鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

AALA関連記事は「aala_newsの編集日記」http://blog.livedoor.jp/aala_news/ に移りました(6Nov.2023) 中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 「ラテンアメリカの政治」(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ )がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

定数削減は衆議院で採決されても、参院での成立のメドはないそうだ。
それを承知で、「身を切る努力」をしたということで選挙の際に、目立たせようということのようだ。なんとも浅ましい考えだ。
ラジオで解説をしていたが、この政局通の解説者、比例区削減でどうなるかについては一言も言わない。

大変なことなんだよ、日本の民主主義制度が根底から崩れる危険をはらんでいるんだよ。

どうも最近の若い連中は、民主主義の有難みが分かっていない。自由にものが言えるのは民主主義のおかげなんだよ。
むかし、学生時代にも民主主義の問題で全共闘やトロツキストとやりあった。
「戦後民主主義の虚妄」だとか、「口を開けば民主、民主で念仏だ」、などと好きなことを言っては角材を振り回し、火炎瓶を投げ、殴りかかってきたものだ。「それがなかったら、お前らそんなことやれるわけない。もっともそうなったら、知らぬ顔の半兵衛を決め込むんだろう」と批判したが、おおかたその通りになった。


西本願寺(真宗本願寺派)の大谷門主が、非公式な発言としたうえで、以下のように述べている。(29日付「朝の風」)

原発は人間の処理能力を超えたものである。
使用済み核燃料の処理方法がないものをどうして許したのか。
廃棄物だけ残していくのは、倫理的・宗教的に問題がある。

これだけで発言の真意を窺うのはいささか軽率かもしれないが、安全性でも、エネルギー論でもなく、使用済み核燃料というこの一点に「原発と人の道」の関係の本質をとらえる眼は確かだ。
大谷門主は、原発の核となる概念として廃棄物を取り出し、人間としての業も見据えながら、未来への視座を打ち出した。
きわめて説得力の高い主張だ。

経済、経済というが、要するにお金のことである。しかしそうやって手に入れるお金は、結局子孫にツケを回して得るお金である。お金回りが苦しいからといって、子孫のお金に手をつけていいのだろうか。娘を身売りする親と選ぶところはないのではないか。

この一点において、原発は没義道そのものであり、仏の道、人の道に反するのである。

「どうして許したのか」という問いかけは、自らへの責めもふくんで、厳しい。
それはいまなお「許そう」としてる人々にとっては、さらに厳しい。

エネルギー問題、冷静さが必要だ。
吉井質問、いいところを衝いているが、オマーンLNGは主要な輸入先ではない。主要な輸入先はブルネイ、マレーシア、オーストラリア、サハリン、そしてアブダビだ。

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カタール以外は当面輸入量の増加はありそうにない。新たな輸入先の確保が急務だ。これが第一の問題。
第二に、本当にLNGでよいのかという問題。現実にはいまだLNGではなく石油が電力源の主流だ。石炭も少なくはない。これは原発依存でやってきた結果、火力発電での技術開発が進んでいなかった結果だが、脱原発で腹をくくるのならこの問題は明確にしなければならない。
スポット買いから長期契約への移行はそう簡単なものではない。高い金で井戸を掘らせて、風力でやれるようになったから要りませんではすまない。最低でも10年は買い続けなければならない。

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三番目には、それでその間、金が持つのかという問題がある。3.11以降、日本の貿易は赤字が続いている。赤字の原因は電力需要のためにエネルギーを買い続けているからである。
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図表は東電ホームページより


いつまでスポット買いを続けるのか。もう原発頼みのエネルギー政策は破綻したのだ。もう風は吹かないのだ。

いつまでも日本が腹を括れないでいるのは、脱原発の方向に抵抗する財界の保守性にある。この頑迷さは度し難い。いまだに財界は経団連、同友会、日商ふくめて一枚岩である。脱原発を言い出す企業はひとつもない。

60年、70年で安保反対や大学民主化を闘った経験を持つ人もたくさんいるはずなのに、米倉や長谷川に一言も言えずに、「国際競争力」という地べたを這いずり回っているのは不思議というほかない。願わくは、鷹となって飛翔せよ!


やっと吉井質問の続報が赤旗に載った。
今度の記事で分かったこと。
9倍の価格格差があることはこれまでに分かっている。
問題は、アメリカに2ドルで売って採算があっているとすれば、残りの16ドルはどこへ行ったのかということだ。理屈で考えるとセルト社に入るはずだ。それでは実際に入っているのか、その金がどう流れているのかというのが問題だ。
もし東電に流れていたとすると、これはほとんど犯罪行為になる。なぜなら東電はその金を電気料金に転嫁しているからだ。さらに言うと、震災後の日本の貿易赤字の最大の原因になっているからだ。

会社関係の構図をもう一度見ておこう。
①まず東電は100%出資の子会社TEPCOを立ち上げた。これは持ち株会社で、いわばトンネル会社である。
②TEPCOは三菱商事と折半でセルト社を設立した。この会社はオマーン産LNGの輸入・販売権を持つ。
③セルト社は現地企業「カルハットLNG」社から購入したLNGを東電(日本)かアメリカ(三菱)に販売することを事業内容とする。
ということで、実体としては三菱商事の関与はあまりなく、ほとんど東電の自作自演と考えられる。

それ以外には、さほど目新しい事実や具体的な数字は見られない。ちょっと攻めあぐねているようだ。
TEPCO、セルト社の決算報告や財務諸表が入手できれば、どこに資金が積みあがっているのかは分かると思うが。

民主党が単独で議員定数削減を強行採決した。
数々の悪行を行ってきた野田内閣だが、これは日本の歴史を変える暴挙だ。
国会から野党の存在が抹消される事態が招来される。すなわち独裁国家の誕生だ。

来るべき選挙で、おそらくは民主党は解体消滅するだろう。世論は公約を裏切った民主党を許さないだろう。
だからこそ、政権幹部はその後の保身を狙って、財界・右翼労組の言うがままに唯唯諾諾と従っている。
浅ましい限りだ。

もちろん国民の闘い如何ではあるが、総選挙が行われれば自民党の圧勝となる可能性がある。しかも比例区を基盤とする少数政党は消滅する。たとえば自民党が400議席近くを獲得したらどうなるのだろうか。共産党や社民党、みんなの党などがいなくなったらどうなるのだろうか。
憲法改悪、再軍備と海外派兵、TPPの受け入れ、消費税の15~20%への引き上げ、社会保障の切り捨て、労働者の非正規化、原発の全面再開、国民の政治活動への規制…
野党が不在となれば、議会での歯止めが利かなくなれば、これらが一気に進行することは間違いない。

野党7党は、緊急の共同声明を発するべきだ。そして国民的抗議の大運動を起こさなければならない。地方でもただちに共同の闘いを始めるべきだ。

赤旗経済面で、フコク生命のマンスリー・レポートが紹介されている。

見出しは「賃金下落、非正規増が要因」とされている。中身が相当突っ込んでいるようなので、本文に当たってみた。

 http://www.fukoku-life.co.jp/economic-information/report/download/report_VOL229.pdf

本文の題名は「明暗が分かれる男女の賃金動向」というもの。私から見ると、「アラフォー男性の落ち込みが、経済をだめにしている」みたいな見出しをつけたくなる感じ。


最初にポイントがあげられている。

①賃金は全体に低下しているが、実際に下がっているのは男性労働者であり、とくに30歳代で低下が目立っている。

②その要因は、主として非正規社員の増加と、年功賃金カーブのフラット化である。したがって低下をストップさせるには、非正規社員の正社員化が不可欠だ。

次にイントロ

この調査を施行するきっかけとなった数字が挙げられている。それは国民年金保険料の納付率が58.6%にまで低下したということだ。

調査担当者は、これを“国民の所得環境が一段と厳しさを増している”ことの象徴と受け止めている。そして以下の文章で、所得環境の変化を跡付けている。

1.90年代以降の賃金動向

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ここでも、1997年がピークで、かつ変曲点であることが分かる。97年と現在を比較すると、現金給与総額は12.4%の減少を示している。消費者物価が3%低下しているので、実質9%の下落となる。

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二つのことが言える。

①35~45歳の男性が賃金低下のすべてを引っかぶっている。それが起きたのはわずか5年前からのことである。

②50歳以上の世代はじわじわと下がっている。

つまり、青色の2011年ラインはそのまま右側にシフトし、賃金の低下は今後ますます進行するということである。

2.非正規社員の増加が平均賃金を抑制

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男性非正規労働者の割合は25~34歳で4倍に増えている。しかしそれより若年でははるかに高くなっており、今後この傾向は右側にシフトしていくと考えられる。

2011 年の賃金構造基本統計調査によれば、「正社員・正職員」の男性の賃金34.0万円に対し、非正規は22.2 万円で、正社員の65%の水準。

3. 正社員の賃金水準も低下

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標準労働者というのは、“学校卒業後直ちに企業に就職し、同一企業に継続勤務しているとみなされる労働者”、つまり正社員のことである。

ここでも35~39歳男性の落ち込みが激しい。10%を超え、年収にして50万円以上の落ち込みだ。

4. 低賃金労働者の著増

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ちょっと複雑な図表だが、男性に限って、年齢を30歳から44歳に限って、10年前と比べて、賃金分布の変化を見たものである。

荒っぽく言えば、青は生保ライン層、赤の斜線はワーキングプアー層ということになる。

30万円が貧困層と「中間層」を分ける協会とすれば、とくに35~39歳で10年前の27%から50%へと倍増したのが目に付く。つまりワーキングプアーが10年前には4人に一人だったのが、2人に1人ということになったわけだ。

対照的に、40万~60万のプチ・リッチは半減している。

著者は結論として、もっとも旺盛な需要を持つ筈の、この年代における賃金の低下が、国民生活に及ぼす影響を憂慮している。

そして国民年金納付率の低下もその一環だとしている。そして最も典型となるのが所得税額の減少だとしている。

…所得税額は、この5年間で約10兆円から7兆円に減少した。これは低賃金層の増加によるものである。

…給与所得が500 万円以下の層は全体の72.9%であるが、所得税額に占める割合は20.0%にすぎない。つまり、低所得者層の増加が所得税額全体を押し下げる要因となっているといえる。


図表はすべてフコク生命調査部が自ら作成したものである。著者、森実氏のご苦労に感謝したい。

この調査は、このような労働者階級の貧困化がなぜ起きたのかについては触れていない。私が補足するならば、それは構造改革=労働力流動化路線の直接の結果である。低下の程度から見ると50歳以上の世代も同じくらい低下はしているが、それは10年かけて徐々に下がっているので、低下の機序は異なるものと考えられる。

ともかく、労働組合のパンフレットかと見まごうような資料が、大企業のシンクタンクからも出されている。そこまで問題は深刻化しているということだ。これが今の状況である。

現時点での感想的評価
①トゥアレグ人のマリ政府に対する感情には複雑なものがある。
彼らはベルベル人の一支族であり、地中海のセム系人からはさげすまれる一方、黒人をさげすんでいた。彼らは黒人を奴隷として扱い、奴隷売買を積極的にになってきた。彼らの階級社会は白人の貴族階級、有色の下僕階級、黒人の奴隷階級からなっており、現在奴隷階級は廃止されたが、意識の中にそれは残っていると思われる。
②トゥアレグは貧困化し、辺境の民と化しつつある。
マリという国家の中で、かつて奴隷とさげすんだ黒人に支配されている。頻回に起こる旱魃のために彼らは家畜を失い困窮化し、国外に職を求める流浪の民と化している。しかしかつてのトゥアレグは貿易で栄え、高い文化を持ち、財宝に満ち溢れていた。望郷の念と懐旧の念は彼らの民族感情をゆがんだ形で燃え立たせている。
③独立路線の先に未来はない。
たとえ有り余る武力で独立を達成したとしても、経済的には自立は不可能である。弾丸は撃ち尽くせばそれで終わり。補充する金もない。可能性としてはふたつ。一つは"領土"内に金かウランの大鉱脈が見つかること、もう一つはマリやその他の隣国を侵略し支配することである。これは墓穴を掘るようなものだ。昔なら「社会主義」かなんかの看板を掲げてソ連・中国の援助を当てにすることもできたかもしれないが、今日ではせいぜいがアルカイダだ。(ロシアは昔の癖で鼻を突っ込みたがっているようだが)
④高度な自治の実現が落しどころだ。
落し所は、従来以上に高度な自治権の獲得だろう。たしかに黒人が支配するマリ政権とは水と油だし、同化せよとの要求は過酷だ。国境は欧州列強が勝手に引いたもので、そもそも不自然であることはまちがいない。しかしそれは目下のところ甘受するほかないのである。
マリ政府は民主主義の名の下に、民族政党や宗教政党を否定してきたが、これは改めなければならない。トゥアレグ人は一人一票を厳密に適用すれば、少数民族としてのアイデンティティーを失ってしまう。国境が人為的なものである以上、それを甘受するしかない以上、少数民族の自治を最大限に保障することで、それを補償するしかないのである。
⑤アルカイダとの絶縁が先決問題だ。
そのような方向を目指すなら、まずアルカイダへの態度を明確にすべきだ。トゥアレグは「敵の敵は味方」と思っているようだが、アルカイダはトァアレグにとっても敵だ。まずトゥアレグの社会・生活様式はイスラム原理主義にとって許されない。第二に彼らの目標は北部の独立ではなくマリという国家の乗っ取りであり、国際テロ活動の拠点化なのだ。第三に、アルカイダは"トゥアレグ政権"の指揮の下に入る気など毛頭ないことだ。それどころか組織そのものを乗っ取ろうと狙っている。
アルジェリアのアルカイダは敵に対する容赦のなさで名を知られている。市民に対する無差別大量虐殺も辞さないとびっきりのワルだ。その冷酷さについては、20年ほど前に北海道AALAで報告したことがある。とりあえず、ウィキペディアを参照していただきたい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%A3%85%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%9B%86%E5%9B%A3
もっともカダフィ傭兵としてのトゥアレグも相当ひどかったが…

トゥアレグ分離闘争の歴史

もともと黒人が大ガーナ王国を立てていたが、11世紀頃になると、交易を目的としてアラブ人が入り込み、やがてベルベル人が支配するようになった。トゥアレグ族はベルベル人の支族である。トゥアレグ族は「砂漠の支配者」と呼ばれるほどの権勢を誇っていた。

13世紀になるとマリ帝国が興隆。その後ソンガイ帝国へと続き、約300年にわたって栄えた。

16世紀にはいると西洋諸国の海上貿易がさかんとなり、内陸部のサハラ交易ルートは衰退した。帝国は崩壊し、小国が乱立するようになった。

1892年にフランスの植民地となり、フランス領スーダンと呼ばれた。

1958年、フランス領内の自治国スーダンとなる。1960年6月にはフランスから独立し、隣国のセネガルと共にマリ連邦を結成した。しかしまもなくセネガルが連邦から離脱し9月にマリ共和国と国名を改めた。モディボ・ケイタ大統領のもとで社会主義政策が推進された。

1962年には第1次トゥアレグ抵抗運動が始まり、2年間にわたり続いた。

1968年、社会主義政策は行きづまり、ムーサ・トラオレのクーデタが発生。その後長い軍事独裁体制に入る。

1973-4年 サハラ砂漠南縁のサヘル地方を大飢饉が襲う。家畜は死に絶え、若者たちはアルジェリアやリビアの大都市に移住。カダフィ政権の下で「イスラム軍」(Islamic Legion)と呼ばれる傭兵部隊に加わる。

カダフィはアフリカ合衆国を唱え、アフリカ諸国の貧しい労働者を迎え入れ、軍事訓練を施すなどしていた。また70年代にはトゥアレグの武装闘争を支持していた。ただし、カダフィはマリ政府そのものにも多額の援助を行っており、カダフィの死後も政府系の建物にはカダフィの肖像が飾られているという。

