鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。

いろいろ調べているうちに、すごい話を聞くことができた。
みなさん是非見てほしい。
「日朝ピョンヤン宣言17周年集会」
カン・ヘジョンさん(韓国ゲスト)の話「日韓関係の現状から考える朝鮮半島の平和と日本」
一言一言がズシンと来るし、なにか嬉しくてうるうるとしてしまう。
ネット主が、「特に後半36:28からの「不買運動」「暴行事件」に関する韓国世論の話は必見です」とわざわざ書いているが、それだけのことはある。

本当に思うのだが、私も随分朝鮮の現代史を勉強してきたが、「大事なのはそこだよね」、といつもそう思ってしまうのだ。
とくに日本人のヒューマン派の人に言いたい。「日本人がこんなに悪いことをしてきたんだ」と知らせることは大事だが、それを両国人民の連帯の踏み絵にするようなことはしてはいけないと思う。それで近づく人も1人か2人いるが、7人か8人は遠ざかっていってしまうし、その半分は嫌韓になってしまうと思う。本人のヒューマンな思いはあるとしても、それでは安倍の援軍になってしまう。
それが東アジアの平和構想にとって役立つとは思えない。好きになればこそ、そのような過去も素直に受け入れられるようになるのだ。




当面する日韓摩擦に関する私の見解は、すでに以下に述べた。





これらの態度を取る前提として、私は古賀茂明さんの見解・認識を基本的に受け入れたい。



そのうえで、私はさまざまな見解の相違をいったん保留した上で、

声明「韓国は『敵』なのか」(7月25日)に結集するよう訴える。

全文はここにある。
平和外交研究所 > オピニオン > 「声明」 韓国は「敵」なのか


その要旨を掲載しておく。

はじめに

韓国に対する輸出規制は即時撤回すべきだ。
それは
①敵対的な行為であり、
②韓国経済に致命的な打撃をあたえかねない危険な行為である。
③「徴用工」問題をめぐる報復行為である。(経過より見て明らかだ)

1、韓国は「敵」なのか

両国関係は特別慎重な配慮が必要だ。植民地支配を受けた韓国では、日本の圧力に「屈した」と見られれば、いかなる政権もアウトだ。

日本にとって得るものはまったくない。①今回の措置は自由貿易の原則に反する。②日本経済にも大きなマイナスになる。③「東京オリンピック・パラリンピック」を前にゴタゴタするのはマイナスだ。

今回のような連鎖反応が起きれば、間違いなく泥沼だ。今回の措置で、両国関係はこじれるだけだ。

まるで韓国を「敵」のように扱っている、とんでもない誤りだ。韓国は、自由と民主主義を基調とする大切な隣人だ。

2、日韓は未来志向のパートナー

日韓友好は98年10月の金大中大統領の訪日を期としている。

金大中大統領は、「日本が議会制民主主義と平和主義を守ってきた」と評価し、ともに未来に向けて歩もうと呼びかけた。

金大中大統領は、なお韓国の国民には日本に対する疑念と不信が強いことを直視しつつ、未来志向で、禁じられていた日本の大衆文化の開放に踏み切った。

この相互の敬意が「日韓パートナーシップ宣言」の基礎となった。

3、「日韓条約と請求権協定」で問題は解決していない

日韓基本条約・日韓請求権協定は両国関係の基礎であり尊重されるべきだ。

日韓基本条約の第2条は、韓国の独立を認め、1910年の韓国併合条約の無効を宣言している。

しかし、①日本は併合は両国の合意だったと主張しており、植民地支配に対する反省も、謝罪もしていない。②元徴用工問題も解決していない。

したがって「国際法、国際約束に違反している」という日本政府の主張は正しくない。

この問題について、双方が議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だ。

おわりに

1998年の「日韓パートナーシップ宣言」がひらいた日韓の文化交流、市民交流は両国関係の基本となるものだ。

安倍首相は、日本国民と韓国国民の仲を裂き、両国民を対立反目させるようなことはやめなさい。意見が違えば、手を握ったまま、討論をつづければいいのだ。



要旨だけ読んで批判するのもいけないし、そもそも積極的な意義は大いに評価しなければならないが、率直に言ってやや不満も残る

一番の不満は無駄に長過ぎることだ。しかも長い理由がかなり執筆者の思いに由来していることだ。

その結果、共同声明らしからぬ個人的趣味が、至る処に目につく。仲裁委員会の扱い、慰安婦問題の経過など、明らかに書きすぎだ。

「2、日韓は未来志向のパートナー」は金大中賛美に終止している。赤旗が全文省略しているのはゆえなしとしない。事の正否と関係なしに、原文作成者の節度の欠如に強い違和感を覚える。

もう一つは共通の敵、不和を煽る犯人への反撃のために大同につこうというのが前提のはずだが、そこがどうも曖昧なのだ。敵が見えない。だから大同 につく意味がわからない。
要するに “饒舌な割に腰が引けている” 感じが否めない。


日韓摩擦は早く解決しないといけない。とにかく日本側の “上から目線” がとても気になる。
日本は落ち目なのだ。川上のほうが優位だなどと考えているなら、それはとんでもない間違いだ。
技術開発とシェア争いの激しい分野では、事実はその逆だ。

それをスマホの勉強をしていく中で痛感した。
以下の記述は、まったくお恥ずかしい限りで、若者には当たり前なのだ。
私が知らないだけなのだ。

いまスマホの世界では二大メーカーの寡占市場が成立しつつある。
それがサムソン(ギャラクシー)とファーウェイだ。安いからではない、優秀だからだ。

衝撃的な事実、ファーウェイの3レンズ方式のスマホは、すでにニコンの一眼レフを上回っているということだ。
当然、カメラの性能は世界一で、サムスンを上回っている。しかしCPUの性能やその他のスペックで総合的にはサムソンがかろうじて優位に立っている。
…とのことだが、私にはよくわからない。

すでにアイフォンは過去の遺物で、かろうじてグーグルが追い上げを図っているが、所詮は負け犬のようだ。日本ではソニーのエクスペリアが孤軍奮闘しているが、もはやよほどの愛国主義者であっても選択の対象ではないらしい。

とにかくスマートフォンの関連記事を読んでいると、浦島太郎が玉手箱を開けたような気分に襲われる。
パソコンですべてをカバーできると考えていると、とんでもない考え違いだ。うちに来ているヘルパーさんは2年に一度は買い替えているそうだ。そうしないと時代の進歩に追いつけないらしい。20年前のパソコンの世界だ。

根本的には、スマホを “携帯電話” だと考えているのが間違いなのだ。スマホは通信手段ではなくカメラであり、財布であり、手帳である。そしてこれらの機能はガラケーでは代替不可能なのだ。
これまでパソコンでやってきたすべてのことをスマホに移し替えなければならない。パソコンはスマホ情報の貯蔵器なのだ。

ということで、明日はドコモに行こう。


を増補しました。ネタは主として「世界的金融危機の構図」(井村喜代子)です。2009年6月までの事項しかないので、さほど内容的には増補になっていません。
もっと本格的な年表がどこかにあったと思いますが…

ニューヨーク・タイムズの記事をリンクしておきます。この記事は手続きなしに読めます(いまのところ)。
Sept. 16, 2019 Who Was Behind the Saudi Oil Attack? What the Evidence Shows


アラムコ爆撃の背後にいたのは誰? 
証拠写真の分析

当局は、イランの関与の証拠として衛星写真を発表した。そして無人偵察機と巡航ミサイルの組み合わせによる攻撃だとし、イエメンのフーシによる犯行声明を否定した。

しかし衛星写真以外の証拠は提供されていない。これでは攻撃がどこから来たのか、誰がそれらを発射したのかは証明できない。

分析家によれば、
①攻撃の巧妙さはこれまでのレベルをはるかに超える。フーシはドローン技術を急速に向上させているが、これだけの水準にはたっしていない。
②射入孔の建造物との関連、大きさの類似性から見て、その精度レベルは誘導ミサイルによるものであると予想させる。
③発表された衛星写真だけでは、爆撃の方向を特定できない。民間から独自に入手した衛星画像も同様所見で、貯蔵タンクは一貫したパターンで同じ方向から攻撃されている。

爆撃の発射元は未だ不明だ
saudi-460

当局は、イエメンからではなく北または北西からの攻撃だと述べている。しかし公開された衛星写真の一部は、施設の西側に損傷を示しているように見える。
direction-600
赤矢印が発射元方向で西北西に当たる。4時方向がイエメン、10時~11時方向がイラク・イラン

ただしそれは証拠にならない。巡航ミサイルは、発射方向と反対側の壁に衝突するようにプログラムすることもできるからだ。

爆撃精度は誘導ミサイルと一致する

アナリストは、「貯蔵タンクへの損傷の精度と一貫性は、ミサイルなどのある種の誘導弾薬と一致している」と述べている。

サウジのソーシャルメディアに投稿されたミサイルの残骸と思われるものの写真がある。アナリストはこれがQuds 1と一致していると推定している。
wreckage1-2000
これが弾頭であれば、フーシの犯行は否定される。Quds 1ミサイルの射程はイエメンから到達するには短すぎる。


以下は、この記事につけられたコメントの中から抜粋したもの。

コメント

① 写真は興味深いものです。ドローンが数百マイル離れた場所から発射され、4つの建造物の同一のポイントに的中したことです。米国のレーザー誘導ドローンでさえ、これほど正確であるとは思えません。
フーシーが数百マイル離れたところから打ち出す粗野なドローンが、これだけの水準の精度を実現できるという主張は信用できません。

② 私達は15年前、「大量破壊兵器」に一度だまされました。再びだまされることはありません。
イラクは飛行機をツインタワーに飛ばしませんでしたが、しかし彼らは“報復”爆撃されました。

③ 打ち上げ場所の方向を示す地図は、イスラエルを示唆しているように見えます。もちろん、記事に書かれているように、方向は偽装されたかもしれませんが。

④ もしミサイルがイランから来たのなら、ペルシャ湾で警戒している空母やイージス艦は何を見ていたのでしょうか。私たちの空母や艦船は、なぜ、これらのミサイルやドローンに関する情報を収集できなかったのでしょうか?  イランのミサイルは、彼らの頭上を通過したのではないのでしょうか?

⑤ 北か北西か? それとも地中海沿岸に、洗練された軍事能力を持っている国はないでしょうか? その国は米国の補助金によって保護されていることで知られている小さな国です。
その国は、攻撃された施設のやや北西にありませんか? そして、その小さな国はイランに対して熱狂的な反感を持っていませんか?

⑥ 衛星写真からの実際の損傷を実際に見ると、報道されているほど甚大な被害には見えません。損傷は非常に特徴的で、広範囲でもないように見えます。
施設は数日で操業体制に戻るでしょう。フル稼働までおそらく1週間か2週間。

⑦ 事件をでっち上げて、それをイランの挑発活動のように見せることは、イスラエルとサウジアラビアの間の秘密の共同作戦でしょう。米国をイランに対する直接作戦におびきだすためのフィッシング行動だと思います。

後略

この記事に関して著作権を争いません。

ボルトン解任とアラムコ攻撃は一連だろう

ボルトン解任についての続報がほとんどないまま、早くも忘却の彼方に沈もうとしている。
そんなときにアラムコ施設への攻撃が起きた。これも世界を震撼させるほどの大ニュースだが、テレビはほぼ完全に無視、新聞も爆撃の軍事的・政治的意味をスルーして、「石油減産の影響」を論評するばかりだ。
“やれやれ”と思っていたら、ニューヨークタイムスのスッパ抜き。「ミサイルは西から飛んできた」というのだ。西といえばイスラエルだ。

そこで6月のホルムズ海峡での日本タンカーへの攻撃が生々しく思い出される。

あのときも今度も、アメリカは「イランのせいだ」と大宣伝を行った。しかし日本タンカーへの攻撃がイランのせいだと思っている人は誰もいない。

そして今度は、世界経済を揺るがしかねないほどの、けた違いに深刻な情報が飛び出してきた。

これらの事件をツラツラ鑑みると、ことは「米国政府がフェイクニュースを流したのではないか」という疑惑に達する。それが国防省筋なのか国務省筋か、それともCIA筋なのか、まずは発信元の検討から始めなければならない。

とりあえずの時刻表

少し事実経過を洗っておこう。
abukaiku
    米政府発表の衛星写真(これはこれですごいものです)
9月14日(現地時間午前) アブカイクとクライスの石油処理施設がミサイル攻撃を受ける。イエメンの反政府武装組織「フーシ」が犯行声明。

フーシ派は今年に入ってからサウジアラビアへの多数の攻撃でドローンを使用している。以前の攻撃では市販の標準的なホビー向けドローンだったが、最近の攻撃ではより高性能なモデルを使用し、飛行距離は約1500キロメートルを超える(国連報告)

9月14日 サウジのサルマン・エネルギー相、アラムコの施設2か所で生産が一部停止したと発表。ナセルCEOは負傷者は出なかったと語る。

この施設はサウジ最大で、日量570万バレルを精製する。これは世界の石油供給量の約5%に相当する。

9月14日 ホワイトハウスの報道官、トランプがサルマン皇太子と電話で会談し支援を申し出たと発表。

9月14日 ポンペオ国務長官、「攻撃はフーシ派のものではなく、イランが関与している」と述べる。さらに「イランは、ロウハニ大統領とザリフ外相に外交をしているふりをさせ、サウジに対する100回近くの攻撃を裏で操っている」と非難する。

9月14日 ザリフ外相はポンペオ発言について、「イランを非難しても、イエメンでの大惨事は終わらないだろう」と述べる。

9月15日 ブレント原油先物が1バレル11.73ドル(19%)上昇し、71.95ドルとなる。

9月15日 トランプ米大統領、必要ならアメリカの備蓄放出を認めるとツイート。「石油はたっぷり!」と大文字で書く。

9月16日 ロイターによれば、米政府高官は「攻撃は南からではなく、イランに近い西北西から実施された。巡航ミサイルが使われた可能性がある」と語る。

9月16日 サウジアラビア主導の連合軍、攻撃に使われた武器はイラン製だったと発表。

9月16日 米政府、15日に撮影された石油施設の衛星画像を発表。「衛星画像では攻撃が北あるいは北西の方向から実施されたことが示されている」とする。

9月16日 ニューヨーク・タイムズ、「すべて西側の方角から攻撃された跡が確認できる」と報道。

9月16日 コンウェー大統領顧問、「トランプ大統領は依然、ロウハニ大統領との会談を望んでいる」と語る。

9月16日 トランプ大統領、「誰が犯人か知っている。検証の結果次第では臨戦態勢を取る。サウジアラビア側から連絡が来るのを待っている」とツイート。

9月16日 22:37 JST サウジ外務省、攻撃に使われた武器はイラン製だったと発表。また原油生産が半減したと発表。

9月16日 英石油アナリストによれば、「現況は鎮火からは程遠い。供給混乱は数週間ないし数カ月続くとされる。

9月16日 ロシアは「すべての国に対し、状況を悪化させ得る早まった手段や結論を避けるよう」要請。欧州連合(EU)も当事者すべてが「最大の自制」を示すべきだと強調した。


極右・反イランのトライアングル

我々が念頭に置いて置かなければならないのは、この事件がボルトンが解任されるという事態に続いていることだ。前回もアメリカの忠実な番犬だったはずの安倍首相がイランを訪問し、イランの国際舞台への復帰に手を差し伸べたその矢先に起きている。

もう一つは、ボルトン解任直後の報道で解任理由がアフガン問題だとされている点だ。しかしこれは煙幕の可能性が強いと私は読んだ。本丸はイランだろう。

トランプが何を考えたかは知らないが、主要な問題は反イランのトライアングルにある。すなわちイスラエル、サウジ、そしてネオコンだ。

しかしこの三角同盟は徐々にメッキが剥がれつつある。とくにイエメン問題を頂点として、サウジの相次ぐ失政と軍事能力の低さが暴露されて以来、アメリカの中東管理の劣化はほころび程度のものではなくなっている。

誰かが戦争に引きずり込もうとしている

あまりメディアの注目は集めなかったが、8月にはコーツ国家情報長官も解任されている。このポストは中央情報局(CIA)や国家安全保障局(NSA)など、情報・諜報関係の全17機関を統括する要職だ。

一般報道では「イランや北朝鮮問題などの外交方針で大統領と対立した」としか書いてない。しかし前後の状況から見れば、明らかに6月20日の無人偵察機撃墜への報復作戦の発動と中止に関わっているだろう。

トランプのツイッターにはこう書かれている。(以下BBCニュースからの引用)
イランは無人ドローンを撃墜した。こちらは3つの別々の地点に報復しようとした。僕が何人死ぬんだと質問した。150人ですと将軍が答えた。そこで攻撃10分前に僕がやめさせた。無人ドローンの撃墜に対して相応じゃないからだ。

ニューヨーク・タイムズに対して匿名の政府高官は、「軍用機は離陸し、軍艦はそれぞれの位置についていた。中止命令が届いたとき、ミサイルはまだ発射されていなかった」と語った。
いままさに、アメリカの中東戦略の再構築を考えるグループと、そうはさせじと抵抗する極右派の抗争が頂点に達しているのではないだろうか。

確実なこと

私はこれだけ遠隔地にピンポイントに爆弾を打ち込める技術はフーシ派にはないと思う。しかしその可能性は否定はしない。

イランにはサウジ経済の心臓部をミサイル攻撃する理由がない。サウジとの全面戦争は、アメリカとの全面戦争を意味する。
彼らはトランプとの対話と制裁解除、核合意の再実現と実施を心から願っていると思う。しかしサウジ攻撃の論理的可能性を否定はしない。
abukaiku satellite
   この写真を拡大していくと、上の写真にたどり着く、結構怖い
確実なのはただひとつ、アメリカ軍とポンペオがどこからドローンがやってきたのかについて明らかに嘘をついて、イランに罪をなすりつけようとしたことである。

ヘーゲル 法の哲学 抜書 1

序文


…自然については、哲学はそれをあるがままに認識しなければならない。賢者の石は、自然そのものの中のどこかに隠されている。
それはすなわち、自然がそれ自身において“理性的”であるということである。
だから、知は自然のうちに存在するこの現実的な理性を捉えなければならない。

