鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

中身が雑多なので、右側の「カテゴリー」から入ることをお勧めします。 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/ 「ラテンアメリカの政治」がH.Pで、「評論」が倉庫です。「なんでも年表」に過去の全年表の一覧を載せました。



シャッターというのは間違いなく和製英語だろうと思っていたが、なんと由緒正しい英語であった。
カタカナ通りにシャッターと発音するとこれは「ぶち壊す」(Shatter)という意味になる。
シャターと言わねければならないらしい。

今でこそ我が家の車庫も電動式シャッターだが、その昔はおいそれと一般人が導入するようなものではなかった。

そこでシャッターの歴史を紐解くことにした。

スズキシャッターという会社のホームページに「シャッターの歴史」という年表があったので、まずはそれを利用させてもらう。ただし法令関係の記載がやたらと多いので、少し技術面に絞り込んで使わせていただく。

EXTERIOR SHUTTERS


欧米諸国でシャッターという場合のニュアンスはやや異なるようである。
そのむかしはシャッターといえばルーバーシャッター、つまり鎧戸のことを指した。最古のものは古代ギリシャの大理石製のものとされる。その後細工の容易な木製に変わった。ガラスのない時代は窓といえばルーバーのみであった。

熱帯地方の植民地に作られた屋敷では、通風性を旨とするプランテーション・シャッターが普及し、コロニアル・スタイルの特徴となった。

近代に入って窓ガラスが普及し、ルーバーの角度は可変式となり、装飾の要素が強まった。

1837年 シャッターの祖形となる木片をつづり合わせた木製シャッターがイギリスで作られる

原理的には、シャッターとは何枚もの細長い部材をすだれのように連接し、これを枠体に巻き込んだもの。

1862年 ロンドン大博覧会に木製シャッターが出品される

1872年 クラーク・バーネット(英)、スチール・シャッターの特許申請。近代シャッターの最大の目的は防火にあった。(FIRE AND SMOKE-PROTECTION SHUTTER)

1896年(明治29年) 日本で最初のシャッター(英国製)が日銀本店に取付けられる。当時は「畳込防火鉄戸」と呼ばれていた。

1903年(明治36年) 梅川鉄工所が国産スチール・シャッターの生産を開始する。

この頃から洋式建築にはシャッターなどの建築金物が輸入されるようになった。

1906年(明治39年) サンフランシスコ大地震発生。スチール・シャッターの防火性能に注目される。

1923年(大正12年) 関東大震災。日本でもシャッターの有効性が認識されるようになる。 

1932年(昭和7年) 白木屋に大火発生。これをきっかけに「百貨店規制」の引き金になる

1950年 建築基準法が施行される。耐火建築物や特殊建築物での設置が義務付けられる。

1955年(昭和30年) 軽量シャッターの導入が相次ぐ。小規模な建築物や店舗やガレージなどにもシャッターが普及するようになる。

 

考古学における気候変動論の検討
-日本列島・朝鮮半島の水稲農耕開始前後を対象として-

徳島大学埋蔵文化財調査室の端野晋平さんによる文章だ。



キーワードは縄文晩期・倭韓地方・水稲・気候・考古学と多彩だ。多彩だが、まさに皆の知りたい勘所だ。特に「倭韓地方」という発想は面白いと思う。

この手の学際的研究は、意外に根文献を探すのが難しくて難航することが多い。ネット時代とはいえ、一次資料は大都市の大図書館で検索しないと入手できない。

まずは徳島の地で、論文にまで仕上げた著者の努力に敬意を評したい。

1.炭素 14 年代が基本

過去の気候変動を暦年代に落としてくための手技としては、炭素 14 年代の較正曲線が最適なものと考えられる。

過去における地球規模での気候変動は、大気中の 14C の増減によって推定できることが知られている。

14C 量が多いほど宇宙線照射量が多く、宇宙線量の増加→雲の増加→太陽熱量の低下→気温の低下という流れをもたらす。
逆に14C が減少傾向にある時期は温暖期に相当することになる。

寒暖を推定するもう一つの方法が「風成砂丘の形成」を考古学的に証明することである。
これは寒冷化に伴う海水準低下→風成砂丘の形成という現象を発見することである。
ただし適用範囲は西日本に限定される。

2.気候学的検討の結果

上記を組み合わせて表示したのが下の図である。

北部九州の気候変化

縦軸は14C濃度であり、横軸が紀元前900~200の時間軸である。
全般にこの時期全体を通じて温暖化に向かいつつあったことがわかる。
その中で小規模な揺り戻しとして2度の寒冷期があったという時間関係だ。

黒川式、夜臼式、板付式、城之越式は九州北部における弥生土器の様式名。

著者により細かい分析がなされているが、要はBC900年から北部九州の急速な温暖化が始まり、700年ころになってそれが弥生文化(黒川式)の発生をもたらしたということだ。

その後300年ほど足踏みがつついた後、紀元前400から再び急激な温暖化が始まり、それとともに板付Ⅱ→城の越へと文化が進展していくという関係になる。

3.二段階渡来説(初期渡来)

以下の二つの段階を設定することができる。

渡来第1段階:
無文土器前期/縄文晩期中葉(黒川式期)
半島南部との交流と渡来人の存在を暗示する
水稲農耕は試行的で一般化しなかった。

渡来第2段階:
無文土器中期/縄文晩期後葉(夜臼式期)
水田遺構、農耕具、磨製石鏃・石剣、壺形土器、支石墓などが出現。

以降はやや夢見がちな論調となるため省略。


寒冷期の絶対年代は研究者ごとに様々で方法論的にも統一されたものではない。
かなりの幅をもたせて第一期:BC900~700、第2期:BC500~350 くらいに捉えておくのが無難であろう。

「二段階渡来説」は著者のオリジナルであろうが、初期渡来のメカニズムを第一期=寒冷プッシュ論、第二期=温暖プッシュ論として提示している。ただし上にも述べたように、寒冷期そのものをそこまで厳密には絶対年代化できないのではないか、という根本的な疑問がある。

火山の噴火とか断層や津波の痕跡など、より直接的な根拠があると同定ははるかに容易なのであろうが…

国際日本文化研究センター 
教授 安田喜憲
長江流域における世界最古の稲作農業」ノート

1.世界最古の土器を作った人々

最終氷期最盛期後半の2万~1万8000年前  世界最古の土器は、いち早く森林環境が拡大した長江中流域の南部で誕生した。「森の民」が、いちはやく土器づくりを開始し、世界にさきがけて定住生活に入った。

2.定住革命から農耕革命へ

稲作は長江中流域で1万年以上前に誕生した。野生イネは完熟するとただちに脱粒してしまう。しかし突然変異で脱粒性を失ったものが発見され育成された。

約8500年前 中流域の彭頭山遺跡は、確実に巨大な稲作農耕集落が存在していたことを示している。

稲作農耕は、ヒツジやヤギなどの家畜を伴ってはいなかった。農民たちはタンパク源を野生動物や魚類にもとめたのである。

麦作農耕の起源は、晩氷期の1万2000年前とされる。

JICAニカラグアの所長あいさつ」という文章を見つけた。現場の感覚は、“独裁政権による流血の弾圧”という一部報道とはかなりニュアンスが違っているように見える。

要旨は以下の通り

所長挨拶
 名井弘美JICA所長

80年代の内戦期を終えて迎えた90年代は、ニカラグアにとって復興に向けた国造りの時代でした。

2000年代に入り、より国としての成長、発展を目指す段階を迎え、特に2010年以降は安定した経済成長を遂げてきました。

ニカラグア人は一般的に誠実且つ真面目で、一昔前の日本のような助け合い精神を有している、親日的な国民です。内戦のイメージが強い国ですが、実は治安も大変よいことに私自身赴任して驚きました。

残念ながら2018年4月に発生した政府・反政府派の対立により、一時的に治安が悪化し、これに伴い経済が悪化しています。

それは、特に貧困層、あるいは貧困からようやく脱却しつつある人々の生活を直接的に脅かしつつあります。

JICAニカラグアは、ニカラグアの良さや強みが活きる協力を展開するつもりです。



続縄文文化とは続縄文時代に北海道の各地に花開いた文化ということになる。
なにか堂々巡りみたいな規定で、独自性に基づかない規定である。

おそらく前半の恵山文化は、津軽の縄文後期文化の延長と思われ、独自の意義は薄いのではないのか。

したがって続縄文という場合、我々はもっと、続縄文中期~後期の道央低地帯に起きた特異的な文化に焦点をあわせるべきではないかと思う。

国立歴史民俗博物館の高瀬克範さんは「続縄文文化の資源・土地利用」という論文でおおよそ下記のごとく主張されているが、妥当と思われる。


1.縄文後期に共通する特徴は、縄文文化期よりも魚類の重要性が高まる点にある。

2.道央部は続縄文文化期後半期に優勢を示し、外来系の物資入手力が相対的に高かった。サケ科の利用を基軸とした経済が基盤となっていると考えられる。

3.このように比較的定住性の高い集団に隣接して、は広域に移動して物資を運搬する集団が併存していたらしい。

4.東北北部の弥生文化は平野部の稲作地帯と狩猟採集に重きをおく集団が併存していたが、弥生中期の気候激変によりが崩壊し人口が激減した。その結果、現象的には続縄文文化の分布域拡大につながった。

続縄文時代

紀元前500年 本州以南で弥生時代が始まる。陸奥(宮城・山形以北)では米作りと続縄文のハイブリッドとなる。

紀元前3世紀頃 続縄文時代が始まる。基本的には縄文から擦文時代への移行期であり、一括できるかどうかはかなり疑問がある。

続縄文文化は前半と後半、末期に分かれる。

前半期 陸奥につながる恵山式文化と、宇津内式・下田の沢式文化(道北・道東)とが並立して現れた。生活スタイルは縄文時代と共通しているが、漁労と原始的栽培(アワ・キビ・ヒエ・ソバ)の比重が高くなっていることが特徴。

紀元前後 北海道内の続縄文集落で、釣り針など少数ながら鉄製道具が使用されるようになる。

後半期 北海道全体が宇津内式・下田の沢式を引き継ぐ後北式土器に統一される。後北式は江別式とも称される。続縄文文化は樺太南部や陸奥・羽越地方、千島列島まで広がる。

5世紀 続縄文文化とは別に、樺太からオホーツク海沿岸にオホーツク文化が浸透。フゴッペや手宮の刻画もこの頃のもの。

5世紀 集落が海岸沿いから内陸河川周辺に移る。サケの捕獲が生活の主体となる。海を越えてやってきたオホーツク人(粛慎)に海岸地帯を奪われたためかもしれない。

農耕(米作りを含め)が発達しなかったのは、「気候のためだけではなく、サケがあれば百姓などする必要がなかったからだ」、という意見もある。

5 - 6世紀 本州より土師器文化が進出。これが江別式土器と接触する中で北大式土器が出現。

紀元600年ころ 続縄文時代が終わり擦文時代に入る。



時代区分というのは、どうしても先学の基準に従わざるを得ず、無批判に受け入れがちだ。しかしある程度素養を積んでくると、やはりムラムラと反骨心が湧いてくる。やはり根っからのへそ曲がりなのであろう。

縄文→弥生は良いとして古墳時代という時代区分が適切かどうかは以前から疑問に思っていた。そもそも両者を分けるカテゴリーがまったく異種なのが胡散臭い。さらにそれが飛鳥・奈良時代という首都による政治区分になっていくのは、ものさしとしての意味を根本的に疑わせる。尺貫法とメーとる法を混用するがごときである。

まあこれは言葉の問題だが、私は歴史的観点の延長から先史時代も区分すべきだと考えている。つまり人間社会の有機的構成の高度化を尺度に考えるべきだと思う。これはマルクス主義でも唯物史観でもなく、人類史として考える以上当たり前の話である。そのうえで、具体的な手がかりとなる考古学的遺物から、もっとも歴史区分を反映するものを取捨選択して、それを時代のマイルストーンとして採用すべきではないかと考える。

その意味ではトムソンの旧石器・新石器・青銅器・鉄器という区分は発想としては的確なものだと考える。しかし、そのことがトムソン分類の妥当性を支持するわけではない。



私は、人間が生き延びることができるようになった三大発明というものを想定する。それは水の利用手段、火の利用手段、そして狩りの手段である。

この3つを確保することによって、しかも集団として具備することによって、人間は他の動物に対する優位性と相対的安定を獲得できるようになった。

おそらくこれが石器時代という時代の本質的特徴なのだろう。そして3つの生活手段が多様化することで人類社会は飛躍的に発展していくことになる。

ではそれぞれについて見ていくこととしよう。

水の利用というのは貯水と運搬、そして利水(農耕)に尽きる。それについて画期となるのはツボ・カメの使用と灌漑設備だ。前者は縄文式土器と水田耕作を重要なエポックとして押し出すことになる。

火の利用というのは着火や炉の作成などの安定化技術、調理による食材の多様化、金属の精錬技術などが挙げられる。

狩りの手段は実に多様だ。だからたぶん時代区分のメルクマールにはならないだろう。中では鉄が大きな変化をもたらしたものである。狩りは農耕の発達により一旦傍流の活動となるが、その後“マンハント”、すなわち戦争が人間社会のルーチンとなるに従い巨大な発展を遂げていく。火薬の発明、飛行機の発明、核兵器の発明は人類の大量殺戮史の分岐点となっていくだろう。しかし古代の世界ではとりあえず置いといてよい。

新たな時代区分の提唱

もちろん誰も聞いてくれないことを承知の上で、言っておきたい。

まず石器時代だが、これは厳密には無土器時代というべきであろう。これに対抗するのが縄文時代だ。縄文時代も旧石器時代であることは間違いない。中国の長江文明も最後まで石器時代の基盤の上に成立していた。しかし、そのことにどれほどの意味があるのだろうか。

こうして1万年ほど前から土器時代が始まる。これにより旧石器人の生活は飛躍的に発展し、縄文人が形成される。これを縄文時代ということは妥当である。であれば、それとの対比として無土器時代を「旧」石器時代と言うことは、悪くはない。

これについで主要な社会変化をもたらしたのは、農耕文明への移行であろう。これをどう画期として位置づけるかは難しい。難しいから弥生時代としてしまう。これは便宜的であるが有効な設定だと思う。

ただ、これは縄文後期における雑穀栽培の意義を過小評価している可能性がある。稲作のみが農耕ではないことに強く留意すべきであろう。夏・殷・周の中国文明は稲作なしに出現している。それは弥生時代の到来のはるか前のことである。

これ以降には技術学的な画期は、あまり目立たない。明治維新まで、ある意味では万世一系の世界が続いているとも言える。

ただし中国を見ると、大きな変化が矢継ぎ早にあって、それに伴って社会のあり方が何度も根本的変容を受けている。

それが紀元前3千年の小麦栽培、紀元前2千年の青銅器、そして紀元前1.5千年の鉄器である。いずれも内発的、自生的な技術ではなく、おそらくは新疆 回廊を通じたメソポタミアからの流入である。

