鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

資本主義は、もろもろの民族的な制限とか偏見とかを乗り越えていく。古い生活様式を破壊し絶えず革命をもたらす。
だが資本主義が止むことなく志向する普遍性は、もろもろの制限を資本主義自身の本性に見出すようになる。
そしてついには資本主義そのものが普遍性を目指す上で最大の制限となっていく。そして資本主義の発展そのものが、資本主義を止揚していくことになる。
(草稿集2-p20)

信用制度は流通の制限を飛び越す。そのことによって、信用制度は過剰取引、過剰の投機をもたらす。
このことは国家間の関係においてより大規模かつ典型的に現れる。
イギリス人は他の国を顧客とするために、それらの国に貸し付けることを余儀なくされる。
…たくさん売り込むためには、たくさん貸し込まなければならない。しかしそれが焦げつけば…
(草稿集2-p28)

競争が始まるのは、歴史的には「資本主義に先行する諸形態」が壊れていく過程と一致する。

すなわち同職組合的強制、政府の取り締まり、内国関税などの解体とともに、自由競争の時代が始まる。また国際的には交易閉鎖、輸出入禁止、保護政策の廃止とともに自由競争が始まった。

それは資本主義以前の諸限界の打破であり、諸制限の否定であった。しかしたんなる否定的なものではなく、「自由放任主義」(レッセ・フェール、レッセ・パセール)という新たな経済思想として積極的に位置づけられた。

それを行ったのは重農主義者であり、まったく正しい特徴づけであった。

しかし、これを自由な諸個人の生産および交換の領域における絶対的な定在形態 と考えるのは"馬鹿話"であり、これほど誤ったことはない。

資本が取り払った諸限界は、資本の運動、発展、実現に対する諸制限であった。決して一切の限界を止揚したのではない。

自由競争によって同職組合などの制度が否定されたのは、歴史的には、十分に強くなった資本主義が自らの運動を束縛する制限を取り払ったため、ということに過ぎない。

自由競争において自由なものとして措定されているのは諸個人ではない。自由なものはただひとつ、資本そのものである。

資本主義的生産様式が、社会的生産力の発展にとってもっともふさわしい時代にあっては、資本主義の純粋な諸条件の下での諸個人の運動が、彼らの自由として表現されることがありうる。

しかしその自由が教義としても保障されるのは、自由競争によって取り除かれた古臭い諸制限への不断の反省によってなのである

(草稿集2-p408)




清水先生の講演とは、「アラブの春(チュニジア・エジプト・リビア)の衝撃と激動期に入った中東世界」という長い演題の講演です。北海道AALAの主催で行われました。講師の清水学先生は帝京大学教授で、中東問題研究家です。

最初に今回の「アラブの春」を以下のように位置づけています。

1.1950年代初頭、ナセルのクーデター以来の歴史的大変動である。
2.大衆のデモで最高権力者を退陣させたのは、アラブ史上初めて
3.人間的、民族的誇りの回復だ。中東が「民主主義の墓場」という神話が打破された。
4.今後とも続く「過渡期」の始まりだ。(それがどのような過程を経ようとも、国民が主人公という流れは貫かれるだろう:私注)

そして「アラブの春」を貫くキー概念としてアラブ民族主義を取り出します。

1.アラブ人は帰属する国家に対する愛国主義と、アラブ人としての民族主義の二つを持っている。
(後者が極端に強いのがアラブの特徴ともいえる:私注)
2.アラブ民族主義は三つの顔を持っている
*支配者レベルのアラブ民族主義は、
統治のためのイデオロギー装置の一環であった。
*大衆レベルの連帯意識としてのアラブ民族主義とは、分けて考えなければならない。

*アラブ民族主義は反植民地闘争の合言葉であったし、現在もそういうニュアンスは生きている(パレスチナ問題など)

ここから先はいろいろ各論になってきますので、情報としてはありがたいのですが、感想としては難しいところがあります。
とくにイスラムについては、「偏見」とは言い切れない多くの実例があり、マスコミの「刷り込み」とばかりはいえないと思います。

また、50年代から60年代の植民地支配に対する抵抗運動を担ったのは世俗派の民族解放戦線であり、イスラムは進歩的役割を担ったことはなく、イランでもアフガンでも時代の針を後ろに引き戻す役割しか果たしていないと思います。(おそらくは私の無知もあると思いますが)

フランスで、1848年の2月革命の後、ルイ・ボナパルトという男が出てきて、確かナポレオンの甥だったと思いますが、革命を流産させて自ら皇帝の座に着くという、時代錯誤をやらかしたことがありました。その統治は20年以上にわたり続くことになります。
イランでもホメイニによるイスラム原理派の独裁が30年以上にわたり続いています。歴史というのはそうやって進むしかないのでしょうか。