1979年に民主化運動が成功し、単一政党マリ人民民主同盟が結成された。選挙によって大統領が選出されたが、クーデターが起こりふたたび軍事独裁の時期を迎えた。

1984-5年 サヘル地方を再び旱魃が襲う。トゥアレグ族は度重なる干ばつにより貧困にあえぐようになった。

1990年6月 北部ではトゥアレグ人が分離を目指す武装闘争を開始。リビアがこれを支援。刀剣や古いライフル銃はカラシニコフ銃に、らくだは四輪駆動車へと交換。

91年3月 トゥーレら青年将校がクーデターによりトラオレ独裁政権を打倒。

1991年に暫定政府が発足。複数政党制が導入される。

1992年 憲法を制定。大統領選挙が行われた。トゥーレが大統領に就任。

92年 ニジェールのトゥアレグ人が武装闘争を開始。

1995年 リビアが原油価格の下落で経済破たん。トゥアレグへの援助も杜絶する。トゥアレグ人たちは故郷への帰還を余儀なくされる。

1996年 トゥアレグ人は政府との和解、武装解除に応じる。戦闘員の多くは政府軍などに組み込まれ、トゥアレグの自治権は拡大される。5年間の闘争で死者は数百人、避難民は数千人にのぼる。

2006年5月 トゥアレグ族武装組織、アルジェリア・ニジェール国境付近でマリ政府軍を攻撃。政府軍10人が死亡する。指導者イブラヒム・アグ・バハンガは「5月23日同盟」の結成を宣言し、武装闘争を再開。

2007年2月 ニジェール領内に暮らすトゥアレグ人が「正義のためのニジェール運動」(MNJ)を結成し反政府武装闘争を開始する。背景にトゥアレグ人居住地域のウランの権益。

09年3月 マリのトゥアレグ人武装組織、政府軍兵士20人を拉致する。身柄をMNJの管理下においたと述べるが、MNJ側は報道を否定。

2009年 トゥアレグ族の武装抵抗が終結。

2011年 リビア内戦。トゥアレグ人はカダフィの最も強力な部隊として市民と対決。敗れた後は大量の武器を持ってリビアから脱出。「リビアから千人以上を超えるトゥアレグ人傭兵が、数百台の4輪駆動車に多くの武器を積んで帰ってきた」との報道がある。

10月 アザワド解放国民運動(MNLA)が結成される。蜂起に向けた準備を開始。

2012年

1月17日、MNLAはマリ共和国政府に対する反乱の開始を宣言、「バマコ(マリ共和国の首都)がこの地域を別個の存在と認めない限り継続する」とした。

1月 MNLA、アルカイダと組んで三度目となる武装闘争を開始。アザワド地方と呼ばれる北部三州(gao,toumbouktou,kidal )で作戦を開始する。最大で3000人程度の兵士を有していると推測され、貧弱な武装の政府軍を圧倒。

マリ北部のトゥアレグ族 休戦を宣言

2月 マリ北部キダルで激戦が展開される。北部住民約26万8000人が、マリ国内の他地域や隣国へ避難。

2月22日 キダル郊外のトゥアレグ族キャンプが政府軍の空爆を受ける。女児1人が死亡、11人が負傷。

3.11 MNLA、アルジェリア国境の要衝テッサリトを掌握し砂漠地帯から政府軍を駆逐。

3月 政府軍内部から不満が噴出。軍事クーデターを招く。

3月21日 一部の国軍下士官・兵士らが騒乱を起こし,国営TVラジ オ局を占拠,大統領宮殿を襲撃。

3.22午前4時45分 反乱軍、テレビで声明を発表。「国を守るた めの武器の不足」および政府がテロと戦う上で「無能」だとの理由で行動を起こしたと説明。軍事政権は「国内の統一と領土の保全が再建でき次第ただちに、民主的に選ばれた大統領に権力を回復することを厳粛に約束する」とのべる。

3.22 反乱軍兵士が国家の指揮権の掌握と憲法停止を発表。「民主主義再建・国家復興のための国家委員会(CNRDRE)」を結成する。CNRDREのリーダー、サノゴ大尉は「軍はまともな武器も訓練も受けていない。リビア帰 りで重装備の反政府勢力と戦うのは自殺行為だ」と語る。(朝日新聞=ベリタ)

3月31日 反乱軍を率いるサノゴ大尉、市民の犠牲を避けるためガオでの戦闘停止を決めたと表明。ガオからの撤退を開始。。

4月1日、MNLA、北部ガオ州の州都で政府軍の拠点であるガオを掌握。トンブクトゥへの攻撃を開始。

4.02 MNLA、伝説的な砂漠都市トンブクトゥを掌握したと発表。(同日、アンサル・ディーンもトンブクトゥ制圧を発表している。作戦がガオと同時並行で進められていることから、役割分担があったか、アンサル・ディーンが抜け駆けを行ったものと思われる)

Azawad Tuareg rebellion 2012.svg

4.03 ガオでは、アルジェリア領事らが武装勢力に誘拐された。MNLA報道官は関与を否定し、イスラム過激派勢力の犯行だと述べた。

4.04 al arabiya net は、トンブクトゥをイスラム主義の3人のアミール(いずれもアルジェリア人)が支配していると報じる。記事によると、1日にはトゥアレグ独立運動とイスラム主義者の共同だったが、2日にはイスラム主義者が掌握。町には黒い旗(一般的に イスラム復古主義の過激派が使用)が掲げられ、放送ではシャリーアの適用と女性のベールを着用を求める。

4.06 CNRDRE、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の説得を受け、憲法秩序回復に向けた枠組み合意に署名。トラオレ国会議長が憲法の規定に従って暫定大統領に就任。(ECOWASは、西アフリカ地域15カ国から構成される経済共同体)

4.06 「アザワド解放民族運動」(MNLA)アザワド独立宣言を発表する。首都をガオとする。

宣言の骨子: 1960年のマリ共和国独立にアザワドの意向は反映されていない。…50年以上、マリの悪政によって北部の人々の存在が脅かされてきた。…独立以降幾度となく弾圧されてきた。…北部は完全に解放された。…国際連合憲章第1条と第55条(人民の同権及び自決の原則の尊重)を根拠に独立を宣言する。…隣接する国々の国境を侵さないことを確認する。…国連憲章に完全に従う。

4.06 アンサール・ディーン、MNLAによって出された独立宣言を、発表から数時間後に拒否すると発表。シャリーアに基づく法律をマリ共和国全土に確立させると誓う。

4.06 フランスのロンゲ国防相、「アフリカ諸国に承認されていない一方的な独立宣言は、何の意味も持たない」と述べた。

4.15 トンブクトゥでキリスト教宣教師のスイス人女性が武装集団に誘拐される。

5.06 MNLA、「国際社会の呼びかけに応じ、軍事活動を停止させる」と発表。また地域諸国および国際社会に対して「アザワド住民がマリからのいかなる侵略からも安全を保証されるよう」求める。

5月 「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)がトンブクトゥの聖墓を破壊したと発表する。

5.26 MNLAとAQIMとが合同して、独立のイスラム国家を樹立することに合意。

「長年、日本の外交官として中東に深く関与」した人の「中東の窓」というブログに興味深い記事がありました。27日付のal qods al arabi net 紙からの引用だそうです。
アザワド国民解放運動の報道官が、「アルカイダ系のansar al din と合同し、イスラム国家を樹立する」と発表した。
つまり、
AQIM と ansar al din とは同一組織の別称だということになります。そしてガオ州をMNLAが、トンブクトゥ州をAQIM が実効支配しているらしいということです。

5.16 トゥアレグ族武装集団がリビア西南部の町ghadamis を襲撃。住民7名が死亡し、20名以上が負傷。(アルジャジーラによると、彼等はかってカッダーフィ軍に属し、町に居住していたトゥアレグ族で、革命後一時立ち去っていたものが再び戻ってきたもの)

7.05 国連安保理、第2056号決議を全会一致で採択。直ちに敵対行為をやめ,人権・人道状況の回復に努めるようもとめる。さらに、憲法秩序の回復に努力し,マリ領土の一体性を確保するようもとめる。

7月 チャド大統領、「アルカイダはアフリカ全体に対する脅威」とし、国際的介入を求める。

7.29 ECOWAS議長のコートジボアール大統領、マリ共和国への軍事介入を検討。これについてフランスアメリカなどの支持を求める。(仏紙とのインタビュー)


マリ北部の紛争について以前書いたが、その背景についてはかなり認識不足だった。

すこし調べてみたので訂正がてら、すこし事情説明をしておきたい。

まずは、マリという国。とりあえずウィキペディアでお茶を濁す。

フランス領スーダンが独立してマリ共和国を名乗った。かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられた。

マリは内陸国であり、地理的には北部のサハラ帯、中部のサヘル帯、南部のスーダン帯に分かれる。国の2/3は砂漠であり人口は希薄。トゥアレグ族遊牧を行っている。南西部は亜熱帯気候である。国土のほぼ中央部を流れるニジェール川流域に人口が集中している。

ニジェール川流域の農業と金とウランの輸出が中心。ウランは日本が独占契約を結んでいる。農業が主要産業だが、灌漑設備が弱く、また砂漠化の影響を受け、収量はきわめて不安定である。

トゥアレグ人の人口は、ニジェール、マリ、アルジェリア、リビア、ブルキナファソンにまたがる200万ヘクタールの土地に100-150万人おされる。多くはニジェール(推定70万人)とマリ(推定30万人)に住む。男性は頭をターバン(シュシュ)、身体をインディゴで染めた真っ青な民族衣装ダラアで覆う。「青い民」と呼ばれるゆえんだ。

階級によって、皮膚の色・生活様式・ラクダの乗り方等が異なる。

イマシュク(貴族)は一般的に白人の様な白い肌と顔立ちで、背が高く青い服を着ている。ターバンの色は氏族・家系、等により様々で、青とは限らない。イムカド(自由民・家来)は貴族とは主従関係にあるが、基本的に自由な身分。黒人の血が混じっており、白い服装である。

…ということで、イスラムの教えからは大夫逸脱ししています。歌舞・音曲もOKらしくて、その音楽は一部でもてはやされているようです。

http://www.youtube.com/watch?v=kB4ZSDUsi_k&feature=related

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 もう素粒子はやめようと思ったが、なんとなくグルーオンの記述をすっ飛ばしたのが気になってしまう。

ずらずらと種類を並べて見たが、圧倒的な主役はグルーオンだ。それに自発的対称性の問題からヒッグスへ話が発展していく上でも結節点の位置にある。

眼のくらむような方程式が並ぶが、分からないなりにもう少し齧っておいたほうが良さそうだ。

核力と中間子

まずは歴史的な流れから追う。http://www.gekkou.or.jp/g-8/sience-3.html

1935年(昭和10)、湯川秀樹博士は、原子核の中で核子(陽子と中性子)を結び付ける「核力(強い力)」を媒介する粒子を仮定した。

そしてその粒子は、電子の約200倍の質量を持つと予測し、電子と核子の中間の質量をもつところから「中間子(メソン)」と名づけた。

1947年、宇宙線から、最初の真正な中間子「π(パイ)中間子」が発見され、湯川の仮説は証明された。

陽子なり中性子なりを集めて、一つの原子核にまとめているのが核力であり、その本態は中間子である、ということのようだ。

クォークをハドロンに結びつける力

つぎは http://astr.phys.saga-u.ac.jp/~fun のページから引用する

1960年代の初め、核子やパイ中間子の仲間が次々と発見されました。また電子の仲間も発見され下の表のように分類されました。
ハドロン
バリオン

核子、デルタ粒子、ラムダ粒子、シグマ粒子、グザイ粒子、等々

メソン

パイ中間子、K中間子、イータ中間子、ロー中間子、オメガ中間子、等々

レプトン
荷電レプトン

電子、ミュー粒子、タウ粒子

ニュートリノ

電子型ニュートリノ、ミュー型ニュートリノ、タウ型ニュートリノ

ここでハドロンというのは核力を感じる粒子の総称です。

さらにハドロンはバリオン・グループとメソン・グループに分けられました。

粒子が持っているスピンという量が1/2の奇数倍のものがバリオンで、偶数倍のものがメソンです。

ハドロンを分類していくうちにある規則性があることが分かってきました。そしてハドロン族の粒子はすべて3種類の粒子の組み合わせで説明可能と考えられるようになりました。その粒子はクォークと名づけられました。

そうすると、このクォークがどういう状況の下で、どのように結合するのかということが問題になります。

陽子と陽子、陽子と中性子をくっつけるのが中間子ということだが、今度は陽子や中性子の中の三つのクォークを結びつける力が問題になってくる。

そこでクォークを結合させる「糊粒子」=グルーオンの存在が予想されることになりました。

ということでこれを図示したのが下記の絵

クォークの色

電磁気力は粒子の電荷を感じて、光子によって伝えられます。同じようなことがバリオンの世界でも起きています。その際、電荷に当たるのが「色」(色荷)であり、光子にあたるのがグルーオンという関係になります。

「色」には三種類の値があり、それぞれ「赤」「青」「緑」と名づけられています。主なハドロンの色構造は下の絵のようになっています。

陽子
中性子
正パイ中間子

こういう組み合わせだと、電荷やスピンの足し算がつじつまがあうのだそうです。その後さらに3種類のクォークが発見されたことは既述の通り。

グルーオンにも色荷があり三原色の組み合わせ計9個が存在しうる。ただし「赤」「青」「緑」の組み合わせは「白」になってしまうので、これを省いて8種の組み合わせとなる。

この色荷を互いに交換することにより強い結合力を生み出している。

糊といわれる所以

その相互作用の特徴は、「漸近的自由性」といわれる。

近い距離の内では自由度があるが、ある距離以上に離れようとすると急に力が働いてくるのである。

それは、まるで丈夫なゴムひもで結ばれているようにもたとえられる。


http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity222.html

クォークとは20世紀を代表するイギリスの小説家ジェイムズ・ジョイスの最後の長編小説『フィネガンズ・ウェイク』からとった名前だ。作品中、カモメが「クォーク」と3度だけ鳴くシーンがあるが、それと3種類のクォークをかけたのだ。

と、ここまでは主要には名前の問題で、別に物理ではない。何々家の何代目という話だ。

ここからが俄然難しくなる。「標準模型」の右側の5つだ。敬遠したいところだが、なにせヒッグス粒子を知るために始めた学習だから、止めるわけにはいかない。多分挫折するだろうが、とにかく手を着けてみることにする。

教材は同じく「キッズ・サイエンティスト」

1 自然界には4つの力がある

それらの自然力の4つの力とは、
重力
電磁気力
弱い力
強い力
です。

A 重力

①重力とは重力子の交換のことです。

②重力は質量に比例しますが、質量は形を変えたエネルギーであり、エネルギーの塊です。それはE=mc2 で表されます。

③このエネルギーを担うのが重力子です。重力子は質量を持ちません。

B 電磁気力

①私たちが日常経験する重力以外のすべての力は、物理学的には、電磁気力です。

②電磁気力は、光子の交換によって伝わります。光子も質量を持ちません。

C 「弱い力」

①「弱い力」は、通常、電磁気力よりもはるかに弱いので、この名前がつけられました。

②「弱い力」はWボソン(ウィーク)、Zボソン(ゼロ)粒子の交換によって伝わります。この粒子には質量があります。質量のない重力子や光子に比べると、とても短い距離の間でのみ働きます。(なぜ質量があるのか、いろいろ説明があるが省略)

D 「強い力」

①電磁気力の 100 倍程の強さを持つ最も強力な力。しかし到達距離は短く、日常感じることはありません。

②クォークの世界の主役。クォークを結びつけ、陽子 (p) や中性子 (n) を作り、また陽子同士の間に働く電気的な斥力に打ち勝ち、中性子とともに原子核を作ります。

③「強い力」は、グルーオン粒子によって媒介されます。グルーオンも質量を持ちません。

④グルーオンには8種類の組み合わせが存在する。

2 四つの力の大統一理論

さすがにここまで来ると、さっぱりわかりません。

要は、「強い力」がクォークの中だけにとどまるのはなぜか? ということから出発しているようです。

より根本的には、電磁気力・「弱い力」と「強い力」の総和がゼロにならないと、「世の中バランスとれないんじゃないの?」 ということです。これが超対称性理論ということのようです。(自信ないが…)