これらのうち鉄器のみが日本に社会変動の要因をもたらしている。だから弥生時代をベタで描くことは納得出来ないのだ。

その画期がいつ頃なのかよく知らないが、政治状況や戦争(大量殺戮)の発生などを考えると紀元前後のことではないかと推量している。

私は紀元550年頃、倭国滅亡と蘇我氏の全権掌握まで続くその時代を「大乱時代」、あるいはいっそ「倭王朝時代」と呼びたいと思う。

以上をまとめるとこうなる。()内が通称である。

1.無土器時代(旧石器時代)

2.土器時代(縄文時代)

3.稲作時代(弥生時代)

4.鉄器時代(大乱時代)

* 新石器時代は日本では存在しない。稲作時代の後半に青銅器(銅鐸など)が入ってきたが実用性はなかった。


私の「相続」奮戦記 2

死後手続き・相続の体験を綴る

以下は心覚えのための記録であり、ひと様に見せるようなものではないが、ひょっとして参考になるかも知れないので載せることにする。

3.闘いの幕が切って落とされた

5月7日火曜日、長いGWが明け、いよいよ戦闘開始だ。

とにかく何から何まで連休明けに集中しているから大変なことになっている。区役所には8時半についたが、そもそも駐車場が空き待ちの長蛇の列。

基本的には急ぎの仕事が3つある。健康保険と介護保険の解約が一つ、つぎに年金の解約が一つ、そしてもう一つが電話の名義変更だ。

水道・ガス・電気等は最初から私の名義だから良いのだが、その他については遅れれば違約金とか罰金とか下手すれば電話が止まってしまう。

4.医療・介護保険関連の解約手続き

健康保険の手続きは意外に煩雑だったが、これは当方の事情によるものであった。つまり1ヶ月前の3月31日に健康保険の任意継続が切れて、国保に切り替えたばかりだったのである。

4月のはじめに健康保険の事務所に行って解約手続きをして、今度は区役所で国保加入の申請をした。たしか銀行振込にするために銀行にも行って、なにか書類を書いた記憶がある。

そうして2週間ほどしてから新しい国民健康保険の保険証と高齢者医療のカードが送られてきた。その直後の死亡だった。「もうちょっとどちらかがずれてくれればよかったのに」と思ったが、「まぁその分だけ長生きしたのだから良しとしなければ」と納得させた。

意外にも、この手続は、基本的には区役所の窓口ですべて解決した。保険証と死亡届を提出し、1時間ほどで銀行の引き落とし口座を閉じてもらうための手続きが完了した。

続いてが介護保険の解約。介護保険には家族とかいうのはなくてみんな保険本人だ。したがって私の分離して保険料を変更してなどという手続きは必要ない。国民健康保険の隣の窓口で簡単に手続きを終了した。

ただし介護保険の給付に絡んでの自己負担、実費負担はたくさんある。それらはすべて銀行口座から引き落とされているのだが、在宅サービスだけで4,5ヶ所の会社が絡んでいる。こちらは基本的にケアマネのところで終了手続きをすることになっていて、私が関わる必要はない。

のだが、妻の銀行口座が閉鎖されると、その分が一斉に請求書の山となって押し寄せてくる。それは一つ一つ対応する以外にないのだ。

医療・介護保険の他に、それに追加して特定疾患の指定取り消しと身体障害者指定取り消しもある。前者は区役所隣の保健センターが窓口、後者は区役所2階の福祉課が取扱部署となる。

それぞれで返納手続きをしなければならない。ただしこの2つは、悪用さえしなければ、特に何もしなくても自然消滅するらしい。身障者に配布される「おむつチケット」はやかましくチェックされる。

なお葬祭料補助というのがあって、これは国保の一環とされているようだ。面倒ではあるが3万円もらえるようなので、一応手続きはしておいた。会葬御礼のはがきがあればよい。

しかし、今から考えれば、ここまでは最初のジャブに過ぎなかった。

BSドキュメンタリー「偽りの後見人」がすごい。
見ていてふとハメットの「血の収穫」を思い出した。「悪」が10階建てで積み上がっている。
最初にこの壁を見せられたら絶望するしかない。しかしこの絶望の城壁を、人々は「絶望しながら」登っていくのだ。
まさにハードボイルドだ。大変に塩っ辛いが、リアルで、したがって感動的だ。
いまならまだネットで全編閲覧可能なので、ぜひご覧頂きたい。

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死後手続き・相続の体験を綴る

以下は心覚えのための記録であり、ひと様に見せるようなものではないが、ひょっとして参考になるかも知れないので載せることにする。

1.妻の死から葬式まで

4月27日の夜、妻の容態が急変して救急車で病院に向かったが、間もなく死を告げられた。

年齢的にはまだ若かった。だが、多系統萎縮症という病期の性格上、これから先は生きていても苦しいだけで、病期的には頃合いであったかも知れない。

飲み友達の青山君に連絡して、葬儀社への連絡を頼んだ。それから出入りのヘルパーさんの土田さんに身の回りの処理を頼んだ。

青山さんが知り合いの葬儀屋さんに連絡をとってくれ、30分ほどで霊柩車がやってきてくれた。

じつはこの葬儀屋さん、種市さんという。バリバリの活動家で、私自身も顔見知りの「民主的な葬儀屋さん」である。いわば民医連の葬儀屋版ということで、テレビドラマになってもおかしくないような立派な筋の通った営業をしている。

それはそれとして…
いまや「一人暮らし老人」となった私が自宅に妻を連れて帰ってもどうしようもないので、葬儀屋さんに一泊させてもらうことにした。

とりあえず遺体を広間に安置した後、葬式の段取りの相談が始まった。式は家族葬、無宗教というところまではスラスラと行ったが、お悔やみ欄に載せるかどうかが思案どころとなった。結局載せてもらうことにした。

今考えると、お悔やみ欄に載せたら家族葬ではないのだ。じゃあどちらにすべきだったのかと考えると、やはり載せて正解だったと思う。

80,90の婆さんならそれで良いが、69歳という齢ではまだ娑婆に色気もある。友達の何人かにも来てもらいたかろう。

それは家族葬ではなく、ただのお葬式だ。それでいいのだと納得した。葬儀屋の種市さんも飲み友の青山さんも「ウンウン」とうなずいた。

2.序盤戦の開始

翌30日(日曜日)は友引で、通夜と葬式が1日づつ後ろにずれた。別に占いを信じるわけではないのだが、焼き場の関係でそうせざるをえないのだ。実のところ、これは私にとってはありがたかった。

なにせ土曜の夜中の急死で、しかも未だかつてないという長期連休の初日であるから、お役所関係は全てストップだ。ということは葬式以外の仕事はできないということだ。

現金はなぜかあった。たまたま、まったく無関係のことで150万ほど引き出していたからだ。これも今から考えると不思議な事で、カミさんの所業ではないかと考えている。

葬儀屋の費用は170万円。不足分は後日払込となった。無宗教だと安い。戒名もお経もいらない。ムダに頭を下げる作業も省略できる。

偲ぶ会は私が病状経過を報告して、私の選んだ写真をストリーミングで流した。15分の長さで、その間ロシアのショパンたちのピアノ曲を流した。写真はダブリがあったり大きさが不揃いだったり、手作り感というかでっち上げ感たっぷりだった。

弔電を紹介し、後は全員に一輪づつお花を捧げてもらい終了。全部で30分だが、十分だった。後で皆さんに良かったと褒められた。

ただし写真の選択とスライド化は私にしかできないので、きわめてタイトな仕事となった。私がそれにかかりっきりになったのだが、青山さんが受付を、土田さんが接待を仕切ってくれてまことにありがたかった。

3.最初にして最大の教訓…日記をつけること

死亡日がGWの幕開けということと、そのGWが史上空前の長期に渡るということで、ポッカリと空白が生まれた。

29,30日で葬式が終わり、妹家族と息子家族で8人が寝起きした我が家は、5月3日には私一人となった。正確には骨と遺影があるが、これをボデーカウントするとかえって気持ち悪い。

仮設祭壇は花で埋まり、ユリの匂いが殊の外辛い。

恒例のメーデー集会、憲法記念日集会も今年は面倒だ。本屋で「死後のしごと」という新書を買って読んで暮らしていた。

その時愕然としたのだが、業務量の煩雑さと膨大さは半端ではない。本を読もうとするのだが、活字が頭の中に入ることを拒否する。目は活字の上を泳いでいる、本はボールペンの赤線で埋まっていく、しかし脳は反応しない。

このぐーたら脳にやるべき仕事を押し込むためには、音読し、書写し、ポイントとなる事実に番号を割り振るしかない。

ことの大変さに気づいた私は、ノートに書き出すことにした。今考えるとこれがどれほど身を助けたかしれない。

メモ帳では絶対に足りない。ノートは開いたら左側から書き始めなければならない。片面では足りず見開きにしなければならないことが多いからだ。

左側には問題リストを書き出す。書類や名刺、連絡先、メモ紙を貼り付ける。貼るのは便利だし、後々かならず役に立つが、貼るだけでは頭には入らない。その貼ったものが何なのか、どんな意味を持つのかを右側に手書きする。一つの資料には必ず2つ、3つの意味があるのだ。

どんなに整理された文章であっても、それはあくまで文章である。最終的にはそれを片手に現実にぶつかっていく他ないのである。その決意を育てるための文章化なのだ。

両替商(覚え書き)

室町時代末期 両替商の前身が登場する。替銭屋(かえせん)、割符屋(さいふ)などと呼ばれた。

替銭・割符は、銭の代用の役割を果たした手形・証文のこと。対象が米の場合は替米(かえまい)と呼ぶ。後に出現する為替に対し、その先駆的な役割を果たした。

土倉(どそう)は、物品を質草として担保とし、担保に相当する金額の金銭を高利で貸与した。

金山および銀山では、山師の持ち込む金銀地金の精錬、鑑定および売買を行う金屋および銀屋が出現し、金融業務を行った。

1601年(慶長6年)徳川家康、金座および銀座を設立し、慶長小判および慶長丁銀を鋳造させる。

1609年(慶長14年) 幕府は三貨の相場を定める。金一両が銀五十匁とされる。金、銀、銭(銅)の三貨制度が確立。

銭1千文を1貫文という。これが4貫あると金1両、銀50匁となる。ただし交換比率には相当の変動幅があり、時代が降るにつれ銭の価値は下がっていく。

三貨制度のもとで、手数料を徴収して両替を行う商売が登場。

両替商の中から本両替が派生する。金銀両替を中心に、為替、預金、貸付、手形の発行など広範な業務を担った。公金取扱業務にあたるものもあった。

一方、これまでの庶民金融にとどまったものは、脇両替(わきりょうがえ)と呼ばれるようになった。

江戸、大坂、京都の3都の両替商集団が頭角を現す。本両替の多くは大坂に本店を置いた。江戸は脇両替(銭屋)が多かった。

1662年(寛文2年) 大坂町奉行により、天王寺屋五兵衛ら3名が正式に幕府御用を任命される。

1670年 大阪の幕府御用商が増え、「十人両替仲間」を形成する。

1700年(元禄13年) 金一両が銀六十匁となる。ただし一般商取引では変動相場となる。

ここまで調べてきて、どうも三井というのは、江戸幕府が大阪に送り込んだ金融界の尖兵ではないかという感じもする。
その際、斬り込みにあたって、為替制度というのがどのような役割を果たしたのか、もう少し調べてみなくてはならないようだ。

同じサイトの別記事で、「三井の歴史 暖簾印を定め、両替商へ進出」というのがあり、ここに京都進出の経緯が比較的詳しく紹介されている。
しかしなぜか読みにくい内容だ。

少し解説もつけながら紹介する。

1683年、高利が両替業に進出した。

1686年には、京都にも両替店を開いた。

ここからが大事なところだが、
高利は両替店を活用した為替でも商才を発揮、江戸・大阪間に為替業務を開設し、幕府の御用為替方となる。
と書かれている。しかし「両替店を活用した為替」とは何なのかわからない。そもそも両替業とはどんな商売なのだろうか。

為替業が「江戸・大阪間」に限定される形で展開されたこと、為替業者間の競争に江戸の商人が勝利した理由、「幕府の御用為替方」という肩書きがどんな意味を持つのかもわからない。

とりあえず読み進めよう。

1.上方は銀建て、江戸は金建てであったので、仕入れが行われる上方へその代金を送金する江戸では、貨幣相場や為替の動きを注視する必要があった。

ということで、「財」に3つの形態があることがわかる。すなわち米、金、銀である。これらは相互に交換されなければならないが、それは商品取引ではなく「財」同士の取引だから「両替」ということになる。

2.幕府は西日本の直轄領から取れる年貢米や重要産物を大阪で販売して現金に換え、それを江戸へ現金輸送していた。

この仕掛けには3つの無駄がある。コメを大阪で販売するための流通コスト、銀を金に交換する両替コスト、さらに金を江戸に運ぶコストである。

為替業者が間に入ると、第2、第3のコストは消失する。業者の為替手形が決済手段となり「仮想通貨」の役割を果たすからだ。

3.高利は幕府に為替の仕組みを献策した。幕府は大阪御金蔵銀御為替御用を命じた。

それがいかに良案としても、そこには権威と規模(手形の流通量)が必要だ。幕府はそれを勘案して三井に丸投げしたということになる。

4.三井両替店は大阪に江戸両替店を出店させ、幕府の為替御用方としての地位を確立。

こうして事業を成功させた高利は、65歳になって京都へ居を移し、8年後に没した。

彼にとって江戸は勝負の場所であったが、人生双六のあがりは「京」でなくてはならなかったのだろう。

これが、京都と三井をつなげる「絆」である。高利の思いは思いとして、京都の町衆が高利を仲間として受け入れていたかどうか、いささか疑問の残るところではある。

ということで「三井は京都を本拠としていた」というのはほぼウソ。功成り名遂げた三井家の始祖が晩年を過ごした隠居所くらいのところであろう。ただその子孫が京都をフランチャイズにした可能性は否定できないが…

両替の歴史、金本位と銀本位の並立、江戸と大阪の交通・運輸についてはいずれまた調べたいと思う。

テレビで祇園祭の山鉾について特集番組を組んでいた。
見ていて気になったのが、「三井は京都を本拠としていた」という話。
私の記憶では松阪出身の三井某が江戸に出て、「越後屋」の屋号で商売を始めたという話だったように思う。
それが掛売りなし、正札売りのやり方で成功したというような話だったように思う。
ただこれは三井本人の宣伝の匂いもしていて、やはり金貸しが本業ではなかったのか、着物の商いは金貸しという後ろ暗い商売を隠すカモフラージュではなかったのか、とも感じている。
もうひとつは、これは京・大阪の資本に対抗する江戸資本の代表ではないのかという印象もあった。
それが京都を代表する大店と言われると、ずいぶん話が変わってくる。
本当のところはどうなのか? ひょっとして三井自身の宣伝に騙されているのではないか?
少し調べてみることにした。

