鈴木頌の発言 国際政治・歴史・思想・医療・音楽

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2021年4月10日 “Scroll.in” India
Nandita Haksar
勇敢なシン・アウンへのオマージュ

シン・アウンは “Mizzima news” の共同創立者である。かつて彼女はインドで15年の亡命生活を送った。ミャンマに戻り活動していたが、一昨日、勾留された。

シン・アウン

ミャンマーの市民的不服従運動の画像を見ると、全国の町の通りに何十万人もの人々が押し寄せる壮大な抗議が見られる。

しかし大事なのは、そこにいる一人一人、旗を掲げる一人一人、三本指の敬礼をする学生たち、民主主義のために歌を歌う十代のわかものが、それぞれの勇気の物語を持っていることを忘れがちだ。

すべての抗議者は、自分が直面している危険を知っている。彼らは彼らの友人が撃たれて殺されるのを見た。人々は毎日逮捕され、拷問されている。

だから彼らは、逮捕、拷問、監禁が現実的な可能性であることを知っている。それを覚悟した上で、残忍な軍事政権のもとで民主主義のために戦うと決めるのだ。

そのような堅く団結した民主的な人々の中に、鋭い知性と、信念にもとづく勇気をもって働き続ける女性、シン・アウンがいる。


必死の電話がけもむなしく

シン・アウンは4月8日の朝に姿を消した。友人たちは彼女がどこかに隠れているだろうと期待していた。しかし、ついに彼女が軍隊に捕まったことを知った。彼女は現在、尋問センターで拘束されている。

軍事政権は彼女を捕らえただけでなく、彼女のすべてのものを破壊し奪った。

4月9日、彼らはアパートを襲撃しすべてを奪った。これにはインド亡命中に蓄えた資料すべてが含まれていた。そのコンピューターには彼女のメディア活動の歴史が保存されていた。

それから彼女の車とお金。彼女の個人銀行口座の預金、彼女が管理していた会社の口座のお金を押収した。ヤンゴンにあったシンアウンとの財産はすべて持ち去られたか、破壊された。


この虚弱な女性はなにものか?

ミャンマーの軍事政権にとって彼女が脅威である理由は、虚弱な体にも関わらず強い精神力をもっているからである。

1988年にビルマで国民蜂起があったとき、シンアウンは学生だった。彼女はそれまで政治に関与したことはなかったが、他の何百、何千人と同じように抗議に参加した。

軍のターゲットとなったシン・アウンは、インドの国境を越え避難した。彼女は若く、弾圧がいつか終わり、国民民主連盟が権力を握ると思っていた。15年間も亡命しなければならないとは、思いもしなかった。

シン・アウンは苦労の末、大学に進み経営学コースで学位を取得した。彼女はこのキャリアを抵抗の組織で活用した。

シン・アウンはBBCで働きはじめた。そしてさまざまな政党や組織、幅広いインド人を知った。

インドでは、学生運動の英雄であるソエミントにも会った。彼は非暴力的な手段で飛行機を乗っ取り、人々の窮状に注意を向けさせた。亡命学生たちは、国連難民高等弁務官事務所の証明書以外に身分証明書を持ってなかった。

1998年、シン・アウンとソエミントは共同で “Mizzimaオンラインニュースサービス” を開始した。それは独立系報道の主要な情報源に成長した。

さらにシン・アウンは、ビルマの女性の組織化にも深く関わった。彼女はバーマン女性と一緒に、少数民族の女性を巻き込む運動に育てた。


市民権を取り戻す

2012年、ソエミントと シン・アウンはミナマールに戻り、ミャンマー市民権を取り戻した。それは彼らが何よりも大切にしていた市民権だった。

彼らは他の多くの人々が第三国に定住する手続きを助けたが、自らは第三国定住のすべての申し出を拒否した。それは彼らの祖国への愛情だった。

ミャンマーでは、8.8.88世代が畏敬の念を持って見られている。彼らは軍事政権から民主主義への移行において重要な役割を果たし続けている。 ソエミントはハイジャックの裁判にかけられたが、彼女は冷静さを保ち支援し続けた。

シン・アウンの体調が不良となる

 シン・アウンは最近体調が悪く、ゆっくりと物事を進めていた。クーデターが起こったとき、彼女はすでにミジマ社を辞任していた。軍事政権はミジマ社の発売免許を取り消したとき、シン・アウンはすでに社員でさえなかったのだ。

ビルマ婦人連盟は、シン・アウンの解放を訴えた。彼女は女性の権利活動家であり、ジャーナリストであり、優れた女性である。

彼女にはどんな状況にも耐える勇気と力があることを私は知っている

マヤ・アンジェロウの詩「スティル・アイ・ライズ」はシン・アウンとミャンマーの勇敢な女性のために書かれたものである。
あなたは私を歴史に書き留めることができます
あなたの苦くねじれた嘘で、
あなたは私をほこりだらけの場所に投げ込み
踏みにじることができますが、
それでも、ほこりのように、私は立ち上ぼるでしょう。

違和感を覚える「国民統一政府」構想

軍により追放されたスー・チー派国会議員を中心に、「国民統一政府」が構想されているようだ。

代表のミン・コー・ナイン氏は、国民の意志が挙国一致内閣の優先事項であると述べた。

そして民主化運動と自治を求める少数派コミュニティの間の目的の統一を強調した。

そして少数民族のメンバーと抗議指導者を含む役職者のリストを発表した。

スーチーは国家顧問としてリストされた。この件で彼女とは連絡が取れていないが、彼女は何が起こっているのかを知っていると確信していたと述べた。

主な目的の1つは、国際的な支持と認識を獲得することである。

国際協力大臣であるササ博士は、こう語る。
私たちは民主的に選出されたミャンマーの指導者です。だから、自由で民主的な世界が私たちを拒絶するなら、それは彼らが民主主義を拒絶することを意味します。
米国などの国は、ベネズエラの現政府を違法と判定し、野党指導者フアン・グアイドをその国の合法的な指導者として認めました。同じようにわたしたちも承認されるべきです。
元国連大使を含む国際的な専門家グループであるミャンマー特別諮問委員会は、NUGの創設を歴史的なものとして歓迎し、それは合法的な政府であると述べた。


これが目下わかっている情報である。これではバチェレ国連人権担当官が恐れる国際勢力の巻き込みと、「紛争のシリア化」というシナリオそのものではないか、と危惧する。

闘いの目標は「人権」という抽象的命題にあるのではない。軍による虐殺という事態を中断させること、虐殺が当然のこととして許されるような無法状態を停止することだ。
決して軍の転覆でも「市民革命」でもない。まして欧米流の人権尊重社会を作ることでもない。
そのためには当面どうしても軍との妥協が必要になる。
選挙方法の再検討は必要であり、とりあえずインパニッシュメントは保障しなければならない。非武装の市民を虐殺したことについての真相究明は必須である。
サスペンス映画ではないが、追い詰められた犯人が人質を盾に立て篭っている。彼らにどのように銃を置かせるかの問題だ。
大事なことは、この妥協が88年以来の戦いの歴史の中で明らかな前進となることの確認だ。この妥協は軍部のお恵みではなく、闘いの中で勝ち取った確実な前進となる。
この妥協を少しでも実りあるものとするためには、ミャンマーに影響を及ぼすすべての国の意思統一が必要だ。はっきり言えば中国と日本が合意し、和平の枠組みを提起する。ASEAN諸国は当事者として作業の進展を支える。こういった構図が必要となる。
出口と展望を示すことが、なによりもミャンマーの民衆を鼓舞することにつながると思う。

繰り返すがこれを人権問題に絞り込む発想、軍部主敵論、米中対立の地政学、経済制裁一辺倒の北風政策は問題解決にならない。中長期の課題は明確に分けながら議論をしていくべきである。
そこに日本の出番があるのだろうと思う。



ミャンマーの「元旦」にあわせ抗議者が集結
4月13日

ヤンゴン(AFP): 13日はミャンマーのティンヤンの新年祭であった。
人々は祝祭の集いに集まり、伝統的な土鍋に民主化のメッセージを書いて、花を盛りました。
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ミャンマーの文化の中心地であるマンダレーでは、人々は鍋や花を金色の仏舎利塔に置き、レジスタンス運動の象徴となった三指の敬礼を示す標識を付けました。

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「モロトフジャーナル」を地下出版
4月13日

ヤンゴンでは、当局は、オンラインと印刷物の両方で全国に流通している「モロトフ」というタイトルの地下ニュースレターの責任者を捜索している。

この出版物は、進行中のインターネットの停止と情報の抑制と戦うために若い活動家のグループによって始められた。

当局は「モロトフジャーナルは違法に発行されており、関係者や発行を支援する人に対して法的措置が取られるだろう」と述べている。

軍事評議会は意見表明に対する規制を一段と強化した。俳優や歌手を含む200人の有名人にたいし、「反軍宣伝に加担した」として逮捕状が発せられた。

有罪判決を受けた場合、彼らは3年の懲役に直面することになる。



抗議する医療従事者に発砲
4月15日 マンダレー

医療従事者による反対行動に治安部隊が発砲し、1人が死亡、数人が負傷した。

BBCのビルマ語放送によると、医療従事者が第2の都市マンダレーで反対行動を行った。すぐに軍隊が到着して発砲し、一部の人々を拘束した。

BBCやその他の報道機関は詳細を報道していないが、Khit Thitメディアは付近の寺院敷地内で男性が射殺されたと述べた。

匿名の住民は、「ここには抗議行動はなかった。兵士たちがやって来て、誰かを探しているようだった」と、電話で言った。
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人々は民主主義の回復をもとめ毎日街頭に出ています。写真:AFP
ビルマ政治囚支援協会は、クーデター以来、治安部隊が715人の抗議者を殺害したと報告している。さらに現在も約3,000人が拘束されている。

ミシェル・バチェレ国連人権担当官は、「ミャンマーの状況が本格的な紛争に向かっているのではないかと心配している。シリアなどでの過ちが繰り返されてはならない」と述べた。




「歴史」ブログの独立を完了しました。下記の表をクリックすることで、該当するリンクに飛べるようになっています。( )内はカテゴリー内の記事数です。
おかげでこのブログは10日間もご無沙汰することになってしまいました。
一応アプリを使って完全撤去したつもりでしたが、見直してみるといくつか抜けていて、逆にこのカテゴリーではないものも混じっていました。多少のエラーは眼をつぶることにします。
独立して一番良いのは細かいカテゴリー分けができて探すのが容易になったことです。もう10年も立ちましたので、その間に知識の発展もあり、その変遷も辿れるます。まぁこれは自分だけの感慨ですが…

カテゴリ別アーカイブ

2021年4月3日(土)

2021年4月3日(土) 「赤旗」
キューバ大使と緒方副委員長が会談

私は見逃していたのですが、友人に教えられて読みました。なんともコメントのしようがないので、皆さんへの周知を促しておきます。(と言いつつコメントしてしまった)
注目すべき点のみゴシック表記しておきます。

 日本共産党の緒方靖夫副委員長・国際委員会責任者は2日、党本部で、ミゲル・A・ラミレス駐日キューバ大使の訪問を受け、会談しました。

 緒方氏は最初に、ラミレス大使の一昨年11月の着任に祝意を述べ、党本部訪問を歓迎しました。

 大使は、新型コロナウイルスとのたたかいやワクチン開発、二重通貨の一本化に進んだ経済改革、4月半ばのキューバ共産党第8回大会、不当な締め付けを強化する米政権の政策などキューバをめぐる情勢と課題を説明しました。

 この機会に、大使はキューバ共産党のレジェス国際部副部長からの緒方氏宛ての手紙を手渡しました。

 緒方氏は大使の詳細な説明とレジェス氏の手紙に感謝し、その中で表明されている両党関係を発展させたいとの意向に基本的に賛成すると応じました。

 さらに、複雑な国際情勢のもとで各党には独自の立場があり、意見の違いがあるのは当然だと指摘。、それを含めて対話を維持することが大事だと強調しました。

 大使は、さまざまな問題があっても対話していくことに賛意を示しました。

 両氏は、対話を続けていくことにしました

 会談には、松島良尚国際局員とクラウディオ・モンソン一等書記官が同席しました。



                 
  医師・作家 マ・ティーダ
  き き て 道 傳  愛 子

本日朝、教育テレビで放映されたマ・ティーダさんのインタビューを見て感動しました。
途中からだったので全編見たいと思いましたが、ネット検索したところ、上記サイトに全文が掲載されていました。ここでは少しでも多くの人の眼に触れてもらうために、宗教的内容に触れた部分を割愛し、要約のみ紹介させていただきます。それでも十分に長い。覚悟はしてください。

マ・ティーダさんの経歴

ナレーター:  去年十二月、国際交流基金アジアセンターの招きで、一人のミャンマー人が来日しました。マ・ティーダさん。外科医として貧しい人々の診療にあたり作家としても活動してきた女性です。
マ・ティーダさんは、ミャンマーの軍事独裁政権に抵抗する民主化運動で捕らえられ、およそ六年間の獄中生活を送った方です。
ミャンマーが、まだビルマと呼ばれていた時代、学生や僧侶をはじめ数多くの市民が民主化を求めて立ち上がりました。運動の広がりを恐れた軍は、武力で鎮圧に乗り出し、抵抗する人々に向けて次々と発砲。数多くの死傷者を出しました。
ナレーター: その後、クーデターによって全権を握った軍の支配は続きました。マ・ティーダさんは、当時外科医を目指す医学生でした。軍政批判を続けたアウンサンスーチーさんと共に抵抗運動を続け、一九九三年に逮捕されます。懲役二十年の刑でした。
獄中では、病気になっても適切な治療が受けられず、重い子宮内膜症になるなど過酷な日々を送りました。



マ・ティーダさんの獄中生活 

ティーダ:  狭い独房に入れられた私は、読み書きも許されず、友人や親戚、仲間たちと連絡もできませんでした。世界の全ては3.6メートル四方の御独房で、あれもこれも禁止されました。
そこで私は毎日二十時間近く瞑想を行いました。それにより、とても深く自分自身を見つめることができました。そしてやがて、私の自由は、刑務所でも奪えないと分かりました。

道傳インタビュアーの導入

道傳:  バンコク駐在の特派員になってから、私はミャンマーの民主化を取材してきました。マ・ティーダさんと知り合ったのは、二○一三年のこと。以来五年間、親交を重ねてきました。
今回の来日にあたり、獄中生活の支えとしたご自身にとっての仏教とは何か。それはどのような生い立ちの中で育まれたものなのか、聞きました。

道傳:  マ・ティーダさん、今日はありがとうございます。
ティーダ:  お招きありがとうございます。
道傳:  あなたは、ミャンマーで民主主義のため、文字通り闘ってきました。その人生に一番影響を与えたのは、どなたでしょう?
ティーダ:  両親です。母からの影響はとても大きいですが、一番は慈愛の心です。母は、誰に対しても真の思いやりがあり、早朝に三時間以上も祈っていました。
道傳:  遠い親戚の叔父さんが来て、家族と住むようになった話もありましたね。どういう経緯で? 彼は刑務所から釈放されたばかりだったとか?
ティーダ:  彼は民主化運動を支持する学生だったので、逮捕され、インセイン刑務所に入れられました。
釈放の時も、家族が出向いて連れ帰ることができません。そこで私の父が我が家に連れてきました。彼はひどい病気でした。すごく痩せていて、肌からは、小さな虫が湧き出していました。
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父が教えた市民精神

ティーダ:  父は、なぜ彼が逮捕されたか。それがどういうことなのか説明し、とても辛抱強く、彼の傷の手当てし、面倒を見ていました。
実は父は医師になりたかったのですが、第二次世界大戦で、両親を亡くし、医大に行くお金がありませんでした。
父もまた私に大きな影響を与えました。父の方が私よりずっとリベラルです。私にとって、父は、ミャンマーの完璧な市民でした。
父は、シャン族と中国人の混血で、母は、モン族と中国人との混血です。多くの血が混ざっています。父は、私たち子どもたちに、市民としての精神が、民族の誇りより、いかに大事か教えてくれました。有名でもリーダーでもないけれど、父こそ私のお手本であり、市民の手本だと思っています。

リベラルであるということ

道傳:  お父さんは、リベラルだったとおっしゃいましたね? あなたよりも?
ティーダ:  私たちの文化には、古臭いところがあります。たとえばビルマ人は通常、男性と女性の下着を一緒に洗わないのです。しかし、父は、そんな伝統には従いませんでした。「どっちも同じ布だろ」と言っていました。そのように、父はいつもリベラルで、無意味な伝統に従わず、合理的に行動しようとしていました。

両親と

医学生から活動家に

ティーダ:  父方のいとこが何人かシャン州にいたので、ほぼ毎年、夏に行きました。ある地域には電気もなく、どんな生活をしているか分かりました。私たちのヤンゴンでの生活とはかけ離れていて、私は、彼らのことがとても気になりました。
それで、私は幼い頃から、どうしたら助けを必要とする人々の力になれるか、いつも考えました。
道傳:  しかし、思いやることと、実際に行動することは違いますよね。医学生として、民主化運動に参加することを決め、なぜ行動し、立ち上がろうと思ったのですか?
ティーダ:  立ち上がるということではありません。ちょっと助けたいような気持ちです。自分を英雄と思ったこともありません。
チャップリンの映画に、こんな話がありますね。彼は、どこかに向かい、走っていたと思います。そして、彼を追って、他の人もみんな一緒に走っていました。誰かが「止まれ」と言い、全員一列になって止まりました。そして、誰かが、「勇敢な者は一歩前に出よ」と言いました。チャップリンは、動かずにいたのですが、他の人たちが一歩後ろに下がってしまった。
ですから、私は刑務所にいた時も、こう言っていたんです。「自分は動かずに立っているのに、周りが後ろに下がるのです」と。それで私が「勇敢な者」になってしまう。英雄などにはなりたくありません。それだけのことです。
道傳:  しかし、社会が何か間違っていると感じていた?
ティーダ:  もちろんです。電気がない、良い道路もない状況で生きている人々を知っていたので、、社会はどこか間違っていると思いました。
また、私には恐怖もありました。私が恐れたのは不正義を許し、受け入れてしまうことだったのです。

1988年の民主化闘争

ナレーター:  一九八八年三月に始まった学生による反政府デモは、八月になると呼びかけに応じた一般市民や僧侶などにも広がり、大規模な民主化運動に発展しました。当時母親の看病のため夫の母国イギリスから帰っていたアウンサンスーチーさんは、民主政権の樹立を訴え運動の象徴的な存在となります。
アウンサン・スーチー:  私が国外で生活し、外国人と結婚しているのは事実です。しかし、祖国への愛と献身は、過去も未来も揺らぐことはありません。独立の父アウンサン将軍の娘として、この闘いの先頭に立ちます。この闘いは第二の独立闘争です。
民衆:  規律を守って闘おう! 規律を守って闘おう! 規律を守って闘おう!
ナレーター: しかし、翌年、スーチーさんは自宅に軟禁されます。軍は選挙で彼女が率いる国民民主連盟が圧勝しても、政権を譲ろうとはしませんでした。
当時多くの政治犯が収監されたインセイン刑務所。スーチーさん軟禁後も抵抗を続けたマ・ティーダさんが、逮捕され送られた場所です。一九九三年、二十七歳になろうとしていた頃でした。

アウンサンスーチーの側近となり、そして逮捕

道傳:  アウンサンスーチーさんとは、どのようにして知り合われたのですか?
ティーダ:  当時、私たちはストをし、毎日デモをしていました。そのとき、アウン「サンスーチーさんのアシスタントにならないか」と誘われたのです。
その時は断りました。誰か一人のために働く気にはなれなかったし、また当時は結構、彼女に否定的な感情もありました。「ずっと私たちの国から離れていたのに、今になっていきなり現れて」と。それが最初に思ったことだったんです。
しかし、彼女の演説の語り口からその心情が十分伝わってきました。口だけではなく、心からだと。
ティーダ:  私の仕事は彼女とスタッフの健康をケアすること。もう一つ、すべての報告やデーター収集、メモの作成などをしなければなりませんでした。
道傳:  逮捕されたときには、何をしていたのですか?
ティーダ:  私は外出中でしたが、自宅の前で張られていました。そして家宅捜索され、「探し物をするだけだ」と言われ、部屋や本を調べられました。
そして、治安秩序の侵害で七年、違法組織との接触で三年、違法印刷物の発行と配布に各五年、合計で刑期二十年の刑です。

刑務所での生活と瞑想

道傳:  刑務所での一日は、どのようなものでしたか? 決められた日課など、朝は何時に起床とか?
ティーダ:  朝とても早いです。私たちは食事の時間を待ちました。でも与えられるのは、味のないお粥だけです。そんなまずいお粥とお湯が一杯だけでした。
二週間に一度の両親との面会の時、食べ物を差し入れてもらいました。ですから、食べ物は家族の差し入れが頼りでした。夕方になると、独房の外に出て、歩く時間が十五分与えられました。それ以外の時間は独房の中に。それが五年六ヶ月六日の生活です。
道傳:  二十代三十代の頃と言えば、本をたくさん読んだり、友人に会ったり、海外旅行したり、経験を積み自信をつけたり、そういう機会をすべて失ったのですね?
ティーダ:  そうです。でも刑務所で、私が最も恐れたのは、本が全く読めなくなることです。当時は本を読まないと、罪を犯しているようで、とても辛かったのですが、私は「ヴィパッサナー瞑想」で自分を読むことができたのです。これで心が解放され、本がなくても気にならなくなったのです。
以下中略

宗教はアヘンか?

