鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

一体改革というのは消費税増税を柱とする財政改革と、社会保障の改悪を一体として推進するものだとされている。しかし実はこれに企業減税の推進と優遇税制存続を柱とする金持ち優遇税制を加えた「三位一体改革」である。
その際、最大の根拠は、民間にはまだ資金の余裕があるということだったが、しかしその根拠はすでに失われている。
90年代までは、確かに「1億総中流時代」というべき中流階級と民間資産があった。しかし小泉改革を通じて、それはすでに失われたというべきであろう。

赤旗のグラフを見ると、この間日本が失ってきたものが何だったのかが一目瞭然である。

1323087618

これは違う種類のグラフを一つにまとめているので、分けて考えたほうが良い。
大事なのは青線グラフで、所得下位20%のシェアがこの間劇的に下がっていることである。93年160万円あったのが、15年後には120万円まで下がっている。
実に30%の低下である。しかも年間120万円は生活保護レベル、いわば日本における絶対貧困線である。ここからさらに10%の消費税とりますか? ということである。
一方赤線は着実に増えているが、これが貧困者の所得を削った形で増えているのかどうかは、このグラフからだけでは言えない。


アルゼンチンの田舎の出で、30歳でガンで死んだタンゴ歌手のことを書いた。生きていればきっと大成しただろうと思う。

同じような話で、40歳で死んだ前野曜子も、生きていればといわれるが、私は生きていてもだめだったろうと思う。

声はきれいで歌はうまい。一番感心するのは、こんなにきれいに日本語を発音する歌手は見たことない、ということだ。そこはかとなく雰囲気もある。しかし色気がないのだ。人をマスでひきつける力がないのだ。

玄人には人気があっても、素人には受けない。コアーにやっていこうと思ってもコアーがない。困ったものだ。

(61)最後の深酒 (La Ultima Curda)

goyeneche/troilo - la última curda

この曲はゴジェネチェの十八番らしい。にやけた馬面といい、しわがれ声といい。尾羽打ち枯らした遊び人の雰囲気を漂わせている。だいいち、名前からしていかにも飲兵衛っぽいではないか。youtubeにはこの作曲者であるトロイロとの共演のほかに、Néstor Marconiとの演奏やピアソラとのデュオなどがうpされている。このうちではやはりトロイロとの競演が出色である。

Tango La última curda por Roberto Goyeneche

こちらはネストル・マルコーニのバンドネオンとの競演。映画「スール」の1シーンで、いかにもそれらしい雰囲気だ。

Tata Cedrón con La Típica canta La última curda

この歌手とバンド、すごいと思う。注目だ。すこし後であさってみよう。

LA ULTIMA CURDA

いつもラジオ・タンゴ・ロサリオは本物をうpしてくれる。これも ROSANNA FALASCA という聞いたことのない歌手だが、実にうまい。TODOTANGO で調べたら83年に30歳でガンで死亡した人だそうだ。

Bandoneon Tango "La ultima curda" version Uruguay

今や、ほんとのタンゴを聞きたければウルグアイへ行けということだろう。ただしうp時の問題と思うが音割れがひどい。

La última curda - JUAN CARLOS BAGLIETTO - LITO VI

フアン・カルロス・バグリエットという歌手らしい。顔に似合わぬ美声である。こういう風に歌うと、歌の雰囲気ががらりと変わる。

LA ULTIMA CURDA - CACHO CASTAÑA

ゴジェネチェと同じような趣向だが、録音は最新である。

Juan Cedron Trio - La Ultima Curda

69年録音のLPレコードから起こした音源だそうだ。歌手のクレジットはないがいい演奏である。

Mercedes sosa - La última curda

89年、マル・デ・プラタのコンサート・ライブのエアチェックらしいが、録音の状態はひどい。しかしまるでこの曲がソーサのために作られたフォルクローレの名曲のように聞こえる。
…と思ったら元気なときのCD音源もアップされていた。とりあえずそちらにリンクしておく。

La última curda

ハーモニカとピアノのデュオで、普通だとこの組み合わせは取り上げないのだが、あまりにも録音がすばらしいのでつい聞いてしまう。

(62)女旅芸人 (Payadora)

HPでは女道化師と書いたが、旅芸人のほうがよさそう。ただイメージはわかない。「道」のジェルソミーナなのか、「離れゴゼおりん」なのか、「伊豆の踊り子」なのかでずいぶん話は変わってくる。

この曲はセステート・マヨールの第二バンドネオン奏者だったフリアン・プラサの作曲ということだから、ずいぶん新しい曲である。浅田真央がBGMに使ったと書いてある。

Sexteto Mayor - Payadora

これがセステート・マヨールの演奏で、標準盤ということになる。ライブ版もあるが、こちらのほうが音が緻密である。

Gran Orquesta Típica OTRA - Payadora (Julián Plaza)

バイオリンだけで7人もいるグラン・オルケスタ。半分は女性だ。だから腕は良い。タンゴの社会的評価が上がったということだろう。

Payadora - Enrique Ugarte

これはバンドネオンのソロ。そんなこと言わなくても分かる、といわれそう。手抜き傾向ですね。


タンゴ名曲百選をやっていると、思わぬ演奏に当たり、脱線したくなることがあります。それを番外編としてシリーズにしようと思います。

ビルヒニア・ルケの絶唱

「我が悲しみの夜」のところで、ビルヒニア・ルケを紹介しました。

これはすごい演奏です。テレビの録画映像で、すでにカラーの時代です。年は50歳前後でしょうか、完全にはまっています。この人はおそらく人格乖離(ヒステ リー)で歌うときにはヒョウエ(憑き物つき)しているようです。それが当たればすごいし、外れてもすごくなりそうです。