まずは「三井広報委員会」のサイトから「三井の年表」を探した。

江戸時代初期 三井高俊(三井高利の父)が妻・殊法と松阪で酒・味噌などの商いを始める

元和8年(1622) 三井家の家祖・三井高利誕生

寛永12年(1635) 高利、14歳で松阪を出立、長兄の店に奉公する

慶安2年(1649) 母・殊法の孝養のため松阪に帰郷

延宝元年(1673) 52歳で江戸本町1丁目に三井越後屋呉服店を開く

天和3年(1683) 本町1丁目店を駿河町南側へ移し、その隣に両替店を新設

元禄7年(1694) 高利、73歳で没

宝永7年(1710) 長男・高平が事業統括機関・大元方を設置

書いてあることは簡単。

1.戦国時代末期、三井則兵衛高俊という人物がいた。
彼は武士を捨て町人となり、松阪で質屋や酒・味噌の商いを始めた。俗に言う「伊勢商人」のひとつである。
この店は高俊の父・高安の官位が越後守だったことから「越後殿の酒屋」と呼ばれる。
武士の子である高俊は商いに関心が薄く、家業は実質的に妻の殊法が取り仕切っていた。

2.長男・俊次は早くから江戸へ出て本町4丁目に小間物屋を開店。後に呉服業も手掛けるようになった。4男にあたる高利も、14歳で江戸の店に出て奉公した。

3.高利は故あって松坂に戻るが、52歳で江戸に出て三井越後屋呉服店を開いた。兄の店に対し分家筋ということになる。店は成功し経営は発展。やがてその長男が持株会社を創設し「三井家」を名乗ることになる。

本家筋がどうなったのか、京都の話はどこにいったのか、皆目わからない。

なお越後屋は明治のはじめに独立し、明治26年にはいったん三井呉服店を名乗るが、明治37年に三越百貨店と改称する。ようするに「三越」というのは、このときに三井と越後の頭文字をくっつけたものなのだ。

ここまでが予告編。2つの謎は次回に。

NHKニュースで沖縄慰霊祭での山内玲奈さんの詩の朗読を報道していました。
「平和の詩」と題された詩の一部だが、見事に要点を外した切り取り(編集)でした。

平和の詩「本当の幸せ」全文および動画は、下記リンクでご覧になれます。


またこの特集と並行して【沖縄戦の写真特集】も組まれています。
戦死した日本の従軍看護婦とみられる女性」の写真は、「モノ」化された10万の生命の象徴です。決して目を逸らせてはいけない「事実」だと思います。

この日、平和への思いを新たにしたいものです。

赤旗の記事で初めて知ったのだが、
投資ファンドのうち最大手のバンガード・グループはアップル、フェイスブック、アルファベットの筆頭株主となっている。
このバンガードにブラックロック、ステート・ストリートを加えた3社が世界の株式市場を席捲している。
のだそうだ。
初耳だったので調べなければとは思ったが、ついそのままにしていた。
そんなとき「資産運用3巨人」という言葉が日経新聞に載っていたのを発見した。


どうも赤旗記事はこの日経記事の引用のような気がする。とりあえず以下にその要約を載せる。

資産運用の御三家

バンガード、ブラックロック、ステート・ストリートの3社が御三家と呼ばれる。3社の株式運用額は約8兆8千億ドル(990兆円)。これは世界の時価総額(9月末)の10.4%に当たる。

東証1部の最近の時価総額が約600兆円に過ぎないことを考えれば、それがいかに凄まじい額であるかはよく分かる。

sankyotou

たとえいかに控えめな投資家であったとしても、議決権を通じた社会への影響力はもはや無視できない。

インデックス運用 投資方式の特徴
これらの投資会社は、米S&P500や日経平均株価など株価指数に連動するインデックス運用を主力としている。
のが共通の特徴なのだそうだ。

インデックス運用はコストが安いらしい。
例えばトップのバンガード社には「トータル・ストック・マーケットETF」という商品がある。
これは米国株に分散投資する一種の投資信託なのだが、その経費率が年0.04%。つまり100万円投資して、投資家が負担するコストは400円だけ。

と言われてもよくわからない。

一応、インデックス運用をめぐる最近の動きについて引用しておく。
世界の運用資産に占めるインデックス運用の比率は現在17%前後。これが25年には25%まで高まる見通しだ。
コストの最少化を目指すインデックス運用は投資先数の割にアナリストの数が限られるが、新しい運用も登場し、伝統的運用の領域を侵そうとしている。

もの申すファンド

2017年、石油大手の株主総会で異変が起きた。「カリフォルニア州職員退職年金基金」が気候変動に関する対応を求めた。
これに御三家の一つブラックロックが乗った。「企業の長期安定成長を目指し、健全な経営を働きかける」というのがその意向だった。
なぜなら最良のインデックス運用には、企業の誠実な株主対応が不可欠と考えたからだ。
こうして株主提案が続々と可決された。

運用大手三社

ほかにも、ステート・ストリートが「日本企業に女性取締役の登用をもとめる」と発表している。

それが意味するのは、単純な環境とかフェミニズムの問題ではなさそうだ。これはコーポレートガバナンスが空洞化し、ファンドが企業を支配する時代の始まりなのかも知れない。

5Gをめぐる争い  

夏目啓二さんの連載記事の最終回。5Gとファーウェイの話が中心となる。
この辺はほかの記事でも明らかにされていることが多く、新味はないが、よくまとめられているので転載させてもらう。

現状

5Gの通信規格は現行システムの100倍の通信速度を持つ。

この分野でファーウェイが世界をリードしており、世界を支配する可能性がある。

昨年8月、トランプ政権は国防権限法を制定し、政府機関でのファーウェイ製品の使用を禁止した。
さらに同盟国に対してもファーウェイの5G製品を使用しないよう求めた。

ここまでは周知の事実である。

各界の反応

EU

今年3月、欧州委員会は5Gについて協議した。その結果、米国とは一線を画し、ファーウェイ排除を見送った。

西側諸国

日・豪政府は米国に追従。英・独は目下のところ同調せず。

制裁の効果

18年度、ファーウェイは基地局の売上シェアを2%減らし、トップの座を譲った。ライバル社のエリクソン(スエーデン)が僅差でトップとなった。

しかしファーウェイは欧州・中東・アフリカ・アジア太平洋で以前トップの座にあり、しかもシェアを拡大している。

総じて制裁効果は著明とは言えない。

追加制裁

5月15日、米商務省は強力な措置を打ち出した。ファーウェイとの取引の禁止である。

これは昔のココムと同じ思想だ。政府機関ではなくすべての商取引を一網打尽とするものだ。当然同盟国へも同様の措置をもとめて圧力をかけてくると見られる。

特に後者の影響は深刻なものとなる可能性がある。

ファーウェイの年間海外調達額は670億ドルで、この内100億ドルが米国からの調達である。

100億ドルという額は必ずしも大きくはないし、他国への切り替えも不可能ではない。しかし中核的な部品、スマホの基本OSは、グーグルなど米企業の独占となっているもの多い。

これに加え、部品調達の6割を占める東アジア諸国が米国との同盟関係を重視するとなれば、影響は極めて深刻なものとなる。



ここまでが、記事の要約です。

米中摩擦の技術学的背景を知るにはたいへん役に立つ資料だと思います。

ただ、この米中摩擦がどうなるかという問題は、結局は米政府内における政治意思決定過程の問題です。それは短期的には米国の政治的力関係・景気動向に左右されると思われるので、そのへんの分析が大事になっているのだろうと思います。

具体的には大統領選挙に向けた支配層の動き、とりわけトランプ陣営、軍産複合体と並んで政治支配力を持つ金融ファンド(ウォール街)の動きが注目されるのではないでしょうか。

5Gとファーウェイ

米中摩擦の技術的背景ー中国はどこまで追い上げたか

GAFAの背後に三大資産運用ファンド

米中摩擦の技術的背景ー中国はどこまで追い上げたか

夏目さんの連載記事は本日が(中)で、3回続くことがわかった。

それで本日の話は、ハイテク面での米中摩擦がどういう局面にあるのかという話。ぶっちゃけていえば、中国のハイテクがいかにすごいのかという話だ。

それはそれで面白いのだが、この連載の主題とは少しずれた話になる。

そのことを承知した上で、話を拝聴することとする。

1.ハイテク企業の3つの分野

この記事はスクラップ・ブック並みにファクトがギチギチと詰め込まれている。これを解凍して読みやすくしようとすると、元記事の3倍位に膨らんでしまうだろう。

米中ハイテク産業の比較話に入る前に、私なりに情報を整理しておきたい。

一言でGAFAというが、業態はかなり違っている。

正確な意味でプラットフォームと呼ばれるのは、グーグルとファイスブックだろう。
グーグルは検索エンジンから始まって、アンドロイドでスマートフォンのOSを握り、クロムでメインブラウザーの地位を獲得した。しかしその圧倒的強さは検索エンジンに由来している。ブラウザーの地位は必ずしも強固とは言えない。

これに対し、アマゾンはネット通販会社であり、販売方式の斬新さによりトップの地位を獲得したが、この世界の競争は並み大抵でなく激烈である。

アップルは携帯電話(スマートフォン)で成功したハードウェアメーカーであり、技術的な優秀さよりはアイデアの斬新さとスマートさに成功の要因がある。

このように、ハイテク企業と言っても中身はものづくり、販売、「狭義のプラットフォーム」提供という3つの分野に分けられるだろう。

それぞれで米中の力関係がどうなっているのか、というより中国が如何にGAFAを追い上げているのかを見ていく必要がある。
この記事ではハードウェアに焦点が当てられ、アップルの例が取り上げられている。

2.アップルのライバルたち

4大企業がアップルとライバル関係にある。すなわちファーウェイ、オッポ、ビボ、シャオミである。

10年前、アップルは中国市場で販売1位だった。現在は5位に転落している。

フラッグシップ会社のファーウェイは、スマートフォン販売でアップルを追い越し、世界2位となった(1位はサムスン)。

3.中国企業の4大成長センター

中国には先端企業の集中する成長拠点が4つある。
北京: ハイテク系企業センター
上海: 金融系センター
深圳: スマートフォンなど製造系センター
杭州 : 電子商取引(EC)系センター

深圳のリーダーがファーウェイであるのに対し、杭州 ではアリババ集団が本拠を構える。

4.シリコンバレーと珠江デルタ

広東省の朱江河口域は多くのハードウェア系のスタートアップ企業がひしめいている。企業価値が10億ドルをこすユニコーンはこの3年間に3倍化し、70社に達している。(米国は120社)

とくに深圳市にはファーウェイ、ZTE、トランションが本拠を置き、地域に技術・ノウハウを蓄積している。

5.中国(アジア)先端企業とファンドの投資

2018年度の全世界における投資額は553億ドルであった。このうち54%がアジア太平洋地域へと投資された。これは米国をふくむ北米地域の2倍に当たる。

どこから?

米国のカーライル社がアジアファンドを立ち上げ65億ドルを集めた。ブラックストーン・グループも94億ドルを集めたと言われる。

シンガポールやマレーシアの政府系投資会社、カナダの年金投資委員会も活発に動いている。

どこへ?

アジアの企業別投資額の上位3位は中国が独占している。
1位: アリババ集団の金融部門を受け持つアント・フィナンシャルへ140億ドル
2位: 検索エンジンのバイドゥの金融部門へ43億ドル
3位: ネット金融サービスのルーコムへ13億ドル

となっている。

とりとめのないまとめになってしまったが、時間があれば別資料で補完していきたい。


米中摩擦の技術的背景ー中国はどこまで追い上げたか

GAFAの背後に三大資産運用ファンド

赤旗経済面で注目すべき連載が始まった。
「米中デジタル競争」という題名で、寄稿者は愛知東邦大学教授の夏目啓二さん。本日は(上)でありこの後下になるのか中・下と続くかはわからない。

いづれにしてもインタビューでなく寄稿ということなので、相当力の入った記事であることは間違いない。

本日の見出しは「GAFAの支配と動揺」となっている。「支配」だけでなく「支配と動揺」というのが気に入った。

以下、要旨を紹介していく。

1.はじめに

GAFAはデジタル多国籍企業である。
それは世界のデジタル産業を支配している。
GAFAこそ現代世界経済の支配者である。

GAFAの2つの特徴として、①顧客の囲い込みによる利得拡大、②投資ファンドとの結合が挙げられる。

2.囲い込みで巨利

GAFAはプラットフォーマーと総称され、膨大な顧客を囲い込むことで、巨額な利益と高い利益率を確保する。

GAFAはいづれもデジテル技術開発により規模を拡大した後、投資ファンドの注目をあびるようになった。その後、新規株式公開(IPO)を利用して資本を調達して一気に巨大化をなしとげた。

これにより新たに巨大な顧客集団が創出され、高い売上対利益率をもたらす。

こうしてGAFA経営者と投資ファンドは、高利益率と高株価を一手におさめる一握りの独占者となる。

3.投資ファンドとの結合

投資ファンドはGAFA株の時価が押し上げられることで、さらなる投資家を引きつけるようになった。

新興プラットフォーマーはスタートアップ(二軍)と呼ばれる未公開企業からスタートする。

そのうちIPOにあと一歩というめぼしい企業はユニコーン(次世代GAFA)と呼ばれ、投資ファンドはテコ入れの機会をうかがっている。

投資ファンドはプラットフォーマーに対して、一種のパトロンとしての力を急速に獲得しつつある。

4.投資ファンドの実体

投資ファンドのうち最大手のバンガード・グループはアップル、フェイスブック、アルファベットの筆頭株主となっている。

このバンガードにブラックロック、ステート・ストリートを加えた3社が世界の株式市場を席捲している。

彼らの持ち株総額は990兆円と言われ、そのうち500兆円をGAFAへの投資が占めている。

ここに今日の世界的な所得格差と資産格差の実態が厳然と示されている。

5.GAFAのゆらぎ、それをもたらしたもの

この強固な覇者連合のうち、GAFAの側に揺らぎが出ている。ここに現在の経済覇権をめぐる混乱の原因がある。

GAFAの18年通年利益(税引前)は合計で約15兆円だった。しかし売り上げ対利益率は6年前に26%だったのが20%にまで低下している。
この低下傾向はかなり確実な傾向(超過利潤の低下)であり、GAFAによる世界経済支配が揺らぎつつある兆候である。

「利潤率の低下傾向」は一般的なものであるが、直接的には強力なライバルの出現によりもたらされる。

それは具体的には中国のプラットフォーマーである。彼らはGAFAに倣ってBATHと呼ばれる。
すなわち、バイドゥ(百度)・アリババ・テンセント・ファーウェイの4企業である。


ヘーゲルの政治経済学の研究 

これは「現代倫理の危機」 牧野広義、藤井政則、尼寺義弘 (文理閣2007年)
の第8章 「ヘーゲルの政治経済学の研究」(尼寺義弘)の読書ノートである。



諸欲求とこれら諸欲求の満足はいかにして実現されるか。それらを律する諸法則とは?