そこで登場するのが、模型図で言うとZボソンの脇にくっついている、17番目の素粒子ヒッグス粒子ということになる。これが超対称性粒子の候補とされているようだ。

最初に見たウィキペディアでは、Zボソンの脇に所在なげに置かれていたが、このサイトの図は、堂々とヒッグス一家を成しています。

3 質量を与える粒子

標準模型が原理として用いているのはゲージ場理論といわれます。この理論が成り立つには、すべての素粒子の質量が厳密にゼロでなくてはなりません。

ところがクォークやレプトンは質量をもつことが明らかになっています。これは矛盾です。

この矛盾は、「現在の宇宙が“ヒッグズ場”の中に浸っていると仮定すると解くことができる」のだそうです。

すなわち、ビッグバンから、10-13秒過ぎたころに、「それまで真空だった宇宙はヒッグス粒子の場で満たされてしまった」のだそうです。

これはちょうど水蒸気が冷えて、液化して水になる状況に例えられます。宇宙の冷却とともに真空はヒッグス粒子の海になってしまったわけです。(分かりやすい例えです。ありがとう)

クォークやレプトンはヒッグス場によるブレーキを受けます。その結果、質量のある粒子と同じふるまいをするようになるのです。(m=E/c2 だからエネルギーが減速した分が質量になるわけだ)

4 なぜヒッグス粒子は発見できなかったのか

理論的には以前から予想されていたのに発見が遅れたのは、ヒッグス粒子が重いためです。

このために、ヒッグス粒子を発見するには、これまでの加速器では発生不可能な高いエネルギーが必要でした。

それがこのたびスイスに建設された次世代加速器LHCで可能になったのです。


何とか挫折せずに済んだ。それにしても、自分の頭がキッズ並みだということが良く分かった。疲れた。

次いで素粒子発見の歴史。これは

という子供向けのサイトで勉強させてもらいます。

素粒子発見の時代

1897年、JJトムソンは真空管を通る陰極線が電子であることを発見しました。この発見が素粒子発見の第一号です。(今日電子はフェルミオンの内のレプトンの一つと位置づけられている)

1930年代以降、宇宙線の研究が進み、電子の反粒子である陽電子、ミューオンなどが発見されました。

1950年以降は、粒子加速器を用いて、陽子の反粒子である反陽子など数百の粒子が生成され発見されました。そのほとんどは電気力より100倍の大きさの強い力を及ぼしあうハドロンの仲間で、バリオンと呼ばれます。

それらの粒子は素粒子という粒子で構成されている複合粒子であることがわかりました。現在では陽子、中性子、その他のハドロンを構成する素粒子をクォークと呼んでいます。

クォークの時代

1960年代に、陽子、中性子、その他のハドロンは小さな素粒子3個から構成されていると提唱されました。さらにその素粒子は3種類しかないとされました。“3の3乗”の組み合わせで数百のハドロンすべてが説明できることになります。

(同じように、湯川博士の研究で有名な中間子は、一対のクォークと反クォークからできていると考えられました)

3つのクォークはアップ、ダウン、ストレンジと名付けられました。クォークは『赤、青、緑』の3つのカラー荷を通じて強い力を感じます。(ここが、この解説では良く分からない)

1970年代になると、電子・陽電子コライダーによる高エネルギー実験が精力的に行われるようになりました。

電子・陽電子コライダーというのは、エネルギーをかけて電子と陽電子を衝突させ、相殺・消滅させる装置です。これによってクォークと反クォークが対生成されます。(さらっと書いたが、“対生成”というのはとても難しい理屈で、子供のためのページなのにさっぱり分からない)

比較的に低いエネルギーでは、アップ、ダウン、ストレンジの3種類のクォークが対生成されました。

電子・陽電子の衝突エネルギーを高くすると、さらにチャーム、ボトムの2種類のクォークが発見されました。

5つのクォークの内、アップとチャームは +2/3e の電荷を持ち、残りのダウン、ストレンジ、ボトムクォークは-1/3e の負電荷を持っていました。ちなみに電子は-e です。

こうなると+2/3e の電荷を持つ青のクォークの存在が示唆されます。それを指摘したのが小林と益川です。そして1995年にそれが発見され、トップクォークと名づけられました。

これらのクォーク系の素粒子とは別に電子が存在しています。電子は -e の電荷を持っていますが、電荷を持たないものも存在しています。これがニュートリノです。電子とニュートリノも、加えられたエネルギーの大きさに応じて三つの世代を持ち、全体としてレプトンと総称されています。

素粒子の勉強、まずはウィキペディアから

素粒子(そりゅうし, elementary particle)とは、物質を構成する最小の単位のことである。

https://livedoor.blogimg.jp/shosuzki/imgs/c/8/c87980a2.jpg

1.素粒子
素粒子は大きく2種類に分類される。

フェルミ粒子(フェルミオン): 物質を構成する粒子。クォークとレプトンに分類される。

ボース粒子(ボソン): 力を媒介する粒子。

最小の単位であるということは、内部構造を持たず空間的な大きさを持たない、ということである。

2.フェルミ粒子(フェルミオン)

フェルミ粒子はクォークとレプトンに大きく分けられる。更にそれぞれが2系列に分けられ、3世代ずつの計6種類が発見されている。世代数が大きいほど質量が大きい。

A クォーク

クォーク : フェルミ粒子のうち、強い相互作用をもつもの。ハドロンの構成要素とされる。次の二つの系列がある。

上系列クォーク: 電荷+2/3を持ち、それぞれに反粒子が存在する。

アップクォーク (u)、チャームクォーク (c)、トップクォーク (t)の三つの世代からなる。

下系列クォーク: 電荷−1/3を持ち、それぞれに反粒子が存在する。

ダウンクォーク (d)、ストレンジクォーク (s)、ボトムクォーク (b)の三つの世代からなる。

B レプトン

レプトン: フェルミ粒子のうち、強い相互作用を持たないもの。次の二つの系列がある。

ニュートリノ系列: 電荷をもたない。反粒子の存在は必然ではない。

電子ニュートリノ (νe)、ミューニュートリノ (νμ)、タウニュートリノ (ντ)の三つの世代からなる。

荷電レプトン系列: 電荷−1を持ち、それぞれに反粒子が存在する。

電子 (e)、ミュー粒子 (μ)、タウ粒子 (τ)の三つの世代からなる。


* なお、電子は原子の構成要素として一般によく知られる。電子の反粒子は陽電子と呼ばれる。


3 ボース粒子(ボソン)

ゲージ粒子ともいう。素粒子間の相互作用(力)を伝搬する粒子であり、それぞれの相互作用に応じて以下の種類がある。

光子(フォトン): 電磁相互作用を媒介する。ガンマ線の正体であるためγで表されることが多い。

グルーオン: 強い相互作用を媒介する。カラーSU(3)の下で8種類存在する。

ウィークボソン(Wボソン): 弱い相互作用を媒介する。質量と電荷±1を持つ。W+, W−で表され、互いに反粒子の関係にある。

ゼロZボソン(Zボソン): 電荷をもたない。Z0と書かれることもある。


ヒッグス粒子: 素粒子に質量を与える。

*このほかに重力を媒介する重力子がある。標準模型には含まれない(未発見)。



白菜の浅漬けにO-157が付いていて、それを食べた人がたくさん感染症を起こしています。原因は次亜塩素酸による消毒が不十分だったためとされています。
皆様にはご心配おかけいたしましたが、幸いなことに私の勤務する老健「はるにれ」は大丈夫でした。江別市の老人施設というのは私のところではございません。
しかし明日はわが身であることには変わりありません。町内の店でもここの工場の製品を売っていました。売っていた割には、そっけない対応で「もし体調に異常を感じたらご連絡ください」程度のものでした。あまり加害者意識は感じていないようです。
今回のO-157騒ぎ、割と犯人探しが早かったのは不幸中の幸いでした。この工場は以前から目をつけられていたようで、こうなってしまっては一巻の終わりでしょう。しかし漬物を作っているほかの工場も巻き添えを食うことはまちがいありません。迷惑な話です。

ただこの話で変なのは、どこでどうやってO-157が混入したかが一向にはっきりしないことです。O157は率直にいってそんじょそこらにいる菌ではありません。感染症自体はともかく、菌がいたということが衝撃なのです。まず白菜を納入した農家を追及しなくてはなりません。
前にも書きましたが、堺のO-157は貝割れ大根(アルファルファ)でした。この場合、生産者には落ち度はなく、輸入した種子が感染していたことが原因でした。白菜の場合は、輸入種子の可能性は低いと思います。

しからばどこで白菜にO-157が付着したか。これが大問題です。いずれにしても工場の操業停止はもちろんですが、白菜を出荷した農家を突き止めて、出荷を停止させなければなりません。さらにその白菜の種子を販売した会社を突き止めなければならないでしょう。

2011年11月1日の記事「カイワレ大根とO157に関して」をご参照ください。

昨日・今日あたりのニュースを聞いていると、どうもそういう方向に動いているようには見えないのですが。
いずれにしても、漬物会社さんには悪いのですが、会社のいかんを問わず、浅漬けは食べないほうが無難のようです。

読売新聞記事2012年8月20日より

O157は動物や人間の腸、土壌、地下水などに生息する。食品の製造工程で菌が混入するルートは、〈1〉感染者の手指や、靴底についた土〈2〉地下水など汚染された水〈3〉野菜等の原材料、などが考えられている。

 市は当初、感染者を介した漬物の汚染を疑った。作業員2人の便から、O157が検出されたためだ。しかし、作業員はマスクや手袋をつけて作業しており、市は14日の記者会見で「2人は製品の包装を担当し、味見役だった」と公表、感染源ではなく浅漬けから感染したとの見方を示した。

…ということで調査は難航しているようです。

本日の赤旗お悔やみ欄

ここは毎日見ている。本当にえらい人が載っている。
福原さんは17日に亡くなったようだ。
53年入党。元党支部長。具象美術会運営委員長。

これだけだ。いずれ文化面に追悼記事が載るかもしれない。
以下は美術年鑑の記事だ。

大正14年;北海道に生まれる。
京絵修・日本美術会員・在外14年(渡欧米ソ)・賞3

じつは90年頃まで福原さんは小樽にいたのである。党支部長というのは小樽時代のことなのだろうか。

実は、96年に福原さんの絵を買った。小樽診療所勤務時代、救援美術展に連れ出された。見ていると、後ろから市会議員や国民救援会の責任者が寄ってくる。
絵を買うなどという“ブルジョア趣味”は持ち合わせていない私だったが、手ぶらでは帰れなくなってしまった。
福原さんの絵が三点ほどあって、いずれも「裸婦」で、悩んだが、結局一枚を買ってしまった。この絵が異常に迫力あったのである。
そのまま行きつけのバーに持っていって飾ってもらうことにした。それから4年ほど、週に一度はこの絵と御対面していたが、ある日マスターが言いにくそうに「この絵に文句言う人がいましてねぇ…」と切り出した。たしかに気にはなるだろう、それだけの迫力がある。
さすがに家では飾れない。どうしようかと思案していたら、単身赴任の話が舞い込んだ。今度は釧路。アパートの玄関に掲げて、4年間、毎日眺めていた。
という訳で、元は取らせてもらった。現在は押入のなかで眠っている。
福原さんからは一度はがきをいただいたが、とうとう一度もお目にかかることはなかった。


桜井昌司『獄外記』というブログがある。布川事件の桜井さんのブログである。
http://blog.goo.ne.jp/syouji0124/e/10bf68167e9f5efe347204a0e69dd11e
桜井さんについては以前も書いた。(7月3日 桜井昌司さんの重い言葉) 一言で言って、立派な人である。
そのブログで、福原さんが桜井さんをモデルにした作品が紹介されている。
その写真を転載しておく。


案の定マリ北部が地獄の様相を呈して来た。もともと、カダフィの傭兵だった黒人がリビアから逃げ込んできて、自分たちの縄張りを広げてきた。
もともとが殺し屋な上に、リビアでの血みどろの戦闘で人を殺し慣れている。何もないが武器だけは豊富だ。こんな連中にマリの軍隊は勝てっこない。
だから、国土の北半分は当分あきらめるほかないだろう、と今年4月11日の「マリの状況が見えてきた に書いた。

その後、いくつかの変化がある。国軍がクーデターを起こした。戦闘に行きたくないとの意思表示だ。
北部の主も代わっている。最初は一応、マリからの独立を求める現地のトゥアレグ族の「アザワド解放民族運動」ということになっていたが、今では没落して「西アフリカ統一聖戦運動」というイスラム過激派が支配している。さらに「イスラム・マグレブのアルカイダ」を名乗る組織も勢力を拡大しているという。
いわば北部のソマリア化だ。そうでなくても砂漠地帯で厳しいところだが、山賊どもとバッタの大群が束になって押し寄せてきている。バッタについては6月15日の「サハラのバッタ」を参照されたい。

マリ北部から国外へ26万、南部へ17万人が避難したが、さらに460万人が緊急食糧援助を要する状態にある。
いまはともかく、山賊退治よりも住民の避難を急がせ、一人でも多くの人を救うことに専念すべきではなかろうか。
戦略的には、砂の壁による封じ込めが有効だろう。砂漠地帯をジープやらくだで行き来するゲリラ相手には、機動線が通用しない砂の壁の要塞はきわめて手ごわい。それは西サハラの戦いが証明している。

いろいろ聞いているうちに、本田美奈子という歌手がいることを知った。「いた」というべきか。
「氷雨」を歌うのを聞いてすごいなと思ったが、残念ながらピアノ伴奏が歌を台無しにしている。
ほかも、60台半ばの爺さんには趣味が合わない。
まぁ、こんなものかと思っているうちにこの曲に当たった。「白鳥の歌」である。絶品だ。

本日の収穫は田川寿美の「千曲川」、石原じゅん子の「逢いたい今すぐあなたに」
それではおやすみなさい。

アジア経済研究所の研究叢書392号で「東アラブ社会変容の構図」という本がある。1990年の発行だからかなり古い。まだ消費税3%の時代である。まだアジ研の住所が市谷になっている。
おかげで、というのもなんだが、4400円の本がただで読める。

長沢栄治先生の編集で、何人かの共著者が執筆したものである。大変浩瀚なもので、読むのに一苦労だが、そのなかでとりわけ興味深いのが、

第一部 委任統治期パレスチナにおける民族問題の展開(臼杵陽)
および
第二部 エジプト資本主義論争の構図と背景(長沢栄治)
である。

第一部は副題が パレスチナ共産党に見る「民族」の位相
であり、パレスチナ共産党を1920年の党創立から43年の最終的分裂に至るまで時系列で追いながら、きわめて特異な状況下でのきわめて特異な路線と、その背景を明らかにしている。
読んでいると、彼らが担わされた課題のあまりの重さに、つい同情してしまう。
逆に言えば、さまざまな弱点はあるにせよ、よくぞここまで国際主義(昔風に言えばレーニン主義)を貫き通せたものだと感動する。

事実のあまりの重さに、いまはコメントすべき言葉が見当たらない。すこしほかの資料も追加した上で、何らかの紹介をして見たい。

とりあえずは、パレスチナ(イスラエル)年表に突っ込んだので、そちらを参照していただきたい。

「赤とんぼ、なぜ赤い?」という記事があった。
一応、書き留めておこう。

トンボにはオモクロームという色素がある。この色素は酸化型だと黄色に、還元型だと赤になる。
赤くなるのはオスだけだが、メスにもこの色素はあり、薬剤で還元するとメスも赤くなる。

…そうだ。勉強になった。
となりにはひっぐす粒子の解説もあるが、こちらは相当手ごわそうなので敬遠。

赤旗に連載している「池辺晋一郎の 会いたくて」というインタビュー記事で、岩下志麻が登場。びっくりする話だった。

池辺が夫の篠田監督の話だといって、エピソードを紹介する。

志麻は前進座育ちだから、結婚した頃は、鼻歌といえば「インタナショナル」だった。

それに応えて、岩下志麻は次のように語る。

前進座の創立メンバーだった川原崎長十郎は私の伯父で…
小学生の頃、前進座の集合住宅で暮らしていたこともあるんですよ。

「屈原」という芝井が好きで好きで。小学生の頃、前進座の劇場でアイスクリーム売りをやっていたんですが、…アイスクリームの箱を背負ったまま、食い入るように見ていましたね。