ということだったのですが、実はこのテレビ番組で、ほかにも何曲か歌っているのですが、どれもすごい演奏なのです。
これらの画像はいずれも ricardomorino さんのチャンネルに掲載されたものです。

1.ricardomorino さんのチャンネル

これを投稿した方のサイトからリストアップしておきます。これを聞くと、ビルヒニア・ルケはアルゼンチンの美空ひばりだなと感じます。なお音質や演奏、曲そのものがいまいちというものは、私の一存でカットしました。

VIRGINIA LUQUE - MENSAJE
タンゴの日記念コンサートの録画ということです。バックを Cátulo Castillo と Enrique Santos Discépolo がつとめています。安物のマシンでエコーをかけているのが、多少耳障りです。

VIRGINIA LUQUE - LA MARIPOSA
日本でのコンサートの直後なのでしょうか、トモダチ、トモダチと連呼しています。曲はたいしたものではありません。

VIRGINIA LUQUE - PADRENUESTRO  VIRGINIA LUQUE - EL PATIO DE LA MOROCHA
たいした曲とは思えませんが、ビルヒニアの歌唱力でもっていきます。

VIRGINIA LUQUE - NOSTALGIAS
ビルヒニアならこのくらいはやるだろうと思ったが、案の定だ。

VIRGINIA LUQUE - MARTIRIO
イントロがジャズピアノで、タンゴに転換していくという曲だ。なかなか良い曲だがあまり聞かない。youtubeで調べると女性歌手が歌いたい歌のようだが、よほど難しいらしく、聞いているとほとんど歌になっていない。

Soy un arlequín - VIRGINIA LUQUE
20年代の曲で、デ・アンヘリス楽団=ダンテの演奏が良い。「私は道化師」という歌だから、演技過剰になると、流れが悪くて歌にならない。ビルヒニアは意外に抑えて歌っている。

La cumparsita - VIRGINIA LUQUE   
Sentimiento gaucho VIRGINIA LUQUE
EL CHOCLO - VIRGINIA LUQUE
ともに、ビルヒニアが歌えばこうなりますという通りの歌。

Rebeldía - VIRGINIA LUQUE
女が同棲中の男に「出て行って」と縁切りする歌。ビルヒニアの得意とするジャンルでしょう。

Che bandoneón - VIRGINIA LUQUE
百選に入る歌だが、まだ載せていない。ビルヒニアの演奏は本命盤に近いと思う。

La Morocha - VIRGINIA LUQUE
映画のシーンからの吸い取り。音はかなり悪いが、ビルヒニアにはぴったりの曲と思う。

ところでこの
ricardomorino さんのチャンネルというのがすごい。500本近くのファイルがあるが、ビクトル・エレディアとかクアルテート・スーパイなどなかなか聞けない演奏がそろっている。しかも音が良い。このサイトをこなすだけで、2,3日はかかりそうだ。
そのうち番外の番外で紹介したい。

2.tangonostalgias さんのチャンネル
ビルヒニア・ルケの演奏をたくさんアップしているチャンネルがもうひとつありました。それがこの ricardomorino さんのチャンネルです。特徴的なのは、ricardomorino さんのチャンネルがテレビのエアチェック音源なのに対して、こちらはディスク音源の比重が高いということです。音質はともに良好です。
以下ビルヒニア・ルケの音源を拾っておきます。

MENSAJE VIRGINIA LUQUE
上のライブ音源と比べると、声はこちらのほうが若いだけ良い。歌はどちらもうまい。あくの強さも似たようなもの。

SIN PALABRAS - VIRGINIA LUQUE
これも百選に入る予定の曲だが、あくまでもタンゴであって、ビルヒニア節で歌う曲ではないと思う。

UNO - VIRGINIA LUQUE
これだけテンポをいじられると、さすがに聞いているほうもつらい。

SOY UN ARLEQUIN - VIRGINIA LUQUE
メンサヘと同じ感想。テンポはこちらのほうが揺れがひどい。

MARTIRIO - VIRGINIA LUQUE
もっとあっさりした歌だと思うが。


http://www.aljazeera.com/focus/arabunity/2008/02/200852519420197834.html

アラブの統一: 民族主義対イスラム

イスラム主義者と民族主義者は90年前からの緊張関係

Arab Unity Nationalism vs Islam

Islamists and nationalists have had a tense relationship since the 1920s.

19 Feb 2008

Al Jazeera

はじめに

イスラム教とアラブ民族主義の関係を理解することは、いつも厄介である。

イスラム教徒とアラブ民族主義者との分離と政治的な対立は、長いアラブの歴史の中では比較的最近の問題である。1950年代の初期に、アラブ諸国家で一連の軍事クーデター が発生した。エジプト、シリア、イラク、イエメンとアルジェリアなどで、アラブ民族主義を標榜する青年将校が権力を獲得した。独裁的で、急進的で、社会主義的な傾向を示すアラブ民族主義が、これら諸国の公式のイデオロギーになったのは、この期間のことである。

しかし軍後ろ盾となった支配権力は、合法的基盤に乏しかった。彼らは現代化と集中化の広範なプログラムを実現しようとしたが、それは既存社会の強い抵抗に直面した。そのために彼らはアラブ民族主義の実体を権威主義的な国家イデオロギーに変えていった。この衝突がもたらしたもののひとつが、アラブ民族主義の国家体制とイスラム政治勢力の間の一連の対立の噴火であった。そこでは権力、アイデンティティと合法性の問題が絡み合っていた。