Ⅰ.欲求・労働・享受の理論

労働は土地(自然)と並んで、市民社会の富の源泉である。それは古典経済学の中心概念である。

ホッブス
コモンウェルスの栄養は、生活諸素材の豊かさと分配にある。それらは労働によって生産され加工され輸送され分配される。
神は生活諸資材を惜しみなく与えているのでそれを受け取るために労働と勤勉以外のものは不要である。

ヒューム
この世のものはすべて労働によって取得される。そのような労働の唯一の原因は私たちの情念である。

アダム・スミス
労働はあらゆる事物に対して支払われた最初の「本源的な貨幣」だった。あらゆる富が最初に取得されたのは、金や銀によってではなく労働によってであった。

ヘーゲル
労働は自然が提供する素材を、多様な過程(手段)を通して「特殊化」する。
労働の過程(手段)が多様なのは、特殊化への動機が多様だからである。
この「特殊化」に当たり、労働の過程(手段)には合目的性と価値が付与される。
このとき同時に、(生活の)素材は、主として人間の生産物から構成される素材となる。(法の哲学 第196節)

ヘーゲルはイギリスの政治経済学を取り入れた最初の(ドイツ古典)哲学者であった。
彼の最大の理論的功績は、欲求、労働(生産)、享受(充足)の連関を社会の根本的な連関として剔出したことにある。すなわち人間(諸個人)は欲し、労働し、労働することで享受するのである。

欲求・労働・享受という3つの行動は、主体的・人間的な実践である。
そこでは労働(人間的諸力の発揮)は普遍的契機であり、享受は個別的契機であり、欲求は特殊的契機を形成する。
労働は欲求により具体性を与えられる。労働は欲求と享受という個別行為を全体へと結びつける媒辞となる。

Ⅱ.直観と概念

ほとんどがむだ話。省略。

Ⅲ.道具と機械

…分業が発展すると、労働のスタイルも大きく変化する。

対象に全体として立ち向かっていた労働が分割され、個別労働となり、それらの諸労働は多様性を剥奪される。

かくして労働はより普遍的なものとなり、それと同時に全体性に対し疎遠なものとなる。そしてますます機械的なものとなる。

機械的労働のさらなる機械化は、労働を多様性のないまったく量的なものにする。それは将来的には、労働を機械に置き換え、労働者を分離するだろう。

同時に、労働過程の全体概念が主体の外部に定立されることによって、「道具は機械へと移行する」のである。

この機械化は人間の解放を可能とする基礎をふくんでいる。

これに対し、アダム・スミスはもう少しリアル(悲観的)な見方をしている。

分業は知的な、社会的な、軍事的な美徳を破壊する危険がある。これを防ぐには政府が何らかの労をとる必要があるし、「民衆の教育」が必要となってくる。

Ⅳ.全面的依存の体系

アダム・スミス
分業社会が確立されると、人々は欲望の大部分を交換活動によって満たすことになる。社会は商業社会となる。
商業社会は全面的依存の体系として成立する。そこではすべての個人が市民社会の一員として、「私的人格」を身にまとって行動する。
彼らは互いに無関心で利己的に振る舞っている。

しかし社会には一定の規則があり、経済的な「掟」として諸個人を縛っている。

市民社会の掟

① 市場の掟

剰余生産物の所有者はそれを貨幣化しようとして市場におもむく。しかしこの剰余が販売できる保証はない。
彼の運命は「無縁な力」に依存している。それは剰余物の価値、すなわち総欲求と総剰余の相対関係である。

② 自然価格と市場価格

この点について、アダム・スミスは揺れ動く市場価格の基盤に、しっかりとした自然価格というものを想定する。これが「見えざる手」の実体的な基礎となる。
自然価格は市場価格を通じて発現する。すなわち諸欲求とその充足との「無意識的で盲目的な全体」として現象する。
ヘーゲルはさらに議論を進め、自然価格が剰余の普遍的な性質に媒介されたものであり、かなりの程度で実定可能だと主張する。

普遍的なものはこの「無意識的で盲目的な運命」を把握し統制できるはずであり、そうすべきであると考える。
そして、より積極的に政府が介入すべきだと主張する。

③ 価値と価格、そして貨幣

市民社会において占有は所有となる。社会により財産の神聖不可侵が保証されて、初めて真の「市場」は成立する。

所有権という権利がもののうちに反映されると、物は他の物との間に「同等性」という性質を獲得する。これが「価値」である。

これに対し、所有権を介さない経験的な同等性は「価格」として示される。

市場に持ち込まれた「剰余」は、その所有者を通じて、すべての剰余への可能的な享受と向き合う。
それは市場において、普遍的な欲求の一形態として立ち現れ、貨幣と呼ばれる。

貨幣はそれ自身が必需品であると同時に、すべての必需品の抽象態であり、媒介である。
貨幣の媒介作用を基礎にして商業活動が成立する。

貨幣は普遍的な交換能力であり、その普遍性は「労働の普遍性」に基づいている。したがって貨幣は「労働の媒辞」であり、たんなる一般的な交換手段ではない。


この際、高齢者ドライバーの一人としてはっきり言わせてもらう。
事故の本質は「高齢者事故」ではなく、「自動車の暴走事故」だ!
1.高齢者事故の原因はブレーキとアクセルの踏み間違いではない!
2.事故の原因はブレーキをかけることができなかったためだ!
この2つは明らかに違う。1.の場合はドライバーの責任だ。しかし2.の場合は自動車の欠陥による。すなわちメーカーの責任だ。

以前、車には3つのブレーキがあった。
AフットブレーキとBエンジンブレーキとCハンドブレーキだ。もう一つ、ブレーキではないが、Dクラッチを切るという逃げ道もあった。
いまBもCもない。Bがなくなったのはオートマになったから仕方がないが、Cをなくしたのは自動車会社だ。
かくして、一度踏み間違えたら対応の手段は消滅する。失敗してしまったらもうそれをカバーする手段がない。こういうのを非可逆的・致命的欠陥というのではないか。
せめてパーキング・ブレーキの使い方を自動車学校で指導すればもう少しなんとかなるかもしれないが、教えている気配はない。

つまり自動車会社は自動車を欠陥品へと改造したのだ。その安全軽視の思想が「踏み間違い」という「制動失敗」事故を多発させているのだ。これは自動車会社による「未必の故意」と言わざるを得ない。

メディアはもっと事故を分析してほしい。「踏み間違い事故」は、「高速道路の逆走」とは別の範疇の事故のはずだ。それは統計をとるまでもなく、決して高齢者に特有の事故ではないはずだ。

ハンドブレーキを廃止した自動車会社の責任をもっと厳しく追求すべきだ。


どうも思ったような記事が拾えない。考古学会からはあまり積極的な発言がないようだ。
とりあえずメモ程度に記録しておこう。

約10万年前の最終氷期から紀元前8000年頃まで現在より海面が130mほども低かったため、東シナ海の大部分は陸地であった。
最終氷期最寒冷期(LGM)でも日本列島とは対馬海峡(最深部240メートル)によって隔てられていた。
LGM

朝鮮半島と九州 の両側で剥片尖頭器が発見されているが、朝鮮半島のもののほうが古く、朝鮮半島から九州 に流れたと考えられる。

BC6000年  満州南部の遼河流域で遼河文明。櫛目文土器などが出土(興隆窪文化)。
遼河文明は黄河文明や長江文明とならぶ古代中国文明と考えられている。ただし文明の担い手は漢民族ではなくハプログループN (Y染色体)系統の民族であったとされる(根拠不明)。

BC6000年頃 縄文海進が進む。海面が今より2-3メートル高かった。朝鮮海峡の拡大により対馬海流が黒潮から分流。

BC6000年 半島南部から隆起文土器が発見されている。隆起文土器は南九州文化の中核であり、鬼界カルデラの噴火のあと隆起文人の移動があったと推定される。

BC5000年頃 長江下流域で最古の稲作(河姆渡文化)。

紀元前4000年ころ 海面上昇により大陸棚の沿岸部は海中に没している。これにより朝鮮半島の独立性が確定する。

紀元前4000年頃 朝鮮半島に櫛目文土器が出現する。(ソウル岩寺洞遺跡)

紀元前1500年頃、遼河流域に夏家店下層文化。支石墓、無文土器や大規模な住居を特徴とする。

紀元前1000年頃 朝鮮半島に無文土器と支石墓が建造される。遼河文化の影響を受けたものと考えられるが、厳密な連続性は確認されていない。

紀元前1000頃 朝鮮半島北部で箕子朝鮮が登場(中国文献上)。首都は王険城 (現在の平壌)

紀元前900ころ 朝鮮半島南部で縄文土器が発見。水田耕作はじまる。

紀元前800ころ 中部で無文土器文化が発展。青銅器も導入される。松菊里文化と呼ばれる。南岸部は様式を異にし、多数の支石墓が造られた。

紀元前700 北九州で縄文水田(菜畑遺跡)

紀元前500年頃 海を越えて半島南西部に米作集団が入植。水稲栽培が開始される。初期の渡来人は「難民」的性格が強かったとされる。

紀元前300年頃 無文土器時代の終末と鉄器の出現。

前195年頃 衛満が箕子朝鮮を滅ぼし衛氏朝鮮を建国する。


満州ブログさんのページでとても面白い記事を見つけた。

1.朝鮮半島の無人時代

朝鮮半島では、旧石器時代と櫛目文土器時代の間に、大きな断絶がある。

12000年~7000年前の間の約5000年間、朝鮮半島では人の住んだ形跡が認められない。

ただし済州島では1万年~7千年前のものとされる高山里遺跡が存在している。この遺跡では南九州縄文の由来とされる隆起文土器や有舌尖頭器が見つかっている。

2.隆起文人(南九州縄文)の朝鮮半島進出

7200年前、鬼界カルデラの噴火のあと、隆起文土器は朝鮮半島の南・東南の沿岸部にも現れる。これが、朝鮮本土の最古の土器である。

同時代の日本列島の土器に比べて様式が古いため、済州島の隆起文人が渡来した可能性が高いとされる。

3.櫛目文人(ウラル系文化)の朝鮮半島進出

6000年前、朝鮮半島の北側から別の土器(櫛目文土器)が伝わり、朝鮮半島全土に広がる。

これはウラル山脈の文化に由来するもので、同じ土器文化はスカンジナビア半島にも広がっている。

一説では、このウラル系人はY染色体のハプロでN型とされている。

4.櫛目文人と隆起文人の融合

おそらく朝鮮半島において櫛目文人と隆起文人の融合があったであろう。

その融合文化(櫛目文の優勢)が九州 に逆輸入されて轟B・曽畑式土器が作られるようになったと考えられる。

この融合をになった人々が、やがて縄文晩期人に移行していくのではないだろうか。

この一連の過程は、Y染色体ハプロのドクトリンから見て、きわめて説得力のある論理である。


曽畑式土器

以下はウィキペディアからのもの

縄文時代前期の曽畑貝塚(熊本県宇土)から出土した土器。

鬼界カルデラ大噴火後に始まった文化とされる。
朝鮮半島の櫛目文土器とは表面の模様のみならず、粘土に滑石を混ぜるという点も共通しており、櫛目文土器の影響を直接受けたものと考えられている。
遺跡そのものは南島系海人族のものであり、櫛目文土器の造り手であるウラル系民族から製法を学んだのではないかとされる。

南九州縄文文化との関連(私の感想)

「南島系」という表現にはかなりの違和感を感じる。

鬼界カルデラ大噴火は約7,300年前とされており、それまでの間に南九州にはかなりの規模で縄文文化が確立していた。この南九州人はもともと日本列島にいた旧石器人の流れの上にあり、寒冷期(2.5万年~2万年前)に南下してこの地域に住み着いたと考えられる。

この文化はほぼ絶滅してしまうのだが、その一部は北九州に移動して本州から浸透してきた縄文文化と合体したと思われる。これに半島系の人々が交わっている可能性もある。そうして縄文晩期人が形成されたのではないか? と目下のところは考えている。

櫛目文土器と縄文式土器

ゲノム解析による日本人論がたくさん出てきている。そのなかで①旧石器人が縄文人になっていく過程、②縄文晩期人の由来、がいろいろ議論になっているようだ。

そこで鍵となるのが、南九州にいち早く開いた“縄文文化”の位置づけだ。彼らを縄文人と呼んでいいのか、それとも朝鮮半島の影響を受けたものなのかという問題がひとつある。

片方では出口問題、鬼界カルデラの噴火で一旦南九州の文化が消滅した後、彼ら(の残党)が北九州に移動した可能性があるのか、もし移動したのだとすれば、彼らが縄文晩期人を形成したのではないかという問題がある。

そこで議論となるのが、南九州人の土器が朝鮮の櫛目文土器ではないかという主張である。

櫛目文土器土器時代は1万年前に始まり、3500年前まで続いたという。その後、無文土器時代へと移行し、これが紀元300年まで続く。

横並びにすれば櫛目文土器が縄文に一致し、無文土器が弥生土器に一致することになる。

しかし東北の縄文式土器も南九州の土器も1万年以上前に始まっており、少なくとも櫛目文土器が縄文に先行しているとは言い難い。

率直に言って、Y染色体やミトコンドリアDNAの理論とも、考古学的年代とも整合しないように思えるが、まずは少し主張(ウィキペディア)に耳を傾けてみよう。

櫛目文時代の亜区分

前期 8000~5500年前

漁労や狩猟が行われた。後半期には大規模な貝塚。竪穴式住居で半定住的生活。

櫛目文土器が出現するのは6000年前からであり、意外に遅い。最古のものは遼河文明から発見されており、北から流入した文化と考えられる。

当時の朝鮮半島に居住していたのはY染色体ハプロのNに相当する。これは縄文人の源流であるナウマン人(C1)、マンモス人(D2)に比べ遅れてアジアに到着した人々である。

中期 5500~4000年前

中心は漁労や狩猟。雑穀などの栽培が始まる。

後期 4000~3500年前

えらく短いが、なにか意味のある区分なのだろうか。

この後、ウィキペディアに問題の記載が出現する。
縄文時代前期に日本列島の九州から南西諸島まで広まった曽畑式土器も、朝鮮の櫛目文土器の影響を強く受けた。
他にも朝鮮半島に起源をもつ「結合式釣り針」や「隆起文土器」、「鋸歯尖頭器・石鋸」など共通する文化要素が見られる。
ということで、曽畑式土器と言われると「なるほどそこから来たか」とおもうが、かなりの変化球ではある。