道傳:  私が、軍事政権時代のミャンマーを取材していたとき、多くの人がパゴダに行って参拝し、寄進し、とても熱心に祈っているのを見ました。現世より来世が良くなるようにと。
現世には全く希望がないから、支配や政治の問題を問わずに、現世をあきらめ、来世に期待しようと自分に言い聞かせる。このような考え方は、軍事政権にとっては非常に好都合だったでしょうね?
ティーダ:  はい。独裁者たちによって、社会がそのように形作られてきたのです。宗教指導者の中には、社会を良くする方法が分からないため、目的をそらす人たちがいます。
私は、ブッダの教えとは、自分自身を教化することだと思ってきました。祈ったり崇拝することで、許されるとか、何か得られるとか、徳が積まれ救われるとか、豊かになるとか、これはブッダの信仰のあり方ではありません。
私は、現世で自由になりたいのです。来世までは待てません。いつも現世こそが、私にとって最上の恵みだと感じています。

釈放後の生活 医師として文筆家として

医師として

ナレーター:  釈放後、マ・ティーダさんは医師になり、ムスリムの人々を無料で受け入れる病院で働きました。
その後は慈善病院にもボランティアとして勤務。貧しい生活で医療費を払えない人やさまざまな宗教の人と向かい合ってきました。
私がミャンマーを訪ねた時、マ・ティーダさんは、医師としての仕事と共に、文筆家として雑誌や新聞の編集にも力を注いでいました。自分で考え行動する。その土台となる情報や知識を、みんなで共有することが、民主化に必要な第一歩だと考えたので。
「木霊(こだま)」という新聞の編集責任者を務めるマ・ティーダさんは、冒頭に論説を掲げ、「国民の声を自由に響かせよう」と訴えています。若い世代に向けた月刊誌も編集。メッセージ欄を設け、検閲の廃止など表現の自由の大切さを伝えてきました。

社会からの同調圧力と排除

道傳:  二○一四年に取材したとき、あなたはムスリム無料病院で診療なさっていました。なぜムスリムの病院で診ることを選んだのですか?
ティーダ:  当時、反政府の医師である私を受け入れてくれる病院は、ただ一つ、ムスリム無料病院だけでした。
すべての政治囚とその家族は、政府や軍の諜報部だけでなく、社会にも差別されました。多くの人が私たちを避け、かなりの距離を取りました。
釈放された政治囚とその家族は、治療を受けられる場所がありませんでした。ムスリム無料病院は、その唯一の場所だったのです。
道傳:  これはあなたに、今まで話さなかったことですが、私がヤンゴンの人々に、あなたのことを聞いたとき、あなたが、ムスリム無料病院で患者を診ていることを、快く思っていない人たちがいました。
私は驚き心配になりました。人々が、民主主義や包容力のある社会について語っていた時に、まだ少数の人たちが、ムスリムを診るべきでない、というような話をしていたので、なぜだったのでしょう?
ティーダ:  人々は今、独裁や軍事政権とは別の恐れがあるのかもしれません。仲間内で圧力をかけ合い、その圧力への恐れが広がっています。
そのような同調圧力を受けた人々は、私がムスリムのような「異なる人々」に奉仕するのは間違っていると考えるのだと思います。
道傳:  それはどんな「恐れ」でしょうか?
ティーダ:  私たちの社会には批判・中傷が飛び交っています。人々はそれを非常に恐れています。
私はいつも、自分の責任の主体は、自分自身だと考えているので、十分な支持がなくても、批判されても、自分でいられるのだと思います。

文筆活動の展開方向

道傳:  一方で、あなたは、作家としても非常に活動的ですね。今はどんなメッセージを?
ティーダ:  「インフォ・ダイジェスト」に取り組んでいます。毎月一つの問題を取り上げ、事実や数字、図表情報を載せます。
独裁と闘うため、最も重要なのは知識、そして知恵なのです。しかし、十分な知識なくして、どうやって間違っていることを指摘し正せるでしょうか? 

表現の自由が民主主義の基本

道傳:  なぜ発言したり人の話を聞くことは、民主主義の過程で重要なのでしょう?
ティーダ:  「表現の自由」こそ鍵で、他の権利にも関わります。表現の自由なしに、他の権利を確立できるでしょうか。かなり難しいです。
道傳:  表現の自由が、逆にヘイトスピーチ(憎悪表現)を惹起することもあると思いますが、どう考えますか?
ティーダ:  ミャンマーでは、いまだに多くの人が、民主主義と自由を区別できません。
人々は、自由を味わったことも、自由を行使する権利を持ったこともありません。ですから、自由をよく理解していないのだと思います。
少しの自由を得ると、その自由を行使したくなるものです。しかし使い方を理解していないので適切に使うことができません。自由を行使する際に他者のことなど気にしなくなります。自由な言論だと思っていることが、ヘイトスピーチになっていることを知らないのです。
ですから、他者の権利を擁護できないと、表現の自由という権利が確立されたことにはなりません。
道傳:  民主主義にとって重要な前提ですね。

表現の自由と情報公開

ナレーター:  マ・ティーダさんは、「表現の自由」の問題と共に民主化にとって大きな壁となっているのは、情報の閉鎖性だと考えています。
ミャンマーではいまだにあらゆる情報が軍によって管理され、軍を通してしか伝わらないのが現状だと報告しています。そして事実を報道しようとするジャーナリストが、危険な状況に置かれていると訴えました。
ティーダ:  一年半ほど前、ワという地方で、戦闘がありました。取材に行こうとしたジャーナリストが、軍に「死刑を含む軍法を適用する」と脅迫され、取材できなくなりました。
紛争が起きている場所や危険なところに赴いて、取材しようとするジャーナリストの安全が確保されなければ、国民はいったいどのようにして事実を知ることができるでしょうか。
私はこの正しい情報を得る「知る権利」について尽力しています。政府は、一次資料を出すべきです。国民は、その情報にアクセスできる権利を持つべきです。そうすれば、国民はそのデータから直接事実を知ることができます。情報を操作されるようなこともなくなるでしょう。

ロヒンギャ問題を民主化への糸口へ 

ナレーター:  今、ミャンマー西部ラカイン州のイスラム系の人たちをめぐる問題が発生しています。彼らはロヒンギャと呼ばれていますが、その多くが迫害され、難民となっています。
マ・ティーダさんは、この問題で、非難の応酬ではなく事実を明らかにすることが、ミャンマーの真の民主化への糸口になると考えています。
道傳:  ミャンマーの最近の課題に、ロヒンギャの人々に関する問題があります。これは、ミャンマーの民主主義にとってひとつの試練となっていますが、どんな試練なのでしょうか?
ティーダ:  この問題は、私たちの過去と深く関係しています。
情報が欠如しています。そのため、現在の問題が何かがわからないのです。外国メディアと国際社会も、情報の欠如に苦しんでいます。そのため人種と宗教の歴史などの文脈を、深くは掘り下げられないでいます。
私たちは、外国メディアも、国内の政府メディアも信じていません。それは歴史を通して経験してきたことです。信頼できる情報は圧倒的に不足しています。全体状況を詳しく知ることができません。

情報不足は問題を過度に単純化する

多くの人は情報が不足した状況では、問題を過度に単純化してしまおうとします。それでとても考えが足りない、単純なコメントを出します。しかしそれは現実と違います。
いまだに多くの人が、チッタゴン丘陵地帯で、何が起きているか知りません。そこに暮らす仏教徒の少数派が、暴力的な扱いを受けていることなどについても知らされていません。
道傳:  あなたは、罪ある強者から、罪なき弱者に、罰が転嫁されると書いていました。
人々が状況に対して怒っているけれど、どうすればいいか分からない。そういう状況があって、そんなときに怒りを強者に向ける代わりに、弱者を攻撃する傾向があるかも知れません。これはミャンマーで起きていることの説明の一つになるでしょうか?

ティーダ:  そう思います。ですから、国民の和解と和平のためにも、もっと真実を明らかにして行かなければなりません。
それを抜きにして「もう前に進まないといけない。過去のことは忘れろ。権力者の過ちとか、誰が正しいかは放って、何もしなくていい。とにかく前進するのだ」と言うのではうまくいきません。
私たちは、学び合い教えあうことで、社会に調和を取り戻そうとしていますが、それには時間がかかります。
道傳:  ロヒンギャの問題は、個別の問題として見るべきでなく、ミャンマーの民主主義にとっての試練だと言えますね? (ティーダさんはこの話題で、道傳さんと先進国メディアをえん曲に、繰り返し批判しているのだが、道傳さんには通じていないようだ)

ティーダさんとスーチーの相違点、共通点

道傳:  かつて、あなたはスーチーさんと緊密に動いていました。
ティーダ:  はい。短い期間ですが。
道傳:  では今、手を携え、一緒に働くのはどうですか?
ティーダ:  今、私は彼女と手を組んでいないとは思っていません。スーチーさんがそうであるように、私も私らしく、自分の国のために、何かしようとしています。それが助け合うことになると信じています。彼女のためだけでなく、社会のために。
道傳:  アプローチが違うということですか?
ティーダ:  そうです。私は自立していたいのです。私にとって一番素敵な言葉は「自立」です。ですから、皆のために道を作る意味でも、本当に自立していたいのです。
私たちは、他の誰かや政党に率いられるのではなく、全員一緒に目的地を目指さなくてはなりません。その基礎となるのが草の根の人々です。
彼らに力が必要です。私の目標は、私の国のすべての人が完全に自立し、基本的人権と相互理解と相互の尊重です。

ミャンマーに民主主義を

近影

ビルマ語には、「民主主義」の訳語がまだありません。人々は現実に向き合う準備がまだできていないのです。指導者か、政党か、誰か他の集団が、民主主義を運んで来てくれると、人々は考えていました。
自立していない人々は、多数派や力のあるところにいないと安心できません。安全のためだとして、武力やより大きな集団に頼ります。
人々はいつも、より大きなギャング(暴力的な権力集団)を求めているのです。それは自らの安全のためです。彼らはいつも自分たち民衆の力を過小評価し、いつも救世主を求め、より大きなギャングに繋がろうとするのです。
道傳:  今は、民主的な選挙で選ばれた政府がありますね。それでもまだ五十年間以上続いた軍政の負の遺産があるとお考えですか?
ティーダ:  現在の状況はクーデターの頃より悪いところもあります。軍事政権の時代には、権力には正統性がないと簡単に言えました。
選挙や憲法という過程を経た今、人々はわからなくなったのです。「2008年憲法」により、国軍司令官が内務省を統括することになりました。内務省は行政全体の最重要省庁ですから、軍が行政のほとんどを支配していることになります。軍事政権時代より軍の権限は強化されたのです。しかも合憲的に。
道傳:  独裁は必ずしも軍だけのものではないかも知れません。「非常に力強い権力」という意味で独裁を定義するなら。アウンサンスーチーさんにも、潜在的に大きな影響力があります。
厳しい言い方かもしれませんが、人々がそれに受け身になってしまって、「自分たちは深く考えなくていい」と思うようになるのでは?
ティーダ:  それもたしかに心配です。それを防ぐためにも、国のすべての人に、自立した存在になってほしいと思います。それが私の最終目標です。たんに民主主義や連邦制度ではなく、最終目標は「自立」です。

社会に広がる不寛容をどう克服するか

道傳:  なるほど。社会はより複雑になり、ミャンマー内外にも、不寛容が広がってます。宗教は、過激主義や不寛容の広がりに対して解決の手掛かりになるでしょうか?
ティーダ:  十年前の2007年に起きた「サフラン革命」に戻りましょう。あの時は僧侶たちが平和的な運動を率い、他の多くの仏教徒でない者たちも参加しました。かつて私たちの社会には、とても強い相互の調和があったのです。
いま私が強く望むのは、政治・宗教・社会の指導者たちが相互に大きな敬意を払うことです。それには間違いなく長い時間がかかります。でもそうしない限り変えていくことはできません。

 
     これはNHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである

 

       

「経済制裁は反対派の助けになっていない」かも知れないというちょっと衝撃的な評論が出た。
「スクロール・イン」というインドの独立系のブログの 3月31日号に掲載されたもので、

Why economic sanctions against Myanmar may not help the cause of the pro-democracy protesters

This would allow the country’s military to brand domestic democratic activists as stooges of the West.

はじめに

2月1日の夜明け前の急襲で、軍部は再び国家権力の支配権を直接掌握した。

これはスウチーが徐々に軍事代表のポストを削減しようとした計画に対する拒否である。

ミャンマー軍部と中国

1970年代半ば、中国はビルマ共産党への支持を取りやめた。それ以来、中国はミャンマーに強力な足場を築いてきた。

ミャンマーは、北朝鮮やパキスタンと並んで、中国の3つの最も重要な戦略的パートナーであり、中国が失うわけにはいかない国だ。

民主化が実現しスウチーが政治的発言力を強めると、中国はスウチーを西洋のリベラルな偏見を持った、信頼できないパートナーと見るようになった。

彼らは自由民主主義が普及すれば、軍が政府の支配を失い、最終的にはミャンマーが西側諸国と連携することになるのではないかと恐れている。

そしてスウチーの改革を、軍の役割を完全に段階的に廃止する試みと考え、ミャンマーを中国の軌道から外すための第一歩と見なしている。

このため、中国は国際舞台での軍事政権の強力な防波堤となっている。


西側諸国は反軍運動の指導者となるべきではない

西側諸国は、ミャンマーの民主主義運動を支える方法として、より厳格な制裁を課すという古い戦術をとっている。

闘争のイニシアチブを握る地元の市民社会活動家もその考えに立ち、この呼びかけを繰り返している。彼らは主に社会の上層部に所属している。

そしてバイデン政権に対し、新たなより厳しい制裁を課すよう促している。

しかしミャンマーの歴史の中で、このような闘いが有効であった試しはない。

西側の政府は長い間、ミャンマーの権威主義体制に制裁を強要してきたが、一般の人々の苦しみを悪化させるだけだった。

軍の権威主義的支配はそのまま維持された。民主化運動家は西側のエージェントというレッテルを貼られ、民衆から孤立した。

同じことが繰り返されるなら、それはかえってミャンマーの抗議運動の障害になるかも知れない。

そして第三世界の救世主のように振る舞う中国とロシアの地位を引き上げることになる。


ミャンマーの民主主義は勝利できるだろうか?