 

イスラム主義の興隆

最初の対立は1954年にやって来た。エジプト軍事政権のナセル議長は、イスラム勢力を壊滅させるために大掛かりな駆逐作戦に乗り出した。何千ひとものイスラム活動家が投獄された。それはしばしば裁判なしの拘束であった。そして東ドイツ伝授の方法にもとづき拷問と精神的破壊が行われた。

アラブ国家は、民族主義の知識人によって支えられ、「反帝国主義」のレトリックや社会主義発展の空想的なプロジェクトを振りかざしながら、イスラムを敵対視し弾圧した。著名なイスラム教神学者(イスラム知識人)は「反動的で、政治的な目的のために宗教を利用 して、外国勢力の利益に奉仕した」と糾弾され、処刑されるか、生涯にわたる亡命を強制された。

その結果、イスラム教徒はエジプトの急進政権とその支持者を、「イスラム教と闘うもの、アラブ民族のイスラムとしてのアイデンティティを破壊しようとするもの」として一色に染め上げるようになった。

両方の見解は、ともに本質的に一方的で、自己中心的なものだ。政治的な対立は当時の一時的なエピソードでしかなかったが、記憶はしばしば伝説を真実のように思い込もうとする。それは非歴史的な評価である。

 

アラブ民族主義の理論

アラブ民族主議論の嚆矢となったのはジョージ・アントニウスである。アントニウスが1938年に著した「アラブの覚醒」はアラブ民族主義の支配的なパラダイムを代表している。それはアラブ民族主義の形成段階を理解する際に基本とされ、アカデミックな世界だけでなくアラブ民族主義者の隊列内でも影響力を持った。

その後、アルバート・ウラーニ(Albert Hourani)の「自由の時代のアラブ思想」 (1962) がアラブ民族主義の概念をさらに発展させた。他にも Hisham Sharabi の「アラブ知識人と西側」(1970)が大きな影響力を持った。 

アントニウスはアラブ民族主義の非宗教的な性格を明白に示した。その一方で、アラブ主義の基礎の形成にあたってイスラム知識人によって演じられた役割にはほとんど考慮を与えなかった。これに対し、ウラーニやシャラビなど後の論文は、単一な「非宗教的なバージョン」への一本化を否定した。そしてとくに20世紀初めの10年間に注目し、アラブ・イスラム改革運動の興隆とアラブ民族主義の出現との浅からぬ関係を明らかにした。

「貧困率」はなかなか難しい

国連開発計画(UNDP)は「人間開発」の観点から、「人間貧困」概念の重要性を訴えている。そして乳幼児死亡率、識字率、水・食料の安定確保、医療サービス等を加えた貧困統計を発表している。しかし市場経済が発展すれば、やはり所得が大きい比重を占めることは間違いない。

1日1ドルという貧困ラインの設定は、何よりもその簡便さとわかりやすさで有用である。これは世界銀行が1990年に提唱したものだ。そのご世界銀行は先進国首脳会議(サミット)ごとに Global Poverty Report というレポートを発表して、その変化を追跡している。

この数字は各国間の比較にも、経年的な変化の追跡にも非常にコンヴィニエントである。しかし最大の問題は1ドルの価値が年毎に下がっていることだ。したがって同じ対象であれば、貧困線以下の人口は年毎に減ってしまうことになる。

たとえば1993 年の 1.08 ドルは、2005 年の貨幣価値だと1.45 ドルくらいだという。分布曲線がわからないから計算はできないが、93年に貧困層とされた人々の2割程度は、05年の統計では捕捉されなくなってしまうことになる。

もうひとつは、人口増加のファクターである。いわゆる「人口爆発」が起きている国では、経済成長は人口増加により食われてしまうから、所得増には結びつかない。ラテンアメリカでも80年代から90年代にそういう現象が起きていることがうかがわれる。ただこれは、余剰生産が労働力の増加に結びついているという点では、必ずしもネガティブに捉えるべきものではない。それが一定程度落ち着いた時点では、増強された労働力が所得増を果たしてくれるからである。

ラテンアメリカはそういうフェイズに入っているのかもしれない。

それらをすべて前提したとしても、02年以降の鮮やかな逆転は、やはり政治の力を抜きにしては語れないところがありそうである。

CELAC(国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会)が11月に発表したレポートは、ラテンアメリカの貧困人口が過去最低水準となったとしている。
レポートの名前は「中南米概観報告2011」 赤旗の短報なので、以下の事実しか分からない。
①地域全体の貧困人口の割合は、1990年に48.4%だった。極貧(必要最低限の栄養が取れない収入)人口は22.6%だった。
②貧困人口の数は2002年に過去最大の2億2500万人に達した。
③貧困者の数は、その後急速に減少に転じた。
④2010年の統計では貧困者の数は1億7700万人に、人口に占める割合は31.4%に減少した。極貧人口は12.3%に減少した。
⑤この数字は過去最低水準である。

%と実数が混在していて分かりにくい。とりあえず2010年の総人口を計算すると177÷31.4×100=564百万人となる。総人口は20年間に増えているはずだが、仮に02年も同じ総人口だったとすると、貧困人口の割合は2.25÷5.64×100=40%となる。これは90年に比べ、8%の改善ということになる。90年代のあいだによほどの人口爆発があったと仮定しないと、どうも数字があわない。合わないから%と実数を混在させたのか、とかんぐりたくなる。