知りませんでした。最初に「バス通り裏」という連続ドラマに「隣のお姉さん」で出てきたときは、ふつうのお姉さんでした。十朱幸代よりはきれいだったが。

それにしても、テレビの始まりの頃って縁故、縁故でやっていたんですね。十朱幸代は十朱久雄の娘だし、岩下志麻も野々村潔の娘で、いずれもNHKの常連俳優だ。
「おい、どこかにこの娘役やる奴いないか」
「そういえば、野々村さんとこの娘がこのあいだ遊びに来てたけど」
「で、どんなだい?」
「芝居はどんなだか分からないが、タッパがあって映り栄えはいいんじゃないかな」
「いいよ、いいよ。どうせ日本薄謝協会だからな」
ってなもんで決まってったんでしょうね。
ということは、「鉄砲小弥太」に出た染五郎は、当時としては大英断だったんだ。

火を吹く、火を吹く、鉄の玉、
山にいかづち、谷間にこだま、

日曜の6時からで、これが終わると佐々やん、昆ちゃんのやりくりアパートで、「ミゼット、ミゼット」で、良い子の時間はおわりだった。

すみません。間違えていました。
鉄砲小弥太は土曜日だったそうです。主役は染五郎ではなかったそうです。歌舞伎の若手だったことは間違いないようなので、勘違いをしていました。

ウォールストリートジャーナルがソニー、パナソニック、シャープの凋落を取り上げている。
日本のメディアに比べればはるかに、本質を衝いてはいる。しかし肝心な点が抜けていると思う。

ひとつは、若者と若者文化の衰弱だ。今の若者はないない尽くしだ。金がない、職がない、未来がない。これだけ揃えば若者文化が育つはずはない。
新技術が開発されれば、若者は飛びつくものだ。そうすれば技術は大衆化されるし、こなれる。いまはこなれる場所がなくなっている。その場所を奪ったのは皮肉にも電子産業なのだ。非正規が当たり前になり、若者から貪欲さが奪われた。だから市場からの敏感なリスポンスがなくなってしまった。
「一番でなくてはいけないんですか?」というのは中年のせりふであって、若者のせりふではない。若者の欲望はただの欲求ではなく渇望なのである。

もう一つは産業リーダーの気迫の喪失だ。日本の発展を引っ張ってきたのは通産官僚とイノヴェイティブな企業だった。これらが成長路線を捨て利益市場主義になったのが、ビッグバンから小泉改革にかけての数年間だった。経団連が政治に容喙するようになり、それを背後で経産省が支えた。

むかし飛行機が羽田の滑走路で墜落した。機長が狂っていた。着陸前にエンジンを逆噴射した。「機長、何をするんですか!」と副操縦士が叫んだ。いままさにその叫びが上げられなくてはならない。
「米倉会長、何をするんですか!」

以下の論文の executive summary を訳出したもの。たくさんの図表が付いた長い報告なので、興味ある方は原文をご覧ください。なお、この組織はとくに親チャベス的なものではないようです。

The Chávez Administration at 10 Years: The Economy and Social Indicators

February 2009

Center for Economic and Policy Research

 http://www.cepr.org/default_static.htm

CEPR is the leading European research network in economics, and brings together 700 economists who produce applied theory and empirical work on a wide range of economic policy issues.

論点 executive summary

現在の経済の拡大は、チャベス政権が2003年の第1四半期に国営石油会社の統制権を獲得したときに始まった 。それ以来、実質GDP(物価上昇補正後)はほぼ2倍となっている。すなわち5年余りで94.7パーセント、年間で13.5パーセント成長したことになる。

この経済成長の牽引車は非石油セクターだった。そして、民間部門は公共部門より速く成長した。

このような経済成長を通じて、貧困率は半分以下に低下した。2003年上半期の貧困家庭は54%だったが、08年下半期では26%に減少している。極貧層の減少はさらに著明である。それは72%の減少を示した。ただしこれらの貧困率は現金収入だけを評価するものであり、医療や教育へのアクセスの増加は計算に入れられていない。

この10年間で貧困家庭は39%減少した。極貧家庭は半分以下に減少した。

ジニ・インデックスを指標とする社会格差もかなりの低下を示した。03年の48.1%が、08年には41%に低下している。これは格差の著しい縮小を意味する。

一人当たりの実質社会消費(Real social spending)は1998年から2006年のあいだに3倍以上に増加している。



幼児死亡率は1998年から2006年のあいだに30%を大きく越えて減少している。公的機関におけるプライマリーケア医師の数は99年から07年のあいだに12倍に増えている。これまでアクセスがなかった何百万ものベネズエラ人が医療を受けることが可能となった。

教育の分野では相当な前進があった。とくに高等教育では総就学率は00年と08年では2倍以上になっている。

9 

労働市場も、この10年間で著明に改善した。失業率は11.3%から7.8%に低下した。現在も市場は拡大しつつあり、失業率は半分以下になっていると推定される。労働市場をあらわす他の指標でも相当の改善が示されている。

10 

この十年余りで、社会保障の受益者の数は2倍以上になっている。

11 

この十年余りで、政府の対外累積債務は顕著に低下している。GDP比でいうと30.7%から14.3%で半分以下となった。

12 

インフレ率は31.4%で、10年前の水準に復帰した。それはとくにこの半年間(四半期ベースの推移で)に顕著に抑制されている。これは世界的な通貨収縮の圧力によるものであり、さらにこの傾向は続くと思われる。


いろいろ細かいところを見ていけばきりがないが、まずは10年というスパンでマクロ諸指標をしっかり踏まえてから議論するべきではないかと思う。

ただこの報告はリーマンショックさなかの09年2月のリリースであり、その後の情勢の激変への対応は、別の話にはなる。

それにしても、これらのマクロ指標の成果を「ばら撒き」としか見ない"ベネズエラ共産党員"の目を疑わざるを得ない。


札幌にも阪神フアン、いわゆるトラキチはたくさんいる。
飲み屋に行ったら5,6人ばかりが肩を組んで六甲おろしを歌っている。勝ったのかと思ったら負けたのだそうだ。
このくらいならご愛嬌だが、現地大阪で阪神が優勝でもしようものなら、こんなものではないだろう。
歌わなければ「非国民」あつかいされかねない。

もう20年も前になるか、日本シリーズで西武が巨人を破った。優勝決定の直前、一塁を守っていた清原が泣き出した。試合は一瞬止まった。そしてその後巨人の選手が凡退してゲームセット。その瞬間、私は千歳の空港の待合室で思わず拍手した。
そのとき、あたりの人が私を見つめてるのが感じられた。これは皮膚感覚で、まさに突き刺さるような視線だった。三回まで拍手したが、4回目は手が止まった。テレビだけが大音響で、待合室は一瞬の静寂が支配した。

こんなことはいつでもどこでも起こりうることである。だけど、だからこそ、これを知事だとか首相だとか大統領だかが憎しみを煽ってはいけない。決していけないのである。

ルアンダの50万人虐殺は、ラジオのDJが憎しみを煽ったことから始まった。乗せられるやつも馬鹿だが、敢然と異議を唱える人がいなかったのが最大の問題だろう。異議を唱えれば殺されるかもしれない。それでも異議を唱えなければならない。そういう人間を育てるのが真の教育なんだろうと思う。

オリンピックは幸か不幸かあまり君が代に接する機会がなかった。
しかし君が代問題は相変わらずだ。
私個人としては、君が代を歌うことにさほど抵抗はない。少なくとも国歌(として国際的にも定着している)であるから起立はする。ゴッド・セイブ・ザ・クイーンを聞いて起立するのと同じだ。国歌に対して敬意を払うということだ。
エチケットとしてはそれで十分であろう。実際に歌うか歌わないかは個人の自由だ。大阪の口パク事件には唖然とする。

以前こういう事件があった。
エリア・カザンという映画監督がいて、アカデミー賞の特別功労賞を受賞した。この人にはハリウッドの赤狩りの時代に仲間の監督や脚本家、俳優を赤だと密告した暗い経歴がある。受賞にあたり司会者は参会者の賞賛をもとめたが、何人かの人々は起立を拒み、さらに何人かは拍手を拒んだ。当然のことながら会場はシラッとした。
翌日の新聞は、起立や拍手を拒んだ人たちを非難はしなかった。
なぜか、マスコミはかって赤狩りの時代にそういう人々を断罪し社会から追いやって、自らも辛い思いをしたからだ。

日本のマスコミはもっと辛い思いをしている。聖戦へと国民を駆り立て、数百万の人々を死に追いやり、国土を焼け野原にしたからだ。そればかりではない、中国・アジアでそれをはるかに上回る人々を死に追いやったからだ。
そのときの殺し文句は「非国民」だった。

だから「非国民」呼ばわりの非難が登場すると、キッと身構えざるを得ないのだ。とくにそれが少数意見に対する数の暴力として出てくるときは絶対に擁護しなければならないと思う。たとえそれが自分の意見とあわないとしてもだ。

アメリカにおける Welfare とニューディール

名古屋大学の東方淑雄さんは「社会福祉に関する経済学論争史」という長大論文の中で、ニューディーラーとWelfare の関係について物語風に語っている。

ニューディール時代のアメリカでは、大恐慌という未曾有の経済的危機に際し,その危機の本質はなにか,いかに克服すべきかについて真剣な議論が交わされた。かれらは1936年に刊行されたケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を精力的に学んだ。

そしてニューディールこそがまさにケインズ理論を実地に推進しているという認識にいたった。

かれらはニューディール政策とケインズ理論の両者が資本主義体制(市場)の欠陥を政府が役割を担って克服し,資本主義の性格まで変えてしまったと考え、これをケインズ革命と呼ぶようになる。

1938年,ハーバード大学のエイブラム・バーグソンは、『厚生経済学の再構成』で、ニューディールの正統性をケンブリッジ学派の経済学理論によって論理的に裏付けようと試みた。社会福祉というタームは“Social Welfare Function”なる論理としてこの論文にはじめて出現した。

これはピグーが1920年に著した『厚生経済学』を再評価し、Welfare を社会機能の一つとしてとらえ再構築したものだった。バーグソンは厚生経済学の理論的領域においてケインズ理論の敷衍化を成し遂げたとされる。

それは端的にいえば「政府がある政策を施行した結果,社会の一部に損失を生じても,全体の利益が損失額を超えるならば,その政策決定は肯定される」というプラグマチックな論理を挿入することによって、ピグー理論への批判を回避・克服させたものだった。

そして社会の成員各人それぞれの利益の増大させつつ,なおかつ全体の利益も均衡的に増大するように、政府が経済政策を明確な論理をもって決定する行為 を是とした。その明確な論理 が「社会福祉関数」とと呼ばれた。

Social Welfare という言葉はバーグソンの造語であり、ピグーもほかの厚生経済学者も用いておらず、アメリカ独特のものであった。

第二次大戦後には、学会において社会福祉関数理論は「Welfare は本質的に個人的なものである」との批判にさらされ無力化した。その内容は同僚サミュエルソンが「公共的意志決定(あるいは社会的選択)」として理論的に整備して受け継ぐことになる。

ところで、ピグーの厚生経済学はとりあえずおいといて、厚生経済学の日本への紹介者となった福田徳蔵という人が面白い。

とても難しい教科書は歯がたたないが、一橋大学の西澤教授が福田徳蔵の思想を分かりやすく紹介してくれている。講演を起こした文章なので数式もなくて読みやすい。

以下は私の読書ノート

福田徳三の経済思想 ―厚生経済・社会政策を中心に―

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/59/nishi/main.html

講師 一橋大学経済研究所教授 西澤 保 

1 福田の出発点 我々は…大勢に対抗せねばならぬ

マーシャル門下の逸材ピグーの『厚生経済学』は1920年に出版されます。福田徳三は既にその『経済学講義』のなかで、「ピグーの厚生経済学研究に注目すべし」と言っておりました。福田は「価格闘争より厚生闘争へ ―殊に厚生闘争としての労働争議―」という論文を1921(大正10)年に発表しています。

厚生闘争というのは、「資本主義による必然の運命に任せないで、人為の政策によって資本主義による社会厚生の蹂躪を防ごうとするもの」とされています。福田は「此儘に放擲して置けば、即ち必然的運命に任せて置けば、資本増殖の勢は益々強烈となりて、人生の真正の厚生幸福は全く其の為めに蹂躪せらるる外はない」とし、「我々は…大勢に対抗せねばならぬ」と主張しました。

それでは大勢に対抗して何をなすべきか。

A 生存権の保障

「社会政策の出立点というのは生存権の認証と確保 である。それを実現することが社会政策の目的である」

(これは戦前の論文だから、憲法25条の生存権ではない。西沢先生の話ではおそらくワイマール憲法からの引用と思われる。これだけでもたんなる経済学にとどまらない福田の革新性が伺われる)

B 人格の支配する社会

福田は人格化政策ということを強調しています。社会を「物格(財産)の支配から人格(労働)の支配へ」と転換することを目標とします。そして「人格の拡張・充実・発展を可能にすること」を社会政策の理想的帰着点と設定します。

(どこかで聞いたせりふですね。そう、マルクスの労働疎外論・物象化論そのままだ)

2 福田の到達点 

福田は、その厚生経済学の理論的枠組をマーシャルやピグーから吸収しました。

しかし福田は、ピグーが個人主義・功利主義にもとづく「経済的厚生に分析の範囲を限定し」てしまっていることに疑問を抱くようになります。

そして、真の厚生経済は、個人主義・功利主義の伝統を引くピグーの定義や分析だけでは捉えられないと考えるようになります。

福田は、ピグーの厚生経済学は、その分析対象が経済的厚生の枠内にとどまる限り、「価格経済学」の一種でしかないと批判するようになります。

福田がそれに対置したものは、個人よりは「社会・公共を考える」という視点です。

福田の厚生経済というのは、「所得論中心の経済学」であります。それはホブソン、キャナン、ベヴァリッジの影響のもとに構想されたものでした。


先日もちょっと触れたが、厚生経済学(Welfare Economics)というのがあって、社会福祉学と盾の両面をなしているのだが、経済学の一分野としての側面もさることながら、「福祉国家論」としてのイデオロギー的体系がかなり前面に出てくる「学問」である。

1920年に英国のピグーという人が提唱したのだが、この流れはケインズらが受け継ぎ、戦後の英国の福祉国家政策のバックボーンを形成していく。いっぽうアメリカでは、ルーズベルト政権の下に結集したニューディーラーたちがケインズの影響を受けながら独自の政策を展開していく。

そういうわけで源流は同じだが毛色の変わった二つのWelfare 概念が出来上がっていくことになる。その毛色の違いは難しい話になるので省略するが、戦後の日本にはアメリカ流のWelfare 概念が奔流のごとく流れ込んだ。それが社会福祉学ということになる。

ところが最近、小泉「構造改革」や国際競争力至上主義に対抗する考えとして、厚生経済学がふたたび見直されるようになっている。ちょっと聞きかじった範囲で言うのもなんだが、ほとんど今の共産党の主張していることと変わらない。

「厚生」というのは生を厚くするという意味で、経済学ということになるから、それ自体が、“生命・生活を大切にする”ことを忘れた現在の経済ステムへの批判を内蔵していることになる。そして人間中心の社会作りに向け、そのの経済的土台を提供することを目指している。

ここまでは同じなのだが、それをどう作り上げていくかという点ではマルクス主義と異なってくる。すごく感覚的な言い方になるのだが、マーシャルの新古典経済学を受け継ぐピグーやケインズは、均衡状態を作り上げることを非常に重視する。変革は一つの均衡モデルからもう一つの均衡モデルへの移行としてとらえられる。だから移行の形態よりも新たな均衡モデルのあり方に目が向きがちである。このため、ともすれば提案競争になりかねない。近経の教科書は「何某の定理」のオンパレードである。

マルクス主義はモデルよりも、変革を実現する勢力をどう形成するかに重きをおくから、将来モデルについては、良く言えば「足をしばらない」というか、融通無碍と言うか、悪く言えば「出たとこ勝負」ということになる。その代わり決死の趣で戦うから迫力はある。竹刀のヤットウと真剣勝負の違いだ。

