鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

どうもはっきりしないが、渡辺氏のその後の文献にはマンローに対する言及は見られない。たぶんセリグマン夫人と渡辺氏は絶交状態に入ったのであろう。
しかし二人が絶交するのは構わないが、とばっちりでマンローまで言及なしというのは、いかにも大人げない。同じ道を歩いた先輩への敬意は、多少の見解の違いはあっても形にあらわすべきだろうと思うが。

なんだろうかとネット上を探したが、みな口をつぐんでいる。やっと見つけたのが木名瀬高嗣「アイヌ民族綜合調査」というPDFファイル。

結構長いので要約紹介する。



1.序

1950 年代の北海道で大規模なアイヌ調査が行われた。それは、「アイヌ民族綜合調査」と呼ばれる。

調査目的は下記のごとく示されている。
アイヌ民族について幾多の調査研究が行われて来たが、未だアイヌ民族の人種的民族的系統、固有文化の本質は十分に解明されたとはいえない。
一方、アイヌ民族固有文化は急速に消滅しつゝある。
アイヌ民族は文化的、社会的経済的条件も決して恵まれたものとはいえない。アイヌの福祉政策のためにも、基礎調査が必要である。

2.「アイヌ民族綜合調査」の組織構造

この調査は日本風の「ミンゾク学」(民族学/民俗学)ではなく、英米流の「文化人類学」「社会人類学」という機能主義的な社会理論のもとに行われた。

調査の構成メンバーは「文化人類学」「形質人類学」そして「北海道諸学者」の三者から成り、「沙流アイヌ共同調査報告」はそのうちの前二者による成果である。

その中核を担ったのは、泉靖一と杉浦健一という2 人の人類学者で、戦後の東京大学文化人類学教室の草創期を担った人物として知られる。
彼らは1952 年3 月刊行の『民族学研究』16 巻3・4 号(合併号)に「沙流アイヌ共同調査報告」で研究論文を発表している。

それらはいわば未完の企図にとどまり、学問領域の内部で再検討の対象として顧みられることはなかった。

「 北海道諸学者」(北海道大学を中心とした)

「北海道諸学者」の分担した調査について東大の研究者はまったく期待していない。「速やかにその報告の発表されるのを待っている」と述べるのみである。

新しい理論枠の影響を強く受けるた中央の「文化人類学」者たちは、旧来からの素朴で記述的な方法に基づく個別民族誌の研究にとどまる者たち(金田一京助や高倉新一郎ら)を区別していた。

それらのアイヌ研究者は北海道ばかりでなく全国の学界に分布した。金田一京助門下で東京学芸大学教授であった久保寺逸彦がそれに相当する。

以下は木名瀬さんのキツーイ総括
理論研究の中央に位置する(と自認する)「文化人類学者」集団が、「北海道諸学者」と一括された「ミンゾク学者」とアイヌの「アイヌ人情報提供者」という周辺化された二重のエージェントを媒介としてアイヌを〈知〉的に搾取・収奪することが「綜合調査」の中心的な構造であった。


3.アイヌの激烈な反応

調査の中心を務めた東大の泉靖一は、アイヌから激烈な反応を受けたという。
「何故アイヌが胴が長いなどと、つまらぬことを云って、シャモと差別するか」「何故つまらぬことをしらべて金もうけするや」
「どうして調査するならば、もっと有益な生活の為になるような調査をしないか」立つづけにまくし立てられる。
これが毎日新聞の署名記事(藤野記者)として書かれたのだが、木名瀬氏によればその記事は
暗い色調の底に哀愁とロマンティシズムが漂う文体で貫かれた筆致はどこまでも第三者的で、ときに冷笑的と映る場面も少なくない。

ということで記事が紹介されている。以下その一部
道東、白糠の町を、アイヌこじきが歩いていた。軍隊服にアカじみた外被、うすい背中に全財産をつめこんだリュックが、軽くゆれている。
酒屋から隣りの雑貨屋へ、親指の出た地下タビはよろめいて、年はもう七十才は越しているだろう。
写真をとられていることに気づいたらしい。さっと道ばたにかがみこみ、ふり返って、カメラマンをにらみつけた。両手には大きな石が―。
財布をとり出すと、敵意をむき出しにした老アイヌの姿勢が、とたんに、ゆるんだ。
「モデルだろ、どんな格好すればいいんだ」
そして酒くさい息をはきながら、身の上を語った。
たしかに木名瀬氏のいうとおりだ。「アイヌこじき」の表現には「夜の街」同様ギックリだ。

渡辺氏がこの調査に参加したどうかは分からない。しかし東大人類学教室所属の渡辺氏がマンローへの「細かな異同」として持ち出したのが、この調査に基づくデータであることは間違いなさそうだ。

それにしても マンロー Labyrinth だな。すっかりハマったね。他にやることあるのにね




イントロダクション
渡辺仁

ブリティッシュ・ミュージアムのデジタル図書にこの本があって、一応全部閲覧可能にはなっているらしいのだが、途中でちょん切れている。
しばらく進むと、突然セリグマン女史の注釈が出てきて、「渡辺氏の文書」にはマンローとの原著との間にいくつかの食い違いがあるというくだりへと続く。

そして突然本文の第1章が始まる。

途中欠落があるのか、とにかく不思議な体裁だ。

とにかく切れるところまで、訳を入れておく



THE AINUは北海道、サハリン南部、そして千島列島の先住民です。 彼らは、そのひげを生やした体、ウェーブのかかった髪、長い頭で有名です。

1939年の北海道のアイヌ人口は16万人と推定されており、1854年からおそらくほとんど変化がありません。サハリンと千島(クリル諸島)にはさらに10,000人が散らばっていた可能性があります。

北海道は、本州の本島の北、北緯41度30分から北緯45度3分、東経140〜145度の間に位置する、約30,000平方マイルの島です。北海道の北端はサハリンから約20海里離れており、北東にはクリル諸島がカムチャッカに向かって伸びています。

 北海道の気候は亜寒帯です。年間平均気温は5.2°Cから7.6°Cの間で変動し、11月から5月にかけて雪が長く続きます。島はモミ、トウヒ、シラカバ、オーク、ニレがよく樹木が茂っています。

 川のほとんどは、島の中心を北から南に流れる山脈に沿って流れています。山ではヒグマとシカが見られ、5月から10月までほとんどの川でサケが回流してきます。かつてアイヌは狩猟や釣りを中心に暮らしており、山菜や果実も採集されていました。

アイヌと日本人の接触は長く続いており、さまざまな形をとっています。 1599年以前は、一般の日本人はアイヌとの接触を制限されていました。

 1599年、北海道の南西端(松前)に根拠地を設立した日本人は、徳川幕府から「松前氏」として認められました。彼らは、松前藩の藩領(松前)として、この地域および隣接地域の所有権を与えられました。松前藩域でのアイヌ人の定住は、すでにそこに確立されたものを除いて禁止されました。

日本の民間人はまた松前藩のエリアの外に住むことを禁じられました。松前はアイヌとの独占的貿易権を有し、沿岸に貿易・漁場を設けました。

 彼らは米、米ワイン、タバコ、塩、フライパン、ナイフ、斧、針、糸、漆器、装身具などを、鮭、皮、工芸品、および満州の装身具や衣類などの本土の特定の商品と交換しました。

この間、アイヌは独立を維持しました。

 しかし1799年、北海道のこの地域は、ロシアの商人の侵略から日本の利益を守るために、徳川幕府の直接の支配下に置かれました。

 当時、北海道沖には外国船(オランダ、ロシア、英国、フランス)がよく見られ、北太平洋におけるロシア人の植民地化が活発化していました。徳川政権は、千島列島がロシアの植民地化するのに危機感を持っていました。(1771)。

 商取引の成立を願ってロシアの船が北海道沿岸にやってきました(1779年)。その後、ロシアは代表を日本に送り、外交関係を結ぶことを望んだ(1792年のラクスマンと1804年のレサノフ)。

 交易所は軍事ポストになり、日本人はアイヌ地域に限られた行政組織を設立しましたが、防衛のために必要な場合を除いて、彼らの内政にほとんど干渉しませんでした。貿易は以前と同様に続きました。

1821年、松前は再び領土を管理し、従来の政策を続けた。アイヌはこれらの沿岸の交易所周辺で日本人によって雇われるようになりました。

1854年から1867年にかけて、北海道南西部は再び徳川幕府の直下に置かれました。1868年に島は日本の領土の一部となり、アイヌ文化を大きく変える植民地化の過程が始まりました。

今日、アイヌ語はめったに話されておらず、その後は高齢者のみが話しています。 純血のアイヌはほとんど絶滅しています。 そして伝統的な経済全体が大幅に変更されました。

日本政府は北海道に行政本部を設置した。

アイヌは日本国勢調査の登録簿に含まれ、それらの領土はアイヌと日本の開拓者の両方に土地の区画を許可するために制定された土地法で政府の財産になりました。

アイヌはサケを釣ったり、…


どうもさっぱりよくわからないのだが、セリグマン女史の言い分によると、渡辺氏はこのイントロダクションで、どうも自分の数字や自分の見解をどしどし突っ込んでいるみたいなのだ。
ひょっとすると、渡辺氏はマンローの所説をあまり読まないで、自分の数字を入れたのかも知れない。

こうなると、どちらが正しいかというのではなく、ある本の紹介を頼まれた人間がとる態度としてどうかということになる。

この話は、とりあえずなかったことにしておこう。真相がわかればその時点で書き込みたい。

マンローーについて書かれた最良の日本語文献は桑原さんのドキュメンタリーです。しかしこれはマンローー亡き後の関係者からの聞き書きを集めたものです。
マンローーが日本語もしゃべれないままに50年も日本に居着き、最後は北海道の山の中で敵国人として冷たい目を浴びせられ、生活の糧も奪われ死んでいく過程というのはなかなかわからないところがあります。
その点で、マンローが心を許し頼みとしたイギリス人考古学者セリグマンへの手紙は、その内心を知る上できわめて貴重なものと言えるでしょう。
「アイヌの文化と伝統」はマンローの遺稿集です。これをセリグマンの妻で同じく考古学者だったセリグマンが一冊の本にまとめ上げました。
セリグマンの書いた序文はマンローの手紙の内容を駆使して書かれており、マンローの「アイヌ観」を知る上で最高の文献だろうと思います。ここでは全文をそのまま訳しておきます。
後半は校閲者の渡辺仁に対する反批判のような中身になっていて、どうも前後関係とかがわからないと意味が読み取れません。
渡辺氏は後に東大教授、北大教授を歴任し、この世界のボスになった人です。この後マンローについて言及した様子はなさそうで、彼がマンローを黙殺すれば、学会も黙殺せざるを得なかった可能性があります。もう一つは1950年代前半に東大の文化人類学教室が中心になって「アイヌ民族綜合調査」というのが行われ、既存の「北海道諸学者」の学説が随分批判されたらしい。そこまで関連付けるべきかわからない。とりあえずこの本に収録された渡辺氏の「紹介」を読むことにするか。
若干ややこしくて煩わしいところもあると思いますがご了承ください。



序文  B・Z・セリグマン

NEIL GORDON MUNROは1863年にエジンバラで生まれ、教育を受け、最終学歴として医学を学びました。

卒業直後、彼は極東へ向かいました。最初はインド、その後香港を経て日本へと旅を続けました。

 1893年に横浜の総合病院の院長になり、時々ヨーロッパに戻ったが、その時から死ぬまで日本を我が家としました。(“時々”と書かれているが、1回のみである)

 彼は日本の先史時代に興味を持ち、とりわけアイヌの人々の伝統と暮らしに関心を集中するようになりました。彼は19世紀末からの20年間に、何度もアイヌの人々のもとを訪れています。これまで出版されたアイヌ関係の著作は次のとおりです。

1.「日本の原始文化」 日本アジア協会の連載記事 Vol。 34、1906。
2.「先史時代の日本」 横浜 1908年 エディンバラ 1911年。
3.「ヨーロッパと日本の巨石群に関する考察」 横浜、1909年。
4.「いくつかの巨石群: 起源と遺物」 横浜、1911。
その他の雑誌にアイヌと自然に関するさまざまな記事を載せています。

彼は貴重な先史時代の遺物のコレクションをエジンバラ博物館に提供しました。

二風谷定住への経過

後年、マンローは軽井沢療養所の院長を務めました。その任が解かれ、軽井沢での診療と並行して長期の自由行動が許可されると、夏は軽井沢で働き、それ以外は北海道に長期滞在するようになりました。

その頃から、彼の主な関心は先史時代の考古学的研究から、アイヌ人の生活に関する民俗学的研究に移っていきました。アイヌの生活を見るにつけ、マンローの嘆きは深くなりました。

当時アイヌの人々は、長年の狩猟と食料収集の生活をあきらめ、農業から生計を立てるために働かざるを得なくなりました。彼らは貧しく、アルコールに溺れ、人生への興味を喪失し退化していました。その数も疫病などにより減少していました。

セリグマンとの出会い

1929年に私の夫、故C. G.セリグマン教授(F.R.S.)は日本を訪れました。軽井沢まで出向いてマンローに会いました。そのとき、セリグマンは1923年の大地震で、マンローのアイヌに関するすべてのメモ、標本、写真が失われたことを知って愕然としました。

マンローは自費でアイヌの研究を行ってきましたが、震災で深刻な経済的損失を被り、研究を続けることができなくなっていました。

セリグマンはそれまでの交流の中で、マンローの正確な観察力とアイヌへの知識、アイヌの人々への親密な観点を確信していました。

そこでイングランドに戻ると、セリグマンはマンローが調査を続けることができるように、ロックフェラー財団に研究資金を申請しました。

 1930年に資金が供与されると、マンローはすぐに北海道の沙流川流域の二風谷に小さな家を建て、そこに定住しました。そしてアイヌの生活と伝統について集中的に研究を始めました。

彼の仕事の方法はクリニックを開くことでした。彼の妻は訓練を受けた病院看護師で、多くの患者をこなすことが出来ました。二人はクリニックに群がったすべての人に無料の治療を与えるました。

アイヌの人々はマンロー夫婦を信頼しました。そして待合室でうわさ話、歌、伝説、むかし話をする用になりました。待合室は、そこに来たすべての人のためのオープンハウスとなりました。

マンローは多くの長老(エカシ)と知り合いになりました。マンローは「友」とか「先生」と呼ばれました。エカシはマンローの貴重な情報提供者となりました。

1932年、2番目の不幸がマンローを襲いました。12月のある朝、夜明け前に、マンロー夫婦の自宅兼クリニックである二風谷の茅葺きの住居が焼失しました。

マンロー夫妻は炎から脱出しました。マンローはアイヌの研究メモを保管していたブリキの箱をなんとかして救いました。しかし彼のすべての所持品、彼の本、彼の写真や他の科学資料は焼けてしまいました。

北海道の冬の厳しい寒さは老マンローを痛みつけました。健康は損なわれ、その後遺症は彼を一年者あいだ苦しめ続けました。いつ軽井沢に戻って夏季療養所で仕事をしたのか、また年間を通じて北海道に留まったのかは定かではありません。

しかし、彼は屈しませんでした。

セリグマンはさらなる助成金を申請しました。 1933年にロックフェラー財団はもう一度寄付を行いました。さらに王立協会と英国科学振興協会からも助成が行われました。 日本アジア協会からの支援もありました。

大英協会内のアイヌ研究小委員会が結成され、これには現在、ダリルフォード教授、ラグラン卿、F.S.A。、アーサーD.ウェイリー、C.H.、C.B.E.、F.B.A。が含まれ、私自身が議長を務めています。

1934年、モンローはセリグマンあての手紙で、永遠にアイヌに留まるつもりだと書いています。

この手紙の中で、アイヌに関するさまざまな研究成果が語られています。

彼はアイヌ語で録音し、翻訳しました。数多くの歌と伝説、さまざまな病気の治療のための50の祈りが採集されました。また困難な出産のときのさまざまな治療、そして儀式と悪魔払いの儀式の説明を書き記しています。また、音楽や娯楽についてもメモをとっていました。

村で興味深いセレモニー(多分イヨマンテのこと)が行われたときには、映画を撮影しました。映画の出来栄えに満足しなかったので、2回目のときは、プロの写真家に撮影を依頼しました。そして写真家の指示の下で働いたり、スチール写真を撮ったりする役に回りました。

 マンローはまた妊娠、出産、精神の瞑想、病気の治療に関連する儀式の映画などを撮影しました。儀式の踊り、醸し酒の儀式、そして熊を犠牲に捧げる儀式も撮影されたといいます。

 残念ながらこれらの映画は消失し、最後の一巻だけが英国に届きました。それは 現在、王立人類学研究所が所蔵しており、1933年1月10日から展示されていました。

 最近、ポジティブが元のネガから作成され、1961年9月のアテネの Comité International du Film Ethnographique et Sociologique (文化人類学映像に関する国際委員会)の会議で示されました。

クマの儀式は、すべてのアイヌの儀式の中で最もよく知られています。マンローも何度か目撃しましたが、彼の本のなかではきちっとした説明はされていませんでした。

マンローは、「家の中で行われる祭りはイヨマンテの前半を構成する。それは新築祝いの式典に似ている」と述べ、儀式のために準備されたイナウの写真をセリグマンに送りました。

熊送り(イヨマンテ)のため、熊の子が捕らえられました。熊の子は細心の注意と敬意をもって世話をされ育ちます。熊の子は神の代表として、ときには神(カムイ)自身として扱われました。

適切なサイズに成長すると、檻に入れて育てられたクマは広場に引き出され、儀式的に殺されました。これがイヨマンテの後半部分を構成します。 

マンローはなぜか、アイヌの宗教についての本で、この最も重要な儀式を説明していません。それは重大で不思議な省略のように思われます。

そのため後の出版に際して、私(編者 B.Z.セリグマン)はマンローが映画(イヨマンテを撮影したもの)のために書いたキャプションから作成した説明を追加しました。

アイヌはまた狩により捕らえた熊を殺すときも類似の儀式を行いました。マンローはその儀式も何回か見ていますが、これについて書かれた報告は見当たりません。

この儀式についてはバチェラーが以前手短に説明を加えています。それがヘイスティングスの 『宗教と倫理の百科事典』第1巻に紹介されています。

マンローの最晩年

さて研究発表ですが、さまざまな悪条件により、マンローの予想よりも作業の進行が遅れがちになりました。二風谷の冬の厳しい気候と陸の孤島のような孤独な生活は、彼の健康を著しく損ないました。

マンローは出来上がった原稿の大部分を、1938年頃までにセリグマンに送りました。その間セリグマンは、マンローがなんとか生活できるようにと個人的な資金源からお金を集めました。

それは本の形で章立てて整理されました。しかしそれは完全ではなく、すぐに本にして出版できるほどの準備ができていませんでした、そして熊送りの説明も含まれていませんでした。

これらのポイントについて、マンローとセリグマンの間に手紙のやり取りがあったのですが、それは1941年の日本の世界大戦への参戦によって突然打ち切られてしまいました。


マンロー夫人と “貞操帯

戦後、私(セリグマン)はイギリス領事館から「マンローが1942年4月に亡くなった」という知らせを受け取りました。そのあとマンローの妻の住所はわからないままでした。

マンローはその手紙で彼女のことに何度も言及していました。その文面から、妻はマンローの診療の仕事を仕切り、家計を維持し、マンローの健康を守ってきたことがわかります。それだけでなく、彼女はアイヌ民俗の研究においても貴重なはたらきをしてきました。

長老はマンローに、女性が服の下に身に着けていた秘密の貞操帯(ウプショロクッ)によって魔法の力を行使できると言っていました。

(ウプショロクッは結婚した女性が下着を締める飾り紐で、強いられたものというより、女性の誇りを象徴する意味を持つ)

マンロー夫人はアイヌの女性たちにエカシの言葉を伝え、女性は自信を感じるようになりました。そのおかげで、マンローはこの主題を追究できました。そしてウプショロクッがアイヌの社会組織で重要な役割を果たしていることを発見できたのです。

マンロー夫人はアイヌの女性5人に、自分のウプショロクッの正確なコピーを織るよう依頼しました。そして出来上がったウプショロクッはのちに大英博物館に与えられることになりました。


マンローの研究態度

アイヌの習慣に関するマンローの記事が、メディアにたくさん掲載されたのは1934年のことです。彼は秘密のガードルが母系相伝することを報告しました。さらにそれらの持つ魔法の力、共同体における意味と重みについて言及しました。

マンローがアイヌ文化について本を書く目的は、アイヌの人々の慣習を注意深く観察し、報告するだけではありません、それは世界全体、特に日本人にアイヌの生き方を提示し訴えることでした。

アイヌの文化には考慮に値する価値があり、彼らは不条理な迷信だけを信じている未開の民ではありません。

 マンローはこの見解を一貫して強調しました、アイヌ人には、不合理に見えるかもしれない信念や儀式があります。それを記録するとき、彼はヨーロッパの民俗習慣と比較し共通点を見出すために苦労しました。

 実際、彼の未発表の記事の1つに発表の機会が与えられたため、彼はこの本をアイヌに対する「寛容の嘆願」にすることを意図していました。

もちろん、いまこの本を読んでいる読者にとって、そのような嘆願は不要です。だからそのような「奴隷の言葉」は省略されています。

マンローの関心は、北海道南部の沙流渓谷の二風谷でとどまるものではありません。彼は地区の情報提供者と協力し、道北の北見を何度か訪問しています。彼はサハリンにも調査に行くつもりでしたが、それはできませんでした。

彼の主な情報提供者は、アイヌの伝承にまだ精通している年配の男性と女性でした。

もしマンローの努力がなかったら、その知識の大部分は彼らと共に消えたでしょう。なぜなら、古い生活様式は日本(内地)の影響力が増大する下で急速に姿を消し、新しい生活条件では古い儀式、信念、伝説は無視されたからです。

彼の情報提供者は、もう誰も生きているとは思えません。

マンローーはたくさんの素晴らしい写真を送ってきました。その写真とオリジナルの原稿はすべて王立人類学研究所に寄託されています。多くがこの本に掲載されています。しかし残念なことに、英国に届いたのは写真だけであり、ネガをたどることはできませんでした。

何が渡辺氏との見解の違いを生み出したか

戦争中の出版は不可能でした。終戦の後、改めて出版への模索が始まりましたが、原稿を校訂できる有能な人物を見つけることが大変困難でした。

幸運なことに私たちは、ロンドン大学に留学していたすでにさんとめぐりあうことができました。

 彼は東京大学人類学部人文研究所の講師で、東京アイヌ合同研究委員会の研究委員でもありました。彼には1950年から1952年までの4回にわたる現地フィールドワークの経験がありました。このため彼の援助は非常にありがたいものでした。

原稿についての一般的なコメントに加えて、彼は自分の経験と日本語およびその他の情報源から得た脚注を追加し、この本の歴史的意義についての紹介を書きました。

渡辺氏はマンローが準備した論文を閲読しましたが、他の記事や材料は見ていません。

彼は多くの細部にわたる違いや誤りを指摘し、マンローの主要な解釈の一つを批判しました。これらの訂正、追加情報は、すべて脚注に組み込まれています。

私は事実問題での違いを検討する際には、いくつかの条件を考慮する必要があるとかんがえます。

すでに述べたように、マンローーは20世紀前半の数十年にアイヌの住む地域を訪問し、1930年からはそこに住み、12年後に二風谷で亡くなるまで、そこは彼の家になりました。

1930年代ですでに、若い世代は古い慣習を守っていませんでした。彼の信頼できる情報提供者はすべて高齢者でした。彼の情報は、長老との話し合いのなかで知った出来事に補足され、基づいていました。

1950年代に東京共同研究委員会と渡辺氏が調査を行ったとき、宗教的思想は、すでに生きている信念というよりも、神学のシステムとして理解されていたかもしれません。
これが解釈の主な違いのいくつかの理由になっているでしょう。

事実の違いに関して、マンローは二風谷地区と他の信頼できる地区を参照したと指摘しました。彼は地区ごとのバリエーションの存在を予測していました。

「霊返し」の儀式

渡辺氏との解釈上の主な違いは、植物の精神的本質に関するものです。

 マンローは、シランバカムイという植物の神があり、すべての植物はシランバカムイからラマト(精神または魂)を枝分かれさせていると述べています。

木にもラマトがあります。木の種類によっては、他の種類よりも霊的な力が強いため、より神聖であり価値があります。

渡辺氏は、すべての植物は「霊の化身であり、すべての獣、鳥、魚、昆虫はカムイ族の霊である」と述べています。「カムイの国では霊は人間の形をしていて、人間として生きる」が、アイヌの村を訪れると「木や草などに変装」するのだそうです。

マンローによれば、この本で「霊返し」と訳した式典は、化身と霊を引き離し霊をカムイの地に帰すことです。

渡辺氏によると、野菜で作られた捧げものは、しらんばカムイという単一神ではなく、それぞれの植物の霊からその美徳を引き出しているといいます。

動物の世界に関しては、解釈の違いはそれほど大きくありません。

アイヌはすべての動物がカムイであると信じてはいないと考えています。しかし同じ種のなかに良い動物と悪い動物がいることを示唆しています、そしてこれはクマ、ヘビ、キツネとスズメバチで特に注目されます。