曽畑式土器については次の記事で触れることにする。

不法投棄を奨励する「家電リサイクル法」


ブラウン管テレビが一台、ウィンドウズ98の搭載機が車庫に眠っている。

これを処分しようと思ったが、家電4品目というのがあってとんでもない縛りがかかっている。

子供のいたずらで、右へ行け、左へ行け…とあって、最後に「バーカ!」と書いてあるのと似ている。


テレビは

収集時に支払い、家電リサイクル券を受け取ります。

あるいは

事前に郵便局にある家電リサイクル券に記載し、「リサイクル料金」を振り込んでください。

なお、リサイクル料金については、製造メーカーもしくは家電製品協会家電リサイクル券センターへご確認ください。


ということで、読んだだけで気分が悪くなる。


「収集を依頼する場合」と「直接持ち込む(郵便局での振り込み)場合」では、用紙が違いますので、ご注意ください。


ときたもんだ。


「リサイクル料金」は、家電メーカーがそれぞれ決めていますので、家電メーカーもしくは一般財団法人家電製品協会家電リサイクル券センターのホームページで金額をご確認ください。


とさらに追い打ちがかかる。


古い製品だから家電メーカーのHPに載っているかどうかもわからない。


これでは、不法投棄を奨励しているとしか思えない。


今朝の赤旗の「朝の風」というコラムが、プルードンとマルクスの関係に言及しており、面白い。

朝の風
ただ、過剰なまでのネガティブ・レッテルがいささか興ざめだ。私としては、紋切り型ではなく、もう一つひねりを加えたいところだ。
もう一つ気になるのは、この文章が、マルクスとプルードンがともにヘーゲルの社会観を受け継いでいるということに言及していないことだ。

ヘーゲルはスミスの経済学を学びながら、初めてそれを社会の構造にまで拡大し「市民社会」論にまで膨らませた思想家だ。かれはロックの言う私有財産の神聖をうけとめ、それを公準としながら近代社会が形成されていく過程をイキイキと描き出す。しかし私有財産の神聖が一種のフィクションであることも示唆している。
それにたいして、プルードンは「私有財産は盗みだ」と喝破し、あからさまに私有財産の神聖を否定した。「王様が裸である」ことを暴露したのである。押さえて置かなければならないのは、プルードンはこのテーゼを彼なりのヘーゲル理解の中から生み出したということだ。
これに対して、マルクスは賛意を示した。ただ私有財産制を廃棄するには「ヤイ泥棒め!」といっているだけじゃだめで、「そのからくりを突き止めて首根っこを押さえなければならない」と言っているのではないかと思う。
そのためにまずヘーゲルの「法の哲学」をしっかり読んで、その上でヘーゲルが典拠としたアダム・スミスや父ミルに踏み込んでいくという道を選んだのだろう。

つまり、マルクスVSプルードン論争の謎を解く鍵は、ヘーゲルの「法の哲学」に潜んでいるということだ。

2019年04月19日 『法の哲学』 大目次







2018年12月17日 ヘーゲルの「仕事」論






2019年5月

トランプとアメリカ帝国主義

北海道AALA学習会での講演レジメです。とりあえずそのまま載せますが、そのうち手を入れようかと思います。


帝国主義の変貌 1 ケネディー~ニクソン時代の帝国主義

私の世代では、「帝国主義」といえば、評論員論文「ケネディーとアメリカ帝国主義」と「ニクソンとアメリカ帝国主義」だった。

そこでは「帝国主義」は

1.覇権主義(特に軍事的覇権)

2.新植民地主義(民族主義の抑圧)

3.資本主義体制の盟主としての秩序強制

のセットとして描かれていた



帝国主義の変貌 2 レーニンの時代の帝国主義

私の世代では、「帝国主義論」といえばレーニンだった。

100年前の帝国主義は

1.多くの国が皇帝・王を擁する文字通りの帝国

2.銀行を頂点とする独占資本の寡占支配

3.世界を植民地として分割し非均衡貿易を強いる

という特徴を持っていた。そして帝国間で覇権を覗っていた

アメリカは独立を勝ち取った「自由の国」であり、特殊な「帝国」だった。
それは非帝国的な帝国主義という概念をもたらした。



帝国主義の変貌 3  唯一の超大国としてのアメリカ

ソ連・東欧諸国の崩壊により、アメリカが自動的に唯一の超大国となった。

しかしアメリカ自身も深刻な弱点あり、完全な一極化ではなく1.5極化にとどまる
(0.5としてEU、中国、ロシアなど)


しかしその後アメリカは次のような手段で覇権を強化した。

1.金融工学開発と米ドルの基軸化

2.新興国への新自由主義(為替・資本自由化)の押しつけ

3.国連を軽視する単独行動主義

により唯一の覇権国=「帝国主義国」への道を歩む




帝国主義の変貌 4  「唯一の超大国」が覇権を求める

イラク侵攻時に世界で起きた抗議行動など、アメリカの覇者への道は決して平坦ではなかった。それが一気に全面的な覇者の地位に上り詰める。そのきっかけはリーマン・ショックであった。

アメリカは大規模な量的緩和を繰り返すことによって、世界に対する金融支配力を強化した。対応が遅れたEUは一気に弱体化し、新興国は深刻な債務危機に陥った。

こうして次のような帝国主義の新段階が登場した。

1.ドルが唯一の決済通貨に。ドルによる世界支配

2.ドルを持つ1%の人が世界を支配する体制

3.軍事力と金融力による世界支配

これに情報分野での高い競争力を加えることにより、アメリカの世界支配が完成した。

一方で国内・国外に矛盾と不満・敵意が蓄積し、世界が急速に不安定化しつつある。



帝国主義の変貌は何をもたらすか

これが「トランプとアメリカ帝国主義」という提示に対する私なりの回答になる。

「デマゴーグ政治と軍産複合体の癒着」というのがトランプ政権の特徴であろうと考えている。
なぜそのような政権が登場したのか、その基礎となる社会的状況と歴史的段階を考えてみたい。
それは「アメリカ帝国主義の変貌」という性格を持っていると思う。


1.人類史上最強・最悪の帝国主義の出現(倫理観の欠如)

2.金融不安の増幅(常に金融恐慌の可能性が存在)

3.憎悪の共振がもたらす戦争への不安

しかし国内外の抵抗を前に支配層の不安定性もまた増強する。
国内的には例えばオバマ前政権である。オバマ評価にはいろいろ意見もあろうが、政権の姿勢次第で投資銀行への規制、銀行預金の国際規制、医療保険制度の前進など、政権次第では1%への有効な打撃を加えることもできることを示した。
またかつてのイラク侵攻反対キャンペーンのように、多国間主義(国連中心主義)に基づいてアメリカを包囲していくならば、歴史を前向きに回転させていくことも可能だ。
新興国の発展していくエネルギーはあらゆる困難を押し切って、人類の発展を保証していくものとなるだろう。

そのためにも多くの人々がアメリカ帝国主義に対する見方を一致させ、変革の展望を共有することが望まれる。

本日の「赤旗」にこんな記事がのりました。
sima
50年も北海道に住んでいて、恥ずかしい話、こんな島があるということも知りませんでした。
まずどんな島か確認します。
これが道北地方の地図。猿払村は宗谷岬からオホーツク海岸沿いに南下したところです。
map1
これが猿払村周辺の地図。沖合に二つ島があって、その1つが「エサンベ鼻北小島」です。国道から見えるはずですが、私は見た覚えがありません。
map2
これが最大拡大図です。右下の小さな粒がエサンベ鼻北小島です。港や家屋の大きさと比べても、いかに小さいかはよく分かります。
map3
ただ岸からの距離、国道が高台を走っていることから見て目視は十分可能です。私が見落としただけなのでしょう。
これは海上保安庁の「海底地形図」というものだそうです。堂々とした立派なものです。map4

ウィキペディアによると、
1987年の測量では平均海面から1.4mの高さがあり、この測量に基づき海図や国土地理院の地図に記載された。
2018年に地元住民から「見当たらなくなっている」と通報があり、海上保安本部で調査中ということになっている。(ただしそれより1,2年前にはもはや見えなくなっていたという話もある)

ということで今回の記事へとつながっていくことになるのだが、海上保安本部の歯切れがえらく悪い。
そもそも10月に調べるといっておきながら、半年間も店晒しにするというのがおかしい。
多分万が一の可能性にかけているのだろうが、リプレー検証を何回やっても同じことだ。未練たらしい。
領海は減ることになるが、たかが500メートルだ。後々のことを考えればスッキリ諦めたほうが身のためと思うが、いかがであろうか。


Newsweek.comに 「欧州インサイドReport 木村正人」というシリーズがある。
5月24日付の記事は


と題されており、恐ろしい内容が語られている。

有権者の3分の2は「EUは自分の国にとってプラス」と支持している。
一方でEUの未来に対する悲観論が広がっている。今後10~20年のうちにEUが崩壊すると考えている人はフランスで58%、イタリアやポーランドで57%、経済が好調なドイツでも50%に達している。

驚くべきことだが、18~24歳の世代で次の10年のうちにEUの加盟国同士が戦争になると信じる人はオランダやルーマニアで実に51%、チェコやハンガリーで49%、フランスでも46%にのぼっている。

ということで、かつて「希望の連合」と謳われたEUが空中分解しかねない状況だ。

理由は、世界金融危機が物凄いスピードで域内の「勝ち組」と「負け組」を広げてしまったことにある。
そこに持ってきて、年間100万人を超える難民が流入した。これで持ちこたえている方が不思議なほどだ。

むしろ、それにもかかわらず持ちこたえていること、そういう民主主義の底力を備えていることに注目すべきなのかもしれない。

スターター制については、いろいろあった。いろいろ言われた。
ガンちゃんなどは露骨な監督批判を繰り返していた。
しかし今のプレーを見てみんな納得したと思う。私は納得した。
加藤本人も監督も解説者もみんな納得したのではないか。
人情的には勝利投手の権利問題がある。しかしこれはお互い納得していくしかない。
セットアッパーだってそうやって認められていくことになったのだ。
可哀想とか言っても仕方がない。4回戦ボーイとして生きていくしかないのだ。
しかしそれで立派な成績を上げるなら、必ず彼はみんなの記憶に残る大投手となるだろう。

スターター制がもし定着するなら、そのあとにはセットアッパーではなく、二番手投手という役割が要求するようになる。これも大変な話だが、今までロング・リリーバーと呼ばれていた人がそれを担当することになるのだろう。金子はそれをやりたいふうには見えない。

しかし必要は発明の母である。必要なところに必要な人は必ず出現するだろう。

下記の記事が大変優れているので、その要約を上げておきます。一部私の見解も混じっているので、記事の責任は私にあります。興味のある方は本文をご参照ください。

東洋経済オンライン 2018/09

岩崎 博充 「リーマン破綻から10年で世界は変わったのか…今も続く恐怖と後遺症、次に来るリスク

はじめに

リーマン・ショックから10年、世界は様変わりした。
世界はアメリカを筆頭に景気回復を遂げつつある。
日本は相変わらず日銀による異次元の量的緩和を続けている。

リーマン・ショック以前には存在しなかった極右政権が数多く誕生した。とりわけトランプ大統領の出現は世界の様相を一変させた。彼らは一見、グローバリズム・自由貿易主義とは真逆の政策をとっているように見える。

一方で、リーマン・ショック後に湧き起こった「ウォール街の占拠」運動は、ウォール街の強欲主義を厳しく糾弾し、格差社会を糾弾する運動となった。

リーマン・ショックが人類にもたらしたもの

リーマン・ショックがこの世界に残したものは何だったのか。それを列挙しておきたい。

<金融市場にもたらされた影響>

Ⅰ.作り出された「過剰流動性」

① 流動性の枯渇

リーマン・ショックは、急激な流動性の枯渇が引き金となった。

アメリカでリーマン・ショックが終熄した後も、欧州の通貨危機は長期にわたった。実体経済も足を引っ張られた。

その対策として取られたのが大規模な金融緩和、とりわけ量的緩和政策だった。

② 量的緩和(QE)

米連銀のバーナンキ議長は流動性の枯渇に対応するために、量的緩和政策を導入した。長期国債などを購入することでマネーを大量投入した。

ベース・マネーは、約8720億ドル(2008年8月)から2兆6480億ドル(2012年1月)となった。4年間で3倍となったことになる。

ヘリコプターからお金をばらまくようだということから、「ヘリコプター・ベン」と呼ばれた。

欧州中央銀行や日本銀行なども、これに追随した。異次元の量的緩和によって、世界経済は平常に復した。金融危機は過剰流動性によって避けられたといえる。

③ 過剰流動性のツケ

日本銀行だけがいまも依然として量的緩和を続けているが、FRBやECBは緩和縮小(テーパリング)に入っている。

しかし世界にはマネーがあふれている。過剰流動性は至るところでバブルを引き起こしている。世界は、今後大きなツケを払わなくてはならないかもしれない。

Ⅱ.金融モラルの崩壊

投資銀行などの自己勘定による金融取引はリーマン・ショックの原因の一つとなった。

このためボルカールールが定められ、投資銀行の閉鎖と銀行の市場取引の規制が導入された。

しかしトランプ政権によりボルカー・ルールは骨抜きにされつつある。投資銀行は復活し、CEOなどの責任はほとんど問われなかった。

金融業界にとって何よりも大切なモラルが崩壊し、結局は「やった者勝ち」の世界が生み出されつつある。

<政治、国民生活への影響>

Ⅰ.格差社会の拡大

「ウォール街の占拠」運動は、世界が保有する資産の半分を1%の富裕層が独占している現実を明らかにした。

しかしそれから10年近く、格差社会は一向に縮小せず、ますます拡大している。

Ⅱ.極右勢力の台頭

デマ宣伝を運動形態とする極右の運動が広がっている。その背景には、100年に一度の金融危機があったと考えるのが自然だ。

リーマン・ショックの発生直後にオバマ政権が誕生し、8年間の苦闘の末に金融危機を抑え込んだ。しかしその間に膨らんだ大衆の不満はオバマの目指したものとは逆の方向に向かった。

ヨーロッパでは、長引く不況を背景に移民排斥を唱える人々が勢いを増している。

<リーマン・ショックは終わったのか>

過剰流動性を是正する過程が、大きな矛盾を生み出す可能性がある。

Ⅰ.資金量の減少

まず金融市場から資金が消えていく。

FRBはすでに2520億ドル(28兆円)の保有資産を減らした。FRBやECB、日本銀行の3行を合わせた買い入れ額は、この1年でゼロになる見込みだ。

Ⅱ.ドル金利の引き上げ

資金の減少は金利の上昇と投資の減少を招く。

金利の上昇は
①ドル高(円安)
②株価の下落
③新興国資金の逆流(新興国通貨安)
をもたらす

とくに新興国市場からの資金引き上げは、新興国通貨安をもたらし、ドル債務の増加となる。トルコ、南アフリカ、イラン、ベネズエラの悲劇は、明日のすべての新興国の悲劇となるかもしれない。

