気ではありません。
宗谷海峡
間宮林蔵と三角塔のあいだに見えてはいるのですが…
宗谷岬と稚内のあいだがけっこうありまして、ホテル到着が6時過ぎ。朝からずっと運転で頭の中がゴーッとなっています。しばらく休んでから街に繰り出しました。
稚内なんだから魚を、それもちょっとおごって寿司でも…と探して、そのうちにあまりの寒さでエイっと飛び込んだ寿司屋。
稚内では一流らしく、けっこう繁盛していました。カウンターの隅に座って熱燗を頼んで、空腹が手伝ってけっこうメートルが上がりました。味はいわゆるむかし風の寿司屋の味です。シャリの粒立ちがピンとせず5,6粒多い。甘みが強く酸味が足りない。ネタに下ごしらえをしない。鮪の赤身も赤貝も“まんま”で出てきます。アワビは噛み切れず残ってしまう。値段だけは老舗らしく一流です。
嗅覚はあるつもりなので、もう少し暖かければそれなりの店を見つけたと思うのですが、残念。
帰りにコンビニでコップ酒と酔ざましの牛乳を、と探したのですが、例によってコンビニがない。札幌なら石を投げれば当たるほどのコンビニが、探せど探せどない。
30分歩いてやっと駅のそばに見つけて買いました。宿につく頃には冷え切って、酔いだけが残っているという悪いパターンです。風呂で温まるといっそう酔いが回ってそのままバタンです。
ところで泊まったホテルかこれ。
ホテルサハリン
エンブレムの小さい字はロシア語でガスティニツァ・サハリンと書いてあるようです。ガストとはドイツ語でゲストのことですから。ゲストハウスという意味でしょうか。ホテルと言うにはちょっと気が引けるという感じかもしれません。
とにかく名前が気に入りました。「稚内に行ってホテル・サハリンに泊まってきた」というだけでシャレてますよね。
JTBやるるぶでは出てこない店だと思いますが、私はジャラン派なので見つけることができました。ロビーがかすかに魚臭いが、決して悪くはないホテルです。セザリア・エボラ風のおばさん(もう少し美人)がフロントを仕切っています。朝食が7時から8時までというのがすごいでしょう。
場所は最高です。あのルネッサンス桟橋の付け根から10メートル。時化れば舞った飛沫が飛んでくる場所です。朝日は宗谷岬の方から港越しに上がってきます。このときだけ宗谷岬がくっきりですが、太陽が上に上がると霞んでしまいます。
一人旅なら絶対のおすすめです。このマッチだけでもちょっとした自慢です。5,6個おねだりしてせしめてきました。
帰りに困ったことがいくつか
私の車は6年前のWishです。ナビがその時のものなので、最近の高速が載っていません。道北ではかなり部分開通していてバイパス代わりに無料利用できます。ところがそれがナビに組み込まていないのです。乗っているあいだは快調なのですが、降りてからのアクセスがわからず何度も迷子になりました。今度の定期点検のときにバージョンアップしてもらわくては…
国道275号線というのは地味な道路で、わりと遠慮しながら走っています。ときとして間道のほうが立派で間違えてしまいます。ひどいときは2,3キロ行ってから「あれ変だぞ」と引き返したりしました。そういうときに限ってナビが方向感覚を失ってしまうのです。
ときどき道路地図を見て、全体のイメージを持ってから運転するほうが無難です。
とにかく全行程750キロ、東京-青森よりもっと長い。71歳のジジイがよくも走ったものだと感心しています。ガソリンは満タンで余裕の完走でした。

たしかに政局は作り出すものだ。これに関しては彼女は練達の士だ。
しかし、もう一回り大きい政治情勢というものがある。
政治的にはまず安倍政権の民主主義の軽視に根深い国民の不信感がある。
そして北朝鮮のアラートに際して国民は漠然とした危機感を抱いている。それは必ずしも安倍政権の安保政策支持に向かっては居ない。むしろ好戦的な姿勢に不安をいだいている。
それらは市民連合や野党連合への支持の結集として現れている。それはまだ国民的期待の高まりというほどには至っていないが、一気に吹き出す可能性を秘めた「深部の力」となっている。
たしかにアベノミクスのもとで、景気はマクロでは回復している。しかしその恩恵は地方にはおよばず、多くの国民は景気回復を実感していない。日銀主導の刺激策はリフレが実現しなければ破綻する。経済界も出口がないことにいらだちを感じている。
総じて国民は自民党の安倍政権が長過ぎることにあき、内部の腐敗に憤っている。
これが情勢であろう。
小池氏は、こういう情勢の最後のポイントだけに的を絞って政局を動かそうとした。東京ではそれがうまく行った。
しかし国政でそれがうまくいくはずはないので、それを見誤った。黙っておとなしくしていれば勝利が転がり込んできた可能性はあるが、反リベラルを前面に押し出したことで一気に奈落の底へと突き落とされる羽目になった。
ついでだが、
私は、地方に住んでいる身として、地方の軽視が東京を中心にかなり広がっていて、これは庶民の暮らし軽視の典型的な現れだと思っている。
おそらく東京の人と地方の人の生活実感は相当かけ離れてきているのではないか、と実感する。今回の「枝野の乱」は東京に対する地方の反乱と見ると、かなり背景が見えてくるのではないかと思う。

脳神経の研究史
紀元前4世紀から21世紀まで、脳研究2500年の歴史を辿る
というファイルを中心に、いくつかのデータを寄せ集めて、とりあえず作成してみた。
自分としては不満が残っており、いずれ増補していきたいと思っている。