大変重要な問題だから、今後は実数と割合をそれぞれに、国別の分析もして説得力のある資料提供をしなければならないだろう。、

時系列で言うと、まずイスラム教があってイスラム世界があって、それに対するアンチテーゼとしてイスラム民族主義があって、さらにそれに対する抵抗としてイスラム主義が形成されていったという経過であろう。ただし、アラブ民族主義の形成過程にはイスラム世界の復興という動きもあったし、イスラムの教義そのものの変革を目指す動きもあった。
したがって、両者の関係はきわめて複雑であり、つねに時系列を意識しながら論じないと正邪の評価を誤る。また近代アラブ世界はつねに列強の干渉・支配の下に置かれてきたから、それとの戦いの文脈で評価していかなければならない、ということも問題をいっそう複雑にしている。要するに一筋縄ではいかないのである。
ただいずれにしても、この二つの対立を最大の矛盾と捉えるような論調では、変革の視点はは絶対に生まれない。両者の対立そのものを干渉勢力の攻撃の現われとしてみて、それを紋切り型でなく具体的事実に即して証明していくような立ち位置が要求される。

と、ここまでは総論的にいえるのだが…

アメリカのこれまでの訴訟では、普通なら、これで幕が引かれることになるようだ。現に最大手ゴールドマン・サックスも今月、5億5000万ドルの和解金の支払いで合意している。

赤旗では、「大手金融機関がかかわる同様の裁判では、事実関係の究明をせず、企業側が法律違反を認めることもなく、SEC側と和解に至ることが通例となってきました」と書かれている。

これは、法律違反が認められると金融機関が株主からの損害賠償請求を拒否できなくなるからという理由のようだ。つまりは一般投資家に泣き寝入りさせるための裏取引ということになる。

スロウ忍ブログ ではこう書かれている。

シティからすれば此の程度の和解金なら安いものである。
此の事件でシティグループは以前、最大40億ドル程度の損失を負う可能性があると云われていたわけだが、今回の和解でSEC側がかなり譲歩した様である。シティ側と米SEC側とで裏取引があったのではないかという疑念すら抱かせる幕引きである。

ところが今回の訴訟は、ここからどんでん返しが始まる。

この事例の担当判事となったニューヨーク南部地区連邦地裁のジェッド・ラコフ(Jed Rakoff)という判事が、シティが提訴内容の認否をしないまま合意した和解案の承認を拒否し、裁判での決着をもとめたのだ。

ラコフ判事は、「承認するための十分な事実が提供されていない」と主張している。つまり、法律違反・不正行為があったのか、あったとすればそれは犯罪行為と認定されるべきものなのかどうか、白黒はっきりさせよう、ということだ。

そのために双方が裁判所に十分な情報を提供すべきだ、ということである。

赤旗にラコフ知事の"強烈な批判”が掲載されている。

和解案は公正でも、合理的でも、適切でも、公衆の利益でもない"neither fair, nor reasonable, nor adequate, nor in the public interest.”
3億足らずの和解金は、シティグループのような巨大企業にとってはポケットの中の小銭同様だ。

ブルームバーグによれば、ラコフ判事はこれまでも、金融機関に責任を認めさせることなく和解を容認したとしてSECの慣行を批判してきたという。

 


こうして筋書きにはなかった第三幕が始まった。

赤旗ではワシントンポストとNYタイムズの記事を紹介している。両紙ともにラコフ支持だ。

ワシントンポスト: SECは米金融界と「近すぎる関係」にある。その背景にはSECから金融界への「天下り」がある。現に今回の裁判でも、SECの元高官がシティグループの弁護団に参加している。

NYタイムズ: ラコフ判事は激怒している。我々すべても激怒すべきだ。法律違反を認めない和解では、米金融界の将来の悪行を抑止する真の力にはなり得ない。

もちろんウォール街占拠運動の連中は大歓迎だ。これこそ彼らがほしがっていたものだ。

Independent Politicol News というブログには、ラコフのせりふが掲載されている。

His full statement is here:

もちろん、いかなる事実も認めずに和解を受け入れるという方針は、当事者間の狭い利害には合致しているのでしょう。

たとえばこのケースでは、まったく何も認めることなく、シティグループは和解について交渉できたのです。

彼らは不注意(negligence)だけを受け入れました。そして非常に軽い罰だけを受け入れました。そして法による救済(injunctive relief)の適用を強く求めました。

なぜならシティグループはこの手の常習犯(recidivist)であり、SECがこの10年間、どんな金融機関に対しても強制力を発揮したことがないと知っていたからです。

SECは、これから3年間、予防措置を講ずることを命じました。それと交換に、シティグループはSECの調査を逃れることができました。これはシティグループの経費をかなり軽減することにつながります。なぜならそれはシティグループの抵当証券の発行業務を4年間にわたり広範囲に調査することになっていたからです

それだけではありません。シティグループは、いかなる投資家がSECに損失の返済を求める仲裁裁定(Consent Judgment)を提訴しても、それを忌避できることになります。

原告の提訴理由が真実だとしたら、この合意はシティグループにとって非常に良い取引です。提訴理由が間違っていたとしたら、それでもこの合意はビジネスをするための軽度でささやかなコストにすぎないでしょう。

結構むずかしい英語です。たぶん、かなり誤訳があると思います。


大変良く出来た記事だが、まだ第一報であり、続報・詳報が期待される。

 