赤旗でも「イスラム穏健派」という類別を行っている。
「穏健派」というのは何か、ここが良く分からない。

昨日、清水先生の講演を聴いて、ますます疑問が深まった。清水先生の強調したことは、イスラムの多様性であり、その多様性は社会の多様性と重層性に規定されているということである。また民主政治が未成熟なことから、政党としての熟練度に相当差があると言われている。

基本的には左派なのか右派なのかが政党評価の基準だろう。
その内訳として中道左派と極左派が分けられるかもしれない。
イスラム原理派は、キリスト教原理派がそうであるのと同様極右だろうと思う。
「どうもそういう風に簡単にはいかないんだよ」といわれるが、
「そう行くはずだ」と思う。
極右が「民族派」として帝国主義勢力と戦うことは過去にもあった。
その限りにおいて評価されることもあった。

しかし基本としては、
①それぞれの国内(民族国家)において、②資本家や抑圧勢力と闘い、③民主主義実現と国民生活向上のために闘うのが左派であり、逆の側につくのが右派だ。
とすれば、イスラム主義勢力の中も右派と左派に分けられるはずだ。

支配者の側から見て「穏健派」というものがあるとすれば、それは中道右派あたりになるのだろうか。
いずれにしても、すこし政策の分析をした上で、レッテルを貼ったほうが良いだろう。

(59)もうひとつの月 (Otra Luna)

HP: あなたが誰かさんの膝枕で月を眺めていて、そのそばでバンドネオンやバイオリンが何か奏でていたとしたらどんな気分でしょうか。それはどんな音で聞こえるでしょうか。そんな夢をナルコタンゴはかなえてくれます。耳元気分はもうナルコ…「おいおい、そこまでしてくれなくてもいいよ」と、ぞくぞくするほど最高です。

と、書いたのですが、これはずいぶんと最近の曲で、ナルコタンゴというグループがこれで大当たりしてラテン・グラミー賞をとったという話のようです。

したがって、というか、カバーはありません。youtube にはたくさんの音源がうpされていますが、すべてナルコタンゴの演奏です。

Carlos Libedinsky - Otra luna

これがオリジナルで、後はライブ演奏のエアチェック音源です。何回も演奏しているうちにだんだんカドがとれ、端正さが失われ、タンゴというよりムード音楽になっていきます。

タンゴの醍醐味というのは、女性のお化粧と似たところがあります。つまらない曲をみんなが寄ってたかってアレンジして、そうやって名曲に仕上げていくところにあります。つまり「化ける」んですね。

だから名曲の名曲たるゆえんは、素の美人ではなく化粧栄えのする顔なんです。ピアソラがその典型です。80年以前のピアソラを聴いたら、そのつまらなさに閉口するでしょう。

そして名アレンジャーが美しさを引き出して、それを腕っこきのプレーヤーが鳴かせるわけです。それで準備万端整ったところで、「さぁどうですか」とお披露目するのです。(関係ないけど、日本で最高のアレンジャーは荒谷俊治だと思います)

タンゴに「知的所有権」とか「著作権」は禁句です。

(60)心の底から (Desde El Alma)

HP: 針の音までふくめて、これぞタンゴです(といってもワルツだが)。颯爽とした気分とちょっとしたセンチメンタリズム。欲をいえばきりがないけど、何十回聞いても、この乗りはサルサでもカリプソでも味わえません。

Desde el alma - Nelly Omar y Francisco Canaro

とにかく、なんと言ったって、これしかない。これ以外はいらない。特筆したいのはカナロの水際立った演奏だ。結局誰もカナロを超えていないのではないかと思わせる。

なおネリ・オマールの晩年のライブ音源があるが、聞かない方が良い。エビータのかつての盟友としていろいろ浮き沈みも会ったようで、同情はするが、歌はペケ。

Desde el Alma Quinteto Pirincho Prohibido para Nostalgicos domingo

カナロの歌なし演奏。これも雰囲気が出ていて良い。たぶんカナロはこの曲が好きだったのだろう。

Juan D' Arienzo - desde el Alma

かなりごつごつしたワルツというよりレントラーの趣。だから悪いということではなく、これも立派な演奏。

ORQUESTA TIPICA DONATO RACCIATTI - DESDE EL ALMA - VALS

いろいろやっているが、必ずしも成功しているとは言いがたい。もちろん水準には達しているのだが…

Desde el alma

これはサプライズ。まさかこういう風に「心の底から」が歌われるとは…

Desde el Alma (Pugliese) Natacha Muriel & Lucas Magalhaes

プグリエセの、おそらくは晩年の演奏。研ぎ澄まされたようなリズムは影を潜め、やさしさが漂う。一面では弛緩した雰囲気も否定できない。なおこれとは別にプグリエセのライブ演奏がうpされているが、他と同じくひどい。ほとんど右手はマヒ状態だ。よほど金に困っていたのか、認知が入っていたのか。晩節を汚したとしか言いようがない。