一方における貧困の蓄積は、他方における富の蓄積をもたらす。世界的な格差の拡大に拍車が掛かる。
強いドルを背景としたアメリカの金融支配力は格段に強化される。

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1.トランプ減税の意味

トランプ米大統領の政権と与党・共和党は2017年末、法人税を1兆ドル減税する法案を強引に議会で通過させた。

財政赤字は1兆ドルになると米財務省は予測している。これは、景気後退期を除く平時の単年度としては、どの国も経験したことがない巨額の赤字である。

2017年の税制改革パッケージが史上最も逆進的で、時宜を得ない税制法案だったということを理解しつつある。
何百万もの貧困世帯や未来の世代が、億万長者のための減税のツケを払っていくのである。

企業は労働者にスズメの涙ほど還元した後、利益のほとんどを自社株の買い戻しと配当に回してきた。

経済全体の生産性が向上したとの証拠はない。それに対し、社会と個人の脆弱性と格差が拡大したとの証拠はあり余るほどある。

米国の平均寿命は先進国の中で最も短いのに、この税制法案は健康保険の加入者が1300万人減少するように設計されていた。

2.トランプと1%の人々の目指すもの

1%の人たちは、市場経済のルールを書き換えようとしている。
特に金融セクター(ウォール街)は、GDPの2.5%から8%にまで成長し、ルールの書き換えを先導している。

彼らは多数者の費用によって少数者を利し、経済の生産性を阻害しようとしている。それが目先の利益を追い求める短期的思考を生み、経済・人財・技術への投資不足につながり、生産性の向上を鈍化させた。

こうしたルールの書き換えが誤りだった。それをもう一度「もっと平等になるように」書き戻すべきだ。




「母性は女性の集団的属性に過ぎない」と、ふと思いついて、まず書いてみた。
字面は悪くない。一見真実性がこもっているようにも見える。
しかし多分ウソであろう。それがウソだと言い切れない自分がいるし、おそらく「現代社会」がいる。

むかし同期の仲間に私以上にケンカっ早いやつがいて、婦人科医になった。
あの頃は労組の婦人部がさかんに活動していて、「生理休暇」を取りましょうと旗を振っていた。
彼は「生理休暇」に反対していた。「高血圧の人が高血圧休暇を取りますか?」というのだ。

生理になったら具合悪くなる、それはそうなのだが、「それは高血圧の人が血圧が上がったのと同じで、具合が悪くなったら休めばよいのだ」というのだ。
「具合が悪くなれば休んで療養する」というのはすべての労働者の権利なのだ。「その根源性をもっと突き出せ、安易にフェミニズムに頼るな」というのが彼の論理だ。

もともと「母性保護」は軍国主義と結びついた「産めよ増やせよ」の厚生思想の賜であり、女性の権利擁護とは何の関係もない。

残念ながら昨今の風潮は「血圧が上がったら休ませろ」ということさえ否定する「ブラック・モラル」が蔓延している。「生理休暇」という言葉は死語となり、どんなに辛くても働くという「男女同権」が常識となっている。

そして「闘え」とアジった友は、今は帰らぬ人となった。

この間の87歳の元通産省エリートの事故は、“アクセルの踏み間違い”がたんなるヒューマンエラーではないことを明白に物語っている。
私は以前から踏み間違い対策は簡単だと主張してきた。
最も基本的には2つのペダルの間の距離を広げて、踏み間違えないようにすればよいのである。
極端に言えば、ブレーキペダルを左側で踏むようにすれば、踏み間違いは消滅する。

クラッチがあれば暴走はない

もともとマニュアル車では左足の位置が固定されていた。必ずそれはクラッチペダルの上にあったのである。アクセルとブレーキのペダルの位置認識は左足によって確認されていたのである。
そうやって育ってきた高齢者は、左足の感覚を失うことによって右足の位置感覚も失うことになったのである。高齢者の認知能力の低下だけが原因ではない。そこには「技術改革」の負の側面が顔を覗かせているのだと思う。

これは極論だが、高齢者事故ゼロを実現する秘策はクラッチの復活にある。75歳以上の運転免許をマニュアル限定にすればよい。マニュアルに乗れないのなら免許を返納するということだ。ただし僻地で車なしに生きていけない人には地域限定の免許を出す。そのへんは臨機応変にやればよい。

高齢者事故が多発するもう一つの理由は、サイドブレーキの消失である。これによりドライバーは車を緊急停止させるための有力な方法の一つを失ってしまった。
今それはパーキングブレーキとして左足の左側にあるが、かなり扱いづらい形で、「余り使うなよ」みたいに設置されている。
これを昔のクラッチ・ペダルの位置に据えてはどうか。

とにかく昔の車に比べて、フェイルセーフ機構は格段に改善されていることは間違いない。オートマのギアは素晴らしく、燃費のことだけならマニュアルを陵駕するほどである。
しかしフェイルを起こさせないようなメカニズムは明らかに退歩している。その典型が左足ペダルの消失であり、ハンド・ブレーキであり、サイドミラーだ。
何よりも、ブレーキを踏み続けなければ自然と走り出してしまうという原理的欠陥が、オートマにはつきまとうのである。うっかりしているあいだに、すでに車はかなりの程度に加速されている。それがパニックを引き起こすのである。

とりあえず緊急に改良すべき欠陥として急発進問題があるが、これについて対処したという報道を見たことはない。あるのは急発進した車がぶつかりそうになったときに急停止する仕掛けとか、ぶつかってしまったときにその衝撃を和らげる仕掛けとか、要するに対策が泥縄方式なのだ。

メディアにも責任がある。高齢者自動車事故の半分は「自動車会社の安全思想」に関わって生じていると思うのだが、そのことを警告するような記事に出会ったことがない。

これからも声を上げ続けようと思う。


ウィークデーは必死に能力・脳力を振り絞っての戦いが連続するが、土日は官庁も銀行も休みなのでポッカリと穴が開く。ただし穴が空くのは物理的な時間だけで、「やる気中枢」はまったく働かないから、グダグダと過ごす他ない。

天気が良いので、以前から気になっていた「石狩油田」に行ってきた。
我が家からは1時間ほどでたどり着く。とは言っても相当の山の中だ。
道路端に碑が建っているが、それだけで、もはや完全に自然に戻っている。
廃坑跡はさんざん見慣れてきたから、さほど興味もわかない。それに札幌近郊とあって、ネットに探訪記は満載だ。そちらを見てもらったほうが良い。

むしろ関心は、なぜ油田は石狩当別の山にあって、炭鉱は空知なのかという点にある。それは日本ではなぜ石油がとれなかったのかということの説明にもつながるだろう。

少し調べてみたい。


資源の分布は、古期造山帯・新期造山帯・安定陸塊の分布と関係がある。

炭田は古期造山帯: 植物が炭化したのが石炭。その植物は主として古生代に繁殖したもので、その後造山運動に巻き込まれた。造山運動は古いものなので、現在ではなだらかな山脈となっている。(アパラチア、ウラル、オーストラリア東部、南アフリカなど)

油田は新期造山帯の背斜構造部: 生物の遺骸が圧力により液体化したのが石油。その生物は中生代に繁殖したもの。造山運動は新しいものなので、険しい山脈を形成する(アルプス・ヒマラヤ、環太平洋)

ただし、実際の分布を見てみると、とても「新期造山帯の背斜構造部」では説明つかない。
それに造山運動が石炭・石油を作る過程がまったく説明されていない。
おそらく高校の理科の先生には、概念把握力が欠如している人物がいるのだろうと思う。遺伝の仕掛けをDNAでなく「染色体」で説明したり、「化学」の本態を物理学と混同したり、とにかく受験生いじめの達人が溢れている。

もう少し説得力のある説明がほしい。

次が二宮書店のサイト「炭田や油田の分布と造山帯には関連があるのでしょうか」という、ズバリのQ&A記事。

そして答えは「同時代性はあるが、対応関係はありません」とぴしゃり。
1970年代ぐらいまでは造山帯と地下資源は関係があると考えられていたが、プレートテクトニクス理論が確立されてからはもはや過去のものとなっている。
同じサイトで、「油田が形成される過程について」という記事

という記事

これを読むと、たしかに造山運動などどうでも良いことだというのが分かる。

油田ができる3つのステップ
①水生微生物の遺骸が水底にたまる。その一部は分解されず有機泥の層となる。
②有機泥の層は高圧と高熱(100度)で原油へと変化する。
③原油は油母頁岩を離れ地中を上昇し凸型地層の下に貯留する。
記事はさらに丁寧に下記のごとくダメ押しをする。
油田の成因に新期造山帯はそもそも関係がありません。むしろ油田は明らかに新期造山帯に少ないのです。
著者はよほど「造山運動居士」のことを腹に据えかねているのだろう。

ということで明らかになったのは、
石炭が取れるところは、古生代に陸地であり、豊かな森林地帯だったところだということです。
石油が採れるのは、陸地に隣接した浅い海洋地帯で、中生代に海中動物が繁栄したところだということです。
造山運動など何の関係もないのです。

あれこれと考えるのが面倒になってきている。自分が死ぬのと違って人が死ぬことは大変なことだ。

脳みその「やる気ホルモン」が枯渇しているのか、「やる気削ぎ物質」が蓄積しているのかわからないが、そういう実感はすごくある。
アルコールが入るとすこしやる気が出るのだが、そう思った瞬間には眠気が襲ってくる。おそらく眠るためには「やる気ホルモン」が必要なのだろう。だから思考用のやる気を横取りしてしまうのだ。

役所と年金事務所と共済組合にはすっかり馴染みになった。市役所の地下食堂のたぬきうどんが滅茶うまいことも知った。預金通帳のクレジットの引き落としも正体を突き止めた。
どういうわけか知らないが、私と妻に二重に地方税がかかっていたが、一応解消に成功した。
私の住民票と戸籍抄本、妻の除票というゾンビ住民票と戸籍謄本を揃えて年金事務所に行ったが「予約が必要だ」と帰された。

しかし、本日、これは前半戦というか序曲に過ぎないことがわかった。
預金、生命保険の全容把握と分与問題には気の遠くなるような実務が待っているらしい。たぶん人を頼むしかなさそうだ。
今夜はこれから飲みに行こうと思う。飲みに行けば次の日の活力が落ちるのは分かっているが、とにかく誰かとしゃべることだ。

1.ミンスキーは誰を批判し何を批判するか
東谷さんの本を通じて知り得た限りでは、ミンスキーの論理は意外にプリミティブで、ナイーブとさえ言える。
その論理はケインズを支持するというより、新古典・総合派の批判を主眼としている。そこには経済学というものに対する枠組み概念の違いがある。
ミンスキーにあっては、経済学は市民社会の解剖学だ。それに対して新古典派は市場経済の力学を土台として積み上げられた建築工学だ。ミンスキーはその土台が絶対的なものではないと批判する。

2.金融市場をどう評価するか
私は浅学のため貨幣市場と金融市場と信用市場の違いがわからない。そのため議論に不正確な点があることを予め断っておく。
信用市場はアダム・スミスもヘーゲルも知らなかった概念である。古典派の中でマルクスだけはこの市場が登場するのを目前で体験することができた。そしてこの市場の登場が何を意味するのかを考えることができた。

3.ミンスキーの論点
ミンスキーは「ケインズがこう主張した」と言って、自らの議論を展開している。それらは以下のようにまとめることができる。

① 信用市場は商品市場に付着し、商品市場を急成長させるブースターの役割を果たしてきた。しかしこれは市場に乱高下をもたらすきわめて扱いにくい装置である。

② 信用市場が肥大化すれば、商品市場に不確実性を持ち込み、商品市場が本来持っている「見えざる手」の機能を破壊する危険がある。

③ 新古典派と総合は「見えざる手」を不磨の大典とするという理論的弱点を内包している。彼らは需要と供給のバランスという神話にしがみつき、金融市場の動揺がもたらす商品市場への破壊的効果を無視する。(総合の場合は「タイムラグ」という言い訳に逃げ込む)

④ 金融市場には独自の論理がある。ミンスキーはこれを「投資家のマインド」としてとらえる。マインドは経済というよりは社会的・心理的なものである。それは「集団的マインド」の民主的形成によりコントロール可能なものに転化するかもしれない。

⑤ ミンスキーはここから、「優れた金融社会」の形成という行動目標を導き出す。第二次大戦後の世界が全体として平和・平等・民主の方向で発展したのも、戦前の政治・経済体制への共通の反省があったためと言える。

⑥ ミンスキーの所論には歴史的観点が不足している。金融市場は資本主義の前から存在していた。それが資本主義システムの巨大化に伴って、その一つのバージョンとして、「資本主義的信用市場」としてあらためて登場したことである。なぜ再登場したのか、それは従来型の信用市場とどう違うのかを探求しなければならない。

⑦ 金融市場が資本主義経済のブースターであると同時に撹乱者であり、潜在的可能性としては破壊者であること。それが集団心理に規定されるゆえに、人間集団の民主的形成により次の社会へと向かうための助産婦ともなりうること。これらを全体として統一的に把握しなければならないだろう。

⑧ レーニンは「資本主義には自由主義が照応し、独占資本主義には帝国主義が照応する」といった。ヒルファーディングは「独占資本主義は金融資本の支配する資本主義」だと言った。信用市場の拡大は、時期的にはこれらの時期と一致する。(すみません。あまり正確ではありません)

4.ミンスキーと未来社会
ミンスキーは金融市場の問題と独占資本の支配を結びつけて論じてはいない。しかし両者が本質的な結合状態にあるのなら、その未来社会は「優れた金融社会の形成」という課題設定だけでは不十分で、権力の有りようをふくむ政治変革のプログラム規定、平たく言えば「社会主義革命」論が必要になるだろう。

下記もお読みください
ミンスキーの金融論が説得的だ

ミンスキーの金融論

ミンスキー(Hyman Philip Minsky 1919~1996)はサミュエルソンとほぼ同じ時代を生きた。同じようにユダヤ人移民の家庭にうまれ、同じころシカゴ大学で数学と経済学を学び、ケインズの影響を受けた。

サミュエルソンが新古典とケインズを合体させる「新古典総合」というイカサマ的手法で有名になった一方、ミンスキーは「ケインズは新古典にあらず」としてサミュエルソンを攻撃し続けたらしい。