…哲学とは、理性的なものの根本を見分けることである。そしてそこにある現在的で現実的なものを把握することである。そこに彼岸的なものを打ち立てることではない。

…これに対して倫理的世界たる国家・社会は、理性を内在せず、一つの恣意の世界として偶然に委ねられており、神に見捨てられている。

…法の認識が自然の認識と違うのは、法に対しては考察・批判の精神が勃興してくることだ。もろもろの異なる法律があるということが、それらの法律は絶対的ではないということを示す。

…人間は外的な権威の必然性と力に屈することがありうるが、けっしてそれは自然の必然性に服するのと同じではない。人間は、該当する法が真実かそうでないかを検証する手段を、自分のうちに見出す。

…むかしは既存の法律への尊敬と畏怖が存在していた。しかし今はむきだしの思想が一切の法の頂点に立っている。もろもろの対抗理論がそれに対置され、おのれを“正しくて必然的”なものと見せようとする。

…浅薄な連中は、「学」を思想と概念の展開により規定する代わりに感覚的な印象と偶然の思いつきの上に立てようとする。彼らは国家という建築物を分析するのでなく、「心情、友情、感激」という粥みたいなものに一緒に溶かしてしまおうとする。

…本稿では、国家を哲学として扱う。ということは国家をそれ自身のうちで理性的なものとして概念において把握しようとする。そして、国家という倫理的宇宙がいかに認識されるべきかを考察する。


緒論

第1章

…哲学の対象は理念であって「概念」ではない。いわゆる「概念」は、抽象的な悟性の規定でしかない。
哲学は「概念」という思い込みが、一面的で非真理であることを明らかにする。真の概念は現実性を持ち、哲学に対して現実性を付与する。

…哲学は円環をなしている。最初の哲学は直接的で無媒介である。それはともかく開始されなければならない。それはまだ証明されておらず、成果となっていない。

…法は実定的である。なぜなら法は一つの国家に妥当するという形式を持つからだ。実定的というのは有限で人為的であり、要するに歴史的なものだということである。

…自然法は法と対立し抗争していると考えるのは誤りである。法は自然法の展開されたものである。その展開は一つの国民と一つの時代の性格に依存して行われる。

第4章

…法の地盤は精神的なものである。その開始点は意志である。意志は自由なもの(誰かにとって)であるから、(誰かの)自由が法の実体をなす。(誰かというのは私の挿入)

…法の体系は「実現された自由」の王国である。だから、法は意志という精神が生み出した精神の世界であり、第二の自然と呼ばれる世界である。

…精神はまず第一に知性である。知性は感情から表象を経て思惟へと進んでいく。その際に通過する知性の諸段階は、精神がおのれを意志として生み出す道すじである。実践的な精神にとって、意志は知性の直後に続く真理である。

追加(第4章への)

本筋とは関係なく意志に関係する哲学的叙述が長々と続く。しかしとても示唆に富んでいる。

…自由とは意志の根本規定である。それは重さが物体の根本規定であるのと同様である。
意志は自由なしには空語であり、自由もまた意志として主体として初めて現実的なものとなる。(同様に意志も自由も、誰の意志か、誰にとっての自由かを問わなければならない)

…思惟と意志との区別は理論的態度と実践的態度の区別にほかならない。意志は思惟の特殊なあり方である。意志は思惟が自己を現存在のうちに投企する思惟である。そして自己に意味を付与しようとする衝動としての思惟である。
すなわち理論的思惟にとどまらない、能動的な実践的な思惟なのである。

…表象化は一種の普遍化である。普遍化は思惟なしにありえない。自我は普遍的であり、そこでは個別性や特殊性は無視されている。自我は空虚で無内容である。しかしこの空虚さにおいて活動的である。

以下略(いつもながらヘーゲルの口下手と多弁には辟易とする)


第5章

…意志は純粋な無規定として、すなわち衝動として現れることもある。自由が情熱にまで高められ、内容を持たないときは否定的・破壊的な意志となる。(今で言う原理主義)

追加(第5章への)

…このように「意志」を規定すると、人間の究極的自由が、極めて抽象的にも語りうるということが明らかになる。たとえば人間は、おのれの命を放棄する自由も持っているし行使することもできる。

…この否定的な自由は悟性の自由であり一面的である。悟性には欠陥がある。ある一面的な規定を唯一の至高の規定にまで高めてしまうことである。

…この否定的な自由は、政治的あるいは宗教的活動の狂信者にもっとも具体的に現象する。例えばフランス革命の恐怖政治時代がそうだ。
狂信は一つの抽象的なものを欲する。それは無規定であるがゆえに反区別主義である。どんな分裂も特殊も許さない。


第11章

もろもろの衝動、欲求は即自的に自由な意志である。しかしそれは直接的、自然的な意志である。

衝動、欲求は動物にもあるが、動物は何ら意志を持たない。しかし人間は衝動を自分のものとして、自我のうちに定立している。

したがって、それは意志の理性的本能から来るのだが、まだ理性的な形式の下に置かれているのではない。

第12章

意志は決定という行為によって個別化する。すなわち現実的な意志となる。思惟する理性は意志として意を決し、有限となる。
人間はただ決定することによってのみ現実の中に踏み入る。

何一つ決定しない意志は現実的な意志ではない。それは優柔不断な意志であり、死んだ意志である。

知性はその対象が普遍的であるだけでなく、知的活動自身が普遍的な活動である。

しかし意志においては普遍的な意志が、同時に個別的なものとなる。意志そのものは普遍的だが、“私の意志”として個別的である。

第15章

意志の自由は恣意であるとも言える。世間では、自由とは何でもやりたいことができることだと言われている。しかしそう言う恣意こそ、彼が動物的必然から自由でないことの証明なのである。

ボクシングというのは極めてストイックなスポーツで、大きなグラブをつけたコブシしか使わせない。戦闘訓練には向いていないスポーツである。

剣道にも似たところがある。ルールで厳しく絞られているから、何でもありの武術の中では実際の戦闘にはあまり役立たない業かも知れない。

ただボクシングと比べると剣道の場合は兇器を持っての対決だから、一撃の致傷力は高い。勝負は一瞬でつく。だからかなり運が左右する。拳闘は倒れるまで殴り合うから、実力だけが物を言う世界だ。

すこしボクシングの技術について勉強しておきたい。もちろん格闘技だから、防御やフットワークやスタミナ配分もあろうが、やはりまずパンチから勉強してみたいと思う。

基本のパンチ

ジャブ 相手との距離感を測るため、細かく軽打するパンチ。リードブロートも呼ばれる。一発の威力はないが、守備や組み合わせ攻撃など技術としての重要度は高い。開発当初は「卑怯者の戦法」と呼ばれた。

コツ 威力を犠牲にしてでもスピードとパンチ頻度を極限まで高めることがもとめられる。

ストレート 

基本の構えから後ろ(利き腕側)の拳を相手に向かって鋭く打つパンチ。ジャブと同じ構えから打つ左ストレートもある。

コツ 体や肩の回転を利用し、肩から腕が真っ直ぐになるように打つ。

フック 

腕を横から回し顎やコメカミを打ち抜くパンチ。どちらの腕でも打つ。真っ直ぐに打つように見せかけて打つことが多い。

コツ 打つ瞬間に肩を後ろに引き、打ち込むのではなく当てるように打つ。反動で腰が入るので、その力を有効に使う。

アッパー 

肘を曲げたまま、拳を下から上に突き上げるパンチ。どちらの腕でも打つ。どこを打つかは関係ないが、顎を狙うことが多い。アッパー・カットともいうが、特に使い分けはない

コツ 腕の振りだけでは威力が足りない。打つ直前に上体を軽く屈めて、その反動を利用する。

注意 非常にリスクが高いパンチ。膝を屈めたときに、しっかり顔面をディフェンスする。空振りに終わったときは覚悟すること。


ボディブロー 

相手の腹部を打つパンチ。フックでもアッパーでも構わない。相手の体力を奪うことを目的とする。

コツ 打つ側の足を相手の側面に踏み出し、懐に入ってパンチを叩き込む。


応用のパンチ

ワンツー

ジャブの後にもう片方の腕でストレートを続けるパンチ。ジャブを打ち終わると同時に、ストレートを相手に打ち込む。

コツ まずステップで思い切って踏み込む。ワンツーのステップはステップの基本となる。


カウンター

相手の攻撃のときに生まれる、瞬時の隙を狙うパンチ。相手の癖や、ちょっとした変化を読み取ることでチャンスが生まれる。

コツ 後出しではなく先制に近い同時攻撃。


おまけ

クロスカウンターは 相手の左パンチに対して右腕でカウンタ-を打つ方法。両者の腕どうしがクロスするのでそう言う。
が鮮やかだ。こちらは相手のフックに対してストレートのカウンターを放っている。「あしたのジョー」とは逆だ。「あしたのジョー」は、どう見てもやられた方だ。

現代金融危機とマルクス理論
―マルクスの危機分析は現代に通用するか―

萩原 伸次郎  
『社会システム研究』2009年3月


はじめに(問題意識)

リーマンショックを機に、
マルクスの恐慌論、とりわけ金融恐慌論に論及する。

その際、マルクスの議論から直ちに今日の金融危機分析をおこなうことはできないので、そのための3つの段階的議論を提起する。

 Ⅰ 金融危機分析のために『資本論』から何を抽出するか
(全体に見出し数が少なく、論点が見えにくいので適宜小見出しを入れていく)

A.信用制度の意義

まず第一の論拠は、第3巻第5篇第27章「資本主義的生産における信用の役割」である。ここでの論点をいくつか上げておく。

1.信用制度の3つの意義

信用制度は商業信用を基礎とし、銀行信用に発展する。この過程で①貨幣を節約し、②流通速度を著しく速め、③金貨幣を必要としないシステムをつくりだす。

なお、この後「貨幣などは空虚な観念的な価値に過ぎなくなる」と書き足すが、これは書き過ぎだろう。

2.貨幣の節約がもたらすもの

信用制度は、購買行為と販売行為とを分離することにより貨幣への変態をスルーさせる事が可能になる。その結果、生産・流通の安定をもたらす。

マルクスは猛烈に気分が乗っているから、また余分なことを書く。

「信用は,購買行為と販売行為とを比較的長期間にわたって分離することを許し,それゆえ投機の土台として役立つ」

文章の論建てとしては余分なことだが、これは非常に重要なアイデアである。これについては後で触れることになる。

3.株式制度の登場と投機的性格

マルクスは商業信用→銀行信用の発展の先に株式制度を位置づける。

信用は、個々の資本家に他人の資本を提供する。そこには他人の労働の処分権もふくまれる。

この場合、所有は株式の形態で存在するので、所有の移転は、たんなる取引所投機の結果となる。

4.信用制度の2つの側面

信用制度は、その弾力性によって、過剰生産や過度の投機を受け入れる。再生産過程は信用制度によって極限まで押し広げられる.

こうして信用制度は,生産諸力の物質的発展および世界市場の創出を促進する。

それと同時に,信用は矛盾の暴力的爆発,すなわち恐慌を促進し古い生産様式(すなわち資本主義)の解体を促進する。


B.<架空資本>の形成メカニズム

1.架空資本の意味

信用,とりわけ株式制度は、どのようにして社会を過度な投機活動へと追いやるのだろうか.

その謎を解き明かすのが「架空資本」のカラクリである。

その前に「架空資本」についての用語解説

「架空資本」というのはマルクス主義独特の言い方で、世間では擬制資本(フェイク・キャピタル)という。2つ前の第25章は「信用と架空資本」という表題がつけられている。これは本当は25~35章(第五草稿)全体に付けられた表題ではないかと言われる。

2.架空資本のにないて

貨幣資本の発展につれて,利子生み証券,国債証券,株式などの総量が増加する.

貨幣市場で主役を演じる証券取引業者たちの、貨幣資
本にたいする需要も増加する。その需要に応えるのは商業銀行である.

銀行業者たちは証券取引業の連中に公衆の貨幣資本を大量に用立てるの。こうして賭博一味が増大する。

3.柔軟な信用制度と強硬な通貨制度

1844年恐慌は、銀行が完全兌換制となったのが発端だった。このため市況が活発化し生産が増えると、貨幣に対し相対的過剰となる。

兌換制の下では急速な金融逼迫と金利の上昇をもたらす。信用制度は崩壊し生産・流通業者が甚大な損害を被ることになる。

支払の順番に応じて、各国が次々と金流出を引き起こす。そして経済恐慌へと突入する。

世界経済恐慌は,イギリスを発生源として世界各国へ次々と波及していくのである.

4.恐慌と金融の優位性確立

一方で貸金業者は大成功し富を集中していくことになった。

恐慌はこの寄生階級に,単に産業資本家たちを大量に周期的に破滅させるだけでなく,危険きわまる方法で現実の生産にも干渉する力を与えた。

以後はポスト・マルクス、とりわけケインズの話になっていくので略す。

弥生時代年表

2003年に国立歴史民俗博物館の「衝撃と困惑」の研究発表があり、弥生時代の始まりが500 年ほど古くなった。どうでもいいといえばどうでもいいのだが、かなり書き換えが必要となる。
率直に言って、弥生の幕開けがBC1000年とか、板付Ⅱ式や吉野ヶ里がBC700年と言われても相当抵抗がある。さらに新旧の記載が混在するので、入門者は相当困惑するだろう。

Cf: キーリ 「AMS による縄文・弥生時代の年代観」


弥生分類

絶対年

考古学的イベント

歴史

縄文晩期

BC1200年ころ~

黒川式


弥生早期

BC1000年ころ~

水稲作が伝来。
最古の水田(板付遺跡

 

早期前半




早期中葉




早期後半

糸島市曲り田遺跡(縄文晩期)
唐津市
菜畑遺跡、福岡市板付遺跡の夜臼式土器

弥生前期
(Ⅰ期)
前半

BC700年頃

国が出来、環濠集落が造られる
支石墓・甕棺墓
板付II式、遠賀川系土器文化

弥生前期
(Ⅰ期)
中葉


吉野ヶ里遺跡のはじまり

弥生前期
(Ⅰ期)
後半





BC300年頃

燕が東方進出。中原の鉄器文明が拡散する。

弥生中期

BC300年頃

九州北部に細形銅剣と銅矛が伝わる。鉄斧も出現。

 

II~III期・前半 

 

須久Ⅰ、Ⅱ式。
北九州では甕棺墓が流行。

 


BC195


衛満が衛氏朝鮮 を始める
II~III期・中葉
磯城郡田原本町の唐古・鍵遺跡


BC108


衛氏朝鮮が滅ぶ。楽浪・臨屯・玄 菟・真番の4郡を設置
IV期・後半 BC100~

倭に100以上の小国が存在する(漢書-地理志)

 

BC52 和泉市の池上・曽根遺跡が年輪年代法で確定
弥生後期

AD50~



V期前半 西日本から関東にも環濠集落。瀬戸内各地に高地性集落

57
 
 

 

V期中葉

AD100~



 

107
 

 

 

146 - 189
 

 

V期後半

AD200~



 

239
 

 

卑弥呼が朝貢。親魏倭王の称号と金印を授かる

 

247
 

 

邪馬台国狗奴国王卑弥弓呼と戦争。魏は倭に遣使し檄を与える

 

248

 

卑弥呼の死。男王が即位するが国内は混乱。台与が女王となる 

古墳時代

250~

弥生時代終わり、古墳時代へ



250ころ

奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡環濠を持たない。掘立柱住居。

 

266年

 

倭の女王、晋に遣使する

 

300年


 

 



弥生時代後期の青銅祭器の分布から分かること

引き続き「野洲川下流域の弥生遺跡」のページからの紹介である。

弥生後期の図に移ろう。
kouki-symbol
弥生後期も祭器分布の基本構図は変わらない。北部九州の銅矛対近畿東海の銅鐸である。

これに対し出雲から吉備にかけての模様が著しく変化する。

第一に、銅剣文化が消失していることである。出雲の中細形銅剣も吉備の平形銅剣も出土しなくなる。

第二に、銅剣を捨てた銅剣人が、墳墓という独自の文化を作り始めたということである。
中細形銅剣を作った出雲の銅剣人は、四隅突出型墳丘墓を作り始めた。平形銅剣を作った吉備の銅剣人は双方中円墳を作り始めた。

第三に、銅剣人とかぶっていた銅鐸人は姿を消し、東方に後退していることである。まさに妻木晩田遺跡であり、青谷上寺地遺跡である。
この地域においては銅剣人が銅鐸人と争い、それを支配下に収めたのであろう。

第四に、四隅突出型墳丘墓は高句麗など北方由来の墓型であり、これが吉備に入って土盛りの双方中円墳に発展したと見られることである。
これは吉備地方で大規模土木・灌がい工事が始まり余剰土砂が大量に算出されるようになったことを示す。そしてこの双方中円墳が前方後円墳へ発展していくのではないだろうか。

私は3世紀中頃に巻向に出現した天孫族は、この吉備の分家筋の銅剣人ではないかと推測する。

本家筋の銅剣人は日本海岸に東進し越前・越後へと達する。さらに一部は若狭から近江・美濃・尾張へと進出し、一部は信州から上毛へと進出していく。

なお、銅鐸については弥生中期に一旦消滅した後、後期の初めに大型の「見る銅鐸」として復活したという説があり、もしそうなら、中期の銅鐸と後期の銅鐸は同じ流れの存在とは言えなくなる。この問題は今回は保留する。

銅矛についても弥生時代後期の北部九州の信仰のシンボルと言ってよいかは疑問が残る。

少なくとも北部九州においては弥生後期にはすでに完全な鉄器の時代に入っている。だから強さのシンボルであるならそれは鉄剣でなくてはならなかったのではないだろうか。

いずれにしても、基礎知識の不足を痛感する。すこし銅鐸、銅矛について勉強した上でまた発言していきたい。

弥生時代中期の青銅祭器の分布から分かること

まことに驚きました。寝耳に水、まさかこんな線があるとは思いませんでした。

これまで私の書いてきた情勢分析は一体何だったのでしょうか。茫然自失とはこのこと、しばらく自信喪失です。

「日米同盟を重視する知日派としても知られており、安倍政権とも太いパイプを持つ」(毎日)とされ、安倍首相にはかなりの衝撃だろうと思います。一連のファッショ的路線は、トランプを取り込んだボルトン+ネオコンを本筋と読んでの判断だったと思います。

一番気になるのは、トランプの「彼の提案の多くに私は強く反対してきた。他の政権メンバーも同意しなかった」というセリフです。

いちど、ボルトンが安保担当補佐官に就任して以来の変更事項を総ざらえしてみなければなりません。

イラン核合意、中距離ミサイル(INF)に関してのサイドの変更があるのか。イスラエル政策や対中政策、中南米政策に変更があるのか。



本日早朝5:36の入電(現地は10日の夕方)
日本経済新聞ワシントン支局永沢毅記者の第一報だ。

ツイッターを通じて解任するのはこれまでと同じだが、言い方ははるかにきつい

昨夜、ボルトン氏にホワイトハウスにはもう要らないと伝えた。…だから私は辞任を促した。

ポンペオ米国務長官が直後に記者会見した。彼は「トランプ大統領とボルトン氏は多くの点で意見の違いがあった」と語った。ポンペオにまでそう言われるんだから、ボルトンの暴走ぶりはすごかったようだ。

ニューヨークタイムズ紙によると、トランプ政権の安全保障チームは、もともと大統領を抑制する任務を負っていた。しかし後にはトランプ自身がボルトンを抑制するようになっていた。

10:36 のCNNニュースではこう書かれている。
ある政権高官の話によると、トランプ氏はイランやベネズエラ、アフガニスタン情勢などをめぐるボルトン氏の発言に対し、いら立ちを募らせてきた。

解任の直接の背景は、米軍が長期駐留するアフガンへの対応だと書いている。最近のアフガンがらみの政権内協議に、ボルトンは出席していないという。

済まないが最近のアフガン議論は記憶にない。何かそんなに揉めていたっけ?