BC1700 古代エジプトのパピルスに「脳が知覚や運動機能などと一定の関係を持つ」との記載。(エドウィン・スミス・パピルス)
papirus

BC400頃 ヒポクラテス、『神聖病(=てんかん)』の原因が脳にあると記載。呼吸によって取り入れられる精気をこころの担い手と考える。
脳によって、そして脳だけに、快楽、喜び、笑い、戯れが生まれ、同時に、悲しみ、痛み、憂いも生まれる。
BC387 プラトンは、叡智の心は頭の中にあるとして、脳は精神作用の源であると述べた。これに対しアリストテレスは、思考と感覚を司る器官は心臓であり、脳は冷却器にすぎないとする。
BC300頃 古代ギリシャの解剖学者ヘロフィロス、脳と脊髄に神経が集中していることや、4つの脳室が4つあることを発見。第4脳室に心の座があると考えた。
BC170頃 ガレノス、ヒトの脳を解剖。流体に満たされた脳室を発見。3種類の流体(霊気)がヒトの行動を制御しているとする。また動物の解剖から、大脳が感覚を受容し小脳が筋肉を制御していると推測。
AD5c~ キリスト教 人体の解剖を禁止。医学の発達が止まる。ガレノスの解剖学が1千年にわたり金科玉条となる。
1500頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ、脳の解剖図を描く。ワックスを注入して脳の鋳型を作ったといわれる。ダ・ヴィンチの人体観そのものはガレノスの学説を脱却せず。
1543年 ヴェサリウス、「ファブリカ」(人体構造論)を出版する。脳室の位置と形を正すなどガノレスの約200ヶ所の誤謬を修正。
17c デカルトが「心身二元論」を発表。ヒトの体は機械であると考え、松果腺を精神の世界と身体が繋がる場所とした。
18c ウィリスとレン、神経機能が血流に依存することを示す。
18c末 フランツ・ガル、『骨相学』を唱える。大脳の各部がそれぞれ特定の機能を有しており、頭の形を見れば頭脳の特徴が分かると主張。脳の機能局在論のきっかけとなる。
1848 フィネアス・ゲージのケース。事故による前頭前野を損傷。事故後、性格が一変し抑制が効かなくなる。このことから、前頭葉が情動の抑制や常識的な判断と関係していることが知られる。
1861 ブローカ、左前頭前野後半の損傷で運動性失語が起こることを発見。
ダーウィン、人間の情動には動物の名残があると主張。ロマネス、動物行動を観察する中で比較心理学を樹立。
1870 ドイツのフリッチュら、サルの大脳皮質の一部に電気刺激を与え、筋肉を動かす部位を同定。
1873 イタリアのカミロ・ゴルジ、硝酸銀を用いて細胞を染色。細胞どうしの境界を明確に観察。神経網状説を唱える。
スペインのカハールは、神経が直接つながっていないことを確認。神経細胞の情報の流れには入力と出力があるとするニューロン説を唱える。脳細胞は動物種によらず類似していることを指摘
1874 ウェルニッケ、発話はできるが相手の言葉が理解できないケースを報告。患者の側頭葉に障害があったことを確認。
1875 イギリスのリチャード・カートン、神経細胞の電位を発見。
1878 イギリスのデーヴィッド・フェリエ、サルの脳の各所に電気刺激を与え脳地図を作成。
1886 フロイト、精神分析を提唱。フロイドには多くの異論が現れた。アドラーは性欲より劣等感や優越欲を重視、ユングはリビドーを性欲を超えた生命エネルギーとする。
1902 パブロフ、条件反射のセオリーを提起。ジョン・ワトソンは刺激と反応の観点から行動主義を提唱。
1906 アルツハイマー病が発見される。
1906 ゴルジとカハールがノーベル賞を共同受賞。
1909 ブロードマン、層状構造の違いにもとづいてヒトの大脳皮質を52の領野に区分(ただし9つの欠番がある)
1924 ハンス・ベルガー、脳電位の存在を確認。
1932 電子顕微鏡の開発。カハールのニューロン説が確認される。また神経細胞が細胞体と軸索、樹状突起より形成されることも確認。
1934 ロボトミー(前頭葉白質切除)手術の普及。50年ころにはてんかんに対する脳梁切断術。これにより脳機能が詳しく解明される(副作用として)。
50年代 クロルプロマジンが臨床に導入される。少し遅れて三環系抗うつ剤も使用開始。
1952 カナダのペンフィールド、ホムンクルスを作成。
ホムンクルス
1953 海馬摘出術を受けた患者で、記憶能力が喪失することが判明。
1960 ポール・マクリーン、大脳辺縁系を提唱。三位一体説を唱える。
1963 神経幹細胞が発見される。ここから神経細胞とグリア細胞が分化。
1970 ハンズフィールドら、X線CTを開発。
1975 ドパミン遮断薬による統合失調の治療が始まる。
1980 PETの臨床応用が始まる。各種行為と脳の活性化部位について知見が集積。
1982 アルツハイマーの病因としてβアミロイドが特定される。
1983 鳥成体の大脳、哺乳類の海馬などにおける神経の新生が発見される。
1990 MRIが開発される。
1992 fMRI(機能的MRI)により各種行為時の脳局所血流変化を非侵襲的に調べることが可能になる。
1993 光トポグラフィーの開発。小型の装置での測定が可能となる。
2006 iPS細胞を使った神経細胞の再生の試みが始まる。