悪い動物からの保護は、カムイ族の首長に訴えることによって得ることができます。なぜなら良い首長は自分の悪い部下を抑制することができるからです。


アイヌ語の発音と語尾音について

主に口唇、口蓋、および口蓋音に関して、渡辺氏との違いも発生します。

マンローーはそれらをb、d、g(シランバ、イオマンデ、オンガミ)として、渡辺氏はp、t、kとして音訳します。 私はマンローのスペルを保持しました。一貫性を保つために渡辺氏のスペルを変更する必要がありました。

この決定を支持するために、私は二風谷(ニブダニ)がマンローが住んでいた村の公式の住所であることに言及しておきます。

アイヌ語の完全な歴史的・文化的記述とアイヌ語の構造を説明することは、マンローの目的の一つでした。彼はそれをアイヌの過去と現在と呼びました。

しかし、マンローが残した材料を検討した後、私たちの委員会は、「アイヌの過去と現在」まで語るには不足していると判断しました。そしてこの本には、「儀式と信仰、そしてアイヌの日常生活への影響」に限定して扱うのが最善であるという結論に達しました。

 マンロー本来の意図を反映するためには、ノートからラグラン卿が編集した「アイヌの家の建設」に関する記事、それに狩猟技術、織物、その他の活動に関するノートが、やがて全面公開されることが望まれます。

この本の章別構成について

第1章、第2章、第3章、第4章、第5章、および第11章は、マンローの書いたとおりに掲載されます。

第 6、7、8、9、10章では、マンローが書いたいくつかの個別の記事に含まれる文章、彼のオリジナル作品に散在する情報、および多数のメモを整理したもの、さらにCGセリグマンへの手紙から抜粋し編集したものです。これら貴重な資料は、私が知る限り、いまだかつて公開されていないものばかりです。

 マンローーは祖先崇拝、母性、愛国心などについて観察した中身の重要性を理解してなかったかも知れません。それは私も最初は同じだったようです。

私は社会的組織に関する第12章を作成しました。マンロー自身の仕事から、祖先崇拝、母性、愛国心などを抜き出し、戦後に現場で働いていた日本人作家の情報も付け加えました。これによりシークレットガードルに関するマンローの情報についてもより広い視野から科学的に追跡できるでしょう。

 読者は、第2章、第3章、および第4章が大変かもしれません。カムイ、イナウはアイヌにとって非常に重要であり、注意深い説明と写真はマンローの誠実さへのオマージュです。

これらの章を読み飛ばしたいと思ったら、飛ばして構いません。後で間違いなく興味が生じるでしょう。これらの章は参照としても使用できます。


マンロー夫人との接触

英大使館員だったヒュー・ギブ氏の努力により、1959年10月にマンロー夫人と連絡をとることができました。彼女は夫のアイヌ研究がようやく出版されることを知って喜こびました。

彼女の証言により、オットマンローの死の際にフォスコ・マライーニが二風谷にいたこと、マンローが彼にタイプ手稿がいっぱい入ったリュックサックを託したことが明らかになりました。

私は出版社を介してマライーニに手紙を送りました。マンローの手紙で言及されていた未発表資料、貴重な映画がようやく見つかるのではないかと期待を膨らませました。

6か月後、彼はリュックサックを持ってロンドンのわたしのところまで来てくれました。しかし残念ながら、中身は作成した本のカーボンコピーと、付録Iとして本に付け加えたいくつかの伝説とメモだけでした。

謝辞

私は英国協会の委員会のすべてのメンバーに感謝します:

マンローの本のオリジナルの活字書を読み、渡辺氏に援助を与えてくれたフォルデ教授に。

アイヌ語と日本語の単語のスペルと翻訳をチェックしてくれたArthur Waleyに。

特にラグラン卿は、この作品の改訂と再編において、より簡潔にするために努力していただきました。  彼はまた、インデックスを作成してくれました。

アイヌに関する最新の書誌を紹介してくれたワシントン州議会図書館のW. H.ギルバート氏に感謝します。王立人類学研究所の司書であるカークパトリックさんには、このリストを確認していただきました。この本の主題に直接関係する作品のみを含めることにしました。

B. Z. S.

London, 1962



を大幅加筆した。
 
「日本のがん」の紹介はこの文章に突っ込むのは、かなり無理があるが、当座のしのぎということで我慢しておく。読者の皆さんはここは飛ばしてよい。

ブログ主からの一言

多分、留学生の研究発表みたいな論文だろうと思う。それにしてはよくまとまっており、勉強になるところもある。結局日本人の研究者がいかに勉強していないかということだろう。

私注を入れるうちにいつの間にか当初の量の数倍に膨れ上がってしまった。いずれターナーの文章に示唆を受けた私のオリジナルとして発表していくことになろうかと思う。

少なくとも日本で考古学を志そうとするなら、マンローの学問的足跡を確認せずに自らの立ち位置を定めることは出来ないのではないか。

斎藤環の「直接会うのは暴力」だろうか
赤旗の「朝の風」の激賞の吟味

赤旗の「朝の風」で斎藤環の「直接会うのは暴力」という発言を捉えてこれを積極的に捉えた考察が掲載された。
誰とどこで会うかは人権の問題だ。…人間だから直接会うのが当然という前提を見直す必要がある。
などなどだ。

言葉が踊っている。花から花へ舞っている。世間ではこういうのを「哲学」という。

ただ、そもそもの言い出しっぺである斎藤環という人がどういう人で、どういう背景でこのような物言いをしているのかがわからないと、なんとも常識的な判断がしにくい。

6月20日号のヤフーニュース

「朝の風」子が見た元ネタは、ヤフーニュースの6月20日号だそうだ。 

題名はえらく長い。
精神科医・斎藤環が語る、コロナ禍が明らかにする哲学的な事実 「人間が生きていく上で、不要不急のことは必要」

ということで、いわば至極当たり前のことで、特に社会から半ば引退して好き勝手に引きこもっている団塊世代には、共感さえ覚える。

「強いられた引きこもりさん、ようこそいらっしゃいました」ということだ。

斎藤さんは精神科医で引きこもりが専門だそうだ。ここで対象とするのは社会不適応としての引きこもりだ。

つまり現在この瞬間、引きこもりには三種類あることになる。

一つは病的(と言っていよいか)な引きこもり、これは思春期の病気で中年まで引っ張っている人もいる。斎藤さんは非社会性と呼んでいる。
ふたつは好き好んでの引きこもり、活字三昧で、世の中高みの見物、私などがその典型だ。
三つが新種のコロナ性引きこもりだ。この人達はやる気満々で、ある人はこの生き方に満々と闘志を燃やしているし、ある人はフラストが溜まって、日暮れになると紅灯の巷へという場合もあろう。

それで、斎藤さんという人はウィキで調べると、言葉の料理人みたいな人で、和風、洋風、中華、いかようにでも言葉を操って概念らしきものをこしらえる人のようだ。
一応精神科の教授の肩書きもあるので臨床もやっているのだろうが、まずはメディアへの露出が命の人らしい。

だから「直接会うのは暴力」くらいのことは平気で言う種類の人かもしれない。私なぞはどうも苦手で、虫酸が走る。

ただこういう人が実際あってみると案外社交的で如才なかったりすることもあるので、予断は禁物だが。

ヤフーニュースの主な内容

斎藤さんが最近『中高年ひきこもり』という本を発表した。ちょうどコロナでステイホームが強いられたので、話題性はある。

途中まではなんの変哲もない臨床医学の話。「その辺が落とし所かなと思います」なんてセリフは常識人そのものだ。

そこから、急に
なぜ人は直接会おうとするのか。
それは人が直接会うことは暴力であるからだ。
という台詞が飛び出す。
それで
そういう露悪的な言い方をするのは…直接会って話をすることに耐えられない人もいることを想像してほしいからです。
という風につながっていく。つまりは「直接あって話すのは結構精神的には重労働なんだ」ということを「暴力だ!」というキャッチコピーでまとめちゃったということなのであろう。

「朝の風」子は見事にその疑似餌に引っかかったという具合。しかも自身の思いで斎藤さんの言葉を膨らませている。

ただし、インタビューの最後でこうも言っており、バランス感覚はしっかり保たれている。

非常に憂鬱なのは私も同じですけれども、ストレスをあえて引き受けていかないと、精神のバランスは保てないので、私も一緒に取り組んでいきたいと思います。

つまりは小学校の頃の夏休み明けと同じだ。やすみにあきて学校に行きたい気分と、また規則と日課で体も心も縛られることへの拒否感。

この斎藤さんという人言葉遣いは時に過激だが、医学的判断としては結構常識的な人に見える。ただ、
「直接会うのは暴力」というフレーズはウケ狙いっぽくていただけない。人が生きていくための最低の強制というのはあり、その源となっているのは自然・社会のパワーだ。この強制的なパワーをゲヴァルトというならたしかに「暴力」ではあるが…


G614 の話

ちょっと長い前置き

実はロシアから帰ってくるに当たり、イタリアでの新型コロナが恐ろしく毒性が強くてバタバタと死んでいる、という話でかなりスリルを感じたことを覚えている。
ブログにも、イタリアコロナは武漢コロナとはレベルが違う、中東からヨーロッパに渡る間になにか突然変異したのではないかと書いた。

ただその頃はウィルスの強弱ではなく環境因子のほうがはるかに大きいと言われ、イタリアの状況を聞いているとそれで納得したところもあった。

しかし今になって統計的に観察してみると、やはりアジアとヨーロッパではケタが違うとしか思えない。

たとえは悪いが包丁を振り回す通り魔と、榴弾砲やカラシニコフであっという間に数百人をなぎ倒すテロリストの違いみたいなものだ。

この印象の違いは米国の両岸を見ると鮮明になった。

同じ国で生活水準や医療にさほどの差があるとも思えないが、東海岸の新型コロナの凶悪さは別格である。

そこに持ってきて学会で突然変異の可能性の話が出てきたから、気になる。

おそらく数ヶ月の間にアジア型亜種はヨーロッパ型亜種により淘汰されるだろう。

秋以降に第二波が来るとすれば、それはヨーロッパ型になるのではないかと気になる。

そのためにはヨーロッパ型コロナのウィルス学的特徴を踏まえておく必要があるのではないか。

と、ここまでが長めの前置き

G614 変異の新型コロナ

4月末、世界最大の非営利生物医療研究機関、フロリダ州のスクリプス研究所は、細胞の受容体ACE2に結合するスパイクS蛋白質の2箇所のアミノ酸が変化していることを発見した。

それはひとつは、S1サブユニットの結合ドメインであり、もう一つはS2サブユニットの境界にあるN-末端から614番目のアミノ酸である。

この2箇所は、感染当初(2020年1月)はアスパラギン酸(D614)だったが、時間が経つにつれて次第にグリシン(G614)に変化していった。

突然変異(D614→G)の割合は、2020年1月、2月には見られなかったが、3月に(26%)、4月(65%)、5月(70%)と次第にG614の割合が増加していた。

3月以前は中国も含めてアジアとアメリカで殆どがD614型だが、イタリアではすでにG614が優勢だった。

それが3月以降は中国とシンガポールを除き、ほとんどがG614に変化している。日本でも3月以降はほとんどがG614型である。

D614とG614の毒性を比較するために、マウスの白血病ウイルスにD614と突然変異型G614を入れた偽ウイルスを作った。

これをヒト胚性腎細胞に感染させ、感染率を観察した。突然変異型G614のスパイクを持つウイルスの感染率はD614に比し感染率は9倍であった。同様の結果はインド各地での感染ウイルスのスパイク蛋白質の分析からも示されている。

ただし日本でも、すでに3月にはG614への変換は終了しているにもかかわらず、欧米のような爆発的な感染拡大は見られない。

日本での感染者数の少なさは、必ずしもG614からだけでは説明しきれないかもしれない。

ニール・ゴードン・マンロー 「アイヌの信仰と宗教儀式」(英文)

目次

序文 B.Z.SELIGMAN

解題 H.WATANABE

上記2論文は、稿を改めて抄訳を記載する。

I. 基本概念
Ⅱ. カムイ
III.イナウ
IV . Effigies
V .Hearth and  Home
VI . House-building  rites
VII . The  House-warming  Ceremony (Chisei  Nomi )
VIII 。 The  Feast  of  all  souls  or  Falling tears
 (Shinurapa )
IX 。 Exorcism (Uepotara)
X .Various  rites
XI . Death  and  Burial
XII . Social  organization この章は SELIGMAN による



以下本文

I.基本概念

アイヌの宗教に特微的な基本概念は次の3つである。
すなわち、ramat, kamui, inau である。

ramat は人々の魂である。kamui は神々である。inau は神への捧げものである。それはカムイに提供され、彼ら自身もラマトとしての性格を持つ。

これらの8つのカムイを超えて至高のカムイが存在する。それは天空と関連するカムイである。アイヌは彼らをPase-Kamui と呼んでいる。

天空と関連するパセ・カムイの長はKando-koro Kamui, すなわち“天の所有者”と呼ばれる。
しかしKando-koro Kamuiは唯一神ではなく、Pase-Kamui の中の一員に過ぎない。

Ⅱ. カムイ

kamui は次の8つに分類される。
 (1) 存在の遠い,伝統的なkamui
 (2) 身近な信頼しうるkamui
 (3) 従属的なkamui
 (4) 獣の姿をしたkamui
 (5) spirit を助けるkamui と個人的なkamui
 (6)有害な,悪意のあるkamui
 (7 )流行病のkamui
 (8 )言うに言われぬほど恐しいもの。

第Ⅰ章では(1)遠くに存在する至高のパセカムイについて論じた。

第Ⅱ章ではそれ以外のカムイについて論じる。それらは一族の祭るカムイであったり、獣に化身したカムイであったりする。いたずら好きで悪さをするカムイ。お守り、アイコン的なカムイ。さらには疫病神のカムイまでいる。貧乏神がいないのは貧富のない社会だったからだろうか。

これらのカムイを生き生きと紹介するマンローは、鬼太郎らを紹介する水木しげるのような趣きがある。

III.イナウ

第三章ではイナウについて論じる。
イナウは超人間的力を持ち, 人間とカムイとの間の媒介者となる。

イナウにはさまざまなタイプがある。マンローはイナウを形態別に分類し,説明している。
イナウに彫刻されたekashi 、itokpa ,ikubashui などの「印」について述べている。また,戸外でのイナウの正しい並べ方も説明している。

Ⅳ. 木偶(EFFIGIES)

形態は大体inau に似ているが、カムイ を表した像とされる。シュトゥ・イナウカムイと呼ばれ別扱いで尊重される。

Ⅴ. 囲炉裏と家

礼拝の場所としての家,屋根,絶対に汚すことの許されない炉,席順,器物の配置,宝物,pu、便所について記述される。

風水みたいなものでしょうか。

VI.  家を新築するときのみそぎ

「家を暖める儀式」(エピル)と言われ囲炉裏にくべる新しい火を作る。 日本では上棟式に当たるのか。
聖なる醸し酒が醸造され、パーセ・カムイに捧げられた後、客に振る舞われる。聖なる醸し酒の重要性が強調されるいっぽう、酒を飲むときのエチケットが述べられる。むかしからアイヌには酒癖の悪いのがいたのだろう。

VII. 上棟式の続き (CHISEI NOMI)

悪霊を追い払うために屋根に矢が放たれる。

世帯主が賓客と儀式的交礼を交わした後、家の神聖な窓が開けられ、窓の外のカムイへの祈りが捧げられる。

VIII. すべての魂の饗宴(シヌラパ)

ここから饗宴が最高潮に入る。ここでの主役は女性である。女性は戸外に出て、東窓の外の広場に集まり、ヌサと戸口の霊への挨拶を行う。
先祖の霊への呼びかけを女性が行い、女性によるダンスが始まる。このとき戸外に儀式用の座席がしつらえられる。(実はこのへんから私の役は怪しげである。雰囲気だけ味わっていただきたい)

IX. 厄祓い (UEPOTARA)

厄払いには多くの種類があり、目的ごとに方法はことなる。ほとんど私の力では翻訳不能。

X. さまざまな儀式

厄払いだけでなく狩猟や漁業などの幸運を祈る儀式もある。これも詳細は省略する。

XI. 死と葬儀

死と葬儀はさまざまな哲学を内にふくむだけに、多様かつ複雑である。死後の世界も善人と悪人では異なってくるので、交通整理が必要である。とりあえず葬式の次第のみ箇条書しておく。
  体からラマトの別離と出発。死体の処理。
親族の順序・主な会葬者。
別れの挨拶。お悔やみ。
葬儀での行動・葬式の食べ物
埋葬の準備。埋葬儀式。墓柱の儀式。
妊婦の死体の儀式。
水とブラッシングによる会葬者の浄化。  
などなど
マンローは葬儀屋の社長のごとく書き連ねる。


XII. 社会組織の編成

第Ⅻ章はマンローの英国における庇護者であったC.G.Seligmanの未亡人B.Z.Seligman(彼女自身も民俗学者)が、手紙や遺稿を編集しながら自説を構築したもの。母系社会と父系社会の混交した様式が見られるとしている。


“Medicine in Japan and Scotland : Dr. N. G. Munro” TURNER, Roderick J. 東邦大学 2014

ブログ主からの一言

多分、留学生の研究発表みたいな論文だろうと思う。それにしてはよくまとまっており、勉強になるところもある。結局日本人の研究者がいかに勉強していないかということだろう。

私注を入れるうちにいつの間にか当初の量の数倍に膨れ上がってしまった。いずれターナーの文章に示唆を受けた私のオリジナルとして発表していくことになろうかと思う。

少なくとも日本で考古学を志そうとするなら、マンローの学問的足跡を確認せずに自らの立ち位置を定めることは出来ないのではないか。



あらすじ

マンローはアイヌの人々を無料で治療した医師として知られています。しかし彼の功績はそれだけでありません。

彼の日本での生活のほとんどは、考古学的・人類学的研究、各地での発掘作業と遺物の収集、晩年のアイヌ文化の客観的で厳格な記録に当てられました。
その中でも最も重要な学問的貢献は、アイヌの遺産の文書・記録化と保存にあったと言えるでしょう。

マンローは1888年にエジンバラ大学で医学の学位を取得しました。その後、インド・香港を経由して日本に定着。医師としての活動の傍ら、生涯を通じて日本で研究を続けた。

他にもアイヌに携わった英国人は、イギリス聖公会のジョン・バチェラー牧師などたくさんます。しかし彼が治療した何千人ものアイヌ人の患者にとって、マンローほど大切な人はいないでしょう。

しかしマンローの名は日本でもスコットランドでもあまり知られていないままです。


序章 生い立ち

ニール・ゴードン・マンローは、1863年6月16日、スコットランドのロッキーで生まれました。父は現地の開業医だったロバート・ゴードン・マンロー、そして母親はマーガレット・プリングル・マンローでした。

ニールはキンロスの学校に通いました。彼の家族は1882年にラトに引っ越しました。
1879年、彼はエジンバラ大学の医学部に入学しました。

入学して3年目、彼は深刻な肺感染症(おそらく結核)になり、チュニジアに移住して療養生活を送りました。

このためか、彼は医学部を遅れて卒業し、医学博士の学位を取らないままインドへの旅に出るのです。



この目的地が考古学への関心を引き起こしたのか、それとも主題への既存の関心が場所を選択する要因になったのかは、未解決のままです。

(注: 彼は学生の頃からすでに考古学に興味を持ちテームズ河畔の遺跡発掘に参加したりしています。療養先のチュニジアでも発掘に手を染めていました)

1888年に大学を卒業した後の3年間はほとんど記録がなく、私たちはほとんど知ることができません。ただしその足どりについては、乗船名簿や宿泊記録などいくつかの記録が残っています。

ビクトリア朝の理想とスコットランド人の冒険心に従って、彼は行動したと思います。
(注: スコットランドは自然環境が厳しく多くの若者は国外を目指しました。その中でエジンバラ大学医学部の先輩ダーウィンの活躍は、マンローにとって大いなる刺激だったと思われます)

彼はしばらくの間、P&Oフェリーラインで働いていましたが、この間は確かにインドに航海していました。彼が1891年5月に日本の横浜に到着したのは香港経由でした。
(注: 彼はインド航路を運行する海運会社に船医として採用され、インドに渡っています。そこでも発掘活動を行いましたが、健康を害し香港に移動。今度は横浜航路の船医となりました。その間も病気が悪化し、横浜の横浜総合病院に入院しました。退院後もそのまま外人病院に雇われ、横浜に居着いてしまいました。その後、彼は父親の死にも帰国することなく、1942年の彼の死までずっと日本から出ることはありませんでした)

彼は1898年に横浜総合病院で医師として働き始めました。共同でこの病院を設立したことも記録に残っています。1899年に彼は日本で医療免許を与えられました。

(注: この病院の院長になったことはありますが、設立したのは個人開業のクリニックです。総合病院の設立は維新直後のことです)

1898年に彼は、アイヌの本拠地である巨大な北の島である北海道を初めて訪れました。

 1905年にマンローは帰化し日本人になりました。カタカナっでマンローとしましたが、その後漢字で「満郎」と名乗るようになりました。

興味深いことに、Munroの以前の当て字は「卍樓」でした。ただしマンロ自身の書簡や他の学者によるこの変更への言及はありません。
卍(マンジ)は、ヒンズー教、仏教、ジャイナ教に関連する古代の宗教的シンボルです。
しかし第二次世界大戦前にナチスが、(ハーケンクロイツ)を党章として採用してからは使わなくなったようです。

一度だけ日本を離れ、帰国したことがありました。1909年にエジンバラで医学博士号を取得するためです。
(注: 医学士の免許はあるため診療は可能でした。ただ考古学の論文を発表するにあたって医学博士の肩書きはあったほうが幅が効いたようです。結局、マンローは1909年になって「日本におけるガン」と題する学位論文を作成。エジンバラに戻って学位審査を通過し博士号を受けることになります)


女たらしのマンロー

スコットランド人は、女性を追いかけることについて「積極的」であると考えられています。女たらしで有名なスコットランド人にトーマス・グラバーがいます。長崎のグラバー邸の主です。
プッチーニのオペラ「マダムバタフライ」は、グラバーの妻ツルをモデルにしたと言われます。(諸説あり)

マンローも艶福家で、4人の妻と結婚しています。他にヨーロッパ旅行中に知り合ったフランス人女性がいますが、日本に来てすぐに別れたようです。

1895年、マンローは最初の妻であるアデル・レッツと結婚しました。アデレは横浜のドイツ人商社の社長令嬢でした。

二人の間には2人の息子がいました。弟のロバートは1902年に亡くなりました。ロバートへの肉親の情が1908年出版の「日本のコイン」に示されています。
アデル・レッツも1905年に亡くなっています。

その年、文郎は高畠トクと結婚しました。
(注: 暴き立てるのも気が引けるが、マンローは高畑トクと結婚したくてアデルと離縁したのだ。国際結婚では離婚が難しいため、日本に帰化したのだ)

そのトクとも1909年に離婚したが、二人の間には娘のアイリス/あやめがいました。

1914年、今度はスイス商社の令嬢(母は日本人)アデーレ・ファーブルブランドと結婚しましたが、1937年に離婚しました。そして4人目の妻、木村チヨと結婚しました。

チヨは看護師として軽井沢のクリニックでマンローの医療を手伝う中で結ばれることになりました。1942年にマンローが死んだときは最後を看取りました。彼らには子供がなく、1974年に彼女は亡くなりました。いまは同じお墓に葬られています。


マンローと考古学

考古学はおそらく日本でのマンローの作業で、最もよく文書化・記録化された領域です。彼日本中の何百もの発掘調査を監督ました。いくつかの遺跡では乞われて参加しました、

縄文時代やその後の工芸品を何千と集めました。そして人類学的パラダイムに基づいてそれらを整理しました。そして日本の先住民としてアイヌの優位を確立しました。

(注: 正確にはアイヌ人ではなく縄文人です。アイヌ人は北海道に暮らした縄文人で、いくらかのオホーツク人の血統を伝えたものです。日本人は、主として半島からの渡来人と縄文人が交わって形成されたとされます)

私たちにとって特に興味深いものは、日本の考古学におけるマンローの役割に関連することです。

マンローの最も注目すべき発掘には、横浜近郊の三ツ沢、大森、根岸があります。彼はその他に北海道での遺跡発掘、神奈川県箱根、鹿児島県でも調査を行っています。(注: 軽井沢は長野ではなく川崎の遺跡である)

彼の初期の考古学の仕事は「先史時代の日本」(1908年、1911年再版)で集大成されました。彼のもっとも重要な理論的貢献は日本における先史時代のアイヌとの関係を明らかにしたことです。

マンロー以前には、日本列島の最初の定住者をめぐる議論は、アイヌとは何の関係もありませんでした。マンローが最初にそれを主張したのです。

日本の先住民族はアイヌ人(縄文人)でした。彼らは日本列島全般にわたって生息し、南は琉球諸島から北は樺太島(現在はロシア領サハリン島)まで分布していました。
それは現代日本人の祖先ともつながっていました。

アイヌ(縄文人)は本州北部で比較的に密度高く暮らしていました。北海道だけでなく、特に青森でもおおくの縄文遺跡が見られます。
(注: 南西日本では常緑樹地帯で山のみのりは少なく、比較的に漁撈生活に特化していった可能性があります)