産経の黒瀬記者の第一報(01:33)には、
トランプはタリバンを大統領山荘キャップデービッドに招くつもりだった。ボルトンはこれに強力に反対した。
となっている。これは先程のCNNニュースでも確認されている。

しかし後知恵になるが、わたしはイラン爆撃をいったん承認し取りやめた事件が一番ではないかと思う。

高橋浩祐の公式サイト

イランが6月20日にアメリカの無人偵察機を撃墜した際、ボルトンはその報復としてイラン攻撃を主導した。しかしトランプが「FOXニュース」のキャスターの助言により攻撃を回避した。
トランプはその後、ボルトン氏を「タカ派」と呼ぶようになった。

BBCの記事で、トランプは「ジョンには気に入らない戦争なんかないんだ」と冗談を言ったことがある。
borutonn
とここまでがニュース。

次は同じく日経新聞の本日15:46のニュース

ツイッター発表から90分後のポンペオ会見の詳報で、おそらくワシントンの最終初だろう。無署名だが永沢毅記者のものだろう。かなり重要なニュースだ

解任は驚きではない。ボルトン氏と私の意見の相違は多かった。

会見にはムニューシン財務長官も同席しポンペオ見解を補強した。

イラン制裁では制裁をさらに強化する一方、9月下旬の国連総会でトランプ・ロウハニ会談を“無条件”に実現することに前向きな姿勢を示した。

これは13:30のBBCニュース。事実とすればかなりのスクープだ。

トランプ政権の元高官は匿名を条件に語った。

本来なら大統領に政策助言を行う国家安全保障会議(NSC)が、ボルトン補佐官の指揮の下、ホワイトハウス内で独立した存在へと変化していった。

「ボルトンは、ホワイトハウス内のほかの人から独立した状態で仕事をして」おり、会議には出席せず、自らの戦略にこだわっていた。
…ボルトンは大統領に『あなたの優先事項は何ですか』とは尋ねなかった。ボルトンの優先事項を大統領のものとしている」
ボルトン氏は、「自分のやり方が気に入らなければ結構」というスタンスで、大統領を含む、政権内の多くの人を激怒させた。

BBCニュースの内幕暴露はさらに続く。

トランプはロウハニ大統領との会談に前向きだったが、ボルトン氏はこの提案に反対していた。

北朝鮮との2回目の会談が物別れに終わった際には、政権内からボルトン氏を非難する声が上がった。

トランプはキャンプデイヴィッドで予定していたタリバンとの「秘密会談」を取り止めた。これはボルトンが強硬に反対したためだった。

トランプ氏は今春、ヴェネズエラをめぐる外交政策が失敗に終わった際に腹を立てた。マドゥロ大統領を退陣させることは簡単だとボルトンが説明したが、そのことで、トランプ氏は判断を誤ったと愚痴をこぼした。

「論座」というネットマガジンがある。この9月5日号に大変有用な記事があった。

イエメン分裂、UAEの政策転換と孤立するサウジ」という題名で筆者は川上泰徳さん。中東ジャーナリストという肩書きになっている。古いことまで大変詳しい方だ。

とりあえず面白いところだけ紹介しておく。

8月にアデンで内戦があった。暫定評議会の部隊により政府軍が一時放逐された。
月末には一応奪還に成功したのだが、「暫定評議会」というのが何を隠そう、あの南イエメン人民共和国の生き残りなのだ。

前に書いた南イエメンの歴史は、最後は1994年だった。北イエメンが南に侵攻し、南イエメン人民共和国を滅ぼしたところまでである。

ところがそれが地下でずっと生き続けていて、現在の暫定評議会へとつながっているらしい。

94年の南北内戦で敗北した旧南イエメン勢力は、07年に南部運動(ヒラーク)を結成した。

指導部は旧南イエメン社会党のメンバーで、ビード書記長をトップとしている。このヒラークの軍事部門が南部暫定評議会、その議長がアイダルス・アル・ズバイディということになるらしい。

以前の報道で、南部で武装勢力といえばオマーンに近い一帯を根城とするアルカイーダだと教えられてきた。社会党のシャの字も聞いたことはない。

ヒラークのインターネットサイトがあり、そこで彼らの大義が主張されている。

川上さんによると、

組織の目的は、94年に「暴力的な抑圧」によって占領された祖国の「解放と独立」である。
その目的は「平和的な対話によって独立を達成する」と描かれている。

とにかくそういう組織を立ち上げ、13年ぶりに運動を再開した。しかしその後あまり目立った活動はなかったようだ。

それがイエメン内戦を受けてふたたび浮かび上がった。2016年サウジの支援を受けたハディ大統領は、アデンに入りイエメン政府を「再建」した。しかし手兵がいない。見回したところ目についたのが旧南イエメンの残党だ。そこで残党集団のリーダーだったズバイディをアデン知事に任命した。
さらに南部戦線を担うUAEは、ズバイディに民兵組織の結成を委託した。こうしてUAEの指導と援助で結成されたのが「治安ベルト部隊」だった。

私が考えたら、これはイスラムの代わりにマルクスを選ぶことであり、最悪の選択である。それならフーシ派に権力を明け渡したほうがはるかにマシだ。

1年でハディ大統領とズハイディ知事の仲は決裂した。ハディ大統領はズハイディをアデン知事から罷免した。

しかしUAEは武力勢力の指導者の地位を保全した。すでにUAE軍は多くの犠牲者を生んでいる。フーシ派と戦う上でズハイディ部隊の存在は、死活的重要性を握っていた。

こうなれば事態は圧倒的にズハイディ優位である。南イエメンから見れば北出身の「大統領」であろうと、その背後のサウジであろうと、少なくとも心の底では敵である。
UAEも同類みたいなものだが、武器援助してくれる限りではありがたい味方である。

こうしてズハイディは南部の分離独立を求める南部評議会を設立した。委員長のズバイディ氏を含め、5人の南部地域の知事が指導部に名前を連ねている。

つまり大統領とは対決構図になったが、UAEの手前、一応大統領の顔を立てるということだ。

それで1年ちょっとやってきて、それが突然、なぜ武力衝突になったのか。

それは19年の7月になって、UAEがイエメン南部に駐留した部隊5000人の大部分を撤退させたことにある。どうもUEAは戦争に嫌気が差したらしい。世界からこれだけ非難されれば当たり前だろう。

さらにホルムズ海峡が緊張してくると、尻に火がついてしまって他人の国どころではなくなってきた。

こうしてアデンに権力の空白が生まれた。誰がその空白を埋めるのか。ズバイディはいち早く仕掛けた。UAEのプレゼンスが期待できるうちが花だ。それがなくなればサウジとの直接対決になってしまう。そうなれば勝ち目はない。

結局そうなってしまった。

とりあえずはそういうことらしい。これに2幕目があるのかどうかははっきりしない。

イングランド銀行カーニー総裁の講演 詳報

8月26日のブルームバーグ報道で、「ドル支配終わらせるデジタル基軸通貨体制を提唱
Carney Urges Libra-Like Reserve Currency to End Dollar Dominance
と題されている。

リードは下記の通り

カーニー総裁はドルを基軸通貨とする世界的金融システムの抜本的改革を求めた。
そして極めて大胆な提言を行った。
最終的には「リブラ」のような仮想通貨が準備通貨としてドルに代わることになるとの考えだ。

以下本文

最初に現状認識

経済政策を巡る不確実性が高まっている。
あからさまな保護主義がはびこり、政策余地は限定的となり、今後は悪影響を打ち消せなくなるかも知れないとの懸念が広がっている。
これらの悲観的観測が組み合わされ、世界経済のディスインフレ傾向を悪化させている

「現状維持」思想は誤り

各国・地域の中銀が短期的にはこうした事態に対応することは必要だ。しかし現状維持の思想は誤りだ。最終的には劇的な措置が必要になる。

「通貨覇権の入れ替え」であってはならない

基軸通貨がドルから中国人民元に代わっても問題は解決しない。「長期的に見て、われわれはゲームを変更する必要がある」

合成覇権通貨(SHC)の構想

世界の準備通貨としてのドルの地位が終わったあと、グローバルなデジタル通貨が登場するだろう。

それはリブラのようなものとなるかも知れない。リブラは各中銀の直接的な管理から外れたものと構想されているが、SHCは各国中銀の「デジタル通貨ネットワーク」を通じて公的セクターによって提供されることになるだろう。

カーニー総裁の結語

このアイデアの初期バージョンは試行錯誤を繰り返すことになるだろう。
しかしいくつかの欠陥が立証されたとしても、SHCのコンセプトは魅力的だ。
それは世界貿易における米ドルの支配的影響力を弱めるかもしれない。

結局、現下の経済不安の主因は、トランプの存在そのものだ。
議会も民意もない。彼がツイッターに書き込めば、それが世界を動かしていく。これは民主主義の対極だ。

そういうトランプ現象を生み出したものが2つある。
一つはアメリカの草の根に潜む漠然とした不条理であり、それはいかなる時も40%の不正義への支持を叩き出す。
もう一つはドル基軸通貨体制である。これがあるために、世界の国々はますます米国に逆らえなくなっているし、そのためにトランプの顔を伺うようになっている。

この「構造欠陥」はリーマンショックとその後の欧州金融危機のときにも話題になった。その後大規模な量的緩和の中で話題から外れた形になったが、米中経済摩擦が激化する中で再び深刻な問題として浮上しつつある。

赤旗(金子記者)によると、今回はイングランド銀行のカーニー総裁が口火を切ったらしい。
米ドルという一つの国の通貨が、世界の通貨金融システムの中で優越的地位をしめている。
今やリスクは積み上がり、それらは構造的だ。
多極的な世界経済システムに、単一の通貨体制はふさわしくない。
赤旗もいうように、シティーの主がそう語ったとしても、にわかに信用できるものではない。しかし“シティーでさえも”、という言い方もできる。

今や世界の最大リスクはトランプであり、世界はこの一人の変人の奇行をまったくコントロールできない。
ヒトラーに対してはもう一つの極が形成されたが。しかしトランプに対しては、21世紀の世界は、未だにもう一つの極を形成し得ないでいる。なぜなら単一通貨制だからだ。

ここが問題だ。

下記の記事をご参照ください

2011年10月25日  中国の国際通貨論



野洲川下流域の弥生遺跡 というページに大変面白い図があったので、紹介させてもらう。


この図が弥生時代中期の青銅祭器の分布である。

tyuuki-symbol

弥生時代中期の実年代については、

中期前半の須玖Ⅰ式が前325~前230年,中期後半の須玖Ⅱ式古が前230~前45年という年代幅をもつ

ということなので、BC300~BC50くらい、と想定しておく。特にBC102年の衛氏朝鮮の崩壊と漢の占領、楽浪郡の設置という大事件を間に挟んでいることに注目しなければならない。
とにかくBC50くらいには天孫族の支配がすでに始まり、「倭国、分かれて百余国」の状態に至っていたということだ。

1.3つの青銅文化圏

この図では、興味あることに日本が3つの青銅文化圏に分かれている。

すなわち九州 を中心とする銅矛圏、近畿を中心とする銅鐸圏、そしてその中間の境界部に挿入された銅剣圏だ。それは弥生中期の日本に銅矛人、銅剣人、銅鐸人が併存したことを意味する。

これまで和辻哲郎以降、銅剣vs銅鐸と考えてきたのとはだいぶ話が変わってくる。“重複部”をたんなる境界部として考えるのか、独自の銅剣圏として考えるのかが、問われることになる。


2.銅矛文化は銅鐸文化を押しやる形で侵入した(はずだ)

世間には九州からも銅鐸が見つかったことで、2つの文化圏を分けるのは無意味だと主張する人がいる。私はそれこそナンセンスだと思う。

銅鐸文明が九州にあるのは当然だ。そもそもそれは朝鮮から九州 を経由して西日本へと拡散していたのだから、むしろ九州 にないと困るくらいだ。

むしろ問題は逆に、どうして九州に銅鐸がなくなってしまったのかということだ。それは銅矛を祭器とする人々が後から入ってきて、彼らが銅鐸文化を排除したからだと考えるしかない。

だからこの分布図から、私たちは時間経過を勘定に入れて考えることになる。つまり銅矛人が弥生中期の初めに渡来して、銅鐸文化はそのために東にシフトせざるを得なくなったということだ。

注意すべきは、それが、銅鐸人(長江人)そのものが排斥されたということではなく、銅矛人が支配者になって万世一系思想を流布し、銅鐸文化を排斥したことを意味するということだ。

それは朝鮮半島南部で、高天原の天孫族がイザナミの豊葦原中国・大八洲を制圧し、垂直型信仰に習合したのと同じ方式だ。


3.重複部であるとともに独自の銅剣圏

それともう一つ、2つの文化圏の中間に出現した銅剣文化は、どちらの文化とも異なる「第3の文化」の可能性がある。

この分布図に従うと、島根-高知線で銅矛圏と銅鐸圏はかなりクリアーに分かれている。これは銅矛が進出すればその分銅鐸が退くという関係にあったことを示している。そして大阪湾に銅矛圏が飛び地的に進出している。

それはそれで良いのだが、そういう関係の中に突如、銅剣文化が刺さりこんだ形になっている。これが紀元前後の日本の特徴なのである。

この銅剣地帯は2つに分かれている。出雲を中心とする中細形銅剣と、瀬戸内中部の南北両岸の平形銅剣地帯である。平形銅剣は中細形の発展・派生型と思われる。

この南北2つの銅剣地帯は、とりわけ銅矛地帯を両断する形になっている。

4.銅剣と銅矛はまったく異なる

いろいろあるが、強調しておきたいことは、「銅剣と銅矛とは違うものだ」ということだ。先日国立博物館に行ってみてきたのだが、研究者は銅剣と銅矛を同一視していることがわかった。しかし銅矛のパッションはまったく違う。これは武器ではない。これでは絶対人は殺せない。

まずは一度、銅矛の思想というものを受け止めないとこの話は進まない気がする。



これが弥生時代中期に起きたことなのだ。この時代には大変なことが起きたのだ。

弥生後期の分布図とそれについての感想は、長くなったので新たに稿を起こすことにする。

以前からヤマトに神話はなく、出雲神話からの借り物ではないかと思っていたが、「古代出雲を歩く」(平野芳英 岩波新書)を読んで、ふと感じた。
少し長めに引用させてもらう。
国土として引き寄せてきた最初の土地は、去豆の折絶から西の、支豆支の御埼、すなわち出雲大社のある島根半島の西端の山並である。八穂尓は「八百丹よし」で、たくさんの丹(赤土を杵で突きかためて築くという意味から、築きの枕詞…
 こうして引き寄せてきた支豆支の御埼を、命は出雲の国と石見の国の境にある佐比売山(現、三瓶山)に、引き綱を固定してかためたのである。
ということで、出雲国風土記の現代語訳だが、訳されてもなおかつわからない。

著者の解説によると、去豆の折絶から西の、「支豆支の御崎」は“きずきのみさき”と読む。島根半島西端の「日御碕」(ひのみさき)を指すのだが、風土記では岬の先端だけでなく半島の脊梁山地の西3分の1を含んでいるらしい。

「去豆の折絶」は“こずのおりたえ”と読む。これは「支豆支の御崎」山塊とそれより東部の山塊とを距てる谷筋を指すもののようである。

この手の本はいつも、本筋と関係ないこのような情報に悩まされる。かと言って読み飛ばしていくと、後で本筋も見えなくなってしまうから厄介だ。

本題に戻ろう。

つまり「日御碕」と「支豆支の御崎」とでは、ちょっと範囲が違うのである。いわば「日御碕」は岬であり、一つのポイントなのだ。しかし「支豆支の御崎」は岬を含んだ一つの塊なのだ。
鼻高山
 おそらく鼻高山が「支豆支の御崎」でその東の低地が「去豆の折絶」ではないか

これが国引き神話との関係では重要になる。

「支豆支」は万葉仮名で字そのものに意味はない。“築き” に音を当てただけだそうだ。つまりこの御崎は自然のものではなくて築いたものだということになる。

もちろんそれは神話であって、新羅の御崎を引っ張ってくるなどということはありえない。しかし、とりあえずそれについては争わない。

一番肝心なことは“築く”という所作に該当する枕詞があって、それが「八百丹よし」ということなのだ。

それが、“支豆支の御碕” に一体化していく。いわば島根半島西部の山塊全体の枕詞となっていたtのではないか。


「青丹よし」という言葉の解説にはいろいろなことが書いてあるが、一つ根本的な疑問をスルーしているように思えてならない。水が青いように、丹というのは赤いのである。青い丹があるたかのように言うのは、あまりにも強引ではないか。