シティグループとSEC、和解は違法

NY連邦地裁が、サブプライムローンに関する損害賠償で、シティグループとSECとの和解案の承認を拒否した。

これだけでは、かなり分かりにくいので少し解説する。


サブプライム: サブプライムとは銀行のつけた呼称で、収入が少なく返済能力の低い階層の人々のこと。

サブプライム・ローン: 銀行はこの人たちに住宅ローンを貸し出した。これをサブプライムローンという。当然、貸し倒れリスクが高い分だけ利息も高くなる。

投資銀行の犯罪: 投資銀行は住宅ローンの債権を証券化し、「債務担保証券」(CDO)という紛らわしい名前で売り出した。このような"金融商品”はジャンク債(劣後債)と呼ばれ、普通は素人は手を出さないものである。

格付け会社の犯罪: しかし、投資銀行はこれを隠して優良債に紛れ込ませ、"利回りの良い優良債”として売り出した。一種の金融詐欺である。そして大手格付け会社はそれと知りつつ"毒入り債”に高格付けを与えた。これも一種の金融詐欺である。

その結果、世界中の投資家がこれを優良債として売買した。

しかしアメリカの住宅市場が低迷するとサブプライム層は次々と住宅を手放した。アメリカでは住宅を手放せば、住宅ローンは解消されるので、膨大な貸し倒れが出現した。

サブプライム・ローンを購入した投資家は膨大な損金を計上し、連鎖倒産することになった。

しかし投資銀行(リーマン・ブラザース以外)は政府資金の投入を受け、命をつないだ。格付け会社には何のお咎めもなかった。信用したほうが悪いのである。

米国政府は銀行を救済するためにドルの大量発行を行った。それは国債の発行と連銀による買い取り(QE2)を通して行われたが、それは膨大な債務として積み上がった。

アメリカ以外の国では、財務内容の悪化は国債の格付け低下と国債利回り上昇をもたらした。資金確保のためには外貨建て国債を発行するほかないので、対外債務の増加となり、債務危機を招いた。


事件がいったん落着した時点で、投資銀行の犯罪行為は追及されなければならない。

ということで、ここからが第二幕

アメリカでは証券取引委員会(SEC)が検事役となった。相手は米銀第3位のシティグループ。シティグループは巨額のサブプライム ローン関連の評価損を計上。3回に分けて総額450億ドルの公的資金の注入を受けている。

まずはSECが行政訴訟を起こした。訴えの内容は次のようなもの。

*シティグループは10億ドル相当のサブプライムローン関連証券を販売した。

*その際、投資家に開示すべきエクスポ-ジャに関する情報を開示しなかった。

*その結果7億ドルの損失を与えた。

しかしその後の交渉の結果、両者は和解案について合意した。そしてこの和解案の承認を裁判所に求めた。

和解案の内容は次のごとくである。

*シティグループはSECに対し2億8500万ドルを和解金として支払う。

*しかし法律違反を犯したことは認めない。ロイターによれば「投資家に誤解を与えたとの訴えの内容を否定も肯定もしない」ということだ。


to be continued

11月22日付で、「深刻な10月の貿易赤字」と書いたが、数年後に「2011年10月は分岐点だった」と書かれることになるかもしれない。

総務省の労働力調査。完全失業率は4.5%となった。これは3ヶ月ぶりの悪化で、上げ幅も前月比0.4%と大きい。

とくに24歳以下の若年層ではひどい。男性では前月比2%アップし、10.1%とついに二桁越え。

小宮山厚労相は「円高、世界不況、タイの洪水」を上げているが、復興特需には触れない。タイも関係ないはずだ。ようするにさしたる理由もなく失業率が悪化していることになる。だから深刻なのだ。

赤旗はよりきめ細かく分析している。これによると

①就業者数は変化していないが、非労働力人口が減った分(22万人)が完全失業者の増加(25万人)に結びついている。

②被災地で復旧関連の短期の仕事が6ヶ月で契約切れになったため失業率が悪化した。(宮城では9月5.5%→10月7.5%)

③有効求人倍率は0.67倍、正社員の有効求人倍率は0.43倍にとどまり、今後も雇用状況の改善の見通しはない。

そして①については、「就職できそうにないとあきらめていた人が、生活苦などから求職活動を始めたため」と評価している。親の世話になっていたのが、いよいよ親も面倒見切れなくなってきたということだ。

ここに、10月度の雇用統計の特別な重要性 があるのだ。だから深刻なのだ。厚労相もこの位の分析はしてもらいたいものだ。


同じ労働力調査の詳細集計で、非正規雇用者数を10年間の経年で見たものが発表された。これを従業員規模別に比較したのがこのグラフ(赤旗作成)。

http://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/1/7/1731e8f3.jpg

非正規、非正規というがのっぺらぼうに増えているのではない。大企業が正社員を雇わずに非正規で済ませているから非正規が増えているのであって、景気がどうのこうのというのではなく、大企業が雇用の責任を放棄していることが非正規の増加の理由なのだ。

円高のせいだというが、それは違う。非正規を増やして、人件費ダンピングをして輸出を増やせば、円高になるのは当然の結果だ。

労働経済白書は以下のように指摘する。

こうした大企業を中心とした採用態度は、社会的に見た雇用の安定という観点ばかりでなく、それぞれの企業における技術・技能の継承や人材育成といった観点でも問題が多くなっている。

そのとおりだ!