SEXTETO MAYOR "Desde el Alma"

これもうpすべき音源ではなかった。セステート・マヨールの名がすたる。

DESDE EL ALMA - LEO MARINI.mpg

キューバのボレロ仕立ての演奏。バックはソノーラ・マタンセラ。



(57)インターン生 (El Internado)

HP: インテルナードといえばふつうはカナロ楽団ですが、この名も知らぬ楽団(Juan Polito And His Orchestra)が結構インテルナードしているのがすごいです。さすがに黄金期のタンゴ楽団は層が厚いですね。

Juan Polito Y Su Orquesta Tipica - El Internado - Tango

まさかヨウツベにはないだろうと思ったら、ちゃんとありました。やはり向こうでも良いものは良いのですね。

Bandoneon - Tango - Baile - " El Internado"

こちらはエルネスト・フランコ楽団の演奏で、音は申し分のないハイファイです。

しかし、ヨウツベではインテルナードはこれだけです。

(58)歌いながら (Cantando)

石川さんの百選にはどういうわけかメルセデス・シモーネが出てきません。ガルデルほどではないけど、やはり男がガルデルなら女はメルセデス・シモーネと来ないと面白くありません。ただしメルセデス・シモーネの中からこれぞ名曲と選ぶとなると、それはそれで大変です。

CANTANDO - MERCEDES SIMONE

これが正規盤。まあ、これしかないでしょう。作詞作曲ともシモーネですから。

"Cantando" tango by Mercedes Simone 1933

音質は、映画からのもので非常に悪い。From the film "Tango" (first sound movie produced in Argentina) とあります。

Bandoneon Tango Cantando Libertad Lamarque.avi

意外にこれがいいんですね。映画の音でこもっているけれど、聞くのに不自由はありません。後半の男性との二重唱はなかなか味があります。

以下は、話題提供という程度。

Mercedes Simone - Alberto Gómez - Típica Adolfo Carabelli - Cantando

カラベリ楽団の演奏で、後半にワンコーラスだけシモーネが男性歌手と歌っています。

cantando

これはかなり後年の録音のようで、音だけは良いのだが、ひどく崩した歌になっている。バックは自分のオルケスタとなっているから、すっかり天狗になってしまったようだ。百年の恋が一度に醒めた気分になる。

ワインストック 「アラブ革命史」 から

その1 アラブ民族とは何か

アラブ民族というものは存在しない。あるのはアラブ民族主義のみである。

民族は歴史的に形成されるものであり、アラブ民族が形成される可能性は存在する。

イスラムを共通の伝統的基盤とする集合体であるが、それ以外にも、とくに欧州列強に対する抵抗をもうひとつの共通の基盤とする。

 

その2 アラブ民族主義の契機

列強が進出したころ、マグリブは部族連合体でしかなかった。列強が一方では流通・交通の発達、他方では搾取と抑圧の強化を通じ、ひとつの「民族」(ウンマ)を作り上げた。

停滞したイスラム宗教トップに対する改革運動、とくにマフディ派との関連。社会改革を志し、世俗性を追求するという点では保守的なイスラムの伝統と衝突する。

アラブ民族主義を最初に唱えたのは、キリスト教徒アラブ人アル・ヤージジーであった。1856年、レバノンのナーブルスで起きた反オスマン暴動。

イスラムだから抑圧されるのではない。アラブ人だから抑圧されるのだ、との感情

 