ということで私には、「青丹よし」という奈良の都にかかる枕詞は、出雲の国引き神話の「八百丹よし」がなまったものというのが、もっとも自然な解釈ではないかと考えられるのである。

それは、古事記や日本書紀の神話部分の源流が出雲系の渡来人にある、という説を補強するものとなるであろう。つまり近畿地方はまず新羅系天孫族に占領・支配され、その後神武により征服されたものの出雲人が支配する国家という枠組みはそのまま存続したのではないか。


日韓GSOMIAの消滅で一番困るのは日本だ

というわけで、タイムテーブルをつらつら眺めていると、意外な事実が浮かび上がってくる。

それは、「日韓GSOMIAの消滅で一番困るのは日本だ」ということである。

1.GSOMIAとはなにか

まずGSOMIAについて基礎知識。

軍事情報包括保護協定: General Security of Military Information Agreement というのが正式名称だ。

GSOMIAとは国家間で共有される秘密の軍事情報が、第三国に漏れないよう保護するための協定である。
日本はアメリカと2007年に最初のGSOMIAを締結して以降、欧州主要国5カ国とも協定を結んでいる。

ちなみに韓国は33カ国と結んでいる。

日韓GSOMIAは2016年11月に締結された。締結にあたっては韓国側には相当抵抗があったらしい。

とりわけ重要なのが、北朝鮮のミサイル発射に関する情報共有である。締結以来少なくとも25回の発動があったという。

日韓の間には安保同盟はない。アメリカをハブとする間接関係でしかない。その意味で日韓GSOMIAは「日米韓3国の疑似同盟の象徴」(香田)にもなっている。

2.「やめて損するのは韓国側」はウソ

香田氏はGSOMIAを破棄することで被害が大きいのは韓国側だと言っている。これはどう考えてもウソだ。ここ数年間、核実験やミサイル発射の第一報は明らかに韓国発だ。近いのだから当たり前である。

第二に、イージスで軌道を計算したりして対応を考えるのは日本だからできるのである。
1994年の核開発危機のときも明らかになったのだが、北朝鮮から見て韓国をやっつけるのに別にミサイルはいらない。超ローテクで十分だ。

国境線に並べた長距離砲が一斉に火を吹けば、ソウルや仁川などあっという間に「火の海」となる。
だから金日成が脅しをかけたときに、米軍関係者は密かにソウルから逃げ出したのである。

第三に、ミサイル発射という情報がチョクで日本に伝えられれば計算はできる。しかしその情報はアメリカ大陸での迎撃には役に立つかも知れないが、日本で間に合うかというとそうでもなさそうだ。

結局、イージスのシステムは米国に役に立つだけかも知れない。

ところが、金正恩が米朝交渉の手みやげに長距離ミサイルの開発を中止すると確約すれば、米国はイージスなどいらなくなる。短距離ミサイルで韓国が消滅し、中距離ミサイルで日本が消滅しても、「ご愁傷さま」で終わりだ。

今回の一連の経過でも、あのボルトンでさえ口先介入にとどまっているのが、米国がこの問題でさほど真剣ではないことの証拠だ。

ということで、もっとも深刻な影響を受けるのは日本だということになる。

3.日本の最終目標は核武装か

北朝鮮が核兵器とミサイルとを確実に保持したとき、しかも長距離ミサイルの放棄という形で米国と妥協が成立したとき、これまでの対中脅威論では対応できない問題が生じる。

つまり、日米軍事同盟とアメリカの核の傘と、GSOMIA+イージスを核とする対北朝鮮防衛システムでは、確実な抑止力とはなり得なくなっているのである。

ここから日本軍国主義のファッショ的自立という可能性が浮かび上がってくる。米国の核の傘戦略から大量報復機能の確保、核抑止力の保持戦略への移行である。

大本では、米国のもつ軍事力の威力の下での従属的関係を続ける。
しかし米国の軍事的支配力の低下によって生まれる権力の空白は、自らが覇権を主張することによって埋めていく…これがファッショ的自立の総路線である。

もはや、よくも悪しくも日本を世界支配戦略につなぎとめるアーミテージ=ナイ路線は消失した。
安倍政権というより、日本の右翼的支配階級は、このような代替路線を想定しているのではないか。




米日韓 三国関係の動向:GSOMIAを中心に

7月

4日 3種類の半導体材料について、「包括輸出許可制度」の対象から韓国を除外。輸出審査を厳格化する。事実上の報復措置。

この問題は経済産業省の管轄だったが、首相官邸が引き継ぎ、韓国に譲歩を迫る武器に仕立てられた。

4日 菅官房長官は、輸出規制に関して発言。「韓国がG20首脳会議までに、徴用工問題について解決策を示さなかった」と非難する。

5日 安倍首相、「韓国は国と国との約束を守らないことが明確になった。貿易管理において、守れないと思うのは当然ではないか」と語る。

10日 韓国、150件を超える不正輸出があったと公表。

18日 韓国大統領府、日韓の「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)の見直しもあり得ると示唆。

18日 米国務省報道官、「GSOMIAは、北朝鮮の最終的非核化(FFVD)を達成し、地域の安定を維持するための重要な手段」だと強調。

19日 外交問題評議会(CFR)上級スタッフ、「GSOMIAを政治的に利用することは、同盟の精神に反する。それは韓国に致命的な結果をもたらす」と語る。

21日 朝日新聞、「米政府内では日韓の対立が激化すれば、米国の国益にも影響を与えかねないという強い懸念がある」と報道。

22日 ボルトン米大統領補佐官が来日。首相官邸で谷内正太郎国家安全保障局長と会談。米軍駐留費、ホルムズ海峡の有志連合構想、韓国問題について協議。

23日 日本に続き韓国を訪問する。米軍駐留費用の負担を求める。韓国はGSOMIAの破棄を示唆。

31日 民間世論調査。64.4%が日本製品の不買運動に参加。GSOMIAの破棄に賛成する人も47.0%に達する。

8月

2日 日本政府、韓国を「ホワイト国」から除外することを閣議決定。3品目以外にも軍事転用の恐れが高い部材について個別の許可が必要となる。

2日 文大統領、「2度と日本に負けない」と宣言。

2日 バンコクで韓米日外相会談。GSOMIAは韓米日の安保協力において非常に重要であることを確認。韓国は「あらゆる事をテーブルに上げて考慮する」と主張。

2日 国家安保室幹部、「日本は韓米の平和構築プロセスにおいて障害を作った」と発言。

3日 エスパー米国防長官、「地上発射型中距離ミサイルのアジア配備を検討している」と発言。韓国や日本に配備される可能性を示唆。

5日 韓国政府、日本への輸入依存を減らすため、研究開発に640億ドルを投じると発表。

6日 ボルトン米国家安保補佐官、「中距離ミサイル配備先として韓国や日本などを想定している」と発言。

9日 トランプ米大統領、日韓摩擦は「米国を苦しい立場に追い込んでいる」とし、早期の関係改善を要求。仲介には消極的な姿勢を示す。

9日 ソウルで米韓国防相会議。エスパー長官は「米韓同盟は対北朝鮮防衛の要だ」と強調。

12日 韓国政府も「ホワイト国」の対象から、日本を除外する。

14日 韓国が「国防中期計画」を改定。「F-35Bを搭載する軽空母を国内建造する」意向を明示。

15日 ボルトン米大統領補佐官、インタビューで「北朝鮮の核保有が長期化すれば、日本が独自の核を保有する動機は強くなる」と語る。

21日 朝日新聞、「空母に改修された護衛艦いずも 、米軍機が先行使用」と報道。米軍レンタル目的であることが明らかに。さらにもう一隻の護衛艦「かが」も空母化予定。

22日 韓国、GSOMIAを破棄すると発表。

24日 韓国陸軍、自衛隊の幹部候補生との交流行事を中止すると発表。

27日 韓国の李洛淵首相、輸出管理強化措置を撤回すれば、GSOMIAの破棄を再検討すると発言。日本政府は「全く次元の異なる問題だ」と拒否。

27日 韓国が、竹島周辺で軍事訓練を断行。アメリカが「生産的ではない」と批判。

28日 大統領府、「自国の主権と安全を守るための行為」だとし、アメリカに反論。

31日 菅官房長官、海外メディアが米国が日韓両国に対し和解をもとめたと報道したことに対し、これを否定。

9月

5日 菅官房長官、「日韓関係悪化の原因はもっぱら韓国政府にある」と語る。





1.日韓摩擦 安倍政権の狙いは「ファッショ的自立」

ファッショ的自立というのは、安保の枠内にとどまりながら、地域覇権を求め、そのために国内政治を軍国主義的に再編するという戦略路線。かつて1970年前後に「日本帝国主義自立論」と関連して萌芽的に語られた概念である。社会科学総合辞典には「日本型ファシズム」として記載されている。

日韓摩擦議論は、あたかも慰安婦・徴用工問題に起源があり、韓国側が言いがかりをつけてきたかのような装いが凝らされている。

これらの問題は過去の戦争の道義的清算の課題として避けて通れないものであり、世代を越えて議論し続けなければならないものであろう。また補償問題は当事者が次々と亡くなっていく今、緊急の対応が必要な問題でもある。

しかし、日韓摩擦が今大変緊急かつ重大な課題となっているのは、そのことではない。

むしろそれらの問題を逆手に取って安倍政権が繰り広げているキャンペーンが、何を目論んでいるかを明らかにすることである。

すなわちそれは九条改憲と日本の「ファッショ的自立」である。「日本軍国主義のファッショ的自立」というのは40年ほど前に一時使われた言葉だが、平ったくいうと「アニマル・ファーム」化である。


2.日経新聞の世論調査が示すもの

彼らの策動の成果は最近行われた、ある世論調査に如実に示されている。

それが日本経済新聞社とテレビ東京による8月30日~9月1日の世論調査だ。
韓国に対する輸出規制強化を「支持する」という回答が67%にのぼり、7月末の調査に比べ9%増えた。
韓国との関係に関する質問では、関係改善を急ぐ必要はないという回答が67%に達した。
安倍内閣の支持率は58%と前回7月の調査から6ポイント上昇した。不支持率は5ポイント下がり33%だった。憲法改正に向けて各党が国会で具体的な議論をすべきかどうかを聞いたところ「議論すべきだ」は77%、「議論する必要はない」は16%だった。

数字はともかく、質問の流れには政財界主流の意図が透けて見える。これほどあからさまに、日韓摩擦と憲法改正を結びつけた世論調査はない。彼らは世論調査という形で日本のファッショ化を煽り立てているのである。

問題はここにあるのであり、しかもそれがすでに重大な局面に進んでしまっているということを明示している。

したがって私たちは、まず何よりも日韓摩擦を利用した日本のファッショ化をなんとしても阻止することに傾注しなければならない。

しかも日韓摩擦がらみでメディアの側にすでに囚われてしまった人をもふくめて、団結して危機を乗り越えなければならない。個別の論点に機械的に対応している暇はないのだ。


3.罵り合いはたくさんだ。争点のシフトが必要だ

争点のシフトが必要なのである。

私たちが作り出さなければならない争点は、日韓領国人民は決して争ってはならないということである。もっと正確に言えば「争わされてはならない」ということだ。

ファッショ化は相互不信と敵視の応酬、憎しみと恐怖の感情がもたらす。私たちには相互理解と優しさ、分かり合おうとする努力がもとめられる。

それと同時に、日韓摩擦を利用して安倍政権が作り出そうとしている、私事権の極小化、白か黒かの貧弱な価値体系、憎しみの体系としての国家づくり、恐怖の均衡によって成立する国家関係… これらすべてを拒否する運動が必要だと訴えなければならない。

慰安婦も徴用工も口を閉ざしたままでいられる問題ではない。しかし今はその10倍の量で両国の平和と友情について語らなければならない。


4.ホワイト国条項も、GSOMIAも、もともとは冷戦条項だ

ホワイト国条項も、GSOMIAも、もともとは冷戦アイテムであり、朝鮮戦争を遂行するための仕掛けであるから本来ないほうが望ましいものである。

しかしそこだけいじっても、物事がうまくいくとは限らない。全体の構造を包括的に変更していくような多国間の枠組みが必要である。一歩間違えば大きな混乱を招かないとも限らないものだから、政争の具にすることなく慎重に対処すべきものであろうと思う。




2019/8/26付 日本経済新聞の「経済教室 コラム」という記事に、「アフリカ開発会議の課題」という記事が載った。大塚啓二郎さんという人の書いたものである。
副題は「工業化成功、カイゼンが鍵」となっているがこちらは省略する。

要するにアフリカの問題は次のような点にある。と、ある意味バッサリ切り捨てているのだが、一応それなりに説得力はあるので紹介はしておく。

サブサハラの21世紀の発展は2つの期に分けることができる。
①2010年まで
この間GDPは+5%をキープした。しかし人口が+3%のため、一人あたり成長は+3%にとどまった。
②2010年以後
GDP成長率は徐々に低下。最近ではマイナス成長となっている。

経済停滞の原因は工業化の失敗にある。製造業の比率は10%を前後して停滞している。
農業は雇用の受け皿とならず、農村は過剰人口を生み出す。
その結果農村を押し出された若者は、都市での低劣なサービス産業に入るしかない。

先進国の支援はインフラ整備に集中しているが、まったく役に立たず、壮大なゴミと化している。
開発経済学は間違っている。それは起業家の不足と経営の非効率性を無視あるいは軽視したことである。

後はカイゼンの我田引水的宣伝が延々と続く。


違うでしょう。
「先進国の支援はインフラ整備に集中」したというが、それは間違いではなくて、それ自体が目的だったんでしょう。

「対外援助」を食い物にする重厚長大産業と、経産マフィアがつるんでやってきたことでしょう。
だから「カイゼン」なんかでそれを改善しようというのは筋違いも甚だしい。

「ヒモ付きでなく真水の支援を重視し、支援の現場の声を優先し、経産省の干渉を排除する政策を取っていれば、いまごろ日本は援助大国になれたはずだ! 」と、連帯運動家としては思う。



流石に日経の記事はいただけないなと思っていた所、
2019.08.29 朝日新聞Globe に
という記事があった。著者は白戸圭一さんという人だ

数年前から目立ち始めた新しい「アフリカの伝え方」がある。それは、アフリカにおける中間層の増大を強調し、消費市場としての明るい未来を訴える論調である。

その根拠はアフリカ開発銀行(AfDB)が2011年に刊行した報告書である。

しかしこの報告は「1日当たり消費額」という胡散臭い数字に基づいている。
①貧困層 2ドル未満
②流動層 2~4ドル未満
③下位中間層 4~10ドル未満
④上位中間層 10~20ドル未満
⑤富裕層 20ドル以上
というのが分類で、これだけでもウッとくるが、さらに②流動層もふくめて「中間層」と定義する。
そうすると「アフリカには2010年時点で約3億2600万人の中間層が存在する」という結論が導き出される。総人口の実に3割以上である。

物価水準の違いがあるにせよ、これは「悪い冗談」に近い。

世界銀行は、1人1日当たり消費額1.9ドル未満の人々を、「衣食住や健康面で限界に直面している極度貧困層」と定義している。

白戸さんがILOのデータを使って分析した所、中間層の絶対数こそ増加したものの、貧困層が圧倒的多数を占める階層構成に変化はみられない、という結論であった。

最後に、白戸さんは現地にスタートアップ企業を立ち上げた長谷川将士さんの意見を引用している。

「経済指標を用いる場合は適切に、尚且つ適用する国の社会背景まで理解して用いなければ、誤解するリスクは跳ね上がるだろう」

ようするに現状ではまだまだ、珠盤づくでやれるような貿易は期待できない。しかしその国の発展を真剣に考えれば。支援だけではないビジネス的な展開もありうる、ということだろう。

久しぶりにしっかりしたY染色体ハプロの話に出会った。
Y染色体で探る日本人の起源」というブログ記事である。

「0.プロローグと案内」という記事が2016-04-24にアップされているので、記事そのものが新しい。
以下5本の記事が並ぶが、この後は制作中となっており上梓されていない。最終記事が2016-04-25となっているので、このまま中断の可能性もある。

といっても、「0.プロローグと案内」は目次が書かれているだけだ。次の「Y染色体で探る日本人の起源 1.知識編」も取り立ててこれと言った記載はない。

ということで、「2.世界のY染色体」に入る。
最初に、英語版wikipediの展開地図の画像が転載されている。
これに対する著者の批判が加えられる。最大の問題はこの地図が古いということだ。使用されているラベルが以前のものであり、最新の成果が反映されていない。

ここから本論に入る。

世界のY染色体ハプログループ

① 出アフリカ共通祖先から生まれたのがCとFの共通祖先CFと、DとEの共通祖先DEである。
② Dの集団は東に向かった。Cは世界に拡がり、日本人にも少なからずいる。
③ Fはインドのドラヴィダ人にいる。FはGからTまでの共通祖先となっている。
④ G~Jは現存数は少ない。Kはまばらに存在するが、LからTの共通祖先である。この時期は人類にとって試練の時期であったようだ。
⑤ NOになって現存人につながる人口は爆発する。Nは北欧を含むユーラシア北部に多い。数的には中国が最多である。
⑥ Oは東アジアで最大の人口を持つ。
⑦ Rはロシアなど東ヨーロッパとインドに多い。

この辺の記述は崎田さんの本にはなかったものだ。世界はそれなりのスピードで進化しているらしい。
それらは十分推測できるものであった。とくに多くの人種がイルクーツクからシダレヤナギのように落ちかかってくる図は、展開的に見てありえないということが予想された。


日本人のY染色体ハプログループ構成

ついで次の記事に移る。ここでは各論文の合算データを作成している。
日本人Y分布
転載させていただく。気がついたことを列挙すると、

① 北海道のDが多い。予想外にアイヌ系のYが反映しているかも知れない。サンプル数としては十分だが…
② O1b2は長江系でいわゆる弥生人である。2種の別は半島から渡来した順であろうと思う。47zは韓国で少ない。こちらが先着と思われる。O1a、O1b1はコンタミのレベル。(注によると、現在は47zではなくCTS713というらしい)
③ O2は朝鮮半島北部~遼東から降臨した、いわゆる天孫族と思われる。中国地方に多いのは新羅からの渡来、いわゆる出雲系天孫族と思われる。
④ C1a1は4万年前にナウマンゾウを追って朝鮮から渡ってきた旧石器人の末裔だ。アイヌにも韓国にもいない。
⑤ C2はアイヌではオホーツク人を反映する。本州では、朝鮮半島東岸からのいわゆるツングース系の渡来を意味する。

お願い。利用できる日本人のY染色体データの情報求む!