…と思ったら、実際に藤島武二と与謝野晶子とのあいだには親交があったようである。

http://d.hatena.ne.jp/shinju-oonuki/20100314にはこう書かれている。

藤島武二:画、与謝野晶子『みだれ髪』(新詩社、明治34年)の表紙絵についてさまざまな推察があり、中でも『みだれ髪』が刊行された後に描かれた藤島の代表的作品「蝶」との関連性については、すでに指摘されている。

「乱れ髪」といえば、「やわ肌のあつき血汐にふれもみでさびしからずや道をとく君」という、今でもゾクッとするようなあの歌集である。

「乱れ髪」には装丁についての説明があり、「この書の体裁は悉く藤島武二の衣装に成れり表紙みだれ髪の輪郭は恋愛のハートを射たるにて矢の根より吹き出でたる花は詩を意味せるなり」と記されている。

ということで「蝶」という絵はこれである。これも1904年の作品である。


この年、日露戦争が始まり、非戦論が高まり、邦訳「共産党宣言」が発行されている。ハーグの国際反戦会議では日本の片山潜とロシアのプレハーノフが握手を交わしている。
しかしこの後、反動の時代がやってくる。藤島は40歳という遅めのパリ留学を果たし、権力とアカデミズムの方向へ舵を切り替えていく。

藤島武二の「婦人と朝顔」という絵が気になる。


展覧会の案内によると、1904年(明治37年)制作で個人蔵となっているが、ウィキペディアには触れられていない。
よく見ると黒目が異常に大きい、右目は正面で左目が外よりのロンパリ、額が狭すぎる、異様なまでの鼻筋の強調、えらが張りすぎ、光の方向が説明できないなど、不自然なところがいくつかある。しかし絵全体で見ると、いかにも和洋混淆、日露戦争頃の雰囲気が漂ってくる。雰囲気で見る絵なのだろう。

藤島はこの頃雑誌「明星」に挿絵を定期的に寄稿していたようである。そうすると、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」の歌「堺の商家に生まれ…」の一節が、この絵にダブってくる。

この展覧会にはもう1枚、「夢想」という絵が出品されている。



おそらく同じモデルなのではないか。こちらは、よりオーソドックスな技法で描かれているようだが、やや迫力に欠ける。
「夢想」は目をつぶらせただけ、対象化して描けるところがあるが、「朝顔」は「強気の上から目線」に圧倒させられながら、必死に受け止めて描いたという趣だ。

藤島武二という画家、さほどのものとは思えないが、この絵の未完成な迫力は別格だ。

資本主義は、もろもろの民族的な制限とか偏見とかを乗り越えていく。古い生活様式を破壊し絶えず革命をもたらす。
だが資本主義が止むことなく志向する普遍性は、もろもろの制限を資本主義自身の本性に見出すようになる。
そしてついには資本主義そのものが普遍性を目指す上で最大の制限となっていく。そして資本主義の発展そのものが、資本主義を止揚していくことになる。
(草稿集2-p20)

信用制度は流通の制限を飛び越す。そのことによって、信用制度は過剰取引、過剰の投機をもたらす。
このことは国家間の関係においてより大規模かつ典型的に現れる。
イギリス人は他の国を顧客とするために、それらの国に貸し付けることを余儀なくされる。
…たくさん売り込むためには、たくさん貸し込まなければならない。しかしそれが焦げつけば…
(草稿集2-p28)

競争が始まるのは、歴史的には「資本主義に先行する諸形態」が壊れていく過程と一致する。

すなわち同職組合的強制、政府の取り締まり、内国関税などの解体とともに、自由競争の時代が始まる。また国際的には交易閉鎖、輸出入禁止、保護政策の廃止とともに自由競争が始まった。

それは資本主義以前の諸限界の打破であり、諸制限の否定であった。しかしたんなる否定的なものではなく、「自由放任主義」(レッセ・フェール、レッセ・パセール)という新たな経済思想として積極的に位置づけられた。

それを行ったのは重農主義者であり、まったく正しい特徴づけであった。

しかし、これを自由な諸個人の生産および交換の領域における絶対的な定在形態 と考えるのは"馬鹿話"であり、これほど誤ったことはない。

資本が取り払った諸限界は、資本の運動、発展、実現に対する諸制限であった。決して一切の限界を止揚したのではない。

自由競争によって同職組合などの制度が否定されたのは、歴史的には、十分に強くなった資本主義が自らの運動を束縛する制限を取り払ったため、ということに過ぎない。

自由競争において自由なものとして措定されているのは諸個人ではない。自由なものはただひとつ、資本そのものである。

資本主義的生産様式が、社会的生産力の発展にとってもっともふさわしい時代にあっては、資本主義の純粋な諸条件の下での諸個人の運動が、彼らの自由として表現されることがありうる。

しかしその自由が教義としても保障されるのは、自由競争によって取り除かれた古臭い諸制限への不断の反省によってなのである

(草稿集2-p408)




清水先生の講演とは、「アラブの春(チュニジア・エジプト・リビア)の衝撃と激動期に入った中東世界」という長い演題の講演です。北海道AALAの主催で行われました。講師の清水学先生は帝京大学教授で、中東問題研究家です。

最初に今回の「アラブの春」を以下のように位置づけています。

1.1950年代初頭、ナセルのクーデター以来の歴史的大変動である。
2.大衆のデモで最高権力者を退陣させたのは、アラブ史上初めて
3.人間的、民族的誇りの回復だ。中東が「民主主義の墓場」という神話が打破された。
4.今後とも続く「過渡期」の始まりだ。(それがどのような過程を経ようとも、国民が主人公という流れは貫かれるだろう:私注)