マンローの蒐集品

悲劇的なことに、マンローは二度の災難で本、資料、発掘品、手紙のほとんどを失いました。

経済的に余裕のない人々への無料のヘルスケアは、彼の人生の継続的なテーマでした。

最初は1923年の関東大震災です。横浜の自宅は多くのコレクションもろとも全焼しました。当時軽井沢にいたマンローは直ちに横浜に戻り、資料喪失のショックに耐え被災者の治療にあたりました。経済的に余裕のない人々への無料のヘルスケアを施すことは、マンローが生涯一貫して追求したテーマでした。

そして二度目は1932年、定住準備のため北海道の二風谷で借りていた家が焼失したときです。こうして日本国内に彼が集めていた資料はほぼなくなりました。

幸いにも、彼は1894年から少しづつ、考古学的資料をスコットランドに送り始めていました。このような努力のおかげで、スコットランド国立博物館にはマンローの集めたかなり大量のコレクションがあります。


マンローの医学研究の水準

マンロの死亡診断書には、1942年に79歳で癌で死亡したと記載されています。

彼は1882年に結核に罹患し、療養を余儀なくされました。彼はチュニジアに転地し、1年間の療養生活を送りました。その後彼は医学博士の学位を取らないまま医療を続けました。1909年になってやっとエジンバラ大学から学位を取得したのです。

彼の博士論文は「日本のがん」と題されています。タイプ原稿で30ページにもわたる長大論文で卒論というより「総論」の趣があります。審査にあたった教授たちはさぞ辟易としたことでしょう。

論文ではまず、日本の死亡統計が1899年以来に始まったことを明らかにしています。つまりこの論文のわずか10年前のことだということです。

医学校の出身者は20,592人。これに対し医師補が15,046人で医学レベルがきわめて低い。このため統計の信頼度は相当低い。

その事もあって、死因統計では「不明死」が多い。例えば1904年の統計では不明死が11%を占める。2位以下からが病名のついた病死となっている。

死因の上位を占めるのは脳溢血や脳軟化など脳血管疾患。感染症では脳膜炎、胃腸炎が多い。マンローはこの中から「近代疾患」としての結核とガンに注目する。

イギリスの近代統計からは次のことがわかっている。近代工業の発展に伴い人口の大都市集中が進む。これに伴い労働者の間に結核が蔓延する。結核は多臓器を犯すが、医学の進歩に従いこれらが結核菌の感染によるものであることが明らかになる。これらが相まって結核の全死因に対する割合が増える。しかし結核の蔓延はやがて正しい療養や予防の普及により減少するようになる。そしてこれに代わって癌による死亡が増えてくる。

ここでマンローは、日本における結核の有病率と発生率に関する広範なデータを検索し、都道府県別の結核とがんによる死亡を比較した。

その上で統計に関して考察を加えています。たとえば、肉を食べるという新たに広まった習慣にもかかわらず、横浜の胃がんによる死亡率は1908年には10万人あたり44.4人と低いのです。

それなのに奈良県は、10万人あたり92.8人という「驚異的な」ガン死亡率がある。つまり日本人のがん発生の機序は英国人とは異なるということを示しています。

マンローは奈良県のガンの高発生率が胃がんによるものであり、それが主として山林労働者の食習慣にあることを推測し、「癌の外因性は、生体組織への機械的、熱的または化学的攻撃であることが明確に確立されているようだ」と結論づけています。

これは現代の医師や研究者にとって単純化しているかもしれませんが、細胞の病理学と生物遺伝学について深く理解している読者にとって興味深い提起です。

マンローは最新の医学をよく勉強していたようです。論文では「酵素・毒素・芽球・形成性」などの近代医学用語もしばしば用いられています。

イギリスではまた男性の癌が急速な増加を示していますが、日本でそれを証明することはできません。女性のがん死亡率が男性を上回っているというのも興味深い事実です。


マンローの理論活動

マンローは考古学研究、アイヌの生活についての民族学的研究で多くの業績を残しています。また学位論文「日本におけるガン」や「日本の古銭」の研究なども水準の高いものです。

その他にも多くの哲学的論文を新聞に寄稿したり、アイネシュタインが訪日したときは相対性理論についての解説を掲載したりしています。これらは英文で書かれ、残念ながらまだ閲覧していません。マンローは深い知的推論の能力を持ち、きわめて抽象的な概念に関して理解力を持っていたようですが、その水準は未知のもののようです。

マンローは最後まで日本語の読み書きも、会話さえ出来ませんでした。このため日本の学者との交流もきわめて限られていて、日本語での文献はほぼゼロ、身の回りの雑事を描いたルポに限定されています。

マンローは深い知的推論と抽象的な概念の理解の能力を持っていました、

彼の日常の活動は特に抽象的なというよりは肉体的であるという事実にもかかわらず、すなわち、彼の患者の治療と考古学的発掘でした。マンローが行った厳密で詳細かつ影響力のある調査の多くは、彼の「予備」の時間(つまり、非稼働時間)に行われたものです。

さらに、マンローや彼の業績の特定の部分に関する作品はたくさんありますが、私の知る限り、本や他の一般的な参考資料はほとんどありません


二風谷での研究活動

マンローと4人目の妻チヨさんは、1930年以降最後の12年間を北海道二風谷で過ごしました。しかし北海道の生活は初めてではありません。以前から何度も北海道を訪れ、アイヌ民族の研究に熱情を燃やしました。

彼はアイヌの人々の文化、言語、民間伝承、伝統、工芸品を考古学的に忠実に文書として記録していました。その間、アイヌの人々に軽費または無料の医療を施しました。

彼は1923年の関東大震災の後、軽井沢療養所で患者を治療するようになりました。これは夏の間、避暑客用に開放され、外国人コミュニティに人気がありました。

マンローは1930年には院長に就任しています。二風谷に居を定めた後も夏の間は軽井沢で診療を行い、そのお金で二風谷のための生活資金や住民のための治療資金を賄っていたようです。


まとめ

マンローは多くの側面を持つ水準の高い知識人です。ここではその多くを簡潔さのために割愛しましたが、もっとも脚光を浴びているアイヌとの彼の関係だけでも、いくつかの日本語のドキュメンタリー、本、展示会の主題となっています。

ここでは非常に初歩的な紹介を死、興味を持つ材料を提供できれば幸いです。そして、マンローへの興味の幅がさらに広がることを期待します。

何千ものマンローが2度の被災で失われました。しかし1923年と1932年の個人の手紙、データ、加工品、資料などがまだ大量に眠っています。

マンローが行った調査は厳密で詳細かつ影響力のあるものでした。しかしそれらはかれの「余暇」を使っておこなわれたものです。だから発表を前提に行われたものではありません。

さらに、マンローの業績の特定の部分に関する研究はたくさんありますが、私の知る限り、彼の生き方や業績を総合的に暑かった書籍はほとんどありません。

これは、スコットランドと日本の歴史に興味のあるすべての人にとって、とても不幸なことです。

マンローが愛し、共に暮らすようになったアイヌの人々に対するマンローの医療は、

アイヌ人々がいまもマンロー博士を忘れず、尊敬し続けている理由はたくさんあると思います。ともに暮らし医療奉仕を行ったことは、その理由の1つにすぎないと思います。

そして将来、両国の研究者は、マンローという人物について思いを同じくし、より深い理解を深めるでしょう。


マンロー「先史時代の日本」梗概

“Prehistoric Japan”, by Neil Gordon Munro 1908, 1st Edition
ph1 munro_1908_cvr

本文 705 pp. 折りたたみ多色マップと421のイラスト

Examples of Illustrations

Figure 395 - Wood Cut, Color Added
Figure 395
見たことのないイラストである。埴輪のようにも見えるが木彫とあり、どこかの寺の陳列物なのか。

Figure 391 Fiigures on an Ancient Bow
Figure 391
これも初見の図であるが、なぜ古代の弓か、分かる人はご教示願いたい。

Figure 400 Biwa
Figure 400

このような見事な美術品が当時はかんたんに入手できたのだろうか。

Contents

序文
A. 無土器時代
第1章 旧石器時代
B. 縄文時代(新石器)
第2章 新石器時代の遺跡
第3章 居住地
第4章 道具と道具
第5章 武器
第6章 陶芸
第7章 食事、服装、社会関係
C. 弥生時代(中級土器時代)
第8章 中級陶器
第9章 いくつかのブロンズの痕跡
D. 大和時代
第10章 大和遺跡と墓地
第11章 大和金属と石の遺物
第12章 大和焼
第13章 大和社会生活と人間関係
第14章 宗教
第15章 先史時代を担った人種
(A.~D.の大時代区分は鈴木の挿入したもの)

奥付(Colofon) 
munro_1908_colofon


この文章は
Pitt Rivers Museum Photograph and Manuscript Collections
のうち
のページを抄訳したものです。

ちょっと感想を。
多少間違っているかもしれませんが、マンローは日本の先史時代を初めて体系づけた人です。彼は先史時代を旧石器時代(打ち欠き石器)、新石器時代(縄文時代)、中間期(弥生時代)、ヤマト時代と区分しました。
そしてそれらの時代の実在を、石器、土器、金属器などで実証し、地層により前後付けました。
第二にドルメンを太古のものとして位置づけ、各地の石造物を一括し系統づけ、その世界史的意味を探りました。
第三にアイヌを日本人の源流の一つとして位置づけ、先史時代にはアイヌがあまねく日本列島に存在したこと、これと渡来民の交流の中に日本人が生まれたと考えました。現存のアイヌ人はこの流れに合流しなかった人々だと考えました。
これらの考えは当時にあって群を抜くものだと思いますが、いかがでしょうか。
ここに彼が発掘したものを見ると、驚くものばかりです。頭飾りやテラコッタなど、日本製のものとしては見たことがありません。間違いなく重文級のものでしょう。
これまでのマンロー関連資料といえば、桑原さんの本をふくめ周辺情報が多く、彼の業績に迫るものは乏しいのです。これからさらに英文資料と格闘を続けることになりそうです。



マンローの紹介

ニール・ゴードン・マンロー(1863年〜1942年)はスコットランド人の医師でした。卒業後、インド・香港を経て日本に定着。1893年から横浜総合病院の病院長を務めました。

マンローは医師の職務以上に、考古学者として尊敬されるべき存在になりました。なかでも横浜市内の三沢貝塚の発掘でその名を知られています(1905–6)

マンローは考古学調査の成果を集大成し、「先史時代の日本」(1908)を出版しています。それは重要かつ影響力のあるものです。

晩年は北海道に住み、二風谷のアイヌコタンにクリニックを開設し、終生を捧げました。

彼は先住民文化の断固たる支持者として活動しました。彼は今でも「アイヌの友人」として愛情を込めて記憶されています。

マンローのコレクションは、スコットランド国立博物館、北海道博物館、大英博物館、ピットリバーズミュージアムなど、さまざまな機関が所蔵しています。

ここで見られる写真はすべて、ニール・ゴードン・マンローが1905年頃撮影したもので、最近発表されたものです。

 Philip Grover:「レンズが捉えた幕末・明治の日本: オックスフォード大学所蔵写真より」(東京:山川出版社、2017)。

この本は、オックスフォード大学のピットリバース博物館の歴史的なコレクションを利用し、日本の初期の写真に関する文学への貴重な情報を追加・提供しています。

著者のフィリップ。グローバーは、博物館の学芸員です。主に明治時代(1868〜1912)に焦点を当て、コレクションのハイライトを紹介します。

これらの重要な資料は初めて海外の視聴者に提供されたものです。

写真1 「日本(先史時代)」というラベルの付いた、深い溝と水路のパターンが刻まれた大きな石の拡大図。
写真1


写真2 平らな風景の中央に見られる大きな(先史時代の)彫刻が施された岩。地元では「カエルの石」と名付けられています。奈良県飛鳥。
写真2

写真3 遺跡として知られている、大和時代の墓地とされるドルメンの入り口。
写真はニール・ゴードン・マンロー。 日本。 1905年頃。
写真3

写真4 マンロー(中央)と日本の同僚(左)が石舞台古墳というドルメンの上に立っている。 奈良県島の庄。 1905年頃(1911年まで)。
写真4

写真5 ニールゴードンマンロによって発掘された陶器の置物。 縄文時代。 横浜市内の住宅地から。
 1905年頃。
写真5

写真6 マンローが発見した「壺」と名付けられた背の高い壺。 やきもの文化としてヤマト文化に属する。1905年頃(1908年まで)。
写真6 

写真7 マンローによって発見された金属製の工芸品。キャプションに「頭飾りの装飾」があり、左側に「型から分離されていない青銅の矢じり」があり、「ヤマト文化」というラベルが付いています。
1905年頃(1908年まで)。
写真7

写真8 ニールゴードンマンローによって発掘されたテラコッタの花瓶。
写真はニール・ゴードン・マンロー。 日本。 1905年頃(1908年まで)。
写真8

写真9 枝と藁で作られたエタ小屋、または屋根のあるピット住居。建設中に撮影したもの。
撮影はマンロー。 日本。 1905年頃(1908年まで)。
写真9

写真10 アイヌの建物、おそらくは店舗で、背後には他のいくつかの建物が見えています。
撮影はマンロー。 北海道。 1905年頃。
写真10


写真11 路上で人力車を置き、その横に人力車の人(車夫)が立っています。撮影はマンロー。1905年頃。
写真11

参考文献

Neil Gordon Munro 「アイヌ:クリードアンドカルト」 B. Z.セリグマン編(ロンドン、1962年)。

ニール・ゴードン・マンロー 「先史時代の日本」(横浜、1908)。

「N. G.マンローと日本考古学:横浜を掘った英国人 N. G.マンローと日本の考古学](横浜、2013年)

「海を渡ったアイヌの工芸:英国人医師マンローのコレクションから<マンロー・コレクションにみるアイヌの技と精神>」(札幌、2002)

ジェーン・ウィルキンソン、「ゴードン・マンロー:日本の考古学と人類学におけるベンチャーズ」、イアン・ニッシュ(編)、イギリスと日本:伝記の肖像(Folkestone、1994)、pp。218–237。 




赤旗にワシントンの遠藤特派員が良い記事を書いている。というより4つの記事を1本にするという離れ業を演じていて、これが流れもよくスラスラと読めるのだから、すごい筆力だと思う。

1.トランプ流「経済再開」の失敗
南部・西部で5月アタマから強引な経済再開を初めたが、感染拡大で悲惨な結果。

2.コロナ感染拡大の責任を問う世論調査で堂々の1位
7月1日に発表された世論調査、「感染拡大に誰が責任を追うべきか」で、「大統領」との答えが34%で堂々の一位。以下「経済再開が早すぎた州」、「マスクをしない人」、「中国」と続く。

3.差別反対運動への敵視が度外れなものに
トランプは平和デモまで敵視し、米軍投入を打ち出した。これが軍の総スカンを食らった。
最近ではツイッターへの投稿が度外れたものになっている。例えばミズーリ州で平和的に行進するデモ隊に拳銃を向けている白人夫婦の映像をリツイートしている。
デモ隊に銃口

また有名になった「Black Lives Matter」(国人の命は大切だ)のスローガンを「憎悪の象徴」とツイートしている。市当局は5番街のトランプタワー前の路面に同スローガンを描く計画を立てた。これに対しトランプは「美しい通りを侮辱するものだ」と反対した(共同通信)。

4.トランプの負け犬化が明らかに
同じ1日発表の世論調査で、大統領選挙の支持率が出た。バイデン49.9%、トランプ40.4%となった。中西部や南部のいわゆる激戦6州はすべてバイデンが上回った。しかし逆に言うと、いまだに岩盤支持層はほとんど無傷でいることになる。まさに「神州不滅」だ。


上院選については情報が少ないので、別途検索をかけてみたい。
オバマ二期を通して議会は共和党のものだった。オバマに失望を訴える人はこのことを考慮すべきだ。その議会が今度は動く可能性がある。上院選で、アリゾナ、ノースカロライナ、コロラドの各州で民主党が逆転する見通しとなった。
幸せなバイデンは、議会とのねじれなく思い切り政策展開できることになりそうだ。



Long Hash のサイトより

Oct 24, 2019 03:10 AM | José Rafael Peña Gholam


はじめに

私の長男アドリアンは、ベネズエラのカラカスで生まれました。

私は一生懸命働きました。そして節約しました。そしてビットコインのおかげで、私はすべての医療費を現金で支払うことができました。

この国を揺さぶる経済危機の真っ只中に、長男アドリアンは首都のまともな民間クリニックで生まれたのです。


ビットコインとの付き合い

ベネズエラに住んでいると、生活自衛の方法を見つけるように駆り立てられます。

そのオプションのひとつが、通貨ボリーバルをビットコインに交換することです。

過去2年間、私は給与のすべてをビットコインで受け取りました。

私はビットコインの動揺性(ボラティリティ)を完全に認識しています。
それでも、超インフレに陥っている通貨ボリーバルよりはるかに安全だと思っています。

一つの例ですが、今年1月に、カフェオレは450 ボリーバルかかりました。
9月までに同じコーヒーが14,000 ボリーバルになりました。(この手記は19年10月に書かれたもの)


出産費用の計算

そんなとき、私は父親になることを知ったのです。その瞬間から、妻と赤ちゃんに適切な治療を受けるにはどれくらいの費用がかかるかを計算し始めました。

民間クリニックの出産費用の相場は、数年前なら500ドルから700米ドルの間でした。しかしその後値上がりを続けています。

私たちが最終的に出産した民間クリニックは、最低でも1500ドル、帝王切開のときはさらに2500ドルが必要でした。

この民間クリニックは最も安価な部類に入ります。

聞いた話ではカラカスの高級診療所では、帝王切開の費用が最高6,000米ドルになるそうです。

ベネズエラの最低賃金は月額で約16ドルです。


なぜ米ドルで話すのか

おそらくあなたは不思議に思っているでしょう:

ベネズエラに住んでいるのに、なぜ米ドル換算で話すのか?

それはインフレのためです。
ここでは、ほとんどの商店が、商品やサービスの価格をドルで設定しています。超インフレから身を守るためです。

何かを買うときは、その日の為替レートをみてボリーバルで支払うか、または直接ドルで支払うことができます。持っている場合ですが。


ビットコインの利息はかなり大きい

私は最初にも言ったとおり、給料をすべてビットコインで受け取っています。ビットコインではなく、ドルで貯金することもできましたが、過去数年にわたって、ビットコインはそれ以上の大きな利息を提供してくれました。

想像してみてください。たとえばボリーバルしか持っていなかったとしたら、ハイパーインフレが原因で随分目減りしていたでしょう。
今日の医療費が貯蓄を上回っていた可能性は十分にあります。

ビットコインを持っていなかったら、妻と生まれてくる子供はどうすることになったのでしょうか。 


公立医療機関の悪い噂

最良の選択肢は、母親と赤ちゃんの世話を専門とする公立産科病院だったでしょう。

しかし、これらの場所は患者で溢れており、一人ひとりへのきめ細かな配慮はほとんどありません。備品不足も深刻だそうです。

これらの公立産科病院についての悪い話を聞いたことがあります。

これらの病院の一部の従業員は明らかに低賃金で働いており、有能な従業員はほとんどいないということです。

これは、妊産婦に対するケア不足や医療ミスにつながる可能性があります。

また、妊婦が数日間も陣痛に陥り、その間胎児一緒に放置されるとか、または疲れた産婦が赤ん坊をベッドから落とすこともあると聞きました。(ここまで来ると流石に信じがたいが…)

妻をこのように扱わせる道はありません。


ビットコインを売るリスク

多額のビットコインを売ることはリスクを伴います。息子が生まれた週にそれを体験しました。

その週、1ビットコインの価格が10,000ドルから8,200ドルに下がったのです。

このような市場の動きは非常にイライラします。私にとってとても不安な週が始まりました。

私は価格が下がるのを見て、次の値下げから身を守るためにステーブルコインに交換すべきか、または、何もせずにビットコインの価格が9月30日までに反発することを期待するか、判断が付きませんでした。

その日が息子の出産代を払わなければならない期限です。

私は待つことにしました。

残念ながら、ビットコインの価格は1万米ドルに戻りませんでした。私は損失を取り、1 BTCに対して8200米ドルのレートで取引をすることにしました。

取引と言ってもドルに変えるわけではありません。取引相手にビットコインを売り、それを対ドル相当のボリーバルで現金化するのです。そして、そのボリーバルで診療費を支払うのです。


ビットコインの現金化

私は人気のあるWebサイトであるLocalBitcoins.comでボリバルとBTCを交換しました。

息子が生まれる前の夜、私はエスクローサービスのあるLocalBitcoinsにBTCを転送しました。あとはクリニックに到着するまでに転送が確認されることを待っていました。

私はある人物との取引を選択しました。
その人は私と同じ銀行を利用し、プラットフォームで良い評判のある人で、わたしに最高の価格を提供してくれました。

この人物はシンガポールにIPアドレスを持っていますが、電話番号はベネズエラに登録されています。LocalBitcoinsのたくさんの秘密の1つです。


ドル交換はヤバ筋?

少なくとも私にとってビットコインを手に入れるのは、ドルを手に入れるのよりはるかに容易です。

まず“LocalBitcoins”にアクセスし、そこで最良のオファーを選択して取引を行います。
合意が成立し送金が完了すればあとは確認を待ちます。こうして仕事場を離れることなくビットコインを受け取ることができます。

ドルと交換するのは別な話になります。まず、私がドルを買いたいと通告しなければなりません。
(これから先はよく分からない。通告先は“my circle of friends and family”であり、彼らはWhatsapp あるいは Instagramのサイト先に存在するらしい)

もしそのサイトでドル売りを希望する人を見つけたとします。私は彼と為替レートについて交渉し、現金を引き渡す場所を打ち合わせる必要があります。(つまり非合法の闇取り引きのようだ)


BTCをボリバルに交換

私の息子の出産の場合、BTCをボリバルに交換するのは、妻の陣痛が始まった朝に行われました。

これは私にとって非常に危険な動きでした。

なぜなら時間通りに、私が診療所に支払うのにいくつも障害物があることがわかっていたからです。

取引を始めた人が反応しない可能性とか、もっと悪いことに、私の銀行が多額の送金を不審に思いブロックするのではないかとか恐れました。

私の取引相手は、同じ銀行の4つの銀行口座から、金額が異なる6つの送金を送信してきました。おそらく、1つの送金だとブロックされてしまうを回避するためでしょう。

通貨ボリーバルを受け取った後、診療所への支払いに取り掛かりました。

私はそれを2つの銀行振込に分けて問題なく行うことができました。


ビットコインは私を救った

最後の転送を終えて、私が感じた安堵と喜びは息子に会った最初の瞬間の喜びを完全に超えていました。

診療所に支払う費用負担はすべて瞬時になくなりました。

私はビットコインを使用して、自分のやりかたで出産費用を支払うことが出来ました。私はそれを誇りに思い、幸せに思いました。


ビットコインの貯蓄のほとんどを手放すのはつらいことです。しかしこの際は、息子を安全に出産させ、母親にきちんとした治療を提供することがより重要でした。

私は2月の記事で「ビットコインはベネズエラを救わない」と書きました。


いまでもその思いは同じです。

  しかし、この体験で、ビットコインが自分の生活の中でいかに重要であるかがわかりました。

わたしはビットコインのおかげで、ベネズエラのハイパーインフレと戦い、貯蓄を積み、短時間に多額のお金を支払うことができました。

たとえば、必要なものをビットコインの代わりに金でやり取りすることを想像してみてください。

ソーシャルメディアで、ビットコインは市場の憶測以外には何の役にも立たないと言っている人がよくいます。

深刻な経済問題やハイパーインフレのない国では、おそらくそれは本当です。

しかし、経済が機能不全に陥っているベネズエラのような国は、ビットコインは巨大な可能性を示しています。

私の息子の誕生の物語はその実例です。


コロナについていろいろ勉強してきて、結局カギを握るのはユニバーサル(普遍的)な生存権の思想だろうということに思いが至った。
言葉だけ取り出すと、まぁいわば宗教の世界である。ただ偉大な宗教家がそれを思念の果てに漠然たる目標(ゴール)として選び取ったのではなく、もっと現実的で、差し迫った課題(タスク)として提起されているという違いである。
そういう思いで世界人権宣言や各種の人権文書を読んでみると、どれもみな微妙に的を外れていることに気づく。書き出しはりっぱだが、終わりは各論の延々たる羅列に終わる。大河のような流れが事実の砂漠の中にやせ細っていく。そこにはゴールに向かっての道のりが見えない。
これなら聖書を読んだほうが、個人的にははるかに救いは得られる。

我々が心しなければならないのはひとつ。世界人権宣言が発表されて以来70年、世界のすべての人々に対する生存権の保障はほとんど前進していないということである。

そしていま重要なこと。それはコロナのパンデミックのもとで、“ユニバーザルな生存権”が絵に描いた餅だという事実が白日のもとにさらされていることだ。
そしてもっと重要なことは、この権利が保証されないまま事態が進めば、それはブーメランとなって全人類にはね返り、人類滅亡の危険を招きかねないということだ。

致命的な第二波のパンデミックが来ない間に我々がなすべきことは3つある。
短期的には、第一波で人類が叡智を振り絞って考え出したありとあらゆるノウハウを結集し、教訓化し、第二波に備えることだ。とくに臨床医学的知見とウィルス学的治験のつき合わせでこの感染症の科学的構築を進めることだ。
中期的には、必要な医薬品、設備・装置の開発を急ぎ、配備を進めることだ。また第一波を広範に総括し、社会資源の有効な配置を一元的に進めることだ。
長期的には、ここがいちばん大事なのだが、途上国等の流行最前線に必要な援助を行いここで火の手を食い止めることだ。実のところ途上国はいま感染真っ盛りなので、むしろ超短期課題とも言える。ただ私はこれを短期課題にしたくないので、あえて長期課題と括っておく。