数年前、世界の祝福を受けて民主的な改革・解放が始まった。そして先月はじめ、突然の終わりを告げた。それはすべての人々を激怒させ、大規模な反クーデターの闘いを引き起こし、これまでに少なくとも126人の殺害をもたらした。

しかし軍事政権に対する大規模な反乱はミャンマーでは目新しいものではない。ミャンマーの国民は独裁政権に対する反乱の長い歴史を持っている。

今までのところ、これらの繰り返されてきた激動は、勢力バランスを軍隊から民衆へと決定的にシフトさせることができていない。軍は常に力ずくでそれらを粉砕してきた。

しかし、ミャンマーの民主主義の未来は、現在の蜂起の成功にかかっている。

ミャンマーの軍事政権は、活気に満ちた民主主義の2つの基本的な柱である政党と市民社会を縛り上げてきた。

さらに、軍隊の組織体系は、人口のかなりの部分に権威主義の文化を教え込むことができた。フライン軍事政権の強固な基盤を提供するこの人たちは、多くのオブザーバーが理解できず無視してきた。

さらに最新の監視技術は、民主的な活動家を追跡することをより簡単にし、彼らが抗議を組織することをより困難にしている。


それでも運動は十分に強靭だ

それでも、現在ミャンマーで進行中の抗議運動は、強力で強靭である。その力の源は彼らの自発性だ。自発的であるために、特定の参加者を追跡することによってだけでは、動きを阻止することはできない。中央組織がないため、監視の目よりも優位に立つことができる。

リアルに考えて、間違いなく、平和的な抗議が軍事力に匹敵することはめったにない。しかし、運動が成長しているというのは間違いない事実だ。

その理由は簡単だ。あらゆる分野の人々が参加し、当局や関係者に市民的不服従に参加するよう促している。100人以上の逃亡した警察官がまさにそれを証明した。

街頭行動のみならず、山猫スト、任務放棄、不同意など多様な形態で人々の強固な意志が継続して示されることは軍事政権にとって致命的な打撃となる。

この傾向が続けば、ミャンマー国民は歴史上初めて民主主義に到達することに成功するかもしれない。1990年に隣国バングラデシュの人々が行ったように。

あるいは闘争は失敗し、直接の軍事政権が復活するかも知れない。

最悪そうなったとしても、政権を握った軍部は自らの権力基盤の維持を図らなければならない。そのためには、徐々に民主主義システムを再導入していく可能性がある。


ちょっと論旨がわかりにくい文章なので、私なりに読みを入れておきたい。

話としては2つある。

一つはこの闘いはミャンマーの民衆が闘うべき性質のものであり、民衆の頭越しに軍事政権を懲らしめようというのは、気持ちはわかるが、余計なお節介になるかも知れないということだ。

そういう上から目線ではなく、あくまで民衆の闘いを評価し、拡散していくこと、そのためにもっともっと学ぶことこそが連帯の基本に座らなければならないということだ。

もう一つは、ミャンマーの人々の闘いの強靭さにもっと確信を持ってよいということだ。人々は40年の間、屈服を強いられてきたが、もはやその世界に戻ることはないだろう。軍部にはこの歴史の流れをせき止める力はない。

少なくともミャンマーについては、この2つが基本であり、いわゆる「地政学」的な分析や社会経済的評価は二次的なものにとどまるだろう。

ということで、この分析は的を得たものだと思います。先日取り上げたシンガポール首相の発言は良心的なものですが、これらについての確信がないような気がします。


もお読みください

3月31日(水曜日)午前5時

「海峡タイムズ」の報道から


3月31日(水曜日)午前5時 

1.不法な権力簒奪と民衆虐殺

軍は、スーチー氏とその党が勝利した11月の選挙は不正であり、選挙委員会によって却下されたと主張して権力を掌握した。  

それからほぼ2ヶ月が過ぎた。「政治囚支援協会」(AAPP)によると、クーデターに対する抗議デモで、少なくとも512人の民間人が殺害された。

そのうち141人は騒乱の「最も血なまぐさい日」である土曜日(27日)に殺害された。 

抗議する医師たち(30日)
            抗議する医師たち(3月30日)

2.なおも続く抗議行動 

メディアやソーシャルメディアの写真によると、暴力の急増にもかかわらず、昨日(火曜日)もいくつかの町で、数千人の抗議者が行進するために街頭に出てきた。  

治安部隊はコータウンの最南端の町で1人の男性を射殺した。その23歳の犠牲者の親戚が、ロイター通信に語った。ミジマのニュースポータルがそう報じている。  

ストライキの市民的不服従キャンペーンは経済の一部を麻痺させている。最大の都市ヤンゴンの抗議者組織は、それを強化しようとしている。彼らは住民に、主な交差点にゴミをばらまくように呼びかけている。

3.西側諸国の動き

西側諸国はクーデターと暴力を非難し、スーチーの釈放を要求し、一部は限定的な制裁を課した。 

ブリンケン米国務長官は、「アセアン諸国を含む、緊密な同盟国やパートナーと引き続き強力に協力する」と述べ、ミャンマー国軍系の企業に多額の投資をしているいくつかの外国や企業は制裁の対象となると警告した。 

4.インドネシア外相の声明

ASEANの中でインドネシア、マレーシア、シンガポールが声を上げている。アジアの隣国も警戒を強めている。

火曜日、インドネシアは再び抗議の声を上げ、あらためて民衆への支援を申し出た。

外相のルトノ・マルスディ氏は述べた。
ASEANにはお互いの問題についてコメントしないという原則がある。それを踏まえた上でインドネシアは、交渉による解決を奨励する努力を続けている。
暴力の急増は容認できない。インドネシアはこの種の行為を強く非難する。ミャンマー国民の安全と幸福が最も重要である。ミャンマーに民主主義、平和、安定を取り戻すために対話を追求すべきだ。
インドネシアは不干渉の原則を継続的に尊重しながら、ミャンマーに支援を提供していく。

5.フィリピン外務省の声明

フィリピンは、抗議者に対する軍部の「過度で不必要な」行動に失望したとして、危機について最も強いコメントを出した。

フィリピンの外務省は、「ミャンマーの治安部隊に対し、非武装の市民に対して不均衡な力に訴えることを抑制し、やめるよう求めることを繰り返し表明する」と述べた。  

タイは暴力を「減らす」ことを求めた。ミャンマーはこのメッセージを受け止めたが、「今後の行動は状況次第だ」と述べた。

6.あくまで強気なミャンマー軍部

これまで伝統的に、外国の批判や西洋の制裁はミャンマーの将軍たちを揺るがすことができまなかった。

ミャンマー軍戦闘機は週末にカレン民族軍支配地を爆撃し、約3,000人の村人をタイに逃亡させた。 

タイ政府の公式の否定にも関わらず、難民は強制的にミャンマーに戻されている。国境のタイ当局者は、「ミャンマー側が安全であると見なされたため、軍がほとんどの人々を送り返している」と述べた。  

国連難民高等弁務官事務所のスポークスマンは、「人々が強制送還されているという報告を懸念しており、タイからの情報を求めている」と述べた。  

ミャンマー北部では、カチン族の武装勢力と政府軍の間で戦闘が激化している。インドの境界州は、難民への食糧と避難所の提供を拒否したが、この措置が激しい国民の批判を呼んだ後、命令を撤回した。  





「海峡タイムズ」の報道から

3月30日(火曜日)午前5時 社説「ミャンマーがますます深刻に」

27日(土曜日)にミャンマーの軍創立記念行事が行われた。軍はこの日も、国民に銃を向けた。

政治囚支援協会の監視グループは、少なくとも91人の死者を確認した。各地のメディアはそれ以上の数字を上げている。

ミャンマーでの国民虐殺は鎮静化せず、エスカレートしている。

国連特別報告者のトム・アンドリュースは、いまや安全保障理事会ではなく、国際緊急サミットを開催すべききだとした。そして世界が「強力で協調的な行動」をとる時だと訴えた。

また軍事評議会の武器や資源、資金へのアクセスを閉ざすべきだと訴えた。そして中国とソ連が安保理で拒否権を行使していることを広く知らしめるべきだと強調した。

以下略

「血塗られた軍創設記念日」

29日朝 27日の軍隊記念日、治安部隊によって全国で141人が殺害された。これはクーデター後最悪の数字である。
擁護団体AAPPによると、クーデター後の累積死者数は500人を超えた。

29日(月曜日)ミャンマーで14人の民間人が殺害された。そのうち8人は最大都市ヤンゴンのサウスダゴン地区で殺された。
国営テレビによると、銃撃は一晩中続いた。この地域の治安部隊は、これまでよりもはるかに大きい口径の「暴動兵器」を使用して、路上のバリケードを吹き飛ばした。
朝、住民は頃焦げになった遺体を路上で発見した。その遺体は軍が持ち去った。


3月27日、北海道AALAの事務所でとても素敵な勉強会がありました。原島則夫さんによる「アイヌの話」です。
原島さんはアイヌの出身で、北海道AALAの古参会員です。私と同じ頃に北海道勤医協に入って、一緒に仕事をしていました。その後共産党の道委員会で少数民族問題を担当していました。
今回は「少数民族懇談会事務局長」としてお話してもらったのですが、ちょっとまだ講演の全貌がまとめきれていません。
そこで今回は、赤旗道内版に掲載された「アイヌモシリ(人間が住む大地)から」という連載記事のコピーを紹介します。記事は全4回で2019年10月に掲載されたものです。

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アイヌ問題は
アイヌの土地を和人が奪った
アイヌを和人が差別した
和人がアイヌの尊厳を踏みにじり、同化を迫った
などの問題がありますが、
一番の問題は、明治維新まではアイヌ人のものとされてきた土地を日本政府が奪ったことにあります。
そして先住民であるアイヌ人の「先住権」を反古にしたことにあります。

国際法的に確認されたこの権利を改めて確認し、「旧土人保護法」の精神を捨て去り、その上で共生の道を図ることが、ロードマップのもっとも基本的な道すじです。

差別意識の清算については、あらゆる機会を捉えて粘り強く連帯意識の向上を図ることが求められることになるでしょう。


最近流行りの和製英語のベストテン
日経の土曜版(20日)に載っていた。「日本の英語を考える会」が作成。

1.リフォーム 正解はリノベーション リフォームは改革
2.リストアップ 正解はメーク ア リスト 
3.ライブハウス 正解はライブ ミュージック クラブ
4.フライング 正解はフォルス スタート
5.マンツーマン 正解はワン オン ワン マンツーマンは防御の一型
6.キーホルダー 正解はキー リング
7.アフターサービス 正解はアフター セールス サービス
8.ワインクーラー 正解はワイン バスケット
9.フライドポテト 正解はフレンチ フライ
10.コンパニオン 正解はバンケット アテンダント
だそうだ。
私は一つも当たらなかった。
選者は「和製英語は英語学習のじゃまになる」と書いているが、まさにそのようだ。
そう言えば、「ベストテン」も和製英語かな?

松島氏の節度ないベネズエラ批判について

いつも朝の目覚めは赤旗とともに始まるのだが、本日の赤旗は取り立てて気分の悪い記事が載っている。

それが松島良尚氏による「ベネズエラ」(坂口安紀・中央公論)の書評である。

1.対外関係の原則と節度

周知のことであるが、日本共産党国際委員の肩書きを持つ松島氏は、チャベスをふくめてベネスエラの20年余りの民衆の変革運動を、全面的に否定する立場に立っている。

これは従来の日本の民主運動や連帯運動の視点を全面否定するものだ。そしてさらに、中南米の民主運動の流れを全面否定することも、松島氏は辞さない。

従来より私たちの外国の運動との関係には、一定の原則と節度があった。内部問題には干渉しない。相手が攻撃しない限り、あるいはそれが世界の平和に対する重大な侵犯でない限り、節度をもって対応するということである。

逆に、関係逸脱と一方的攻撃があれば、たとえ相手が大国であっても呵責なく闘うというのも原則であった。

このことをいま一度確認しなければならない。


2.一方的な意思表明

第二に、松島氏が日本共産党の機関紙を使って、民主運動内部での異なる見解を無視して、書評という特殊な形式で一方的に自説を宣伝していることだ。

少なくとも数年前までは、民主運動内部でのベネズエラの自主的な改革を見る目は好意的なものであった。決して松島氏の見解は主流ではなく「異論」に過ぎなかった。

だから、少なくとも異なる意見が公平に扱われるべきであり、赤旗における「反論権」が認められるべきものと思う。


3.批判にあたっての「礼儀」

第三に松島氏が、書評の形をとって、聞くに耐えない、失礼千万の表現を続出することである。

たとえば、権威主義体制、国会の無効化、民主主義の希薄化、出来レース、政治犯として拘束、キューバによる治安・諜報訓練など恐ろしげな言葉が、引用という形をとって乱舞する。

批判された相手が事実として認めていなければ、それは中傷・フェイクと判断される可能性がある。

これらの言葉は、公党の国際部を代表する人物が公的な場で口にするような性格のものではない。批判というのは相手の顔に泥を塗ることではない。あまりにも下品である。


4.アメリカが世界を支配する構造は変わっていない

最後に、いつもながらのことだが、国際委員たる松島氏の中南米分析には、アメリカの干渉についての記述が欠如している。

日本の進歩勢力は、伝統的に世界の政治的出来事をアメリカとの関係の中に位置づけ、性格付けてきた。それしなければ重み付けができないからだ。

まったく松島氏がアメリカに言及していないわけではない。「アメリカのせいではなかった」と言及しているのである。もっとたちが悪い。

ことはベネズエラだけではない。ブラジルを手始めに、この数年の間でニカラグア、エクアドル、ボリビアで相次いで政府転覆策動が起きた。いくつかは成功した。それらは謀略的で半ば暴力的なものであった。

私の知る限り、赤旗はこれらの策動について、攻撃され倒された政府側を批判し、倒した側に支持を与えている。

私の知る限り、赤旗はこれらの事態を一連のものとみなしたり、背後のトランプ政権の存在を指摘してこなかった。

ことはラテンアメリカの問題に限局したものかも知れない。松島氏の個人的史観にもとづくものかも知れない。

いずれにせよ、私の生きているうちに、これらの問題が前進的に解決されることを祈るばかりである。

随分前に下記の記事を書いた。書いたことも忘れていて、なんのことかと読み直してみた。


言いたいことは「日本人に特異的にA型が多いのは、A型だから日本に集まったのではないかと思ったのである」ということで、なかなかの着想だ。

ただ、変なのは、「縄文人はA型は少なかったようだから、A型頻度を上げているのはもっぱら弥生人である」と書いているところだ。

わざわざ古畑の「A型」分布説を取り上げているが、この調査でA型が多いのは東北地方だ。つまり縄文色の強いところだ。

これだけで、この「大胆な仮説」は自己破産する。

しかし、事実として、日本人にA型が多いことも事実で、地域分布としては東北に偏っている(古畑による)とされる。

とすれば「縄文人はA型は少なかった」というのが怪しいことになる。

調べれば分かることなのだから調べてみよう。

キラリというページに親切に数字が取り上げられている。

予想はかなり違っていた。というより真逆だった。

血液型 弥生人はA、縄文人はB

まず事実として、日本人にA型の頻度が高いことは確認できた。しかしそれほどではない。

世界での比率は、O型が約45%、A型が40%、B型が11%、AB型が4%である。日本では、A型の割合が約4割、O型の割合が約3割、B型の割合が約2割、AB型の割合が約1割である。

結論として日本はA型特異国ではない。ポルトガル、フランスは半分がA型である。

ただし、最大の特徴はA型ではなく、B型が多いことである。それに引きずられる形でAB型の頻度も高くなっている。

ただしB型の頻度にだけ注目すれば、もっと高い国もたくさんある。インドは4割がB型だ。ハンガリーやイラン、パキスタンも日本と同じ3割を占める。

次に血液型の国内分布である。

A型の人口が多い都道府県は、徳島、福岡、愛媛、島根、鳥取である。それに対して、青森、岩手、沖縄は、A型の割合が少ない。

つまり間違っていたのは古畑の報告で、私の記事が正しかったのだ。

むしろ注目すべきは、国際平均の2倍に達するB型頻度で、いったい誰がBを押し上げているかというと、秋田、青森、長野、岩手、栃木で、特に秋田がすごい。


以上は、

のコピーである。

話が尻切れトンボになっているので補足する。

弥生人がAなのは良いとして、縄文人がBというのは正確ではない、というより嘘だ。
もし縄文人がBなら、縄文人の代表である沖縄やアイヌはもろにBでなければならない。しかしそのような特徴はない。

つまり、Bは弥生人でもなく、縄文人でもない、「第3の原日本人」の特徴である可能性がある。

その分布地域は秋田、青森、長野、岩手、栃木だ。つまり本州の東北端から北関東・信越あたりの日本海側ということになる。これはY染色体ハプロで言うC1グループ(仮にナウマン人と呼ぶ)の多い地域と一致する。

C1グループの由来についてはいろいろな説があるが、私は東アジアに最も早く到達したホモ・サピエンスの末裔で、5万年前にインドからインドシナに進出し各地に拡散したと考えている。

日本には4.5万年前に朝鮮海峡をわたって上陸し、ナウマンゾウを追って関東から羽越地方まで進出した。氷河期のもとで人口は激減したが絶滅はせず、2.5万年前ころ北から到来したD2グループ(仮に黒曜人と呼ぶ。後の縄文人)と混淆し吸収された。

今日でもC1グループは日本人の5~10%を構成していると言われ、彼らが高いB型血液型を持っていたとすれば、話は合う。

これに対して縄文人のABO血液型に関する特徴は少ない。特徴が少ないというのが特徴とも言える。「青森、岩手、沖縄ではA型の割合が少ない」というのが、まさにそれを指しているのかもしれない。

無差別殺害がさらに激化
ヤンゴン市民は軍事弾圧を恐れ街から逃げ出している
3月17日 The Straights Times

1.医学生ハインの死
16日ヤンゴンで数十の葬式が行われた。医学生のカント・ニャル・ハインの葬式では数百人の葬列が通りに溢れでた。

医学生の葬儀

学生の母親はフェイスブックのビデオクリップで訴えた。「彼らに今すぐ私を殺させてください、息子の代わりに私を殺させてください。私はこんなことを、もう受け入れることができません」

白い白衣を着た仲間の医学生を含む会葬者は、「私たちの革命が勝たなければならない」と唱えた。


2.国連大使への死の脅迫

今ミャンマーは、軍が2月1日にクーデターを起こして以来、混乱のさなかにある。国際的非難はさらに高まりつつある。

これに対し、軍事評議会(フンタ)は国連大使を反逆罪で起訴した。彼が市民的不服従を奨励し、国際社会の制裁を求めたからだ。

フンタは軍の運営するテレビ局でこのことを発表し、「この軍事裁判では死刑判決が下される可能性が在る」と恫喝した。

国連大使はメディアに「起訴されたことを誇りに思っている」と述べた。

そして「将軍たちは連日、反逆行為を繰り返している。自分たちが欲しい物を、自分たちのために取り、国民の権利を否定し、反対する人々に危害を加えている」と付け加えた。


3.各地で住民への一斉弾圧

現地からの報告によれば、軍は戒厳令を敷き、ヤンゴンなど5つの町に出動した。
ヤンゴン郊外の労働者街ラインタリヤールでは、多くの住民が着の身着のまま、バイクとトゥクトゥクで逃げだしている。

軍は街の入り口を封鎖して厳しい検問を行っている。地区の医師は、「この地域にはまだ治療を必要としている負傷者がいる」と語った。

国際人権グループの責任者マシュー・スミスはツィッターでこう述べている。
スマホのインターネットが完全に遮断されたため、情報の確認が困難になっています。WiFiはほぼ完全にアクセスできなくなりました。
軍事評議会の報道窓口にコメントを求めましたが、電話に出ません。

4.労働者に攻撃が集中しつつある
戒厳令が発せられたヤンゴン工業地帯では、多くの市民が逃亡しつつある。
「ここは戦場だ。どこでも銃撃している。住民は恐れて戸外に出ない」と労働組合活動家はいう。

14日の日曜日、HlaingTharyarの抗議行動では、40人以上が治安部隊によって殺害された。いくつかの工場が炎上した。犠牲者の家族は昨日、火曜日に葬式を行った。

政治囚人支援協会によると、治安部隊がデモの波を押し、これまで180人以上の抗議者が殺害されたという。

国連人権局は、拘禁中の「政治犯」に対し「非常に悲惨な」拷問が行われ、5人が拘留中に死亡したと述べている。



5.現地中国機関の対応

中国語放送を行う国際チャンネル「China Global Television Network」は、「14日にHlaing Tharyaranで、中国企業の工場30ヶ所以上が焼かれた」と報じた。

そして次のような警告を発した。
「中国が所有する企業がさらなる攻撃にさらされるなら、中国はそのようなことを許さない。
当局が対応できず混乱が広がり続けるならば、中国は、その利益を保護するために行動する。その際、より抜本的な行動を取ることを余儀なくされる可能性がある」

反軍政派の人々は北京が軍隊を支持していると見なしている
中国はクーデターを非難していない。さらに中国はロシアとともに、国連安全保障理事会のクーデター非難決議を妨げた。