立憲民主党 朝日の報道が変だ

この24時間の朝日の報道が明らかに変だ。枝野が野党の共同に竿をさして分裂させたような書き方になっている。
希望の党がどういう政党なのかについてはまったく語らず、野党共闘の流れについても触れようとしない。
この新聞は、いざという時に必ず腰砕けする。そして護憲・平和の運動に必ず横槍を入れ、分裂を持ち込もうとする。その影響力を保持するために、普段はリベラルなふりをしている。
もちろん現場にはリベラルな人はたくさんいるのだが、トップはそうではない。安倍首相としっかり定期の会食もしている。もともと戦争中には人一倍激しく「聖戦遂行」の旗を振った人たちだ。
まさに「ニセ紳士」の面目躍如だ。

「脳科学」の言葉が拡散している。
なにかと便利だから、私も使う。そもそもがそういう言葉である。
例えば循環器医はしばしばみずからを「心臓屋」と呼ぶ。そのほうが人には分かりやすいし、扱う範囲のだいたいが心臓絡みであるからでもある。
そういう通称だけではなく、教科書も「循環器病学」という名前の他に、「心臓病学」というのもあった。上田英雄著だった。英語だとハーストの「ザ・ハート」というのが標準だった。
しかし「脳科学者」といわれる人が「脳科学」の名のもとに展開する議論は、ある種のいかがわしさを感じてしまう。
だいたい脳の研究というのは生物学研究者が担うべきものである。病気に絡めば医学の対象にもなるが、医学というのは一種の生物学だから矛盾はしない。
ところが最近、心理学者や工学者が闖入してきて、ずいぶんと引っ掻き回してくれている。理由はCT以降次々と新技術が開発導入されて、これに伴い新知見が山のように溢れて整理がつかない状況になっているからだ。それに大学が独立行政法人化されて、みんなが業績の宣伝に狂奔しているというご時世もある。
「心理学」というのがだいたい図々しい名称であって、「心の理」というのはそもそも哲学者が担うべきものである。と言いつつもすでに市民権を獲得してしまったから仕方なく使うが、研究対象が「心」である限りにおいてこれは科学ではない。
三木清は「幸福論」で次のように書いている。
以前の心理學は心理批評の學であつた。それは藝術批評などといふ批評の意味における心理批評を目的としてゐた。
人間精神のもろもろの活動、もろもろの側面を評價することによつてこれを秩序附けるといふのが心理學の仕事であつた。この仕事において哲學者は文學者と同じであつた。
…かやうな價値批評としての心理學が自然科學的方法に基く心理學によつて破壞されてしまった。

2013年11月09日 三木清「幸福について」を参照されたい。

「心」などという実体はない。ただいろいろなものの統合された抽象概念としては存在しないわけではない。しかしその捉え方は千差万別であり、定義などできようもない。ほんわかと包みながら概念操作していくしかないものである。私は「心」という言葉の入った「脳科学」論文は、それだけで読まないことにしている。
彼らは心理学的手法を用いる彼らの学問こそが脳科学なのと主張しかねない勢いである。
かつて「心理学」の名を奪い取った彼らの厚かましさからすれば、「脳科学」を心理学の名称にしてしまう可能性は大いにある。彼らの後ろには無数の大衆がおり、彼らの支持する巨大メディアが控えているからである。
中野信子さんという方が美貌の脳科学タレントとして活躍されているが、医学も心理学も、率直に言わせてもらえば自己流である。
理研のボスでノーベル賞をとった利根川進さんという人がいる。この人は免疫学者だと思っていたが、いまや「脳科学」の旗を振っている。海馬の記憶機能の研究が主体のようだ。題名を見ての判断だが、この人のやっていることは生物工学だ。心理学者がネズミに餌をやるように、この人は海馬にいろいろ粉をふりかけてどう反応するかを見るのが専門だ。あわよくば“記憶物質”を探し出そうという魂胆だ。
一種の工学的発想で、これと言った哲学はない。無思想こそが科学だと誤解しているフシがある。

そのうち、脳神経系の研究は脳科学の一分野とされ、「大脳生物学」と呼ばなければならなくなるかもしれない。私はその中の一分野である「脳歴史学」に興味を集中させていくことにしよう。

聴覚の勉強を始める前に、すでにブルっている。
視覚のインテグレートの際にえらい苦労をした思い出が蘇ってくるからだ。
後頭葉の第Ⅰ野から始まって、第Ⅱ,第Ⅲと進むうちにワケが分からなくなってきた。
“WhatとWhere”の概念に引きずり回された。これはそもそもおかしいと思い始めた。Whatは代名詞であるが、Whereは副詞だ。これではアルゴリズムが成立し得ない。
そこで、Where と称するものの中身を吟味してみた。
最終的に気づいたのは、Whatというのは実体の認識であり、Whereというのは過程の分析であるということだ。
だからWhere(背側視覚路)はHowという方が正しい。そこには時間軸がふくまれてくる。
ということで、MT,MSTは視覚対象に動きを与える、言い換えれば時間軸を与える操作をしているのだと考えた。
それはいかにして行われるか。動画化だ。おそらく1秒に数十回の画像が作成される。それに見合った期間、MST周辺に「残像」として蓄えられ、次の画像にリレーされる。
これにより視覚は連続性を実現すると同時に、時間感覚を与えられる。
その結果視覚対象はどこからどこへ、どのくらいの速さで移動しているかが認知できる。
視覚対象に動きが与えられるということは、見ている主体にとって対象に意味が与えられるということでもある。意味が与えられないのはゲルストマン徴候の特徴である。ただその意味についての吟味は前頭葉の助けが必要となる。アパシーは頭頂葉の責任ではない。
視覚に時間軸が与えられることは、文字を読む上でも必須の条件となる。
これにより文字群を一連のシリーズとして認知できることになる。そして視覚が時間軸を持つことにより、時間軸いのちの聴覚性言語との結合が可能となる。
それは角回のウェルニッケと隣接した頭頂葉領域で行われることになるだろう。