コロナとの闘いがユニバーサルな生存権をもとめている

途上国でコロナと闘うためには、ためらいなく、惜しげなく資源を投入する必要がある。
わたしがユニバーサルな生存権を重視するのは、平等な権利は互助の精神と表裏一体のものと思うからだ。

そして、まさにこの「ためらいなく、惜しげなく」の発想が「お互い様」の精神に裏打ちされていなければなならないと思うからだ。

国境の枠にとらわれる限りこのユニバーサルな視点は隠れ勝ちになる。ともすれば二の次にされかねない、下手をすればバイキン扱いされかねない途上国の人々に手を差し伸べるにはどう考えたらよいか。

それは私達先進国に住む諸個人が、資源の拠出を(“ユニバーサルな生存権”に照応する意味で)義務と考えるところから始まるのではないかと思う。

間違えないでください。マルクス思想ではありません。
軽薄にいうと、2020年の世界の流行は第一に新型コロナですが、第二の流行はマスクです。

日本人、それに一部の東洋人の間ではマスクは比較的馴染みの深いものでした。
しかしそれ以外の地域、とくに欧米や中東、アフリカでは決して一般的なものではありませんでした。
新型コロナのパンデミックが始まった頃、外国ではマスクをした日本人は奇異の念で見られ、ときにはそれが「ヤバい人種」の象徴のようにさえ受け止められました。

しかし新型コロナがヨーロッパ全土を覆い大変な状況になると、おしゃれの本場イタリアやフランスでもマスクが当たり前のモードになりました。いわば、コロナ・リテラシーの象徴となったのです。

マスクはやがて新型コロナとともに米国に渡りました。そして2つのイデオロギーの衝突の中で、進歩派の象徴となりました。逆に言うとマスクを着けないことが保守派のクリードとなりました。

3つの写真を提示します。
トランプ集会
トランプ集会です。密密密+ノーマスクスです。空中に飛び交うウィルスが見えるようです。
白人至~1
白人至上主義者の集会です。当然マスクは未着用です。
BlackLivesMatter
ニューヨークで開かれたBlack Lives Matterの集会です。100%マスク着用です。
なお写真はクレームあり次第外します。


ここでマスクの本来の意義を確認します。これは本人のコロナ防御用にも役立ちますが、圧倒的な意義は他人への感染予防のためです。つまり利他主義→社会的予防→自らの感染防止という三段階を踏んだ防御アイテムなのです。

つまりそこには① 利他のコミュニティの思想があり、② それを前提とする予防手段というリテラシーがあり、③ それを共有する世間という道徳的枠付があるのです。

これが、東洋の風俗がパンデミックの圧力を受けて、ヨーロッパのモードとなった経過です。


ではなぜアメリカで白人原理主義者がマスク思想を敵視するのか。これが次の問題です。

これはコロナが人類に突きつけた「命の平等性」が基礎にあります。新型コロナは白人優位主義を打ち砕きました。それは3月以降に西欧各国で猛威をふるい、本家の中国を上回り、最悪記録を次々と更新しました。

これを機に欧州のみならず世界の国々が、社会ぐるみの予防対策を取るようになりました。そのためには「お互い様」の我慢がもとめられ、我慢が困難な弱者への配慮がもとめられました。

この2つ、つまり無差別な「命の平等性」と「お互い様」の思いやりは、ともに白人優位思想の根っこを揺るがすような危険な思想です。

だから、白人原理主義者はマスクが嫌いなのではなく、マスクに象徴されるようなアジア・ヨーロッパの「無差別・平等・博愛」思想を敵視するのではないでしょうか。

もちろん、このような時代遅れの考えはいずれコロナの前に吹き飛ばされるでしょう。「マスクか死か」と問われれば、真理の前に膝を屈するしかありません。

最後はちょっと読み過ぎになったかもしれません。


新型コロナ 各国比較は超過死亡が正確

感染者数は到底各国比較の対象にはならない
我が国のように、なんの理由か知らないが、検査をさせないために調査の何倍もの労力を割いた国もある。
なにせ原発事故のときもホ。甲状腺ホルモン検査させなかった国だから、コロナごときではびくともしないようだ。

貧困国ではそもそも検査セットさえ入手困難だろうから、当然、日本と同じように感染者は低く出る。

だから死者数で比較するのが良いと考えていたが、実はこれもかなりばらつきが出るようだ。

白状するが、私もむかしは何でも心不全だった。事故死や自殺でもない限り、最後は心臓が止まって人間は死ぬのだから、みんな心不全である。

むかしは人聞きが悪いと言ってガンを病名にするのを嫌ったものだ。なんせ本人に病名を告知しないのだから、ある意味自然の流れであった。

こういう風習は、伝染病ではもっと強いものがある。だから結核で死んでも死因は肺炎である。「何が悪い、心不全よりよほどまともな病名だろう」という具合だ。

これをうんとマクロに見てしまおうというのが超過死者数だ。

もちろんこれは理論上非コロナ死を含んでしまう。特に医療機関の受給が逼迫してくると、皺寄せ死や、関連死が乗ってくるからだ。

だがコロナ関連死も乗せることは決して悪いことではないだろう。

そこを指摘したのがBBCの「“超過死亡”という数え方は役に立つ」というニュース解説。


それでBBCが同一の方法で各国の超過死者数を調べた。

日本(3月)

日本の超過死者数は平年より 0.3% 高く、平年より 400 人が多く死亡した。

いっぽう政府発表による同時期のCOVID-19死者数は51人に過ぎない。超過死者数の8分の1だ。

ということはこれまでの公式死者数約千名とされているのは、超過死者数では8千人ほどになると予想される。

これを人口で割れば超過死亡率が出てくることになるが、世界水準に比うと、やはり間違いなく低いようだ。どう見ても非の打ち所のない、「世界の神秘」である(何も政府はしなかったのに)


米国(2月16日 - 5月02日)

大流行の前半分だけを切り取った形になっている。死者数は平年より 97300 人が多く死亡した。死亡率は平年より 16% 高かった。

政府の死者発表は7万266人でありかなり高率に捕捉されていると見られる。

分母が違うので比較は難しいが、超過死亡率は少なくとも日本の10倍を超えることは間違いない。


イギリス(3月07日 - 6月05日)

ほぼ全期間をカバーしていると思われる。

死者数は平年より 64500 人が多く死亡した。死亡率は平年より 43% 高かった。

政府の死者発表は51804人でありかなり高率に捕捉されている。

イギリスの人口は日本の3分の2,6千6百万人ほどであるから、単純計算で超過死亡率は日本の230倍ほどに達する。

まことに凄まじい数である。


韓国(2月01日 - 3月30日)

何かと比較されることが多いが、この期間に年より 2400 人が多く死亡している。これは平年に比し5%多い超過死者数である。

これに対し政府発表によるコロナ死者数は163人にとどまる。日本の3倍だ(期間は異なるが)

見事に日本と同様の文化習慣が認められる。しかもはるかに強力だ。日本で死因が公開されたのが8人に一人だが、韓国では15人に1人という計算になる。

東洋と西洋の死者数はまったく比較の意味がないことが分かる。これなら感染者数の比較のほうがまだマシだ。もし強引に比較しようとすれば、東洋諸国の死者数に10~15倍をかけた数字を念頭に置く必要がある。

これは統計学というより比較文明論の問題だ。とはいえ、東洋人が(平然と)ウソをついているのは間違いないので、決して良いことではない。できるだけ科学的に厳密な数字を出すようにしなければならない。

以下は省略。本文を参照されたい。

どうも最近のアメリカのニュースを見ていると、現実感にかけているように見えてならない。

いまアメリカでもっとも深刻で国民の関心が集中している問題は、他ならぬ新型コロナである。そしてそれが恐ろしい速度で全土に拡大しつつあることなのである。

だからトランプは破れかぶれになって「中国が悪い」と騒ぎ立て、とにかく自分以外の誰かが悪いと見苦しいざまを見せているのだ。

我々は米国における新型コロナのパンデミックがいかに凄まじい状況になっているのかを、実感として知っておく必要があるだろう。

以下「赤旗」などより引用


1.新型コロナの全般的状況

米国では感染者230万人、死者12万人を出してきた。

現在では50州すべてで外出制限が緩和されている。厳しいロックダウンがなくなり日常が戻りつつある。

しかしいくつかの州では、新型コロナウィルスの感染者数が大幅に増加している。つまり封鎖解除は明らかに時期尚早なのだ。

6月19日には、アメリカ国内の1日当たりの新型コロナ感染者が3万人をこえた。これは4月下旬以来の最悪の数字である。

感染者急増の背景には検査の拡充もあるが、顕性者の増加が主因であることは明らかだ。ICUの病床が不足している州も出現している。

NBCの番組で、ある専門家は新型コロナウイルスについてこう語った。

新型コロナは山火事に近いものだ。夏にかけて、あるいは秋に入っても感染が収まらず、第1波、第2波、第3波と分かれるのではなく連続的に全米を襲うのではないか

コロナ 米国地域別



2.ニューヨークの次はフロリダだ

南部と西部での拡大が顕著で、8つの州で、1日当たりの感染者数の1週間平均が過去最多を記録した。

フロリダでは18日、新たに3207人の新型コロナ感染者が登録された。さらに22日には、感染者総数が10万人を突破した。

研究者のモデルを基にした予測では、

フロリダ州はコロナ感染の次の中心地となるだろう。感染規模は「過去最悪」になる恐れがある。

とされる。ある医師はCNNに対しこう語った。
入院患者もタンパからオーランド、マイアミデード郡に至る各地域で増えている。
これが倍増し始め、制御不能になっても全く不思議ではない
これに対し各州の指導者は、感染者数増は検査の拡大のせいだとすぐ分かる嘘をつく。(陽性率もしっかり上がっている)

連邦政府の責任者ペンス副大統領は「50州中、半数以上で新規感染者は減少しており、われわれは見えない敵とのたたかいで勝利している」と強弁した。

フロリダ州知事は、移民世帯の過密な住環境が増加の一因だなどと、逃げ口上を繰り返している。

フロリダだけではない。テキサスでは1日あたり新規発生が4135人、アリゾナで3465人に達している。

トランプは23日の選挙集会で、我々は戦闘に勝利した。武漢風邪(新型コロナの感染症)は消えつつあると嘘をついた。


3.対策センターの評価と対応

アレルギー感染症研究所(NIAID)所長のアンソニー・ファウチ博士らは議会で発言し、感染者の急増は憂慮すべきサインであると発言。今後数週間の対策が重要になるとした。


若者の無症候感染が増えている

特に若者の間での感染拡大が著明で、テキサス州では30歳未満の若年層が新規感染者の過半数を占めるようになった。検査件数が増えただけではなく、陽性率も上がっている。

若者は大半が無症状で、治療を必要としない。そのため対策を無視し、ウィルスを撒き散らしている可能性がある。

一般米国民の無知は相当のもので、たとえば国民の23%が、新型コロナウイルスは意図的に作り出されたと考えている。
愚や愚や、汝をいかにせん!


4.トランプは最強の支持基盤を危機に追いやった

今後南西部の感染拡大がどうなるかは見当がつかない。感染者数は加速度的に拡大し、そのスピードに鈍化は見られていない。
基本的にまだ住民の間に危機感が見られていないと考えざるを得ない。
コロナ 米国とEU
フロリダとテキサスはトランプの、というより共和党と草の根保守勢力の本拠地だ。ここの地域で感染が広がり医療崩壊が起こりロックダウンが広がれば、保守派の動きは止まる。一度止まった動きは大統領選挙を超えて不活化状態が続くだろう。
中西部のラストベルトの選挙民だけでは到底必要な票を集めることは出来ないだろう。そもそもラストベルトの退職者たちが忠実なトランプの支持者とも思えない。

我々は、ポストコロナの時代を、そろそろトランプ抜きで考えるべき季節に入ったのかもしれない。

新型コロナ ゲノム解析でわかったこと

日経新聞日曜版にスレヴィン大浜華記者の署名記事として掲載された。

やや入り組んでいて読みにくいが、主だった中身を列挙する。

1.進む新型コロナのゲノム解析

遺伝情報の変化を遡ることで、系統樹を作っていく作業だ。

これでアダムとイブの発生時期が特定できる。

これまでの結果は予想よりさかのぼるようだ。それだけでなく衝撃的なのは、武漢で最初の患者が確認される前に、人から人への継続的感染が起きていた確率が高いことである。


2.ヒトコロナ感染者は武漢1号患者より数代さかのぼる可能性

武漢で発端者が発見されたのは12月8日。その発端者を遡ることは出来ていないが、武漢以外の可能性はある。

おそらくは夏の終わり頃に、コウモリに常駐する新型コロナが人へ、そして人から人への伝播を繰り返した後に、武漢で感染爆発したのだろう。


3.新型コロナは武漢から広がったのではないかもしれない

武漢で感染爆発に至ったのは12月中旬から下旬であったが、その時点ではすでに広東省などで少なくない新型コロナの発生とヒトーヒト感染が見られており、むしろ武漢以外の地が発生源にあった可能性を示唆する。

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武漢の食肉市場からの発生の可能性は、むしろ低いと言わなければならない。現在中国当局は武漢の市場を発生源とする見解を取り消しており、WHOも白紙に戻して検討するよう促している。

欧米の感染も思ったより早かったのではないかとの報告が相次ぐ。

フランスで12月下旬にインフルエンザ類似の症状で入院した40代男性の検体を、4月に改めてPCR検査したところ、新型コロナが検出された。

これはヨーロッパでのコロナ感染が、武漢での感染と並行、あるいはひょっとすると先行していた可能性を示唆する。

米国のCDC(疾病対策センター)も、早ければ1月中旬には感染拡大が始まった可能性があると報告している。

4.現時点での結論

新型コロナの発生源が中国であることは間違いない。新型コロナが、もともとコウモリに起源を持つこともほぼ確実である。

これが直接、あるいは他の動物を介してヒトに感染し、さらにヒトーヒト感染が起こり始めたのは去年の秋だった。

最初の感染拡大は武漢より南の地方であったが、それは大流行にはならなかった。

それらの新型コロナの一部が武漢市に入りパンデミックに発展した。残りはほぼ同時期に西方へも拡散し、その先端はすでにヨーロッパにまで達していた。それはさらに大西洋を渡り、1月中旬には米国内での拡大を開始していった。

* ウィルスの人工作成説、武漢のウィルス研究所の拡散説、武漢の市場発生説はこれらの研究によりすべて否定された。確実なのはコウモリ起源説、確実と思われるのは中国南西部のどこかで発生という説である。

スレヴィン大浜華さんの丹念な文献検索に敬意を評します。



NHKの「ニュースの焦点」みたいな番組に佐橋亮さんという方が出られて、なかなか明快な分析をされていた。
文章を探したところ、“nippon.com”というサイトに佐橋さんと川島さんという二人の対談が載っているのを見つけた。
ともに東大の先生で、佐橋さんは米国から、川島さんは中国側から米中問題を研究されているようだ。

ポストコロナの世界 米中対立激化の行方を読む

1.「折り合う余地」がない関係に

米中関係は「大きな転機」にある。

17年末に国家安全保障戦略が出て「中国との競争」が打ち出された。18年3月には中国に対する関税の付与が始まった。

そして決定的な方針転換となったのが、8月に出来たいわゆる「マケイン法」だ。これにより輸出管理・投資規制の枠組みが出来た。

10月には、ペンス副大統領の「対中強硬論」演説があった。

この17年から18年にかけての流れは「米国の覇権維持」という戦略目標に乗った政策化だということができる。

それは19年も続いていくのだが、20年3月にそれは一つの画期を迎える。米中対立はイデオロギー的なものにまで深化した。

経済、安保、技術競争などの政策対決に覆いかぶさるように、イデオロギー対立が対中政策を支配するようになった。

この動きの中で、トランプだけではなく議会右派の動きが無視できず、民主党議員の一部をも巻き込むものになっている。


2.覇権維持戦略はそのまま、イデオロギー対立で補強する

貿易摩擦の問題では両国は「取り引き」できる余地がある。貿易協議で第1段階の合意が出来上ったのもこのためだ。

イデオロギー対立は覇権維持戦略に取って代わるのではない。

それは戦略的競争相手(strategic competitor)との闘いをさらにアピールできる素地を形成している。

政治的な推進力というのはワシントンを越えてはそうそう進まない。戦略的な話にイデオロギー対立をうまく噛ませると、国家的な行動へと進んでいく。

米国が「共産党たたき」を前面に出してきたので、中国としては「折り合う余地」が全くなくなってしまった。これは冷戦と同じ構造だ。

ただし「新冷戦」という言葉は、定義があいまいなところがある。このため、米国ではこの言葉を使わない専門家も多い。


3.逃げ場が狭まった中国

19年までの段階では、中国は「新型大国関係」を掲げていた。米国との間に「交渉の余地はある」と考えていたと思う。

ところが20年になって、米国があまりに強硬になって逃げ道がなくなった。

4月中旬からは公的な場で堂々と米国を批判するようになった。言葉だけではなく、東シナ海、南シナ海における公船の行動なども変わってきた。

問題がこじれたのは中国側にも責任がある。

これまで、中国は米中間の力関係を変えようとじわじわと手を打ってきた。

17年には「2049年には米国に追いつく」と宣言し、海底ケーブルやGPS衛星システムなどの開発にも成功している。

ただそれは「30年計画」であり、露骨なものでも性急なものでもなかった。

今回の対決姿勢の強化は、「米国の強硬姿勢、本格的な攻勢に対応する、中国の弱点をふさぐための防衛的な措置」ととらえることもできる。

いまの中国は経済的に非常に苦しい。国内の経済や就業対策にお金を使わなければならず、対外活動に資金を流す余裕はない。「身を引き締めて、米国の攻勢に耐える」というのが本音だろう。

4.さらに攻勢を強める米国

中国の対抗姿勢の公然化に対し、米国はさらに攻撃のトーンを高めている。

5月にはトランプ大統領が「対中関係を完全に断ち切ることができる」と発言した。ポッティンジャー大統領補佐官は、中国人(華人圏を念頭に置いた)に「立ち上がれ」と呼びかける演説を行っている。

その中で新版マケイン法ともいうべき「中華人民共和国への戦略的アプローチ」という文書が発表され、これに基づくファーウェイ(華為技術)に対する追加措置も実施された。

トランプ政権は、対中対立をいわば政治運動化してきた。この流れがどこまで続くのかはよくわからない。


後半は、今後のバイデンや習近平の話も絡んで、ペナント争いの予想みたいなところがあるので省略する。両者のニュアンスの違いもかなり著名になってくる。
ただ二人は、トランプがもし勝利したとしても、これまでの延長線上で対立を強めるのはかなり厳しいとみている。
貿易戦争が復活すれば、米国の同盟国の間でも、トランプ流の対中アプローチに付いていくことが難しい国が多くでてくるであろう。
ちょっと川島さんの提起がフォーマルなので議論がかみ合わないところがある。できれば佐橋さんの所論をもう少しじっくりと聞きたい感じがする。



口を酸っぱくしていうが今日の世界における主要な対立点は、すべての人々の命を守ろうとする勢力、そのために団結して行動しようとする人々か、産業のために危険を無視する人々、資源をひたすら退蔵し致富にすべての情熱を捧げる富裕層とのの対立である。
選挙勝利のために、病気への一致した取り組みを壊すことをなんとも思わない人も、その一味である。
米中対立が底流にないとは言わない。しかしいまことさらに対立を煽り、郵便ポストが赤いのまで人のせいにする人々は、政治の表舞台から一刻も早く立ち去るべきだ。

6月22日 日本経済新聞
中村亮「米軍トップ、辞任よぎった夜 『親トランプ』の苦悩」

がとても面白い。見てきたような話ではあるが…

6月1日、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長は、合衆国憲法修正第1条は「表現の自由」を盾に、デモ鎮圧のために米軍動員を求めるトランプ大統領に激しく抵抗した。

激論の末、ひとまず軍動員の回避に成功したが、警官隊がデモ隊を強制排除したあとに、ミリー議長は戦闘服姿でトランプに随行するハメになった。

ミリー

その日の夜、ミリー議長はメディアやネットで、自らの行動が「軍による政治介入」などと集中砲火を浴びるのを目のあたりにした。

批判者の中にはマティス前国防長官などの米軍OBもいた。ミリー議長は周辺に辞任の是非を相談するまでになった。

息をさせて
    ベネズエラ制作のポスター(We hope というのが良い)

話は10日後に飛ぶ。

6月11日、ミリー議長は国防大学の卒業生に向けた祝辞で、「私はあの場にいるべきではなかった」と述べた。

それはホワイトハウス前で軍服を着てトランプ氏に随行したことをさしている。

さらにミリー議長は「みなさんもこの誤りから学んでほしいと私は切に願っている」と言葉を続けた。

しかし、話はこれでおしまいだ。
辞任もしなければ、トランプと決別もしていない。トランプは慰留に入っている。
周辺情報によれば、ミリーはトランプ派の高級将校として軍に送り込まれたらしい。その結果、かなりの特進を経て現職についたようだ。
勘ぐれば、あんな写真がでかでかと出て、軍の反人権派のトップとして扱われたことに対するエクスキューズかとも取れる。
だから、問題はミリーの良心ではなく、統合参謀本部議長さえ一夜にして辞任間近に追い込むほどの民衆の圧力なのだ。
そしてコロナさへなければこれほどにはならなかったろうという、両者の社会心理学的な連結について思いを致すことだ。


12時間 眠るの記

起きてすでに1時間半、頭は依然ボーっとしてる。ボーっとしているというのは、頭の中にボーっという音が流れていることだ。

理由はおそらくリリカのせいだ。


おばさんを30時間も寝かせるの記

むかし30年も前、訴えが多く興奮気味の初老のおばさんを入院させたことがある。

とりあえず、トリプタノール10ミリを飲ませて寝かせつけたのだが、これが寝ること寝ること、24時間立っても目が覚めない。

流石に心配になって精神科の医師に相談したが、「バイタルが安定しているなら、そのまま、起きるまで寝かせときなさい」というつれない返事。
おかげでその日は病院泊まりで様子を見るハメになった。

夜の10時ころ、ナースから「目が覚めました」との連絡。急いで駆けつける。

延々30時間、ひたすら寝続けたことになる。尿失禁なし。まだ寝ぼけてはいるが、外来を受診したときとはうって変わって落ち着いた症状。

ただ話を聞くとどこか変だ。入院する前、あれだけ喋り続け訴え続けていたのが、借りてきた猫さながらにニコニコと、すっかりおとなしくなっている。

記憶もなくなっているわけではないが曖昧だ。とくに激しく訴えていた行動そのものに対する記憶が曖昧だ。

結局、そのおばさんはそのまま落ち着いた状態に戻り、現状を受容しそのまま退院となった。その後の外来での精査も異常なく、トリプタノールも使うことなく経過した。

原因は爺さんの金遣いが荒くなり、家計に支障をきたしたことだったと記憶している。それ以上の詮索はしなかった。

トリプタノールについて

トリプタノールというくすりは、難しくいうと三環系の抗うつ剤で、うつ病ないしうつ状態に使うくすりである。いまだに現役ではあるが、古典的なくすりで、副作用もふくめ究明され尽くしたくすりである。

ただ、私が勉強し尽くしたかと言われると、かなり心もとないところもある。

ただこれは睡眠薬ではなく、普通に使っても人によって多少眠くなる程度のものだ。

私はこのときの結果から、睡眠に入るにはいくつかのかぎ穴があるのだなと思うようになった。ベンザリンやレンドルミンのようないわゆる睡眠薬は、万人に効く睡眠薬であるが、人間には個別に秘密のかぎ穴があって、トリプタノールが選択的にすごく効いてしまうような受容体があるのだろうということである。

「トリプタノール受容体の活性化」仮説

これから先はただの空論であるが、それがある種の人間に特殊なものなのか、つまりDNAに規定されたものなのか、それともある特定の環境に置かれた際に誰にでも出現するものなのか、という選択である。

それが、この度、12時間の連続睡眠をもって一つの結論に達した。トリプタノールによる過剰睡眠現象は人間にとって普遍的なものである。

異なるのは前提となる精神状態であり、うつないし類うつ的な状態のときに、このかぎ穴が開くということである。

話が長くなったので、一旦話を終わる。今日も外来だ。

パソナと聞いて、「あれっ」と思ったのは私だけだろうか。
あの酒池肉林の仁風林、政界スキャンダルの真っ只中に登場したあの仁風林ではないか。社長が創価学会で会長が竹中平蔵という、その手の匂いプンプンの組織だろう。
と思って、昔の記事を掘り返そうと思ったら、案の定誰かが嗅ぎつけてきた。本日の人気記事ランキングの20位に登場している。
20「仁風林」のうわさ話
あの頃の記事はすでにみんな消えてしまったから、私のブログのようなサイトが役に立つことになる。そういえば一時廃った山崎拓のセックス・スキャンダルも、今や堂々の一位だ。
山崎拓のセックス・スキャンダル
そう思ってみてみると、ベスト20の半分位はそんな記事ばかりだ。
案外こんなサイトづくりが狙い目かもしれないね。