そして「アラブの春」を貫くキー概念としてアラブ民族主義を取り出します。

1.アラブ人は帰属する国家に対する愛国主義と、アラブ人としての民族主義の二つを持っている。
(後者が極端に強いのがアラブの特徴ともいえる:私注)
2.アラブ民族主義は三つの顔を持っている
*支配者レベルのアラブ民族主義は、
統治のためのイデオロギー装置の一環であった。
*大衆レベルの連帯意識としてのアラブ民族主義とは、分けて考えなければならない。

*アラブ民族主義は反植民地闘争の合言葉であったし、現在もそういうニュアンスは生きている(パレスチナ問題など)

ここから先はいろいろ各論になってきますので、情報としてはありがたいのですが、感想としては難しいところがあります。
とくにイスラムについては、「偏見」とは言い切れない多くの実例があり、マスコミの「刷り込み」とばかりはいえないと思います。

また、50年代から60年代の植民地支配に対する抵抗運動を担ったのは世俗派の民族解放戦線であり、イスラムは進歩的役割を担ったことはなく、イランでもアフガンでも時代の針を後ろに引き戻す役割しか果たしていないと思います。(おそらくは私の無知もあると思いますが)

フランスで、1848年の2月革命の後、ルイ・ボナパルトという男が出てきて、確かナポレオンの甥だったと思いますが、革命を流産させて自ら皇帝の座に着くという、時代錯誤をやらかしたことがありました。その統治は20年以上にわたり続くことになります。
イランでもホメイニによるイスラム原理派の独裁が30年以上にわたり続いています。歴史というのはそうやって進むしかないのでしょうか。


赤旗でも「イスラム穏健派」という類別を行っている。
「穏健派」というのは何か、ここが良く分からない。

昨日、清水先生の講演を聴いて、ますます疑問が深まった。清水先生の強調したことは、イスラムの多様性であり、その多様性は社会の多様性と重層性に規定されているということである。また民主政治が未成熟なことから、政党としての熟練度に相当差があると言われている。

基本的には左派なのか右派なのかが政党評価の基準だろう。
その内訳として中道左派と極左派が分けられるかもしれない。
イスラム原理派は、キリスト教原理派がそうであるのと同様極右だろうと思う。
「どうもそういう風に簡単にはいかないんだよ」といわれるが、
「そう行くはずだ」と思う。
極右が「民族派」として帝国主義勢力と戦うことは過去にもあった。
その限りにおいて評価されることもあった。

しかし基本としては、
①それぞれの国内(民族国家)において、②資本家や抑圧勢力と闘い、③民主主義実現と国民生活向上のために闘うのが左派であり、逆の側につくのが右派だ。
とすれば、イスラム主義勢力の中も右派と左派に分けられるはずだ。

支配者の側から見て「穏健派」というものがあるとすれば、それは中道右派あたりになるのだろうか。
いずれにしても、すこし政策の分析をした上で、レッテルを貼ったほうが良いだろう。

(59)もうひとつの月 (Otra Luna)

HP: あなたが誰かさんの膝枕で月を眺めていて、そのそばでバンドネオンやバイオリンが何か奏でていたとしたらどんな気分でしょうか。それはどんな音で聞こえるでしょうか。そんな夢をナルコタンゴはかなえてくれます。耳元気分はもうナルコ…「おいおい、そこまでしてくれなくてもいいよ」と、ぞくぞくするほど最高です。

と、書いたのですが、これはずいぶんと最近の曲で、ナルコタンゴというグループがこれで大当たりしてラテン・グラミー賞をとったという話のようです。

したがって、というか、カバーはありません。youtube にはたくさんの音源がうpされていますが、すべてナルコタンゴの演奏です。

Carlos Libedinsky - Otra luna

これがオリジナルで、後はライブ演奏のエアチェック音源です。何回も演奏しているうちにだんだんカドがとれ、端正さが失われ、タンゴというよりムード音楽になっていきます。

タンゴの醍醐味というのは、女性のお化粧と似たところがあります。つまらない曲をみんなが寄ってたかってアレンジして、そうやって名曲に仕上げていくところにあります。つまり「化ける」んですね。

だから名曲の名曲たるゆえんは、素の美人ではなく化粧栄えのする顔なんです。ピアソラがその典型です。80年以前のピアソラを聴いたら、そのつまらなさに閉口するでしょう。

そして名アレンジャーが美しさを引き出して、それを腕っこきのプレーヤーが鳴かせるわけです。それで準備万端整ったところで、「さぁどうですか」とお披露目するのです。(関係ないけど、日本で最高のアレンジャーは荒谷俊治だと思います)

タンゴに「知的所有権」とか「著作権」は禁句です。

(60)心の底から (Desde El Alma)

HP: 針の音までふくめて、これぞタンゴです(といってもワルツだが)。颯爽とした気分とちょっとしたセンチメンタリズム。欲をいえばきりがないけど、何十回聞いても、この乗りはサルサでもカリプソでも味わえません。