とはいっても、理屈の上ではけっこう相補的なところがあるので、むやみに敵対する必要はない。むしろ互いに虚心坦懐に学ぶべきだろう。

最新の選挙情勢です。6月から7月にかけての各種世論調査の動向が表示されています。Venezuela Solidarity Campaign UK というグループのレポートです。

一喜一憂するのもなんですが、「野党との差が着実に狭まっているのも事実です」という記事に対する反論にはなるでしょう

Study of Polls Shows a Clear Lead for Hugo Chavez in Venezuela's Presidential Election Race  August 13th 2012

6月の世論調査

調査機関

調査施行日

チャベス支持

ラドンスキー支持

両者の差

Datanalisis

14-23 June

46.1

30.8

15.3

International Consulting Services

23-27 June

59.1

33.9

25.2

Hinterlaces

16-24 June

52

31

21

7月の世論調査

調査機関

調査施行日

チャベス支持

ラドンスキー支持

両者の差

International Consulting Services

14 - 18 July

62.6

37.4

25.2

Hinterlaces

4-14 July

61

39

22

Consultores 30-11

16-18 July

58.6

31.3

27.3

IVAD

5-15 July

52.3

32

20.3

志位さんがテレビのインタビューでいいこと言っている。

私は働く人の状態、生活を改善する上で四つくらいの“あわせ技”が必要だと思っています。
一つは、非正規雇用を正社員化する。そのために労働者派遣法を抜本改正する。均等待遇のルールを作る。
二つ目は、長時間・過密労働をなくす。日本の労働時間はだいたい年間2千時間だといわれていますが、ドイツより年間500時間も長いわけですよ。長時間・過密労働、サービス残業をなくしていって、雇用を増やしていく。
三つ目は、最低賃金の問題です。日本の最低賃金は平均自給737円です。737円ですと、フルタイムで働いても年収150万円以下です。「働く貧困層」から脱出できない。これは時給千円に引き上げる。
四つ目に、不当解雇、大リストラという「首切り自由の社会」をあらためていく。ヨーロッパでは当たり前の解雇規制法を作っていく。
こういう非正規から正規へ、労働時間の短縮、最賃の抜本的引き上げ、解雇の規制という“あわせ技”をやって、働く人に「人間らしい労働」を保障する。
…働く人が意欲を持って働けるような社会になってこそ、企業も立ち行くと思うんですよ。


これはすべて政策課題である。ただ四つ目の課題は、たしかに政策課題ではあるが、それ以前に労働者が闘うべき課題でもある。
まさにその通りだが、はたしてこれを一気にやって企業、とくに最大の受け入れ先である零細サービス系業種が持つかといわれると、なかなか難しいところもある。
それぞれについて、もう少し適用範囲・選択肢もふくめたロードマップが必要ではないだろうか。

とにかく現場では法律以前の犯罪的な労働実態が横行している。不十分とはいえ、現行法をしっかり適用させ、違法な労働条件については厳しく取り締まることを優先させるべきであろう。
そしてこの間に「構造改革」のなのもとに行われてきた労働関係法規の改悪を、チャラにする方向での再検討が必要だろう。とくにお金の問題で重要なのは、社会保険・厚生年金の範囲拡大だ。社会保障にかかわる国庫負担が増加しているのは、高齢化のせいではない。企業負担の減少のためだ。
せっかく四つにまとめてくれたのだが、これを中長期の課題の柱としつつ、明日からでも実施可能な「緊急提言」みたいなものを作ってもらいたい。


東大の長沢教授が赤旗に登場し、インタビューを行っている。テーマは「エジプト社会での軍の役割」というもの。
話の中身は大きく言って三つ、ひとつはエジプト軍の過去の栄光と堕落という流れの評価。二つ目はムバラク政権からの離反の事情、三つ目は、国民抑圧という本質は変わっていないということである。

エジプト軍のプレステッジ
王制を打倒し、英国から独立し、スエズ運河を国有化し、農地改革を行ったナセルとアラブ民族主義の軍である(あったというべきか)ということ。
第二次中東戦争で市民とともに英仏イスラエルの侵略と戦ったこと。
エジプト軍のスティグマ
権力基盤の確立のために政敵(最初は共産党、次いでイスラム指導者)を弾圧し、軍・警察の独裁国家を作ったこと
そのなかで軍が政治・官僚機構の要職を独占し、重要産業部門(家電から食品、電子機器まで)も自らの手に納め、経済も支配するにいたったこと。

2月革命の鍵となったムバラクとの離反
ムバラク一族は新自由主義経済路線を盾に、民営化路線を推進した。これは軍の既得権益の侵害をもたらした。
(私見としては、軍のもうひとつの権益の源はアメリカからの年間13億ドルの援助である。したがってアメリカが民主化支持といえば、それに従わざるを得ない)

軍の現在の路線
基本は既得権益の維持確保を目的とする。革命にはそのために有利と思える範囲では同調し、革命が既得権益を脅かすようになれば、それも押さえつけるというのが戦略である。
(私見としては、軍のもうひとつの目標はイスラエルと事を構えないことにある。ムスリム同胞団との取引は、そういうアメリカの圧力を受けたものだろう)

軍の二面性は、ナセル主義の二面性と並んでエジプト革命を読み解く鍵であることが分かる。
同時に、長沢教授がアメリカのアの字も触れていないことは、奇異の念を抱かせる。

By Jorge Martin and Patrick Larsen,

Who is Capriles Radonski?

赤旗の特派員報告が、なぜか野党候補を持ち上げるような書き方をしているので、気になって情報をあたってみた。

何かあるといつもお世話になるVenezuelanalysis.com というサイト。ここに

Venezuela: October Presidential Elections, Crucial for the Revolution

というレポートがあった。そこでラドンスキーという人物の経歴が掲載されていたので紹介しておく。

カプリレス・ラドンスキーはいまや社会民主主義者のように振舞っている。エコノミスト誌によると、「没収された資産を元に戻して、通貨統制を取り消して、憲法に反する規則を廃止するための漸進的アプローチ」をとっているとされる。

これは真実ではなくまやかしに過ぎない。

真実はこうだ。2002年4月のクーデターのとき、ラドンスキーはチャベス政権を妥当しようとした違法な連中の一味だった。

彼はクー騒ぎのあいだ、キューバ大使館に対する暴力行為に没頭していた。自らファシストの一味に加わり大使館の敷地内に乱入した。そしてキューバ大使に対し、隠れていると思われた「政治亡命者」を手渡すように迫った。

暴力分子は大使館員の車を破壊して、電気と給水を止めた。

その時、彼はカラカス市バルータ区の区長であったが、自らの地位を利用して暴力分子をかばおうとした。彼は「人は望むなら抗議することができる」と言い放った。これはビデオに残されている。

クーの失敗後、ラドンスキーはこれらの犯罪について一切訴追されなかった。しかし革命を支持する弁護士ダニロ・アンデルソンは区長としての免責特権剥奪と起訴立件に向けて動いた。

残念ながら彼の試みは2004年に切断された。アンダーソンはカラカスで自動車爆弾で暗殺された、そして暗殺者は決して見つからなかった。

ラドンスキーは現在「ソフト戦術」をとって、穏健派であるふりをしている。その理由は反革命がまだ全面攻勢に出るほどには強化されていないと判断したからである。

彼は穏健派の振りをしなければならない。チャベスの党と野党の間で動揺している有権者層をひきつけるために。しかしその有権者たちは、動揺はしているが、2002年の事件を許してはいない。


このルポは8月5日付から11日付までの国際面に6回にわたり連載された。それだけでも赤旗の力の入れようが分かる。題名は「大統領選: ベネズエラはいま」、松島特派員の署名入り連載だ。

以下、1回目から6回目までの見出しを記す。
1. 建設ラッシュ: 被災者優先、将来10万人
2. 国営企業: なぜ生産が低下したか
3. 闘争と教育と: 「我々は経営未熟」
4. 製造業: 生産意欲低下の原因は
5. 価格統制の弊害: ハンバーガー千円以上
6. 4選めざす: 「社会主義」実践押し出し

という訳ではじめと終わりを除けば、ネガティブな見出しの連続だ。もちろん、この記事がダメというわけではない。それどころか、日ごろベネズエラ市民の生活についての情報が不足していただけに、貴重なルポだ。

ネガティブなのは見出しだけではない。内容もネガティブな評価が相次ぐ。以下列挙する。

1. 建設ラッシュ
…貧困削減を評価しつつ、広範な分野にわたる生産の低下を懸念する声も広がっている。
…ボリバル県ガイアナ市にある非石油部門の重工業地帯は「混沌としている」(共産党議長談)

2. 国営企業(ガイアナでの取材)
…シドール(国有化された鉄鋼会社)の生産は、非効率な経営により、年間430万トンから280万トンに激減した
…官僚主義がはびこっている。専門能力のほとんどない人が経営委員に任命されている
…外貨割り当てが制限され、資材が不足し生産に影響を及ぼしている
…ガイアナ市の基幹産業はマヒ状態になっている。給与未払い、賃金凍結が相次いでいる
…労組幹部は自分たちの既得権に固執し、働こうとしない

3. 闘争と教育と
…国営五つ星ホテル(旧ヒルトン)は部屋もサービスもひどくなる一方だ。メードは「支配人は次々と交代、誰も部屋のことなど気にかけていない」と悲しそうに首を振ったそうだ。
…ホテルのフロントの背景には、「社会主義は進むべき道だ:チャベス」と大書されている。街中いたるところ「社会主義」を訴える看板だらけだ。
(ちなみに松島さんはこのホテルの常連のようです。治安の問題もあるので、五つ星に泊まるのはいいが、赤旗記者がとくとくと語ることではないでしょう。たとえば外国の共産党代表が帝国ホテルやオオクラに泊まって、サービスが低下したのは民主連合政府のせいだと文句つけるようなものです)

4. 製造業
…チャベス政権の13年間で、5千以上の製造業が閉鎖に追い込まれた(企業団体議長)
…企業アンケートでは機械や設備など生産能力の4割以上が未使用である。その要因として政治・社会的不安、外貨不足、原材料不足、物価統制があげられている。
…ベネズエラ・日本商工会議所の幹部とのインタビュー: (おそらく日本人駐在員がべらべらしゃべったのを聞き書きしたのだろう)
①価格統制と為替管理政策に問題がある。
②基礎食料品の価格統制は03年から続いているが、昨年11月からは公正コスト価格法が実施された。これは当局のコスト計算にもとづいて適正価格に抑えるもの。実際には生産・流通コストに見合わない価格設定が行われている。
③為替管理は固定レートで高めに設定されている。輸入量の増大を防ぐため、外貨割り当て制度を取っている。実際には外貨割り当ての不足や遅れにより中間資材の不足が不足し、農牧畜産業をふくめ企業や生産業者は存続が脅かされている
④トヨタや三菱自動車などが進出しているが、販売台数はリーマンショック前の49万台から12万台にまで激減した。
(これらの日本商社サイドの情報については「ベネズエラ、ふと考える」などの拙文を参照されたい)
…どのスーパーマーケットも商品で溢れています。しかし注意深く見ると、国産牛肉が姿を消し、ひき肉など加工品しか置いていないところもあります。国営石油企業直営のスーパーでは、ハム・ソーセージなどの棚が空っぽでした。
…誰でも買える大衆的な薬が不足している。安価な薬が入荷したら口コミで客が殺到する。
…モノ不足や一部商品の闇市場への流出がインフレを招いている。

5. 価格統制の弊害
…ベネズエラ共産党幹部とのインタビュー: 
①価格統制は完全な過ちだ。物価上昇率は数年間にわたり25%を超えている。これは投機や物資隠匿のためではなく、生産不足が原因だ。価格統制が生産意欲を失わせている。
②通貨は公式には1ドル=4.3ボリバルだが、市中では8ボリバル前後であり、2倍の開きがある。物価は実勢レートで動いているのでインフレは必至だ。
③生産力が低下する一方、社会政策などで政府支出は増え続ける。その結果石油依存が増していく。債務が急増している。後5年くらいまでしか持たない。
④中国への依存が強まっている。中国からすでに300億ドル以上の融資を受けている。石油で返済するという条件だ。これはベネズエラにとっては将来の収益の先取りだ。
⑤チャベス政権の社会政策はバラ撒きにしか過ぎない。過去の政権はそれすらしなかったが、バラ撒きであることに変わりはない。
⑥我々は反帝国主義と地域統合推進の立場においてのみチャベスを支持している。
その幹部は苦渋の表情を見せたと、松島記者は書いている。

6. 4選めざす
…野党のカプリレス候補は、雇用創出、社会政策の強化などを掲げています。国営企業については、政府支持の集会への労働者の動員やイデオロギー教育の一掃、積極的な設備投資などをあげ、生産に専念できるようにすると強調、価格統制の廃止は通貨切り下げも主張しています。
…ほとんどの世論調査で、まだチャベスが優勢ですが、差が縮まる傾向も共通しています。
…サンパウロフォーラムでは、チャベス与党が提案した「ベネズエラとの連帯は歴史的責務」とする決議が採択された。「チャベスは世界のリーダー」との発言もありました。

(つまりチャベスは「社会主義」を呼号し、個人崇拝を強め、破滅的な政策を推し進めようとしている、ということになる。これに対し野党の候補のほうがまともなことを主張している、次第に世論は反チャベスに動きつつある、ということになる)

http://www.bloomberg.com/news/2012-05-17/venezuelan-economy-grew-more-than-expected-in-first-quarter-1-.html

ベネズエラの経済成長率は過去4年間で最高

By Charlie Devereux -

May 18, 2012

第1四半期に、ベネズエラの経済は2008年以降最も速いペースで成長した。記録的な石油収益があり、今年の大統領選挙を前にしたチャベス大統領が住宅建設への融資をおこなうこと可能にさせたからだ。

ホルヘ・ジョルダーニ大蔵大臣が今日、カラカスで記者会見し、「経済は前年より5.6パーセント拡大した」と発表した。ブルームバーグが取材した7人のアナリストの推定値の平均は4.1パーセントだった。

この数字は、2008年の第2四半期に記録した7.8パーセント以来のものである。

新社会計画のセットは10月の大統領選挙でのチャベス再選の基礎となっている。この計画は老人と子供を極貧状態から脱出させ、200万の住民に家を与えることを、経過の柱としている。

建設業界は第1四半期に拡大を導いた。前年比29.6パーセントの急上昇である。その間に金融機関も27.7パーセント成長している。

「ここでは、我々は今後6年の間、成長が続くだろうと展望している」と、ジョルダーニ蔵相が言った。「我々はこの6四半期世界的資本主義の危機の影響を受けてきた。今度は生産的なモデルに基づく成長である」

南米最大の産油国でありOPECの創設メンバーであるベネズエラは、09年に3.3%、10年に1.4%の経済収縮を経験した。昨年は回復に向かい4.2%の成長を遂げた。

油収益の増大

今年第一四半期成長率が明らかになっている30か国中、ベネズエラは中国、ラトビアとインドネシアについで第4位を占めている。ブルームバーグのまとめによれば、5.6パーセントの成長はカザフスタンに匹敵する。

国営石油会社の純利益は45億ドルに跳ね上がった。昨年比42.4%の増加に当たる。これは原油国際価格の平均価格が1バレル101.06ドルまで上昇したためである。石油省の予想によれば、第1四半期の原油価格はさらに112.04ドルにまで上昇している。

石油関連セクターが2.2%の成長にとどまる一方、非石油セクターは5.6%の成長を遂げている。輸送、小売、通信は、それぞれ8.5パーセント、7.9パーセント、7パーセント拡大している。

2010年9月、チャベスは議会選挙で絶対多数を失った。その後チャベスは、住宅計画の作成を発表した。そしてこれによりベネズエラの住宅不足200万戸を2018年までに根絶すると述べた。

消費の拡大

このプロジェクトは中国のCITIC Group社などと交渉し、カラカスおよび全国各地に低所得者用住宅を建設するよう求めた。ベネズエラ国営通信が5月10日に報道したラファエル・ラミレス石油相の発言によれば、計画はすでに発足しており、今年これまで50,000の家が建設された。