と、まずはここまでの勉強の成果をおさらいした。
今度はこれを聴覚の側から見ようというのである。いかに気の重い作業であるかがお分かりいただけたであろうか。


10月4日
高次視覚の話は流れを重視したために、記憶に頼って書いてしまった。その後読み直すとかなり間違があったので補正する。


視覚には4つの視覚野が存在する。順を追って説明する。

A 網膜

最初の二つは別に難しくない。まず光刺激は網膜上に像を結ぶ。これ自体がデジタル画像だ。視神経の末端が張り巡らされ、それぞれが一つの画素となり全体として一つの絵を構成する。デジタルカメラと同じである。

この画像(画素の集積)は外側膝状体に集約される。大脳新皮質のない生物では画像は直接中脳へと送られる。高等動物ではシナプスを変えて後頭葉の視覚野に投射される。

B 第一次視覚野(V1とV2)

後頭葉の後端に画像がそのまま再現される。なぜ二度手間をかけるかというと、画像を高次処理するためである。

V1では白黒画面となり、V2がこれに色彩や質感を与えるようである。むかしで言うテクニカラーの要領かと思われる。

これから先は、不確定で用語も一定しない。一応ウィキの説明に従うと、V3(3次視覚皮質複合体)で画像は使用目的に応じて二種類にわけられる。

これを腹側路、背側路という。多分最初にできたのは腹側路だろうと思われるので、そちらから先に説明する。

C 弁別視覚(What系)

高次視覚がなぜ必要かというと、見えたものから生物にとって情報を取捨選択するためだ。いずれにしても画像は極端に圧縮される。作業用メモリーの容量に規定されているのだろう。高次だからきれいというわけではない。

高次視覚には二つある。一つは自分が注目しているものが何者かという情報である。そしてもう一つはそれがどう動いているかという情報だ。

前者をここでは弁別視覚と呼ぶ。私の造語である。

これはV3,V4で行われる。V3は本来こちらの機能であったのが、背側路の分岐点ともなった。これが腹側路の方が古いとする根拠である。

弁別視覚には立体視も入るらしいが基本的には「パターン化」だ。それが「シンボル化」されれば文字を読むことにもつながる可能性がある。

これは後下側頭連合野に像を結んだあと、最終的には海馬に蓄えられ、過去の経験と突き合わせて弁別される。このあたりは嗅覚の弁別機序と似ている。

D 動態視覚(Where系)

もう一つの高次視覚が動態視覚である。これも私の造語である。

こちらの視覚はV3からニューロンを受けてMT野(V5ともいう)に向かう。みっしりと高速神経(有髄線維)が立ち並んでいて、多くの場所に神経がつながっている。

ここがもっとも問題の場所で、少し詳しく話しておく。

まず結論から言うと、背側経路は画像の“動画化”の機能を持つのだろうと思う。すなわち連続した画像を流すことにより、画像情報に時間軸を与えることである。静止画と比べた動画の長所は色々ある。思いつくままにあげてみよう。

1.絵の中の目的とするものが動く。「どこ」だけをとってみても、どこから、どこまで、どんな速度でと色々だ。

2.時間経過が分かる。いつから、いつまで、

3.変化がわかる。何が何へ、どのように、

4.見ている本人の変化がわかる(客観的座標があれば)。眼球がどの位置で、どの傾きで、どこを向いているかなど

これはじつはどの文献にも書いてないことだ。

動態的視覚はものを見て識別するという視覚本来の機能ではない。視覚に動態感覚を与えるためには静止画像をつなぎ合わせ“動画化”することが必要だ。

静止画像は「残像」として短期貯蔵される。その間に次の静止画像がインプットされれば、画像は連続画像となる。走馬灯のようなものである。

ではMT野でどのような作業が行われているのか。これは実のところよく分からない。だから上に述べたことはただの当て推量だ。

いくつかの知見を紹介しておく。

これはMT野というよりもう頭頂葉だが、AIPというエリアが見つかった。ここでは視覚が運動と結びついて「どう体を動かすか」という作業が行われているらしい。これを視覚的コントロールと呼ぶ。これに隣接するCIPでは立体視に関わっているという。



Youtubeで耳掃除の動画を1時間見続けた。
eariss という耳掃除専門業者の宣伝映画らしい。
さすがに気分はあまり良くはない。ニオイがないのが救いだ。
今夜は夢を見そうだ。
とくにリンクは貼らないでおく。