中国対応については下記をご参照ください。


6.国際制裁の動き

フランス外相によれば、欧州連合は来週明けにクーデターの黒幕に対する制裁を実施、そしてすべての予算支援を一時停止すると言われている。



一番安直なコピペ記事。
本日の赤旗の囲み記事。
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渋谷駅前の凄まじい大群を見て、多分、東京の3.11の夜というのはとても文学的にパワフルな夜だったんだろうと思っていた。
が、三陸や福島の人を前に我が身について語るのも何やらはばかられるし…
と、10年間温めるというほどでもなく、結果的に抱えてきた密かな思い出というのがあるはずだろう、と思ってきたが、これがまさにそれ。
つかの間の淡い、しかし本気度の高い、愛にも似た密かな三角関係、言っていけないというわけではないが、なんとなしに言いそびれて10年、そして“あぁ言っちゃった” Confessという感じなのだろう。
きっと砂鉄さん、今とてもスッキリした気分だろう。奥さんが同じようにスッキリしてくれるとは思えないが、きっと、すぐ忘れてくれるだろう。
(ついでながら最近流行りの“カミングアウトは変だ。それは“露見”というか、“忍れど色に出にけり”のほうだろう)

AALA ニューズ No.74 (2021年3月10日)のスマホ版を発行しました。

AALAニューズ74号の内容は以下のとおりです。

★(ミャンマー)3月4日のエンジェルと “Everything will be OK”

★今、開かれる ベネズエラのあらたな未来への扉」=おおさかAALA3月号

★感情的な中国政策はダメだ、死活的利益を優先せよ=グラハム・アリソン

★中国との対決戦略の方が好ましい理由=日本政府当局者

★「AALAニューズ」編集会議の報告=鈴木 頌(編集責任者)


今回はワードから落としたので、改行のずれはありません。
ただし写真のブログへの転載は難しく、今回も挫折しました。
PDF版(正式版)は、日本AALAの AALA ニューズへ行ってください。


3月4日 “Everything will be OK”

1.マンダレーのエンジェル

エンジェル(Kyal Sin Angel)は19歳、ダンサーでテコンドーのチャンピオンだった。
3日、マンダレーの抗議デモに参加していた。そのシャツには "Everything will be OK"と書かれていた。
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        画面上を左クリックで拡大してください

しかしエンジェルは知っていた。大丈夫じゃないかも知れないということを。だから血液型、電話番号、そして臓器提供の意思カードを身に着けていた。

エンジェルは、昨年初めて民主主義のために戦い、誇りをもって投票した。

その選挙は2月1日のクーデターによって覆され、エンジェルは抗議活動のさなかにマンダレーの路上で頭を撃たれて殺された。

そのとき、エンジェルとともに18人の若者が殺された。

エンジェルのTシャツ姿は、デモ参加者によってひそかにソーシャルメディアに投稿された。

この写真はたちまち拡散され多くの反響を巻き起こしている。(先程の衛星放送でもフランスの放送局が大きく取り上げていた)

以下は彼女と行動をともにしていたミャット・トゥの証言。



2.最後の数分間

トゥは憶えている。
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        画面上を左クリックで拡大してください

抗議者が催涙ガスを目から洗い流すために水道栓を蹴って開けたエンジェルのこと、催涙ガスのキャニスターを警察に向けて投げ返した勇敢なエンジェルのこと。他人を兄弟のように面倒見て助けたエンジェルのこと…
警察が発砲したとき、エンジェルは私に叫びました。 『座って!座って!弾丸が飛んでくるよ。まるであなたは舞台に立っているようだ』

ミャンマー第二の都市マンダレーでは、平和的な抗議集会が開かれ、数百人が集まっていた。

この日の行動を前にエンジェルは2つの「約束」を呼びかけていた。「私たちは走らない」と「血を流してはならない」だ。そういう行動が、警察の目からは挑発のように見られるからだ。

最初の警察は催涙ガスを発射してきた。それからそれに混じって弾丸が飛んでくるようになった。

そのときの彼女は、頭をわずかに上げて、抗議バナーの横に伏せているところを撮影されている。

それから全員が散開して後退した。

トゥは、「一人の女の子が死んだ」と聞いた。最初、「それが彼女だとは知らなかった。
death

しかしすぐにフェイスブックに、別の犠牲者と並んで彼女が横たわっている写真を見た。



3.ダンサー、武道の専門家だったエンジェル

トゥはテコンドーの教室でエンジェルと知り合った。エンジェルはマンダレーのDA-Star Dance Clubに所属するダンサーでもあった。
ダウンロード

Facebookに彼女の最新のテコンドーのビデオが投稿されている。

エンジェルは初めて投票したことに誇りを持っていた。11月8日に投票の印である紫のインクの指先に、キスをしている写真を投稿している。

「私の最初の投票は、私の心の底からのもの。私は自分の国のために義務を果たしました」と記し、それに6つの赤いハートが添えられている。

クーデターの日、エンジェルはフェイスブックに書いた。

「インターネットが遮断され、何が起こっているのかわからない」

それから数日後、エンジェルは自分の立場を明確にした。彼女は父親の結んだ赤いリボンを手首につけ、国民民主連盟の赤い旗を振って通りに出た。


4.エンジェルが決死の覚悟

抗議行動はだんだん危険になり、軍隊が警察の背後に配備され、暗殺ライフルを持った戦闘部隊が見え隠れするようになっても、彼女は進み続けた。

軍の暗殺部隊
       警察の背後で突撃ライフルを構える軍の暗殺部隊

エンジェルは自分が命を危険にさらしていることを知っていた。

それまですでに12人以上の抗議者が頭を撃たれて殺された。日曜日、マンダレーで別の女性(傍観者)が頭を撃たれた。

人権グループは、ライフル部隊が明らかに標的を絞り、頭部を狙い撃ちしていると見ている。

彼女の最後のメッセージがソーシャルメディアに残されている。
これが私が何かを語る最後かもしれない。あなたをとても愛している。忘れないでください。

そして、医療上の留意点、臓器提供の意思表示を書き残していた。
myanmar-protest-kyal-sin-angel

潜伏中のミャト・トゥは語る。

彼女は幸せな女の子でした​​。彼女は家族を愛し、父親も彼女をとても愛していました。
いまは戦争中ではありません。人々に実弾を使用する理由はありません。彼らが人間であるならば、そうしてはいけないはずです。

The Straits Times
https://www.straitstimes.com/asia

3月2日

リー・シェンロン首相がBBCとの会見で下記のごとく発言した。

ミャンマーは殺傷力の使用により、「巨大な悲劇的状況」の下にある。

民間人や非武装のデモ参加者が無差別に殺害されている。少なくとも21人が殺され、1000人以上が逮捕された。

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ミャンマーの状況は1988年に逆戻りした。2003年の民主化へのロードマップは踏みにじられた。

スーチー氏たちを逮捕し、あいまいな法律の下で彼女を起訴しても、問題解決からは遠ざかるばかりだ。

「シンガポールはまだ制裁を課していない」と言われる。たしかにそうだ。なぜなら、過去においてビルマへの制裁がまったく軍に影響を与えなかったからだ。

結局、中国に頼らざるを得ない。それすらも、軍部にとっては不快極まりないのだが…
中国にその気がなければそれまでだ。

アメリカ人、ヨーロッパ人がどんなに叫んでも一切関係ない。アセアン諸国も軍人たちの眼中にはなかった。
(リー首相が深い絶望に襲われているのは分かる。しかしASEANの力を過小評価してはいけない。ここまで民主化を進めてきたのはASEANの力なのだ。今こそタフであってほしいと思う)


3月4日

3日は最も暴力的な日となった。

ニューヨークの国連ミャンマー特使は次のように発表した。

軍はいくつかの町や都市で抗議を鎮圧しました。この過程で38人が殺害されました。援助機関によると、死者には4人の子供が含まれていました。

目撃者によると、警察と兵士はほとんど警告なしに実弾で発砲しました。

政治囚支援グループの共同事務局長によれば、最大都市ヤンゴンでは、治安部隊が発砲を繰り返した。
目撃者によると、少なくとも8人が死亡した。1人は一日の早い時間に、7人は夕方に市北部の近隣で殺された。

北部でのデモ参加者はこう語る。

私は非常に多くの連続的な発砲音を聞きました。私は地面に横になり、そこに向けて彼らは発射を繰り返しました。

コミュニティーの病院では7人の死を確認しました。死因について病院関係者は説明できませんでした。

夜が明けた後、ヤンゴンの住民はろうそくに火をつけ、死者のために祈りを捧げました。

モンユワ市でも、中心街で6人が死亡した。

2番目に大きな都市マンダレー、北部の町Hpakant、中央の町Myingyanでも多くの人が殺害されている。

マンダレーで反クーデター抗議を解散させるために警察が発砲した後、抗議者たちは地面に横たわっている。

マンダレーで射殺された2人のうち1人は、19歳の女性であった。写真に映された彼女は、「すべてが大丈夫だ」と書かれたTシャツを着ている。(次回に詳報)
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ラジオ・フリー・アジアは次のような事件を報告している。
軍用トラックの車列が通過したとき、14歳の少年を含む4人の子供が兵士に射殺された。
兵士たちは彼の体をトラックに積み込み、現場を去った。
この大虐殺はASEAN諸国外相が暴力の抑制を訴えた翌日に発生した。これが軍部の回答だ。

わかもの活動家は、「それは虐殺です。いまの状況を言葉で説明することはできません。私たちの気持ちを言葉で伝えることはできません」と語る。
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3月4日

シンガポール政府は本日、ミャンマー在留民に、できるだけ速やかに離れるよう勧告した。
外務省(MFA)はまた、ミャンマーへの旅行を避けるよう要請した。

現地在留者の声
暴力はますます深刻になっている。
緊張が高まりとても恐ろしい。
明日何が起こるかわからない、不安だ。
最近では銃声がより近くで聞こえるようになった。
現在ミャンマーには、シンガポール人が登録されているだけで500人以上いる。
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ASEAN外相会議の無力な声明

国連は、昨日38人が殺されたと発表した。これまでに軍に対する抗議行動で50人以上が死亡している。

インドネシアはシャトル外交を実施し、シンガポールは「暴力に愕然とした」と述べた。

しかしこれまでのところ、この地域のどの国も、軍への制裁やその他の措置を示していない。

2日、ASEANの外相10人がオンライン会議を開き、声明を発表した。

それはさらなる暴力の扇動を控え、建設的な対話による平和的解決を求めた。

声明はスー・チーの名前に言及せず、「クーデター」という言葉を差し控えた。

スーチーと他の被拘禁者の釈放を求めたのはインドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールだけだった。


いまはエド・ウィン・フィッシャーの演奏するバッハの「半音階的幻想曲とフーガ」を聴いている。
この曲、この演奏は東京オリンピックの頃ラジオの深夜放送で聴いたとばかり思っていたが、どうも違うようだ。

受験勉強のギヤーが本格化したのはオリンピックのちょっと前である。
この頃の私はかなり追い込まれて悲惨な状況であった。学年順位が三桁まで落ち、数学と物理が完全にお客さん状態に入っていた。

新聞部ではかなり睨まれ、「學テ特集」号は紙面の半分が白紙の状態で強行発行した。

学校から帰るとまず一眠り、その後ダラダラして8時から勉強が始まる。そして11時半になると、第二放送をつけてクラシック音楽を聞き始めるのがルーチンだった。

クラシックと言ってもルネッサンスからせいぜいバロックまでだから、お経を聴いていたようなものだ。

いまでも中身はほとんど覚えていない。オルランド・ラッソとかジョスカン・デュプレとか、いまでも名前しか知らない人たちのマドリガルを流していた。

その番組で皆川達夫さんの解説でこの演奏を聞いたように覚えていたが、今ネットを探してみると、そんなことはありえない。

皆川さんはそれからしばらくしてFM放送で解説を始めたから、そちらを聴いた記憶が連動しているようだ。

あの頃はすごい演奏だと思ったが、今聞くとかなりあらっぽい。バッハの演奏はむかしからロシア人と決まっているようで、リヒテル、ニコラエーヴァ、ソコロフも良いが、いまはころりオフをスタンダードとしている。

グールドは良くも悪しくも異端だ。本人もそう思っているはずだ。そこを考え違いしてもらっては困る。

課税新時代3: グローバルな課税権力

1.いまいちど「合意課税」について

この号は「合意課税」そのものに焦点を当てている。だからこれまでの2号は、前書きに過ぎないとも言える。

しかしその割には合意課税(単一税)がいかなるものかについて、あまり説明されていない。何か唐突に各論に入っていってしまう。

一応、辞典の記載を紹介しておく(

Financial Dictionary)

①ある国がある法人に対して所得税をかけること。
②ここまでは普通の法人税だが、その際に、企業の全世界所得と該当法人の所得への各国の貢献度により、割当税額が定められる。
③その割当税率は多国間交渉にもとづいて国際的に定められる。
④これにより所得移転や租税回避による節税技法が阻止される。

2.合意課税実現のために必要なこと…情報確保

まずは企業活動に関する国別の情報を集約するという技術的困難。

もちろん企業はできているだろうが、国家は管理できていない。

これについては、2016年の「パナマ文書事件」のあと、相次いで立ち上げられたFATCA・CRSのシステムによってかなりオープンになった。

3.合意課税実現のために必要なこと…国際協調

もう一つの必要条件は国際的な徴税主体を形成することだ。これについては諸富さんが適切に表現されている。
国民国家を超える世界政府を生み出すのではありません。現行の国家徴税主権は維持されます。その上で多国籍企業の全体利益はケーキにナイフを入れるように切り分けられ、各国に配分されます。
このような21世紀型の新しい課税権力を、私は「ネットワーク型課税権力」と呼んでいます。

4.課税権力グローバル化の背景

これまでの話とかなりだぶるところがあるので省略。

5.日本では何が必要か

「消費税を上げなければ社会保障は確保できない」神話を打ち破らなければならない。

社会保障の原則は所得の再配分だが、消費税は所得の再配分ではなく逆進税である。

そうではない道があることを国民に知らせる運動が必要だ。

OECDのタイムスケジュールでは、今年半ばまでに合算課税と最低法人税率導入で最終合意に達することを目指している。

「夜明けは近い」のだ!

課税新時代2: 税逃れ

この号は内容多彩、ちょっととりとめがなくなっていて、見出しの付け方が難しい。

1.租税体系上、無形資産が重要に

これは新しい提起で、とても大事なところだと思う。

普通の資産は当然ながら形がある。地代(土地所有権)も、国家で保障される限り、現物としての価値を持つ。株や証券も時価相当の価値を持つ。

ところがいわゆる知財権、特許や著作権、商標権は、国家の枠を越えて価値を持つようになっている。

しかもこの資産は移動コストがゼロで、租税回避地への移転は容易である。

有形資産があればそれを無形化して海外子会社に集中させれば、法人税負担はほぼゼロとなる。


2.脱税分がそっくり富裕層に

税引後利益の増加は、配当の増額や株価の上昇を通じて株主の資産に反映される。

これまでの資本主義とは異なる株主資本主義が広がり、経済システムを歪めていく。

この歪曲が租税回避の動きを加速している。それは大企業の中でも、国内企業と多国籍企業との間に格差をもたらしている。

こうして一握りのグローバル企業と超富裕層による世界制覇が進行していく。


3.「租税位回避産業」

今や世界経済の一角に「租税回避産業」と呼ばれる産業分野が成長しつつある。

その中心を担うのがデロイト、アーンスト&ヤング、KPMG、プライス・ウォータハウス・クーパースという4大会計事務所である。

彼らは租税のがれの対策を立案し、提示し、支援している。

4つを合わせれば従業員は25万人に登るとされる。それだけの利益が上がっているということだ。


5.OECDの提案した「合算課税」方式

最近、OECDが新しい国際化税方式を提案し話題になっている。それが「合算課税方式」(Unitary Tax
)である。

OECDは無形資産を用いた多国籍企業の税逃れが深刻になったことを受け、国際税制の抜本改正を考えるようになってきた。

それは多国籍企業のグループ全体の利益をまず合算することである。要するに国際機関が多国籍企業めがけて投網をかける。

そして全体利益を切り分けて、各国に配分していくことにする。利益や隠れ利益の評価、無形資産、按分率などについてはこれからの話しだ。


OECDは正式名を経済協力開発機構(Organisation for Economic Co-operation and Development)という。もとはマーシャル・プラン受入国の連合で西欧諸国を中心としていた。現在は世界37カ国が加盟しているが、ヨーロッパの影響力が比較的強い。

25日付「赤旗」から、3回連続の「課税新時代」というインタビュー記事が始まった。
語り手は諸富徹さんという人で、兄弟経済の教授。

1回目の主見出しは「画期的な解決策浮上」というキャッチーなもの。

1.経済グローバル化に伴う税体系の激変

この間に経済のグローバル化が進んだ。その結果、20世紀を支えた「応能負担の原則」が消滅した。
そして租税回避策がシステム化された。

2.所得再分配機能の喪失

各国政府は所得税の最高税率と法人税率を引き下げることで、引き止めを狙った。

これが「租税競争」と言われるものである。

また各国政府は税収源として、租税回避しにくい消費税を上げ、社会保険料を引き上げた。

その結果、税制構造はますます逆進的で不平等になった。

税金の本来持つべき所得再分配機能は失われた。

3.税制変化と格差拡大

「グローバル化による格差拡大」の要因は、再分配後要因と前要因に分けられる。

後要因としては、税制が所得再分配機能を果たさなくなったことである。

前要因としては、株主資本主義の広がりがある。

企業内においては、株主への配当が優先されるようになり、買収対抗のため内部留保を積み増す結果、給与その他の割合が減少した。

その結果、企業外においては消費・需要が減退し、それに伴って中間層の没落がもたらされた。

4.国家機能の減退を止める

究極の問題は、企業が国境を超えて活動しているのに、国家は国境を超えられないというギャップにある。

国家の最大機能の一つである徴税機能が毀損されている。

これに対する対処法は「課税能力のグローバル化」、すなわち国際協力しかない。

諸国家の課税能力を結合させてネットワークを形成する必要がある。

これがOECDの国際課税ルール作りはこれを示している。

ということで記事は終わっていて、以下は次号でのお楽しみということになっている。


ただしこれについては、すでにこのブログでもあつかっている。 


「ベトナム人」をどう受けとめるか
技能実習生問題との関連で

1.日本と近い人々

地図を開いてみよう。ベトナムはアジアの中でも南寄りで赤道に近い。 韓国や中国、台湾やフィリピンよりもっと離れている。でも文化的には案外近いのだ。 中国に長江という大河がある。今から数千年前に、長江の流域に米作り文明が発生した。 中国北方で黄河文明が発達すると、長江に住んでいた人々は周辺部に散った。その一部は朝鮮半島から日本までわたり稲作を伝えた。 南に行った人々はベトナムにまで広がった。 中国人は長江の流域に「越」という国を作り、さらに南方にも進出するようになった。 そうやってベトナム(越南)という国が形作られた。だからベトナムはもともとは漢字の国である。 国の周辺部にはいまも、日本人のような顔をした人々が、日本と同じ習慣を守り続けている。

2.“独立ほど尊いものはない”

国の名前が「越南」というくらいで、最初から中国の影響は強かった。 ベトナム人は多くの犠牲を払い、中国からの独立を守り続けた。しかし100年ほど前にフランスの植民地となってしまった。 短い間だが、日本も支配者だった。第二次大戦中のことで、兵糧米を強制的に集めたために多くの餓死者が出ている。 とにかくベトナムの人々は、ずっと長い間、独立運動を続けてきた。 その合言葉となったのが「独立ほど尊いものはない」というものだ。 日本はたまたま植民地にならずに済んだが、心して聞くべきであろう。