縁切りの手紙

「幸せの黄色いハンカチ」の冒頭画面だ。武田鉄矢がこの手紙で絶望の淵に追い詰められて、マツダの自動車で旅に出る。

ロードムーヴィーの出だしとしてはきわめてよくあるパターンだ。

しかしその縁切りの手紙にどう書いてあったかはまったく覚えがなかった。

これがその手紙だ。

enkiri

今の人は知らないだろうが、好きか嫌いかをあらわす、あるいはその行為がもう終わりかどうかをあらわす唯一の手段は手紙だった。

今ならメールで「さよなら、ごめん」で終われるのだろうが…

なお、「いつまでもお友達でいましょうね」は、女が男に告げる縁切りの常套句だった。

これは別れに際して言うべき言葉ではなかった。

これが「二度とおめぇの顔なんか見たくねぇよ」という言葉の日本語訳だというのは、男にはなかなか飲み込める言葉ではなかったからである。

桃井かおりは武田鉄矢と結婚できたか

あの映画に感激した人が、もし10年後、20年後に振り返ったら、あの二人は結婚できただろうか、その生活は長続きできただろうかという疑問に突き当たるだろう。

その問題は俗物である武田鉄矢にあるのではなく、本質的に人間的自立を求める桃井かおりの側にあるのだ。

幸せとは何なのか、ある意味でその答えをもらってしまった桃井かおりに、武田鉄矢との生活に共感はできないはずだ。なぜなら幸せについてのもっとも俗物的な理解について共感することはできなくなってしまったからだ。

その時子どもができてしまっているかどうかは決定的な問題だ。ここではできてしまったときのシチェーションを可能な限り統計的に後追いしてみる。

多分札幌にまともな仕事はないから職と給料をもとめて武田鉄矢は内地へと戻っていく。

札幌に残った桃井かおりには安定的な職はない。頼るべき身よりもないからたちまち貧困の底へと突き落とされる。仕送りはだんだん減り、間隔は遠くなり、やがて途絶える。

そこへ炭鉱閉山で離職した健さん夫婦が流れ込み、桃井かおりは健さんたちと共同生活を送るようになる。桃井かおりの同輩はそんな身よりもないから、「夜の街」で稼ぐか生保を取るか、たいていはその両方を選択して生きていくことになる。

桃井かおりはそんな女友達のために一肌脱ぐようになり、やがてNGOの代表として働くようになる。

給料のピンハネ、勝手な理由をつけた首切り、パワハラにセクハラ、生保課の保護打切りのおどし、子どもへのいじめと不登校、非行グループへの参加…

地獄への行進曲だ。しかしそこには助け合う組織があり、相互の堅い信頼があり、未来への確信がある。

幸福の黄色いハンカチ、第二部を

幸福の黄色いハンカチの第二部は作られなければならない。それは桃井かおりのその後の生き様を描く映画でなくてはならない。

黄色いハンカチはもう一度、多分札幌の空のどこかに掲げられなければならない。

山田監督、生きているうちによろしくおねがいします。


本日の赤旗には投機マネーの最近の動向に関する注意喚起みたいな文章が載っている。

これも昨日の記事と同じで、どうも絞まりが悪くて何を言いたいのかよくわからない。学生のレポートのようだ。

見出しは
主見出し: 資産運用業で膨張
横見出し: 金融市場揺るがす投機マネー
中見出し: 規制と課税 両面から対策必要

ということになっていて2,3年前の記事の見出しのようだ。

見出しの意味は、こういうことのようです。

1.主見出し「資産運用業で膨張」の意味

巨額の投機マネーが、もともとあった資産運用業に流れ込んだ。
このために資産運用業の資金が膨れ上がり、投機的性格が強まった。

IMF報告書は、「資産運用業が本来は個人投資家や年金基金などから資金を預かり運用する金融業者である、つまり比較的硬い営業をしていたのが、最近は実態が不透明になってる」と指摘している。

これが主見出しの「資産運用業で膨張」という言葉の意味だ。

2.横見出し「金融市場揺るがす投機マネー」の意味

このあたりから論旨がフラフラして、話の筋道が見えなくなってくるが、要するに

* 資産運用会社が、膨れ上がった遊休資金を飲み込んだ。

* これらの運用会社が国際金融市場の主流を占めるようになった。

* 同時に彼らが“ちょいヤバ”の運用を始めた。

ということのようだ。

この間にブラックロック社の説明が入ったり、日本のメガバンクが資産運用会社への参画を目指しているという話が入ったり、ケイマン諸島に眠る資金の説明が入ったり、とにかく知ったかぶりの余分な説明が多すぎる。

もう一つ、この記者は資産運用業と投資ファンド、投機資本などの言葉をあまり規定せずに使っているが、これでは何が良くて何が悪いのやらわからない。

それで、金融市場をどのように揺るがしているのかという話だが、これについてはただの1行も触れられていない。

書き出しのところにこう書かれているのみだ。

2月半ばからの金融市場の動揺は、この資金の流れがコロナ危機で「逆流」したものです。

これではなんのことやらさっぱりわからない。説明すべき事柄を前提に話を進められても、こちらとしては返事のしようもない。

3.中見出し「規制と課税 両面から対策必要」の意味

ここでも規制と課税の意味があまり説明されていない。

規制というのは違法性の高い高速取引を発生現場で見つけ、それに課税することで違法取引を抑制しようというもの。

課税というのはタックスヘイブンを利用した税逃れをしっかり取り立てようということである。ある意味では事後的な手続きだ。

ただ両方とも課税手続きを介している手法なので、規制と課税という表現はやや紛らわしい。



2019年06月17日 資産運用の「3巨人」

を参照されたい。


6月16日付赤旗の経済面に興味深い記事が載った。
題名は端的に「コロナ禍」
コロナの影響を経済面から位置づけようと図った記事だが、あまりに対象が広く雲を掴むようなところがある。

記事は三人の記者の覆面座談会の形をとっているが、これは焦点が定め難いのを、3つの目に分散することによって、とりあえずカバーしておこうという意向の反映かもしれない。

率直に言って記事につけられた見出しや小見出しは適当とは思えないので、私の方でシャッフルしてグルーピングしたうえで、再度組み立ててみたい。

① マクロ経済の危機

各国際機関のマクロ見通しを列挙。

世銀は20年度世界経済成長をー5.2%と発表した。国別では米国-6、ユーロ圏-9,日本-6、新興+途上国は-2.5%とした。これは過去860年で最悪。

OECDも今年度見通しを発表。世界全体で-6%、第2波の如何によっては-7.6%と試算している。

② 先進国(米国)におけるコロナ禍

先進国におけるコロナ禍は次の3つだ。

第一に雇用の喪失だ。2千万人近くの雇用が失われた。しかも雇用の喪失は長期にわたると予想される。

第二に大量の貧困者の出現だ。これは失業に伴うものだ。低賃金労働者、女性、アフリカ系、ヒスパニック系に集中している。

第三に社会の亀裂の深まりだ。コロナ危機は社会のひずみを浮き彫りにしている。その象徴が白人警官の黒人殺害だ。

「この悲劇的事件は人種差別の痛みに光を再び当てた」(FRBパウエル議長)

③ 新興国・途上国におけるコロナ禍

もっとも激しく影響を受けるのは、次の4つのタイプの国だ。ほぼすべての途上国がそのいずれか、あるいはそのすべてに含まれる。

第一に、社会扶助体系の貧弱な国、ソーシャルネットの失われた都市である。

第二に、観光や仕送りが収入の多くを占める従属性の高い国だ。(観光と仕送りを一緒にするのはいかがか?)

第三に、特定輸出産品に依存し、その輸出産品が特定の品目に偏っているモノカルチャー国だ。

第四に、多国籍企業のグローバル・サプライチェーンに深く組み込まれている下請け国家だ。

④ 新興国・途上国の多重苦

新興国・途上国を苦しめるのはそれだけではない。

世界経済的には、今回のコロナ禍を通じてさらに3つの苦難が襲う。

第一に、一次産品全体が著しい価格下落に襲われる。特に産油国では原油価格の下落が著しい経済困難に襲われる。

第二に、先進国の資金引揚げにより、「投資」が対外債務として積み上がる。

第三に、国家財政では債務超過がもたらされ、格付けの低下と通貨の為替レート下落を招く。

その結果、新興国・途上国の経済が、通貨と資産価格の暴落により底抜けしてしまう。

⑤ 資本コントロールが重要

このように世界のコロナ禍の内容を見ていくと、いま最大の課題が見えてくる。

それは第一に、新興国・途上国に対し緊急支援を行うことである。UNCTADによれば、その額は2.5兆ドルに及ぶと試算されている。

4月のG20は最貧国の公的債務支払いを今年度末まで延期することで合意した。しかしこれで収まるわけではない。支払猶予ではなく債務帳消しに踏み込まなければことは収まらないであろう。

それは第二に、巨大資本の急速な資金引揚げを予防することである。

この津波のような引き潮は、巨大資本による資本の巨大な流れがルールを無視して行われた結果起こる。

それを防ぐためにもっとも必要な手立ては、国境を超えた巨大な資本の動きを、国際協調によりコントロールすることである。

UNCTADはさらに、「必要とされる場合には、資本流出を抑えるための対策」が必要となると踏み込んでいる。

第一の方針も、第二の方針もトランプは反対するだろうが、米国の国内を見ても国外を見ても、それ以外の選択はなくなっていくだろうと思う。

ただし、最後の記者Cの発言、
「コロナ危機は新自由主義の横行を反転させた。そして巨大資本の管理の必要性を浮上させた。これは時代の巨大の変化の現れだ」
というのは流石に言い過ぎではないかと思う。

かなり長めのまえがき

仮想通貨「ペトロ」の行方は日本のメディアからはさっぱり浮かんでこない。

実はベネズエラの仮想通貨はきわめて興味ある歴史的実験なのである。それはペトロが最初の国家の運営する仮想通貨だというためであるが、もう一つは、そもそもビットコインをふくむ仮想通貨が一般通貨を乗り越えるほどに通用し、それがドル支配体制を乗り越える可能性があるのかという話だ。

だからこそ米国は仮想通貨を犯罪視し、ベネズエラのペトロ運営責任者を国際犯罪者として敵視するのである。

ペトロに関して重要な日本語記事は2つある。一つはロイターの敵意に満ちた記事であり、もう一つはサンパウロの日経特派員の同じく敵意ある記事である。

それ以外の記事は、断片的ではあるが、好意的な印象で書かれているものも多い。その多くは仮想通貨の当事者であり、ベネズエラの積極的な試みが将来に向けての試金石になってほしいという願いを込めたものとなっている。
それらを時系列風につなぎ合わせてみた。

作った後の感想だが、実はベネズエラのハイパーインフレを止めたのはビットコインだったということである。ビットコインはペトロとは違うが仮想通貨であり、その代表である。
Coindance出典:
   ビットコイン購入量の変化(Coindance出典)

この図が見事にインフレ収束とビットコインの関係を示している(左クリックで拡大)

つまりベネズエラの国民は、わずかでも蓄えを増やす経済力のある人々は、通貨ボリーバルが手に入り次第、それを片っ端からビットコインに変えていったわけだ。
そうして必要なときはそれをボリーバルに変えて買い物をすることになる。これで通貨発行量は激減する。承知の通りベネズエラのハイパーインフレは物資不足よりも投機に基づくものだったから、多分投機筋は相当痛い目にあって市場から撤退していったのではないか。

そう思うと、なにか大きな力がアメリカの圧力に対して、ズリッズリっと押し返し始めているような気がしてくる。

ビットコインは相当上下の激しいものだから、普通なら素人が手を出すものではない。しかし十万、百万というインフレに比べればはるかに安全だ。しかも、ここが大事なところだが、アメリカ政府の思うような動きには決してならない。

アメリカはベネズエラ政府をいじめるに際してマドゥロ派ではない一般国民までもいじめ抜いた。それがやりすぎると国民をビットコインの方に押しやってしまうことになる。ビットコインで生き抜いた人々は絶対にアメリカのドル支配を認めないだろう。

とはいえ、それがドル離れのきっかけにはなってもペトロの側にやってくるとは限らない。要するに庶民はもう政治なんてたくさんだと思っているのではないか。

今後ペトロが国民の間に根付いていくのには、それなりの知恵と、何よりもそれなりの年月が必要だ。しかし国民はもはや決して親米の方向には動かないだろう。

国民はハイパーインフレに苦しむ人々を前に、1千万%などと予想を立ててニヤニヤと笑い済ましていたIMFの連中を許さないだろうし、早く潰れろ早く潰れろと囃し立てていたロイターやBBCのことを信じないだろう。もうひとこと言いたいが、それは我慢する。 

ペトロに関する時刻表

2017年

8月25日 トランプ政権、ベネズエラに経済制裁を発動。米金融機関に対してベネズエラ国債とPDVSA社債の取引を禁じる。

12月3日 マドゥロ大統領、ベネズエラ政府として仮想通貨「ペトロ」(Petro)を導入すると発表。

1ペトロは1バレルのベネズエラ原油代金に対する購買券である。ペトロ保有者は暗号資産取引所で一定の“為替”レートで、ほかの仮想通貨やベネズエラ通貨と交換できる。

12月4日 ワシントン・ポスト、「ベネズエラ全国民が、1万1500ドルの年間所得をすべてビットコインに投資していたとすれば、1人当たり84億ドルの価値になっていたはず」だと論評。

2018年

1月6日 ペトロ発行計画の詳細が明らかになる。通貨の信用裏書きとして53億バレルの原油を割り当てる。これは当時の原油価格で2670億ドルに相当する。

1月6日 マドゥロ大統領、引き当て原油の財源はオリノコ重質油帯のアヤクーチョ油田1だと述べる。
アヤクーチョ油田は埋蔵されているというだけで、稼働しているわけではない。開発計画も整っていない。(ただしロイター記事)
2月 ベネズエラ、仮想通貨「ペトロ」のプリセールを開始。月末のマドゥーロ発表では、127ヶ国の機関投資家による171,015件の購入が認証され、価格にして30億ドルを調達したとされる。

3月19日 トランプ大統領、Petroの使用や購入の禁止を命令。

8月20日 法定通貨のボリバル・フエルテから新法定通貨ボリバル・ソベラノに移行。通貨単位を10万分の1に切り下げる。同時に3600ボリバル・ソベラノを1ペトロ(60ドル)に紐付ける。

10月1日 マドゥロ大統領、ペトロの国民への販売を開始すると発表。
ペトロ計画の意義を強調。ドル依存の国際市場に一石を投じ、国際市場の健全化・多様化を実現すると語る。さらに、国内のダイヤモンド鉱床やアルコ・ミネロ金鉱も割り当てるとする。
10月31日 ペトロ、米ドルなどのフィアット通貨?や一部の仮想通貨で購入可能となる。


2019年

1月14日 マドゥロ大統領が経済改革案を発表。国営企業が売上高の15%をペトロで販売するよう指示。

2月 ポンペイオ国務長官、イングランド銀行のベネズエラ外貨準備12億ドルを凍結するようイギリスに要請。

11月 この時点でペトロを受け付ける企業は400社にとどまる。多くの商店がペトロの受け取りを拒否。

11月20日 米国の制裁のため2019年の原油抽出を削減。PDVSAは批判に答え、裏づけ資源となる原油を50億バレルから3000万バレルに減少させる。ペトロの維持に疑問の声が高まる。

12月 ベネズエラで、公務員ボーナスにペトロを配布。一人0.5ペトロで原油価格に換算して3300円に相当する。

ペトロアップというサイトに登録し、そこに送付・受領される仕掛け。

2020年

1月 政府、昨年度のインフレ率が7374.4%だったと発表。18年の約170万%から大幅に鈍化。IMFは1000万%と予測していた(残念だったね)。

この間ビットコイン取引高が急増。通貨シフトにより、ボリーバルへの依存が減ったため。ただしビットコインとボリーバルとの交換は進んでいない。

1月2日 マドゥロ大統領、「我々はすでにベネズエラ産の鉄や鉄鋼をペトロで販売している。今後は石油もペトロで販売する予定だ」と語る。

1月 マドゥロ大統領、ペトロを使用するカジノをオープンすると発表。収益はベネズエラの公衆衛生および教育部門に分配される予定。

チャベス元大統領は売春、麻薬、犯罪などの温床になるとして、すべての賭博施設を閉鎖していた。

4月 ベネズエラの仮想通貨取引所Criptolago、インターネットを介さない送金システムを開発したと発表。これによりペトロのみならずビットコインも送金可能となる。

6月1日 政府、ガソリンの補助金を撤廃。代わりにペトロで支払いを行えば割引を行うと発表。
これはかなりの名案と思う。かねてより問題となっていたガソリン補助金の撤廃とペトロの普及が一石二鳥という仕掛けだ。もっともこういう美味しい話には裏があるのが普通だが。
6月2日 米政府、ベネズエラの仮想通貨事業の最高責任者であるラミレス・カマチョ氏を「最重要指名手配リスト」に追加する。

6月15日 ガソリンスタンドでの支払いの約15%がペトロにより行われたと発表。




米中新冷戦の本質

これが本質かどうかは知らないが、面白い分析だ。日経の6月1日付の寄稿記事。R.アームストロングという金融論説家によるもの。

1.米中関係の構図

まず私の米中関係の構図を示しておく。

国家としての米国対中国においては力の差は歴然としている。
リーマンショック以来、米国はドルを刷り続けた。物質的富の数十倍にのぼるドルは、ディスインフレのもとで、すべて富として現象している。そしてそのほとんどはアメリカの資本のもとにある。
中国は絶対に勝てない。だからこれはけんかではなく米国の一方的ないじめである。

ところが国家としての強大さを裏付ける、GAFAMなど成長産業は、その競争力の多くを中国での安定したサプライ網に依存している。

さらに製品の販路としても中国が最大の市場となっていく可能性がある。

したがって、米国はその経済的将来を中国に依存せざるを得ない。

代替国はないわけではない。しかしそれを実行するほどの体力がアメリカにあるとは思えない。

中国でウィンウィンの取引というのは、中国側がウィンウィンすること、つまり二度勝ちすることだという。

製品がハイテク化すればするほど、サプライ部門も高度化せざるを得ない。そして高度化したサプライ部門がいつまでその地位に甘んじているだろうか…?

ファーウェイ問題はそういう性格を内包している。これからも似たような問題は相次いで発生するだろう。

2.米中対立で米国は何を得るのだろう?

ここからアームストロングの所論に入っていく。

彼の提示するアメリカ側のオプションは以下のごとくである。

① 議会・政府はコロナ対応、WHO評価、中国企業の市場締め出しなどの派手なパフォーマンスを続ける。
② 香港に関してこれまで与えてきた特恵的な地位を断絶するとの脅し。具体的には「香港ドル」の否認。
③ 二正面作戦の強制。サプライチェーンを脱中国化する。ただし中国に販売するものについては「現地生産」を続ける。

これを見れば中国バッシングが不可能であることが明らかだ。「香港ドル」の否認はあるいは可能かもしれないが、サプライチェーンの脱中国化は共倒れの試みにしか過ぎない。(香港ドルの将来は正直のところ、私にはよくわからない)


3.中国に国際協調を迫るために

考えてみれば乱暴な話で、中国に国際協調を迫るために、国際協調のルールを無視した干渉を続け、他国へは干渉への協調を迫るというのは無茶だ。

しかし中国側に一部の非もないということではない。

以下の一文は目下私には正否を判断できない。

中国は自由貿易や企業の独立性、国際ルール、知的財産の尊重などで勝手な振る舞いを続けてきた。

ただ、まずはアメリカ自身が「勝手な振る舞い」とやめることが必要だ。ここに来て喧嘩両成敗論を持ち出されるのは、大いに迷惑だ。

今朝の赤旗を見て驚いた。と同時に、なんのことか分からず、訝しみが募った。

その記事は
国際刑事裁に経済制裁も 
トランプ氏、大統領令に署名 
米兵の犯罪捜査を妨害

という三段見出しで掲載されている。

見出しだけ見ればこういうことになる。

① 米兵がどこか、おそらくは国外でなにかの犯罪を犯した。

② これに対し国際刑事裁判所(以下ICC)が捜査に乗り出した。

③ これに対し米国が捜査を妨害する動きに出た。

④ こういう事実関係というか前後関係のもとで、米国は捜査妨害だけではなく、ICCそのものとの対決姿勢を強めた。

⑤ そして今回は、ICCをあたかも敵対機関であるかのように扱い、これに制裁(とりあえずは経済制裁)を課す動きに出た。

⑥ トランプは自らを発出元とする大統領令でこの処置を公式の米国政策と定めた。

ということなのだろう。いずれにしても、とてつもなく面倒な見出しだ。おそらくは現実の流れはもっと複雑なのだろう。

とにかく報道をチェックし、タイムテーブルと作るほかない。あまり複雑にせず、制裁に至る経過に的を絞って流れを整理してみたい。

1.ICCと米国との葛藤 事実経過

2002年

ICCの設立条約(ローマ規定)に60カ国が批准。ICC機関が発効する。

「反人道的犯罪」は、遡及禁止、公訴時効、一事不再理などの一般刑事原則に制限を受けないいとする。反人道的犯罪の責任者を裁くことを目的に設置された。

国際司法裁判所(ICJ)とは別の組織で国連からも独立。

米国はICCへの加盟を撤回。ICCの権限は米国民に及ばないとの立場を示す。

2004年

国連と国際刑事裁判所の地位に関する合意が成立。国際機関としての権威を承認される。

2007年

日本が105ヵ国目の締約国となる。ローマ規程およびその協力法が国会で成立。

2016年

ICCのベンスーダ主任検察官、2003年5月以降の「アフガンでの戦争犯罪に関する予備調査活動」の結果を発表。正式な捜査開始を求める。

米軍が米中央情報局(CIA)運営の秘密の拘束施設で拷問をしていたと信じるに値する根拠がある。

2019年

4月 ICC予審判事部、アフガンでの戦争犯罪調査は「正義のためにならない」と判断。調査を中止する。

19年 トランプ政権、アフガニスタンにおける戦争犯罪容疑で訴追された米軍関係者を赦免。その一方で、べんすだ検察官などのICC職員にビザ取り消しなどの制裁を科す。
アフガニスタンはICCの加盟国だが、捜査には反対の意向を示す。

2020年

2月 アメリカとタリバン、18年以上にわたる戦闘の末、和平に向けた合意に署名。

3月 ICC上訴審、「予審判事たちは間違いを犯した」と述べ、1年前の予審判事部の判断を覆す。検察側の訴えに基づき、アフガン戦争中の戦争犯罪について「真実追究」捜査を実施すると決定。タリバン、アフガン治安軍、米軍と米CIAが対象とされる。

3月 米政府はICC決定に強く反発。ポンペオ国務長官はICCを強く非難。

今回の事態は向こう見ずなものだ。説明不可能な、法的機関を装った政治機関による、まさにあぜんとする行為だ。米政府は裁判所を名乗るこの陰謀組織から米国民を守る。

4月

ICCのベンスーダ主任検察官、パレスチナの法的地位に関する調査を開始。

5月

ポンぺオ国務長官は書面の声明を発表し、この取組を非難。ICCは自らが政治的機構であることを改めて立証したとする。

6月

11日 トランプ米大統領、ICC当局者に対して経済制裁を可能にする大統領令に署名。
米国民の捜査に関与したICC職員が対象となる。該当者の資産を凍結するとともに、入国を禁止。

11日 大統領制発令に当たり、ホワイトハウスが声明を発表。

ICCは、米国・イスラエルに対する捜査を続けている。この捜査は政治的動機に基づいたもので、米国民の利益侵害と米国の主権侵害となっている。

11日 声明発表後の記者会見。

ポンペオ国務長官はICCを「いかさま裁判所」と表現。いいかげんな裁判で脅されることはないと言明。
バー司法長官も「財政上の腐敗や不正行為がある」「ロシアに操作されている」などと主張した。ただし根拠は示さず。


2.各方面の反応

ついで、この大統領令に対する各方面の反応を列挙しておく。

まずはICCそのものの反論(声明)。
ICCへの攻撃は法の支配を妨げる許されない試みだ。
ICCは残虐犯罪の犠牲者にとって正義への最後の望みとなっている。ゆえにICCへの攻撃は犠牲者に対する攻撃でもある。
次にEUの公式反応。EUの外相に相当する外交安全保障上級代表が「深刻な懸念」を表明。
ICCは国際社会に正義をもたらし、最も深刻な国際犯罪に対処するうえで重要な役割を果たしている。すべての国から尊重され、支援を受けるべきだ。

3.以上の情報から分かること

とりあえず、分かる範囲で経過を記載したが、これで最初に上げた6つの行動のつながりがわかってきた。

① 米兵がどこか、おそらくは国外でなにかの犯罪を犯した。

② これに対し国際刑事裁判所(以下ICC)が捜査に乗り出した。

③ これに対し米国が捜査を妨害する動きに出た。

④ こういう事実関係というか前後関係のもとで、米国は捜査妨害だけではなく、ICCそのものとの対決姿勢を強めた。

⑤ そして今回は、ICCをあたかも敵対機関であるかのように扱い、これに制裁(とりあえずは経済制裁)を課す動きに出た。

⑥ トランプは自らを発出元とする大統領令で、この処置を公式の米国政策と定めた。

キーワードはアフガンである。

もともとICC設立の過程でアメリカは積極的な役割を果たしてきた。冷戦構造の一方の旗頭を担ってきたアメリカには「自由と民主主義の守り手」という自負心があった。

しかし一方では世界の支配者として自分の思うままの世界を作りたいという欲望も強かった。
だからICCの創設間際になって、そこから逃げ出しただけではなく、ICCの一貫した反対者に転換した。