1.連合の大成功
異常事態中の異常事態が進行している。
連合(経団連)としては、前原新体制のもとで「野党共闘」が着々と進行していることに危機感を抱いた。
このまま行けば民進党が党ごと野党共闘に飲み込まれてしまう。
ということで、神津会長が中に入って、前原に合流案を飲ませ「民進党」の看板をひきずり下ろそうとした。
理由はどうも民進党の金庫の中の政党助成金のようだ。経団連にしてみればはした金だろうが、野党共闘にとってはまことにありがたい資金だ。これを使わせないようにしようというかなりせこい思惑もあったようだ。
パトロンの連合会長が言うことなら、と前原は折れた。(謀略のにおいもプンプンする)
これで野党共闘の封じ込めは成功。あとはメディアで大キャンペーンを張って、仮想二大政党制の枠に世論を流し込めば良い、と連合・経団連はほくそ笑んだに違いない。
2.と思いきや…
ところが、突如小池氏がはしゃぎ始めた。それどころか暴走を始めた。
これが29日の記者会見。一つはリベラル派を排除するという宣言。もう一つは大阪維新との提携のために大阪で候補を擁立しないという宣言だ。
弱小とは言え、大阪で民進党は十数人の候補を擁立していた。これが全部闘わずして撤退ということになった。
「これは話が違う」と地方が反乱を起こした。それが30日の民進党全国幹事会だ。
北海道連は、希望の党の公認が取れないなら民進党として公認すべきだと主張したが拒否された。頭にきた同連は道内候補全員について希望に公認を求めない方針を確認した。
民進党が割れて一番困るのは連合だ。民進党の半分持っていかれれば、今後の力関係に大きな影響が出る。
どうせ「希望の党」なんてのはいっときのブームで、使い捨てのカモフラージュだ。
しかし地方の(一定の)党・連合組織が野党共闘に移行することは、それとの交換条件としてはあまりにも犠牲が大きすぎる。
「共産党とのあいだに画した一線」が大きく後退することを意味する。
30日に連合の神津里季生会長が党本部まで出かけ、前原と会談したが、相手が違うでしょう。もはや前原には何の当事者能力もない。
案の定、小池のもとに参内した前原を、小池はけんもほろろに追い返した。
3.新党への動き 情勢は一気に三つ巴に
10月1日になって枝野が動き始めた。朝には前原と電話会談、午前中の記者会見では新党結成もちらつかせた。
そして夕方になって党本部に入り、前原と会談した。前原が何をどう語ったかは不明だが、ちょうど候補者リストをすり合わせしていた若狭と玄葉に事情を聞いた。そしてもはや選択肢はないと決断した。
そして本日午前、連合本部で神津里季生会長と会談。「現状を説明し、私の考えている方向性を話した」
というのが数時間前までの経過。
「やられた」と思った野党共闘が、どうやら思わぬ形で復活しそうな形勢になってきた。ただし参議院議員5人以上の壁はけっこう厚い。多分枝野は目下そこに集中しているだろう。
最大の功労者は小池さんだ。ありがとう、小池さん。もっとゴリゴリやってください。そして、御身大切に。

まず、経過から
25日 「希望の党」の結党。小池知事がみずから代表に就任。
26日夜 前原・小池会談
27日午後 日テレ系が「合流」の報道を開始。
27日 連合の神津会長が記者会見。希望の党一本化を歓迎。
28日両院議員総会への常任幹事会の提案。
1.今回の総選挙における民進党の後任内定は取り消す。
2.民進党の立候補予定者は「希望の党」に公認を申請する。
3.民進党は「希望の党」を全力で支援する。
討論の中で、「合流ではない。それぞれの候補者に公認を与えるかどうかは、希望の党側が判断する」(NHK)ということで、合流ではなく解党が正しい。
28日の前原代表の記者会見。
1.どうすれば小選挙区の一対一の構図に持ち込めるか。これが第一の選択肢だ。
2.4党での協力ということも選択肢だが、政策理念、方向性で一致しない。
3.解党ではなく、アウフヘーベンだ。
質疑応答の中で、「私は民進党代表をやめるつもりはない。党籍を残したまま、『希望の党』の公認候補になることは法律上問題はない」と発言。
29日 小池が記者会見。リベラル派を「排除する」と明言する。枝野派30人強が対象とみられる。さらに維新と提携する大阪では候補を出さないとする。
30日 民進党の全国幹事会。地方組織や連合が「話が違う」と不満を爆発させる。北海道連は民進党公認の道を開くよう求めたが拒否される。
30日 希望の党若狭議員、50人以上の1次公認者を選定したと語る。多くが自派メンバーで、民進党現職とぶつかることになる。
30日 赤松広隆議員、「新しい政党も選択肢の一つ」と語る。
30日 連合の神津里季生会長が党本部で前原と会談。「排除はおかしい。要望が受け入れられなければ希望の党の候補に推薦は出さない」と語る。
9月30日 前原・小池会談。前原が希望者全員を受け入れるよう求めたが、小池氏は安全保障政策などの一致が必要だと譲らなかった。
10月1日朝 枝野と前原が電話会談。枝野は「あの時の話と違うではないか。自分は希望の党には行かない等の声も上がってきている」と追及。(時事ドットコム)
10月1日午前 枝野代行が記者会見。希望の党に合流しない民進党前衆院議員らを集めて、新党を結成する考えを明らかにする。新党を作るには国会議員5人以上が必要で、参院議員5人の賛同を狙う。
10月1日午後 民進党の玄葉選挙本部長代行と希望の党の若狭が候補者調整を行う。玄葉は100人の民進党出身者の公認を要請。
10月1日夕 枝野と前原が党本部で会談。希望の党の若狭勝前衆院議員と玄葉光一郎総合選対本部長代行も同席。枝野は希望の党に参加できるメンバーのリストを明示するよう要求。玄葉代行は「立候補予定者のうち60人ほどが公認を得られない」と説明。
10月1日 民進党北海道連、逢坂氏を含む道内候補全員について希望に公認を求めない方針を確認。
10月2日午前 枝野氏、連合本部で神津里季生会長と会談。「現状を説明し、私の考えている方向性を話した」と語る。公認漏れの救済を前面に振りかざすと、連合も断りにくいと見たのだろう。

「救世主」から「死刑執行人」への変身

前原は民進党の「救世主」として登場した。そして1ヶ月も経たずに、突如「死刑執行人」に変身した。
それから「希望の党」に関するニュースが溢れかえているが、なぜ変身したかの報道はほとんど見当たらない。
前原擁立劇の経過をウォッチした身としては、この問題にも踏み込まなければならないが、まずは情報収集からだ。