3.“ベトナム反戦” の時代

ベビーブームと言われた世代がある。戦後、1947年から55年くらいの間に生まれた人々だ。 この人達にとってベトナムは特別な言葉だ。ベトナム戦争が本格化したのは67年ころからだった。 数え方はいろいろあるが、およそ反戦運動は10年続いた。その間に学園紛争があり、沖縄返還運動があった。 とにかく、大国が武力で世界を振り回すこと、大企業の意思が全てに優先されることが許せなかった。 当時の青年たちはもう70歳に達しているが、いまでもベトナムに青春を重ね合わせている。 だからベトナムの研修生が理不尽な目にあっていると聞くと、胸騒ぎがしてならないのだ。

日経(2月13日)の書評面。
大変面白いのだが、受け売りの受け売りである。「半歩遅れの読書術」という連載コラム。
直接の受け売り人はテレビでおなじみの磯田道史さん、原著は高島正憲「経済成長の日本史」である。
「経済成長」と銘を打ってはいるが、実質は米生産の成長史だ。工業、商業は難しいので「あとはそこから類推を」ということになる。
以下、結論だけメモしておく。

米生産量(玄米換算)
奈良時代(730年ころ)は総生産量600万石前後、一人あたり生産量は1.4石前後。
平安時代(1000年ころ)      、一人あたり生産量は2.2石前後。成長率は43%。
鎌倉末期(1300年ころ) 800万石前後、一人あたり生産量は2.0石前後。成長率は-9%
江戸前期(1600年前後)      、一人あたり生産量は2.5石前後。成長率は25% 
江戸後期(1800年前後)      、一人あたり生産量は3.0石前後。成長率は20%
明治初期(1870年前後)      、一人あたり生産量は3.7石前後。成長率は23%

まぁこの表を眺めるだけでもいろんな感想が浮かんで来る。
1.平安初期までは順調に生産力が増えていて、300年足らずで1.5倍という高度成長時代が続く。実感としては「平安バブル」だったのではないかと思う。
2.その後、鎌倉末期まで生産量は下がり続ける。注目されるのは奈良時代に比べて一人あたり生産量は43%増えているのに、生産量は33%しか増えていない点である。これは単純に見て米生産以外の理由(例えば地震・疫病など)による人口減と判断される。その理由がわからない。
3.本格的な農業の離陸は19世紀に入ってから開始されたことが分かる。例えば大阪湾の干拓事業なおを見ても、江戸時代初期からかなり進んでいるにも関わらず、農業生産性の向上に結びついていないことが分かる。それがなぜ19世紀を迎えて大きく発展し始めたか、その辺が知りたいものである。
4.この表からは読みにくいのだが、鎌倉末期の米生産の低下は寒冷化によるものとされている。とすれば、その影響は東北地方にとって一層シビアなものとなっているだろうが、そのへんのエビデンスがどうなっているのかはよく分からない。
5.室町から戦国時代には、寒冷化による米生産性低下は低湿地向け赤米(大唐米)の普及により相殺、克服されたと書かれている。イノベーションによる生産力増加は、地域格差を激化させ、人々の移動を激しくさせた可能性がある。あえて言えばそれが戦国時代の背景となっている可能性がある。
以前から、明治維新を成し遂げた力に関連して、江戸時代における東西の経済力比較とその推移が気になっていた。そういう観点からもう少し検討してみたいと思う。

「AALAニューズ」編集会議の報告

2月20日、上記会議をネット会議で開催しました。
編集主幹の権限で、内容を報告させてもらいます。

66号にも述べたように、AALAニューズの編集体制を変更し、 「面白くタメになる」をモットーに号を重ねてきました。

基本方向は非同盟運動と多国間主義に立脚し、非同盟諸国に限定せずに世界各国の情報を取り上げてきました。

その際に皆さんには、大手通信社ではなく、各国の自主独立を尊重するような情報提供をお願いしてきました。

この方向については編集会議でも改めて確認されたと思います。

お陰様で、毎回力作ぞろいの記事が並び、他組織からもお賞めを頂いています。が、なかなか読者獲得がうまく行きません。

今後はますます各県組織と協調し、AALA機関紙とも連携しながら、積極的な閲覧・利用を呼びかけたいと思います。

紙面も工夫し、「読みやすく、面白く、ためになる」ニューズづくりを目指したいと思います。

参考までに「AALAニューズ」のURLは下記の通り。
https://www.japan-aala.org/aala-news/

(鈴木 頌)

Jacobin 02.18.2021 https://jacobinmag.com/2021/02/ecuador-election-arauz-hervas-perez-neoliberalism エクアドル選挙は新自由主義への徹底的な拒否だった

エクアドル大統領選挙の第一次投票は、コレアを継ぐ左翼候補のアンドレス・アラウスに首位をもたらした。 それは、現大統領レニン・モレノによる新自由主義政策の徹底的な否定だった。
しかし、権力を獲得し反緊縮政策を再度進めるためには、より多くの作業が必要である。

第一次投票結果の概要

7日に行われたエクアドル大統領選挙の第1ラウンドは、混乱と論争もたらした。しかしその結果、政治地図は塗り替えられ、新自由主義者の支配のあっけない終焉となった。

希望連合とアラウス候補 左翼のアンドレス・アラウスはラファエル・コレア前大統領の「市民革命」の後継者である。 アラウスは33%の支持を得た。希望連合(UNES)連合は国会で最大の勢力となった。

一方、2つの伝統的な保守党の同盟は、あわせて20%未満の票しか獲得できず激減した。 その他、先住民のパチャクティック党(20%)、民主党左派(16%)の2政党が大幅に票を伸ばした。

国会選挙(137議席)では、アラウズの所属する希望連合(UNES)が49議席、保守連合が30議席、パチャクティック27議席、民主党左派18議席を獲得した。 IMFが支援するモレノ大統領の与党は1.5%未満で、足切り規定により議会から排除された。
エクアドル大統領は、4月11日に開催される決選投票で決定される。

左翼(希望連合)の得票が伸び悩んだ理由

まず第一に、モレノがコレアの後継者として当選しながら裏切ったという事実が混乱をもたらした。
その後のコレア派への「汚職疑惑」など厳しい弾圧、IMFや米州機構の肩入れ、国際メディアの同調など、さまざまな動きがコレア支持者に複雑な影響を与えた可能性がある。

第二に、保守派の激しいい選挙妨害がある。アラウスの立候補すら、一時はさまざまな妨害により不可能とされていた時期もある。かつてコレアの片腕とみなされていたホルヘ・グラスは、コロナに感染し健康状態が悪化しているのに、いまだに刑務所に投獄されたままである。 パティーニョ元外相、リバデネイラ元国会議長、先住民指導者ヴィテリなどのコレア政権幹部は国外亡命を余儀なくされた。多くの活動家や人物も、亡命、投獄などの迫害を受け続けている。 他の多くの活動家や人物も、名誉毀損、迫害、亡命、または投獄に苦しんでいる。

第三に、激しい反動派の宣伝攻勢がある。コロンビアのメディアはアラウスがコロンビアのゲリラ組織から金をもらっていると宣伝しました。同じようなデマ宣伝はコレアの時代にも繰り返し流された。コロンビアのサンペール元大統領は「このデマ宣伝は、大統領選挙の決選投票に干渉するための汚いゲームの一部である」と非難している。

反共・反コレアの代表であるペレス候補は、先住民を代表する指導者か

今回の大統領選挙では先住民の指導者としてペレス候補が登場した。 その背景を詳しく見ると、危険な姿が浮かび上がってくる。

彼はさまざまなNGOを通じて、USAIDや全米民主主義基金などの米国の諜報機関の財政的および政治的支援を受けてきた。米国大使館ともさまざまな交渉を行った。

ペレスとピクは何年もの間、コレアを反先住民、反環境のリーダーだと攻撃してきた。 今やペレスは惨敗した保守層や特権階級に残された希望の星となりつつある。米州機構(OAS)はこれを積極的に仲介しようとしている。

民主党の左派を装うエルバスも同類である。「過激派コレア支持の連中に対する政治勢力の団結を呼びかけている。 結局のところ、有権者の70%以上が強力な左翼か、進歩的または左翼(エルバスとペレス)に投票した。ラッソの保守主義は完全に拒否された。 これが第一次投票の結果の全てである。

「AALAニューズ」の編集で、回り持ちの主幹を勤めはじめ3ヶ月が経ちました。
電子版とは言え、いろいろな人が集めっての編集ですから、いろいろなしきたりがあります。
が、最大の問題はそれらのほとんどが不文律でしかないということです。
それというのも、これまで代表委員の田中さんが元新聞記者という経験を生かして切り開いてきた事業だからです。
新聞風に体裁を整えるためにはトップ記事、特集、コラム、トピックス、連載などいろいろな特色づけをしなければならないのですが、いまのところはそれがないまま、次から次へと突っ込んでいる状況です。
まぁ「継続は力なり」と進めています。
おかげでなんとか記事は集まっていますが、やはり一番気になるのは読者数の確保です。各人より読む人のほうが少ないのでは困ります。
それで目下、一番気になっているのはスマホ版の作成です。スマホでもニューズは読めるのですが、両脇のはみ出しはいかんともしがたいのです。
発行担当の人に伺ったのですが、操作が煩雑で時間がかかり、実務的に不可能とのことです。
そこで自分でスマホ版を作ってみました。
一番面倒なのは、日本AALAのホームページにFFFTPでアップすることです。そこで新たにブログを作って立ち上げました。
いまのところは私のメールアドレスを使って登録していますが、そのうち日本AALAのアドレスに移管したいと思います。というかパスワードを共有して編集部員は立ち入り自由にしたほうが良いと思います。(もちろん編集責任者の承認は必要ですが…)

最初はめちゃくちゃに時間がかかりました。PDFからテキストファイルに落とすときに段落記号や、文字特性などが抜け落ちてしまい、1行の文字数も固定されたままです。ただそれなりにスマホの横枠には収まるようです。

中身が多すぎるためもあると思います。写真や図表はあまり載せないほうが良いかも知れません。
ファイル形式との相性ですが、HTMLファイルが意外と良いです。ワードやPDFで文書を作られる方が多いと思いますが、どのアプリでもHTML形式で保存することはそれほど難しくないと思います。

これを全文コピペして、ブログ作成画面に持っていけばほとんど問題なく移動できるようです。

テスト版はこちらです。まだグーグルでは補足されていませんので、アドレスを検索窓に入れてください。

全巻 もくじ

http://blog.livedoor.jp/aala_news/archives/8822839.html

スマホに上記の文字を打ち込むのは、老人には相当の苦痛です。スマホに「お気に入り機能」はあるのでしょうか? でも一度成功すると履歴は残るので次回からの検索は、比較的容易です。(blog と入れると候補窓に出てくる)

一応枠には収まりますが、行末がばらばらになるのは止めようがありません。

ここから各巻目次に飛ぶようにしたいと思います。(と書いたが、スマホからリンク先情報は抜けている)




「レディット」騒動のその後

日経に「レディット」騒動の続報が出た(2月14日号7面)。

前回の報道は腰が定まらず何が何だか分からない記事だったが、果たして姿勢が明確になったのだろうか。

正直のところ、ますます混迷を深めているとしか言いようがない。

ただこちらも多少勉強したおかげで、混乱の理由がわかってきた。

さきにそこを言っておこう。

問題点のおさらい

最初の問題はレディットに結集して行動した個人投資家が、「義賊」なのか「サイバーテロリスト」なのかという評価だ。

多くの金融関係筋や公的機関、メディアは後者の立場に立っている。個人投資家たちが相場を荒らし、多くの株主に損害を与えたと非難している。

一方で民主党左派には、これをヘッジファンドの横暴に対する零細投資家の集団的抵抗とする味方もある。

義賊とは言え賊であることには違いないのだから、決して正義の味方と誉め讃えているわけではない。

ただ「彼らの思いは汲むべきではないか」という議論がある。彼らの抗議の対象である「巨悪」を蔑ろにして問題は解決しないだろうということについても大方の一致派あるのだろうと思う。

さらに、個人投資家のオプション取引への参入は必然的な歴史の流れとして受け止めるべきではないかという評価もある。

以前にビットコインが出てきたときもそうだった。最初はバクチ並みに扱われ敵視された。長期的には、むしろオプション取引の透明化を考えるべきなのかも知れない。


日経新聞のためらい

ただレディットを批判する人々はそのことについては口が重い。

日経の記者はその間で、“前向きに” 動揺しているのかも知れない。

第2の問題は、最初は個人投資家グループの「買い」を黙認したロビンフッドが突然、取引を停止したことだ。これはトレーダーからの要請を受けたものらしい。


規制当局の動き

これだけの前説きをしておいても、なお記事は複雑で錯綜している。

今回の事件を受けて、マサチューセッツ州当局は、個人投資家が危険な取引に乗り出さないように動き始めた。ロビンフッド社の関連部門を提訴した。

先程も述べたように「義賊」といえども「賊」なのだから当然である。

今回の記事ですこし分かったのだが、この騒動の舞台は普通の株式市場ではなく、オプション取引を行うデリバティブ市場だ。

以前勉強したロンドン・ホエール事件と同じで、入れ物が小さいから値動きが激しく、いわば鉄火場市場だ。
(2012年05月25日 
こんなところに素人が手出しするのはご法度だが、最近はテラ銭がただなので、みんなゲーム感覚で入ってくる。「投機の民主化」現象が起きていると言われる。

このような目先の対応問題だけでなく、背景までふくめて深堀りしようという動きも見られる。

それが米議会下院の金融サービス委員会で、明日からこの問題で公聴会を開催する。

この公聴会には今回糾弾の対象となったロビンフッド社、マーケット・メーカー(シタデル・セキュリティーズ)、空売りしていたファンド会社(メルビン・キャピタル・マネージメント)、SNSを運営しているレディット運営会社の各CEOが証言することになっている。


メルビンとシタデル社

また新しい横文字が出てきた。

マーケット・メーカー: これはマーケットで直接取引を行う会社だ。ロビンフッドはスマホ証券会社で、資金調達を行う。
マーケット・メーカー(シタデル社)はその資金を運用する。運用益の一部がロビンフッドに支払われる。これでロビンフッドは御飯を食べていくことになる。

メルビン・キャピタル・マネージメント: これが空売りを仕掛けたヘッジファンドだ。

こいつがある会社にカラ売り攻撃を仕掛けた。株価が下がれば会社の資産価値は低下し、資金ショートになり破産する。

こんなやり方に義憤を感じた一個人投資家がレディットで行動を呼びかけた

壮絶なシテ戦の末、メルビンは相当の痛手を被ったらしい。ここから先はよくわからないが、メルビンがシタデル社に泣きを入れて、シタデルがロビンフッドに取引停止を迫ったらしい。

早い話、ぐるになって顧客を裏切ったわけだ。

民主党左派のエリザベス・ウォレン上院議員はロビンフッドにこう言って迫った。

「米国民はロビンフッドと大手金融会社(メルビンとシタデル社)の関係について明快な説明を必要としている」

日経新聞はこう解説している。
個人の買い注文を止めたのがマーケットメーカーの要請だったとすれば容認できない」というのがウォレン議員の態度だ。

日経新聞の結語は納得できる。

変わりゆく時代にあった規制を実現し、秩序ある市場をどう守るかが問われている。

アンモニア再論

下記の記事を下敷きにした記事です


アンモニアを燃料に使うというのは、「1万円札も燃料になります」という議論だ

前回も日経新聞からアンモニアのエネルギー利用を取り上げたが、結局尻切れトンボに終わった。

前回のテーマは石炭火発でアンモニアを混焼燃料として用いるということだったが、そもそも石炭火発という時代遅れな装置では読む気が起きない。

いくつかネットの記事もあたったが、「使えますよ」という記事ばかりだ。

製造コストの高さから見ても、「とてもこれは使えないな」という印象だった。

今度の記事は、アンモニア製造に自然エネルギーをくみこむことで、環境保全に役立てようということで、アンモニア燃料計画が「下りの技術」とすれば、こちらは「上りの議論」になる。

8日の日経の科学技術面。
見出しは三本
アンモニア製造も脱炭素
再生エネ活用、原料は空気と水
秋田・ラオスで実証へ

アンモニアは大事な化学原料

最初に驚いたのだが、世界のアンモニア生産量は年間1億8千万トンだそうだ。

合成繊維や化学肥料の材料だということで、そう言えばむかしグアノ(鳥糞)が輸入できなくなったドイツが窒素の固定法を発明して、肥料を字まかないできるようになったというふうな話を聞いたことがある。

これが「ハーバー・ボッシュ法」というのだそうで、20世紀はじめから現在まで使われ続けている。

これにもびっくりする。多量の水素を準備した上で、高温・高圧下で空中の窒素と反応させるのだそうだ。そのまんまである。

1世紀も前の技術をそのまま使っているのだから、ほとんど奇跡的だ。

水素3個と窒素1個が化学反応してアンモニアになるには大量の天然ガスが必要だ。

記事によるとアンモニア生産のためのエネルギー消費は世界のエネルギー消費の1%にも達するそうだ。それだけの天然ガスを燃やすと、世界のCO2排出量の3%を超えるそうだ。

アンモニアを燃やして燃料代わりにするという議論が、いかに本末転倒かがわかる。

アンモニアを板に効率よく生産するかが最大の課題なのであって、それをただ燃やすというのは、1万円札を燃料にするのと同じことではないか。


アンモニア生産の新技術

そうするとこちらもがぜん熱が入る。

課題は多分二つある。膨大なエネルギーを再生可能エネルギーでどう賄うかとういのが一つ。
もうひとつは、化学反応だから、なんとか効率の良い触媒を開発できないかということだ。

この記事の特徴は、情報を突っ込みすぎているために、「なぜ」というところをすっ飛ばしていることだ。しかしまさにそこが知りたいところなのだ。この辺が文系と理系の違いなのだろうか。

まず最初の課題、これは再生可能エネルギーを加水分解に利用し水素を作ることだ。これは世界中で今取り組んでいる課題で、液化水素を天然ガスのように使おうとする計画だ。

水素を産生するだけでなく、さらにその水素を使ってアンモニアを作ろうという研究も、それなりに進んでいる。

それなりにと言うのは、水素をアンモニアに変換すると、エネルギー効率が格段に上がり、輸送効率や各種設備のサイズダウンが可能になるのだが、問題は現在の生産方法だと再生可能エネルギーには荷が重すぎるということだ。

そこで、決め手となるのはやはり触媒の開発だ。ある意味できわめて20世紀的な技術ということになる。


新触媒 エレクトライド

日経が取り上げているのは、東京工大の細野らが開発した「エレクトライド」という触媒技術だ。

ただしこれについては「セメントの構成成分からない、低温・低圧で合成できる」という以外に説明はない。おそらく酸化・還元工程を含むのだろうが…

すでにこの化学工場と水力発電をコンバインさせたプラントがラオスで建設予定になっているそうだ。

その他に同じ東工大の原らのグループが開発した触媒も紹介されている。

こちらの方は「カルシウムや貴金属のルテニウムなどからなり、50℃未満でアンモニアを合成できる」のだそうだ。こちらのほうがいかにもそれっぽい。ただしなんとなくお正月用のヨイショ記事に見えなくもない。