その3 アラブ民族主義の発展、進化

エジプトのサード・ザグルール、トルコのケマルパシャは戦闘的な政教分離主義をとなえ、イスラム保守派と対決した。

民族の概念を持ち込んだボルシェビキ革命の影響。他方では反共の立場から民族主義の鼓舞。

民族としてのアイデンティティーを確立する求心性よりも、「アラブ人よ統一せよ」という外延的なアラブ統一思想が根拠となる。


つまり、アメリカやイスラエルによる収奪、抑圧が続く限りアラブの大義は消えることはない。

また進歩と民主主義への志向が存在する限り、アラブ民族主義は消えることはない。

イスラムが規範として存在する限り、その否定的発展としてのアラブ民族主義は消えることはない。

それではいま消え去ろうとしている「アラブ民族主義」は何だったのだろう、ということになる。私たちは20年前に、同じ思いを抱いたことがある。

ソ連・東欧の社会主義が崩壊したとき、社会主義・共産主義の理想は消えたのか、そうではない。ただ原点への回帰が必要だった。

いまアラブでも同じことが問い返されることになるだろう。


マッキンゼーというコンサルティング会社の代表のドミニク・バートンという人が言った言葉だそうだ。

紹介文(赤旗本日付「朝の風」)によると要旨次の通り。

企業と金融機関は、四半期ごとの短期業績に振り回される近視眼的な見方や企業経営から脱却せよ。(ハバード・ビジネス・レヴュー日本版11月号)

紹介者は、これを評価した上で、次のようにコメントしている。

利潤第一主義の暴走に対しては、「短期的」という企業観点をただすだけでは足りない。(なぜなら、それは結果に過ぎないからー私注)
大幅に後退した金融規制のルールを作り直す作業が、その前提とならなければならない。(それがないと「そうは言ってもねぇ…」ということになるー私注)

古屋安雄 「キリスト教国アメリカ再訪」 新教出版社 2005年
より抜書き

国民の大多数がキリスト教と自称する国を「キリスト教国」と定義するとすれば、アメリカは、いまなおキリスト教国である。
アメリカ人の85%はキリスト教の信者である。ヨーロッパ諸国と比べても、ずば抜けて教会員が多く65%を占める。さらに、毎日曜日の礼拝に出席する「信心深い」信者が40%に達する。
これに対しドイツ(旧西独)の信者は44%、イギリスは37%、フランスは35%、スエーデンは27%である。

アメリカのキリスト教は第二次大戦後に隆盛を迎え、ベトナム戦争で衰退し、レーガンの時代に保守化した。
保守化とは主流派の衰退と保守派の台頭の合成像である。

79年にJerry Falwell がモラル・マジョリティを創設。「国民道徳を守る上で、離婚、崩壊過程、妊娠中絶、青少年犯罪、乱交、麻薬中毒の罪を弾劾しなければならない」と宣言した。
これらのキリスト教右翼は、レーガン政権と結びながら勢力を拡大した。


この後、アカデミズムの世界では、予知連に対する包囲網が形成されたようだ。

日本地震学会のホームページでは、予知連は“非お墨付き団体”である事がにおわされている。におわすといっても、レバニラにニュクマムをかけたくらいの相当強烈なにおいだ。


地震調査委員会 ― 国としての調査研究と評価

発足当初は地震予知連絡会との関係が分かりにくかったために第2予知連と陰口されたこともありましたが、現在では、調査委は国としての総合的な評価、予知連は情報の意見交換という住みわけがはっきりしています。

地震予知連絡会 ― 情報の交換

発足当初は予知に関した唯一の組織であったために、かつては大地震や群発地震、異常地殻変動の発生などで、総合的な判断を下してきました。現在では、予知 連は情報 と意見の交換に目的をしぼっており、総合的な評価機能は地震調査委員会が担っています。しかし、長い歴史をもつために社会的に知名度が高く、他の公的機関 が見解を 発表しても多くの人は予知連が発表したと今日でも誤解しているようです。


農業保護の破棄より先に、ソニー、パナソニックなど劣後型輸出産業の整理が必要ではないか。70円で勝負できる企業以外は国内残留を断念すべきだ。
知的生産やニッチ産業、サービス関連など高付加価値生産で、まだ日本は他国の追随を許さないものがたくさんある。
農業や国内産業を踏み台にして一時しのいでも、その先に未来はない。かつての繊維産業や重厚長大産業の経験を見れば明らかである。

国際競争力維持のための、雇用や社会保障の劣悪化は、ある意味ではダンピング輸出に相当する。それは輸出先の国の雇用をも奪うことになる。
企業に雇用責任を果たさせることがだいじだ。それが出来ない企業は海外に移転させる ことも考えるべきだ。
これに対し農業を守ることは、雇用を守ることにつながるし、貿易相手国に迷惑をかけることもない。
これこそが平等・互恵の自由貿易だし、共通の土俵に立つ開放経済だ。

ひとつは輸出産業に対する無差別の過剰保護を改めること、それこそ「市場原理にゆだねる」ことである。
もう一つは「入るを計りて出るを制する」ことで、無闇な輸入を抑え、身の丈にあった経済を作り上げることである。