いまのところ、いくつかの推論がある。
1.前原への個人的脅迫
この人は決して足元はクリーンではない。とくに妻の名義による自衛隊関連ビジネスとのつながりは、以前から指摘されている。
パソナの接待迎賓館「仁風林」。
政界で特に出入りしていたのは、政界では民主党の前原誠司だという。しかも前原の妻・愛里さんはパソナグループ代表の南部氏の元秘書だったことが判明。
つまり栩内 香澄美容疑者と同じような立場だったのだ。民主党の前原誠司前代表とは、夫人である前原愛里が創価短大卒業後に株式会社パソナで南部氏の個人秘書を務めていた関係にあり、同夫人は防衛庁の人材派遣を通した利権に関与しているとされる(2014年07月30日
「仁風林」のうわさ話)http://shosuzki.blog.jp/archives/10517707.html
前原議員の結婚相手は創価短大卒で、栩内容疑者と同じく南部代表の元秘書を勤めた女性である。この妻は防衛庁関連の事業に積極的に参加しているとの情報がある。(2014年07月30日 「仁風林」のうわさ話についての感想)http://shosuzki.blog.jp/archives/10518505.html
山尾議員の不倫スキャンダルによる失脚は、例によって陰謀の匂いが濃厚だ。公安は全議員の個人動向をすべて握っている。いつでも週刊文春、週刊新潮に流せる。
山尾攻撃は、前原への脅しだろう。「次はあんただぞ」
2.連合(経団連)の介入
これが引き金になったことは、ある程度明らかだ。しかし誰がどういうシナリオを描いたのか、これは今のところ五里霧中だ。
かすかな手がかり、足がかりを拾っていかなければならない。
さらにそのバックにいる「闇の権力」が、リベラル保守をどうねじ伏せたのかも探っていかなければならない。
3.小沢はどう動いたのか
小沢がこのクーデターを事前に知っていたことは間違いなさそうだ。そして「希望の党」への合流について同意を獲得していたことも大いにありそうだ。
これについての報道は目下のところ皆無である。
4.小池知事の「選別」発言の真意
彼女にそれほどの力があるか。
数十人単位のリベラル派議員を切れば、地方は戦えなくなる。そうなると連合そのものが危うくなる。
何人かに詰め腹を切らせるだろうが、枝野ら幹部は切らないだろう。しかしネチネチいじめるだろう。


この記事はすでに古い。事態は猛スピードで進んでいる。次の記事を参照してください。

聴覚の発達・進化

勉強を始めるにあたっての問題意識

もともとは振動覚であろうが、嗅覚が味覚から分離したように聴覚も振動覚と分離し特化した。
しかし嗅覚に比べると、聴覚ははるかに複雑である。
我々は身近に録音・再生装置を持っているから、それとの比較で聴覚を考えてみよう。基本は①マイクで音を拾い、②これを電気信号に変え、③さらにそれを機械的エネルギーに変換し、④それを記憶媒体に刻み込む。これがレコードである。再生はこの逆の過程をとる。
オーディオの性能(スペック)は①Fレンジ、②Dレンジ、③時間分解能、④S/N比で示される。まずはこのハード面での進化を見なければならない。
しかしそれだけではない。音を聞く(脳の中に音像を展開する)という能力の他に、音をつながりとして理解する能力、それを信号として翻訳する能力も必要とされるからである。さらに受容→応答という循環の中にインテグレートする能力も問われるであろう。ついでながら音のつながりを音楽として主観化する能力も必要だ。
聴覚はいわば振動覚から聴覚(ハード)、そして意味付け(OS)というホップ・ステップ・ジャンプのバージョンアップを達成してきたのであろうから、3脳型モジュールを基礎に、積み上げ型の理解を心がけようと思う。

最初は下記の講演から
岩堀修明 特別講演「聴覚器がたどってきた道
Otol Jpn 23 ( 1) : 51- 54, 2013

原索動物(ヤツメウナギ) 内耳に相当して半規管(三半規管に至らない)が出現。側線系の特殊化したものとされる。
魚類 側線系が発達し振動覚が強化される。三半規管が完成するとともに、内耳の耳石器を構成する有毛細胞の中に、振動に対して反応する細胞が分化。次第に周波数の高い振動にも対応するようになる。耳石器(ラゲナ、球形嚢)が魚類の聴覚器に進化する。嗅覚とは異なり聴覚(の原型)はすでに魚類に存在していたということになる。最初は三半規管の間借り人だったわけだ。
水の密度は空気の1千倍あり、音波のエネルギーも強いため、ゲルマニウムラジオでも十分対応可能だった。また高周波の音は、どうせ吸収されてしまうので感度は低くても構わなかった。
魚の耳
約3億5千万年前 両棲類に始まる陸棲動物が誕生する。聴覚器につながる伝音機構(中耳・鼓膜・耳小骨)が形成される。最初の耳小骨はアブミ骨のみ。内耳にはコルチ器を備えた蝸牛管が分化する。
大仕掛けな改造が施され、これによりエネルギーの小さい空気の振動、高周波の振動を受容することが可能となった。耳小骨は他所の家からアタックしてきたらしい。とられたほうがどうなったか詳細に解説されているが省略。
ほかに大事なことは、「声」を獲得したことだ。聴覚は「声」とあわせコミュニケーションの手段となった。