しかしそういう一般論だけではない。アフガンでの反人道的犯罪があって、それが白日のもとにさらされ、公式に非難されることへの恐怖が、反ICC意識を駆り立てているという事情がある。

ここを理解しないと、WHOにつづいて今度はICCかということになる。ある意味ではそこがアメリカ政府の狙い目かもしれない。

だから、我々は米軍とCIAがアフガンで何をしたのか、いかにそれが反人道的であったのかを知り、世に知らしめる必要があるのだろう。

赤旗の記事は、複数の記者の共同による力の入った記事である。ぜひ、事の真相に迫るような今後のフォローをお願いしたい。

白い民主主義からすべての色の民主主義へ

1.米国における「4つの差別」

今日の赤旗日曜版で、アメリカ人評論家のジョン・フェファー氏が重要な発言をしている。

黒人男性殺害事件で米国内がこれほどまでに沸騰しているのは、「4つの差別」が背景にあるという。

第一に、警察による人種差別である。今回の事件につながる警官の暴行は系統的で、明らかに人種差別という点で共通している。

第二に、いのちの人種差別である。米国の新型コロナは明らかに有色人種を狙い撃ちしている。それは有色人種の健康や医療が体制的に保障されていないためだ。

第三に、経済差別である。失業率が大恐慌以来最悪の水準に達し、貧困層を直撃している。なかでも都市の有色人労働者がその標的となっている。

第四に、政府による差別である。それはトランプ大統領が関係しているが、それにより連邦政府のこれまでの政策が、差別を助長する方向に歪められていることを見逃すことはできない。

つまりアメリカの伝統的民主主義が、4つの差別を内包しているということになる。

2.白い民主主義の歴史的限界

実は、フェファー氏のいう4つの差別のうち第4点については、私がかなり拡大解釈している。

私は、トランプの差別主義、ひいてはトランプの登場を許してしまったアメリカの民主主義の弱点が問題の歴史的根源にあると考えるからである。

これはアメリカだけが抱える問題ではない。16世紀以降、世界に進出し植民地化し、支配してきたヨーロッパ白人社会が共通して抱える問題だからである。

それを厳しく表現するなら、「白い民主主義」の持つ本質的限界が露呈された象徴的事件ということができるだろう。

私は決して「白い民主主義」の歴史的役割を否定するわけではない。

とりわけ反ファシズムの闘いの旗頭となったルーズベルト大統領のもとでのニューディール政策が、戦後の世界秩序の形成に果たした巨大な役割は巨大なものである。

にもかかわらず、それが非白人の差別の上に成立した民主主義だということは動かしがたい事実であり、そこには超えなければならない歴史的限界があるということである。

2.白人民主主義は人種差別に関して寛容だ

白人民主主義は白人優位に執着している。その結果非白人の社会進出は抑制されている。それは歴史的経過と社会の現実を見れば明らかである。

だからどんなに優れた民主主義であっても、すべての人種に開かれた民主主義にそのまま移行することはできない。それどころか「最悪の民主主義」に移行する危険もある。

この「最悪の民主主義」は、内部的には民主主義そのものであり、その担い手に悪の意識を持たせない分、救いがたいほどに最悪なのである。

20世紀は西欧諸国に民主主義(法の下の無差別平等)の考えが広まった世紀であると同時に、植民地主義と選民思想が風靡した世紀でもあった。両者は共存しうるのだ。


4.すべての色の民主主義を

白い民主主義の軛を抜けすべての色の民主主義の世界に移行する社会的実践は、すでに多くの経験を積んでいる。

その最大の経験は第二次大戦後の植民地解放闘争だ。これらの国(アジア・アフリカ)では白人の植民主義者を追出し、白人民主主義をモデルに自国民の国家を作り上げた。

白人植民者とその子孫により支配層が分厚く形成されている国では、さまざまな移行形態が試みられている。

人口の多くを先住民や混血が占める国では、「民族解放闘争」の旗印が掲げられることもあるが、大事なのはその形態ではなく、非白人系(多数系)のイニシアチブのもとでの民主主義国家づくりという方向性であろう。それなしに差別からの自由は実現し得ない。「解放」(Liberation)というのはそれを目指しているものと考えられる。

この運動の先頭を担っているのがベネズエラの革新政権だろうと思う。(すみません。体調不良にて脳みそがスタミナ切れしました)

「いわゆる夜の街」は発言者の品位だ

それは「強烈な正義感」に基づく曖昧な定義だ。つまり禁じ手である。とくにその表現が社会的弱者に向けられている点で、きわめて危険な思想だ。

同時にそれは口にするのもはばかるような下品な言葉で、人中で大きな声でしゃべるような言葉ではない。若い人にはわからないかもしれないが、それはたんなる繁華街ではない。それは「夜の街」という一つの単語であり、立ちんぼであろうと赤線であろうと、つまりは売春街なのだ。

「夜の繁華街」と「夜の街」とはまるで違うものなのだ。

むかしたしかそんな名前の映画があった。「こんな女に誰がした」というのが主題歌だったんではなかったか。

それはともかく、人の上に立つ人で、これほど危うい情緒的表現で人々を貶める人物は見たことがない。

一言で言って、人としての品性が感じられない。厚塗りの顔をひんむくたら、真っ黒なドロドロとしたものがうごめいているのではないかと思ってしまう。

第一に、それは強烈な嫌悪感をうちに秘めた言葉だ。聞くだけでもおぞましい言葉で、公の場で然るべき立場の人が口にするような言葉ではない。

彼女には独特の「健全な街」概念がある。それが基準になって、それ以外の世界を嫌悪し排斥することになる。
彼らをいなくても良い人々、いないほうが良い人々と捉えているようだ。

「夜の街」はたちまちのうちに黒い世界、闇の世界を指す言葉に置き換えられていくのではないか。あるいはそれを期待して吐き出された言葉ではないか。そういう危うさを強烈に感じる。

第二に、それはきわめて曖昧で境界はあえてぼかされている。具体的な業態に基づく区別ではなく、曖昧で強烈な正義感に基づく分類だからである。

その言葉をあえて認めたとして、「あれは夜の街、これは健全な街」という線引が生じることになる。

その際に強烈であることと曖昧であることが、きわめて危険な傾向を生じることは避けられない。

悪がランキングされ、「夜の街」は無間地獄として位置づけられる。しかもそれは「いわゆる夜の街」として恣意的に拡大解釈されていくことになる。

第三に、これはあまり考えたくはないことだっが、このようなソーシャルバッシングは、「このようなウジ虫どもに営業を保証する義務などない」とし、「補償なしの自粛」を強要する手段としても使いうることだ。

これは弱者を不良者として切り捨てる思想であり、うまく行けば偏見と憎しみをその糧に、包囲網をさらに拡大していくことも可能である。

ではどう表現すべきか。事実に即してありのままに客観的に語ればよいのである。

夜の繁華街は夜の繁華街として語ればよい。たまたまクラスターが発生したとしてもカラオケやクラブやライブハウスは「いわゆる夜の街」とは無縁である。スナックなど女性の接待を伴う店でも、別にいやらしくない健全な店はたくさんある。


Note というサイトの6月5日号に
という記事がある。飲食店/人/組織づくりコーチの野口信一さんが書いている。一昨日アップされたばかりだ。

かゆいところに手が届くような、親切な文章で、裏返せば危機感がひしひしと伝わってくる文章だ。詳細は本文をご覧いただきたい。

 ここに掲げるのは野口さんの労作だ。
業態

地域によって業態表現や呼称、客単価額や閉店時間など様々で、仕事で全国47都道府県に行き、各地の“夜の街”を訪れた小生としての標準化ではあるが、凡そ間違ってはいないと思う。
とある。

野口さんの提言は下記のごとくである。

①業態呼称を公明正大に行政が利用し、
②“接待を伴う飲食店”や“夜の街”と総括するのではなく、
③“イカガワしい秘匿性の高い業種”扱いをせず、
④個別の業態として世に認知されるべきだ。

この提案が正しいかどうかはわからないが、少なくとも行政が率先して「いわゆる夜の街」と差別をするよりははるかにマシと思う。


取り越し苦労といえばそれまでだが、これまでも私達は、部落民、朝鮮人、アイヌ人、沖縄人などに対する根拠のない、常軌を逸した差別が行われるのを見てきた。

この都知事発言がある種の職業、職域に関わる人々への集団「虐殺」につながらないよう見守りたい。

1.超帝国主義はまやかしだ

ネグリの「帝国」はGAFAMのことであろう。当時はまだ正体がわからなかったから、ヘッジファンドとか言っていたが、ようするに新自由主義の発達に伴って、これまでの多国籍企業の枠を超えた超国家的権力が生まれつつあるということだったのだろう。

この考えは2つの点で、大間違いだとうことが分かった。

第一にGAFAMの下に生まれつつある超帝国主義は資本の持つ悪意が極度にまで進展したものだということ。
決して資本主義の進歩した形態ではなく、もっとも腐朽した形態なのだ。

第二に、GAFAMは国籍を持ち、母国によって守られているということだ。
それがもっとも端的に現れたのが、租税回避をめぐる国際論議だ。米国は諸外国におけるGAFAM課税の動きを恫喝し、自国への還流を策している。

つまりGAFAMは超国家権力ではなく、アメリカ帝国主義の一部であり、そのバーチャルな表現なのだ。

2.新自由主義とグローバリスムは厳密に使い分けられなければならない

両者の意味は、少なくとも経済学的にはまったく異なる。しかしその言葉の指す現実社会の領域が類似しているので、しばしば混同される。中には意識的な混同もある。

これはグローバリズムという言葉が多義的であることに原因がある。また新自由主義も学説としてのマネタリズムという他に、主として米財務省が打ち出した国際貿易、金融政策という意味があって、これも意識的に混同される。

新自由主義政策のマニフェストは、ワシントン・コンセンサスである。

これは以下の条項を原理とする
1.資本の移動の自由
2.通貨の交換の自由
3.労働の移動の管理と制限

繰り返しになるが、もう一度確認しておきたい。

「世界資本主義」は、労働の自由と労働者の移動の自由が確保されない限り幻想である。それはアメリカ帝国主義に対する幻想である。


3.マルティチュードと新中間層

とはいえ、先進国や一部の新興国では資本の一定の蓄積のもとで、中間層が形成されつつある。

以前から、こうして形成される新中間層とは何なのかがずっと気になっていた。

去年ニカラグアを訪問したとき、政権を支えるヤング世代の人々の存在が非常に気になった。

サンディニスタ革命40周年というから2世代経過している。サンディニスタが政権を降りてから30年だ。つまり35歳以下の人々、すなわち人口の圧倒的部分はサンディニスタの闘いを知らない。

彼らの多くは2006年、ダニエル・オルテガが大統領に再選されて15年の業績で判断しているのだ。
関係者の話をいろいろ聞いて分かったのは、彼らには定職があり、それは、生活は厳しいが誇りを持てる職業だということだ。彼らはこの間に偽りのない教育を受け、ディーセント・ワークを獲得している。

教員であったりナースであったり、清掃であったり、ゴミ収集であったりするが、公務員だ。正規の労働者として保護される。そんな国は中米に一つもない。

第二には社会的生活基盤が整備され、共稼ぎで子を育て、世代を再生産する余地があるということだ。それは家族の明日があるということであり、未来には安定が期待できるということだ。

これは、中間層=小ブルと考えるこれまでの発想とはまったく異なるが、全人口の95%が貧困層・失業者に属するような社会ではきわめて妥当な定義だ。

肝心なことは、その新中間層が既存の支配層と貧困層を結びつける接着剤となって、国家と国民を形成することなのだ。

昨年4月ニカラグアでは、金で雇われた「民主主義派」の暴動や暗殺などの策謀を平和的に吹き飛ばした。それは私達がこの目で見てきた。

ベネズエラでも、相次ぐクーデター策動や経済封鎖で明日にでも崩壊しそうな政権が、実はアメリカの攻撃に耐え抜く底力を身に着けつつあるのではないだろうか。

4.非生産労働者こそマルティチュード

ラテンアメリカのことだとつい力が入ってしまう。

話がとんでしまったのだが、私はマルティチュードはこのような形で生まれてくるのではないかと思う。

彼らの多くは、物質的生産→流通・販売という広義の生産過程ではなく、物質を消費し、それにより生活を生産し、それにより欲望を生産する過程にかかわる労働者であり、そノ生活インフラを支える労働者であり、マルクス流に言えば非生産労働者である。

5.生産は欲望の拡大と道連れで拡大する

たしかに物質的富の生産こそが社会の村立基盤であり、生産関係が社会関係を規定する。そのことを否定するものではない。

ただ産業革命とマルクスが観察した急速に発展する資本主義社会というのは、世界史的には例外の時代だったのではないかと考える。

それは大規模な世界交易の発展期であり、海外市場は無尽蔵であり、工業製品は作れば売れる時代だった。場合によっては大砲で脅して買わせることも“自由”だった。
したがって物質的生産が度外れに強調される時代だったのである。

市場が円熟すれば、消費活動を抜きに生産活動は語れなくなる。

そこで第二次大戦後の大量生産・大量消費時代が展開されたのだが、人工的に煽られた欲望にはいずれ限界が来る。

そのような「大衆社会論」の行き詰まりが新自由主義を招いたのだが、これは「神の手」論と「トリクルダウン」論に基づくフィクションである。

こんなことをしてはいずれどんでん返しがやってくる。みなそれを感じながら目をつぶって進んできたのではないか。そしてコロナが最悪のどんでん返しをもたらすのではないか。

6.欲望にも市場がある

もちろん欲望の一番の基礎は物質的富にあるのだが、現代では物質的富は一部に過ぎず非物質的なものへの欲望のほうがはるかに高い比重を持つようになっている。

非物質的欲望の一番基礎に座るのは、社会的サービスだ。医療・教育に始まって、清掃から防災など多岐にわたる。私はこれを社会インフラと呼ぶ。

そしてその上に、芸術・スポーツ・娯楽などの実に多様な世界が広がっている。私はあまり勉強していないのでお教えいただければありがたい。

社会インフラが等差級数的に進めば、枝葉の部分は等比級数で拡大する。社会の人的生産力はますますこの世界に広がっていく。

非物質的市場のイメージについては、到底わたしに論及しうるようなものではないが、以下は言えるのではないか。
すなわち、それはかなり労働力市場と近縁のものであり、その“裏返し”の形態を取るのではないか。

社会インフラで働く労働者がその他の労働者を引っ張り、労働者階級の前衛に立つ形で市場の一報を形成していくのではないかということだ。

7.社会インフラ労働は本質的に協業である

物質的生産労働においては分業が本質であり、協業は補完的である。大規模生産においては部門内での協業がかなりの程度まで発展するが、社会的生産の主流を形成するわけではない。

これに対し、社会インフラ労働は、すでに社会の手によって分割されたものとして提示されている。だから社会インフラ労働は本質的に協業的であり、かつ社会的である。

ネグリは、おそらく無意識的であろうが「生産的協働」という言葉を用いている。

ネグリはそれをこういう。
マルチチュード労働者の保有する活動諸力は生活すること、愛すること、変革すること、創造することである。マルチチュードの生きた労働こそが、潜在的なものから現実的なものへの通路を築きあげる。
それらの生きた労働は直接的に社会的ネットワ!ークであり、コミュニティーの諸形態である。
非物質的労働は本質的に協働的であり、必然的に社会的相互作用をもたらす。
これらの特徴が非物質的労働自体を価値づけているのだ。

その兆候はすでに、オキュパイ闘争を通じて現れている。オハイオ州での下級公務労働者の反緊縮の闘い、最低時給の引き上げを求める闘争に示されている。

平井文子さん「中東におけるコロナショックをめぐる状況」ノート

AALA オンライン国際部会から


中東諸国での感染状況

トップはトルコ( 感染者16万人,死者4500人、世界で 10 位)、2位がイラン( 14万人、死者7400人、12 位)である。

以下サウジ、エジプトと続く。

湾岸産油国は人口は少ないが感染率が高い。これは感染者に占める出稼ぎ労働者の割合が多いからだ。彼らはタコ部屋に閉じ込められ、 失業しても 帰国も出来ない状態に置かれている。

このほかおそらく相当多いと思われる難民・避難民に関しては信頼できる統計はない。

各論

1.アメリカ

1 1 月の大統領選を控えたトランプ政権 は、国際法・国連決議を無視して親イスラエル政策を推し進めている。

オバマ政権(2009~2017)はブッシュの一極主義戦争(アフガン戦争、イラク戦争)の後始末に力点をおいた。

シェールオイル・ガス生産増による中東への石油依存度の低下という事態が、アメリカの中東政策の変化をもたらした。

泥沼化したシリア内戦には軍事・政治介入を最小限にし、トランプの口からは「シリアはロシアに任せる」という言葉が飛び出している。

当面の中東政策は、イランの驚異を強調してペルシャ湾の緊張を煽り、サウジ等への大量の武器輸出で儲けることにあるようだ。


2.イスラエル

率いる与党リクードはこの間 3回の総選挙 を
繰り返したが勝利できず、組閣不可能状態にあった。

ところが、コロナショックを機に挙国一致の 新連立政権が成立した。これによりネタニヤフの首はつながった。


3.パレスチナ

3月、イスラエルの治安部隊は西岸で100
戸の家を急襲し、217人のパレスチナ人を逮捕した。そして西岸の5つの村へのアクセスを遮断した。

閉鎖は仕事、教育、農業、医療などまともな日常生活の維持を困難にし、住民の生活を崩壊させた。

ガザは恒常的な封鎖下で、人の出入りが厳しく制限されている。

このため、新型コロナの感染が抑えられている。しかし、医療設備が整っていないため、万一感染爆発が起これば甚大な被害が予想される。

3.アルジェリア

2019 年2月、ブーテフリカ大統領(当時81 歳)が5選を狙ったが、民衆の抗議により阻止された。当時ブーテフリカは81歳だった。

しかし12 月に行われた大統領選挙ではブーテフリカと同じく軍部の応援する元首相テブン氏が当選した。

その後テブンの就任を認めない民衆の平和的抗議行動が続いていたが、コロナを機に政府は外出禁止、集会禁止令を発し、ヒラク潰しにかかった。


蛇足ですが

リージョナルな政治情勢の流れを、アメリカの政策から始めて展開していく手法は、いまでは懐かしくさえ感じられます。

しかしその手法がいまでもきわめて有効であることに驚かされます。

これは中南米の情勢分析をする際にはもっと有効だろうと思います。


1. アフリカにおけるコロナの罹患状況

アフリカでのコロナの流行拡大の速度は意外に遅い。

5月26日時点のアフリカ全土の感染者数は推定で約12万人、死者数は約3500人で、欧米に比べると圧倒的に少ない。

アフリカ各国の感染者数を見てみると、南アフリカが2万4千人、エジプト(1万7967人)やアルジェリア(8503人)、ナイジェリア(8068人)、モロッコ(7556人)、ガーナ(6964人)、カメルーン(5044人)で多くなっており、この7カ国で全体の感染判明者の約67%を占めている。

一方、感染判明者が100人に満たない国も10カ国ある。

2.疾病統計はほとんど当てにならない

しかし、感染者数はまったく当てにならない。

英BBCによると、千人当たりの検査数はチャドが0・1件、マリ0・17件。アフリカ最多の2億人近い人口を抱えるナイジェリアも0・23件だ。

タンザニアでは、政府による感染者数の発表が1カ月近くされていない。

3.感染の広がりが遅い理由

アフリカで感染の広がりが遅い理由には3つある。

第一にコロナ関連疾患は上流階級の病気だからである。コロナは飛行機に乗ってやってくる。
ほとんどの人には縁のない世界だ。

第二に、アフリカ諸国の平均年齢はべらぼうに若い。だから感染しても不顕性で収まってしまう可能性がある。

第三に、アフリカ諸国の多くにはまともな検査体制はないから、統計数字には意味がない。PCRをサンプリングで施行して、推計する以外にない。

4.ロックダウンは有害無益

こういう国で、ドラスティックな封じ込め作戦を取ることは不必要で有害である。

コロナについてのリテラシーを拡大すること。収容施設をしっかりとること、マスク・手洗いの励行、三密対策の実行が必要だろう。

すみません。参考記事が少ないため、あらっぽい文章になってしまいました。

新型コロナウィルスの研究の変遷

基本的な知識は東洋経済ONLINE 2月12日号「新型コロナウイルス:専門家見解で人工で製造することは不可能」が詳しい。これは中国の民間誌『財新』の提供記事だそうです。

1月12日 中国科学院武漢ウイルス研究所、新型ウイルスの遺伝子情報を解析。WHOに提供。

中国科学院が武漢に持つウイルス研究所は、中国で唯一のバイオセーフティーレベルP4の実験施設を有している。幹部研究員の石正麗氏はコウモリを宿主とするウイルス研究が専門。コウモリを求めて雲南省の洞窟などに通う姿から、「バットウーマン」とも呼ばれる。
2017年SARSがコウモリを起源とする、SARS型コロナウイルスによるものであることを明らかにした。
石済麗

1月21日 中国科学院上海パスツール研究所などが新型コロナの人感染機序を明らかにする。新型コロナと一体化したS-タンパク質が、人のACE2受容体を介して呼吸器官の表皮細胞に侵入すると推定する。

1月22日 中国の研究者の共同論文が「Journal of Medical Virology」に掲載される。新型コロナウイルスは、コウモリのコロナウイルスと起源が未知のコロナウイルスとの間で遺伝子が組み替えられることによって発生したとされる。

1月23日 石正麗ら、bioRxivで、「新型コロナウイルスの発見とそれがコウモリを起源とする可能性について」という研究論文を発表。
雲南キクガシラコウモリに存在するRaTG13コロナウイルスとの一致率は96%に達していることが明らかになる。この研究は『ネイチャー』誌の2月3日号で発表された。

人工ウィルスではない証拠
ただし相違点4%は、遺伝子変異1200カ所起こるのに当たり、人工的操作では不可能。
またDNAを切り離し接合するにはエンドヌクレアーゼを挿入する必要があるが、新型コロナにそのような形跡はない。

1月26日 親人民解放軍系民間軍事サイト「西陸網」が、「新型ウイルスはアメリカがつくった中国人だけに作用する生物兵器だ」という陰謀論系の記事を掲載。

1月末 「新型コロナウイルスは人間が造った生物化学兵器だ」(陰謀論)が中国内外に広がる。また石氏の実験施設がウイルスの発生源ではないか、という「疑惑」が飛び交う。

1月31日 デリー大学の研究者がbioRxivで「2019新型コロナウイルスの棘突起タンパク質に含まれる独特な挿入配列とエイズウイルスのHIV-1 dp120、Gagタンパク質との間で見られる奇妙な相似性」という研究論文を発表。

まもなく論文を撤回し、以下のコメントを残す。
このストーリーはすでにソーシャルメディアとニュースメディアにおいて異なる仕方で解釈され、拡散してしまいました。私たちには陰謀論にその議論の根拠を提供する意図はありません。私たちはさらなる分析を行ってから修正版を提出することにしました。

インド論文に対する批判が集中。
エイズウイルスは逆転写ウイルスでありコロナウイルスとの間には大きな違いがあるためDNA間で組み換えが起こる可能性が低い。従って相同性があったとしても生物学的な意義はない。
とされる。

2月2日 石正麗氏、微信(WeChat)のモーメンツに投稿。

新型コロナウイルスは、大自然が人類の愚かな生活習慣に与えた罰だ。私、石正麗は自分の命をかけて保証する。実験施設とは関係がない。不良メディアのデマを信じて拡散したり、インドの“科学者”の信頼できない分析を信じる人にご忠告申し上げる。「お前たちの臭い口を閉じろ!」と。

2月3日 亡命富豪の郭文貴、「西陸網」の記事を引用し、「新型コロナウイルスが生物兵器であることを軍が公式に認めた」と報道。

2月4日 石正麗は中国の独立系メディア「財新」に対し「陰謀論者は科学を信じません。私は国の専門機関が調査を行い、私たちの潔白を証明してくれることを望んでいます」と語る。

2月9日 法輪功の衛星テレビ番組、「新型コロナウイルスは人工ウイルスの可能性が高い」と報道。

2月18日 ワシントン・ポストのインタビューで、専門家の意見を報道。「人工的なものを示す痕跡は皆無であり、生物兵器である可能性は強く排除できる」

3月28日 米国立保健機構(NIH)のコリンズ所長、新型コロナウィルスは人為的産物ではないとコメント。

「武漢コロナ」に関するトランプ発言の変遷

4月14日 ワシントン・ポスト、「2年前に科学分野の外交官が武漢の研究施設を訪問し、安全管理に対する懸念を報告していた」と報道。

4月15日 FOXニュース、複数の情報筋の話として「新型コロナは生物兵器として開発されたのではないが、武漢の施設での研究過程で漏洩したもの」と報道。

4月15日 トランプ大統領、「それぞれの報道について徹底的な調査を進めている」と語る。

4月17日 リュック・モンタニエが、ニュース番組に出演。新型コロナは人工ウイルスだと断言。(これに関してはこちらを参照)