公的な出費は、第1四半期だけで実質811億9000万ボリバー(189億ドル)で、前年同期比17パーセントの上昇である。(バンクオブアメリカとメリル・リンチの推計)

ニューヨークのバークレイズ・キャピタル社アナリストのアレハンドロ・アレアサは、電話インタビューでこう語った。

「このペースの成長は、中期的には持続可能とは思えない。それは単に拡大を費やすことに基づく成長でしかない。どこかで、もうこれ以上出費を増やし続けられなくなる限界点がある。経済はそれ以上の増加に反応しなくなる」

インフレーションは政府が価格統制を広げたために鈍化している。

消費者物価は4月に0.8%上がった。これは2007年以来もっとも遅い速度である。生活必需品への物価規制が効果をあらわし、物価を25%程度押し下げた。

政府は、すでに100以上の食料品の価格を管理している。


「重要な調整」政策

ベネズエラのインフレ率は、依然年間23.8%にとどまっている。これはブルームバーグ社でフォローしている93の国の中で最高である。

強引な価格の調整は、ミルク、鶏、牛肉、コーヒーと料理油の不足につながった。

中銀統計では、輸入額は第一四半期で前年比48%増加し、131億9000万ドルまで増加している。

一方輸出も石油価格の高騰により23.6%増加し、257億2000万ドルに達している。

中央銀行によれば、ベネズエラは2012年の第1四半期で71億4000万ドルの経常収支の余剰を獲得しているが、資本収支においては86億1000万ドルの赤字を計上している。

アレアサは語る。

「10月に勝利するものが誰であろうと、「重要な調整」を実行しなければならないだろう。それはたとえばボリバーの切り下げなどだ」

ゴールドマン・サックス社のラテンアメリカ担当上級エコノミスト、アルベルト・ラモス(ニューヨーク)はこう語る。

「経済成長は今年の末までにはスローダウンするだろう。政府は選挙の後は支出の抑えに回るだろう。

この国の経済は過去5年間の石油価格環境によく対応してきたといえるだろう。しかしこれから先5年間も同じよな政策を続けるなら、そうは問屋がおろさないだろう


最後のコメントのとおり、ニューヨークのエコノミストの評価は「そこそこ良くやった」というものだ。

私はリーマンショックを乗り越えて、上り坂にまで持ってこれたということで、もっと点数上げてもいいかなと思っている。

現在の住宅建設計画は、たぶん選挙目当ての踏ん張りもふくまれているようだから、言葉どおりに受け取る必要はないだろう。(どうも専門家筋の評価ではとんでもない数字のようだ)

何度も強調するのだが、この国の経済運営はオーソドックスな手法ではやっていけない。

この国の実体経済の規模をはるかに上回るすごい勢いでドルが行き来している。

しかもこいつは“オイルダラー”と言って、世の中で最も流動性が最も高く、投機性がもっとも強く、たちの悪い資金だ。いざとなれば瞬きするあいだに目の前から消えてなくなる。

この投機資本と国内経済と実体貿易はどこかで遮断しなければならない。収支は短期の資本収支も合わせて評価しなければならない。

貧困者の生活水準を引き上げれば、インフレは必至であり、放置すれば経済を破壊する。

さりとて、輸入自由化で物価を安定させようとすれば、たちまち巷には失業者があふれることになる。

こういう中で経済運営をした経験は日本人にはない。だから我々は個々の失敗について四の五の言うのではなく、こうした経験から虚心坦懐に学ぶべきであろう。

私は以前から、連帯運動というのは「学ぶ運動」だと考えている。与える運動ではなく、与えられる運動なのである。


LIBOR不正操作 5つの手口 に関して二つのコメントをいただきました。

経過としては次のごとくです。まず赤旗にLIBOR不正操作の記事が載りました。それを紹介したのが、7月4日の「またもロンドンの金融スキャンダル」と、7月11日の文章「LIBOR不正操作の続報」です。この時点で赤旗に載ったのはこれだけです。
その文章で、「LIBORについての簡単な説明も脇に載せられているが、どう不正操作できるのか、不正操作するとどのような利益が得られるのか、不正操作されるとどのような被害が生じるのかは良く分からない。別途、勉強が必要だ」と書いたのですが、実際に多少勉強して書いたのが、12日のLIBOR不正操作 5つの手口と、13日の「LIBOR問題の根源はユーロダラー」です。

勉強といっても、グーグルで上のほうにヒットしたいくつかのニュース解説を読んだくらいのものです。しかし赤旗には載っていません。赤旗は出遅れたと思います。

では、ほかのたとえば日経とか毎日がいち早く取り上げたかというと、そうもいえません。お一人の方は、毎日の作成したグラフを転載したので、そこからのこぴぺだと思っているようですが、毎日の記事はそれほどのものではありません。

あまりはっきりとは憶えてはいませんが、たぶんロイターとWSJの記事を時系列で整理したのではないかと記憶しています。「ロンドン鯨」をフォローしていたのが役に立ちました。香港のエコノミストのコメントも参照したと思います。

以上、ご参考までに…

なかなか本格的なコメントができないでいるのだが、とりあえず意思表明だけはしておきたい。
赤旗の「ベネズエラ特集」には異論がある。
ベネズエラは産油国で、ほかに基本的にはめぼしい産業はない。こういう国の経済運営は特殊なノウハウを必要とする。これが第一。
第二に経済マクロは悪いとはいえない。これについては11年9月22,23日の文章でも数字を挙げて説明している。第三に鉄鋼コンビナートの不況とか、スーパーの陳列棚にモノがないとかの問題は、別個に産業育成・流通インフラ整備の問題として考えなければならないということである。(率直に言えばボリーバル州の鉄鋼コンビナートは30年前のペレス失政の象徴だと思う)

ここから先は居酒屋談義になるが、とにかくあぶく銭が毎日転がり込んでくるわけだから、輸入圧力とインフレ圧力はすさまじいものになる。黙っていればたちまち汚職の巣窟となり、輸入規制は有名無実化する。とくに国内資本家は自国産業の育成という大義名分があるだけに、鼻息は荒くなる。
ただベネズエラは70年代のオイルブームの際に、そうやって金を使いまくって、後でひどい目にあった。その記憶は国民が共有している。だからとにかくあせらずに、身の丈にあわせてやっていこうというコンセンサスはあるだろうと思う。
もう一つ、記者は共産党系のソースに依拠しているようだが、その際はウラを取る必要がある。悪い党ではないが、書記長は古色蒼然たるスターリニストである。ベネズエラ共産党とベネズエラ統一社会党(PSUV) 合同するのか、別コースを歩むのか?
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/la/venezuela/pcv_psuv.htm を参照されたい)
いっぽう、ボリーバル州の製鉄工場を基盤とする活動家には組合主義者的傾向が結構ある。彼らはいまは党を離れ、反チャベス派の中核のひとつを形成している。

いずれにせよ、いつかはベネズエラの経済を世界の市場に乗せなければならないことは間違いないので、いつどういう形でという問題に集約されていくのだろうと思う。

大谷さんの「ザスーリッチへの手紙」についての考察は、「生産の社会化」に的を絞ったかなり特殊なものであり、全体像が分かりにくかった。ネットで文献をあさったところ、北大の佐藤正人さんが、全体像を分かりやすく説明してくれていたので要約して紹介する。

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31253/1/22%284%29_P207-246.pdf

『ザスーリチの手紙への回答」およびそれの『下書き』考

佐藤正人

 

I はじめに

マノレグスのヴェラ・ザスーリチへの手紙(1881年3月8日付け)は、その内容の重要性や公表経過の異様性などから注目を浴びてきた。

この手紙が発見されたのは1923年だった。そして1924年「革命運動資料』誌上に公表された。

いっぽう、この手紙の「下書き」はすでに1911年、リヤザノフによって発見されていた。手紙の重要性が確認されたため、手紙と「ザスーリチからマルクスへの手紙」とセットにして1926年に公表された。

この手紙と下書きは、戦後になって脚光を浴びた。

第一に、それはアジア的生産様式をめぐる論争の典拠となった。

第二に、それは後進国における「非資本主義的発展の道」の理論づけとして注目された。

第三に、それはロシア社会論,ロシア革命論をめぐる論争の典拠となった。

だが,このように広汎な議論の対象にあげられながら, 「手紙」自体に対するテキスト・クリティークはほとんどなされてこなかった。そして多くの人は『手紙』と『下書き』とを同一視してきた。

あのように広範囲で複雑な問題を扱った4つの草稿が、なぜあのように簡単な抽象的内容の『手紙』にまとめられたのかも不明である。手紙で省略されたさまざまな命題は抹消されたのか、政治的配慮から省略しただけなのだろうか。

 

Ⅱ 下書きと手紙の内容

1 ザスーリッチからマルクスへの手紙

この手紙は1881年2月16日にザスーヲチからマノレタスに宛てて出されたものである。

*「資本論jがロジアで人気を集めている。

*資本論がロシアの運命について与えている解答をめぐって2つの解釈がある。

*ひとつは農村共同体は死滅する運命にあり,都市労働者を基盤とすべきだというものである。かれらはマルクス主義者だと自称している。

*もう一つの主張は、農村共同体は社会主義的軌道の中で発展でき,革命的社会主義者は共同体の解放とその発展のために全力を捧げるべきだとするものである。

*「わが農村共同体のありうべき運命についての, また世界のすべての国が資本主義的生産のすべての段階を通過することが歴史的必然であるという理論についての, あなたの考えを述べて」欲しい。

2 第1草稿

第1草稿は,他の草稿に比べて最も長文であり, マルクスによって5つの節に分けられている。

第1節

『資本論』の原始的蓄積論はロシアに適用できない。

第2節

共同体滅亡の歴史的宿命性は、“純粋に理論的な見地”からみて正しくない。

農耕共同体にふくまれる私的所有の要素が打ち勝つか,それとも集団的要素が打ち勝つかは、それがおかれているこの歴史的環境に依存する。

ロシアの農耕共同体は集団的生産の要素として発展しうる。西欧の資本主義制度が危機にあるからだ。

第3節

ロシアの農村共同体には有利な条件がある。しかし不利な条件もある。

第4節

ロシアの共同体の苦難の歴史。

第5節

共同体を崩壊させる動きが始まりつつある。ロシアの共同体を救うには革命が必要である。それが成功すれば、共同体はロシアを再生させる要素として発展する。

3 第2草稿

やはり5つの節に分けられている。第1節は,第1草稿の第1節とほぼおなじ。

第2節は,ザスーリチの書いてきたロシアのマルクス主義者について、自分は知らないと述べている。

第3節は,第1稿の第2節の前半とほぼ同じ。

第4節は,第1草稿第3節に述べられたことがコンパクトにまとめられている。

第5節は,第一草稿の第4節,第5節で分析されたロシアの現実の事態が簡単に述べられる。

4 第3草稿

第3草稿は,短い前書きと2つの節から成っており,途中で中断されている。

第1節は,第1草稿第l節と同じ。

第2節は,第1草稿第2節と第3節にあたる。第1草稿で重複していたことが整理されている。

ロシア共同体の弱点である局地的小宇宙性と地主的土地所有は、ロシア社会の全般的運動・全般的震撼のなかで,取り去ることが可能だとされる。

しかしロシアの共同体が発展しうる現実的可能性は、述べられずに中断されている。

5 第4草稿

この草稿は手紙とほぼ同じ内容で『資本論」からの引用が省略されている。

6 「手紙」本文

本文でマルクスは,「資本論」の原始的蓄積論において展開されている議論は西ヨーロッパに限定されたものだとしている。

したがって農耕共同体の生命力については直接言及していないことを確認する。

ついでこれまでの草稿の分析を省略した上で、自らの確信のみを明らかにする。

この共同体は口シアにおける社会的再生の拠点である。しかしそれが機能するためには共同体を襲う有害な影響を除去し、発展の諸条件を確保することが必要である。

以上見てきたように,共同体発展の《理論的可能性》はあるが、現実的可能性については各草稿で全くニュアンスが異なっている。

 

Ⅲ 手紙をめぐって

1. 「手紙』簡略化の理由

マルクスのザスーリッチ宛の手紙を最初に発見したのは、B.ニコラエフスキーというひと。彼はいきさつをこう語っている。

マルクスは「人民の意志」派 の闘争を支持していた。したがって「総割替」派のザスーリチに回答を送ることをためらった。

当時ザスーリッチは、ベテルブルク警視総監の暗殺計画を通じて全世界の注目を集めていた。だからマルクスは彼女の手紙への返事を出さずにはいられなかった。

しかしマルクスは最大の自制心をもって,簡潔に,控えめに答えた。

それに対しリヤザノフはニコラニエフスキーに反論した。マルクスはすでに研究能力の低下を来たしていた。それは草稿の中に痕跡が見いだされる。

協同組合的生産と共産主義的所有が西欧において資本主義の後に来る社会の特徴、という記載には大谷先生も首をかしげている。

佐藤さんは、リャザノフの意見には与しない。その根拠として第三稿の前書きを読み込む。

あなたの手紙が提起した諸問題を根本的に論じるためには、緊急の仕事(資本論第2巻、第3巻の仕上げ)を中断しなければならないでしょう。

マルクスは凝り性なので、これを始めるときりがないということを感じたのだろう。第一草稿で立てた論立てにはいくつかの欠けたところがある。しかも、そこは相当重要なポイントだと感じたのであろう。

2. 「手紙』を受けとった側

このように重要な内容をもっている『手紙』は, 40年以上もの間埋もれていた。

リヤザノフは次のように書いている。

私は,プレハーノフに手紙を書いて,ザスーリチの手紙に対するマルクスの回答がないかどうかを間合わせた。ザスーリチに対しでも第3者を介して間合わせたが、いずれも否定的な返事だった。

なぜこうなったかというと、ザスーリッチへの手紙でマルクスが「数カ月前に同じ問題についてペテルブルク執行委員会に執筆を頼まれている」と書いたので、そちらに論文が載るものと思ったからのようである。

マルクスは書くだけの材料を持っていた。尾大なロシアの現状分析と古代社会についてのノートがあった。それは「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」と題されていた。


3.「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」

2年後の1883年3月14日,マルクスはロンドンで亡くなった。

マルクスはその晩年に,完成が急がれていた『資本論』のためとは言い切れないほど膨大なノートを作っていた。それは一つはロシアの現状分析であり、もう一つは古代社会についてのノートだった。

特に, 1881年終りから1882年初めにかけては, 1870年代はじめからマルクスによって研究され蓄積された1861年の農奴解放とそれ以後のロシアの発展についての重要な資料の体系化が行なわれている。

この体系化のためにマルクスは,スクレピツキーやチェノレヌイシェフスキーの著作を再度読みなおすなどしている。

この体系化された草稿は, 「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」と題されてアルヒーフに収められている。


つまりマルクスはザスーリッチへの手紙にかなり詳しく展開しようと思っていたが、その内容が不十分と見て、「下書き」を破棄して、その中身を、「覚え書」に受け継いだものと思われる。しかしそれは未完成に終わった、ということのようだ。

それはそれでよいのだが、マルクスの未来社会のイメージは相変わらず見えてきませんね。


大谷さんの「ザスーリッチへの手紙」についての考察は、「生産の社会化」に的を絞ったかなり特殊なものであり、全体像が分かりにくかった。ネットで文献をあさったところ、北大の佐藤正人さんが、全体像を分かりやすく説明してくれていたので要約して紹介する。

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31253/1/22%284%29_P207-246.pdf

『ザスーリチの手紙への回答」およびそれの『下書き』考

佐藤正人

 

I はじめに

マノレグスのヴェラ・ザスーリチへの手紙(1881年3月8日付け)は、その内容の重要性や公表経過の異様性などから注目を浴びてきた。

この手紙が発見されたのは1923年だった。そして1924年「革命運動資料』誌上に公表された。

いっぽう、この手紙の「下書き」はすでに1911年、リヤザノフによって発見されていた。手紙の重要性が確認されたため、手紙と「ザスーリチからマルクスへの手紙」とセットにして1926年に公表された。