と書いてあるが、本当にそう思う。どうしてこんなに少ないのか。これっぽっちのデータで偉そうに物を言うのは、本当は恥ずかしいことなのだが。

35000年ほど前からいたハプロD集団

このあと、記事はトリビアルな話題にスピンアウトしていく。

とくにD1b系統はほぼ日本限定の存在。このあとDグループの痕跡を求めるが、あまりに煩瑣なDの経路問題は煩わしい。

結論としてはCグループの弟分として広がったと考えるほかない。

であればCがどういう経路をとったかであるが、これは南方系が有力である。

先程の話の続きで言えば、CF、DEのうちEはアフリカに戻り、Fはインドに残り、Cがアジア南方に進出した。おそらくDはCと行動をともにしたと思われる。

それ以上は、目下は不明というほかない。推論には節度が必要である。


氷河期が終わるまでにやってきた人々2 C1

C1に関する議論は行きつ戻りつする。Dに先行していたかも知れないとか、南方系由来かも知れないとか、九州南部の縄文文明の担い手だとか、面白いがとりとめがなく根拠もない。

このあと記事は途切れてしまう。



私の感想 

D人がいつどこからやってきたのかが最大の焦点


ここを外してしまったのでは、話の焦点が合わなくなる。

考古学的に見れば、縄文人の祖先となるD人は、2万5千年前(最終氷期)に間宮海峡→樺太→北海道→本州と南下してきたと考えられる。
それより前のことはわからない。その痕跡は大陸側にはまったくないからである。Y-系統樹からはまったく説明がつかないが、黒曜石や細石刃など、考古学的には論証可能である。

C1人はD人以前に先住していた

ただ、そうだとすると説明が難しくなる問題がいくつかある。

最大の問題は、4万年前に信州~関東平野で大型獣を獲物としていた先住者である。私はこれはC1人だろうと考える。彼らはD人が南下してきた頃に絶滅の危機にあった。長いボトルネックの時代を経て日本人のYハプロに何らかの痕跡を留めるほどの割合で生き延びた。

彼らはどこから来たのかわからないが、朝鮮(当時は半島ではなくユーラシアの東端)から渡来したと考える。

ヨーロッパにもC1人がいると言われるが、CとかDは変異の確率が低い。だから出アフリカから極東まで長い期間C1のまま到着したのであろう。であればエデンからヨーロッパまで同じC1のまま移動したとしてもありえなくはない。(争うつもりはないが)

九州南部の縄文文明をになったのがD人なのか、C1人なのかはとりあえずどうでも良い。もちろん確認できればそれに越したことはないが…

留意すべきは朝鮮半島の形成期である1万5千年~1万年ころに、朝鮮半島が無人の野であったことである。


最近のイエメン情勢

これまで書いてきたイエメンの情報と基本的な特徴は変わりないが、よりひどくなっている。
同時にサウジと連合軍の攻撃が無法であること、彼らは分裂し勝ち目がなくなっていることが明らかになってきている。
トランプ政権はイエメン攻撃をビジネスと考えていて、金儲けのために戦争の継続に執着している。メディアの中にも人権派のフリをして、フーシ派を極悪人のように描くことで、ジェノサイドに肩を貸そうとする動きがある。これはベネズエラやニカラグアのケースと類似した手法だ。

イエメン関係記事: 下記をご参照ください






2012年09月08日 南イエメンの解放闘争




2018年

9月 ウォールストリート・ジャーナル、「20億ドル相当の兵器供給がフイになる」とサウジを弁護したポンペオ国務長官の発言を報道。

10月15日 国連世界食糧計画(WFP)、ホデイダでの戦闘が激化すれば1200万人が飢饉に直面すると発表。

10月23日 ローコック国連事務次長の報告。「いままさに、重大な飢餓がイエメンを飲み込もうとしています。その徴候がはっきりと現れています」

11月 国連安全保障理事会、CNNによれば、英国が「限定的な停戦を求める決議案」を提出したが、米国が「急ブレーキをかけた」とされる。

11月 サウジの反体制記者カショギが殺害される。CIAはムハンマド皇太子の命令と断定。米国はサウジ機に対する空中給油支援を停止。

11月 国連食糧農業機関(FAO)、イエメンの食糧事情について報告。人口の6割にあたる約1,780万人が支援を必要としており,うち約880万人は深刻な食料不足,約290万人は深刻な栄養不足状態。10分ごとに1人が死亡している。

11月21日 英国のNGO「セーブ・ザ・チルドレン」、イエメン内戦で栄養失調死した子どもは推定8万4千人と発表。とくに有志連合がホデイダの港を封鎖してから悪化したとする。
ホデイダでは、約5カ月にわたって続く空爆で推定30万人が難民となった。
イエメン事務所代表は「こうして亡くなる子どもは、内臓の機能が落ちてついに停止してしまうまで、大変苦しい思いをする。泣く力さえ残っていない子もいる。親たちは何もできないまま死ぬのを見ているしかない」
ワシントン・ポスト紙は恥知らずにも、こう書いている。
フーシは反対派を片っ端から拘束しては拷問する。幹部は豪華な邸宅に暮らし、高級車のポルシェなどを乗り回す。反対派を拘束、手足を縛り付けてローストチキンのように火あぶりにする。
これはありえないと思う。人道援助に対する間接的妨害だ。ワシントン・ポストを自ら貶めている。

12月14日 イエメン正統政府とフーシ派が部分停戦について合意。ホデイダにおける停戦,タイズ市における人道回廊開設が実現。
ホデイダは物流拠点で国連の支援物資が集まる港湾都市。サウジはホデイダ制圧のため1万4000人のスーダン人雇い兵を投入。
12月 サウジアラビア主導の有志連合軍は、その後も空爆を続ける。
サウジがイエメン戦争につぎ込んでいる戦闘機や爆弾はほとんどが米国製だ。現地ではボーイングなどの技術者数百人が働く。トランプは1200億ドル強の武器売却に成功した。

2019年

3月26日 WHO、イエメンで過去3ヶ月に11万人がコレラと類似症に感染。3分の1は5歳未満。
(2017年には100万人以上がコレラと類似症に感染した)

4月4日 米議会上下院、有志連合への米軍支援を中止する決議を採択。上院が54対46、下院が247対175。

4月8日 首都サヌアで爆発。子ども14人が死亡、重傷を負った子どもは16人。

4月16日 トランプ大統領、有志連合支援を中止する決議に拒否権を発動。「決議は大統領の権限を弱め、兵士の命を危険にさらす」と主張。

5月14日 フーシ派軍、原油パイプラインのポンプ場2か所を無人機で攻撃。「侵略者のジェノサイド及び封鎖の継続に対する報復」と声明。

5月20日 南部タイズに空爆。子ども7人が犠牲になる。この10日余りに死傷した子どもは、国連確認で27人。

6月12日 フーシ派軍、サウジ南部のアブハ空港にクルーズ・ミサイルを発射。空港の管制塔に命中したと発表。サウジ発表で26名の民間人が負傷。

6月23日 フーシ派軍,サウジ南部のアブハ空港、ジーザーン空港に対し「カースィフK2」ドローン複数機で攻撃。サウジ発表でシリア人1名が死亡、民間人21名が負傷。

7月2日 フーシ派軍、サウジ南部のアブハ空港をドローンで攻撃。サウジ発表で民間人9名が負傷。

7月 アラブ首長国連邦(UAE)、イエメン戦線から撤収開始。ホデイダ港周辺の軍事拠点をサウジに移譲。地上戦を担ったUAE軍に対し、血を流そうとしないサウジに不信が広がる。

7月19日 サウジ、16年ぶりとなる米軍国内駐留を承認。

7月20日 ニューヨーク・タイムズ、ムハンマド皇太子が特殊部隊や軍事顧問の派遣を求めてきたと報道。

7月29日 イエメン北部の町で市場が空爆を受けて、子ども4人を含む民間人14人が死亡。サウジが支援するイエメン政府は「フーシがロケット弾を使用した」と非難。

8月1日 アデンの政府軍施設がフーシのドローン攻撃を受け、少なくとも40人近くが死亡。大半は訓練中の治安要員だった。

8月1日 同日、イスラム過激派が警察署に対し自動車爆弾を使い自爆攻撃。10人が死亡し、16人が負傷。

8月10日 南部地域の分離独立派、アデンの大統領府や軍事施設を占拠。これまで分離独立派と暫定政権は共闘してきた。
分離独立派は南部暫定評議会(STC)を名乗り、アラブ首長国連邦(UAE)の支援を受けている。地上勢力を掌握してきたUAE軍は、サウジと結ぶ暫定政府に反感を募らせる。
8月17日 南部暫定評議会(STC)、占拠していたアデン市内の主要公共施設を政権側に明け渡す。

8月20日 フーシ派軍,米国の無人機MQ9を地対空ミサイルで撃墜。

8月27日 ウォール・ストリート・ジャーナル、米政権がフーシとの直接対話を準備中と報道。米議会は超党派で、連合軍への軍事支援を停止するよう要求している。

8月28日 暫定首都アデンに到着した政府軍、大統領宮殿やアデン国際空港を奪還。

8月28日 南部暫定評議会、シャブワ県での敗北・撤退を認める。政府軍背後のサウジアラビア主導の有志連合軍を非難する。

8 月29日 ポンペオ米国務長官、暫定政権と南部暫定評議会(STC)に対し、対立を解消するよう求める。

 

 データで見る:紛争下のイエメン、人道危機の規模
ユニセフ・イエメン人道状況報告書(2018年12月)/ユニセフ・イエメン人道ニーズ概況報告(2019年)

1億1,300万人  -  人道支援が必要な子どもたちの数
2億4,100万人  -  人道支援がなくては生きられない人の数
200万人  -  急性栄養不良で治療が必要な5歳未満の子どもの数
1億9,700万人  -  基本的な保健ケアへのアクセスが必要な人の数
1億7,800万人  -  安全な水、適切なトイレなどへのアクセスが必要な人の数
出典:ユニセフ・イエメン人道状況報告書(2018年12月)/ユニセフ・イエメン人道ニーズ概況報告(2019年)
ただしイエメンの総人口は約2,892万人(2018年/国連)であり、ユニセフの数字にはベネズエラ並みの誇張(翻訳ミス?)があるようだ。

イギリスの恐慌を中軸とする19世紀経済史

1815年 ワーテルローの戦い。イギリスが世界の覇者として復活。

1815年 穀物法が制定。地主保護が明確となる。

1825年 イギリスで世界最初の恐慌が発生。世界最初の鉄道営業が開始。

1832年 第1回選挙法改正が議会を通過。中産階級と産業資本家が参政権を得る。

1833年 一般工場法が制定される。労働者保護が具体的に動き出す。翌年には救貧法も成立。

1833年 東インド会社が商業活動を停止。重商主義が終焉を迎える。

1836年 イギリスで2回目の恐慌が発生。 

1837年 ヴィクトリア女王が即位。

1838年 参政権を求める労働者がチャーティスト運動を組織。

1840年 アヘン戦争。清朝を下し東アジアの覇権を確立。

1846年 穀物法が廃止される。さらに関税の廃止、航海法の廃止が続き、自由貿易主義に基づく海外発展が進む。地主階級の政治的影響力は失われる。

1847年 イギリスで3回目の恐慌が発生。独仏で連動。

1848年:マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』を発行。

1857年 イギリスで4回目の恐慌が発生。独仏米で連動。

1857年 インドでセポイ(傭兵)の乱が発生。

1866年 イギリスで5回目の恐慌が発生。

1873年 イギリスで6回目の恐慌が発生。独仏米で連動。このあと1896年まで世界的な「大不況」が続く。ただしこの22年間の実質 GDP は、アメリカとドイツは2倍、イギリスとフランスも 5 割増大している。

1875年 アメリカ,ドイツが保護主義に戻る。世界輸出に占めるイギリスのシェアは急速に低下する。

1875年 イギリスがスエズ運河会社株を買収。

1877年 インドを植民地化し「インド帝国」を創設。ビクトリアが皇帝を兼任。

1882年 イギリスで7回目の恐慌が発生。フランスは最も深刻な恐慌を経験する。日本でも松方デフレが発生する。

1890年 イギリスで8回目の恐慌が発生。

1900年 イギリスで9回目の恐慌が発生。独仏日で連動。


ということで、経済史の世界ではまるっきりだめ。相対的剰余価値の低下で恐慌のすべてを説明しようという話だ。
1867年以前のマルクスも多分そうだったのだろうと思う。しかしマルクスはそこからもう一つ上に登っている。それが信用の拡大だ。
おそらく、拡大する信用が、イギリスの産業と産業資本家を捕まえ、絞め殺したのだろうと思う。

ヤマト生命の項目では書ききれなくて、無理に突っ込んでも汚くなるので、別項にしました。
生命保険会社がこれだけ破綻していたとは知りませんでした。迂闊でした。
嫁さんの生命保険が意外に多かったのですが、昔は条件が良かったのだそうです。それだけ保険会社がつらい思いをしているのだということがわかりました。

1997年4月 日産生命が破綻。戦後初の生保破綻となる。超低金利から運用利回りが下がり、逆ざやが発生した。

1999年6月 東邦生命が破綻。債務超過額 は6,500億円。

2000年5月 第百生命が破綻。

2000年8月 大正生命が破綻。受け皿会社であるあざみ生命保険株式会社が設立された。

2000年10月 千代田生命が破綻。超過債務は 5,975億円。

2000年10月 協栄生命が破綻。超過債務は最大の 6,895億円。

2001年3月 東京生命が破綻。戦後7番目の生保破綻となる。その後金利、株価が上昇し、生保業界の財務内容が改善。

2002年4月 大和生命保険株式会社として出発した。株式会社の組織形態取得を目的とした操作。生保の株式会社化として話題になる。

株式会社は資金調達が容易で、M&Aが展開できるメリットがある。一方でハイリスク・ハイリターンな経営に向かう危険を持つ。

2002年 大同生命、2003年に太陽生命、2004年に三井生命が株式会社化。

2008年10月10日 中堅生保の大和生命が破綻。7年ぶり、8番目の生保破綻となる。サブプライムローンを抱え債務超過におちいる。

2010年4月 第一生命が株式会社化。株主数は137万1000人で、NTTの103万人を上回る。

経過を詳しく分析した研究として
が挙げられる。
ここではヤマト生命の資産運用の特徴として、
1.有価証券の割合が高く貸付金・不動産・動産の割合が低い
2.有価証券の中でも株式と外国証券の割合が高く、公社債の割合は低い。
3.株式の中でも株式投資信託や不動産投資信託、デリバティブや仕組み債などの比率が高い。
また人材としても、経営トップに異色の元大手証券会社の出身者をすえるなど型破りだった。

その上で、著者はこのままでは業界全体がジリ貧に陥る。経営の長期安定を考えれば株式会社化は必然である。そのうえで生保会社としてのモラルをどう担保するかを考えるべきだと主張している。

大和生命保険は、かつてあった生命保険会社である。
“だいわ”ではなく、“やまと”と読む。

1889年9月20日に創業。当初の社名は日本徴兵保険株式会社であった。

徴兵検査に合格して兵営に入営すると経済的不利益を生じる。安穏に家庭業務に従事しているものから一定の金額を醵出させるべきと考えた。こうして徴兵保険が考え出された。
大手は4大徴兵保険と呼ばれた。それは
第一徴兵保険→東邦生命、富国徴兵保険→富国生命保険、日本徴兵保険→大和生命、国華徴兵保険→第百生命である。

1945年終戦とともに、10月に日本徴兵保険が大和生命株式会社に改称。

1947年10月 大和生命保険相互会社に組織変更した。その後も「ヤマト生命」の通称は残された。

2000年8月、大正生命保険株式会社が破綻。大和生命はソフトバンクと組んで、大正生命の受け皿となる。

2001年2月21日 - ソフトバンク・ファイナンスと折半出資で、「あざみ生命保険株式会社」を設立。大正生命保険の受け皿会社となる

ここからはウルトラCの離れ業。ウィキペディアの記載では複雑すぎてよくわからない。

2001年7月1日、あざみ生命保険株式会社に、大和生命の営業を譲渡し、財産の管理を委託した。

2002年4月1日に、あざみ生命保険株式会社と合併。此処から先が小細工。
あざみ生命を存続会社とし、大和生命保険相互会社を消滅させる。同時にあざみ生命の商号を大和生命保険株式会社に変更する。結果として相互会社から株式会社への組織変更。

2008年

9月 リーマンショックの影響から114億円の債務超過となり、経営破綻。最終的に債務超過額は643億まで膨らんだ。リスクの高い投資が多かったとされる。

10月10日に、会社更生の手続きを開始。東京地方裁判所に更正特例法申請を提出した。

2009年

4月 米国プルデンシャル・グループのジブラルタ生命が69億円を出資することで合意。

ジブラルタは地中海のジブラルタル海峡にある岩山、「ジブラルタ・ロック」から命名されたもの。岩山のように安全というのが謳い文句。
1280px-Rock_of_Gibraltar_South_View
4月30日、更生計画の認可が決定。ジブラルタ生命の完全子会社となる。

6月1日 更生手続が終結。社名はプルデンシャル・ファイナンシャル・ジャパン生命保険株式会社へ変更される。この社名変更もきわめて複雑である。その理由は、持株会社であるプルデンシャル・ファイナンシャル・グループそのものが、きわめて複雑な構造になっているからなのだが、これ以上の解説はしない。

(日本)ジブラルタ生命とは別会社である。こちらの前身は2000年に経営破綻した協栄生命保険である。こちらは(本家の)ジブラルタ生命とは関係なく、プルデンシャル米国本社が買収し、事業を承継している。

2010年4月1日、プルデンシャル・ジブラルタ・ファイナンシャル生命保険(The Prudential Gibraltar Financial Life Insurance Co., Ltd)に商号変更する。ジブラルタ生命との資本関係を明確化することを目的とする。