爬虫類 鼓膜の外側にくぼみをつくって、鼓膜に音波が集まるようにする(外耳道)。これは哺乳類にも受け継がれている。

哺乳類 外耳道の外に耳殻(耳介)ができ集音機能が強化される。アブミ骨の他にキヌタ骨とツチ骨が形成され、3点セットとなる。これもアタックしてきたようだ。蝸牛の有毛細胞の可聴域は100~1万ヘルツに拡大。
耳小骨

大脳の原基としての嗅脳を調べるということで、これまでやってきた。

結局、いまだによくわからないことが多い。情報は少ない。文献をいろいろ探してもほとんど触れられていない。

1.ニオイは記憶装置とセットで認知される

ただ五十嵐さんの研究により、嗅内皮質という領域が一次中枢であることがわかった。別の文献では外側嗅内野と表現しているが、まぁ細かい話はどうでもいい。

嗅覚も視覚や聴覚と同じく視床で統合され、さらに前頭葉で総合的な評価を受けることになるが、これは別の話だ。

そして嗅内皮質は情報を海馬に貯められた過去の経験と突き合わせ、評価する。

したがってニオイの知覚というのは、そのまんまではなく「陳述的な情報」として発信されていることになる。

これは他の感覚が生データとして視床に入ってくるのとは様相を異にする。

2.ニオイは暗証番号で受容される

ニオイの受容の機序は、比較的最近になってから解明された。驚くべきことにニオイ受容体は数十種類があり、これらの組み合わせとして認識されている。

つまりいわば「4ケタの暗証番号」として情報が形成される。(すみません。まだ完全には理解していません)

嗅神経を通って嗅内皮質に送られてくるのは、この「4ケタの暗証番号」である。この暗証番号を海馬にある過去データと照合するわけだ。

3.嗅覚は後付け・外付け機能だ

サカナにも嗅覚があるといわれる(聴覚もしかりだ)。

しかしこれは嗅覚ではない。気体中の微小物質を嗅ぎ取る能力は、動物が陸上に出てから獲得したものだ。

とりわけ夜間行動を強いられた初期の哺乳類が、進化の過程で発達させたものである。

だから既存の前脳・中脳・後脳の3脳構造の中にはないものだ。

居場所がないから前脳の上に居場所を作った。前脳(視床・視床下部複合体)は「判断・評価の過程は任すから、とにかく結果だけ教えてくれ。手足はこちらで動かす」ということになる。

4.この方式は聴覚にも応用された

嗅脳の外付け方式は、聴覚にも応用されたはずだ。もともと聴神経は第8脳神経として後脳にターミナルを持っている。

その起源は魚類の側線の中枢だろう。しかし側線がほかの皮膚感覚より敏感だとしても、しょせんは振動覚だ。しかも感じ取るのは水圧の変化だ。

空中での音圧はレベルが違うと思う。だから専門の器官(とりあえずは平衡器官への相乗り)でFレンジとDレンジの拡大を図ったのではないだろうか。(耳骨の構造と鼓膜、アブミ骨の面積比で音圧が約22倍に増幅される http://bunseiri.michikusa.jp/cyokaku.htmより)

とくに耳小骨の形成により可聴音域が広がり、音が言語=信号として用いられるようになると、情報量も増えるので、後脳のキャパでは到底追いつかない。

そこで側頭葉~角回へと別館作り、外付け情報センターづくりが進んでいったのではないか。

そのさい、旧脳に間借りしたのか、別途建設したのかは分からない。

ということで、聴覚についての勉強に移行することになりそうだ。


両生類の年表を作成してみた。とりあえずこんなところで。
肝心なことは、サカナが陸に上がってどんな感覚・装置を身に着けたか、それが脳の発達とどのように結びついていったかということなので、必要があれば補充するということにしたい。

地質時代区分

約4億2千万年前 古生代シルル紀後期に最古の陸上植物や陸棲節足動物(ユーリプテルス)が発生する。
約3億8000万年前 古生代デボン紀 地上に森林が形成され、昆虫が発生する。肉鰭綱(肺魚類)から進化した総鱗類のユーステノプテロンは、乾燥に強い皮膚を持ち、陸に上がれるようになる。
普通の魚は硬骨魚綱→条鰭類である。これに対しヒレの内部に硬い骨格があり、筋肉が発達しているものを肉鰭類と呼ぶ。
約3億6000万年前 古生代デボン紀後期 両生類が登場。総鰭類の筋肉質の対鰭が両生類の四肢となり、うきぶくろが肺となる。
最初の両生類はアカントステガと呼ばれる。全長約60センチメートル。ときに陸に上がって捕食していた。
Acanthostega
陸上生活への適応は不充分であり、皮膚呼吸に頼るため水辺への依存度が強い。特に幼生は、一般に水中生活をいとなむ。
約3億5,000万年前 古生代デボン紀後期の大量絶滅。海中生物が中心。
約3億4,000万年前 古生代石炭紀前期 シダ類が大森林を形成。両生類が発展。ペデルペスは陸上生活に適応した四肢と頑丈な歯を獲得。
大脳は古皮質のみ、脳神経は10対(爬虫類は12対)
Pederpes
約3億1200年前 石炭紀後期 巨大な肉食両生類が生息。これにより乾燥地帯に追いやられた両生類から、有羊膜類(Amniota)が分岐。有羊膜類は、初期に竜弓類と単弓類の2系統に分化。
約2億7千万年前 古生代ペルム(二畳)紀。カコプスは乾燥気候に耐えられる構造を身につける。発達した視覚と聴覚を持っていたとされる。
現生爬虫類の祖先となる双弓類、哺乳類の祖先に当たる単弓類(エダフォサウルス)も発生。
約2億5千万年前 大量絶滅がおこり、古生代(ペルム紀)が終了。海洋生物のうちの96%。全ての生物種の90%が絶滅する。中生代(三畳紀)に移行。
中生代三畳紀 世界中の淡水系に両生類が繁栄。最大種は3メートルに及ぶ。
中生代三畳紀末 両生類が衰退を迎える。白亜紀前期に多くが絶滅する。これに代わり、トリアドバトラクス(カエルの先祖)が登場。現生種はカエル目、サンショウウオ目、アシナシイモリ目のみ。