財務省の発表した10月度の貿易統計速報で、2738億円の赤字となった。
リーマンショック、大震災と貿易不調の条件がそろっていたこれまでと違い、これといった悪条件がない中での貿易赤字の拡大は、深刻な分析の必要をもたらしている。
内容で見ると、すべての主要国との間で輸出が減り輸入が増大している。とくに液化天然ガスと原油の輸入拡大が大きく効いている。
輸出については電気・電子機器の落ち込みが大きく、自動車はほぼ横ばいとなっている。

産業構造について考えないと、人件費とコストの圧縮だけに頼る競争力の維持はもはや不可能になっている。
原発依存からの脱却を目指すエネルギー政策も待ったなしだ。

今朝のニュース、腹が立ちますね。
「共産党だけが復興増税に反対」と、共産党が復興に反対しているような言い方です。
前に書いた記事を再掲します。

復興増税11.2兆円の財源が問題になっている。政府案では所得税と法人税に付加税を課すことで財源を捻出することになっている。
①所得税については税額の4%の付加税を課す。これが5.5兆円。
②法人税については税額の10%の付加税を課す。これが2.4兆円。
③タバコ税の引き上げ。2.2兆円。
④住民税の引き上げ、所得控除の見直しなど。1兆円。
これで計算は合う。

しかしただし法人税は減税になっているので、差し引きしても大企業の税は減っているのです。「みんなで分かち合う」というのは「大企業以外の」という言葉を加えなければなりません。

ついでながら、震災の復旧という国民的課題に対し、愛煙家の負担と大企業全体の負担が同じというのは解せない

土木学会原子力土木委員会

のホームページにある委員名簿を見てびっくりした。役員34名中、26名が電力会社の関係者である。

ようするに電力会社の勉強会みたいなものだ。これが土木学会の衣をまとって、中立面して、予知連の警告を蹴っ飛ばして、日本の国策を従わせたのだ。

このホームページには、謝罪も反省の言葉もない。

未曾有の災害だった。これを教訓としてさらに検討しなければならない、というだけだ。学者としての良識を持ち合わせているとは言いがたい。したがって「学会」という呼称はきわめて不適切といわざるを得ない。土木学会本体の意向を伺いたいものである。


3月から4月にかけての地震を地図上にプロットしたものである。
これを20分くらい見ていると、いろんなことに気づく。
http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/9/f/9f37d409.jpg
①震源域はかなり広い帯状のものであり、中心域は三陸沖というよりは福島沖というべきものだということ。
②これとは別に、日本海溝上のプレート境界線に沿って、その外側に並行する線状の震源域が存在していること。
③さらに主震源域の内側に、房総半島東からいわき市に向かって伸びる線状の震源域があり、相当のエネルギーを放出したこと。
④糸魚川・静岡線(フォッサ・マグナ)の東側にも、三宅島ー富士宮ー長野市北部ー能代沖ー奥尻島と断続的に続く震源が見られたこと。

①については、断層の考えでは到底説明できない。“面と面のこすれ”が発生したとしか考えようがない。「低角逆断層」というらしい。
③については、明らかに大規模な断層が存在することを示す証拠と思われ、福島原発の再開はありえないことが分かる。
④については、空白となっている山梨から信州上田地方の地震エネルギー蓄積が心配される。

国などの地震評価
– この規模の地震は日本海溝では考慮されてなかった.
– 地震の連動と大きなすべり量:今回の新知見
– 津波評価技術2002においても同じ

これは原子力土木学会の総括である。「国などの評価」とあるが、他人事のようにすましていてはいけない。そもそも当学会の評価であり、それが予知連の反対を押し切って国の評価とされたものではないか。

もう一つ、地震が未曾有のものであったことは認めるが、それが福島原発の立地点において未曾有であったか、予知不可能であったかどうかとは別の話だ。

外部電源が破壊されてしまうほどの震度であったのか、女川の津波と同じ高さの津波が来たのか、それが明らかにされて初めて「未曾有の」という言葉を使うことが出来るのではないか。



島崎会長が、記者クラブで講演したなかで、最も強調しているのは「地震はまた来る」ということだ。

「1943年から48年にかけて日本で1000人以上が亡くなる震災が5回起きた。地震はかため打ちすることがある。東日本大­震災で始まり、5年~10年間で誘発した震災になる可能性が十分、考えられる」

さらに、江戸時代の1854年、1855年に起きた安政東海、安政南海、江戸の3つの地震や、1943年から48年にかけ­て起きた鳥取、東南海、三河、南海、福井の5つの地震をとりあげ、震災が次々の起こる「連発震災」への警戒を訴えた。