2013年4月からは、「PGF生命」を社名の略称として使用している。銀行窓販チャネルに特化した営業を行い、ジブラルタ生命との棲み分けを行っている。


AALA全国大会に向けての準備

1.世界が当面する三大問題と人権

方針案は核・環境・格差を三大問題としている。現実に世界で興っているさまざまな闘いも、これらの問題を巡ってのものである。

注目されるのは、これら多くの運動が人権をめぐる課題として提起されていることだ。

それは平和的生存権であり、持続可能な生活環境を維持する権利であり、差別されずに生活する権利であり、他国の不当な脅迫を拒否する権利である。

これらの権利は人類がともに共有すべき権利であり、我々が思想・信条の違いを乗り越えて擁護すべき権利である。

私は、人民連帯運動の基本的な構えとして、この考えを徹底していく必要があると考える。


2.国際紛争をどう解決すべきか

国際紛争をめぐっては2つの考えが必要だ。

まず、国家や民族の自決権を擁護するという立場である。ホーチミンがいうように「独立ほど尊いものはない」のである。

もう一つは、いかなる紛争であれ、平和的解決を目指すべきだということである。

平和的解決は多国間の協議を通じてしか実現しない。一方的な制裁や脅迫は、決して正しい解決にはつながらない。

7月に行われた非同盟諸国外相会議の声明は、それらのことをきっぱりと示している。


3.「自主的な国作り」とはなにか

総会方針に「キューバとベネズエラ、ニカラグアは「自主的な国作りを続けている」と書かれている。

自主的という言葉には、一般的な「自主」という以上の特別な意味が込められている。

それは「モンロー主義」には従わないという不服従の立場だ。
それはアメリカに支配されてきた歴史への批判と、ホセ・マルティのいう「我らのアメリカ」への誇りだ。

「自主的な国作り」という表現は、そこを読み込んでいくべきだろうと思う。


4.コンセンサスにもとづく運動を

日本AALAはコンセンサスに基づいて運動を展開する組織である。

もともと、多様な意見を持つ人がコンセンサスで共同活動するのだから、一致できない論点が出てくる可能性はある。

それらについては、当面全体方針とはせずに、引き続き研究・議論を重ねながら合意形成を目指すことになる。もちろん、その間メンバーが個人の見解に基づいて意見を表明することは妨げられない。

具体的に、ベネズエラ政権に対する評価の不一致が問題になっている。

もちろんベネズエラをふくめたラテンアメリカ諸国の人々との連帯は、私たちの共通の願いであり、組織としての死活的任務だ。

そのうえで一致点はどこで、不一致点はどこかを明らかにしなければならないだろう。

「一致できない論点は原案から削除する」という意見があるが、アメリカの「制裁」は認められないということは一致できるのではないか。

それは書くべきであろうと思う。

いま間違いなく、アメリカの干渉行為(武力脅迫・経済制裁・金融攻撃)がベネズエラの民衆を苦しめている。

だから、「いかなる情勢変化があろうとも、私達はベネズエラの民衆を見捨てない」と宣言することでは、私たちは一致できるのではないか。

5.不破講演(2005年)の核心

日本AALA50周年の記念講演「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ―いまこの世界をどう見るか」はいまなお示唆に富むものだ。

そこで話された大事なことは、「歴史的出来事の現実の推進力」がどこにあるのかという見方、すなわち「21世紀論」の視点と「変革の立場」を貫くことである。

世界の「99%」がアメリカの一国行動主義を批判し、ルールある平和を擁護する方向、これが21世紀の流れなのだと不破さんは主張する。

さらに世界の進歩勢力の中にも、さまざまな否定的現象が噴出することがあるが、その際も、一般的な評価にとどまらず、功罪を明らかにし、教訓を導き出さなければならない。これが「変革の立場」だと強調している。

以上のような立場を強調し、日本AALAのさらなる発展に向け奮闘したいと考える。

勃興しつつある「信用市場」をマルクスがどのように描いていたのかを、ざっくりと知りたくて探していたら、下記の文献にぶつかった。

現代金融危機とマルクス理論
―マルクスの危機分析は現代に通用するか―
萩原 伸次郎  
『社会システム研究』 2009年3月

大谷さんたちの論文を読むときの息切れ感がなくて、とても読みやすい。ただこれらの叙述がマルクスの最終到達段階ではないことを念頭に置いておかなければならない。

まず最初の拠り所は、

第3巻第5篇「利子と企業者利得とへの利潤の分裂.利子生み資本」の第27章「資本主義的生産における信用の役割」である。

A 信用は流通過程を加速する。

この中の、<信用による貨幣の節約>という機能に注目ずる。
マルクスは、商業信用が基礎となって銀行信用に発展する際に、貨幣が3通りの仕方で節約されるという。

第1 取引の一大部分において、貨幣が全く必要とされなくなる。
第2 流通手段の流通スピードがアップする。
第3 紙券による金貨幣の代位

この結果、貨幣は(決済時以外には)必要なくなる。

つまり、流通過程を加速させることが信用の核心的意義である。

もう一つ、その派生的意義は(決済と次の決済の間隔が延長することにより)「投機」の隙間を生み出すことである。

B 株式制度は私的所有の一つの止揚である

信用は、個々の資本家に他人の所有にたいする絶対的な処分権を提供する。

しかし、それは無責任と投機を生み出す。

他人の所有にもとづく投機活動は大胆になり、大成功を収めるか、もしくは破産をもたらす。
「小魚たちは鮫たちにのみ込まれ,羊たちは取引所狼たちにのみ込まれる」

C 「資本還元=架空資本の形成」のメカニズム

流通過程の短縮、決済間隔の延長、他人資本の動員は「証券」あればこその働きであり、証券に価値をもたらす。これが貨幣市場の成立する理由である。

商品取引においては商品と貨幣が相対する。同じように貨幣市場においては貨幣と証券が相対する。それはともに貨幣資本の2つの形態である。

証券の価値はどのようなメカニズムで決まっていくか。
貸し出し資本に期待される利子によって決まるのである。

それは基本的には、平均利子率として計算される架空の価値である。
しかし実際には、それ以上に投機的な期待値として値付けされることがある。(というよりむしろそれが通常)

ついで証券の性格規定、貨幣資本との関係においてスケッチ的な考察がなされるが、いまいち明確な規定が与えられているわけではない。やや散漫な例証が続く。

D 貨幣市場と証券取引

素材的富が増えれば、自由に利用できる貨幣資本も増える。その中身も有利子手形、国債・公債・社債など債券、株式などに多様化する。

貨幣資本家階級数も増える。その構成部分は金利生活者たち、銀行業者たち、取引業者などである。しかしその多くは預託者であり、貨幣市場で主役を演じるのは投機取引を行なう証券取引業者たちだ。

金利生活者は銀行業者たちに貨幣資本を預託する。
銀行業者たちは、証券取引業者連中にこれら貨幣資本を大量に用立てる。
こうして賭博師の一味が激増していく。


ということで、マルクスは“貨幣資本の節約”ということで「信用」を特徴づけているが、これは貨幣世界を前提にして見た強引な世界観である。

同じことなのだが、それは貨幣の節約ではなく“使いまわし”である。資本家は貨幣を使い回すことによって貨幣の価値を高めるのである。それが結果として貨幣の節約効果をもたらすのだ。

もう一つの「流通過程の加速」という考えも、原因と結果が逆転している。貨幣資本の介在しない信用取引の世界がますます拡大することが本質であって、その結果として流通過程が加速するのに過ぎないのだ。

そして“貨幣資本の介在しない信用取引の世界”が、ある日突然自立する。それは貨幣量(バーチュアルルだが)が現実の市場の10倍にも達する世界だ。しかしそれは架空の世界だ。

「資本論」が本当に描かなければならなかったのはこの世界だったのかも知れない。しかしマルクスはその素材を残したと言えるのではないか。




1.1970 年代の世界経済

不況の深刻化,失業の増大,インフレの高進という事態が,米国をはじめ,多くの 先進資本主義国を襲っていた。日本だけが例外であった。

2.世界経済における英・米経済の興亡

ポール・ケネディ『大国の興亡』(1987年)
アメリカの衰退は帝国の「過剰拡張」による。それは世界経済の覇権国にいずれは訪れる歴史的運命だ。

3.戦後世界経済とケインズ連合の興亡

マサチューセッツに留学して「戦後世界経済とケインズ連合の興亡」(1996 年)という本を書いた。

その論点は以下の通り

①1970 年代以降のアメリカ資本主義の危機は,戦後形成されたケインズ連合の危機・崩壊であった。

②その要因は企業の多国籍化と、金融自由化と金融機関の強力化である

③帝国の「過剰拡張」は国内での蓄積危機を回避し、世界経済的規模で資本蓄積を継続させる道である。

④そこに金融が再登場し,アメリカの経済システムが金融覇権を軸に回り始める。

しかしこれだけではソ連崩壊後の現代世界経 済そのものの分析には至ることはできない。

4.現代世界経済と金融不安定性の構図

『世界経済と企業行動』(2005 年)で現代世界経済論(ポストケインズ論)の一つのあり方を示せたと考える。

それは2008年リーマン・ショック後の世界経済危機についても分析の視角を提供している。
中心的な視座はミンスキー・モデルを国際的な分析に援用することにある。

この本の骨子は以下の通り。

A) 戦後世界経済システムの本質
①戦後の(西側)世界経済は世界市場志向・資本集約型産業企業を中核とする多国籍化であった。
②多国籍企業の組織的特徴は,多角的事業部門性にある。
③多国籍企業の活動には国際資本取引の自由が保証されることが必要だ。
これらに対応した世界システムが GATT → WTO 体制と呼ばれるものであった。

B)よみがえった米国巨大金融機関
ミンスキーの三分類を持ち出してくるが、少々説明が必要。
不安定撹乱型金融には(1)ヘッジ金融、(2)投機的金融、(3)ポンツィ金融の3つがある。 ポンツィは、1920年代にボストンでねずみ講を組織した詐欺師だ。要するに詐欺まがいの不安定金融。
ようするに米国の金融機関が蘇ったのはこのような悪辣な手法によるということ。
それで、米国の対外金融が投機金融からポンツィ金融に変わったとする。(ただしここでは説明はない)

C)リーマンショック後の世界

「新自由主 義と金融覇権」という視角から見る必要が出てきた。「金融覇権」というキーワードが重要であると考えるが、今後の課題となる。

(ミンスキーについては私の記事も参照されたい。


19.08.21 朝日新聞の記事のようです(新藤さんの紹介)


折り鶴の君、いまどこに 
27年前の米国、「一日一折り」教わった手順


ニカラグア千羽鶴
   田上長崎市長に自作の千羽鶴を届けたニカラグアのコロネル大使


折り鶴の作り方を教えてくれた女性に再会したい

駐日ニカラグア大使のロドリゴ・コロネルさんが27年前、米国で出会った日本人女性を探している。今夏、長崎と広島の被爆者のために自作の2千羽の鶴を送り届けたコロネルさん。「直接会ってお礼を言いたい」と願う。


コロネルさんは1992年、米国に留学した際、同じクラスの日本人女性から折り鶴を見せてもらった。美しさに感動し、作り方を教えてくれるよう頼んだが「すぐに忘れるなら時間の無駄」と断られた。


あきらめきれず、2週間頼み続けると、一日一折りずつなら教えてもいいと言われた。その一折りを毎日100回練習し、完璧にできれば次を教えるという。

「きっちりと折らないと、形が崩れてしまう」。毎日、練習を重ね、3カ月かけてすべての折り方を覚えた。


 女性が見守る中で折り鶴を完成させると、女性は両手を上に上げて “〇” の形を作った。意味が分からなかったが、よくできたという意味なのだろう、と思った。


 その後、女性とは連絡が途絶えた。コロネルさんは当時16歳。女性も同じ年齢くらいだったが、名前も覚えていないという。


駐日大使着任、広島長崎悼み届けた2千羽


 昨年、コロネルさんは駐日大使として来日。これを機に久しく作っていなかった鶴を毎日折るようになった。レストランやホテルで箸の袋で鶴を折り、サービスしてくれたスタッフにお礼として置く。チップの習慣のない日本で、せめてもの感謝を見せるためだ。


 来日後、広島と長崎を初めて訪れた。広島で被爆し、白血病になった少女の快復を願い、少女や友人が千羽鶴を折ったエピソードを学んだ。

千羽鶴に平和への思いが込められていることを知り、今年に入り、広島と長崎のために千羽鶴を折り始めた。4カ月かけたといい、「被爆者の痛みを想像した」と振り返る。


8月7日、千羽鶴を届けようと長崎市役所に行くと、田上富久市長と職員が拍手で出迎えてくれた。30メートルほど職員が両脇に並ぶなかを歩いた。

「ありがとうございます」と口々に声をかけられ、涙がこみ上げた。

千羽鶴は長崎原爆資料館のエントランスに飾られている。




こんな人が大使をしている国が悪いことすると思いますか?
「被爆のマリア」をお父さんが歌にして、それを娘が歌って、その娘の旦那が日本大使をしているような国が悪いことしていると思いますか?


西野智彦 「平成金融史」がめちゃめちゃに面白い

わからない言葉だらけで、読んでいても意味はよくわからないのだが、おそらくは多少の想像やフィクションも織り交ぜた「関係者の発言」が散りばめられ、これが筋の運びを面白くしている。

西野さんの平成観は、次の言葉に尽くされている。
昭和の負の遺産にもがき苦しみ、痛みを散らしつつ、抜本的治療を令和に先送りしたのが平成だった気がします。
それが副題のごとく「バブル崩壊からアベノミクスまで」という言葉に込めた実感なのだろう。

私の読後感

とくに1997年の危機を消費税+アジア通貨危機の複合と見ていたのが、実は当時の日本の金融構造が本質的に持っていた弱点の爆発したものだということが実感できた。

また2001から02年の第二次金融危機が、97年危機よりはるかに深刻であったこともわかった。

資本主義における市場問題は新たなステージに

本そのものへの感想とは離れてしまうが、いま実感として思っていることがある。

それは、資本主義における「市場」構造が新たなステージに入っているということである。

マルクスが商品市場に対して、その上位に来るもう一つの市場、すなわち信用市場を示唆したことの重要性はつとに指摘されているが、現在ではすでに市場の決定権は信用市場に移っており、商品市場は従属的な機能を受け持つに過ぎなくなっている。

つまり商品の生産機能はすでに飽和状態に達しており、需要に対して(予備脳を含めた)供給のバランスは不可逆的に過剰化しているということだ。

株式市場・債券市場・為替市場と「信用市場複合体」

そして、マルクスが信用市場と呼んだ新たな市場は、今や金融市場=銀行資本の競争のレベルをはるかに超えている。

それが株式市場であり、債券市場であり、為替市場だ。この3つの市場がおたがいに絡み合いながら「信用市場複合体」を構成していると見るべきだろう。

多国間協調主義 vs 信用市場複合体

これら3つの市場に対して、人々は総力戦を挑まなくてはならない。その機能はほぼ国家の手に集中しつつある。

そのことが「平成金融史」でとても良くわかる。97年はまさに「金融史」にふさわしく銀行や金融機関の倒産や債務整理などが中心だが、後半に入れば主要な関心は日銀、通貨、株価へと移っていく。「金融」は気息奄奄となり、物価・賃金・財政赤字などはまったく背景と化している。

つまりある意味で帝国主義戦争の時代の再現とも言える。そういう時代に多国間協調路線(マルチラテラリズム)は今後の展望を切り開いていくことができるのであろうか。

国際連帯運動はその地平を切り開いていくことができるのであろうか。ここを大いに語り合っていきたいものである。

高天原=朝鮮説の系譜

私が日本書紀を読み解いて高天原・大八洲朝鮮説を書いたが、じつはこの考えは以前からあったもののようだ。

ネット上の文献を拾ってみる。


これはウィキペディアの項目の一つとなっている。
慶尚北道高霊郡の加耶大学校内にある石碑。「天津神が住む高天原」と記載されている。

韓国側の主張らしいが、根拠はほぼ語呂合わせレベルである。

2.宮崎からの移住説


これは九州南部の縄文文明が鬼界カルデラ爆発を受けて朝鮮に渡ったというものだ。
可能性としてはありうるのだが、「日向に住んでおられた天皇家のご先祖も朝鮮半島に渡られた」となるとさすがに「見てきたような」話だ。

神話の系統、ハプロタイプなどからは否定される。

3.古田史学
高天原は朝鮮南部にあり、日本に渡洋攻撃を仕掛け、ニニギノミコトが九州北部に“降臨”し出雲を国譲りさせた。
というのがあらすじだ。
ほぼ妥当だと思うが、「芦原中つ国」と高天原とを同一視するのは、合点がいかない。
天つ国を"海人(あま)族"の住んでいる地域と読み込むことにも疑問がある。


ということで、3が最も有力だ。というよりほかは学説の名に値しない。それ以外にも、あまり強い根拠はないが、南部朝鮮説を示す文献はかなりある。
もちろん考古学的な裏付けのない話なので、どうとでも言えるのだが。内地の各地を比定する説に比べれば妥当性は高い。




赤旗に載ったインタビュー記事が的を得ていると感じたので紹介しておく。

1.世界はどう見ているか
大前提として「日本は第二次世界大戦を引き起こした戦犯国」と考えている。
だから、安倍政権の行動は歴史修正主義と受け止められている。

2.日韓併合
韓国併合は明らかに歴史的な誤りである。
しかし日本は一度も「韓国併合」を間違いだと認めていない。

3.懲罰
政府担当者が「懲罰」といった事実は消せない。
世界の、日本政府の歴史修正主義への疑惑は強められた。

4.経済制裁という手段
サプライチェーンというのは所詮は下請けだ。
需給関係が切れても川下はゼロにはならないが、川上はゼロだ。

5.徴用工問題の扱い
慰安婦とは異なり、徴用工はまったく手がつけられていない。
日本政府としての反省や謝罪も行われていない。
慰安婦と同様、徴用工への補償も着手しなければならない。

「資本論」新版の刊行に寄せて、座談会が掲載されている。
実にグッドタイミングで、萩原伸次郎さんも参加されている。萩原さんは北海道AALAの55周年記念講演会で講師を勤めてもらうことになっている。これでチケット20枚くらいは上乗せできそうだ。