東谷さんの「経済学者の栄光と敗北」(朝日新聞 2013年)を読むと、ミンスキーが資本主義の本質を深く剔っていることが想像される。

ちょっと抜書きしておく。

* 「資本主義は本質的に不確実なものであり、その主要な不安定要素は金融にある」 これがケインズの最大のメッセージだ。

* 「金融が経済を不安定にする」という主張は、ミンスキー・モーメントと呼ばれ、リーマンショック→世界金融危機を解く鍵として注目されている。

* 62年の株価下落を大恐慌と比較・分析して次の特徴を引き出した。民間企業の負債が少なく、動員可能な流動資産ストックが大きかった。とくに政府の財政規模がはるかに大型化していたことが最大の特徴であった。

* アメリカ・ケインジアンは、金融市場と商品市場を同一平面において総所得(交点)を確定する。(ヒックス・ハンセン・モデル)
これでは金融市場は需要の関数でしかなくなる。資産選択の問題や投資要因の独自性は捨象される。また労働市場との関連も引き出せない。

* 新古典派総合(サミュエルソン)はさらにひどい。ケインズ理論の核心は労働市場が総需要の関数だということなのだが、新古典派の実質賃金→労働市場が蒸し返され、肉離れを起こしている。フリードマンのマネタリズムも概念構成としては同類だ。

ここでちょっと項をあらためる。労働市場の問題についてもう少し詳しく、ミンスキーのサミュエルソン批判を取り上げたい。

労働市場論でのサミュエルソン批判

* ケインズの考える需要・雇用論は、総需要が雇用量を決定するということだ。そこでは新古典派の賃金→雇用論は拒否されている。したがって両者の雇用量には差が生じる。
 
* サミュエルソンはこの差を本質的なものではなく、「タイムラグ」だと主張する。これが「短期ではケインズ、長期では新古典派」ということだ。(サミュエルソンは新古典派を意図的に古典派と混同している)

* 「困ったときだけケインズさん」というのは、あまりにもノーテンキではないか。これはとても困った理論だとミンスキーは主張する。

もういちど、ミンスキーの主張に戻る。

* ミンスキーは、この差はタイムラグではなく、もっと概念的に異なる理由により生じていると考える。ミンスキーはそれを「不確実性」の概念と名付けている。

* もう一度書いておくが、ヒックス・ハンセン・モデルは金融市場を事実上、需要の関数として従属させている。しかしミンスキーは資産選択の問題や投資要因に対して、独立したはるかに重要な意義を与えている。

不確実性の概念

* そして、それらを決定する要因が「不確実性の概念」なのだ。端的に言えばマインドの問題だ。それは同時に金融市場の独立性の主張でもある。

* このマインドが介在すると、金融市場は自発的に“不安定化”(不連続化)し、景気刺激の引き金がたとえ政策的な完全雇用であっても、雇用が需要を呼び、需要→雇用の爆発をもたらす。

* なお、巷間もてはやされる「ミンスキー・モーメント」というアイデアは、すでに「信用市場の循環」としてマルクスも指摘していることであり、ミンスキー本人にとってはどうでも良いことである。


妻の死にまつわる3つの不思議

1週間前、妻が死んだ。わざわざブログに書くほどの話ではない。…のだが…
とにかくやっと落ち着いて、気がついてみたら不思議な事がある。書いてもしようがないのだが、書かないと落ち着かなくてしようがない。

どう死んだのか

妻は「多系統萎縮症」(進行性の神経疾患)で、かなり長いこと在宅の寝たきり生活だった。10年前の失行・眼振・低血圧に始まり、構音障害、失声、嚥下困難と順を踏んで進んだ。律儀な病気である。このところ痰の量が増えて気になっていた。

容態を見計らって飯を食いに行って帰ってきたところ、呼吸困難となっていた。

長年医者をやってきたので、「やばい」ということはすぐわかる。病院に電話して、指示に従い救急搬送を依頼した。到着後間もなく心肺停止となった。

急変時の対応はできなかったが、死亡を看取ることはできた。とにかく十年の闘病生活が終わった。

最初の不思議

夫婦二人の生活だったから、すべて自分が対応しなければならない。葬儀屋の対応や身辺整理は友人がやってくれたが、とにかく次から次へと判断が求められる。

最初、一番悩んだのは葬儀会場に飾る遺影の選択である。「これがいい」と前から選んであった写真は、業者から次々はねられる。「これでは原画が悪すぎて、とても額縁写真にはなりません」というのだ。

そして業者が集合写真の一枚に目を留め、「これにしましょう」というのだ。私もあきらめかけて、「まぁそれでいいことにしようか」と言った途端、妻の寝室で「ドカン!」と大音響。

なんと、長年部屋の片隅においてあった小型消火器が爆発したのだ。白い粉末が天井まで飛び散り、薬品臭で部屋中が満たされた。

「怒ったぞ!」

これには業者もシュンとなり、私の選んでおいた、いささかピンぼけの写真を修正して使うことにした。

マボロシの女性との握手

お通夜が終わって、二、三杯のビールを飲んで、そのままバタンと寝た。

こういう寝方は、実は一番良くないのである。しばらくしたら必ず目が覚める。トイレに行ったら最後、夜が白み始めるまで、喪主でなくても眠れないのだ。

このとき、重大なことを思い出してしまったのだ。あの晩、飯を食っていると突然後ろから声をかけられた。振り向くと後輩のお医者さん。今はある病院の病院長をしている。

いろいろと話しかけられて、こちらも妻の容態の話、自分の介護の話など話した。それが「告白」のように聞こえたのであろうか、連れの女性がそっと手を出して私の手を包んでくれた。

こちらも人情もろくなっていたのか、なにげなしに手を握り返した。そうするとその女性はもう片方の手も差し出して、ぬくもりを倍返ししてくれたのである。

ほんの一刻だったが、1分にも2分にも感じられた。その時はただ嬉しく終わったのだが、ひょっとして、あの手の主は世を忍ぶ仮の姿で、実は妻だったのではないか?

時間は合わないでもない。あれから空を飛んで帰ったらピッタリかもしれない。それから、妻は急変したのではないのだろうか。
そう思ったらもう眠れなくなった。

失せ物、あるいは神隠しの予言?

朝が来て告別式の準備が始まった。控え室のテレビではモーニングショーで占いコーナーの放送が流れている。

「おとめ座の皆さん、ごめんなさい。本日は最悪です。失くし物に注意してください」

まさに私はおとめ座で、最悪で、しかも失せ物をしてしまったのだ。スライドショーを終わって、いざ引揚げようというときに、フォト・ファイルを入れたハードディスクがない。

全700ギガ。これまで撮りためたデジタル写真が、あの中にすべて入っている。音楽ファイルもすべて入っている。基本的には一巻の終わりなのだ。

ただ3、4年前に今のハードディスクに乗り換えたので、それ以前のファイルは古い方のハードディスクに残っているはずだが…

まぁ、こちらの方は持ち去るほどのものでもない。いつかは出てくるような気もしているので、あまり絶望はしていない。こういうのを「根拠のない楽観論」という。

ついでに、妻についても一言

つまり、なかなか情念の強い女性であった。そのくらいのことはするかもしれない。それでも、もう、こういうことはないだろう。

アメリカの金融力が強化された理由は、リーマンショックで焼け太りしたことだ。 
FRB資産の推移
          2019年4月27日 日本経済新聞
まず連銀はこの10年間で4.5兆ドルのドルを発行した。500兆円、日本の5年分の予算と匹敵する。
これだけドルを乱発すればインフレになるのが普通なのに、まったくそのようなそぶりもない。
結果として米連銀は大金持ちになってしまったわけだ。
見えないインフレ
これは世界経済にとって何を意味するか。換金可能な現金・有価証券が世界に溢れ、その結果、物質財に対してアメリカ以外の国の持つドルは目減りしたことになる。見えないインフレだ。
不況に加えてインフレが襲えば、経済困難はますます耐え難いものとなる。

実体経済の正常化を阻害
金融構造の正常化は始まったが、実体経済の正常化は進んでいない。
下振れ圧力は軽減されないままで、なかば構造化されている。
企業が長期にわたり設備投資を手控えてきた結果、生産性が低下して経済全体の活力が落ちている。
成長率の低下により、低金利が構造化されている。
労働市場は完全雇用に近づいたにもかかわらず、賃金上昇率は低いままである。この結果インフレ率も上がらないままで推移している。

ドルは実体経済にとって「麻薬」
つまりドルは溢れているが、ユーザーサイドでは欠乏感が支配している。ドルなしでは生きていけないのに、「もっと多くのドルを」と望めば、それはますます自分の首を締めることになる。
まさにドルが麻薬化しているのである。こうなるとドルの需要は底なしとなり、アメリカのドル支配は絶対的なものとなる。
魔法使いの弟子がホウキに水くみを命じて、それが止まらなくなってしまったような恐怖感を感じる。

国債決済通貨とドルの切り離し
ドルの麻薬化は資本主義経済と国際金融システムにとってなかば宿命である。これまでは実体経済における決定力と、覇者としての節度によって金融秩序がかろうじて保たれてきたが、10年間で500兆円という巨額のドルが垂れ流されたのでは溜まったものではない。コカインを通貨代わりに使うようなものである。
かってケインズが夢見て果たせなかった国際決済通貨「オーロ」の実現に向けて一歩を踏み出す以外にはないだろう。


田中宇さんのブログを読んでいて、どうも話が良くわからない。目眩いがしてくる。

軍産の世界支配を壊すトランプ - 田中宇 その他

これはどうも、私が「軍産複合体」の定義を曖昧にしたまま話を勧めているからだと気づいた。

すこしウィキペディアその他で基礎勉強をしておくことにする。

軍産複合体(Military-industrial complex)とは、軍需産業を中心とした私企業と軍隊、および政府機関が形成する政治的・経済的・軍事的な勢力の連合体を指す概念である。

この概念は特にアメリカ合衆国に言及する際に用いられ、1961年1月、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領が退任演説において、軍産複合体の存在を指摘し、それが国家・社会に過剰な影響力を行使する可能性、議会・政府の政治的・経済的・軍事的な決定に影響を与える可能性を告発したことにより、一般的に認識されるようになった。アメリカでの軍産複合体は、軍需産業と国防総省、議会が形成する経済的・軍事的・政治的な連合体である。

軍産複合体の概念を広く知らしめたアイゼンハワーの退任演説は1961年1月17日に行われた。なお、演説の最終から2番目の草案では、アイゼンハワーは最初に「Military-industrial-congressional complex(MICC)、軍産議会複合体」という概念を用いて、アメリカ合衆国議会が軍事産業の普及で演じる重要な役割を指摘していたが、アイゼンハワーは議会という語を連邦政府の立法府のメンバーを宥めるために削除した。
いわゆる「レーガン革命」は軍産複合体の優位性を建て直した。ジョージ・メイソン大学のヒュー・ヘクロのいわゆる「防衛官僚により聖別されたアメリカの展望」でロナルド・レーガンは、1980年代から共和党の合い言葉になり民主党の大半も同様だったやり方で、国家と国家の安全の状態をプロテスタントの契約神学の覆いの下に隠した。
ブッシュ家は、軍産複合体を生業としてきた。第43代大統領の曽祖父サミュエル・ブッシュはオハイオ州で兵器を製造していたバッキー・スティール・キャスティング社を経営していた。
祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲の焼夷弾E46の製造社に関与していた。
父ブッシュはCIA長官、副大統領、大統領時代において、海外との兵器貿易を押し進めた。

冷戦終了後の1990年代、兵器メーカーは議会工作を強めた。献金を受けたタカ派シンクタンクが仮想敵国の軍事的脅威を強調した。

有力なロビイストが国防関係の議員達に働きかけるようになった。1997年だけでもロビー活動費として5,000万ドルが費やされ、870万ドルが1998年にかけての選挙資金として提供された。
レーガン政権時代には、多くの反対を押し切って「スターウォーズ計画」が進められた。15年間に550億ドルの巨費を投じられたが、具体的な兵器は一切完成しなかった。
1990年代、ホワイトハウスは「イラン」「イラク」「北朝鮮」の3カ国を「ならずもの国家」と名指しし、他に、「スーダン」「シリア」「キューバ」などを敵視した。これは多大な軍事費を引き出すための呼び水となった。
2001年の9・11同時多発テロのあと、アメリカの軍事費は一気に増額し、国防総省の総予算は3,750億ドルに膨れ上がった。
アフガニスタンとイラクでは、主戦闘以外のあらゆる侵攻作戦上の業務を米国の民間会社へと委託するようになった。戦争そのものが新たな産業として確立した。
新型兵器の開発も一段と進んでいる。F-22「ラプター」戦闘機や「ジョージ・H・W・ブッシュ」、「ジェラルド・R・フォード」原子力空母が新たに配備された。防衛研究費だけでもGDPの1.2%に上る。

21世紀になると、軍産複合体という概念は米国のそれに対する固有名詞となった。

軍事産業は巨大な労働市場を提供するようになった。四軍の基地も有力な就職先を提供しており、議員選挙時の支持票とも密接に結びついている。
ユダヤロビーについてはここでは省略する。
下記記事を参照されたい。


ということで、古典的にはアイゼンハワーの時代から続いていることになっているが、現実的に目に見える存在となったのはレーガンの時代からだということで、意外に新しい事象なのだ。

レーガンというのはただの見栄えの良い置物で、実体としては父ブッシュが仕切っていた。だから実質的には2期勤めたようなものだ。

この時期はさきに上げたキッシンジャー、ベーカー、シュルツ、ヘイグらの国務長官と時節を合わせている。クリントンが2期勤めた後、子ブッシュが政権を取ると副大統領にチェイニーが就任し政権を牛耳った。

政策的には幅があるものの共和党の中でも右派に属する集団であろう。固まった機構とか社会構造というよりは、政治的ムーブメントであり、しかも“欲と二人連れ”といってもおかしくないくらい利権色が濃厚だ。日本でいうとかつての「原子力ムラ」がそれに近い存在かもしれない。

田中宇さんはボルトンは「タカ派」であって軍産複合体の主流ではないとしているが、歴代国務長官がボルトンを推薦しているという事実は受け止めておくべきだと思う。やはりそれはシステムと呼ぶべきではないだろうか。

ということで、国務省官僚出身者と共和党の右派政治家を頂点とし中央・地方の軍事関係者、さらにユダヤロビーや南部プロテスタントなどを巻き込む、巨大な反共と利権の集団であり、民主党といえどもうかつに踏み込めない領域になってるものと予想される。(民主党版の軍産複合体もある)

とりあえず上記のごとく把握した上で、田中さんの記事を読むと、どうも少しづつ枠組みがずれて居るような気がしてくる。これがめまいの原因だろう。

ラニアケア超銀河団 Laniakea Supercluster
ただのウィキペディアの要約です。

2014年に新しく提唱された超銀河団。
Laniakea は、ハワイ語で天空を意味する laniと「広々とした」を意味する akea に由来する
Observable_universe_r
           ウィキペディアより
直径5億2000万光年の範囲に、およそ10万個の銀河を含んでいる。質量は約1017太陽質量に及ぶ。これは天の川銀河の10万倍に相当する。