これは、「原発はすべてやめよう」と言うに等しい。政府・財界が予知連を嫌うわけである。

しかし好きか嫌いかはともかく、東電などの「予知不可能」とのコメントがウソであったことはかなりはっきりしてきた。

予知連という"権威ある"団体の勧告がなぜ無視されたか、それには理由があるようだ。
浜岡原発に反対するグループのホームページに、サンデー毎日の記事が転載されている。
前の会長である茂木清夫氏のインタビューだ。日付は04年2月、今から7年も前のものだが、警告はすべて当たっている。一部を引用する。

「これ(原発)は、世界のどの国家も試みたことのない壮大な人体実験です。唯一の被爆国であり、原子力の恐ろしさを身に染みて知っているはずの日本人が、なぜそんな愚挙に手をそめねばならないのでしょうか・・・。 」

チェルノブイリのような事態が起きれば、日本の主要都市は高濃度の放射性物質に汚染され、取り返しがつかない。「想定外でした」では済まない以上、最悪のケースを前提に事を決するべきです。
大災害を確実に回避するためには、浜岡原発を即刻止めるしかありません。それが実現するまで、私は訴え続けますよ。

…とかなり激しい口調である。前の記事と読み比べると、まさにこの頃、予知連と原子力土木学会が、防災会議の席上で丁丁発止の議論を行い、予知連が敗れたことになる。

サンデー毎日では、中電の担当者からも意見を聞いている。

浜岡原子力発電所が、国の中央防災会議が想定する東海地震に十分耐えられる設計になっているということです。

と、答えているが、その後の言葉が明らかにその議論の様子をうかがわせる。

想定外の事態も起こり得るという茂木先生のご見解ですが、中央防災会議が想定する東海地震も、この分野に精通された方々によって算出されたものです
。(広報部・大澤滋久氏)

つまり、予知連の警告に対する反論として原子力土木学会が徹底的に利用されてきたということになる。




本日の赤旗に、地震予知連の島崎会長が登場し、生々しい発言を行っている。

①予知連は、震災前に、福島での津波地震を予測し、公表していた。
②しかし政府の中央防災会議では、地震予知連の提言が「明確な論拠なしに」退けられた。
③これに代わり、津波地震の想定の要なしとする原子力土木委員会津波評価部会の見解が採用された。
④私たちの予測が無視された背景には、原子力業界の力が働いていた と感じている。

この結果、宮城・福島に大被害を生んだ。
犠牲者の8割は、陸前高田市以南の地域に集中している。これより北側には津波堤防が建設されていたが、南側では高潮堤防のみであった。
さらに、南側では避難ビルの建設も、防災意識の啓発対策も怠られた。

島崎会長の最後の言葉は、傾聴すべきものである。

「一部の報道では、なにか、長期予測もまったくあてにならないもののように言われています。しかし(予知の技術は)一歩づつ進んでいます。今回の津波もある程度予測できていました。
地質学の成果がゼロだというのは、これまで原子力が地震学をゆがめてきたという問題までも、全部打ち消してしまう」議論です。

2011年

1.05 最南端の町プンタ・アレナスでガス料金値上げに反対するデモ。3,500名が市内中心部に集結。バスターミナル,主要道を封鎖。

1.12 プンタ・アレナスで抗議活動による混乱の中,2名の若者が事故死,1名が重傷を負う。道路封鎖が再開される。その後値上げ幅の圧縮と、政府補助の増額で合意。

1.19 教育改革法が、コンセルタシオンの賛成を得て成立。キリ民党は推進の立場をとり、社会党は追随。他党も抵抗するが結局折れる。

1.22 サンティアゴ公共交通機関の料金が値上げされる。

4.05 ピニェラ大統領の支持率は42%、不支持率は49%となり11年に入って以降不支持が上回る状況が続く。

4月 チリ学生連合(CONFECH)、抗議活動への参加を呼びかける。

チリの教育予算は、ユネスコが目標として掲げるGDP比7%を大きく下回り、4%程度でしかない。OECDによると、チリは加盟国31カ国のうち教育費の国民負担が最も高い国で、その割合は41.4%に達する。ちなみに日本は34%。
大学生は高利の教育ローンを組むのが常識になっており、卒業時には、学生1人あたり平均で4万5千ドルの借金を抱える。

5.09 アイセン水力発電計画が承認される。70億ドルをかけ、パタゴニア地方の2本の川にダムを建設するプロジェクト。環境団体や地元住民を中心に抗議活動が発生。国家警察は放水車や催涙ガス弾を用いて弾圧。チリ全土で1万人以上が抗議活動に参加し,123名が逮捕,27名が負傷する。