とりあえず、座談会のキモを列挙しておく。

1.第一部は第一版とフランス語版・第3版の異同を詰め、全体としてフランス語版よりに再編集したこと。

2.第2部は商品市場と金融市場の乖離問題を浮き彫りにするよう編集されている。論理構成とは別に執筆時期から言えば、第2部こそがマルクスの理論作業の最終到達点であるから、ここから資本論全体を上向き、下向きにレビューしなければならない。

3.第3部は第2部の後半草稿より以前に書かれたもので、本来は第2部で到達した理論水準に基づいて書き直しが必要なものである。

この辺は、この間の草稿の読み直しによって随分明らかになってきたことである。

私は、この理論がベーム・パヴェルクの「価格形成論」からみた批判への回答になっていると思うし、この点でエンゲルスの解答がまるでトンチンカンであることも証明できるのだと思う。

4.佐藤金三郎さんと中期マルクス

一つ、私が興味を持ったエピソードで、萩原さんが同僚であった佐藤金三郎さんの思い出を語っているところがある。実は佐藤さんの「資本論研究序説」は私が最も興味深く、かつ共感を持って読んだ本の一つである。

佐藤さんは「中期マルクス」と言われる57年草稿、いわゆる「要綱」の検討を通じて、マルクスの思想的ジャンプアップを分析している。

最近考えるにあたっては、佐藤さんのいう「中期マルクス」の主たる営為は、じつはヘーゲルの「法の哲学」の再読み込みではなかったのかと思うようになっている。

当初はヘーゲルを読んでいたの思いつきであったが、アレントを紹介した論文を読んでいて、これはかなり確信に変わりつつある。

4.商品市場・貨幣市場・信用市場

マルクスはこの作業を通じて構築した論理で、一気呵成に資本論まで進んでいった。ただ一気に行ったために論理が荒っぽくなっていた。そのために商業資本の分析のところでケタグリをかけられ、盛大にコケてしまったのではないか。

商品市場のうえにもう一つ乗っかるべきカテゴリーがある。それが金融市場であり信用市場である。それは価格実現という「命がけの跳躍」が、否応無しにもたらしめるものである。
これらの市場は最初は控えめな助言者として現れるが、まもなく鉄の論理の体現者として君臨することになる。その市場の論理は商品市場の論理と完全に一致せず、ますます乖離するようになる。
この市場の介在によって商品市場が引き裂かれていく過程を書き込んでいかないと、資本論は完成しない。

そこで問題は、マルクスがそれをやり遂げたのだろうかという話になる。第二部草稿の読み込みがさらに必要になっていくのであろう。

5.自由時間について

自由時間の議論はおそらくヘーゲルの影響を受けたものである。
カント主義者たるヘーゲルにあって、自由時間はレジャーではない。むしろ自己陶冶の時間である。
ということもあるので、自由時間の問題はもう少し吟味をしておきたいところである。

「資本論」新刊の情報

本日の赤旗に、資本論の新刊が出るとの記事。
9月から刊行が始まり、隔月で12巻が刊行されるということなので、完成は2年後ということになる。
選書版の大きさで、セットで2万4千円くらいになりそうだ(消費税動向による)

1冊あたりにするとほぼ2千円、当節の出版事情を考えれば決して高くはない。

考えてみれば、読みもしないのに長谷部訳の青木文庫版、岡崎次郎の国民文庫版、マルエン全集版、新書版とよくも買ったものだ。何故か向坂版は買っていない。

私は、資本論というのは読破し全体を把握するという本ではないと思っている。
摘み食いでその時々に能力の続く限り読んで、しばらく解説本を読みながら咀嚼して…という経過を積み重ねていくものだろうと思う。

マルクスの本を読むというのは、あの悪文に耐えるという努力を自らに強いることになる。さらに「1エレのリンネル」が空を舞うことになる。







  
こちらは正真正銘のお医者さんが書いたレビューで、とても読みやすい。というか安心して読める。
脳科学屋さんのオキシトシンの話は、当面、聞き流しておいて良さそうだ。
オキシトシンはノルアド作動系のストレスに反応して分泌されるので、オキシトシンを定量すると原因となるストレスの種類を分けることができる。これが目下のところ確立された“オキシトシンの有用性”ということになる。

1. ストレスの歴史

19 世紀初頭 ウォルター・キャノン、ストレスがホメオスタシスを乱し,生体に歪みを生じさせると指摘。交感神経 - 副腎髄質系の活性化に要因を求める。

ハンス・セリエ、ストレスの種類によらず非特異的に起こる全身反応を指摘。中心となるのが ACTH -副腎皮質ホルモンであると主張。

2. ストレスの定義

多くの生理学者は,「ストレス刺激はストレスホルモンの賦活化を誘発するもの」と捉えている。

例えば視床下部(CRH・バゾプレシン)、下垂体前葉(ACTH)、副腎皮質系の活性化,交感神経・副腎髄質系の賦活化(ノルアドレナリン・アドレナリンの放出)である。

刺激の形態としては物理的刺激と精神的刺激に分けられる。

3.ストレス反応を修飾する因子

1) 時間経過
急性反応が生じる警告期→生体に適応性が出来た抵抗期→生体の抵抗力が落ちた疲弊期

2) 発達と妊娠分娩
幼若期はストレス反応は同程度あるが、副腎皮質ホルモンの反応は高くない。
妊娠分娩時にはストレス反応が減弱する。原因は複数考えられ、未解明である。

3) 幼若期体験
幼若期体験は,その後のストレス反応を変容させる。これも原因は未解明である。

4) 環境

5) 摂食状況
空腹だとストレスが増強する。
ついでにちょっと面白いのは、飢餓時に減少するレプチンを前投与するとノルアドレナリン放出が減弱すること、逆に飢餓時に増えるグレリンの投与でノルアドレナリン放出が増強し,ACTH 反応も増強するのだそうだ。

6) 遺伝的要因
最近,この原因因子の一つがバゾプレシンだと報告されている。ということはオキシトシンもありうるかな。

4. ストレス反応を伝達する神経回路

神経内分泌系のストレス反応は,脳幹部(橋と延髄)にあるノルアドレナリン・ニューロンが少なくとも一部を担っている。

これを確認するのがオキシトシン・ニューロンの活性化試験である。

延髄のノルアドレナリン・ニューロンが視床下部へ投射されると、恐怖刺激に対するオキシトシン反応は減弱する。

ところがノルアドレナリン・ニューロンを介さないストレス(たとえばモルヒネ
禁断刺激)はオキシトシン反応を減弱させない。

ということで、二つのストレス反応機序があると考えられる。

最近の「脳科学」と称する学問を聞いてると、とても気になることがある。

それはオキシトシンがとてもポジティブなホルモンで脳の活性化を促すのに対して、ステロイドホルモンがストレス時に放出されてそれが脳組織にダメージを与え、鬱や脳委縮をもたらす悪人ホルモンだという二項対立的ドグマである。

「脳科学者」と呼ばれる人には往々にして独断的な、こじつけ的な物言いをされる人がいるが、私にはそんなに単純なものとは思えないのである。まず彼らは医師・医学者ではない。そこまでいうときは相当慎重でなくてはならないだろう。

脳内アミンにはGABAもあればグルタミン酸もある。一昔前にはエンドルフィンが「幸せホルモン」ともてはやされた。そうそう話は単純なものではない。

それに最終的な神経伝達物質はカテコールアミン系なのだから、その話を抜きにやられると、ますます話がいかがわしく思えてしまう。

とはいえ、もはや私の知識は相当時代遅れになっている。すこし情報を仕入れてから判断することにしよう。

キルギスにおける米国のプレゼンスについて

2019年08月09日 キルギス政変の背景を探る の記事にかんして、コメントを頂きました。

2005年のチューリップ革命は米国の介入がありました。
YouTubeに当時のドキュメンタリーがあります。

私も、アメリカの関与を考えたのですが、どうもあまり関係なさそうなので書きませんでした。(ということは、あまり調べるほどの事件でもなかったか、と思っています)
ウィキペディアによれば、マナスには、2001年に米空軍基地が設置されました。アフガニスタン作戦の拠点でしたが、2014年に米軍は撤退しています。
なお2005年と2010年の政変には米軍基地の存在が大きく関わっているようです。
2010年4月8日 Niall Green 「キルギス政権崩壊」をご参照ください。 

北大スラブ研の論文にもほとんど触れられておらず、現在では影響はないものと判断しました。ただ背景としては書いておくべきだったかと思います。
ご意見ありがとうございました。

ところでこのピッグという歌、歌詞がどうにもわからない。

 Pigs (three different ones) 
というのが題で、1番から3番まであって、三種類のブタが取り上げられている。そのうちの1番の歌詞がこれだ。

Big man, pig man, ha ha charade you are.
You well heeled big wheel, ha ha charade you are.
And when your hand is on your heart,
You're nearly a good laugh, 
Almost a joker,
With your head down in the pig bin,
Saying "Keep on digging."
Pig stain on your fat chin.
What do you hope to find.
When you're down in the pig mine.
You're nearly a laugh,
You're nearly a laugh
But you're really a cry.

爪の引っ掛けどころもない絶望的な詩だ。

これはネイティブでもそうらしい。

 I need help interpreting a line to the song "Pigs (Three Different Ones)"

というQがあって、それへのAがこれ。

ピンク・フロイドの歌、とくにウォーターズのは難しいらしい。なのだそうだ。それで

The lyric "well heeled big wheel" is about the metaphorical "pigs" in the album, which itself is a huge reference to the book Animal Farm by George Orwell. 
と、一気に話は難しくなる。
4B-Carl-Glover
それはともかくとして、
Well heeled というのは裕福な育ちということ、big wheel というのは重要ということだそうだ。何も大仰に振りかぶらなくても、そこだけ教えてくれればよいのに…

つまり “家が金持ちだからというだけで重要人物になったブタども” ということらしい。まさにトランプや子ブッシュなど、そのとおりだ。

それからシャレードだが、どうも本来の意味(ジェスチュア)というより、一芝居打って人を騙すみたいな使い方のように思える。この映画の脚本は元は違う題名だったがそれでは売れず、シャレードに変更したのだそうだ。わかったのはそこまでで、なぜ変えたのか、なぜ変えたら売れたのかはわからない。

この映画には同名の主題歌があって、いかにもの歌だが、歌詞は美しい。

When we played our charade
We were like children posing
Playing at games, acting out names
Guessing the parts we played

ところでアニマル・ファームの話はどこへ行ったんだっけ?


ピンク・フロイド好きの人へ

今も75歳でコンサート活動を続けているロジャー・ウォーターズのこのビデオは、圧倒的な迫力だ。

「ブタ」は社会の頂点にいる人たち、富と権力を持つ人たちだ。
「ブタ」たちは、社会の他の人たちを操作できる。そして悪意の競争と冷酷さを奨励する。だからブタは強力なままでいることができる。
という歌だ。情けないが、日本で放送しようとすれば、きっと「忖度殺し」されるだろう。

queen trump

サウンド的には、こちらのほうがはるかに良いので、まずこちらからみてほしい。こちらはメキシコ市のソカロ広場で20万人の聴衆を前に演奏したものだ。このコンサートはメディアがベネズエラを袋叩きにしている最中に行われた。

だから、その時のメッセージで、ロジャー・ウォーターズは次のように“真実”を語っている。
ベネズエラでは、今のところ内戦も暴力も殺人もない。政治犯の大量収監もなければ、報道の抑圧もない。
誰かの持ち出した“人道コンサート”は、米国のベネズエラ侵略に手を貸すものなのだ。それはベネズエラ国民の必要とするものとは違う。民主主義や自由とも関係ない。
そうです。まさにそのとおりなのです。
ピンク・フロイドを愛する皆さん、私のブログに来てくれたついでに、検索窓に“ベネズエラ”と入れてみてください。なぜロジャー・ウォーターズがそういうのか、わかってもらえるでしょう。

Facebook に、ロジャー・ウォーターズの発したメッセージがあるので紹介する。


おはようございます。 私の名前はロジャー・ウォーターズです。 
わたしから一つお話があります。 それはベネズエラについてです。 

1998年、ベネズエラの人々は社会主義をめざす政府を民主的に選出しました。その政府は石油産業を国有化しました。

その後、米国政府の支援を受けて、当時の大統領チャベスを倒すクーデターが試みられました。 

それは2日間続きましたが、結局失敗しました。大統領の復帰を要求したベネズエラの人々が街頭で、巨大な抗議行動を展開したからです。

彼は2日後に牢獄を脱出して大統領に復帰しました。それが2002年の物語でした。

つぎに米国がやったことは、「ベネズエラは米国にとって戦略的脅威だ」といって、それを理由に経済制裁と封鎖を課すことでした。

これらの米国の違法な制裁は、ベネズエラに不当な負担をもたらしました。
それは経済を破壊し、インフレを促進しました。それによって国内の反対派を活発化させました。

多くの人々がベネズエラを去っています。ベネズエラでは、特に貧しい人々の生活は困難です。それは主にインフレのためです。
食べ物がないというのは嘘です。たくさんの食べ物があります。しかし人々が買うには高すぎます。

彼らは二度目のクーデターという目標を持っています。彼らは10年もの間クーデターを準備してきました。今はグアイドとか言う名の操り人形を持ち込んでいます。

それは疑問の余地なく明らかです。すなわちグアイドは救世主のふりをして、コロンビア国境の向こう側で彼を操る人形師と会っているのです。それこそがベネズエラに苦難をもたらした張本人です。

これはナンセンスそのものです。これは2002年に彼らが達成しそこねたことです。
その失敗したクーデターが企てられたのは、チャベス政府が、アメリカ政権にとってとんでもないことをしでかしたからでした。

それは石油産業からの収入を政府が受け取ることでした。そして、それを社会計画としてベネズエラの人々に分配することでした。

私には操り人形と彼を操るマスターへのメッセージがあります。

ベネズエラから手を引け!
あなたがしていることは、無法で汚らわしい。

私達はベネズエラの人々、何百万人もの人々を、世​​界中でサポートしています。
みんなが新聞で何を読んでいるか知らないけれど、それでも私たちはあなたを愛しています。

歴史はおそらく証明するでしょう。ベネズエラの社会主義は、世界中で政治が進むべき道を照らす光だということを。
大丈夫、私たちはあなたと一緒です。

コメント5,115件
シェア1万件

千秋論文に学ぶ

以前にも造山帯の話は勉強した。
遡行的に議論すると、

1.日本列島は千島列島や沖縄・南西諸島、アリューシャンのような花綵列島ではない。
それはユーラシア大陸の東縁にできた山脈が大陸より分離したことで形成された。
2.日本列島は当初は朝鮮海峡を開口部とする日本半島だった。
この山脈は太平洋プレートの潜り込み→ユーラシア側の盛り上がりでできたのではない。
3.この山脈は南中国大陸が北中国大陸に衝突し潜り込むことによって、その境界線上に形成されたものである。(ということは、上位だから新しいというわけではない)
この境界の上位面上に形成されたのが朝鮮半島の小白山脈である。
4.小白山脈も、日本列島が分離したあとユーラシア大陸の東縁を形成した可能性がある。
その後東シナ海の進出により、日本列島と同様に、独自の半島を形成したのかもしれない

千秋博紀 「超大陸と日本列島の起源」より 地学雑誌 2011


Ⅰ.はじめに

日本列島は海洋内島弧ではなく、大陸縁の造山帯が押し出され、分離したものである。

II.日本列島は南中国大陸に属していた

日本列島の本体は南中国地塊の南縁に由来する。

宇奈月帯が南中国地塊の北端であり、その上位の飛騨帯は、北中国地塊由来である可能性がある。

その上位に隠岐帯、さらにその上位に朝鮮半島が重畳し、これらはいづれも北中国地塊由来である。 

III.日本海の拡大と飛騨・宇奈月帯の移動

わからないので略

IV.超大陸の歴史

1) 超大陸はなぜできたか

これまで地球史を通じて下記の超大陸が出現している。

a)ヌナ(コロンビア)超大陸(18–19 億年前)

b)ロディニア超大陸(6–10 億年前)

c)ゴンドワナ超大陸(3.5–5.4 億年前)

d)パンゲア超大陸(2–3 億年前)

このうち、パンゲアについてはいくつかの批判を経て以下の結論となっている。

地球上のすべての大陸が完全に一つになるという必要性はないし、すべての大陸
が完全に一つになるかどうかは問題ではない。

問題は、それがきわめて偏ったマントル対流様式の存在を示しているということである。

アジアコールドスーパープルームという巨大なマントル下降流が生じた。これは東大平洋の下降流とインド洋東の下降帯がインドネシア近辺で衝突し重複下降する事象である。

2)超大陸はなぜ分裂したか

スーパープルームは一方でマントル上昇流をもたらす。

これにより大陸は分離し膨張し、結果として海水(特にインド洋)の侵入を許すことになる。

XI.議論

日本列島の地史が先カンブリア時代にさかのぼることはわかっている。しかし初期の段階を議論するための情報は乏しい。

日本列島の歴史は 20 億年近く前までさかのぼる。

日本海の誕生はごく最近の 2000 万年前であり、日本列島の地史の 99%以上は中国大陸と一体化した歴史である。

北中国と南中国が衝突したトリアス紀の衝突型造山帯の空間分布の追跡と韓半島への連続性,日本列島への連続性の研究は重要である。




May 30, 2019


ベネズエラ中央銀行(BCV)が3年ぶりに経済指標を発表しました。

1.GDPの縮小

データは、ベネズエラの経済が2013年から2018年の第三期までに47.6パーセント縮小したことを明らかにしています。これについての公式のコミュニケーションはありません。

2.月次インフレ率

BCVのデータは、ベネズエラのハイパーインフレ(月間50%を超えるインフレ)が始まったのが、わずか1年ちょっと前、つまり2018年4月だったことを明らかにしています。

2018年の総インフレは13万パーセントに達しました。

そして12ヶ月経った2019年3月にインフレ率が50%を下回りました。BCVの3月と4月のインフレ率は、それぞれ34,8と33,8%です。

inflation
2017年1月以降の月間インフレ率。青はベネズエラ中銀、橙は国会チームのデータ、
50%の緑色破線はハイパーインフレのしきい値。


野党が支配する国会附属機関も2017年11月から経済分析を開始していますが、こちらも3月に初めてインフレ率が50%を下回ったと発表しています。

3.石油と貿易比率

ベネズエラは、2015年以来、原油価格の下落、経済の不正管理、制裁の結果として、深刻な経済的失速状態に陥っています。

石油輸出収入は、2017年には315億ドルでしたが、2018年には298億ドルに低下しました。

輸入総額は2012年に史上最高となり、660億ドルに達しました。それが2017年には120億ドルまで低下しました。2018年にはそれから149億ドルにまで増加しましたが、依然として1/4以下の水準です。