Desde el alma - Nelly Omar y Francisco Canaro

とにかく、なんと言ったって、これしかない。これ以外はいらない。特筆したいのはカナロの水際立った演奏だ。結局誰もカナロを超えていないのではないかと思わせる。

なおネリ・オマールの晩年のライブ音源があるが、聞かない方が良い。エビータのかつての盟友としていろいろ浮き沈みも会ったようで、同情はするが、歌はペケ。

Desde el Alma Quinteto Pirincho Prohibido para Nostalgicos domingo

カナロの歌なし演奏。これも雰囲気が出ていて良い。たぶんカナロはこの曲が好きだったのだろう。

Juan D' Arienzo - desde el Alma

かなりごつごつしたワルツというよりレントラーの趣。だから悪いということではなく、これも立派な演奏。

ORQUESTA TIPICA DONATO RACCIATTI - DESDE EL ALMA - VALS

いろいろやっているが、必ずしも成功しているとは言いがたい。もちろん水準には達しているのだが…

Desde el alma

これはサプライズ。まさかこういう風に「心の底から」が歌われるとは…

Desde el Alma (Pugliese) Natacha Muriel & Lucas Magalhaes

プグリエセの、おそらくは晩年の演奏。研ぎ澄まされたようなリズムは影を潜め、やさしさが漂う。一面では弛緩した雰囲気も否定できない。なおこれとは別にプグリエセのライブ演奏がうpされているが、他と同じくひどい。ほとんど右手はマヒ状態だ。よほど金に困っていたのか、認知が入っていたのか。晩節を汚したとしか言いようがない。

SEXTETO MAYOR "Desde el Alma"

これもうpすべき音源ではなかった。セステート・マヨールの名がすたる。

DESDE EL ALMA - LEO MARINI.mpg

キューバのボレロ仕立ての演奏。バックはソノーラ・マタンセラ。



(57)インターン生 (El Internado)

HP: インテルナードといえばふつうはカナロ楽団ですが、この名も知らぬ楽団(Juan Polito And His Orchestra)が結構インテルナードしているのがすごいです。さすがに黄金期のタンゴ楽団は層が厚いですね。

Juan Polito Y Su Orquesta Tipica - El Internado - Tango

まさかヨウツベにはないだろうと思ったら、ちゃんとありました。やはり向こうでも良いものは良いのですね。

Bandoneon - Tango - Baile - " El Internado"

こちらはエルネスト・フランコ楽団の演奏で、音は申し分のないハイファイです。

しかし、ヨウツベではインテルナードはこれだけです。

(58)歌いながら (Cantando)

石川さんの百選にはどういうわけかメルセデス・シモーネが出てきません。ガルデルほどではないけど、やはり男がガルデルなら女はメルセデス・シモーネと来ないと面白くありません。ただしメルセデス・シモーネの中からこれぞ名曲と選ぶとなると、それはそれで大変です。

CANTANDO - MERCEDES SIMONE

これが正規盤。まあ、これしかないでしょう。作詞作曲ともシモーネですから。

"Cantando" tango by Mercedes Simone 1933

音質は、映画からのもので非常に悪い。From the film "Tango" (first sound movie produced in Argentina) とあります。

Bandoneon Tango Cantando Libertad Lamarque.avi

意外にこれがいいんですね。映画の音でこもっているけれど、聞くのに不自由はありません。後半の男性との二重唱はなかなか味があります。

以下は、話題提供という程度。

Mercedes Simone - Alberto Gómez - Típica Adolfo Carabelli - Cantando

カラベリ楽団の演奏で、後半にワンコーラスだけシモーネが男性歌手と歌っています。

cantando

これはかなり後年の録音のようで、音だけは良いのだが、ひどく崩した歌になっている。バックは自分のオルケスタとなっているから、すっかり天狗になってしまったようだ。百年の恋が一度に醒めた気分になる。

ワインストック 「アラブ革命史」 から

その1 アラブ民族とは何か

アラブ民族というものは存在しない。あるのはアラブ民族主義のみである。

民族は歴史的に形成されるものであり、アラブ民族が形成される可能性は存在する。

イスラムを共通の伝統的基盤とする集合体であるが、それ以外にも、とくに欧州列強に対する抵抗をもうひとつの共通の基盤とする。

 

その2 アラブ民族主義の契機

列強が進出したころ、マグリブは部族連合体でしかなかった。列強が一方では流通・交通の発達、他方では搾取と抑圧の強化を通じ、ひとつの「民族」(ウンマ)を作り上げた。

停滞したイスラム宗教トップに対する改革運動、とくにマフディ派との関連。社会改革を志し、世俗性を追求するという点では保守的なイスラムの伝統と衝突する。

アラブ民族主義を最初に唱えたのは、キリスト教徒アラブ人アル・ヤージジーであった。1856年、レバノンのナーブルスで起きた反オスマン暴動。

イスラムだから抑圧されるのではない。アラブ人だから抑圧されるのだ、との感情

 

その3 アラブ民族主義の発展、進化

エジプトのサード・ザグルール、トルコのケマルパシャは戦闘的な政教分離主義をとなえ、イスラム保守派と対決した。

民族の概念を持ち込んだボルシェビキ革命の影響。他方では反共の立場から民族主義の鼓舞。

民族としてのアイデンティティーを確立する求心性よりも、「アラブ人よ統一せよ」という外延的なアラブ統一思想が根拠となる。


つまり、アメリカやイスラエルによる収奪、抑圧が続く限りアラブの大義は消えることはない。

また進歩と民主主義への志向が存在する限り、アラブ民族主義は消えることはない。

イスラムが規範として存在する限り、その否定的発展としてのアラブ民族主義は消えることはない。

それではいま消え去ろうとしている「アラブ民族主義」は何だったのだろう、ということになる。私たちは20年前に、同じ思いを抱いたことがある。

ソ連・東欧の社会主義が崩壊したとき、社会主義・共産主義の理想は消えたのか、そうではない。ただ原点への回帰が必要だった。

いまアラブでも同じことが問い返されることになるだろう。


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