5.12 公的教育改善を求めるデモ。約1万5千人が参加。

5.26 約2千人の高校生を含む約8千人が教育省までのデモを行い,ラビン教育大臣へ請願書を提出する。

6.01 大学と高校の封鎖行動が開始される。

6.13 封鎖された高校の数が100を越える。

6.16 教育省前で警察と学生デモが衝突。放水、催涙弾攻撃、騎馬隊による弾圧に対して学生は投石で応じ、38人が逮捕される。

6.30 民政復帰後最大規模の30万人のデモが行われる。当局発表では10万人。

7.05 ピネラ大統領、教育改革要求に対する対応策を発表。40億ドルの奨学金基金を創設するとのべる。

7.05 ピニェラ大統領の支持率は31%,不支持率は60%となった。

7.06 「国際キスの日」にちなみ、「ベサトン(キスキス)大作戦」と銘打ち、交際相手と一斉にキスをする示威運動を展開。サンティアゴ中心部のイタリア広場だけで約2000人の大学生(一部高校生も)たちが30分間キスを続けた。メディアの注目を集める。他にもゾンビの扮装など多彩なデモが展開される。

7.11 銅産業労働者1万5千人が民営化反対ストライキを決行。

8.01 ブルネス教育大臣は教育制度改革に関する新たな政府案を公表。学生側はこの提案を一蹴。

8.04 教育改革を求める学生デモと警官隊がサンチャゴ市内中心部で衝突。学生235人が拘束される。ヒンズペーター(インスペテール)内相は、大統領官邸へのデモ行進をいっさい許可しないと発表。

8.04 学生の発議による空鍋叩きが全市でおこなわれる。

8.09 学生デモ。警察発表で7万人が参加。主催者側は約15万人と発表。エンカプチャドス(覆面をした若者)の部隊がモネダ宮殿付近で警官隊と衝突。

8.10 コンセルタシオン、デモ規制は違憲だとしてヒンズペーター内相に対する弾劾決議案を提出。30日の採決で否決される。

8.14 議会が対話を提案するが、学生側はこれを拒否する。

8.17 政府は教育改革に関する提案を一部修正し,貧困層に対する経済的支援を増やす計画を公表。

8.18 「傘の更進」が行われる。真冬の雨の中を5万人の学生がデモ行進。教育機会の平等と不当利益行為の終わりを求める。

8.20 5月以来最大規模のデモ。首都だけで10万人(当局発表)が参加する。

8.24 CUT(Central Unitaria de Trabajadores)の呼びかけにより48時間ゼネスト決行。銅山労働者が48時間ゼネストを貫徹。官公労を中心に全国の8割の公務員労働者がストに入る。首都圏州の公共交通機関は参加を見合わせる。

8.24 CUTの呼びかけたデモに延べ60万人が参加(政府発表17万人)。警察は約1400名を逮捕。衝突で16歳の高校生が死亡、約150名が負傷する。

9.01 高校生に向けて発砲が行われていたことが判明。さらにゴードン警察軍長官が息子の交通違反を圧力で揉み消したことが明らかになり、大統領は自発的辞任を求める。

9.03 ピニェラ大統領が学生,教職員組合,大学長連盟の代表と4時間近くの会談。義務教育の権限を自治体から国へ移す事については政府側が拒否。

9.11 クーデター記念集会。集会後のデモに介入した約300人のエンカプチャドスと、カラビネロス(警察軍)とが衝突。ほかに全国350か所で衝突があり、逮捕者は280人におよぶ。

9.21 プロビデンシア区の二つの高校の封鎖が警察の手により解除される。

9.22 ピニェラ大統領が国連総会で演説。パレスティナの国連加盟早期実現への支持を表明する。

9.27 CONFECH,政府との対話への参加を決議。教育制度改革が明確化されるまでストライキ、封鎖、抗議デモは継続とする。

9.29 ブルネス教育大臣と大学生、教育界代表者による一回目の対話が開催される。主張は平行線。

9.29 対話と平行して学生デモ。政府発表で2万人,CONFECH 発表で15万人が参加。

9.29 ピニェラ大統領、教育予算を大幅に増額した予算案を発表。政府と学生側との交渉が開始される。学生側はあくまで教育無償化を要求。

10.04 ピニェラ大統領の支持率は30%,不支持率は63%。

10.06 全学連、政府との交渉を打ち切り。サンチアゴ・バルパライソでは大規模な衝突が発生。

10.06 国際通貨基金(IMF)、チリの財政状況を分析し、国民の諸要求の高まりに応えるためにも、「企業が支払う税率を国際水準に引き上げ、気前の良い優遇策や税制上の譲歩を減らすべき」と指摘する。