大事なことは、爬虫類と哺乳類は親子関係ではなく兄弟関係だということだ。爬虫類の器官を勉強しても、それを人間の原型だとはいえないのだ。
したがって爬虫類に関する知識はアクチュアリティを持たず、博物学的なものにとどまる。それならカエルやイモリの研究をしたほうが腹の足しにはなる。
ところで初期哺乳類ってどんなものなんだろう。

嗅覚を勉強していて、結局、魚類から陸上動物への変化にあたって何がもたらされたのかを知らないと全体像は見えてこないということがわかった。

おそらく嗅脳が大脳の発生母地となったことは間違いないが、そこに視覚や聴覚がどうやって乗り込んできたのかの機転は分からない。

まず考えてみる。陸上動物には肺が必要だ。これは最低必要条件だ。手足はあった方がいいがなくてもかまわない。ただ俊敏性は生き残るための絶対条件だ。空気中では抵抗が少ない分、運動能力は大幅にアップする。それは敵にとっても同じだ。

忘れてならないのは、行動範囲が飛躍的に拡大することだ。このためにオリエンテーション能力がもとめられる。それは記憶媒体の強化を必要とする。

実は、これらの変化はすでに昆虫類が先立って実現していたことである。昆虫は彼らなりの方法で地上生活に適応した。

では、はるかに進化した後に地上に登場した両生類の適応方式はどこが違うのか。

両生類が地上に進出した時、そこは昆虫たちの楽園だったはずだ。両生類はまず昆虫ハンターとして登場したのではないか。

命をかけて地上に進出する意味は、そこにしかないはずだ。

でかい話なので、例によって年表方式でファクトを収集することにする。


連合のご威光はすごいものだ。あらためて見せつけられた。
以前の記事を再掲しておく。

連休中は書かないといったのに、書いてしまう。
2010年の民主党への献金額だ。
赤旗の調査によるもので、全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)と傘下の電力関連労組から民主党の国会、地方議会議員に提供された献金の総額。
多いと見るか少ないと見るかは微妙なところだが、おそらくこれに数倍する地下水脈が流れていると見るのが自然だろう。
この資金源が組合員の会費によるものだとすれば、かなりの負担額になるが、企業献金の迂回路になっている可能性はないのだろうか。
前回、菅総理が突然に一体改革を打ち出したのも唐突だったが、今回の原発再開もきわめて唐突だった。ウラで相当の金が流れたと見るのが普通だろう。
多少の汚職なら、「いつもの話だ」と見逃すことはあるかもしれないが、民主党の掲げた選挙綱領と真っ向から矛盾するような政策が突如として提出されるのは、いかにも陰謀くさい。
米倉会長のほくそ笑む姿が、眼に浮かぶたびに、苛立ちが強まる。とにかく当面は共産党の前進しか道はない。

登場人物は変わったが、おなじ図式が繰り返されている。


という記事を見て少々あせった。
これまでの話がすべてパアになる。
短い説明文なので全文引用する。
魚の顔を正面からジッと見ていると口の上に左右それぞれ一対ずつ小さな穴が開いているのに気付かれると思います。
これが魚の鼻孔であり、前鼻孔、後鼻孔とそれぞれ呼ばれます。前鼻孔はヒトの鼻の穴に当たります。また、この鼻孔はヒトとは違い、呼吸には関与しておらず口腔内とは通じておりません。
前鼻孔と後鼻孔がトンネル状に通じており、ここを水が通る際に臭いを感じます。
ハナヒゲウツボは前鼻孔が花ビラのようになり、トラウツボは後鼻孔が角のように突出しています。
…ヒトが空気中に漂う揮発性の匂い物質を鼻孔で捉えるように、魚は水中に漂う水溶性の匂い物質を感じ取ります。
この能力により餌を捕ったり、生殖活動をしたり、群れで行動したり、海から川へ遡上したりすると考えられています。
前もって、味覚と嗅覚の類似性と違いについて勉強しておいてよかった。
魚類の鼻は一種の相似器官と言えるだろう。
原理的には液性の物質を感受するのは味覚で、気相の物質を感受するのが嗅覚である。液体クロマトグラフィーが味覚で、ガスクロマトグラフィーが嗅覚なのだ。
だから魚の「鼻」は味覚器官なのだ。
魚の鼻
ウツボの“鼻”
それじゃ、魚の口には味覚はないのか?
また一つ問題が発生した。
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味覚 グルメな魚達
味を感じる味蕾は口腔、鰓腔、食道、口唇、体表、鰭など様々な部位に分布します。「甘い」「塩っぱい」「苦い」「酸っぱい」の4つの基本味に対する感受性は、淡水魚は全てに反応し、海水魚は甘味に対する応答が認められないようです。
ということで、味覚というのもある。ただしそれは皮膚感覚に近い感覚のようである。エロ小説に出てくる性感帯、「う~ん、そこ感じるの!」に近い。どうせパンパンの営業用語だろうが…

なおこの文章には「鼻」の神経の行き先についての記載はないが、とりあえずは勘弁してください。疲れた。

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