4月17日 中国が武漢の死者数を約1.5倍と大幅に上方修正。トランプは「中国は情報を隠蔽している」と非難。

4月18日 トランプ「もし故意ならば中国は報いを受けるべきだ」と先鋭化する。

4月21日 WHOのシャイーブ報道官、「武漢の研究施設が発生源とはみていない」とし、モンタニエの「研究施設で加工されたもの」との主張を否定。

4月22日 ポンぺオ米国務長官、新型コロナは武漢の研究施設から流出した可能性があると発言。市内数カ所の研究施設の調査を求める。

4月30日 トランプ 記者会見

「武漢の研究所が新型コロナの発生源だ」と強く確信させる証拠を発見している。

ただしその数時間前に出された国家情報長官室(ODNI)の公式声明文ではこう書かれていた。

情報機関は全体として、新型コロナウイルスは人工でなく、遺伝子組み換えでもないと考える。
情報機関(複数)は武漢の研究施設でのアクシデントの可能性を検討するため、さらに調査を続ける。

4月30日 ニューヨーク・タイムズが以下の記事を発信。(発信時刻は)トランプの記者会見の直後。

見出し「トランプ政権高官が、ウイルスと武漢の研究所をつなげるよう、スパイに圧力をかけている模様」

情報機関の分析官たちの一部は、それによって情報分析が歪められ、中国批判のため政治的に利用されることを危惧している。
ほとんどの情報機関では、
①研究施設からウイルスが流出した証拠は見つからないだろう
②所外で動物から人間に感染した可能性が圧倒的に高い
と考えている。

4月30日 CNNも、「トランプ大統領の主張は、情報機関と矛盾している」と報道。さらにポンペオ国務長官が圧力の先頭だと指摘。

5月1日 AP通信によれば、国土安全保障省は「中国は新型コロナの深刻さを隠し、その間に自国用に医療器具を確保しようとした」と分析。

5月3日 トランプ、FOXテレビで発言。ウィルス流出について「彼らはひどい過ちを犯しそれを隠そうとした。非常に決定的で強力な報告書が出るだろう」と語る。

5月3日 ポンペオ国務長官、ABCテレビ番組で「新型コロナが武漢の研究所から流出したという多くの証拠がある」としたが具体的な内容には触れず。

5月4日 トランプ、「関税引き上げは中国への最も重要な罰則だ」と語る。

5月初め SNSで「中国科学院武漢ウイルス研究所の幹部石正麗が、秘密文書を持ってフランスの米大使館に亡命申請した」との情報が拡散。

5月6日 ポンペイオ長官、記者会見で「研究所から流出したか、ほかの場所からなのか確信があるわけではない」と述べ、従来の発言を修正。

5月7日 トランプ、「報告書が出てくるが、君たちに見せるかどうかはわからない」と述べる。

5月7日 米軍のミリー統合参謀本部議長、新型コロナは「人工的に作られたものではない。決定的な証拠はないが、意図的に流出されたものでもないだろう」とかたる。

5月11日 武漢ウイルス研究所の袁志明研究員、「危険度の高い病原体を扱う実験室では密閉性を確保しており、流出の恐れはない」と説明

5月24日 武漢ウイルス研究所の王延軼所長、「新型コロナの遺伝子情報はこれまでの研究対象と大きく異なり、ウイルスが流出した可能性はまったくない」と疑惑を否定。
所長

5月25日 石正麗、流出説を否定。さらに科学の政治化を憂慮すると発言。

5月29日 トランプ「新型コロナの初動に問題があった」とし、WHOを中国の「操り人形」と批判。関係解消を表明。


「インド・コロナ問題に関連した資料」
5 月 27 日 のAALA ウェブ勉強会で清水 学さんが報告したものである。

なかなか手に入りにくい報告なので、その要約を紹介しておく。(一部日経新聞などで補充)

 
1. インドにおけるコロナ感染の経過

1 月 30 日 インドで最初の感染者が確認された。

3 月 25日 全インドを対象にロックダウンを実施した。このときまだまだ死者数が 2000 人未満の段階だった。予定期間は3週間であった。

4 月 15 日 全土ロックダウンを再延長。

4 月 20 日 感染者が少ない地域での経済活動の再開が部分的に認められた。

5 月 1 日 全土ロックダウンを5 月 17 日まで再度延長した。

5月15日 ロックダウン中にもかかわらず感染者の急増が起こった。感染者数では中国を超えてアジア諸国のトップとなった。失職者が農村に帰る際に新型コロナを持ち込む構図となる。

5月17日 全土ロックダウンを5月末日まで再度延長した。

5月25日 感染者は2週間で倍増。14.5 万人に達した。これは世界9位である。死者数 は 4172 人で中国に接近している。

5月 都市部の失業率が26%に達する(ロックダウン開始時には9%)。全国では1億2千万人が職を失った。その7割は日雇い労働者(日経新聞) 

6月4日 新型コロナ感染者21万人。新規感染者は1日あたり9千人のペースで増加。

この経過を見て清水先生は次のように結論している。

社会的セーフティ・ネット・システムが不十分の場合は、ロックダウンの副作用はコロナ感染防止効果よりも大きくなり、全体としては社会的に も マイナスになる可能性さえある。


2.なぜロックダウンが悪かったのか

13 億強の人口大国 において一斉に全国一律な形でロックダウン の対象にした。その予告はわずか 4 時間 前であった。

A.  大幅な需要減

食品とアルコール以外の消費は控えられている。

自動車の販売 台数 はほぼ ゼロである。エアコン・冷蔵庫・ TV などの耐久消費財も同様な状況である。宴会・航空機や 列車による旅行などのサービス業も同様である。

 その結果27 万以上の工場、7000 万の中小企業が需要減に苦しんでいる。

B. 労働者への被害

全土ロックダウンで仕事を失った者は 1 億 1400 万人、そのうち 9100 万人が 大都市での 日雇い労働者だった。さらに 1700 万人のサラリーマンがレイオフされた。

ロックダウンは都市で働く出稼ぎ農民を襲った。職を失った出稼ぎ農民は帰省を図ったが、それらは都市に封じ込められた。

C. ムンバイにおける日雇い労働者=出稼ぎ労働者=スラム居住者の動向

ムンバイの例を見てみよう。ムンバイでは日雇い労働者=出稼ぎ労働者=スラム居住者である。それはムンバイ2千万人市民のうち500万人程度と見られる。

彼らはロックダウンされたが、そのまま都市に残れば生活の見通しはなく、むしろ飢餓の危険さえある。

そのためあらゆる手段を使って帰省しようとする。炎天下での悲劇的な徒歩旅行が始まる。50 度を超えるのも珍しくはない。

皮肉なことに、ロックダウンが都市から農村への移動を強制するのである。

5 月中旬になると政府も列車・バスを準備して帰省を援助せざるを得なくなった。その数8000 万人といわれる。


3.政府の景気刺激策

5月12日、モディ首相は第 3 次経済的刺激策を発表した。財政規模はGDP の 1 割に相当する30兆円である。

刺激策の半分近くはインド準備銀行(中央銀行)による低利融資分である。しかし借り手がほとんどなく資金は中銀のレポ口座に残ったまま積み上がっている。

結局有効な貧困者支援となっているのは、一人当たり月あたりで
穀物 5 ㎏、チャナ 豆1㎏の現物支給のみである。食用油と塩は含まれていない。それが供与される期間は 2 か月しかない。

『世界人権宣言』
 (1948.12.10 第3回国連総会採択)

〈前文〉

1.普遍的人権の承認の意味

人類社会のすべての人は、固有の尊厳と平等である権利を持つ。これらは譲ることが出来ない。

2.人権と自由、正義、平和の関係

普遍的人権の承認は、世界における自由、正義及び平和の基礎である。

人権なくして自由、正義及び平和を語ることは出来ない。

3.第二次大戦をもたらしたのは人権無視

人権を侮り無視したことが、ひいては人類の良心を踏みにじる野蛮行為(大戦)へとつながった。

4.目指すべき世界と人権

我々はこの事実を踏まえ、言論及び信仰の自由があまねく承認され、恐怖と欠乏のない世界が実現するよう願望する。

そして、このことこそが、すべての人の最高の願望だと宣言する。


5.専制と圧迫に抗議する自由は保障されなければならない

専制と圧迫が続けば、人々は反逆に及ぶ以外に手段がなくなる。

それは悲劇的なことであるので、法の支配によって人権(自由権)を保護することが肝要である。

6.国連憲章と人権宣言

世界人権宣言は国際連合憲章を元にしており、国際連合憲章における信念を再確認する。

それは基本的人権、人間の尊厳と価値、男女の同権についての信念である。

同時に世界人権宣言は、拡大された自由のもとで、社会の進歩と生活水準の向上とを促進することを目的に掲げる。

7.加盟国の決意の表現としての人権宣言

国際連合の加盟国は、ここに、国際連合と協力して普遍的人権と基本的自由を尊重し遵守することを誓約する。

8.人々のなすべきこと

すべての人民とすべての国とは、これらの権利及び自由に対する共通の理解を形成していかなければならない。

各機関は、この世界人権宣言を常に念頭に置き行動しなければならない。人々にこれらの権利と自由との尊重を指導すること、また人権の遵守を(立法的、行政的)措置によって漸進的に確保するべきである。

9.これらの努力の達成基準
この人権宣言は努力の達成基準としていくつかの点を列挙する。



本文の個別条項の鮮やかさに比べ、なんとなく読みにくい文章である。おそらくは各国のせめぎあい、反人権宣言派の策動の結果であろう。

この全文を理解するには、1941年のFDルーズベルトの「四つの自由」演説を理解しなければならない。

そして冷戦前夜におけるエレノア・ルーズベルトの必死の頑張りを見ておく必要があるだろう。

とりあえずは下記の記事を参照されたい。





本文
第一条 自由・平等であること
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

第二条 人種差別の禁止
すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

第三条 自由と安全に関する権利
すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。

第四条 奴隷禁止
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。

第五条 拷問の禁止
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。

第六条 人として認められる権利
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。

あとの条文はさほど原則的な条文ではないので省略する。

貧困、肥満、人種格差…新型コロナで次々と露呈する米社会の恥部」(猪瀬聖 yahoo ニュース20年5月23日)より

米国で、黒人の死亡率は白人の2.4倍

ニューヨークの地下鉄や路線バスを運営する公益法人のMTAでは、職員の半数以上はマイノリティだという。
仕事を休めないこのような職員の数千人が新型コロナに感染し、100人以上が死亡した。

ブロンクス地区は黒人とヒスパニックが住民の過半数を占める市内で最も貧しい地区で、人口10万人当たりの死者数も断然高い。

ニューヨーク・タイムズは独自調査の結果、「新型コロナの影響を決める最大の要因は人種と所得」と報道した。

APMリサーチ・ラボが20日に公表した調査リポートによれば、人口10万人当たりの死者数は黒人が断トツに多く、50.3人。次いでヒスパニックの22.9人、アジア系の22.7人と続き、最も少ないのが白人の20.7人だった。

マイノリティに死亡率が高い理由

低所得層や貧困層が多く住む地域は「フード・デザート(食の砂漠)」と呼ばれ、生鮮食品を販売するスーパーがほとんどない。

このため、住民の食事は高カロリー、高糖質のいわゆるジャンクフードに偏りがちだ。

肥満率も、疾病対策センターによると、黒人が49.6%、ヒスパニックが44.8%で、いずれも白人の42.2%より高い。

しかし肥満は米国人共通の問題でもある。米国の肥満率の高さは、主要国の中で断トツだ。


2020年5月28日 ニューヨーク 発

ユニセフなどがによれば、新型コロナの影響により、今年末までに「貧困な子ども」が15%増加する。
「貧困な子ども」の総数は、年末までに6億7,200万人に達するだろう。そしてその約3分の2がサハラ以南のアフリカと南アジア(インド)に集中するだろう。

それとは別に、コロナを受けての「貧困な子ども」の増加率は、欧州が最大で44パーセント、ラテンアメリカでは22パーセントに達するだろう。

* 4月はじめにオックスファムが公表した報告書では、新型コロナ感染拡大により、絶対的貧困層が約5億人増えると報告されている。

世界的な経済危機により、2つの事柄が子どもたちに悪影響を及ぼす。
一つは各家庭の収入が減ることだ。これにより食料が得られなくなり、医療や教育の機会が減る。
もう一つは財政の縮小により会的サービスが低下し、ウイルス封じ込めが困難になることである。

ユニセフ事務局長のヘンリエッタ・フォアの談話
パンデミックは、世界中の家庭を前例のない社会経済危機に巻き込んだ。
家庭への経済的影響は、子どもたちから不可欠なサービスを奪っている。
今連携して行動しなければ、貧困世帯は何十年も前の生活に直面することになる。
*ユニセフの発表は散漫で、その数字は根拠が曖昧で、素直には信じがたい。しかしその旺盛な現地活動がもたらす深刻な危機感は共有すべきものである。

の再読をお願いします。上演時のポスター写真が見つかりました。
ゼロの記録

相変わらず帯状疱疹は痛い。ズキズキ痛いのとヒリヒリ痛いのが別個に攻めてくる。空襲と艦砲射撃が交替に(ときに重なって)やってくるようなものだ。ただ悶絶するような灼熱痛発作は起きなくなった。「魔の三角地帯」は燃え尽きつつあるようだ。

それで、勉強はとてもする気にはならず、残り少ない人生を家でグダグダとしている。目下はFLACデータベースというサイトで音楽を楽しんでいる。高音質が売りでYou Tubeの低音質に泣いていた私にはうれしい限りだ。

そこで本題にはいるが、このサイトでサヴァリッシュ指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏でシューベルトの交響曲全集が聞ける。1967年の東独現地録音。別にデジタルでもなく新しい録音でもなく普通なのだろうが、大変素晴らしい音が出ている。

未完成交響曲を聞いてそのあまりの美音にびっくりした。残響をたっぷりとっているが、ホールが最後まで鳴っている。この間ペテルブルクで聞いたマリインスキー劇場のようだ。

未完成というのはむかしワルターのレコードで「運命」と抱合せになっていた。その後高校に入って小遣いを貯めて買ったのがジョージ・セルの未完成だった。あまり感激した覚えはない。友達が貸してくれたミュンヒンガーの未完成は、私のセットが安物だから、どうやっても最初の低弦の音が聞こえなかった。

大学に入ってもレコードを買うようなカネはなかったから、フォンタナの安売りレコードにすがるしかなかった。その頃買ったのがサヴァリッシュとウィーン交響楽団のハ長調交響曲だった。これも音は最悪で、スピーカーの前に座布団で蓋をしているような情けない音だった。まぁ1時間を超えるような曲をLP1枚に詰め込んでいたのだから仕方ないのだろうが。

それがトラウマになったのか、サヴァリッシュというとなにか敬遠するようになっていた。

そのむかしはNHKの番組に登場して、さっそうたる指揮ぶりを披露してくれて、私なりにフアンだったのだ。一言でいうと「明晰」というのが一番ピッタリしている。しかしレコードではそのような雰囲気はさらさらなかった。

初出の時から廉価版扱いだったようです。PHILIPSにとって、サヴァリッシュはその程度の指揮者だったわけです。サヴァリッシュは、このときのPHILIPSとの専属契約は『私の長い経歴のうちでも、ひどく後悔することとなったもの』と振り返っているそうです。mitch_haganeさん


今回サヴァリッシュの演奏は、日本デビューの頃と同じく颯爽としていて、ケレン味がない。音は磨かれてつやつやとしている。とくに内声部の音がスーッと浮かび上がってくるさまは、なんとも気分が良いものだ。

おそらくギリギリまでレガートをかけて、弓を弾き切っているのだろう。ホールの特質を飲み込んだサヴァリッシュが独特の音を作り出したのだろう。そして生来のリズム感の良さが、それを崩さずに持ちこたえさせているのだろう。

ヴァントと北ドイツ放送SOの未完成に度肝を抜かれてもう20年も経つが、これもまた一つのシューベルト像であろう。それでは少しサヴァリッシュを漁ってみようか。

サヴァリッシュ+シュターツカペレ・ドレスデンのシューマンは、シューベルト交響曲全集のあと、70年代に入ってからで、残念ながらまだ著作権切れにはなっていない。

You Tubeで聞いているが、これはシューベルト以上にすごい。ひょっとするとサヴァリッシュがこのオケを世界最高のオケにまで育てたのではないかと思われてきた。よく聞いてみるとたしかに、サヴァリッシュ好みの彩り濃く切れの良い音を出すオケだ。あの頃欧州公演を果たしたN響は、たしかにこんな音を出していたように思える。

追加: シューベルトのハ長調交響曲を聴いた。私は何でもセルの演奏を基準にしているが、どちらかというとセルはシューベルトが苦手だ。
この演奏はセルよりすごいと思う。サヴァリッシュのすごいのは対旋律を必ず浮き出すことだ。ほとんど偏執的だが、それが煩わしくならないのは人徳なのだろう。
少なくともサヴァリッシュはこれでフォンタナ盤の恨みを果たしたと言える。



Dさん、コメントありがとうございます


  • 1. D 
  • 2020年05月25日 15:02
      • webに記事がありますね

        ベネズエラ 衝撃の“クーデター未遂事件” | 国際報道2020 [特集] | NHK BS1
        https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2020/05/0521.html
    1. ニュース原稿と写真がすべて載っていました。

      いずれ消えるでしょうからお早めに。

    氷河時代とはなにか

    不勉強で、いまだに氷河時代とはなんぞやということが分かっていない。

    なぜかと言うと、
    ①氷河時代の時代区分と地質学的時代区分がかぶっているからである。
    ②おまけに若いとき習った洪積世・沖積世の言葉が使われなくなり、
    ③それに代わる言葉が更新世・完新世とえらく難しい言葉になっているからだ。
    ④さらにこれらを総括する「第四紀」という言葉の定義が、およそ場当たり的なのだ。
    知識を整理するには、以上の点を頭においておいたほうが良い。

    1.氷河時代(ice age)

    地球が誕生して以来、いくつもの氷河時代があった。代表的なものが次の5つである。

    ヒューロニアン氷河時代: 約22億年前
    クライオジェニアン: 8億5000万年前
    アンデス-サハラ氷河時代: 4億6000万年前
    カルー氷河時代: 3億6000万年前
    第四紀氷河時代: 約258万年前

    我々が生きているのは、第四紀氷河時代の間氷期の一つである。

    第四紀氷河時代というのは、“第四紀のあいだに起きた氷河時代”の意味である。

    それは約260万年前に始まった。ホモ・エレクトゥスがアフリカで誕生した頃である。*

    * 第四紀は「人類の時代」と定義されている。より古い原人が発見されると、第四紀の始まる年代もさかのぼる。かつては181万年前以降を第四紀としていたが、現在は258.8万年前からとされるようになった。

    2.氷期(glacial period)

    氷河時代はいつも寒いわけではない。寒い寒い氷河期とそれほどでもない間氷期に分かれる。

    それはミランコビッチ・サイクルと呼ばれる。4万~10万年の周期で交代し、地球の公転軌道の周期的変化と合致する。

    第4紀氷河時代は6回の氷期と6回の間氷期からなる。

    約7万年前に地球は最終氷期(ヴュルム氷期)に入った。

    この時期は出アフリカを果たしたホモ・サピエンスがユーラシア各地に拡散していく時期と一致するため、非常に重要である。


    3.最終氷期

    約4万年前に、温暖・湿潤期があり現在よりも湿潤であったとされる。

    2万数千年前に最寒冷期が襲来し、2千年ほど続いた。
    世界で氷床化と乾燥化・砂漠化が進んだ。海水が蒸発して降雪し陸上の氷となったため、海面が約120メートルも低下した。

    北海道と樺太、ユーラシア大陸は陸続きとなり、東シナ海の大部分も陸地となった。
    北海道では永久凍土や氷河が発達し、針葉樹林は西日本まで南下した。


    4.後氷期・完新世

    最終氷期(ヴュルム氷期)は約11,700年前に終了した。

    地球は最後(最新)の間氷期に入った。それは特別に後氷期と呼ばれ、地質学的には完新世と一致する。完新世はかつては沖積世と呼ばれた。


    5.これをホモ属に近づけてみると

    ① 260万年前、第四紀氷河時代が始まった。第4紀は地質学的な更新世と一致する。
    このころホモ属からエレクトゥスが分離した。

    ② 160年前、何回目かの間氷期にエレクトゥスは出アフリカを果たした。彼らがジャワ原人や北京原人という地域集団を形成した。*1

    ③ 60万年前頃、エレクトゥス同様の経過でハイデルベルク人が発生し主としてヨーロッパに拡散した。

    ④ 15万年前、ネアンデルタール人がハイデルベルク人の居住区に一致して出現している。*2

    ⑤ 同じ頃、アフリカにホモサピエンスが登場した。

    ⑥ 8万年前、最終氷期の開始に前後してホモ・サピエンスは出アフリカを果たした。

    *1 ドマニシ原人はエレクトゥスに先行した種という説もある。

    *2 ネアンデルタール人は、ハイデルベルク人の子孫とする説もある。

    地質学者はきわめて扱いに困る人種である。
    一つの事物にいくつもの名称をつけ、いくつもの分類を並立することに痛痒を感じていない。
    氷河時代の特徴をいくつも羅列するが、それが本質的なものか、偶発的なものなのかの区別をしない。
    地質学の分類の決定的な境目は第四紀だが、第三紀があるわけではない。第四紀は正式名称だが、第三紀・第三系は非公式な用語である。

    第四紀とそれ以前を分ける基準は「人類の時代」と定義されているそうだ(日本第四紀学会)。こんないい加減な区分は聞いたことがない。



    志位さんのポストコロナ論

    このところ赤旗に立て続けにポストコロナ論が掲載された。

    日本AALAとしてもコロナと国際連帯の課題は緊急かつ重要となっている。

    そのためにも、まず筋となる総論が必要だが、これらの論文が非常に参考になるだろうと思う。


    まずは5月18日の志井委員長発言から。

    1.新自由主義システムの破綻が明らかに

    ① 医療費削減などの緊縮政策を押し付けられた国ぐにが大きな犠牲を強いられた。

    ② 労働法制の規制緩和が、派遣やパートで働く人々に皺寄せされ、そのためにコロナの犠牲が下層労働者に集中している。

    ③ 外需依存と産業空洞化が、サプライチェーンの寸断化、医療崩壊の危機をもたらした。


    2.資本主義体制が本質を問われている

    資本主義という体制は、格差拡大と環境破壊という2つの点に矛盾が集中している。

    ① 格差拡大とコロナ

    ウイルス自体は富めるものと貧しいものを区別しない。しかし感染症による犠牲は、貧困のもとに置かれている人々に集中する。

    格差が世界的な規模で、異常なレベルまで拡大している。その矛盾がパンデミックのもとで顕在化し、激化している。

    アメリカでは、パンデミックのもとで格差があらためて大問題になっている。

    また多くの途上国では、医療体制などが弱いために多くの犠牲が出ている。

    ② 環境破壊とコロナ

    今回のパンデミックには、地球規模での環境破壊が深く関わっている。

    この半世紀くらい、新しい感染症がつぎつぎと出現している。原因となっているのが、人間による無秩序な生態系への侵入である。

    資本主義の利潤第一主義という本性を変えなければ、新型コロナを収束させても、次のより危険なパンデミックに襲われる可能性がある。今回のパンデミックは、資本主義という体制を続けていいのかを問うものともなっている。*1

    *1 我々は「原理主義者」ではないから、コロナ問題が「聖書」や「コーラン」や「資本論」や「綱領」に書かれていたとしても、あまり慰めにはならない。


    3.民衆の連帯で危機の克服を

    深刻なパンデミックにもかかわらず、国際社会が協調しているとはいえない。
    国際協調の主要な障害となっているのは米国と中国である。

    ① アメリカの「自国第一主義」

    世界最大の資本主義大国であるアメリカは、パンデミックに対する国際的な取り組みに背を向けている。

    WHOに対する拠出金の停止は、アメリカへの信頼をいよいよ低下させている。愚かというほかない。

    ② 中国の体制的な問題点

    中国の初動は遅れた。それは人権の欠如という体制の問題点と結びついていた。*2

    中国指導部はパンデミックのもとでも東シナ海、南シナ海などでの覇権主義的行動をやめようとしていない。これは国際協調にとって障害となっている。

    こうして、危機のもと米中双方が対立し覇権争いをするという状況に至っている。*3


    *2 率直に言って、この問題は検証が必要。どこまでが「人権の欠如」に起因するか、どこまでが「前近代性」という歴史的制約に起因するか。
    ただし、その後の武漢でのコロナ制圧作戦は果断かつ圧倒的で、都民の忍苦もふくめ称賛に値する。

    *3 「米中双方の覇権争い」の図式はコロナには適用されない。一連の経過を見れば、トランプ政権が一方的に攻撃を仕掛けているのは明らかだ。

    ③ 国際機関が機能していない

    WHOの新型コロナへの対応に対しては、今後検証が必要になる問題点がある。*4 

    国連安全保障理事会はこの問題に関して機能していない。

    私(志位)は米中に対して、この問題については協調すべきだと言いたい。


    *4  WHOの対処に反省すべき点があったとしても、トランプが煽ぎ立てるような「検証すべき点」はない。少なくともアメリカがWHOを脱退するほどの根拠はない。メルケルとマクロンはそう主張している。

    ④ 民衆の連帯

    何よりも、世界の多くの国ぐにと民衆が連帯して、このパンデミックを乗り越えることが強く求められている。

    コロナ収束の先は、前の社会に戻るのでなく、日本でも世界でも、よりよい社会をつくっていく。*5 

    それによって、次の世界のあり方も決まってくる。

    改定綱領を力に、そういう展望をもって頑張りたい。*6 


    *5 コロナ問題は収束するのではない。これからが本番だ。そのためには「コロナ問題とは何なのか」をもっと根底的に把握しなければならないと思う。さらに国際協調運動の礎として「世界人権宣言」の精神に立つことがもとめられる。

    *6  ここでは「世界の国と民衆の連帯」は具体的には何も語られていない。我々が肉付けをしていくべき課題として提起されたのだろうと思う。



    帯状疱疹と「やる気」の減少

    とにかく、この病気になってからやる気が出ない。知らず識らずにため息がついて出る。

    始めても根気が続かない。検察庁法についての文章を書きたいのだが、途中で思考の結び目がほどけてしまう。

    以前書いたコロナショックの意味についての文章を少し手直しし、体系立ててみようと思うのだが、到底その気にならず、キーボードを前に佇んでいる。

    多分帯状疱疹というのは、これまで考えていたよりはるかに広範かつ多彩な病気で、経過も長いらしい。

    ヘルペス・ツォスター・ウィルス(HZV)感染症と言うべきであろう。私にとっては「やる気ホルモン減少症」が一番の問題だ。


    「やる気ホルモン」とは?