10.07 市民団体「教授会」による「国民投票」が実施される。有権者150万人が参加し、無料教育普遍化に88%が賛成した。

10.18 CUTの48時間ゼネストが開始される。Chilean national strike timeline: Oct. 18 に分刻みのタイムラインがあるが、さすがにつき合いきれない。

11.03 チリの人権団体、米州人権委員会(CIDH)に、学生に対する117件の暴行事例をあげ、警察の権力乱用を告発。

11.07 世論調査で、学生の要求に賛同する人は67%に達する。

11.11 来年度の教育予算案の審議が始まる。国会のあるバルパライソに学生ら約3万人が集まり、国会周辺をデモ行進する。

2007年

3.29 新交通システムの不備や教育改革を批判する学生デモ隊が警察と衝突し、学生747人が拘束された。サンティアゴでは少なくとも100台のバスが焼き打ちされた。

4.04 サンチアゴで数百人の学生が抗議行動。警察は催涙弾と放水砲でデモ隊を蹴散らし、約100名を逮捕する。

5.21 バチェレ大統領が記者会見。公共バス料金の値上げについて謝罪する。また、今後数億ドルをかけて教育の改善を行うと約束する。

9.11 クーデター記念日。デモ隊と警察の衝突で41人が逮捕され300人が負傷する。

 

2008年

3.26 バルパライソにある国会前に集まった約3500名の大学生が、治安警察の部隊と衝突。

10.26 チリ地方選挙。アリアンサの得票率がコンセルタシオンに2%上回る。コンセルタシオンは民主化以降最初の敗北。

 

2009年

1.05 バチェレ大統領、総額40億ドルからなる景気刺激計画を発表。

2.12 チリ中銀、貸出金利を2.5から4.75%に引き上げ。?

6月 CEPの世論調査で、バチェレ大統領の支持率が67%に達する。歴代大統領の中では最高となる。

12.13 大統領選挙。右派野党連合の企業家セバシティアン・ピニェラ元上院議員(60)が第1位を確保。第2位となった与党連合「コンセルタシオン」のエドゥアルド・フレイ元大統領との間で決選投票となる。与党を離脱した無所属候補のエンリケスは20.1%、共産党などで結成した左翼連合候補のアラテは6.2%。

12月 総選挙。共産党、コンセルタシオンとの選挙協力で下院に3議席を獲得。クーデター以来36年ぶりの議席となる。

 

2010年

1.17 大統領選決選投票。アリアンサのピニェラが51%を獲得。コンセルタシオンのフレイを破り当選。

2.27 コンセプシオンを中心にマグニチュード8.8の大地震が発生。死者486人、行方不明79人を出す。15万人が家を失う。被害総額は約300億ドル。直後の略奪行為が世界に発信される。

3.11 ピニェラ大統領の就任式。アルゼンチン、ボリビア、ペルー、コロンビア、エクアドルの元首が列席。

7.12 マプチェ運動の受刑者が,①反テロ法適用の停止,②インディヘナ居住区に駐留する軍の撤退,③マプチェ族政治囚の釈放を求めてハンストを開始。

8.05 サン・ホセ銅鉱山で崩落事故が発生し,33名が生き埋めとなる。

8.22 サンホセの33名が坑道深くに生存していることが確認される。

8.24 ピニェラ大統領が実質的なオーナーであるテレビ局チレビシオンが米複合メディア企業タイム・ワーナー社へ売却される。

10.01 政府と一部のマプチェ族活動家の間で、反テロ法の適用停止などで合意。24名がハンストを終了,14名がハンストを継続。世論調査で,政治的弾圧反対は86%に達する。

10.13 サンホセ鉱山で、33名全員が無事に救出される。世界中から約2千人のプレスが集結し,救出作戦の模様が各国で生中継される。,ピニェラの支持率は63%に達する。

10.21 コンセルタシオン内部で進路をめぐる対立。PPDのトア委員長は共産党などとの対話を訴えるが、キリ民党は左傾化に反対する。

10.24 政府の教育制度改革案が提出される。①校長への解雇権付与、②高齢教師への退職勧奨、③入学試験の点数で教育学生の待遇を差別、④採用試験の点数で教師の待遇を差別、などひどいもの。

10月 ピニェラ(コロコロの実質オーナー)がサッカー協会会長選挙に干渉。チリ代表監督は抗議の辞任。大統領の支持率は前回より13%低下する。

12.08 サンチアゴ近郊のサンミゲル刑務所で囚人間の抗争から火災となる。死者は81名に上る。この刑務所は収容能力1100名に対し1924名を収容していた。

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