アンモニアは炭化水素と並ぶ川上資源

とにかく炭酸ガスに目を奪われる発想ではなく、アンモニアを資源サイクルの起点として見ていく視点が必要だろう。

前回のアンモニア記事にはそこが欠けていて、それがわかりにくさをもたらしている。今回の記事も煩瑣な点では同じだが、この視点が定まっているだけ、読み解き可能である。

さらに続報を期待したい。


少し古いが、赤旗の1月28日号に「インドで1千万人のデモ」という記事が掲載された。
インドの闘いというのはすさまじい。10年くらい前には「牢屋に入ろう運動」という闘いがあって数十万のひとが逮捕されて牢に繋がれた。

この国のすごいいのは、これだけの規模の闘いにも関わらず、非抵抗の精神が貫かれていることだ。もちろん道路を塞いだり、列車が停まったりするわけだから、一般の人には迷惑はかけることになるが、機動隊と激突したりなどということはない。

そうは言っても、警官側が紳士的というわけではないが、それでも無駄な死者が出たりすることは少ない。

運動する主体の、覚悟の凄まじさに圧倒される思いがする。

少々長めに伊藤寿庸特派員の記事を引用する。

モディ政権が導入した農業法の撤廃をもとめる農民が首都デリーでトラクターデモを行うなど、全国で抗議デモを展開。1千万人が参加した。
この農業法は農業分野の規制緩和を狙ったものです。農業団体は、農産物の買いたたきを招き農家の経営を脅かすとして、完全撤廃を求めてきました。
去年末にデリーでの集会を開催しようと、多くの農民が地方から集まりましたが、政府は集会の開催を阻止しました。
農民はそれからの2ヶ月間、州境で泊まり込みの抗議行動を続けてきました。
厳しい寒さの中ですでに100人以上の農民が命を失いました。政府・与党はマスコミを使って、農民の抗議行動を「反国家的」「過激な反社会分子」「一部の富裕農民の運動」と呼ぶなど、中傷と分断を図ってきました。
この日は一部のデモがルートをそれて市の中心部に向かい、警官隊と衝突。警察は催涙ガスと警棒による殴打で対応しました。
農民団体は、農民の大義を傷つけることを狙ったものだ、と暴力を非難、インド共産党(マルクス主義)のイエチュリ書記長は、「今日の上お経はモディ政権が作り出したものだ」と批判しました。
マスコミの報道に惑わされず、農民と革新勢力の立場に立って取材された伊藤特派員、これを掲載した赤旗編集部に敬意を払います。

私もこれらの運動についてフォローしてみたいと思います。



こちらはその増補版。写真は持ってきていないので、古い方も見てもらえるとありがたいです。


三大文化(遼河文明、黄河文明、長江文明)の始まり

BC7000 長江流域に初期稲作が登場。
BC6200 遼河流域で最初の文化、興隆窪文化が栄える。
BC4800年 華北平原および黄河流域に人々が定着。黄河文明の先駆けとして、陝西省から河南省にかけて仰韶文化が発祥。貧富の差がみられ、社会の分業・階層化が進んだ。河南龍山文化に引き継がれる。
BC4700 遼河流域で紅山文化が栄える。風水や龍の信仰は遼河文明が黄河文明に影響を与えたものとされる。

黃河文化の突出
BC4300年 黄河下流に大汶口文化が発生。山東龍山文化に引き継がれる。
BC3000年 龍山文化の前期が開始。
BC3000年 長江中流域でミャオ族による屈家嶺文化が始まる。下流域では良渚文化が主役となる。
中原・陜西龍山文化と山東龍山文化に分かれている。
中原・陜西では、城壁を備えた都市が出現する。最大のものは陝西の陶寺遺跡。
山東龍山文化は山東省東部の章丘県龍山鎮にある城子崖遺跡を中心とする。
BC2600 後期竜山文化登場。黄河中流から下流にかけて広がる新石器時代後期の文化である。青銅器が使用され始めている。

黃河文化(華夏民族)の南方進出
BC2500頃 華夏民族が南方に進出。「涿鹿の戦い」に勝利し、蚩尤民族を駆逐。蚩尤民族はミャオ族と黎族に分裂し、ミャオ族は四散した。
BC2500年 長江中流域の屈家嶺文化が衰退。上流の湖南で石家河文化が始まる。
BC2000年 龍山文化の末期 人口は激減し、遺物も貧しくなる。(500年にわたる暗黒期)

夏の建国と二里頭文化: 五穀の栽培と農耕文化への移行
BC1920 黄河が大洪水。このときに禹が土木、治水を率い功績を上げたことから王位に就いたとされる。
BC1900年 史書によれば夏が建国され、初代の禹から末代の桀まで471年間続く。龍山文化集団の流れをくむ遊牧民族的な父系集団。陽城に都を構える。
BC1900年 河南省洛陽市二里頭村を中心に、推定人口2万人に達する巨大な遺跡が建設される。炭素14法で殷に先立つことが判明。『史書』に伝わる夏に相当すると見られる。
二里頭遺跡は4層からなり、1期と2期が夏王朝のものとされる。粟、黍、小麦、大豆、水稲の五穀を栽培していた。最盛期の人口は2万人以上と推定される。青銅器はない。
BC1700年頃 二里頭遺跡の3期と4期からは青銅器工房と宮殿が発見され、殷時代の遺跡とされる。
メソポタミアではBC4000年より前に青銅器時代に入っているが、中国に青銅器が入ったのはBC1600ころ、夏の時代の末期である。

殷(商)による夏の滅亡: 青銅器兵器時代の到来
BC1600年 商の湯王が諸侯を率いて夏の桀王を滅ぼしたとされる。夏の遺跡では夏人の毀損された遺骨と殷(商)の青銅の武器が多量に出土する。
BC1600 殷(商)が建国される。殷は後継王朝の周による呼称。都は亳(商城)に置かれた。考古学的には河南省鄭州市の二里岡遺跡に一致。先行する二里頭文化に影響を受け、青銅器を大々的に使用する中国最初の文化となる。
BC.1400 殷は王位継承の争いにより一時衰退。
BC.1300 後期殷王朝を隆盛に導いた盤庚王(第19代)、殷の都を河南省安陽市の大邑商(殷墟)に遷す。このあと殷は最盛期を迎える。

殷(商)から周の時代へ: 中原の統一と絶対王政
BC.1071 紂王、妲己を寵愛する
BC.1056 周の文王、殷により幽閉され死没。周の武王、紂王(帝辛)の暴政に対し周を中心とする勢力を結集。
BC.1046 殷周革命。周(西周)が建国される。鎬京(西安)を都とする。
BC.827 宣王が周王朝を復興,中央集権的政策を行う。

春秋・戦国時代: 覇権を規定した鉄製兵器
BC.770 周の幽王が殺される。残党は成周(洛邑)に都を移し東周となる。平王が即位。春秋時代の始まり。諸侯は東周をたてまつり割拠。
BC.551 孔子が誕生。これに前後して老子、孫子が誕生する。
BC.476 晋が消滅。盟主不在の戦国時代に移行。
BC.473年 越王勾践が呉王夫差を滅ぼし、長江流域の覇者となる。
BC400頃 鉄器の時代に入る。鉄製武器をいち早く取り入れた秦が勢力を拡大。BC.230 秦が韓を滅ぼす。以後、趙、魏、楚、燕を相次いで滅ぼす。
BC.221 秦の始皇帝が中国を統一。漢人が長江人を駆逐して長江流域に定住。

「人民網」に
外交部の汪文斌報道官、ミャンマーのクーデターについて論評
という記事があり、中国側の態度がかなり露骨に示されている。

汪文斌報道官は3日の定例記者会見で要旨以下のごとく発言した。

1.「意見の相違を適切に解決する」ことが重要だ。

2.「対立を激化させ、情勢をさらに複雑化させることは避けるべきだ」

3.「水面下の支持」または「黙認」との伝聞は事実ではない。

4.中国は「各者が憲法と法律の枠組みで意見の相違を適切に処理し、政治的・社会的安定を維持する」ことを望む。

「人民網日本語版」2021年2月4日 

これで分かることは、「中国はクーデターを許さないという踏み絵を踏まなかった」ということだ。

さらに分かることは

1.中国はクーデターを事前に予知していた可能性が高い。
2.中国は軍政復活を拒否するのではなく、「水面下で支持」または「黙認」する意向だ。

最大の根拠は、クーデターの直前の1月11日に、王毅外交部長(外務大臣)がミャンマーを訪問していることだ。王毅は軍の動向について諮問を受け、最終的にゴーサインを与えた可能性が高い。中国が承認しなければ、間違いなくクーデターは自爆に終わることになる。
もしそうでなければ、クーデター策動を見逃した中国大使館員の首は、間違いなく刎ねられるはずだ。

それにしても紅軍・習近平の冒険主義はどこまで続くのだろうか。


海峡タイムズ(シンガポール)編集部の声明

親愛なるSTリーダー

今週のミャンマーでのクーデターは、アウン・サン・スーチーさんと国民民主連盟が2期目の政権を迎える予定だった日に行われた。

残念ながらそれは、国を直接の軍事政権下に押し戻した。国の事実上の指導者であるスーチーさんとウィンミン大統領はともに拘束され、2月15日まで勾留されることとなった。

しかし軍が提示した容疑とは、いったいなんだろうか?

ウォーキートーキーを違法に輸入したこと、パンデミック中にも関わらず大衆集会で挨拶したのだという。

それがスーチーさんと国にとってどんな意味があるのだろう?

本紙のインドシナ支局長TanHui Yeeは、出来事が展開する経過を追っている。

戦いは続く。彼らの話は刺激的だと思う。


ストレーツタイムズ編集長
ウォーレンフェルナンデス

「レディット」騒動のてん末


① レディット: 

「レディット」というのは日本の「2ちゃん」と同じで、いろんなスレッドが建てられ、誰でも自由に出入りできるオンライン掲示板だ。

掲示板型ウエブサイトの一つで、日本の「2チャンネル」と同じようなもの。誰でも無料で入れる掲示板サイト。


② ウォール・ストリート・ベッツ(WSB)

2チャンネルと同様、レディットにもたくさんのスレッドが有る。レディットではこれをフォーラムと呼ぶ。

フォーラムの一つで、株取引を専門に掘っていくフォr-ラムがあり、これをウォールストリート・ベッツ(WSB)と称する。

メンバーの主体は、組織と無縁な個人投資家で、半ばゲーム感覚で投資活動を行っている。

米国ではネットでの株式売買が進み、にわかじたてのトレーダーが激増している。彼らが集まるのがこういうスレッドだ。

ロビンフッド:

スマートフォン向けの投資窓口を提供する会社。手数料無料が売り物で、レディットの参加者など小口投資家の受け皿となっている。

今回、当初は投資家の買いを積極的に受けた。しかし途中から怖気づいて取引制限を行った。これが投資家に批判された。

しかし軋轢はあるものの、レディットとロビンフッドは基本的には持ちつ持たれつでやってきた。

ただこれが問題になった筋書きは、少々複雑だ。

④ ヘッジファンド(カラ売り業者)

最初に悪だくみを仕掛けたのは彼らではない。名前が明らかにされていないヘッジファンドだ。
これが時代遅れの潰れかけたゲームソフトの会社にカラ売り攻勢を仕掛けた。

理由はよく分からない。残存資産にそれなりの価値があったのかも知れない。

それにある投資家が怒ったのだ。株式を公開している以上、リスクは覚悟しなければならないかもしtれない。しかし生きた会社を、自分の都合だけでなぶり殺しにする権利などないはずだ。

その投資家はWSBを通じて「こんな悪党を許しておいていいのかよ!」と呼びかけたのである。


立ち上がったレディットのミニ投資家

レディットはたちまち沸騰した。
「けっして売るなよ」
「(標的企業の)株を買え。空売り勢を締め上げろ」

やり方を伝授するのはレディットならお手の物。購買禁止への対抗手段はスマートで破壊的だ。

コールオプション(買い注文の権利)を一斉に購入する。買い気配が高まれば、コールの売り手は株式を買わざるを得なくなる。

一つの取引にそれなりの手数料が上乗せされれば、あっという間に株価は上昇する。空売り勢はたっぷりペネルティを払って買い戻す羽目になる。

現にそうなった。ざまを見ろ!




三人の悪漢

この事件には3人の悪漢がいる。

一番悪いのは空売りを仕掛けたヘッジファンドだ。

レディットも悪気はないが違法行為を犯している。トレーダーたちが合意の上で統一行動を取ることは「共謀行為」とみなされる。

「目には目を」の掟が、証券業界にモラルハザードをもたらす危険も無視はできない。

しかしそれは悪代官に対する民衆の仕返しと見ることもできる。まさにレディットこそが現代版「ロビンフッド」なのだ。


悪徳株屋の無法ぶりを黙認してきた責任

結局話は行くところに行き着く。3人目の誰かが悪徳業者の横行を許し、黙認してきたからこういう事件が起きたのだ。

だから黙認してきた悪代官(SEC その他諸々)を見つけてとっちめなければならない。これが3人目の悪漢だ。

そこであのオカシオ・コルテス議員がレディットの連中をこう讃えたのだ。

「ヘッジファンドが自由に売買できる一方で、個人投資家が買いで抵抗した。この抵抗を止めるのは正しいことなのだろうか」

1月30日の日経新聞記事とは結論部分が異なる。日経の記事は、滑り出し好調だが最後が端折られていて、結局何を言いたいのかがよく分からない。

日経新聞の本社レベルで評価がまだ定まっていないのかも知れない。

すこし経過を待とうと思う。


この記事は、とりあえず根本的に書き改めました。
最初は日経新聞の記事の紹介ということで書き始めたのですが、この記事に一部不正確な記載があり、当初の記載を修正しました。



社会知性開発研究センター/古代東ユーラシア研究センター/年報第4号
のサイトに「鼎談」という記事があった。   2091_0004_07.pdf   (1.55MB) 


2017 年 7 月 15 日に古代東ユーラシア研究センター主催の「渡来民に関するシンポジウム」が行われ、武末純一、亀田修一、土生田純之の3人が講演した。
その後、三人による「鼎談」があって、細大漏らさず文字起こしされている。

少々、忌憚のなさすぎる会話がかわされる。ゴシップ風味、楽屋落ち風のネタも有り、シロウトには少々読みにくい。だが、それだけに大迫力で外野席には面白い。

その鼎談の最後の方、土生田さんが百済の前方後円墳について、以下のように自説を語っている。

少々長めに引用する。小見出しは私がつけたもの。

百済の前方後円墳

① 誰が建てたもの?

これはおもに「倭系官僚説」と、「在地首長説」というのがあります。私は「在地首長説」を支持します。

② 倭系官僚という人々がいた

当時の百済の官僚のなかで有名な人に日羅がいます。

そのお父さんがいまでいう熊本県八代方面の人で、向こうへいって現地の奥さんを娶って、その子どもが日羅です。ですから、いま風にいえばハーフです。

③ 日本名と百済名の複合名

百済の官僚を見ていくと、日羅をはじめ、日本名と現地の名前とが合わさった「複合名」がたくさん出現する時期があります。たとえば物部の○○というぐあいです。6 世紀後半にたくさん出てきます。

④ 複合名の隆盛と前方後円墳は時期が合わない

しかし倭系官僚が活躍するのは 6 世紀後半ですが、前方後円墳はだいたい 6 世紀前半です。時代が合いません。ただし否定はできません。

⑤ 前方後円墳は百済ではない

これに対し、私は在地首長説を主張しています。と言っても当時は在地の首長だけれども、そのあと完全に百済に編入されます。

(百済はもとはソウルを中心とする国だったのが高句麗に圧迫され南下を繰り返した。南下に際し旧馬韓の諸国を版図に入れ、倭に任那の宗主権放棄を迫った)

つまり百済からみて未だ十分に支配できていない南端の僻地になるのです。


⑥ 秦韓、慕韓は倭の五王のねつ造

あの辺り(馬韓南部の地域)は、日本の倭の五王が秦韓、慕韓などいろいろな国を捏造したところです。

そして倭は馬韓を変形して慕韓と名付けました。そこはまだ百済にまだ完全に併合されていない地域でした。

それは同時に、前代における馬韓の中心地でもなく、その周辺地域にあったということも意味します。


⑦ 日本の前方後円墳との違い

そういう地域の人が百済の迫りくる危機
に対して身の危険を感じて、日本ともつながっているというふうに示したと私は考えています。

実際に古墳の様子を見るとだいぶん違いますので、(倭系官僚が直接建設したのではないと思われます)



⑧ 一代限りで終わった前方後円墳

(百済の前方後円墳は)光州市の月桂洞1- 2 号墳を除くと全部一代しかありません。

そのあとは完全に陵山里式という百済の中枢の石室になったりします。

(これに対し、地方の有力者は百済の官僚機構に取り込まれ、その結果複合名の官僚が増えたのではないかと考えられる)



感想

1.慕韓、秦韓は倭の創作

慕韓、秦韓を倭の五王の創作だと言い切ったことには度肝を抜かれた。しかし言われてみると確かにそうかも知れない。

五王のしんがりを務める武はたしかに複雑な側面を持つ。それまでの4王が霧の中の人物であるのに比べると、この王の周辺事実の多さは圧倒的だ。

百済の皇太子を人質に取り百済に対して優越性を保持し、新羅に対しても睨みを効かせ、しばしば武力干渉を行う。一方では、彼を最後に中国への遣使が途絶えるなど重大な内部問題を内に抱えていた。

6世紀のはじめ(おそらく死後)、百済の領土要求に屈し、任那の重要部分を割譲している。おそらくこれが遠因となり筑紫君磐井の乱を起こしている。

2.好太王碑では任那と加羅は別物

高句麗は紀元400年、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。倭軍が退却したので、これを追って任那加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。

好太王の碑にそう書かれており、これを信用しない限り議論は進まない。

これを素直に解釈すれば旧三韓のうち弁韓と辰韓が新羅・加羅・安羅の三国に再編成されたと見るのが自然であろう。そして馬韓は任那へと再編されたと考えられる。

洛東江バルジのやや南方の慶尚南道咸安郡伽倻邑というところで大規模な遺跡が発掘され、安羅の都ではないかと言われている。ただ韓国の命名はきわめて恣意的で、すべて伽耶連合の属国として強引にくくろうとする。任那は任那伽耶で、安羅は安羅伽耶である。いつまでこの絶望的な反日の歪みが続くのであろう。

加羅と伽耶の異同は不明だが、好太王碑に伽耶の記載がない以上、伽耶は加羅の後の時代による別称だと考える。これについてはなんとなく同意がある。

3.馬韓南部の前方後円墳の意味

私は以前から主張してきたのだが、前方後円墳はぼた山なのではないか。とくに地面を鏡のごとく水平にならし水の流れを整える水田づくりには膨大な残土が出る。それを丸く積み上げれば巨大な土饅頭となる。それを墓にするのは支配者にとって一石二鳥だ。