4.非道な経済制裁

今年はじめ、フアン・グイドが自称「暫定大統領」を宣言します。政府打倒を目指すワシントンは、直ちにフアン・グイドを支持することを決定しました。それ以来、米国財務省の制裁は著しくエスカレートしています。

米国による一方的な措置は、ベネズエラの経済、特に石油部門をターゲットとしています。

ワシントンDCに本拠を置くシンクタンクである「経済政策研究センター」が最近、報告書を発表しています。その結論は以下のようなものでした。

米国の制裁により、2017年以降、ベネズエラの石油生産量が著明に減少している。さらに制裁はベネズエラに40,000人以上の死者をもたらした。

研究者のJeffrey SachsとMark Weisbrotは、「経済制裁はハイパーインフレと深刻な経済危機に対処する可能性を奪った」と結論を与えました。

5.経済改革の挫折

ベネズエラ政府は昨年8月に包括的な経済改革を実施しました。

これには、通貨の再変換、為替レートの切り下げ、通貨をペトロ暗号通貨に固定することが含まれます。

しかしそれにもかかわらず、ハイパーインフレを抑止することはできませんでした。政府はボリバル・ペトロの為替レートを切り下げて給与を引き上げざるを得ませんでした。

最新の昇給は4月末に行われました。

最低賃金と食糧費補助は合計で65,000ソブリン・ボリバルです。これは並行市場レートで約11ドルに相当します。

6.金融政策の改革

ベネズエラ中央銀行は昨年12月に進路を変更しました。通貨安誘導政策の採用です。

DICOMの公式外貨オークションでドルに関してボリバルを積極的に切り下げました。
5月6日、BCVは並行市場指標のペースを維持するため為替管理の廃止を発表し、完全変動相場制へ移行しました。
「交換ボード」は現在、公共銀行と民間銀行によって運営されており、為替レートはBCVに伝えられています。

中央銀行による最近の措置は、流通するボリバルの量の制限とともに、経済のインフレスパイラルを減速させました。

しかしこれは劇薬です。インフレの抑制は需要の縮小を犠牲にしてもたらされることになります。エコノミストは、どこかで資金手当がない限り、このインフレ抑制策には長期的な経済停滞のリスクがあると警告しています。


UN Human Rights Council Adopts Resolution Rejecting US Sanctions

7月13日、国連人権理事会第41回評議会は、ベネズエラに対する米国による制裁を非難する決議を採決しました。

決議案は非同盟国運動(NAM)の議長国ベネズエラとパレスチナから提出され、賛成28票、反対14票、棄権5票で承認されました。

ベネズエラ政府は「決議に対する国連人権理事会の加盟国の圧倒的な支持に感謝する」との声明を発表しました。

この文書は、「すべての国の「譲渡不能な権利」としての自決権を再確認しました。そして一方的な強制措置(制裁)を拒否し、他国や米州諸機関の干渉なしに、国民主権・独自の政治的、社会的、経済的、文化的システムに従って、進むべき道を決めるべきである」と訴えています。

ベネズエラは非同盟運動の当番議長として、加盟国からの大きな支持を得て国連人権理事会に決議案を提出しました。

ベネズエラのホルヘ・アレアザ外相はこう述べています。

すでに今年の5月、国連の特別報告者であるIdriss Jazairyは、制裁がもたらす悪影響に対する報告をしています。彼は「キューバ、ベネズエラ、イランに対する政治的目的での経済制裁の使用は、人権と国際法に違反している」と非難しています。

しかし今回の決議は、ベネズエラにとって重要な意味を持っています。それは理事会が国連の人権高等弁務官ミシェル・バチェレの提出した報告書を体系的に拒否しているためです。

バチェレ報告は、ベネズエラ政府の主要な社会政策を無視しています。そして米国政府による経済制裁についても言及していません。

今回の決議は、米国による経済制裁が「対象国(ベネズエラのこと)の人々の福祉を妨げ、人格の完全な実現を障害している」と述べています。

2017年以来、ホワイトハウスはベネズエラの個人や事業体に対して150の制裁を課しており、食料と医薬品の不足により4万人以上の市民が直接死亡し、1,160億ドルの損失が発生しました。

この数字は、最近の経済政策研究センターによる独立した報告書によって明らかにされています。


マイペディアで
別名は伽耶をはじめ加耶,伽倻,加良,駕洛,任那など多数あるが,いずれも同じ国名を異なる漢字で表記しようとしたためである。
と書いているが、なぜが欠落していて、とても説明にはなっていない。「つまりそういうことなんだよ」と言われても、どういうことなのかはわからない。

田中俊明『古代の日本と加耶』2009 日本史リブレット70 山川出版社(ウェブサイト「世界史の窓」からの重複引用)
にこう書いてある。これはなかなか説得力がある。
朝鮮古代史の基本史籍である『三国史記』ではおもに加耶が用いられる。加耶 ka-ya は加羅 ka-ra の r 音が転訛したもので朝鮮語ではよく見られる。
ということで、伽耶(かや)は加羅(から)が10世紀近くを経て、朝鮮語風になまったものと見ることができる(スペイン語の -lla と同じ)。もしこの学説が証明できるのなら、韓国の学者も当時の用法「加羅」を使うべきであろう。

ウィキペディアには、私の一番知りたい疑問「なぜ、日本語文献では加羅が表に出てこないのか、本当に加羅と伽耶は単なる言い換えに過ぎないのか」
についての答えがない。
そこで他の文献もあたってみることにした。

ブリタニカ→コトバンク

『三国志』魏志東夷伝によれば、古代の南朝鮮地方には諸韓国が分立していた。
そのなかで代表的なものは南北2国あり,
南がいわゆる「任那加羅」、または「金官加羅」である。

「広開土王碑」文に登場するのは「任那加羅」である。

532年、金官加羅は新羅に併合された。

北方の代表的な国は「高霊加羅」あるいは単に「加羅」とも呼ばれた。

562年、「高霊加羅」は残存の任那諸国とともに新羅に併合された。これが『日本書紀』でいう「任那の滅亡」である。

これは多くの本に載せられている経過である。しかしどうも、これがスッキリしない。

「または」とか「別名だ」というのだが、本当にそうなのだろうか。加羅=伽耶=任那とそうかんたんに言えるのだろうか。

マイペディア・世界大百科事典

マイペディア・世界大百科事典→コトバンクの表現は、より断定的である。

日本書紀の「任那」は諸小国の総称であるが、任那は本来金海加羅を指す。

以上のごとくであるが、これではまったく納得できない。中国の史書が一度ならず、これだけ明確に二つを使い分けているのに、それについて口をつぐんで、事実上同一視するのは歴史への冒涜とすら言える。

高校の教科書

山川出版社の教科書『詳説日本史』では、「
日本書紀では加耶諸国を任那と呼んでいる」と書いてあるらしい(世界史の窓」からの重複引用)。加羅ではなく伽耶と書いた理由は不明だ。もし加羅の言い換えであれば、これは不正確だ。少なくとも倭の五王のくだりでは任那と加羅はしっかり書き分けられている。


伽耶  または加羅、または加羅諸国

ウィキペディアの記載はわかりにくい。

広義の任那に含まれるが狭義の任那とは位置が異なる。
洛東江流域を中心として散在していた小国家群。

金石文である広開土王碑文と中国文献で確実な事実を表すと下記の如くなる。

414年 広開土王碑文にある「任那加羅」が史料初

438年 『宋書』のこの年の条に 「弁辰」が消えて「任那」が登場。

451年 『宋書』のこの年の条に倭王済が「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の号を授けられたとの記述。

478年 宋朝が倭王武に「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の号を授ける。

537年 中国梁国の史書「南齊書」では、「加羅國、三韓種也」とされる。

629年 『梁書』が成立。「任那、伽羅」と表記を変えて併記する。

660年 『翰苑』が成立。新羅条に「任那」が登場。その註に伝聞として、「加羅と任那は新羅に滅ばされた」とある。

801年 『通典』が成立。新羅の条に「加羅」と「任那諸国」の名があり、新羅に滅ぼされたと記されている。

どういう地理関係にあったかは別として、とにかく同時に併存した別個の国だったことは間違いない。

問題は、これだけ存在が確実である「加羅」が日本の文献にほとんど登場しないことである。

加羅と三韓

あまり深読みしてても仕方がないが、「加羅國、三韓種也」とあるのは任那と加羅・秦韓・慕韓とは、すこし国としての扱いが違うのかも知れない。

つまり、任那は百済や新羅と同じ扱いで、加羅は半島南岸にわずかに残った旧三韓の名残りと見ることもできる。

少なくとも中国はそうみていた。とにかくこの基本線を踏み外してはいけない。

1.ユニラテラリズムの世界に直面して

今世界では非常に複雑な動きが生まれています。
トランプの政治は、当選当時のポピュリスム的言動とは様相を異にしてきています。

一言で言えば、私たちはまったく経験したことのない一国支配(ユニラテラリズム)の世界に突入しつつあります。

ここで私たちは不破哲三さんの言葉を思い起こす必要があります。
私が非常に大事だと思うのは、新しい現象、新しい事物が社会に生まれたときに、それにどういう態度でのぞむか…です。開拓者には既成のテーゼはないのです。新しい現象にぶつかったら、それを解明する道は、自分たちが鍛え上げてきた方法論をもって、その新しい現象を考察する以外にないのです
考えて考え抜いて、答えを求めていくほかありません。

2.歴史の推進力

その際に大事なことは「歴史的出来事の現実の推進力」がどこにあるのかという見方、すなわち「21世紀論」の視点と「変革の立場」を貫くことです。

その際に、AALA50周年事業の一環として行われた不破講演「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ―いまこの世界をどう見るか」(2005年)は、連帯運動の「導きの糸」として未だに輝きを失っていません。

不破さんの時代認識の最大のポイントは、今の時代を「平和の世界秩序をめざす第二の波」と捉えることです。それは第一の波、すなわち第二次世界大戦直後の時期につづく大きな波です。

この第二の波、すなわち「21世紀の波」の特徴は、民族自決がいまや当然の前提となり、諸国民の尊厳を前提に平和の枠組みが作られようとしていることです。

もう一つの特徴は、「99%」と呼ばれる世界の圧倒的多数の人々がアメリカの一国行動主義を批判し、世界の平和ルールを擁護する方向に動き始めていることです。

この講演はすでに14年も前のものですが、その骨太な歴史評価は今もなお輝きを失っていないと思います。

まったく新しい世界政治に対応する上で、私たちは不破さんの提起を、重要な羅針盤として受け継いでいかなければならないでしょう。

3.変革の立場で評価することがだいじ

かつて「社会主義を目指す国」と呼ばれた国でもさまざまな否定的現象が噴出し、その存在意義そのものが問われている場面も目にするようになっています。
もちろんそれらの現象は事実を踏まえて厳しく評価しなければなりません。

ただその際も、功罪を明らかにし教訓を導き出さなければなりません。それが不破さんの強調する「変革の立場」だろうと思います。

なぜここを強調するか、
それは非同盟諸国や非社会主義の進歩的政権を、その欠点も含めどう見るかという課題につながるからです。

たとえばラテンアメリカの左翼政権は、正統マルクス主義ではありません。

別論文ですが、不破さんはパリ・コミューンについて考察したことがあります。
コミューンの指導部にマルクス主義者は一人もいませんでした。しかしマルクスは、コミューンの行動を最大限に評価したのです。
そのことを前提として、不破さんは「共産党がいないところでも新しい革命が生まれるし、科学的社会主義の知識がなくても、新しい社会の探求に進み出るのに不都合はない」と主張しているのです。

同時に、不破さんは中国を引き合いに出してこう警告しています。
いくら憲法に社会主義と書いていても、資本主義に引かれる考え方、気分が必ず現れる。それは土台に作用して、土台の社会主義部門を腐らせる可能性がある
つまり、社会のあり方が多様であるように社会進歩の形態も多様なのだから、状況に合わせて具体的に判断しなければならない。それと同時に、たんなる評論家的ランキングではなく、変革の立場から評価することが大事だということでしょう。

情勢が不透明な中、私たちはこの不破講演の提起に立ち帰り、基本的な姿勢を再構築する必要があると思います。

キルギスで政変があり、前大統領が逮捕されたという。
しかし目下のところまったく予備知識がない。トルクメニスタンに次ぐ未知の国である。

中央アジアという地域

大体中央アジアにいくつ国があるのかさえ言えない。もっとも中央アメリカの国を全部言えるのもかなりのオタクであろうが。
(答えは五か国、これに新疆ウイグル自治区を加えれば6つになるが、とりあえずおいておく)
中央アジア地図

ウィキペディアで中央アジアの歴史を調べると、10分もしないうちにめまいがしてくる。
人種・文化・歴史のるつぼだ。とても定義などできそうもない。逆にそれが中央アジアのアイデンティティーとも言える。

各共和国の国境線はソ連によって人為的に引かれたものらしい。民族分布とは必ずしも合っていない。それにしても雑然としている。

中央アジアにおけるキルギスの位置

北西部の三国が面積も広く石油資源を持つのに比べ、キルギスとタジキスタンは山の中の小国で、これと言った資源もない。

キルギスの場合面積が20万平方キロで日本の半分、人口が600万人で、北海道並み、一人あたりGDPは30万円強という超貧乏国だ。というより貨幣経済が発達していない国というべきかも知れない。

ということで、この2カ国については別のメガネで見ていく必要がありそうだ。

キルギスの政治

そろそろ主題に入ります。

ウィキペディアによれば、「中央アジア5カ国で最も民主的」な国なのだそうだ。政党の活動は自由であり、共産党をふくむ約40の政党が活動している。

したがって政権交代も頻繁だ。ただし歴代大統領はすべて敗北後に亡命しているそうで、「荒っぽい民主主義」なのかも知れない。

91年の独立からアカエフが大統領職にあったが、独裁傾向を強めた。このため2005年の「チューリップ革命」で打倒された。名前とは異なり、群衆による暴動の色彩が強く、「革命」後に混乱に陥った。

バキエフが大統領に就任したが、これも2010年に放逐された。

2011年からはアタンバエフが大統領に就任した。アタンバエフは任期を完うし17年に引退した。

後任大統領となったジェエンベコフは、公共事業に絡む汚職や暴力団との関係容疑でアタンバエフを追及した。

今年6月、議会が訴追免責特権を剥奪した。アタンバエフは出頭要請に応じず自宅に立て篭った。

このため、数千人の治安部隊が投入されアタンバエフを拘束した。このときの銃撃戦で死者も出ている。

これが概略の経過である。

時事ドットコムニュースによると、
退任後も影響力を残す前大統領にジェエンベコフ氏が反発し、友人同士だった2人はすっかり険悪になった。
らしい。

いろいろあたってみたが、どうもアメリカなりロシアなりの影響というものは感じられない。つまり脱イデオロギー的な「革命」であるらしい。


という北大スラブ研の論文があって、その中で著者は大略次のように問いかけている。

清新に見えた政権がやがて腐敗して、「ピープル・パワー革命」が何度も繰り返されるという事態はおなじみのものだ。

根本的な変革でも単なる政変でもない、それなりに広い社会層の直接行動によって行われる政権交代を、「革命」として一般化するのではなく、独自の現象として研究する必要がある。

とりあえずはそんなところでしょうか。

8月16日
下記もご参照ください
キルギスにおける米国のプレゼンスについて

高久健二 「楽浪郡と三韓の交易システムの形成」
専修大学東アジア世界史研究センタ一年報 第6号2012年3月

学習ノート

紀元前2世紀初頭 燕の武将衛満が古朝鮮の準王を退けて衛満朝鮮を建てた。亡命漢人政権であり、前漢王朝の外臣として存続した。

衛氏朝鮮の成立後、青銅器、鋳造鉄器など燕の文物が持ち込まれる。

紀元前150年ころ 半島南部地域は三韓の勢力が残存。原三国時代を形成する。慶尚南道を中心に木棺墓の墳墓群が形成される。

紀元前109年 朝鮮王右渠が漢への入朝を拒む。

紀元前108年 王険城が陥落。漢は朝鮮半島に楽浪・真番・臨屯・玄菟郡の四郡を設置。
遺物の構成から見て古朝鮮=王険城=楽浪郡都=平壌及びその周辺と考えられる。

紀元前100年ころ 原三国地域とくに辰韓(嶺南、現在の慶尚道)で、八達洞遺跡、茶戸里遺跡、良洞里遺跡など。楽浪との交易拡大による。

紀元前45年 郡県の再編成を契機とし
て楽浪郡は発展期を迎える。「楽浪郡初元四年県別戸口簿」 によれば、この頃の楽浪郡の戸数は43,835戸に達する。

三韓諸国の首長層は外臣として取り込まれ、「臣」と自称する。前漢王朝への朝貢は支配者間の格差を拡大する。

紀元前l世紀中葉~後葉 北部九州で前漢鏡が護棺墓に副葬されるようになる。楽浪郡・三韓・倭を結ぷ長距離交易ルートが確立したと考えられる。

紀元後 2 年 『漢書』地理志によれば、楽浪郡の戸数は62,812戸である。

この論文の良いところは、三韓地域を3つに細分したことである。

三韓地図

短距離交易地域
楽浪と近接した距離にある京畿・嶺西地域(現ソウル周辺)である。馬韓との中間地域で、後に百済が興った地域である。

中距離交易地域
日本海側に位置する領域。現江原道。

長距離交易地域
弁韓と辰韓をふくむ地域で、嶺南地域(現慶尚道)と呼ばれた。
洛東江をさかのぼり、倭館からは険阻な小白山脈を越えて、南漢江を下って、京畿地域へと至るルートが想定され、特定の漢式遺物が集中的にもたらされたと考えられる。
なお馬韓地域(全羅道)には、この時期のものとして見るべき遺跡はない。

↑このページのトップヘ