この手紙と下書きは、戦後になって脚光を浴びた。

第一に、それはアジア的生産様式をめぐる論争の典拠となった。

第二に、それは後進国における「非資本主義的発展の道」の理論づけとして注目された。

第三に、それはロシア社会論,ロシア革命論をめぐる論争の典拠となった。

だが,このように広汎な議論の対象にあげられながら, 「手紙」自体に対するテキスト・クリティークはほとんどなされてこなかった。そして多くの人は『手紙』と『下書き』とを同一視してきた。

あのように広範囲で複雑な問題を扱った4つの草稿が、なぜあのように簡単な抽象的内容の『手紙』にまとめられたのかも不明である。手紙で省略されたさまざまな命題は抹消されたのか、政治的配慮から省略しただけなのだろうか。

 

Ⅱ 下書きと手紙の内容

1 ザスーリッチからマルクスへの手紙

この手紙は1881年2月16日にザスーヲチからマノレタスに宛てて出されたものである。

*「資本論jがロジアで人気を集めている。

*資本論がロシアの運命について与えている解答をめぐって2つの解釈がある。

*ひとつは農村共同体は死滅する運命にあり,都市労働者を基盤とすべきだというものである。かれらはマルクス主義者だと自称している。

*もう一つの主張は、農村共同体は社会主義的軌道の中で発展でき,革命的社会主義者は共同体の解放とその発展のために全力を捧げるべきだとするものである。

*「わが農村共同体のありうべき運命についての, また世界のすべての国が資本主義的生産のすべての段階を通過することが歴史的必然であるという理論についての, あなたの考えを述べて」欲しい。

2 第1草稿

第1草稿は,他の草稿に比べて最も長文であり, マルクスによって5つの節に分けられている。

第1節

『資本論』の原始的蓄積論はロシアに適用できない。

第2節

共同体滅亡の歴史的宿命性は、“純粋に理論的な見地”からみて正しくない。

農耕共同体にふくまれる私的所有の要素が打ち勝つか,それとも集団的要素が打ち勝つかは、それがおかれているこの歴史的環境に依存する。

ロシアの農耕共同体は集団的生産の要素として発展しうる。西欧の資本主義制度が危機にあるからだ。

第3節

ロシアの農村共同体には有利な条件がある。しかし不利な条件もある。

第4節

ロシアの共同体の苦難の歴史。

第5節

共同体を崩壊させる動きが始まりつつある。ロシアの共同体を救うには革命が必要である。それが成功すれば、共同体はロシアを再生させる要素として発展する。

3 第2草稿

やはり5つの節に分けられている。第1節は,第1草稿の第1節とほぼおなじ。

第2節は,ザスーリチの書いてきたロシアのマルクス主義者について、自分は知らないと述べている。

第3節は,第1稿の第2節の前半とほぼ同じ。

第4節は,第1草稿第3節に述べられたことがコンパクトにまとめられている。

第5節は,第一草稿の第4節,第5節で分析されたロシアの現実の事態が簡単に述べられる。

4 第3草稿

第3草稿は,短い前書きと2つの節から成っており,途中で中断されている。

第1節は,第1草稿第l節と同じ。

第2節は,第1草稿第2節と第3節にあたる。第1草稿で重複していたことが整理されている。

ロシア共同体の弱点である局地的小宇宙性と地主的土地所有は、ロシア社会の全般的運動・全般的震撼のなかで,取り去ることが可能だとされる。

しかしロシアの共同体が発展しうる現実的可能性は、述べられずに中断されている。

5 第4草稿

この草稿は手紙とほぼ同じ内容で『資本論」からの引用が省略されている。

6 「手紙」本文

本文でマルクスは,「資本論」の原始的蓄積論において展開されている議論は西ヨーロッパに限定されたものだとしている。

したがって農耕共同体の生命力については直接言及していないことを確認する。

ついでこれまでの草稿の分析を省略した上で、自らの確信のみを明らかにする。

この共同体は口シアにおける社会的再生の拠点である。しかしそれが機能するためには共同体を襲う有害な影響を除去し、発展の諸条件を確保することが必要である。

以上見てきたように,共同体発展の《理論的可能性》はあるが、現実的可能性については各草稿で全くニュアンスが異なっている。

 

Ⅲ 手紙をめぐって

1. 「手紙』簡略化の理由

マルクスのザスーリッチ宛の手紙を最初に発見したのは、B.ニコラエフスキーというひと。彼はいきさつをこう語っている。

マルクスは「人民の意志」派 の闘争を支持していた。したがって「総割替」派のザスーリチに回答を送ることをためらった。

当時ザスーリッチは、ベテルブルク警視総監の暗殺計画を通じて全世界の注目を集めていた。だからマルクスは彼女の手紙への返事を出さずにはいられなかった。

しかしマルクスは最大の自制心をもって,簡潔に,控えめに答えた。

それに対しリヤザノフはニコラニエフスキーに反論した。マルクスはすでに研究能力の低下を来たしていた。それは草稿の中に痕跡が見いだされる。

協同組合的生産と共産主義的所有が西欧において資本主義の後に来る社会の特徴、という記載には大谷先生も首をかしげている。

佐藤さんは、リャザノフの意見には与しない。その根拠として第三稿の前書きを読み込む。

あなたの手紙が提起した諸問題を根本的に論じるためには、緊急の仕事(資本論第2巻、第3巻の仕上げ)を中断しなければならないでしょう。

マルクスは凝り性なので、これを始めるときりがないということを感じたのだろう。第一草稿で立てた論立てにはいくつかの欠けたところがある。しかも、そこは相当重要なポイントだと感じたのであろう。

2. 「手紙』を受けとった側

このように重要な内容をもっている『手紙』は, 40年以上もの間埋もれていた。

リヤザノフは次のように書いている。

私は,プレハーノフに手紙を書いて,ザスーリチの手紙に対するマルクスの回答がないかどうかを間合わせた。ザスーリチに対しでも第3者を介して間合わせたが、いずれも否定的な返事だった。

なぜこうなったかというと、ザスーリッチへの手紙でマルクスが「数カ月前に同じ問題についてペテルブルク執行委員会に執筆を頼まれている」と書いたので、そちらに論文が載るものと思ったからのようである。

マルクスは書くだけの材料を持っていた。尾大なロシアの現状分析と古代社会についてのノートがあった。それは「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」と題されていた。


3.「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」

2年後の1883年3月14日,マルクスはロンドンで亡くなった。

マルクスはその晩年に,完成が急がれていた『資本論』のためとは言い切れないほど膨大なノートを作っていた。それは一つはロシアの現状分析であり、もう一つは古代社会についてのノートだった。

特に, 1881年終りから1882年初めにかけては, 1870年代はじめからマルクスによって研究され蓄積された1861年の農奴解放とそれ以後のロシアの発展についての重要な資料の体系化が行なわれている。

この体系化のためにマルクスは,スクレピツキーやチェノレヌイシェフスキーの著作を再度読みなおすなどしている。

この体系化された草稿は, 「1861年の改革と改革後のロジアの発展についての覚え書」と題されてアルヒーフに収められている。


つまりマルクスはザスーリッチへの手紙にかなり詳しく展開しようと思っていたが、その内容が不十分と見て、「下書き」を破棄して、その中身を、「覚え書」に受け継いだものと思われる。しかしそれは未完成に終わった、ということのようだ。

それはそれでよいのだが、マルクスの未来社会のイメージは相変わらず見えてきませんね。


ヴェラ・ザスーリチ宛ての手紙の三つの草稿(1881年)

「ヴェラ・ザスーリチ宛ての手紙」というのは、手紙とは言いながら、実際には経済・社会共同体について言及した有名な論文である。しかしそこには首肯しかねる内容が含まれている。

大谷先生によると、この手紙には二つの草稿があるそうだ。大谷先生はこの第一、第二草稿と、本文とを読み比べて、マルクスの思考過程の進化を跡付けている。

生産手段の社会化について

第一草稿でマルクスは,共同体の「原古的な原型」について,以下のごとく語る。

より原古的な諸共同社会では,生産は共同で行なわれ,ただその生産物だけが分与された。…この協同的ないし集団的生産の原始的な型がそのようなものであるのは,「孤立した個人の弱さの結果」だったのであり,「生産手段のsocialisation」の結果ではなかった。

この生産手段のsocialisation というのは、資本主義社会にとって代わるアソシエーションの特徴である。ポスト資本主義の時代には新たな共同体が出現するが、それは孤立した個人の弱さがもたらすのではなく集団として連帯する諸個人の強さのもたらす共同体 となるだろう、と読みこむことができる。

第一草稿では

資本主義的生産制度は危機のうちにある。この危機は,この社会制度の消滅によってのみ終結する。そして近代社会は「原古的な」型の高次形態へと復帰していくだろう。

とあって、「原古的な」型の高次形態を説明するものとして、最初の記載では「共同所有」のみを挙げた。次いでこれを「集団的な所有および生産」と書き換え、さらに「集団的な生産と取得」と書き直している。

さらに第二草稿では

資本主義的生産が最大の飛躍をとげたヨーロッパおよびアメリカの諸国民のただ一つの願いは,協同組合的生産をもって資本主義的生産に代えることである。そして所有の原古的な型の高次形態すなわち共産主義的所有をもって資本主義的所有に代えることである。

と書き込まれた。

この後、大谷先生の解説はやや晦渋になるが、生産協同組合や「共産主義的所有をもって資本主義的所有に代えること」に限定するのは狭すぎるのではないか、との疑問を呈しているように見受けられる。

そして「生産手段の社会化」と「労働の社会化」を一つの流れの両側面としてとらえ、資本主義の底流として位置づける方向を示唆している。ここでいう生産手段の社会化とは生産の社会化と同義であり、資本主義の発展に伴う共同的生産手段への転化と、生産手段の集中である。

http://www22.atwiki.jp/hamusenwiki/pages/46.html

糸井選手がこんなに面白い選手だとは思わなかった。糸井の父親が野村監督の恩師だったというのも初めて聞いた。
「全身これ筋肉」という表現が、たんなるほめ言葉でないということも分かった。筋肉しかないという皮肉もあるのだ。

一番分かったのは、稲葉がいまや日本ハムの「神様」だということだ。入った頃はそんなに目立つ人ではなかったけど、神様ってそういうものなのだろう。
神様になれる人っているんだろうね。「この人と一緒なら死んでもいい」って感じだ。結局、小笠原は神様にはなれなかったね。小笠原と心中しようなんて誰も思わないよね。

このところ内角攻めについて、いろいろ解説者から言われているが、左ピッチャーが右打ちの打者の内角低目をえぐるのと、右腕投手がシュートでのけぞらすのとは意味が違う。
私は卓球が好きだから思うのだが、基本は内角だろうと思う。バットの根っこに当たる限りボールは飛ばないはずだ。
外角球は踏み込みさえすれば打てる。それなのに外角が決め球になるのは恐怖心があるからだ。卓球の球が当たっても痛くはないが、野球のボールは相当痛い。下手すれば命取りだ。そうでなくても1シーズン棒に振ることになる。

今年の日本ハムは面白い。去年の終幕まじかの絶不調は二度と見たくないが、今の栗山監督はそれを回避するさまざまな手立てを打ってくれるし、最悪でも来シーズンにつながる戦い方をしてくれると思う。去年最後の梨田監督は二度と見たくなかった。栗山監督のいいところは納得できる負け方をしてくれるところだ。

オールスターでは一番が陽岱鋼だが、日ハムでは不動の6番だ。中田翔が4番を打つ限りほかに選択肢はない。


帝国データバンクが7月に行った企業アンケート。
1万社の回答を得ているから、かなり実情を反映していると考えられる。

消費税増税で業績に悪影響と答えた企業は67%に上っている。この悪影響は消費の減退と、価格転嫁の困難によるものである。

価格転嫁に関しては転嫁可能と困難がほぼ半々となっている。問題は消費の減退に対する不安で、国内消費は縮小すると答えた企業が86%、影響はないと答えたのはわずか4%だった。

この不安に、経済団体である経団連や経済同友会はどう応えるのであろうか。あまりにも企業の現場から遊離しているのではないだろうか。それとももうこのような一般企業は、切り捨てるつもりなのか。それなら経済団体連合の肩書きはやめて、「大企業連合」に架け替えるべきではないか。


昨日の鳥畑さんの寄稿の続き

BISは、各国中銀の非伝統的な金融緩和策は、リーマンショックによる金融システムの崩壊を防いだと評価している。
その上で、これが今なお継続していることに警鐘を鳴らしている。

その上で、異例の金融緩和策の長期化がもたらす“副作用”として次の5点を挙げている。

①金融機関が財務内容を改善しようとするためのインセンティブを弱める。
②国家が財政再建や構造改革を推進するためのインセンティブを弱める。
③低金利の継続による銀行・保険・年金運用の困難。
④③の結果、金融機関が収益確保のため過度のリスクをとるようになる。
⑤低金利の固定化により、金融市場に対する金利変動の調整機能が喪失する。

この辺は、わざわざBISに指摘されるまでもなく分かっている話だ。ここから先が問題だ。

①金融緩和政策は国際的な過剰マネーを発生させ、高金利の途上国に資金が流入する。
②途上国通貨は上昇し、途上国バブルが形成される。
③外為市場の混乱は当局の介入を余儀なくさせ、さらに外貨がつみあがる。
④富の世界的な不均衡が拡大し、投機の増大が促進される(とくに穀物市場)。

言っていることは“銀行マン”としてまことにもっともなことだが、ただその主張の根拠となる情勢認識として、「リーマンショックはすでに切り抜けられた」と判断しているようで、現在は第二幕に入りつつあるとの認識がない。

先日のオリンパス事件は、90年バブルの後遺症がいかに根深いものであるかを浮き彫りにした。塩漬け資産を解消するのには10年単位の努力が必要なのである。

率直に言って、BIS提言・バーゼルⅢは結局大衆への犠牲押し付けである。いまの経済・金融危機を立て直すのに何の役にも立たず、むしろ危機を進化させるだけだ。それはスティグリッツの指摘のとおりだ。

金融システムの安定化はたしかに重要だが、そのために途上国がふたたび「失われた十年」と「絶望の十年」を繰り返すのは大間違いだ。

突然、主語が変わるのだが(なぜならアルコールが入ったからなのだが)、僕らには責任があるじゃないだろうか。世の中こんなにしてしまったのは…

気がついたら、世の中引っ張っているのはボンクラばかりだ。ボンクラだと思って馬鹿にしていた連中が、アホの癖に変に世渡りだけはうまくて、いつの間にか世の中をいいようにしている。
それは結局、俺たちが「総論はいいから」と言って各論で突っ走ってきて、それを下の連中が真似て、そんでもって、こんな世の中になってしまったんじゃないか。

たしかに僕たちはがんばってきたし、すごい社会を作り上げてきたと思う。しかし、少しばかり前頭葉の働きが足りなかったんじゃないだろうか。

もう彼らは僕たちの言うことは聞かない。でも彼らをそうさせたのは僕らの責任だ。
だから僕らは原発について、イノチについて、科学について声を上げなければいけない。
「それはまちがっている」と、「そういう考えは正しくない」と、「それはもう通用しない」と…

赤旗に鳥畑さんが寄稿したもの。
金融危機に際して各国中銀が金融緩和を行った。
これは、民間金融機関の持つ金融資産を買い取る形で融資する(正確には資産担保証券)という方法を取った。ところがこの中には相当数の不良債権が混在している。
これは国家が時限爆弾を抱えたようなものだ。もちろん各金融機関の経営が軌道に乗れば戻すことを前提にしているのだが。預かっているうちに爆発しないという保証はない。

この「不良資産」が急速に膨張している。この記事では、各中銀の資産残高が一覧表にされている。

QE2の旗振り役バーナンキのお膝元、米FRBは08年9月の9千億ドルから12年3月の2兆9千億ドルに増やしている。実に3倍強である。
中身も問題で、その1/3にあたる9千億ドルが住宅担保証券(MBS)である。これはいまや紙くずに過ぎない。

当初このQE2は緊急避難措置とされたが、いまだに出口は見えていない。それどころかいっそうの金融緩和措置、QE3をもとめる声が後を絶たない。

他の国はどうか、
イングランド銀行はアメリカ並みの322%、欧州中銀は199%、日銀も「いやだいやだ」といいながら、123%に増やしている。

これらの銀行は、まともな金融を支える最後の砦だ。これらが破産すれば世界は破滅するといってよい。
物物交換の世界が再現し、信用で膨らんだ経済は10分の1に収縮する。
それを防ぐにはタックスヘイヴンの銀行を打ち壊し、金銀財宝をばら撒くしかない。