天の川銀河が属する局部銀河群やおとめ座銀河団もその一部である。

重力による拘束を受けていないため、いずれ分散されてしまうと予想されている。

ラニアケアは4つの子領域に分けられる。
その一つがおとめ座超銀河団である。
銀河系(天の川)はおとめ座超銀河団に内包される。

超銀河団の中では、多くの銀河が、重心の方に向かっており、グレートアトラクターと呼ばれる。

ラニアケア超銀河団はシャプレー超銀河団の方向へ向かっているように見える。おそらく両超銀河団は、より大きな構造の一部分であると考えられる

赤旗の「残念でない 生き物たち」の連載が終わってしまった。残念だ。

結構、読み流してしまったが、貴重な話がたくさん聞けたような気がする。

本日の話題はワニ。以前にも北大の先生の記事を紹介したことがあるが、正直のところいまいちストンと落ちたという感じがしなかった。「二足歩行」の話はそのご確認が取れていない。

今回の話はまったく系統性はなく、数百字の中にいかに多くを書き込むかという性格のものだが、さすがプロだけあって聞き所満載だ。

以下個条書きしておく。

* かんたんに変温動物というが、なかなかきつい。暑いときの体温は40度を超える場合もある。

* ワニは爬虫類だが、岸辺以外の場所を歩くときは、爬(は)って歩くわけではない。堅い地面では胴体を持ち上げ、“シャキン”とした姿勢で歩く。急ぐときは犬と同じ走り方をする。(見てみたいものだ)

オーストラリアワニ(別名ジョンストンワニ)は、体を持ち上げて飛び跳ねるようにして走る。速度は最高で時速60kmに達する。

* ワニは極端な少食である。同じ体重の鳥が必要とする十数分の一の食物で生きていける。

* ワニには高度な社会性がある。獲物の捕獲も協力し、捕らえたあとは分け合う。自分の子でなくても救援に乗り出す。

* ワニはもともと恒温動物で、足は胴の下についていて、皮膚には羽毛が生えていた。変温動物となったのは一種の適応である。
Giant Gator Walks Across Florida Golf Course | GOLF.com

熱帯で、襲われる恐れがないほど強力で凶暴なら、それでもやっていける。それで大胆な省エネを実現できるならそれに越したことはない。

以前にも述べたが、鳥の脳というのは最も優秀な脳である。
容積あたりの能力は人間の1千倍くらいはあるのではないだろうか。
なぜそれだけの容積あたり能力が実現できたかというと、長年かけてじっくり進化してきた正統派の脳だからである。それは汎用型コンピュータではなく、それぞれの機能が独立ユニット化されている。軽量小型化できるのである。
人間の脳の80%は電線だ。しかも被覆電線だ。「複雑な回路を通って処理されるから、高度な判断が可能なのだ」というが、それは負け惜しみに過ぎない。
こういう不様な脳になったのは、恐竜が絶滅したからだ。日陰に隠れ、夜に手さぐりで活動していた哺乳類がほりだされ、いきなり主役のバトンを引き継いだからだ。
しかも哺乳類の中でも最も原始的だったモグラやネズミの属から、樹上生活を送る霊長類が出てきて哺乳類のトップになってしまう、という二重の混乱があって、そのなかでホモ様が抜け出してきたのだ。
人間の脳はもともと王者になるようにはできていない。応急措置や増築・改築を重ねてとりあえず鳥並に使えるような脳になった。それがエレクトスになって言語能力が発達したから、他の種と隔絶した力を身につけるようになったのだ。人間の力の源は言葉なのだ。

人間は謙虚にならなければならない。日本が飛躍的に発展したのは明治維新の後と第二次大戦の敗戦の後の2回だけだ。そのとき日本人は謙虚になりひたすら学んだのだ。
「クール・ジャパン」などとひとりよがりしていても進化はない。

2012年08月13日 赤旗「ベネズエラはいま」を読む
いまどきこの記事を読んでくれる方がいました。
なかなかものが言いづらくなっている今、心より感謝します。

 いまは「世界史の回転軸」について考えています。
一方におけるトランプや右翼のゴリ押し、他方における地方選挙と民主勢力の伸び悩みという状況のなかで、「だれに依拠し、どう戦い、どの方向に展望を切り開いていくのか」という変革者の視点がますます必要になっています。

答えは明らかで、「民衆に依拠し民衆のために闘うこと、そして民衆にとって望ましい目標を提起すること」です。

階級闘争が激化すればそこにはバリケードが形成されます。
そのとき、バリケードを挟んで対峙する2つの勢力のあいだで自分がどちらにいるか、自分の居るべき場所はどちらか、そこを見失ってしまったのでは話しになりません。

それは何よりも鍛えられた皮膚感覚と階級感覚が決めることです。五つ星のホテルに泊まりながらバリケードの向こう側を語ることはできません。

捲土重来を期しローマを脱出しようとしたペテロにイエスは問いかけます。
「クオ・ヴァディス、お前はどこへ行くのか?」

そしてイエスは自ら応えます。
「君は去れ、私は向かう」
若い人には勧められませんが、余命いくばくもないジジババにはずしんと応える呼びかけです。

米中通商戦争はエネルギー戦争

米中通商戦争はエネルギー戦争としての側面も持っている。

中国が今後発展していく上で最大のネックとなっているのがエネルギーである。
20世紀末までは時代遅れの石炭でしのいできたが、それはPM5となって自分の首を絞めるようになった。
中国エネルギー
       中国における一次エネルギー消費量の推移
中国は原油の確保をめぐって悪戦苦闘を続けてきた。南シナ海の海底油田はその一つだ。
米国は逆に原油供給先を潰しにかかってきた。イラン、リビア、ベネズエラへの干渉は中国に対する兵糧攻めだ。

石油からどこへ?

一方で、フクシマ以来原子力への芽が絶たれたことから、「石油に代わる未来のエネルギーは何なのか?」が問われるようになっている。

私がこの間勉強してきた感じでは、それは自然エネルギーをベースロードとし、LNGで増減を調整するミックス電源となるだろう。

自然エネルギーは、あれもこれもの夢物語ではない。広大な大陸では風力、人口密集帯では太陽光だ。これに揚水発電・省エネが組み合わされることになる。

蓄電池や液体水素などの話はその次の世代の話となる可能性が高い。

いずれにせよLNGの確保が死活問題

原油と違ってエネルギーの全てではないが、LNGの重要性は死活的なものとなる。
しかしパイプラインをふくめるとLNGの初期コストは相当なものとなる。EUに対するロシアの恫喝を考えると、政治コストも高価なものとなる。
そして今後LNG最大の供給先となりそうなのが、半ば無尽蔵のシェールガスをかかえる米国だ。これに対して最大の輸入国となりそうなのが中国という構図になる。

どうやっても中国はエネルギー不足という呪縛から逃れられそうにないのである。

ジョン・ボルトンと彼を支える「システム」

はじめに

前回、ハノイの米朝首脳会談が潰れたとき、テレビのニュースを見ていて、「アッ、こいつが潰したんだな」とかんじたので、なんの論証もなくそのまま文章にしました。

それが以下の記事です。
この話には伏線があって、第一回目の首脳会談のときにも妨害活動の先頭に立ったのがボルトンだったのです。
それについて書いたのが下記の記事です。

私の第一感は正しかったようです。まもなくニューズウィークがそれを裏付ける記事を組みました。それが下記のものです。

ハノイのボルトン
  1日目の会談に出なかったボルトンは突如2日目に会談に姿を表した
ボルトンは、ハノイでの27日夜の夕食会には出席しなかった。
米朝会談の2日目、突然ボルトンがこれみよがしの席に着席した。会談の準備を進めてきたビーガンは後方席に座った。
周知の通り、その後会議は流産した。トランプは本気で会議を成功させようとしたのに、どうしてか。

韓国統一部元長官がこう語っている。
会談2日目の28日朝の時点では「ほぼ100%楽観的」だった。
しかし土壇場になって、ボルトンが「核兵器だけでなく、保有する生物・化学兵器についても報告義務を課す」と言い出した。
この結果、会議は合意に至らなかった。

ニューズウィークは不思議なことにそれ以上は掘り下げず、もう一つの謎に迫ろうとしない。「なぜトランプはボルトンのちゃぶ台返しを許したか」を書いていない。しかしそれは明らかに取引だ。

米朝交渉の流産と、ロシア疑惑追及の中止をトレードオフするという取引だ。現にロシア疑惑はうやむやに幕引きされようとしており、トランプ再選の芽すら出てきた。
それをできるのはFBIにこれ以上の追及を思いとどまらせる力を持った「システム」だけではないか。ボルトンはその「システム」の尖兵と考えるべきであろう。



今後のこともあるので、この際ボルトンについてのまとめ記事を掲載します。

1.ボルトンの経歴と実像

ウィキペディアによれば
ボルトン(John Robert Bolton)は1948年ボルチモア生まれ。
1970年にイェール大学を卒業、1974年イェール・ロー・スクール修了。
高校時代からゴールドウォーターの選挙運動に参加するなど保守派で、転向者という意味でのネオコンではない。親イスラエル派、親台派の代表的人物と見なされている。
ヘルムズ上院議員の補佐官を経て国際開発庁および司法省に勤務した。クリントン政権期は保守系シンクタンクに在籍し、クリントン批判を続けた。
2001年、ブッシュ政権によって国務次官(軍備・安全保障担当)に任命された。金正日を「圧政的な独裁者」と呼び、北朝鮮で生きることは「地獄の悪夢」などと発言した。北朝鮮はボルトンを「人間のクズ」と評した。
対イラク開戦では開戦推進派として戦争への流れをつくった。彼は大量破壊兵器疑惑が誤りだったと判明したあとも、戦闘継続を主張した。

2.ボルトンの国連観

2005年、国際連合大使に任命されたが、上院で承認されず未着任のまま満期辞任する。
しかしこのときの推薦名簿は、そのまま彼の支持母体を示している。ウィキペディアによれば、5人もの共和党政権の国務長官が連名で推薦した。すなわちキッシンジャー、ベーカー、シュルツ、ヘイグらである。これがおそらく「システム」の国務省系列であろう。
ウィキペディアによれば彼の国連観は以下のようなものであった。
「国連などというものはない。あるのは国際社会だけで、それは唯一のスーパーパワーたるアメリカ合衆国によって率いられる」

浪人中は極右の大物としての発言を続けた。
イランの核爆弾を止めるために、イランを爆撃せよ(To Stop Iran’s Bomb, Bomb Iran)
イランへの爆撃や北朝鮮への先制攻撃も主張している。
またオバマの広島訪問を「恥ずべき謝罪の旅」と強く批判している。



3.「悪魔の化身」となったボルトン

トランプは大統領選挙のさいにボルトンを国務長官候補として検討していた。そして3月にマクマスター大統領補佐官を電撃解任したトランプは、ボルトンを後任に任命した。
3月29日、ボルトンと会った当時の「狂犬マティス」国防長官は、「あなたのことは悪魔の化身だと聞いている」と挨拶している。
4月9日、国家安全保障担当補佐官に就任したボルトンは、1回目の首脳会談を前にして突如「リビア方式」を提唱。日本や韓国のタカ派と共謀して会議の流産を図った。
会談のぶち壊しに失敗したボルトンだが、今度はシリア軍事攻撃をトランプに強くもとめた。さらにアサド政権の後ろ盾であるロシアやイランへの対処を含む「より大きな戦略」を訴えた。
その後も中距離核戦力全廃条約(INF)の破棄や、イラン核合意からの離脱を推進した。18年秋には、国防総省に対し、イラン空爆のための軍事オプションを提示するよう求めた。
こうしてただの反共ポピュリストに過ぎなかったトランプは、極右のハードライナーとしての姿勢を露わにしていくことになった。


景気減速という暗雲が漂い始めている。とくにそれをもたらしているトランプ政権の横暴に懸念が集まっている。
Oct18産経

IMFや世銀は、「米国の景気次第で世界が景気後退入りする」とコメントしている。
主要国GDP予測
米国の景気後退入りは、すなわち世界経済の大きな転換を意味する。
鉱工業生産
主要国の金融緩和であふれたマネーは、景気悪化を懸念し米国債を買いに集まっている。米国債10年物金利はこの半年で1%も低下している。
一方で、貿易を巡る緊張は高まったままだ。いくつかの大きな新興国市場や途上国経済は資金不足を経験しつつある。
新興国投資

米国は量的緩和策とゼロ金利を6年続けた。消費者支出と投資が回復し、アメリカ経済を景気後退から引き戻した。

これが各国の輸出を促し、日欧の苦境を救う結果となった。その代償として米国以外の国のドル建て債務は9兆ドルに達した。

長期の低金利により、金融システムが疲弊している。今や銀行間の金融市場は機能せず、証券市場と為替市場が景気を左右するようになっている。

FRBは金利引き上げは慎重だが、マネタリーベースの年間マイナス11%超という金融緊縮路線は続けている。
FRBの路線は、低金利=株高の継続を目論むトランプ政権と矛盾し、先行きを不透明にしている。


高柳良治さんの文章からちょっと引用させてもらう。

へ一ゲルは「精神現象学」で、独特の「ロビンソン物語」を展開している。
そこでの行論はこういうことになる。

欲求(Begierde)は対象を完全に消費し尽くし、それによる混じりけない自己感情を自分の手に残す。

この満足は、それ自身としては消え去るものにすぎない。なぜならそこには何もモノとしては残らないからである。

これに対し労働は形成する。労働している人にとって労働の対象は自立性をもっているから、労働は対象に永続的な形式を与えることになる。

このとき労働する人の(目的)意識は自分の外に出て対象に入り永続する。このとき、労働する人は自分自身が自立した存在であることを実感する。

この後は高柳さんの解釈。
たんたる欲求の満足はその場かぎりで消失してゆく。
しかし労働は形成する.しかもこの形成は二面的である。
一方で、労働対象は労働によって今までの形式を否定される。そしてその代りに新しい形式(価値)を獲得する.

と同時に、人間は労働によって、自然のまま衝動的な生から脱け出すのである。
人間は労働において自立した対象の中に入り込まなければならない。その過程で対象に対する認識が深められ、習熟し、能力が高められるからである。
ルカーチが言うように、人類の発展、原始状態からの社会化は、労働によってのみ可能となる。

文章ではこのあと道具・手段と理性の狡知が語られるが、私は従来の見解に対して異論がある。いずれ、もう少しシラフのときに書くことにする。

新古典派にはこのような人類史的視点はない。一輪車の曲乗りで、転ばないような方程式を作ることを経済学の本流と考えれいる。

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