    ところで医者のくせに「やる気ホルモン」の本体がよくわからない。

    私の「三脳セオリー」によれば、脳全体、とくに大脳を動かすには電源(エネルギー)が必要で、それを作り出すのが前脳ということになっている。

    前脳というのは脳の先端の膨大部だが、ここには視床下部という液性ホメオスターシスの中枢があって、そこからホルモンが分泌されて身体各所に指令を発する。

    その一方で前脳(視床)を駆動し、視床からいろいろな脳内アミンを分泌させて脳全体を動かしていく。

    これが私の考える脳の駆動モデルだ。

    それで、いろんな教科書をよく見るのだがあまりにもたくさんのホルモンや化学物質があって、実はよくわからないのである。


    通俗ページを通覧する

    通俗と書いたが馬鹿にしているわけではない。現在の物の考え方を端的に知りたいということである。最初のページにはこう書いてある。

    「やる気ホルモン」は甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH)。集中力をサポートすると言われています。
    脳内ではドーパミンと呼ばれる神経伝達物質が活発に分泌されていると言われています。

    この文章ではTRHとドパミンの関係が曖昧にされているが、私の「三脳セオリー」とはうまく合う。

    「脳内三大神経伝達物質」について

    で、TRHとドパミンの関係は後の話にして、脳内アミン(神経伝達物質)に御三家というのがあるそうだ。

    やる気を起こさせるのがドーパミンと、ノルアドレナリン。これに足して安定や安らぎの要因となるセロトニンを加えたものを「三大神経伝導物質」と呼ぶらしい。

    これから先は、ちょっと分かりやすさが優先して、正確さにかけるかもしれないが、もう少し聞いておく。

    ① ドーパミン:脳を覚醒させる。
    側頭葉を刺激すると、喜びや快楽が生じる。
    前頭連合野を刺激すると、精神機能が活性化する。
    不足すると無気力になり、過剰になると総合失調症になる。

    ② ノルアドレナリン:ノルアドレナリンはドーパミンから合成される。
    脳内で強い覚醒作用をもち、気分を高揚させる。不足するとうつ病の原因となり、過剰になると躁状態を引き起こす。

    ③ セロトニン:ドーパミンやノルアドレナリンの分泌をコントロールしている。
    体温維持や睡眠を司る。

    実際にはもっと色々書いてあるが、占いの本を読んでいるようで、「本当かいな」と一歩引いてしまう。
    多分なんかの「くすり」の宣伝につながっていくのだろう。

    なお「三大神経伝達物質」だが、Wikipediaと脳科学辞典には記載されていない。

    Wikipediaでは
    ①アミノ酸 ②ペプチド類 ③モノアミン類
    二分類されていて、そのうち③のモノアミン類の中にノルアドレナリン、ドパミン、セロトニン、アセチルコリンが記載されている。

    脳科学辞典では
    ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン、セロトニン、ヒスタミンなどの神経伝達物質の総称として、「モノアミン」の名称が用いられている。

    あまり「三大神経伝達物質」というのは、公の場では用いないほうがいいようだ。恥をかくかもしれない。


    ドパミンの謎

    ドパミンが「やる気物質」のメインのようだ。研究もこれを中心に展開されてきている。

    二つの謎 その一:なぜドパミンなのか

    ここからさき、大脳生理学の先端は行き詰まる。一つはドパミン、ノルアド、アドレナリンという3つのカテコールアミンのうち、なぜドパミンが主役なのかが説明できていない。

    二つの謎 その二:セロトニン由来の「やる気」との違いはどこにあるのか

    もう一つは、「やる気物質」のうち、ドパミンなどのカテコールアミンと、セロトニンは明らかに違う物質であるから作用部位も作用機序も違うはずだ。

    さらに「やる気」と言ってもドパミンによって賦活される「やる気」とセロトニンによって賦活される「やる気」とは中身が異なるはずだ。

    その違いを系統発生学的な見地から説明しなければならないと思う。

    これらの問題を解決しないまま、次々に新たな神経作動物質を列挙していくのが、現在の学問水準である。それが「脳科学」を怪しい学問にとどめている最大の理由である。

    発生学的トレーシングの結果に待つほかないが、私はカテコールアミン系の作動物質がプライマリーで、それを修飾=部分的抑制する形でセロトニン・GABA系が付加されたのだろうと予想している。


    真の脳神経学が「脳科学者」とは独立してやらなければならないこと

    もともとは「やる気」を獲得するというプラグマチックな興味から始まった学習だったが、やっているうちに科学の目(つまり「脳科学」への反感)がむくむくともたげてきた。

    視床下部から視床へと影響を与えるのは、TRHホルモンにとどまるものではあるまい。

    むしろ視床から全身の臓器へと影響を与える多くののホルモンが、後ろ向きにも視床=前脳へとフィードバックしているのであろう。

    そして、その多彩さがホルモン作用を神経へと翻訳し伝達する神経伝達物質の多彩さを生んでいるのであろう。

    しかしその多彩さは最終的には電気信号としてのオン・オフ系まで単純化されなければならないのであり、その変容過程が突き詰められなければならないのではないか。

    NHK・BS1で「えっ、こんな番組やっていいの?」と思われるほどのニュースが報道された。
    見逃した人は是非、オンデマンドへ
    私も録画したが、残念ながらファイル変換の知識はなく皆さんにお見せできない。
    もっとも、そんなことをすれば手が後ろに回るかもしれない。

    番組紹介文から
    6日にベネズエラで大統領殺害を狙ったアメリカ人とベネズエラ人の傭兵グループが捕らえられ、グアイド国会議長の関与が疑われている。捕らえられたアメリカの元海兵隊員は、マイアミにある軍事顧問会社に所属。その会社の社長はグアイド国会議長の関与を明かした。これまで反マドゥーロの立場だったメディアもグアイド氏の関与を次々と報じている。20世紀にアメリカが中南米各国で仕掛けていた謀略を想起させる。


    報道の内容はいちいち書き出せないが、
    【世界を見渡すニュース・ペリスコープ】 に、ほぼ同様のソースと思われる記事がある。

    その要旨を掲載しておく。(記事そのものは見られなくなっているがキャッシュでの閲覧が可能)

    英紙「インディペンデント」によれば、ベネズエラに潜入しようとした13人の「テロリスト」を拘束が逮捕された。その中にはアメリカ人の元軍人2人も含まれていた。

    米TV「CBSニュース」はこのニュースをフォローしている。
    マドゥーロ大統領が記者会見し次のように語った。
    「これはクーデター計画であり、”もうひとりの大統領“フアン・グアイドが、資金援助をしている。米国人2人はルーク・デンマン(34)とエイラン・ベリー(41)。ともに米治安部隊のメンバーだった」
    これに先立ちサーブ司法長官が語ったところでは、
    「傭兵たちはグアイドと2億1200万ドルの契約を結んだ。グアイドはその資金を国営石油会社PDVSAから持ち出した」

    NHKの報道によれば、グアイドのこの行動は「彼ならいかにもやりそうなこと」として受けとめられてえおり、反チャベス・反マドゥーロの野党勢力もふくめ、国内での支持はほとんど失われている。
    アメリカのクーデター策動への共感もない。

    仏TV「フランス24」は、事件の黒幕について次のように報じている。

    「フロリダに拠点を置く元グリーンベレーのジョーダン・ゴードローが、マドゥロを拘束する計画を立てた。彼はベネズエラを「解放」するために、2人を送り込んだ」

    事件の背景

    米政府はマドゥロを失脚させるべく、2018年の大統領選挙を「不正選挙だった」とし、反マドゥロ勢力の野党リーダーであるグアイドを大統領として公式に承認した。

    世界60ヵ国ほどがグアイドを大統領として認めており、ベネズエラでは現在、大統領が2人存在するという異様な状況

    英紙「デイリー・メール」によれば、「アメリカはマドゥロの逮捕、または有罪に繋がるような情報には1500万ドルの報償金を出している」とされ、これがゴードローの行動の動機になっているかもしれない。

    真相はまだわからないが、少なくとも、マドゥロを失脚させようとする動きが相変わらず続いていることは確かだろう。


    その後、追いかけ情報が次々に流されている。これまでの“マドゥーロ憎し”の氾濫はどこに行ったのだろう。赤旗は変わるのだろうか。もう少し情報を集めてみる。

    「素顔  長渕剛」


    youtube で何かを探していて、たまたまこの曲にあった。
    すごくいい。とくに1番の歌詞が男のくせに良い。男だから良いのかもしれない。
    2番の歌詞と合わせ鏡になっているのだけど、2番はなくてもいいような気がする。
    そちらの方に膨らませてしまうと、何か違うのではないかという気がする。
    長渕剛という作り手が気になって、You Tubeで聞ける曲を片っ端からあたってみたが、
    ひたすら「何か違うのではないか」という感じが膨らんできて、
    最後には、「ちょっと違う人になってしまったね」ということで、
    とりあえずお仕舞。
    これは井上陽水のときにも同じように感じたこと。
    クリップボード一時ファイル01素顔

    おまけだが、この曲をアップしてくれた人がつけてくれた写真がとても良い。
    ひょっとしてこの写真に欺されたかもしれない。

    1.病状経過

    その後も線香花火のようにあちこちでパチパチする筋のような痛みは取れない。それどころか範囲は拡大傾向だ。

    左大腿内側の灼熱痛フラッシュも治ってはいない。ただ柔道の投げをくらわないように、瞬間それを避ける技は身につけつつあるようだ。

    それでも2日に1回は起きる。最近はなぜか1回起こすと爽快にさえなる。なぜかというと1回起こすと、おおむね24時間は次の発作はないからだ。

    やはり、集中力は格段に落ちる。気分は限りなくダークグレーに近いブルーだ。

    2.整形受診の結果

    実は金曜日に整形外科も受診した。椎間板由来のものではないかと考えてのことだ。6方向のXP撮って、たしかに左L4-5の椎間板に軽度の変化は認めた。

    しかしそれは現在のマニフェステーションを説明するほどのものではない。

    複合性局所疼痛症候群(CRPS)の話をしたら笑われた。それは交通事故の裁判病名でしょうということだ。

    それで、結論としては椎間板症は否定、やはり帯状疱疹と考えるべきではないかとの意見だった。

    ただし発症後の経過としては、すでに抗ウィルス剤(バルトレックス)の有効期間は過ぎており、様子見るしかないでしょうということになった。

    3.リリカとNSAIDSが効かなくなってきた

    ということで、私の病気は行き場を失ってしまった。

    ただ実のところ、それほど深刻だったわけではない。こういう病気はたいていは時間が解決してくれるからだ。

    しかし事態はちょっと深刻になってきている。というのは、リリカとNSAIDSが効かなくなってきた。

    最初はロキソニンを1日2回くらい飲んでいれば、ほぼ症状はコントロールできていた。

    さらに皮膚の表面のひりひり感もリリカでかなり抑えられていた。後は伝家の宝刀、アルコールがある。

    しかしこの2,3日はまったく薬が効いている印象がない。リリカは眠気が来るので、1日数回も寝ている。寝ている時間以外はヒリヒリ痛との共存を迫られている。


    4.明日ヘルペス抗体価を見て考えよう

    12日に採血したウィルス抗体価が明日に判明する。「もう遅い」と言われても、臨床症状の進展も結構遅いのだ。まだ間に合う可能性はある。

    それより困るのは抗体価が陰性に出た場合だ。
    とりあえず打つ手はなくなってしまう。

    これから先はまた報告する。

    1.ベネズエラではコロナは抑え込まれている

    4月26日の東京新聞は、①ベネズエラが原油価格低落で危機的にあり、②医療保険制度が崩壊し、③コロナが蔓延していると書かれている。

    すごく善意で見ると、記者は筆の勢いでコロナ蔓延と書いてしまったのかもしれないが、少なくとも③については取り消したほうが良いのではないだろうか。

    彼らにとっては予想外で、かついくらか残念なことであろうが、ベネズエラではコロナは抑え込まれているのだ。

    数はばらつきがあるが、WHOの4月17日の発表ではベネズエラは感染者440人、回復者220人、死亡者10人となっている。4月27日のロイター報道では、感染者数が318名,死者が10名にとどまっている。

    この数字はラテンアメリカでは最低部に入る。理由についてはいろいろの見方ができるだろうが、数字だけで見ればほぼ抑え込まれていると見て良い。

    ブラジルの感染率は104人/100万人。これに対しベネズエラでは6人/100万人である。
    ②の「医療保険制度が崩壊」というのも、揚げ足を取るようだが不正確だ。もともとベネズエラの一般民衆(つまり非白人系)は見捨てられた存在だった。バリオ(スラム街)に住む人々にはそもそも医療保険などなかったし、医師は貧困者などに見向きもしなかった。

    この状況を劇的に変えたのがチャベスの革新政権だった。チャベスは医療と福祉の充実を目指し、バリオにキューバの医師団を送り込んだ。

    そしてここが大事なところだが、一部の人達には信じたくない情報だろうが、それはベネズエラの経済状況が悪化したあとも変わらない。

    いまもキューバから1500人の医師団が派遣されている。彼らはバリオに入り戸別訪問して定期的に健康状態をチェックしている。そして変化があれば隔離し検査を施行し、感染者であれば隔離する。


    2.ベネズエラの医療は国際的な支援を受けている

    もちろん無慈悲な経済封鎖のもとで、医薬品などあらゆる製品が不足している。これに対し量は少ないとはいえ、国際機関による支援が与えられている。

    経過を少し書いておく。

    3月25日、国連はコロナ支援を必要とする優先支援国の一つにベネズエラを指定した。感染者数や重症度ではなく、医療インフラが極度に逼迫しているためである。

    4月8日、最初の支援物資90トンが首都カラカスに到着した。対コロナ国連対応計画の枠組みにより、ユニセフを通じて送られたものである。

    支援物資には、11万人分の緊急キット110セット、酸素濃縮器、小児用ベッド、コロナ用のPPE検査キット約1,000個(3万人分)が含まれる。

    ユニセフはまた、毎日2万7,000人の子どもを対象とした給食活動を開始した。


    3.トランプのいじめはますますひどくなっている

    彼は国連がベネズエラを優先支援国に指定すると、翌日には早速、攻撃を開始した。米司法省がマドゥーロ大統領ら 14 名を「麻薬テロ」への関与で起訴。

    さらに4月に入ると、カリブ海域の「高まる脅威」に対処するため、軍事リソースを倍増すると発表。高まる脅威というのは、マドゥロ大統領など「麻薬・腐敗アクター」がコロナ大流行に乗じて麻薬密輸を強化しているという途方も無いフェイクだ。

    IMFも何度も頭を下げたベネズエラ政府を足蹴にして、50億ドルの緊急融資を拒絶した。さらに特別引き出し権(SDR)へのアクセスも拒否した。ベネズエラは、融資額を 10 億ドルに引き下げて、改めて緊急支援を要請したが、その要請も拒否された。

    みなさん、

    コロナとの闘いにおいて、各国政府の真面目さと人権に対する思いが試されています。
    決して、「うまかった、下手だった」という目で評価しないでください。
    そもそも「やれません、やりません、その気はありません」の政府がうまくできるわけはないのです。

    ベネズエラのように何にもない国、危機にさらされている国でも、コロナを抑え込むことはできるのだ、という事実を見ていただきたいと思います。


    ベネズエラにおけるコロナ制圧の状況 を参考にしました。さらに知りたい方はそちらへどうぞ。


    元検察幹部有志の意見書

    これは戦争法案のときの憲法学者の総意としての反対表明に続く衝撃だ。

    国家の有り様の根底に関する意見書であり、賛否以前に、まずは学ばなくてはなるまい。

    朝日新聞は全文をネット上に無料で公開してくれた。ありがとうございます。(その後1日遅れで赤旗も掲載した。これは赤旗のせいではなく、北海道は一日送れになら遅れざるを得ないためである)


    1 事実関係について

    A. 東京高検検事長の黒川弘務氏をめぐる事実経過

    彼は本年2月8日に定年の63歳に達し退官の予定であった。
    しかし、その定年は閣議決定により半年間延長された。彼は今なお現職に止まっている。

    B. 検察庁法は定年延長を許していない

    検事の定年を定めた検察庁法によれば、定年は検事総長が65歳、その他の検察官は63歳である。定年延長を可能とする規定はない。

    しかるに内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長=留任を決定した。

    この決定は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任に法的根拠はない。

    2 特別法は一般法に優先する

    A. 検察庁法は国家公務員法に優先する

    国家公務員法(81条の3)では一定の要件の下に定年延長が認められている。内閣はこれを根拠に黒川氏の定年延長を閣議決定した。

    しかし、検察庁法は国家公務員法に対して特別法の関係にある。

    したがって、「特別法は一般法に優先する」との法理に従い、国家公務員法の定年関係規定は検察官には適用されない。

    B. なぜ検察官は特別か

    検察官は公訴権を独占し捜査権も有する。捜査権の範囲は警察を超えて広い。

    時の政権の圧力によって公訴権が侵犯されれば、日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊する。

    その意味で検察官は準司法官とも言われ、“司法の前衛” たる役割を担っている。

    C. 特殊な公務員としての検察官

    こうした特殊性・重大性のゆえに、検察官は検察庁法という特別法で保護され統制されている。

    例えば「検察官は検察官適格審査会以外によっては罷免されない」などの身分保障規定もこのゆえである。


    3.いくつかの法理的問題

    A. 内閣による法律の解釈は「法の終わり」

    安倍首相は「従来の解釈を変更し、検察官も国家公務員法を適用することにした」と述べた。

    これは近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながる危険な考えである。

    ジョン・ロックは「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。

    B. 内閣解釈は国家公務員法にも違反

    仮に国家公務員法を適用しても、今回の事例は法の定める「定年延長の要件」に該当しない。

    その職員の…職務の遂行上の特別の事情からみて、退職により…著しい支障が生ずると認められる…とき…(同法81条の3)

    今回の事例がこの「要件」に該当しないことは明らかである。(このあと人事院規則も例示しているが省略)

    4 政府提案の「検察庁法改正案」について

    A. 上程自体が矛盾している

    今回の検察庁法改正案は、表向きは国家公務員の定年延長に合わせ、検察官の定年も63歳から65歳に引き上げることに目的がある。

    一方において黒川氏の定年延長の閣議決定は維持された。すなわち審議入りにあたり野党側は閣議決定の撤回を求めたが、内閣は拒否したのである。

    つまり二つの動きは一見無関係に見えるのである。

    B. 法案の本質は定年延長ではない

    次の段落は面白い。声明文の筆者が自ら「難解な条文」と悲鳴を上げているのだ。
    この改正案の問題点は、検事長を含む上級検察官の役職定年延長に関する条項にある。すなわち改正案には「…」と記載されている。
    と書いてあるうちの「…」は省略箇所である。

    最高クラスの法律家でも難解とされる箇所は我々にはわかるはずはない。

    そこで声明文の筆者の解釈を紹介しておく。
    要するに、次長検事および検事長は、定年に達しても内閣が必要と認めれば、定年延長ができるということである。
    というのが、声明文の筆者の解釈である。

    C. 検察官の人事をめぐる政府との慣行

    要するに、これは「定年延長一般」に関する法律ではなく、検察トップの人事を内閣がいじれるという法律である。

    これは「検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例」を破壊するものだ。

    検察庁法は、定年延長によらずに急変対応するために、臨時職務代行の制度(同法13条)を設けている。これまでなんの問題も起きていない。

    D. 法案に対する総括的評価

    今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化している。
    政府は、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺ぐことを意図していると考えられる。


    5.ロッキード世代の確信

    A. ロッキード事件という共通体験

    ロッキード事件当時、特捜部にいた若手検事の間では、積極派や懐疑派、悲観派が入り乱れていた。

    しかし、東京高検検事長の神谷尚男氏は「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ、検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言した。ロッキード世代は歓喜した。

    検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在がロッキード事件を全面解明へと導いた。

    B. 検察の弱点が付け入るすきを与えていないか

    一方、検察の歴史には大阪地検特捜部のように捜査幹部が押収資料を改ざんするという恥ずべき事件もあった。

    この事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。

    検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。


    C. 今は瀬戸際の闘いだ

    検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、公訴権の行使に掣肘を受けるようでは、国民の信託に応えることは出来ない。

    黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは絶対に看過できない。

    なぜなら、それは、検察の組織を弱体化して、時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きだからである。

    D. 我々は呼びかける

    我々は、内閣が潔く検察幹部の定年延長の規定を撤回することを期待する。

    あくまで法案成立に拘るのなら、我々は多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてに呼びかける。

    そして法案反対の声を上げて、これを阻止するよう期待する。

    2020年5月13日 AlJazeera


    ラテンアメリカの新型コロナの状況

    公式データによれば、ラテンアメリカの新規感染者は37万件を超えた。死亡数は20,000件を超えている。
    guayakiru
         写真: 薬局の前に行列を作るグアヤキル市民

    国連機関(ECLAC)は、20年度の経済指標がマイナス5.3%まで低下すると予想している。これは過去数十年で最悪である。

    女性と弱者を集中攻撃する新型コロナ

    国連機関は昨日の発表で、新型コロナはラテンアメリカで、女性、先住民族グループ、移民、アフリカ系の人々を集中的に襲っていると報告した。

    なぜなら飲料水、公衆衛生、医療、住宅の極悪さが彼らに死をもたらすからだ。

    とりわけ家事労働に従事する女性労働者は悲惨である。多くは移民か、先住民族かアフリカ系であり、もともと差別を受けている人々である。
    bogota
       写真: ボゴタで建物から解雇と立ち退きを迫られた先住民女性

    仕事の多くは非公式で保証も少なく、失業のリスクにさらされている。
    さらに学校の閉鎖に伴う家庭内の責任を負わされ、ストレスとDVの危険が高まっている。

    これらの結果、新型コロナによる死亡率は女性で高値を示している。




    妻が死んで1年が経ち、かつて一家4人で暮らした家に、齢いいくばくもない男やもめが一人で暮らしている。
    いつの日にか認知機能が落ち、足腰が弱り、尋ねるものさえいなくなる時代が来る。その日までの唯一の楽しみは飲むこと、それも誰かを相手に気炎を上げることである。
    今回の外出禁止令はかなり強力で、下手をすれば数日間は誰とも顔を合わさずに日が過ぎていく。実はこの間にかなり強力な末梢神経性のラディカルペインの発作に悩まされている。

    最低数秒、長ければ20秒ほどの下肢痛発作があり、その間は息もつけない。部位は決まっていて左大腿内側の手掌大の局面だ。突如焼かれるような灼熱痛が襲い、大転子外側に筋の強縮が起こる。そこから歯磨きのチューブを絞るように痛み物質が注入される。
    独居とあれば一人もがいているほかない。原因はどうもヒマに任せてやった無理なストレッチにありそうだ。

    昨日は一応採血して調べたがなにもない。むかし最後の苦し紛れ病名に使った“Painful Bruising Syndrome” ということになりそうだ。「ひょっとしてヒステリーかもしれない」と書いてある。アホか! 誰もいないところでそんな小芝居して何になろうか。

    類似病名を探してみたら随分たくさんある。整形関係では「複合性局所疼痛症候群」(CRPS:
     Complex Regional Pain Syndorome) というようだ。
    ビリっと電気が走るような激痛(電撃痛)や火で焼かれているような激痛(灼熱痛)が発生する。
    多くは、疼痛部位に浮腫や皮膚血流の変化を伴い、交感神経の関与が疼痛を引き起こす一因と考えられる。
    ということで、症状的にはほぼピッタリ適合する。「バーナー症候群」というニックネームもあるらしい。言い得て妙である。

    リリカを処方してもらったのでしばらくはそれで様子を見ようと思う。なにかいちご状血管腫のようにインデラールが利かないだろうか、という気もする。

    それにしても、仕事に行けば所構わずぶっ倒れるので、多くの方に心配をおかけしている。自分ではわからないが、呼吸が止まり、眼がうつろになり、顔面が蒼白になるようである。
    自分としては、まったく正気で、痛みのために息もつけないでいるだけなのだが…

    明日は整形受診してMR撮って貰う予定。結果はその時に。

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