国際決済銀行(BIS)が、世界各国の金融緩和政策の長期化に警告を発し、「金融政策の限界」を唱えた意義はそこにある。

「もう金融政策で時間稼ぎをしているご時勢じゃありません。経済政策です。それは政府が考えることです」ということだ。
所得の再配分機能がうまく働いていないことに最大の問題がある。それはグローバル基準と国際競争力強化の掛け声の下に、福祉国家政策を排除した結果である。

すみません。8月4日の内閣不信任案の記述、間違っていました。
参議院にも決議案出せると思っていたのですが、これは衆議院のみの権限のようです。入試のときに一般社会は選択していなかったので。
衆議院は元々民主党が350議席持っていたので、自民・公明が不信任に回っても過半数には足りません。民主党内から15人以上の造反が出ないとダメみたいです。
だから成立しないのが確実なら、自民・公明も悩む必要はないのです。ところが、民主党に残留する鳩山派が二度目の造反を行えば、15に届く可能性もありそうなので、焦っているわけですね。

では参院はなにも出来ないかといわれると、問責決議というのはとれるのです。問責決議が採択されてもただちに辞任する必要はない。しかし問責決議を受けた内閣が消費税法案を強行できるかというと、これはけっこう難しい。
しかも、参院の場合は自・公が賛成すれば、元々民主党は過半数割れしているので成立してしまう。
そうなると、自・公はますます悩むわけです。なにせ消費税が通ったらやると公言してきたわけで、いまだとダメだという根拠はないのです。


日曜のNHKテレビ討論は面白かった。司会者がこの話を意識的に避けるのです。国民が一番聞きたいのは、七党決議が提出されたらあなた方どうするんですか、ということなのにいつまで経ってもそこに行かない。とうとう最後まで触れずに終わってしまった。

ところでウィキペディア読んでいて面白かったのは、内閣信任決議というのも提出できるんですね。これが否決されると、事実上不信任決議と同価になる。

七野党で信任決議案を出してもおかしくない。採決のときに気が変わって反対に回っても、そこは政治の世界、一寸先は闇というじゃありませんか。

こちらのほうが妖刀村正、自民党が踏む踏み絵としてはきついところがありますね。

もうひとつは、内閣信任決議案が内閣不信任決議案に優先して審議される慣例があることだ。だから自民党が独自の不信任決議を提出しようとした際には、これで先手を打つことも出来る。


世の中、空前の金余り時代というのに、多くの人々は金欠に苦しんでいる。
米連銀にはQE2に続く金融緩和の圧力が強まっている。
ボルカーが言うように、現代における最大の問題は過剰流動性の問題である。
それは投機資本というイナゴの大群となって、世界中を食い荒らしている。
そしてその最大の被害者が民衆であり、国家である。

当面の危機を回避するために、さらなる金融緩和を行わなければならないことには異論はない。
しかし根本的な解決策がなければ、それは症状の悪化をもたらし、国家を破産に追い込むことになる。

ことは財政ではない。経済の仕組みそのものである。


時々、貧血のお母さんを見受ける。聞くと1歳を超えた子供にまだ授乳しているという。私はただちに断乳するようすすめている。
小児科の医者は母乳で育てることには意欲満々だが、離乳の問題には興味がないようだ。だいたい小児科の医者は小児的だ。
「母親は私の担当ではありません」ということなのか。

国家に対して金融資本はあまりに大きくなりすぎている。消費税で歳入を補うということは、身を切って母乳に代えるということだ。こんなことをしていたら母体が危うい。「子供本位」の思想を煽り立てるのも、ほどほどにしてほしい。


以下の一節は、

河野慎二
/ジャーナリスト・元日本テレビ社会部長

の書かれた文章から引用したものです。
マスコミ九条の会のサイトからいただきました。http://www.masrescue9.jp/tv/kouno/kouno.html


TBS「報道特集」の金平茂紀キャスターが、TBS「調査情報」(7・8月号)に「今、目の前で進行している<反動>について」という 一文を寄せている。その中で金平氏は「僕らの目の前でいま起きていることは、認識の転換どころか、旧来の慣性・惰性=イナーシアにしがみつくことだったり する。それをあからさまに<反動>と呼んでもさしつかえないだろう」と指摘する。

  金平氏は「それはどういうことか」と問いかける。それは「<3・11>を忘れ去ること。<3・11>がなかったことのように振る舞うこと。<3・11>以前と同じように生きること。<3・11>以前と同じ価値観に従って生きること」と分析。


これを原発支持派への4っつの問いかけとして、書き直してみたい

1.あなたは福島を忘れてしまったのですか?

2.あなたは福島を無視するのですか?

3.あなたは福島をなかったことにするのですか?

4.あなたは福島の前の生活を続けるのですか?

公聴会での中電社員のあきれた発言。武田さんは怒りのあまり、論理停止の状況に追い込まれた。分かりますね。手を出したい気分です。たぶんこの社員は殴られたことなどないだろうから、殴られる痛みが分からないと思います。

「どうだ、痛てぇだろう。福島の人の痛みはこんなもんじゃぁねぇぞ」


我が家でステレオセットを買って、最初の頃にFMで聞いたのがアシュケナージのラフマニノフ第2番。バックはコンドラシンの指揮するオーケストラ(今度裸身と変換しやがった)だった。当然しびれますね、最初に聞いたときは。
いま考えると何にしびれたかというと、やはりステレオの響きだったんじゃなかったのかと思う。とにかく度肝を抜くほどいい音だった。テレビを横長にしたような箱に4本足がついていて、その二つのスピーカーのあいだ、ちょうど正三角形の頂点になるところに頭をおいて、体いっぱいに音波を受け止めるみたいにして聞いたものです。
それから10年、嫁さんが嫁入り道具代わりにリヒテルのレコードを持ってきた。これはあまり感心しなかった。その後は流れていれば聞くという程度。
それが最近、ツィメルマンで「さすが良いですな」と思っていたら、今度は続けざまにルビンステインを聞くことになった。最初はオーマンディー指揮フィラデルフィア管弦楽団で、当たり前にいい演奏。しかしいかにも一時代前の演奏だ。
つぎにライナー指揮シカゴ交響楽団がバックの演奏を聴いた。これが結構ぶっ飛ぶ。
巨匠ルビンステインが手玉に取られている。とにかくオーケストラが“マシーン”として半端でないのだ。音もオーマンディー盤より10年以上も前、ステレオ最初期の録音なのにオーマンディー盤をしのぐ音質だ。
決して名盤とか、決定版というのではないが、ライナー指揮シカゴ交響楽団のすごさを聞く録音だろう。

東方淑雄さんという方が、社会福祉論をめぐって大変面白い論文を発表されている。「社会福祉に関する経済学論争史―社会福祉はなぜ福祉経済学の論争の歴史を学ばなければならないか―」という題名で、名古屋学院大学論集 社会科学篇 第44 巻 第2 号(2007 年10 月)に掲載されたようだが、下記からネットでも閲覧できる。

http://www2.ngu.ac.jp/uri/syakai/pdf/syakai_vol4402_03.pdf

ただちょっと気になるのが、「第2次世界大戦前の日本の社会科学の理論領域では、すでにピグーの“The Economics of Welfare”が「厚生経済学」と訳されていたのであり,その訳語が1938(昭和13)年に創設された「厚生省」の命名の起源にもなる」との記載だ。

ピグーの『厚生経済学』は1920年に出版された。この本にいち早く注目し日本に紹介したのは福田徳三という学者だった。福田徳三については一橋大学の西澤保さんが懇切丁寧な紹介をされており、そちらを参照されたい。http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/59/nishi/main.html

“Welfare” を厚生と訳したのは福田徳三であったが、なぜ「厚生」と訳したのかはこの文章を見ても良く分からない。福田は「価格闘争より厚生闘争へ ―殊に厚生闘争としての労働争議―」という論文を1921(大正10)年の『改造』に発表したとあるから、30年に「厚生経済学」の日本語版が出る10年も前から、「厚生経済」という言葉は巷間に流布してはいた。

しかし、こういう「危険思想」は、太平洋戦争前夜の日本では払拭されていたと思われる。少なくとも発想の方向はマギャクだ。「福祉国家」Welfare State は時のカンタベリー大司教がナチス・ドイツに対抗して提唱したスローガンである。「ドイツは戦争国家:Warfare Stateだ。それに対して我々は福祉国家:Welfare Stateだ」と演説した。つまりまず「戦争国家」という言葉があって、それに対抗して一種の“語呂合わせ”みたいな形で生み出された「造語」なのである。

これに対し、「厚生省」の由来はどうか。ウィキペディアでは次のように書かれている。

厚生省は、陸軍大臣寺内寿一の提唱に端を発し、国民の体力向上、結核等伝染病への罹患防止、傷痍軍人や戦死者の遺族に関する行政機関として設置された。

「書経」の「正徳利用厚生惟和」から厚生省と名付けられた。
当初、「保健社会省」と命名する予定であったが、枢密院審査委員会において南顧問官が厚生とするよう提案したとされる。

書経といわれても良く分からないが、厚労省のホームページには以下のように書かれている。

厚生ってなに? この語源は、「正徳利用厚生」(書経)で、その蔡伝(さいでん)にあるとおり、「衣食を十分にし、空腹や寒さに困らないようにし、民の生活を豊かにする」という意味です。

ということなので、「生を厚くする」と訓むのでしょう。「厚くする」というのは、豊かにするというより大切にするというニュアンスではないでしょうか。「厚遇」するなどという表現もありますね。

もし当時の知識人にとって「書経」が共通の素養とされていたのなら、福田も同じ「書経」からWelfare の訳語を求めたのかも知れない。しかし昭和13年の時点において枢密院の顧問官を務める人物が、とうの昔に発禁本となっていたはずの福田の文章に通じていた可能性は、かなり低いと見るべきではないだろうか。

ただ厚生省の英語表記がMinistory of Welfare であることも間違いない。これは設立の当初からそうだったのか?それとも戦後に変わったものなのか?


おぎゃあと生まれた赤ん坊に「私」という概念はない。体内においては母体の一部であり、生まれる瞬間まで臍帯を通じて命を共にする母親の一部である。

ヘーゲルのいう「自己意識」はここから出発する。

今日では、ここから人間として成長していく経路はふたつに大別される。一つは成長すべくプログラムされた遺伝子の発現であり、ひとつは自らが行動・実践により学び成長していく過程である。ヘーゲル以後の科学の進歩は、それまで学習・成長の過程と考えられていたものの多くが、実は内在する先天的な素質の発現によるものでありることを明らかした。かなり高等な社会的行動までも、生下時にはすでにインプリントされているとされるようになっている。

いっぽうで、「本能」としてインプリントされた遺伝的素質も、その発現には一定の条件が必要であることも明らかになっている。

たとえばこれまで当然と思われた「母性本能」すら、今では怪しくなっている。動物園の獣が授乳を拒否したり、赤ん坊を殺してしまうなどのニュースを耳にすると、そういう思いを抱かざるを得ない。もっと言えば、本能としてインプリントされたものの中には、実は「子殺し本能」とも言うべき素因も含まれているのではないか。

レミング(ネズミ)が集団で水に飛び込み溺死する話は有名だが、ウィキペディアによると、実際には一部が渡河の際に事故死するだけのようだ。

ここまで、個別にはあまりたしかでない根拠に基づいて論を進めてきたが、それにもかかわらず、確実なことが一つある。それは人間がたとえプログラムされた素質に基づいて発達していくにせよ、他者=人間集団の介在は不可欠だということだ。

ヘーゲルの自己意識論はこの辺をうまく説明していると思う。自然科学的な厳密さで証明できるのは、赤ん坊における生きる力はまず欲望として表出するということ、赤ん坊が学習するのはその欲望が満たされることを通じてであること。満たされない欲望は学習の対象とはならない。

欲望を表出しそれが受容されるという円環は、パブロフの条件反射にも似たサーキットを形成する。

この過程は二つの他者を形成する。一つは欲望を表現する自己の身体機能であり、もう一つはそれを受容するものとしての他者である。自我の分離は二重に進んでいく。今までは胎盤を通じて押し込まれていた栄養が、何らかの身体機能を通じた信号(ひらったく言えば泣くこと)によってしか獲得できなくなるというのは一つの危機である。

母体との分離という生物学的事象は、母親との結合という人間的事象によって代償される。“生物学的には分離するが社会的には一体化する”という現象が生起することになる。しかしこれらの過程はまったく意識することなしに進行する。なぜなら赤ん坊には「自己意識」はないからである。

ここのところはヘーゲルにとっては勘所であり、絶対にはずせない過程なのだが、世間一般では割とどうでも良いプロセスになっている。最近は産休後引き続き育休に入るのが当たり前になっているが、我々の世代では女性は歯を食いしばって働いていた。ゼロ歳児保育といって、3ヶ月の産休明けには職場に復帰し、赤ん坊は物心つく頃には保育所で哺乳瓶を吸っていた。

ではそれより前の母親たちが赤ん坊と一体化するほどに濃密な母子関係を形成していたかというと、それも違う。昭和20年と21年は谷間であり、その後にベビーブームが来るのだが、実はその前もベビーブームではあったのである。戦前から戦中にかけては「生めよ増やせよ」の掛け声の下、子供が量産された。10人兄弟など珍しくもなかった。「おそまつ君」の世界は当たり前だったのである。

実態としては赤ん坊は放置されていた。洗濯機も冷蔵庫も電子レンジもない時代、主婦の労働は大変だったのである。

そんでもって何をいいたいかというと、母親との関係を持って最初の人間関係だとは言い切れないということだ。もちろんそれは大切だが、基本は家族を中心とするコミュニティー関係が彼と一体のものとしてまず登場するということだ。

「人間は社会的動物」だといわれる。その言葉はいろいろな意味にとれるが、一番狭い意味で考えると、こういう損得抜きのコミュニティー=家族・親族という義理の及ぶ世界が最少単位なのではないか。(それは現在日本で流通している家族・親族範疇よりもう少し広いと思うが…)

AudioGate への賞賛を多少割り引かなければならない。
たしかに高音は伸び、輝きを増す。低音は唸るように迫る。ダイナミックレンジは広がり、弱音も手にとるように聞こえる。
しかし細かいパッセージは消えてしまう。切れ込むような鋭い音もカドが取れてしまう。バイオリンの弱音でのかすれるようなため息も聞こえない。
ようするに音色は派手になるが、ばばあの厚化粧で、濁りが出てしまうのである。

このところムーティ指揮バイエルンRSOの演奏するシューマンの交響曲第4番が気に入っていて良く聞いている。この録音はコンサートライブで、ダイナミックレンジも押さえられ、高音も詰まる。しかし中音弦がよく聞こえて、室内楽を聴いている趣があって、これはたぶんムーティの演出なんだろうと思うが、とても興奮させる。

これをいつものfoobarでなくAudioGate で聞くと、もうまったく違う演奏を聴いているようだ。肝心の中音弦のトレモロやグリッサンドがどこかに消えてしまっている。つまりシューマンではなくなってしまっているということだ。

ところが、モーツァルトのバイオリンソナタを聞くとこれが猛烈にいい。ギル・シャハムのK305もお気に入りの演奏だが、AudioGate で聞くとクリームのように濃厚だ。アンネ・ゾフィー・ムターのボディコン・ドレスを思い浮かべてしまう。

AudioGate の編集→設定でレイテンシーという項目があって、デフォールトでは1024になっているが、これを下げるとだいぶ事情は改善するようだ。もちろんWASAPIはオンにしなければならない。

たぶん一定の時間幅の音を重ねて、それから演算してFレンジやDレンジを稼いでいると思うのだが、その分時間分解能が犠牲になっているのだろうと思う。

もう少しいろいろな曲・演奏・録音で聞き比べて見なければならないが、曲や演奏の性格にあわせてfoobar とAudioGateを使い分けしていくことになる化も知れない。どちらが基本かといわれれば、当面はfoobar ということになるのだろう。

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