だからそれは文化の中心ではなく、周辺部の水はけの悪い新田開発地帯にドカドカと建てられる。いくら大きくてもそれほどの価値はない。廃坑のボタ山がいくら大きくても大した価値がないのと同じだ。

同じことが全羅南道の不便な湿地帯にも言えないだろうか? と密かに思っている。

古墳時代という時代区分は、どうも面白くない。もしヤマトの勢力が最強の力を握った時代だとするなら、ヤマト時代と呼ぶ米ではないか。マンローがいみじくも述べたように…





最近、新聞の経済面にしばしば登場する言葉が“K字回復”。言うまでもなくv字回復のもじりだ。
最初の縦棒はv字の下行脚に相当する。そこで谷底まで到達したあと、今度は右肩上がりの斜線へと続く。
これだけなら歪んだv字に過ぎないのだが、上り坂の中ほどで斜め下に向かう支線が発し、その線は最初の谷底まで転落して終わる。

要するに景気には浮き沈みがあって、それは今まで続いてきたのだが、それが最近は、そのように単純ではなくなったということだ。
落ちるときは、皆もろともに落ちるのだが、上がるときには勝ち組と負け組には別れてしまうということだ。

ただし、このグラフの縦軸は生産量とか利益というのではなく、所得というところがミソだ。

あくまでもモノの例えだから、あまり細かく詮議立てすると、いろいろ矛盾が出てくるが、結論から言うと所得の源泉が勤労所得と資産所得にわかれるところに股裂きの理由がある。

しかもそれが物質財と貨幣財の比率が乖離し、貨幣発行量が野放図に増加するほど、この傾向が顕著になるということだ。

勤労所得は、基本的には増減ともに等差級数的に推移する。これに対し資産所得は、預金や投資から得られる所得だから、複利でねずみ算的に増えていく。

この差が時間軸(横軸)とともに大きくなり、乖離するようになる。これが“K字回復”の機序である。つまり、このグラフの縦軸は所得ではなく、所得の対数である。

単純にいえば「バブル経済」の構図だが、バブルが信用の野放図な膨張であるのに対し、こちらは通貨供給の増加という裏づけを持っているだけ厄介だ。戦時経済にも似ている。

なお、所得ではこのグラフが成立するが、実体経済と金融市場の利益率の乖離も同じグラフで説明できるかどうかはわからない。市場ポートフォリオの再編や、政策介入、通貨事情の干渉が無視できないからである。

青空文庫より

違星北斗の「北斗帖」の最初の三首である。
はしたないアイヌだけれど日の本に
生れ合せた幸福を知る

滅び行くアイヌの為に起つアイヌ
違星北斗の瞳輝く

我はたゞアイヌであると自覚して
正しき道を踏めばよいのだ

この異常な前向きさが、曼珠沙華のようにいっぱいの毒を含んで美しい。

三首とは良く言ったもので、三つの生首が並んで晒されているような風情だ。しかも子細に眺めるとなにか笑みを浮かべているではないか。

このカラ元気のあと、数首をおいて真情が吐露される。
深々と更け行く夜半は我はしも
ウタリー思いて泣いてありけり
この「真情」はたんなる詠嘆ではない。薬売りの行商をしながら北海道中のアイヌ・コタンを歩き巡り、人々を組織しようとした、日々の終わりに吐いたため息なのだ。

それは自分のために流した涙ではなく、ウタリの暮らしを日々つないでいく、地の塩としての密かな決意なのだ。

その後数十首の短歌が並び、そのたびに強烈な素手のパンチとなって炸裂する。

旅は辛い。山頭火のレベルではない。
ガッチャキの薬屋さんのホヤホヤだ
吠えて呉れるな黒はよい犬

「ガッチャキの薬如何」と門に立てば
せゝら笑って断られたり

*慣れてくると自分を客観視できるようになる。
よく云えば世渡り上手になって来た
悪くは云えぬ俺の悲しさ

空腹を抱えて雪の峠越す
違星北斗を哀れと思う
(北海道で雪の峠を歩いて越すなど狂気の沙汰だ)
「今頃は北斗は何処に居るだろう」
噂して居る人もあろうに

それにしても貧乏は辛い。このひとの貧乏は混じりっけなし、いのちを脅かす。
めっきりと寒くなってもシャツはない
薄着の俺は又も風邪ひく

炭もなく石油さえなく米もなく
なって了ったが仕事とてない

それでもこの人はやせ我慢する。
感情と理性といつも喧嘩して
可笑しい様な俺の心だ

支那蕎麦の立食をした東京の
去年の今頃楽しかったね

無くなったインクの瓶に水入れて
使って居るよ少し淡いが

アイヌを見世物にする人への怒りと見世物になるアイヌへの、革命家としての悲しみ
白老のアイヌはまたも見せ物に
博覧会へ行った 咄! 咄!!

見せ物に出る様なアイヌ 彼等こそ
亡びるものの名によりて死ね

子供等にからかわれては泣いて居る
アイヌ乞食に顔をそむける

病よし悲しみ苦しみそれもよし
いっそ死んだがよしとも思う

ということどもすべてを含んで、なおも前向きに歌う違星よ!

Sahara Press Service 20/01 / 2021
次期国防長官ロイド・オースティン、上院防衛委員会で証言。
トランプが「モロッコ」と宣言した西サハラについて「あらためて精査する」と証言。
西サハラは、1975年以来、モロッコが占領している。この地域では、帰属を決定するための国民投票が開催されることになっているが、これまで実施されていない。

インホーフ議員の主張

サハラウィーの熱心な支持者であるジェームズ・インホーフ議員(R)は、1975年に提出された国際司法裁判所の意見を引用して、人民の自決権を擁護した。

また彼は、米国、国連、アフリカ連合はすべて、サハラウィー人の自己決定と独立を達成する権利を支持してきたと述べた。

「私たちは国民投票で自己決定する方式を支持してきました。米国、国連、そしてアフリカ連合とアフリカの52か国のほとんどは、この方式を支持してきました」

オースチンの証言
lloydaustin
                Lloyd Austin

オースチンはインホーフ委員長の質問に対し、「これは詳細な答えを出す前に、私がもっと綿密に調べたい質問です」と述べた。

オースチン次期国防長官は、西サハラ関係文書は、国防長官として就任したあと、「最初に検討する問題の1つになるだろう」と証言した。

SPS 23/01 / 2021
西サハラでの米国の立場を逆転させることは、
新政権のアフリカに向けての最も緊急の行動だ
 


プレトリア(南アフリカ)2021年1月23日(SPS) 南アフリカのナレディ・パンドール外相は、「バイデン大統領は西サハラに関する自国の立場を逆転させるべき」だとのべた。 外相はチャタムハウスが主催したズーム会議に出席し、「バイデン新大統領は、西サハラ人民の自国領土に対する主権を承認すべきであり、モロッコへの前政権の認識を速やかに覆すべきである」と述べた。 さらにパンドール外相は、バイデン大統領がここ数日採用した初期の政策声明と立場は感動的だったと述べた。 その上で、「西サハラについての決断は、新大統領がアフリカに関して取り組むべき最も緊急かつ肝要な行動だ」と強調した。
パンドール 南ア外相
           南アフリカ パンドール外相

1.九州南部縄文文化と野焼き

先日、テレビで阿蘇山のカルデラ内の野焼きの風習が取り上げられていた。

とくに私の興味を引いたのは阿蘇における野焼きが1万3千年前から続いているという事実だった。

地層を掘り返せば、それはかなり明白な事実として確認できるだろう。

阿蘇だけでなく姶良・鬼界カルデラから、霧島、雲仙、桜島と噴火の歴史はしおりのように地層に織り込まれているはずだ。


2.野焼きの焼畑との違い

そして1万3千年という数字が、南九州における早期縄文の出現とピタリと一致することが、私を驚かせた。

まさに南部縄文は野焼きとともに始まった。そして火の大規模な使用が副産物としての素焼き土器を生み出し、縄文文化を導き出したと言えるのではないだろうか。

番組の紹介では、野焼きによって管理された草原という環境を作り出し、年間のエネルギーやCO2の出納をちゃらにしつつ、人間の住める空間に変えるというのが野焼きのサイクルなのだという。

焼かれた野は、狩猟・採集文化の舞台なのだ。

そこが焼畑と異なるところで、焼畑の場合は焼いたあとそこから地力を収奪する。そして何年かの後にはそこでの耕作を放棄し再生を待つ、というサイクルになる。野焼きは植物が生え、育ち、生き物を育み、人間はそのおすそ分けに預かる。耕作はしない。


3.野焼きが縄文文化(南方)を生み出した

そしてこれこそが関東以北に起こった縄文文化とは別個の南方縄文文化を説明する根拠なのではないか、とひらめいたのである。

なぜなら、常緑樹林は落葉樹林と異なり、そのままではただの緑のジャングルでしかない。人間を寄せ付けない酷薄な自然である。縄文人が生きていく手段を提供することはできないからである。

もちろん、これは想像であり1万3千年前(最終氷期)の南部九州が常緑樹の森林だったとする根拠はない。だが落葉樹林であったとすれば、野焼きをする必要もなかったはずである。

そうすると、おのずから目はグローバルな歴史へと広がる。世界における人類の歴史のトバ口で野焼きはどんな役割を果たしたのだろう。

その答えがわかれば、南部九州の縄文文化についてもおのずから回答が与えられるのかも知れない。


3.野焼きへの “科学的” 批判の嵐

とは言うものの、今や野焼きは四面楚歌の状態である。というより犯罪扱いされている。

これはエコロジーではなく「環境ハラスメント」である。しかもこのキャンペーンにはかなりの「科学者」が手を貸している。このあたり「嫌煙ハラスメント」と良く似ている。

私は医師の端くれであり、科学的視点を無視するわけではない。だが、この論争にはもっと多くの、「非」科学者が絡むべきである、と考える。

人類史の黎明期から延々と営まれ続けてきた「野焼き」という業が人類にとって悪いものであるはずはないのだ、という確信から出発すべきである。それは人類が初めて「環境」そのものを改編し、管理する瞬間だった。その炎は人類文化の発祥を告げる狼炎であったはずだ。

それは人類史的な確信であり、変革の立場からのダイナミックな視角であり、構造学的枠組みからの脱出である。


4.野焼きのエコロジー

霧島市のホームページには次のような記載がある。
かつては里山の雑木林から薪や炭を作り、落ち葉は田畑の肥料に利用するなど、人為的な管理により良好な環境が保たれていました。
しかし生活様式の変化から、里地里山との関わりが減少し、手入れ不足による荒廃が進んでいます。
スギ・ヒノキ植林地では適切な管理がされず、森が暗くなり下層植生が失われています。そのため、周辺の植生は単調になっており、そこに生息・生育する生きものも少なくなっています。
…草地はこれまで、人の手により草刈りや火入れ等の管理を行ってきたことによって維持されてきました。しかし、人の手が入らなくなると、植生の遷移が進み木本類が侵入してきて草地は消滅します。
CO2という単一のものさし、価値観で事物を裁断するのは、特定の立場の人々の思い上がりだと思う。


1月22日 DAILY SABAH (トルコの政府系紙)


1.ネタニヤフの心中は穏やかではない


バイデンの大統領就任に当たり、ネタニヤフ首相は「両国間の同盟を強化するために新政権と協力することを楽しみにしている」と述べた。

そしてこう付け加えた。
「あなた(バイデン)と協力して、米イスラエル同盟をさらに強化し、イスラエルとアラブ世界の間の平和を拡大し、イランがもたらす脅威に立ち向かうことを楽しみにしている」

しかし、いくつかの報道機関によると、穏やかな口調にもかかわらず、イスラエルの心中は穏やかではない。

新政権がイランとの核合意を復活させ、パレスチナとイスラエルの和平プロセスに再び関与する可能性があると。


2.イスラエル紙の見たネタニヤフ

以下はイスラエルの日刊紙「ワラ」からの転載である。
イスラエル政府は、トランプによって4年間「甘やかされた」ために、依存症に陥っている。
それは麻薬中毒者がリハビリテーションの間に禁断症状を呈しているように見える。
ネタニヤフ大統領が恐れるのは驚くべきことではない。

バイデンの新政権は、これらの恐れを和らげようとしている。しかし、それが成功するかどうかは明らかではない。


3.新国務長官ブリンケンのスタンス

新国務長官のアントニー・ブリンケンは、議会の公聴会で、共和党だけでなくイスラエルと湾岸諸国にも、安心のメッセージを送ろうとした。

(ブリンケンはバイデン副大統領の右腕だった。両親ともにユダヤ系で、中東問題では積極介入を推すタカ派)

彼らはここ数週間、イラン問題で(トランプ時代から)後戻りしないようにバイデンに促している。

そして再合意には異論を唱えずに、「イランとの合意に至るためには、その前に共和党と相談しなければならない」ということを納得させようとしている。


以下は4日前の夜遅く、山陽放送で報道されたニュースで、あっという間に消えました。グーグルのキャッシュから起こしたものです。

2021年1月20日 
イランのロウハニ大統領「米が核合意復帰すれば全ての約束守る」

アメリカでバイデン次期大統領の就任が間近となるなか、イランのロウハニ大統領は「アメリカが核合意に復帰すれば、全ての約束を尊重する」と述べ、イランへの制裁解除を求めました。

イランのロウハニ大統領は20日、閣議の冒頭の演説で、アメリカの次期政権が2015年に締結されたイラン核合意に復帰すれば、「イランは合意に示された全ての約束を尊重する用意がある」としたうえで、イランに課されている経済制裁の解除を求めました。

さらに(ロウハニは)、「“暴君”トランプの時代は終わった。トランプの政治生命は終わった」と述べ、対イラン強硬策を講じてきたトランプ大統領を強く批判しました。

(ロウハニは)、バイデン次期大統領に対して「法による支配を尊重し、過去4年の間に残された禍根を取り除くことを期待している」と呼びかけました。

ただ、イランは、濃縮度20%のウラン製造に着手するなど合意違反を続け、表向きは欧米への強硬な姿勢を崩していないため、バイデン次期政権との外交交渉がすぐに始まるかは不透明です。



これまでハメネイの強硬意見だけが突出して報道されてきただけに、ロウハニの意見表明には注目すべきものがあります。

本日付の赤旗にバイデン就任が報道されている。その中で志位委員長の談話にちょっとだけ違和感を感じたので、素直に感想を述べたい。
志位コメント



一、民主主義への言及なし

私は今度の選挙の意義を、ともかくアメリカの民主勢力が一丸となって、トランプ政権の間違った政策を正すために立ち上がり、とても厳しい状況の中、民主主義を守り抜いたことにあると考えている。

もし敗北していれば、それは世界の民主主義にとって、今世紀最大の危機を招来していた可能性がある。

だから私はバイデンの就任を心から喜ぶものであり、アメリカの民主勢力、とくに進歩派の人々と青年達に敬意を表したいと思う。

その一言がない。これが一点目。


二、「力の政策」の放棄をもとめること

トランプ政権の対外路線を「国際協調に背を向け」たと一括しているが、不十分である。その本質は「アメリカ第一主義」ではなく、それを「力による圧迫」で世界に押し付けた野蛮さにある。

中東においても中南米においても、暴力支配と理不尽な経済・金融制裁が続き、大量の難民や失業者、暴力の連鎖を生み出した。この「力の政策」から脱却するかどうか、この点こそまさに「注目される」べきなのである。

ブリンケン新国務長官は「力の政策」の信奉者のように思われ、サンダースらも国内問題に力を集中すると見られることから、今後も国際情勢は厳しい見通しとなろう。


三、核問題にも触れること


ついでながら、オバマのプラハ演説以来、店ざらしになっている非核化政策にも触れるべきである。

アメリカ政府の態度次第で、北朝鮮、イランの核問題はすぐにでも片付く可能性がある。またイスラエルの核疑惑にも原子力調査機関の査察をもとめるべきである。世界各地に生まれている「非核地帯」に対して核の不使用を宣言すれば、その実効性が担保されることになる。


四、安保を日中問題の足かせにしないこと


おそらく米中対立は世界の覇権をめぐる対立だから、そうかんたんに解決するとは思えない。かなりの長期にわたり続くと覚悟しなければならない。日中問題にもそれが投影することは避けられない。

これは半ばは日本国内の問題である。なぜなら日中問題は日中両国で平和的に解決するしかないからである。日米安保体制についてはいろいろ議論のあるところではあるが、それと日中問題とは混同してはならない。このことは譲れないし、米国はこれを侵すべきではない。


ついでに、国際面にも一言。
特派員の署名入り記事は、いづれも格調高いものだ。ワシントン駐在の遠藤特派員は、あえて最初に17本の大統領令に触れ、逆にトランプの4年間がいかにひどいものだったかを浮き彫りにした。その上で就任演説の要旨を過不足なく伝えている。

なのになぜ?という記事が続く。時事通信の配信記事だ。全国の市民の声ということで4人の意見を載せている。それにつけた見出しが「根深い分断、祝賀ムードなく」だ。
4人の声は、
①67歳男性:バイデン氏は社会の分断を修復できない。②黒人青年 イデオロギー対立に嫌気し棄権。新政権への期待無し。④18歳女性: 必要最低限でも十分助けになる。④38歳白人男性: 「私達の国の敗北だ」と嘆く。

こんなクソ記事になんの意味があるというのだ。どうせ時事通信の記者だって、事務所でテレビ番組を見て書いたに違いない。「ニューヨーク、シカゴ、オークランド発」などと、よくもおこがましくも書いたものだ。


以前あげた年表がある

こちらはその増補版

三大文化の始まり
BC7000 長江流域に初期稲作が登場。
BC6200 遼河流域で最初の文化、興隆窪文化が栄える。
BC4800年 華北平原および黄河流域に人々が定着。黄河文明の先駆けとして、陝西省から河南省にかけて仰韶文化が発祥。貧富の差がみられ、社会の分業・階層化が進んだ。河南龍山文化に引き継がれる。
BC4700 遼河流域で紅山文化が栄える。風水や龍の信仰は遼河文明が黄河文明に影響を与えたものとされる。

黃河文化の突出
BC4300年 黄河下流に大汶口文化が発生。山東龍山文化に引き継がれる。
BC3000年 龍山文化の前期が開始。
BC3000年 長江中流域でミャオ族による屈家嶺文化が始まる。下流域では良渚文化が主役となる。
中原・陜西龍山文化と山東龍山文化に分かれている。
中原・陜西では、城壁を備えた都市が出現する。最大のものは陝西の陶寺遺跡。
山東龍山文化は山東省東部の章丘県龍山鎮にある城子崖遺跡を中心とする。
BC2600 後期竜山文化登場。黄河中流から下流にかけて広がる新石器時代後期の文化である。青銅器が使用され始めている。

黃河文化(華夏民族)の南方進出
BC2500頃 華夏民族が南方に進出。「涿鹿の戦い」に勝利し、蚩尤民族を駆逐。蚩尤民族はミャオ族と黎族に分裂し、ミャオ族は四散した。
BC2500年 長江中流域の屈家嶺文化が衰退。上流の湖南で石家河文化が始まる。
BC2000年 龍山文化の末期 人口は激減し、遺物も貧しくなる。(500年にわたる暗黒期)

夏の建国と二里頭文化: 五穀の栽培と農耕文化への移行
BC1920 黄河が大洪水。このときに禹が土木、治水を率い功績を上げたことから王位に就いたとされる。
BC1900年 史書によれば夏が建国され、初代の禹から末代の桀まで471年間続く。龍山文化集団の流れをくむ遊牧民族的な父系集団。陽城に都を構える。
BC1900年 河南省洛陽市二里頭村を中心に、推定人口2万人に達する巨大な遺跡が建設される。炭素14法で殷に先立つことが判明。『史書』に伝わる夏に相当すると見られる。
二里頭遺跡は4層からなり、1期と2期が夏王朝のものとされる。粟、黍、小麦、大豆、水稲の五穀を栽培していた。最盛期の人口は2万人以上と推定される。青銅器はない。
BC1700年頃 二里頭遺跡の3期と4期からは青銅器工房と宮殿が発見され、殷時代の遺跡とされる。
メソポタミアではBC4000年より前に青銅器時代に入っているが、中国に青銅器が入ったのはBC1600ころ、夏の時代の末期である。

殷(商)による夏の滅亡: 青銅器兵器時代の到来
BC1600年 商の湯王が諸侯を率いて夏の桀王を滅ぼしたとされる。夏の遺跡では夏人の毀損された遺骨と殷(商)の青銅の武器が多量に出土する。
BC1600 殷(商)が建国される。殷は後継王朝の周による呼称。都は亳(商城)に置かれた。考古学的には河南省鄭州市の二里岡遺跡に一致。先行する二里頭文化に影響を受け、青銅器を大々的に使用する中国最初の文化となる。
BC.1400 殷は王位継承の争いにより一時衰退。
BC.1300 後期殷王朝を隆盛に導いた盤庚王(第19代)、殷の都を河南省安陽市の大邑商(殷墟)に遷す。このあと殷は最盛期を迎える。

殷(商)から周の時代へ: 中原の統一と絶対王政
BC.1071 紂王、妲己を寵愛する
BC.1056 周の文王、殷により幽閉され死没。周の武王、紂王(帝辛)の暴政に対し周を中心とする勢力を結集。
BC.1046 殷周革命。周(西周)が建国される。鎬京(西安)を都とする。
BC.827 宣王が周王朝を復興,中央集権的政策を行う。

戦乱の600年
BC.770 周の幽王が殺される。残党は成周(洛邑)に都を移し東周となる。平王が即位。春秋時代の始まり。諸侯は東周をたてまつり割拠。
BC.551 孔子が誕生。これに前後して老子、孫子が誕生する。
BC.476 晋が消滅。盟主不在の戦国時代に移行。
BC.473年 越王勾践が呉王夫差を滅ぼし、長江流域の覇者となる。

鉄器時代への突入と西の辺境「秦」の強大化
BC400頃 鉄器の時代に入る。鉄製武器をいち早く取り入れた秦が勢力を拡大。BC.230 秦が韓を滅ぼす。以後、趙、魏、楚、燕を相次いで滅ぼす。
BC.221 秦の始皇帝が中国を統一。漢人が長江人を駆逐して長江流域に定住。

Easy Youtube Video Downloader Express PRO のダウンロード

私のようなメカ音痴が書いたレポートが、意外とロングセラーを続けている。

いくつかのファイルは、私のあまたあるブログ記事の中で、つねにBEST5に入っている。

多分この記事も、じわじわと読み続けられる記事になるだろうと思う。

といっても私の成功談のほとんどは、実際の所どうやって成功したのかわからないので、本当のところ役に立つかどうかはわからないのだが、「純粋な日本語」で書かれているのが「売り」である。

Youtube との仁義なき戦い

ここ数年、Youtubeの厳しさは絶望的なレベルに達している。

いまや動画のダウンロードはMP4で360pが上限だ。これだとMP3ファイルでの帯域は95Kbにしかならない。中波放送レベルの音質だ。

故にこの2、3年はすっかりダウンロードを諦めていた。

ダウンロード・アプリのPRO版

しかし以前愛用していたEasy Youtube Video Downloader Express というFirefox アプリにPRO版というのがあって、有料だが高音質でダウンロードできるという情報は気になっていた。

しかしそこにはPROへのアップグレードという手順と、それをペイパルという決済ソフトを使ってやらなければならないという、高い壁がある。

しかし何回かの挫折を繰り返すうち、何故か今回は闘争心メラメラで、ついに行くところまで行ってしまった。

現在、ダウンロードはサクサクと進んでいる。サクサクというにはかなり遅いが、それでも外付けのダウンロードサイトよりは早い。

ペイパル加入が一番のストレスだ

30ドルという出費は決して法外なものではないと思う。たどり着くまでは手続きの煩雑さ、パスワードとかIDとかいういつもながらのバリアーがあって大変だ。
とくにペイパルへの加入手続きは、やはり手が震えてしまい、なんども挫折した。最後は勇気である。狂気というべきかも知れない。

一言だけ付け加えておく。ペイパルのユーザーによるガイドには「銀行引き去りがトラブルが少なく安全だ」と書いてある。しかしこれはできない。
結局最後はクレジットカードを使うしかない。だから最初からクレジットカード方式で申し込めば、労力の半分はいらなくなる。

ダウンロードの時間は普通の方式より時間がかかる。だから映像をダウンしてあとから音を剥ぎ取る方式はやめたほうが良い。MP3方式の256KBで落とすのが一番エコだ。音は以前AAC196KBで落としていたときより良さそうに思える。

以上は私の個人的経験にもとづく個人的感想だ。あまり信用しないほうが良い。

ハクスリー 年譜
Thomas Henry Huxley

鎖につながれて
正しい道を歩くくらいなら

私は間違いながらも
自由に歩く方を選ぶ。

1825年5月4日 
西ロンドンで生まれる。貧乏人の子沢山の家系で、8人の子の中で下から2番目だった。

1842年(17歳) 奨学金を得て、チャリングクロス病院で医学の研究を開始。

1845年(20歳) ロンドン大学で医学士の試験に合格。解剖学と生理学では首席となる。

1846年12月 海軍の測量船「ラトルスネーク」に船医として搭乗。オーストラリア近海で無脊椎動物(刺胞動物及び尾索動物)の研究に没頭。

1850年 王立協会のフェローに選ばれる。

1854年7月 海軍を辞め王立鉱山学校の講師となる。英国地質調査所の博物学部門も兼任。
当時ほとんどの科学者は裕福なアマチュアだったが、ハクスリーは海軍からの奨学金と大衆科学雑誌の記事を書いて生活を支えた。



1858年 脊椎動物の頭骨と脊柱が相同器官であるというこれまでの通説を否定。

1859年 チャールズ・ダーウィン『種の起源』を出版。ハクスレーは「十分に良い仮説」と評価する。
「進化説を考えなかったのは、私がどれほど愚かだったかの証拠だ」と語る。

以後進化論を熱心に擁護し、「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれる。

1860年 オックスフォードで開催された英国学術協会の討論会。ハクスリーとリチャード・オーウェンの仕込みを受けたウィルバーフォース大司教が対決。ハクスリーは、人間が猿と関係があったと主張。

1863年 ハクスリー、類人猿と人間の連関について包括的なレビューを発表。両者の脳がすべての解剖学的詳細において基本的に一致していることを示す。

1871年 王立協会の事務局長に就任。81年からは総裁となる。

1885年 ハクスレー、重い病に冒され公職を引退。

1895年6月29日 長い闘病生活のあと亡くなる

最近、グーグル・クロームより早くて、プライバシーが守られるという謳い文句のブラウザーが登場した。ただ広告をブロックするとお金がもらえるなどと触れ込みがあるのは、どうもいただけない。
本線でないところを売りにするのは抵抗がある。

もともとずっとIEでやってきて、とくに不便を感じたことはなかったが、You Tubeをダウンロードする関係上FireFox に切り替えたのが15年くらい前だろうか。

それで10年やってきて、今度はWindows 10 になって、これでFireFox が動かなくなってしまった。なにか知らないがとんでもなくメモリーを食ってしまい、You Tubeどころか普通に文書ファイルを見るのさえクラッシュしてしまう。

そこでグーグル・クロームに変えたらサクサクと動く。さらについでに日本語入力もグーグルにしてすっきり感この上ない。

昔はNEC9000シリーズで松茸とか一太郎を使っていたから、マイクロソフトIMEはほとんど悪夢だったが、「美人は飽きる、ブスは慣れる」という言葉通りそれなりに慣れてしまって、今までやってきた。

というわけで、今やグーグルの虜となっていたわけだが、You TubeのダウンロードだけはどうしてもFireFox のアドオンでないとできない。そこで二つのブラウザーソフトを併用してきた。

それもYou Tube のダウンロードが中波並みの音質でしかダウンロードできなくなったため、ほとんどYou TubeともFireFoxともおさらば状態だった。

ところが、Easy Youtube Video Downloader Express が突然生き返ったのである。
これの PRO UPGRADE についに成功したのだ。
今や、MP3ファイルが256KBの高音質で取り放題になった。これについては別記事で説明する。

こうしてFireFoxはふたたび、私のマスト・アイテムとなった。

まぁ、そういうことなので、いまのところ、あえてクロームからブレイブに乗り換えるほどの氣はしないが、試すくらいはしてみようかとも思っている。



日経新聞の「展望 2021年」というお正月特集で「中銀発のデジタル通貨」が取り上げられていた。
本来なら去年がデジタル通貨元年となっていたはずだが、コロナで延期となった感がある。
いまのところは「デジタル人民元」が先行しているが、今年中にはECBが試験運用を開始するはずだ。
しかしその目論見はかなり違ってきていて、もはやビットコインとの共通性はなく、まったく別の通貨だと考えたほうが良さそうだ。

中銀の考えるデジタル通貨は、手っ取り早くいえば中銀が胴元になった電子マネーだ。クレジットカードのように使えるが、支払いは即時に完了している。信用の積み重ねがなく、すべてがキャッシュフローとしてあつかわれることになる。

ただしこれは決済機能のみであり、これを使った信用取引の世界はこれから開拓されていくこととなる。

私たちとしては、これがドル支配体制に風穴を開けるようになるかということだが、それはむしろ逆向きになる可能性が高い。現在はクレジット会社や金融機関で行われている大小の決済取引が、これからは中銀の統制のもとに行われるようになる可能性がある。さらに各国中銀が国際的な金融ネットワークに紐付けられれば、それは唯一の金融大国である米国と米ドルの支配力を強固にするほかないからだ。

一面、各国中銀の支配力は、その範囲ではさらに強まり、国内信用取引のほぼ全てを我が手に掌握することになる。そして国民のプライバシーは徹底的に侵害され、AIの前に丸裸となる。

これを日経では「金融包摂」と読んでいる。

それを民間でやろうというのがフェースブックだったり、モルガン・チェースだったりする。発想は同じで、巨大マネーを担保とする疑似マネーの創造である。

これらとは別に、ピア・トゥ・ピアのウェブ型信用の積み上げで通貨構築を目指すビットコインの行方はどうなるのだろうか。
 

1週間前の赤旗。寺井奈緒美という歌人の連載がある。「くねくね TANKA ロード」という、ちょっと冴えない題名で、山頭火をあつかっている。山頭火はクロウト筋の評価は高いようだが、正直あまり好きな歌人ではない。

文章の最後に、何気なしに正月を歌った自詠が置かれている。
正月の集まり 嫌で抜け出した君と
会う気がする ブックオフ
字余りなのか字足らずなのか、そこは山頭火風に崩れている

おトソが回って、ほろ酔いと言うにはいささか酩酊…
言葉の節目がおぼろげで、
雰囲気だけが足より前に、ゆらーり、ゆらーり

だから、「君」は彼なのか、彼女なのかもあいまいだ。

この歌には句点がないから、
私は「君と」のあとで区切った。
だから君は彼だ。
私はブックオフで彼を待っている彼女だ。
正確に言うとブックオフに一人いて、
ふと、彼がふらりと入ってきそうな気がしている彼女だ。

この歌をすなおに五七五七七で読めば、「抜け出した」で切れる。
屈託を抱いたまま、酔い醒ましにフラフラと歩いていて、
ふと街角のブックオフに入った。
立ち読みしているうち、突然君が現れたような気がした…
ということになる。

しかしそれでは身もフタもない。
やはり主語がフラフラと定まらぬところに余韻が残る
その場合、駅前の紀伊国屋も大学前の古書店もだめなので、
まさに中途半端、まさに「ザ・ブックオフ」なのだ。

ところで、詠みびとが女性だから何となくそう書いたけど
ブックオフで、一人立ち読みしているのは
ひょっとして彼かも知れない。
そのほうがお互いに
すこし正月らしく、秘めやかにハメを外した気分だ。

とにかくなんとなしに、
うなぎのようにヌラヌラとした歌だが
それも、お正月の気分かもしれない

なにか、これを毛筆風のポスターにして
ブックオフのカウンターの脇に張り出してみたいな。



2021年1月12日

かなり長いので、ちょっと端折って紹介します。

1.積極財政主義者サンダース

4年前の大統領選挙の直前、共和党幹部のポール・ライアンは、共和党全国委員会でこう語った。

「誰が上院予算委員会の委員長になるか知っていますか?」と問うた。そして答えた。「バーニー・サンダースという男です。彼のことを知ってますか?」

共和党は長い間、バーモント州の自称民主社会主義者であるサンダースが、予算委員会の指揮を執ることを恐れてきた。

なぜなら彼は「大きな政府と、より多くの連邦政府の借入金による、より大きな支出」を提唱してきたからだ。

民主党が上院を取り戻すことで、その恐れは、いままさに現実になりつつある。

サンダースは、アメリカ議会の最も進歩的なメンバーである。そのサンダースが、民主党の歳入・歳出計画を立案し、中心的な役割を果たすことになる。


2.“攻撃的” 財政の展開

サンダースは、「積極財政で経済刺激策を推進する。そのために新しい役割に迅速に取り組む」と述べた。

さらに、「危機は非常に深刻であり、可能な限り迅速に行動しなければならないと信じている」と述べた。

「“攻撃的” という言葉に下線を引いてください」と彼は言った。「私はそこからそこから始めます」

僅差での上院支配にもかかわらず、サンダースは税金、医療、気候変動などに大きな影響を発揮するだろうと予想されている。

なぜなら、あまり知られていないが、予算委員長としての役割には、信じられないほど強力なツールがあり、特定の法律については単純な過半数で承認を得られるからである。

「和解」(reconciliation)と呼ばれる予算メカニズムにより、議会は60票を獲得することなく法律を成立できる。

これは、トランプやブッシュのおこなった減税や、オバマの医療法案など、主要な対立法案を成立させた手段である。

(このあと「和解プロセス」の説明があるが省略)

「プロセス」の利用により、サンダースは新しい税金と財政支出を決定する上で主導的な役割を果たすことになる。


3.コロナ下の緊急対策

サンダースは、「最初の緊急の景気刺激パッケージは大規模なものにしたい」と述べた。

彼は、市民への直接支援のために、議会が通過したばかりの600ドルに加えて、1,400ドルを追加したいと考えている。

さらに州や都市へ、ワクチンの配布、検査、接触トレーシングのための資金を提供する必要があるという。

また、パンデミックの際に誰でも治療を受けることができるように、緊急の国民皆保険プログラムを作成しようとかんがえている。これには現在保険に加入しているかどうかは関係ない。

「このアイデアについては、規模とタイミングについてバイデンとすでにバイデンと相談していますわ」と語った。

彼は「すべての人のためのメディケア」など、長年訴えてきた自身の優先政策と関連付けるつもりはないと付言した。

そして「それはそれ、コロナは緊急対策である」と強調した。


4.米社会の構造的問題とサンダース

彼は、民主党が従来型の予算編成方針を超えて「アメリカ社会の構造的問題」に対処できる政策を実現したいと考えている。

そのために「和解」方式をどのように使えるかを試そうとしている。

サンダースもバイデンも景気刺激法案の規模を明らかにしていないが、木曜日に計画の概要が説明される予定である。

サンダースは、1兆ドル以上の費用がかかる可能性のある法律は、「漸進的な方法」で歳入を増やすことを目指すべきであると述べた。

これは富裕層と企業に対する増税を示唆したものである。上院の手続きの下では、増税案は財務委員会からていあんされる。担当議員は民主党進歩派のワイデン議員である。

すでにワイデンは、企業や金持ちを対象とする増税に積極的に取り組むことを明らかにしている。

ワイデンはインタビューで言った。「誰もが、公正な支払いを負担しなければならないという前提から始めなければなりません」


5.バイデン・サンダース関係は緊張をはらんでいる

バイデンの補佐官は、政策目標を法律化するために、サンダースなど議会委員会と緊密に協力すると述べている。

しかし、それにはいくつかの保留がある。サンダースの提案は、バイデンの全面的支持を得ているわけではない。

バイデンは、すべての人をメディケアの対象としては考えていない。また刺激策の優先順位を決める際に、一時的な医療保険の拡大を強調しているわけではない。


6.民主党穏健派の離反のリスク

バイデンは民主党内穏健派からの脅威にもさらされている。共和党との僅かな票差から言って、穏健な上院民主党員からも挑戦がもたらされる可能性がある。

民主党議員の一部は、バイデンが提案した支出プログラムのいくつかと、サンダースが支持する多くのプログラムに反対している。民主党の一致した政策のように見えたものでさえ、障害にぶつかる可能性がある。

ウェストバージニア選出の上院議員は、議会で最も保守的な民主党員である。彼は、刺激法案で1人あたり1,400ドルの現金給付を行うことは優先度が高くないと述べた。しかし最終的に賛成票を投じる可能性を否定はしなかった。

サンダースは上院の民主党指導者と協力して働くと言明しており、「全国民のメディケア」のための戦いは、すべて健康委員会に任せると述べた。

彼は、「和解立法」が「民主党の間で強力な支持を得るだろう」と確信しているようだ。

元民主党上院の指導者ハリー・リードは、「上院議員としてのサンダースは大統領選挙で主張したほど思念的ではなかった」と述べた。リードは2014年にサンダースを予算委員会のランキングメンバーに選んだ。民主党の同僚から「サンダースは民主社会主義者である」と懸念の声が上がったが、それを受け入れなかった。

「彼は本当の進歩的な社会主義者として知られている人だが、上院のコーカスにとって問題だったことはなかった」とリード氏はインタビューで述べた。「彼は反逆者になろうとはししなかった」


7.上院共和党による攻撃準備

共和党のリンゼイ・グラハムやノーキス上院議員は、サンダースが動けば連邦債務が増えるだけと攻撃している。

保守派の恐れについて尋ねられたサンダースはこう答えた。

「共和党の議員が私を嫌ったとしても、世論調査は私を支持するでしょう。そして増税と支出の増加が共和党員を含む幅広い有権者の間で受け入れられると思います。共和党議員は有権者から見放されることを心配するべきでしょう」

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